2024年04月19日(金) |
私は今日も生きていました |
この春何度目の夏日だろうか。日中は汗ばむ程の陽気となる。
燦々と降り注ぐ陽射しに樹々の若葉がきらきらと輝いていた。
田植えがやっと一段落したようだ。
今朝は義父の姿がありほっと胸を撫で下ろす。
わずか二日であったが工場の仕事の溜まっていたこと。
金曜日でもあり今日も田植えだったらどうしようと頭を悩ませていた。
午前中に検査を済ませ車検完了の書類を作成する。
午後は一般整備の部品注文等と義父でなければ出来ない仕事があった。
3時半に退社。何とも言えない清々しい達成感である。
FMラジオからは中島みゆきの歌が流れ嬉しくてならない。
私は目の前のことをひとつひとつクリアーして行くのが好きだ。
それが山積みであるほどやる気が出て来るのである。
する仕事のあることは本当に有難いことだ。
このところずっと仕事中に短歌を書いていて心苦しいが
帰宅してからはとても無理で致し方なかった。
今日のように忙しくても周りの目を盗むようにしながら書いている。
そのせいかもしれないが出来はとても悪い。
自分が納得いかないものに誰が共感してくれるだろうか。
それでも書かずにはいられない「さが」のようなものがある。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないが弾が自分に当たっているのだ。
それならばいっそ止めてしまえば良いのだが思い切ることが出来ない。
夜明け前に書いている詩は我ながら上出来なのではないだろうか。
それが自惚れだとしても私は自分の書いた詩がとても好きだ。
好きになってやらねばあまりにも可哀想に思う。
自分を卑下してはならない。それは私の心を否定することに等しい。
今もって歌人でも詩人でもないがおそらく一生今のままだろう。
以前はそれが口惜しくてならなかったが今は違う。
要するに誇りを持つか持たないかのモンダイではないだろうか。
自信はないが誇りはある。それは誰にも劣らないと思っている。
この日記を読んで下さっている方の中には興味のない方もいるだろう。
それよりも今夜のおかずは?と歯がゆく思っているかもしれない。
時には脱線するが今夜は自分の書きたいことを書かせてもらった。
日記とはそもそも公開するものではないのだが
22年目となったからには腹を括るような気持でいる。
包み隠さずありのままの私を受け止めてもらえたら幸いである。
もし突然死んでしまっても「死にました」とは書けないのが残念だ。
だからこそ「生きています」と最後まで書き続けたいと思う。
今日も生きていました。読んで下さり有難うございます。
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