雲一つない晴天。なんと清々しい朝だったことだろう。
日中は気温が高く夏日となったが爽やかな風に助けられる。
朝の道で民家の庭先にアマリリスが咲いているのを見つけた。
今は色んな品種があるが昔ながらの真紅の花だった。
懐かしく思うのは子供の頃に庭に植えていたのだろう。
おぼろげな記憶であるが母が好きだったのに違いない。
春の花が終れば初夏の花が咲き始める。
嘆くことはなにひとつありはしないのだ。
連休が近くなり仕事は一段落する。
義父は友人宅の田植えを手伝いに行き留守だった。
車検が一台入庫していたが急がないとのことで助かる。
昭和39年製のトヨペットコロナであった。
もう部品も手に入らないクラシックカーである。
人間なら60歳。お客さんはとても大切にしていた。
エンジン音はしっかりとしておりまだまだ乗れるのではないだろうか。
平田町まで車検証を届けに行ったついでにローソンでお弁当を買う。
まだお昼ではなかったが駐車場の奥で早弁をした。
葉桜の下の木陰は最高である。桜が咲いていたらもっと良かっただろう。
それにしてもミックスのり弁のボリュームが凄い。
チキン南蛮、コロッケ、竹輪の磯部揚げ、白身魚のフライである。
満腹になり少し胸やけがしたが美味しかったので良しとした。
3時前に退社。今日は週一のリハビリの日だった。
FMラジオからは尾崎豊の歌が三曲も流れる。
「盗んだバイク」はヤマハのパッソルだったのだそうだ。
少年らしいなあと微笑まずにはいられない。
惜しい命だった。生きていればと若き日の歌声に想いを馳せる。
リハビリが終ってから骨密度の検査があった。
骨粗しょう症の薬は服用しているがまだ芳しくないとのこと。
とにかく転ばないことだ。転べば骨折は免れないだろう。
仕事にも行けなくなったら大変なことになる。
夕飯は今日も手抜き。買い物は近所のローソンで済ます。
夫は「ロースかつ丼」私は「ペペロンチーノ」にした
娘達はダンス教室が終ってから食料を買って来ることになった。
しめしめである。二週間前の作戦通りではないか。
短歌はお昼休みに書き終えていた。
今日も自分では上出来だと思っているが自惚れかもしれない。
詩もそうだが短歌も自己満足に過ぎないのだろう。
愚か者だから「いいね」の数に一喜一憂している。
それは評価だとは限らないのだ。もっと思い知るべきだろう。
私は詩人でも歌人でもないことを忘れてはいけない。
詩集も歌集も出せないまま一生を終える覚悟は出来ている。
石ころでいいのだ。雑草でいいのだ。
名誉や地位よりも大切なのは誇りなのではないだろうか。
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