意味、価値、理由。 - 2008年07月11日(金) 今日は、授業が終わってすぐに帰宅。 私の大好きな路線に乗って、私の住む県の県庁所在地のある場所へと向かう。 私はその路線が大好き。 その路線に乗ると、私は必ず海の見える方の座席に座る。 そちら側に座ると、観覧車が見える。海が見える。テーマパークも見えるし、遠くにタワーが見える。 私はその路線沿いでアルバイトもしているけれど、 夜は潮の香りが濃くなるの。 湿気で空気は重たいけれど、私は私の生まれた場所が大好き。 いつもは終点まで乗るんだけど、その路線に乗ると県庁所在地のある駅には直接向かわないので、 終点の一個手前の駅で降りて、その場所まで歩く。 徒歩、だいたいにして30分。 私はそのお散歩コースが大好きで、時々時間がある時は好んで歩く。 その路線に乗っている時に、私が昔入っていた部活の先輩の言葉を、ぼんやりと思い出していた。 「理由は後付けされるものだから。」 その先輩は、何かを選んだ時や、それを選ぶ過程や、生きてゆく中での出来事に対する理由や価値や意味は、 後付けされる、ということを言っていた。 当時大学3年生だった私。就職活動前にもらったその言葉に、 自分の大学受験を思い出したりしながら、「なるほどなぁ」と思った。 だけど、今考えると、理由や価値や意味は、「後付けされる」ものではなく、 自分自身が、「見出してゆく」ものであり、「作り上げていく」ものだと思う。 その事実から、全身を持って背けたくなるようなことだってあるし、 生きているだけで、生きていることで死んでしまうんじゃないかと思う出来事もある。 だけど、その事実と向き合って、その時の自分自身とも冷静に向き合って、 そうやって日々を過ごしてゆく過程で、 見えなかった答えや、答えの糸口、そのヒントが少しずつ、見えてきて、 そしてそれは、生きてゆく希望とか、今後の自分の将来への期待に結びつき得る。 そこまでに至る過程そのものが、その出来事や事実の意味や、価値や、理由になるんじゃないだろうか。 その出来事によって思考し、自分に丁寧に付き合い、今後の展望を見出す、 それは、根本的な出来事や事実がなかったら生み出されるものではなかったから。 意味や理由や価値っていうものは、自分自身から能動的に生まれるものなのじゃないかな、なんて、思った。 **************************** 過去を懐かしんだり、いとおしんだりすることがある。 それは時として、切なさややるせなさ、を孕んでいる。 例えば、昔のバイト先のファーストフード店。 あそこでアルバイトしていなかったら、確実に今の私は存在しないだろう。 あの頃は築かなかった。 3年間バイトしていたことで、築き上げられた人間関係、仕事の能力、居心地の良さ。 あの頃は何も自覚していなかった。 一人暮らしをきっかけに、突然やめて、もう2年が経つ。 思えば、あの3年間から、私の人生は始まったような気がする。 私の大事な居場所。私の大事な帰る場所だった。 今、新しいアルバイトを始めて、その大切さや掛け替えのなさ、私にとってのその存在の尊さに、改めて気付かされた。 あの頃は何も自覚していなかった。 懐かしいなぁって、思う。 だけど、戻りたいのではないのだ。 戻れないことも分かっているし、戻りたいとも思わない。 私は「今」にしっかり根を下ろして生きているから。 それは、昔好きだった人のことを思い出す時とも共通すると思う。 本当に本当に好きだった。 一生一緒にいられると思ってた。 失った後の自分を思ったら、今ここに自分が生きていられることが不思議なほど。 今だって、完全に傷が癒えたわけではない。そんなはずもない。 だけど、あの頃に戻るのは、もう無理なのだ。 生きてゆくことに対して気力もなく、自信もなく、 未来が何も見えなくなったその時を、私は少しずつ超えてきた。 暖かくなったと思ったら、雪がしんしん降り積もる、そんな季節が変わる時のように、 一進一退ならぬ、一進二退を繰り返しながら、 私はようやく今ここに生きられるようになったのだ。 あの頃には戻れないし、あの頃に戻りたいとも思わない。 あの頃の自分の幼さ。 半年で劇的に成長するなんぞ、起こりえないことであることはわかっている。 実際私はまだまだ成長途上なのだと思う。 だけど、あの頃の自分の場所に、今の私はもう、戻れない。 それに気付けるようになった今、ほんの少しだけ、あの頃より成長したのかもしれない。 これから作り上げていく。 ...
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