ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月17日(水) 夏をあきらめて

黄砂の影響だったのか薄曇りの一日。

けれども陽射しは強くまるで初夏のようであった。


花屋さんの店先にはもう鉢植えの紫陽花が並んでいる。

高価でとても手は出せないが「見るだけ」の楽しみがある。

それと紫陽花は地に植えてあげないと弱ってしまうようだ。

我が家には土の庭が無くもし買えても駄目にしてしまうだろう。


やがて本物の紫陽花の季節がやって来る。

冬の間化石のように枯れていた紫陽花にも若葉が見えるようになった。

春はつかの間。今日のように暑い日があると夏の訪れも早いだろう。




今日は田植え。職場に着くともう義父の姿はなかった。

田植え機を勇ましく操る姿が目に見えるようだった。

毎年のことだが今年も義父の友人が数人手伝いに来てくれていて

どれほど助かることだろう。本当に有難いことである。

山里でも一二を争うほどの作付け量であった。

助けがなければとうてい無理な話である。


私と同僚は工場の仕事があり手伝うことは出来なかったが

お昼にお弁当を届けて欲しいと昨日義父から言付かっていた。

平田町のお弁当屋さんが事務所まで配達してくれるのだそうだ。

それが11時を過ぎても一向に現れない。

12時前になっても来ないのでおそるおそる電話を掛けてみたら

話し声がもぐもぐしていて「もう食べよるぞ」と言うではないか。

どう云う経由で田んぼまでお弁当が届いたのかは訊けなかったが

とにかく私の任務は無かったことになったのだった。

少しでも役に立ちたかったが役立たずの私で少し残念に思う。



3時に退社。今日もFMラジオを聴きながら帰る。

研ナオコの「夏をあきらめて」が流れていた。

昔から好きな歌だったが改めて聴くと胸に沁みるようである。


買い物をして帰宅するとめいちゃんがお友達と遊んでいた。

水曜日は下校が早いので思う存分楽しんでいる様子である。

しかし宿題をしていないとのこと。どうなるかなと心配になった。

案の定、夕食後に泣きながら奮闘しているところである。


3年生の時もそうだったが宿題が多過ぎるのではないだろうか。

勉強は学校だけで十分に思う。それよりも下校後は遊ばせてやりたい。

これから日が長くはなるが遊ぶ時間はほんの僅かであった。

塾や習い事のある子供も居るだろう。その子達も可哀想でならない。

めいちゃんも木曜日はダンス教室があるがとても苦労をしている。

宿題さえなければどれほど気が楽なことだろう。


私は昔人間なのでついつい自分が子供の頃のことを語りたがるが

宿題に苦労した記憶がなかった。日が暮れるまで遊んでいた記憶しかない。

昔と今は違うのだと言ってしまえばそれまでなのだろう。



今夜は入浴時に何故か切羽詰まったような気分になった。

精神的には落ち着いているはずだが自分でも不可解でならない。

突然に何かが終るような気がしたのだった。

それは「死」だろうか。今夜死んでしまうのだろうか。

そうして振り払うように思い直していた。

とにかく明日のことを考えよう。

5年後、10年後の未来のことでもいい。

私はわたしで在り続けるだろうし命はいのちで在り続けるだろう。




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