ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年07月29日(月) サンセット

雲一つない快晴。陽射しは容赦なく照りつける。

広い範囲で猛暑日となり特に関東は危険な暑さとなった。

栃木県の佐野市では41℃と信じられないような猛暑である。

佐野には古い友人が住んでいて気になりながらも

暑中見舞いをするでもなくついつい疎かにしてしまうのだった。

そうしてだんだんと疎遠になって行くのだが仕方ないことだろう。

私はせっかくの縁を自ら遠ざけてしまうことがよくある。




仕事は怒涛の忙しさだった。エアコン修理が一気に三台もあり

義父の助けがなければとても手に負えない。

義父もそれを承知していて身を粉にしてくれたのだった。

例の如くで昼食も摂らず汗びっしょりになって働いてくれる。

それにしても今年の夏はエアコンのトラブルがとても多い。

猛暑のせいもあるだろうがひっきりなしに入庫している。


事務仕事は午後には一段落しており2時半に退社出来た。

FMラジオは「五輪真弓特集」で聴きごたえがある。

哀愁が漂うと云うかしんみりと聴き惚れてしまうのだった。

夏らしい明るい歌も良いがやはり「枯葉舞う季節」が好きである。



夕方めいちゃんが癇癪を起こしキムチが食べたいと叫び出す。

泣き喚く前にと大急ぎでローソンへ買いに走った。

すると外のベンチで外国人の青年が二人アイスクリームを食べていた。

目が合って笑顔を交した後に「おいしい?」と訊いたら

二人が声を揃えて「おいしー」と言ってくれて嬉しかった。

咄嗟に英語が出て来ない。おいしいは英語で何と云うのだっけ。

「デリシャス」かなと思ったが自信がなかったのだ。

でも日本語が通じて良かった。これもささやかな一期一会だろう。


キムチを買って外に出たら二人の笑顔が待っていた。

「グッナイ」と手を振ったら「グッナイ」がこだまするように返ってくる。

ちょうど夕陽が沈む頃でなんだか映画のワンシーンのようだった。


荷物は見当たらなかったがもしかしたらお遍路さんだったのかもしれない。

お大師堂から歩いて来たような気がしてならなかった。

4月に行事の当番をした時にお大師ノートを見たのだが

英語やフランス語やそれは沢山の書き込みがあったことを思い出す。

小さなお堂ではあるが人気の宿になっているのだろう。

私の足はすっかり遠のいてしまったがずっと気になりながら過ごしている。

心の拠り所だったのだ。これまでどれほど癒されて来たことだろう。


遠のくことは容易いのかもしれない。

ただ億劫だと云う理由だけではないのだと思う。

信心する気持ちはまったく薄れず朝に晩に手を合わし続けている。


父と母の遺影の傍にはいつも「お大師さん」が居てくれるのだった。






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