| 2009年01月17日(土) |
せいいっぱいのおんがえし |
ほんの少し寒気が緩んでくれたらしくほっとしている朝だった。 風はまだ冷たいけれど。青空を仰ぎつつ心地よく洗濯物を干す。
昨日はこの冬一番の冷え込みだったらしく。雪こそはなかったが。 あたり一面霜に覆われ凍りついたような寒さだった。南国のこと。 北の地の寒さを思えばささいなこと。これも恵まれているのだろう。
そんな真冬らしい朝。約束どおり出会ってくれたひとが訪ねて来てくれる。 前日に遊んでもらったばかりだというのに。あんずが吠えて申しわけなく。 そのうえすぐ向かいの路地からやっとこさと歩いて来る姑を迎えてもくれた。
もうあと少しのところで姑が転んでしまう。すると真っ先に助け起こしてくれる。 私がそれをするといつも嫌がり。なんとしても自力で歩き出そうとする母だった。 けれどもさすがにその朝は嬉しかったのだろう。とても素直に微笑んでくれた。
玄関でお経を唱えていただき。寒さも忘れただただ清々しいぬくもりをいただく。 お布施もお弁当も快く受け取ってくださりありがたくてならない朝となった。
そのうえ思いがけないことに。金剛杖に姑の名前を書き込んでくれるという。 「一緒に歩きましょうね」と優しい言葉に。母は手を合わせて涙ぐんでいた。
何年先になるのかわからないけれど。きっとまた会いましょうと約束をしてくれ。 霜の路地で手をふって別れた。京都のかただという。今年が前厄にあたるそうで。 だからなのか三年帰って来るなと命じられたそのわけがわかるような気がした。
名は・・そうだった。肝心の名前を訊き忘れていたことに後から気づいたけれど。 もうじゅうぶんなのだとつくづく思う。出会ってくれたこの恩を忘れずにいよう。
思い起こせば。ここ数年の自分はほんとうにひとの縁に恵まれ過ぎている。 あえて過ぎていると言わずにいられないほど。身に余ることに他ならない。
たとえ一期一会であっても。生涯忘れることはないだろうありがたき縁ばかり。
いまの自分に何が出来るのだろうとふっと思い悩む。もっと尽くしたいと。 なんとしても繋ぎ止めたいと願うきもち。それこそが『こだわり』かもしれない。
なにがあってもどれほど時が流れても。決してその縁を忘れないでいること。
もうそれいがいかんがえらない。それがじぶんにできるせいいっぱいのおんがえし。
※※もしよかったら聴いてください※※
徳永英明 『ことば』
|