今朝は14℃と暖かい朝であったが
雨が止むなり強い北風が吹き始め一気に真冬の寒さとなった。
明日は強烈寒波とのこと厳しい冷え込みになりそうだ。
寒さに怖気づきながら「冬らしさ」を心の何処かで待っている。
そんな矛盾も受け止めてやらねばと思う。
山茶花の散った道はまるで桃色の絨毯のようだ。
それは不思議と北風が吹いても舞おうともしない。
おそらく桜の花びらのようには舞えないのだろう。
地面にしっかりとしがみついている。散っても逞しい花であった。

工場の仕事は順調。午前中に今年最後の車検が完了する。
お客さんに代車を貸してあったので引き取りに来てもらおうと
電話をしたが呼び出し音が鳴り続くばかりであった。
お昼ならと再度電話をしたが一向に繋がらない。
もしやと思い車に乗ってお宅まで行ってみたら
車庫にしっかり代車を停めてあるではないか。
携帯ではなく固定電話から掛ければ良かったのだ。
高齢のお客さんであり知らない番号からの着信には出ないのだそうだ。
私も迂闊であったが無事に車を届けることが出来て良かった。
支払いは来年の年金支給日とのこと。高齢者にはよくあることである。
同僚は一般修理を頑張ってくれ午後にはほぼ完了となる。
義父はお昼前から何処かへ出掛け行方不明になった。
そのくせ電話は掛けて来てあれやこれやと口うるさい。
2時半になっても帰らないので鬼の居ぬ間にと退社する。
仕事を終えてからのカーブスが癖になるほど心地よく
今日も薄っすらと汗をかき何とも爽快である。
今年いっぱいで辞めるコーチと話すことが出来たが
仕事はとても楽しく遣り甲斐があるのだそうだ。
しかし毎晩帰宅が遅くなりもう限界らしかった。
まだ子供はいないがご主人が毎晩待ち兼ねるのだそうだ。
夕飯が9時と聞いてさすがにそれは可哀想に思う。
30日が最後の出勤となるので私もきっと行くつもりである。
カーブスを終えサニーマートに行けばもう門松が飾ってあった。
昨日まであったクリスマスツリーは跡形もない。
店内もすっかりお正月モードになっており気が急く。
鮮魚売り場は数の子と蟹が山積みになっていた。
何だか一気に背中を押されているような気がして焦って来る。
元旦には家族揃って宴会をするのが習いだったが
息子が仕事とのことで宴会は取りやめとなった。
娘達はお婿さんの実家で新年を祝うことになる。
実はそうして欲しいと私が頼んだのだった。
息子とけい君が来てくれれば場も和むが
娘達との「家族団欒」は気が重くてならない。
決して嫌なのではないが気を遣うことは目に見えている。
特に娘婿は気難しいところがあった。
押し寄せて来る年の瀬。この一年を振り返る頃であるが
気分はまだ走り続けていてどうにも落ち着かない。
「ここまで、ここから」と区切ることが出来ないのだった。
不自由な足を引き摺りながら私は走り続けている。
※以下今朝の詩
あじさい
散る花と落ちる花 どちらもかなわず 枯れて朽ちる花もある
それはまるで化石のように 静かに佇んでいるのだった
初夏の日の鮮やかな色 梅雨時の雨に満たされ 生き生きと咲き誇った
やがて真夏の太陽に 焼き尽くされる日が来る
いっそ散ってしまいたい いっそ落ちてしまいたい
確かに咲いていた記憶は 儚い夢でしかないのだろう
冷たい北風に身を晒せば 運命であったかのように 受け止めることの多さが ふかくふかく沁みて来る
息をひそめながら春を待つ 茶の色の葉が若い緑になり たくさんの蕾が生まれるのだ
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