2020年08月29日(土) |
「生きたい」と「死にたい」 |
猛暑日にこそならなかったけれど厳しい残暑。
夏も潔く去るわけにはいかずあがいているのだろう。
「処暑」と名づけられたからと言ってすぐには退けない。
何度も振り向きながら名残惜しく立ち止まる場所がある。
とても縁の深かったひとの命日。もう8年の歳月が流れた。
最後に会った日は自死する3日前の事だった。
思い詰めた様子もなく笑顔だったことを忘れられずにいる。
何も気づいてあげられなかったことを悔やんだこともあったけれど
今は不思議とその死を素直に受けとめている自分がいる。
「生きたい」と「死にたい」はもしかしたら似ているのかもしれない。
少なくとも人間として生まれた以上それは身近な欲なのだろう。
どちらの欲が正しいかなどと判断するほど私は偉くなどない。
修業僧だった彼は死んでから正式な僧侶になったのだそうだ。
四国霊場を何巡も歩き通したそれが最後の結果となった。
私は「生きたい」欲と日々闘い続けている。
死んでたまるかと思いつつ命を抱きしめ続けている。
歳を重ねるごとに身近になった死を遠ざけたくてたまらない。
けれどもある日突然それが襲って来るかもしれないのだった。
逃げることが不可能ならばどうやってそれを受けとめようか。
もう書くことも出来なくなる。ぷっつりとすべてが終わる。
それでも私は残るのだろうか。せめて生きた証を残しておきたい。
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