二十四節気の「立夏」暦の上では今日から夏である。
雨の予報であったが降りそうで降らず
湿度が高いせいか蒸し暑さを感じた。
我が家の庭先でとても不思議なことが起きた。
去年の秋に植えていた小菊の花が咲き始めたのだ。
花が終った時に剪定をしていたのが良かったのだろうか。
それにしても初夏に咲く菊など今まで見たこともない。
これからの暑さを乗り越えられるか心配であるが
枯らさないように水遣りだけは怠らずにいようと思っている。
午前中にカーブスへ。体重測定がありこの一週間でまた2キロ増えていた。
禁煙を決意した時からだと4キロ増えたことになる。
やはりストレスなのだろうか食欲は留まることを知らない。
なんとか元の体重に戻そうと努力しているつもりであるが
今は禁煙のことで頭がいっぱいになっており余裕がないようである。
体脂肪率は先月と変わらずなんとか維持できているようだった。
今の私にあれもこれもは無理だろうと思う。
ひどく焦る気持ちもあるが焦ってもどうしようも出来ないだろう。
まずは禁煙であるがこれがなかなかに手強い。
完全禁煙も4日目が終ろうとしている。正直言ってかなりつらい。
禁断症状は薄れているつもりであるがあくまでも「つもり」なのだろう。
娘の吸殻は何処にも見つからずすっかり諦めてしまっているが
娘婿の吸殻はそこらへんにいつでもあり誘惑の手を伸ばしている。
しかし娘と同じ加熱式煙草であっても種類が全く違うので
火を点けて吸うこと自体が出来ない代物であった。
それをどうするかである。愚かなことにそれを口に咥えているのだった。
ついにそこまで落ちぶれてしまったのかと情けなくてならない。
それは無味無臭のフィルターのような物であった。
とにかく「我慢」することと「手放す」ことは違うのだと思う。
我慢は精神的に追い詰めることでありそれには辛抱が連なる。
「辛抱」という字は辛さを抱くのであるからどれほど苦しいことだろう。
その上に我慢の先に明るい未来が待っているとは限らないのだ。
子豚を殺すことは容易くはない。
どれほど愚かな子豚でも掛け替えのない「いのち」を持っている。
もう生きる価値などないのだろうか。
ふと子豚が憐れでならなくなった。
私は明日も辛さを抱くのであろうか。
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