2020年12月13日(日) |
幸せは「仕合せ」と書く |
穏やかであればあるほどそれが乱されるのが怖くなるものです。
幸せは「仕合せ」と書く。それにはきっと意味があるのでしょう。
日曜日は朝のうちにお大師堂へ行くのだけれど
どうしたら良いものかとしばし悩んだあげく今日は行かず。
お参り仲間さん達のことを考えると迷惑をかけるのではないかと。
たとえば高知県を日本の国に例えてみる。
高知市が東京だとすると今の山里は大阪に値するのだった。
だとすると私は毎日大阪に行っていることになる。
そんな私がどうして平然とお参りに行けようか。
「自粛」と言う言葉が重くのしかかっても仕方ないことだった。
孫たちのお友達も遊びには来てくれない日曜日。
幸い家族そろって買物に出掛けたようでほっとする。
昨日の事もありじいちゃんと「避けられているのかも」と。
それも当然の事のように思えた。用心に越したことはないのだもの。
近所の地場産市場で息子たちと偶然に会った。
息子も職業柄とても用心していて近寄ろうとはしない。
私もそれを心得ていてあえて距離を置いてつかの間の会話だった。
けい君が不思議そうな顔をしてそれでもにこにこと笑顔を見せてくれる。
元旦は休みが取れたそうだけれど「正月はまあええわ」と。
たとえ家族とは言え会食には違いない。それが得策だろうと思う。
寂しいけれど仕方ないこと。右を見ても左を見てもコロナなのだ。
明日からまた仕事だけれど気の重さは不思議となかった。
なんとなく武者震いのようなこれは「勇気」に違いない。
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