爽やかな風が吹く晴天。西風はまだ冬の名残なのだろう。
春の訪れに身を切られるように遠ざかろうとしている冬。
そんな季節の変わり目になんとなくせつなさを感じるのだった。
朝のうちにお大師堂へ。花枝を活け替え川辺に咲いていた
水仙の花を手折りその一輪をそっと添える。
そうして拙い般若心経。お堂にこだまするようにその声が響く。
さらりさらりと流れる大河。私は何を流せば良いのだろうか。
午後はお墓の掃除とお参りに。お寺の裏山の道がとても険しい。
まるで妊婦のようなお腹を抱えて一歩一歩がやっとだった。
しんどいなと思う。罰当たりにも面倒だなと思うそれが本音。
けれどもいざお墓に辿り着くとそんな事など忘れてしまうのだった。
熊手で枯葉をかき集めせっせと谷に捨てる。
水桶の少ない水で墓石の汚れを落とす。
水が足らなくなってしまってじいちゃんが汲みに行ってくれた。
一度専門の業者に頼みたいねと言ったら「馬鹿、高いぞ!」と。
そんな余裕がどこにあるのか。私は本当に馬鹿だなと思った。
義妹が「それなりそれなり」と言ってくれてほっと救われる。
お花を活けたらそれなりに綺麗に見えるから不思議なもの。
「みすぼらしい」は心の問題なのだなとつくづく思ったことだった。
お酒やビールもお供えして皆で清々しく手を合わせて帰る。
山道には椿の花がたくさん落ちていた。
散ることが出来ず落ちなければいけない花はやはり憐れでならない。
けれども椿はなんだかとても誇らしげな姿をしていた。
咲いたまま落ちるのはもしかしたら快感なのかもしれない。
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