喪失。 - 2008年07月12日(土) 今日は、大学で開催されたセミナーにお出掛け。 セミナーに行ってきた内容やら感想やらを書こうと思っていたけれど、 それは次回に回そうかな。 セミナーからの帰り道、いつものようにお気に入りの路線で眠っていた。 ひどく疲労していて、何も話したくないし、何も食べたくないような心境だった。 今日は、色んなことを考えたし、色んな立場にある人と出会って、 色んな光景に出会ったから、少し疲れたみたいだった。 そして、空に薄くかかる雲は少し赤みを帯びているのに、 ものすごい湿度で、堪えられなくなったように細かい雨が降り出した。 雨の日は、だめ。 すごく、気持ちが落ち込むから。 ぼんやり、半年前に別れた人のことを想った。 昨年の夏、私はその人と、ものすごく楽しくて、充実した日々を過ごした。 私もその人も、夏の予定はいっぱいで、実際に会えていたのは2ヶ月のうち1週間くらいだったけれど。 夏の日差しを沢山浴びて、照り返すアスファルトを踏んで歩き、 大きな公園で芝や砂を踏み、おいしいものを沢山食べた。 夏の陽気に相応しい幸福。 もうすぐ、あの夏から1年が経つ。 あの夏の思い出。2人で過ごした掛け替えのない日々。 別れの言葉。 別れてから無数に負った数々の傷。 その頃の出来事。 胸が疼いて。 また、全てに傷ついた。 だけど、別れてから7ヶ月が経って。 「今」、彼を想う気持ちはなくなったと思う。 思い出や、負った傷を思い起こして、 どうしようもなく苦しい時はあるけれど。 今の私は、遠くに住む彼の元へ行きたいという気持ちは微塵もない。 だって、やりたいことが沢山あるもの。 人生で、初めてだったのだ。 どんなに願っても、どんなに祈っても、もう二度と戻ることはない別れ、喪失が。 あの人を失ったと同時に、私は私の全てを失った。 友達との接し方。日々の過ごし方。 自我。 何もかも失って、どうしたらいいのか本当に分からなくて、 毎日死にたかった。 生きているだけで死んでしまいそうだった。 人間は、内傷である悲しみのみによって死なないことが不思議だった。 食べれなくても、人間は生きることならできるのだ、ぼんやりそんなことを思っていた。 今日のセミナーは、喪失によるgrief(悲嘆)をどのように捉え、認識するか、 そしてその上でカウンセリング・セラピーとは何かを扱うセミナーだった。 その講義とはまた別に配布された資料を読むと、 私はこの7ヶ月間、無自覚に喪失から立ち直るまでのプロセスを辿っていたらしい。 極端にそのプロセスを辿りすぎて、負わなくていい傷を数多く負った7ヶ月間だった。 だけど、きっと、私の傷は未だ回復したとはとてもじゃないがいえないけれど、 それでもここまで傷が癒えたのは、知らず知らずそのプロセスを辿ったからだろう。 今日のセラピーの話を少しだけ。 様々な立場にある方がいた。 学生は私を含めて3人。 誰もが傷を負っている。 誰もが傷から自己防衛しようとしている。 それが無自覚に行われていて、全く自覚症状のない方もいた。 援助側であっても、その人も人間であることに変わりない。 ...
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