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2004年08月04日(水) いきさつ 2

美佐が創ったサイトは彼女の小説をメインに、私とタカコの描いたイラストを置かせてもらう形・・・いわば居候のような形でスタートした。
それまでホームページはおろかネットについても不案内だった私たち(私とタカコ。特に私)は不特定多数の人たちに自分たちのイラストを見てもらえるということに、単純に喜び興奮した。

感想なんてもらえるのかなぁ。知らないひとが私らの絵を見てくれるんだ。
そして何よりも自分たちの絵がWEB上に載るんだ。信じられない。嬉しい。
そんな感じで。

初めの頃は目標も高く、テーマイラストを決めたり、週一の割合で新作を更新したりして、かなり鼻息も荒く舞い上がっておりました。
毎日毎日イラストのことばかりを考え、売れっこ週刊誌連載作家のように描いては次、描いては次のような・・・それはそれで充実した日々でした。

美佐とはその間に、何度か瑣末な感情のこすれあいがありました。
美佐としては、私とタカコが単なる居候に納まらず、もっと積極的にサイト経営・・・美佐曰くサイトの向上のアイディア出し、ネットの知識を増やす、彼女の仕事が忙しいときには副管理のようなことをして欲しいと。
タカコにではなく、私が言われました。
ただ私としては最初にサイトの居候になってほしいと(なってほしいと言われたと書くとエラそうなのですが、実際そうだったので。小説だけではビューワーが集まらない、絵があった方が華やぐ、そういった理由で誘ったと理由を聞いていたので)
言われたときに、『あくまでイラストを提供させてもらうだけの居候。掲示板にイラストについて書き込みがあったときは、もちろんレスさせてもらうけれど、それ以上は自分には出来ないよ。それでもいいなら』と。

だけど実際スタートしてみると、初志貫徹?するのは難しく、私もいつのまにか「載せさせてもらっている」と錯覚するような感じに陥り、特別に勉強は出来ないけれど、せめて自分に出来ることの最低限は勉強しようと思ったのです。
でも、当たり前といえば当たり前ですね。
居候といえど、3人で関わっているのですから。

でも少しずつ、少しずつ、私と美佐とタカコの間のこすれあいは大きくなっていったと思います。
一番の大きいことは、美佐が(彼女のことばかりを悪く書いてしまっていますが、そういうつもりではないのですが)私にタカコについての愚痴を、タカコに私についての愚痴を言うようになったからです。
なったからというより、そういう場面は今までもたまにあったのですが。
多分、美佐はトロい私たちに対してイライラしていたんだと思います。
特に仕事やプライベートで面白くないことがあると、風当たりは余計に強かった気がします。

自分(美佐)がこれまで一番ネットに関してウトイと思っていたけど、それよりもヒドイ人たち(私とタカコ)がいるのには驚いたと言われたときには、私の努力が足りなくて美佐の満足度には足らないかもしれないけど、でも最初のときに『ネットのこと何もわからないよ』と言ったじゃん?と、理不尽に思い哀しくて悔しくて、それとどうしてそんなことまで言われなきゃならないのかと寝苦しい夜もありました。
タカコもタカコで、私ほど直接的に言われることはなかったけれど、違和感と微妙な居心地の悪さみたいなものを抱えていました。
私たちはお互いに美佐への「何であんな風に言うのか」とうっぷんを晴らしつつ、「私たちはよっぽどお荷物なのかな、もっと勉強しなくちゃいけないね。でも最初の約束では・・・』と言ったようなことを話し、自分たちのおける位置となりゆき上引き受けねばならないと思っていることに対して、憂鬱も覚えていました。
最初に言っていた通り出来ないことは出来ないと言いたい、でもそれを言うことに対して自分がまるでワルイことをしてるみたいに罪悪感と卑屈さと、『今回も載せさせてくれてありがとうございます』みたいな気持ちを不自然なくらいに思うのは何故なのか。

もちろん私たちもいけなかったのだ。
思うことは、いちいちそのときに言えば良かったのだ。
いや、言ってはいたけど、そこに意味不明な卑屈さを持ち込んではいけなかったのだ。
それだけではないと思うけれど、いつのまにか見えない力関係が生じて、美佐は多分もっともっと言葉の暴君になったのだ。
少なくとも私に対して。

そしてそうさせてしまった半分の責任?は自分にあると思う。


ルツ