最高気温が26℃まで達しまるで初夏のような陽気となる。
黄砂と花粉の影響だろうぼんやりと霞がかった空であった。
明日もまた同様とのこと。洗濯物の外干しが出来そうにない。
週末には寒の戻りがあり「花冷え」となりそうである。
「花曇り」「花散らしの雨」どれも桜の季節の奥ゆかしい日本語だった。
今朝も出勤すると義父の友人達が勢揃いしており
また育苗機の苗をハウスに運ぶのだそうだ。
義父はそわそわと落ち着かず工場の仕事の事も話せなかった。
昨日の大型車も路肩に停めたきりで牽引どころではない様子。
お客さんの身になればほったらかしにされたような気分だろう。
気の毒でならなかったが義父を急かすことも出来なかった。
同僚も車検整備を頑張ってくれていたが飛び込みのお客さんが多い。
予約制にしてあっても急な修理を断ることが出来なかった。
わざわざ宿毛市から来てくれたお客さんもいて
出直して来て欲しいなどとどうして云えるだろうか。
仕方なく車検整備は滞り今日の予約の車検整備は明日に持ち越さねばならない。
私がいくらあがいてもどうしようも出来ないことであった。
「何とかなるだろう」と自分に云い聞かせても「どうなるのだろう」と思う。
着実に前へ進んでいる実感が少しも湧いて来ないのだった。
何だか荒海で転覆してしまいそうな危機感を感じずにいられない。
あれこれと思い悩んでも何も解決はせず今日も定時で退社した。
自動車専用道路を時速90キロで走り抜ける。
ラジオからは好きな曲も流れずむしゃくしゃしていたようだ。
帰宅したらお向かいの奥さんが新鮮な野菜を届けてくれていた。
新玉葱、ほうれん草、サラダ菜もあり嬉しくてならない。
買えば高値の野菜ばかり家庭菜園は素晴らしいことである。
お向かいの奥さんがまるで神様のように思えたのだった。
夫は茶の間でぼんやりと「子連れ狼」を見ていた。
大五郎の何と可愛らしいことだろう。
残虐なシーンが多いが大五郎のおかげで安心して見ていられる。
けれどももし大五郎が殺されてしまったらと思わずにはいられなかった。
それは決してないのだと夫が笑い飛ばしてくれほっとする。
今日もたくさんの悪者が惨殺されたが
「ちゃん」と駆け寄る大五郎の笑顔に救われる思いだった。
幼い子供の笑顔には不思議な力が宿っている。
そのあどけなさにほっと微笑む人も多いだろう。
大人だって微笑むことは出来るのだ。
けれども愛想笑いであったり思惑を纏った笑いもある。
心の底から純粋に微笑めば心にも花が咲く季節なのではないだろうか。
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