ひぽこんコラム

2017年11月19日(日) 落ち込んでる時間はない

 ずっと落ち込んだままです。


 でも、生きなければ。師匠から「落ち込んでる時間はないよ」とメールがきた。81才からそういわれると、そうなんだな、と思う。


 一歩を踏み出せば、新しい景色が見えると信じて、とにかく一歩、一歩、踏み出します。

 どうかどうか、違う景色が見えますように。その景色が美しく、希望あるものでありますように。

 私のこれからの人生が、明るく光あるもので、温かく、優しいものであるように。

 祈る。


 祈るしか、できないけど。祈ることにも力があると信じたい。


 今日は中野の平和の森公園が明日からもう17000本もの木が切られてしまうので、そこへ行って来た。

 許せない。。。木は生きているのに。

 その帰りに、170体の石仏がある、お寺(さだまさしがそこを歌ったこともある)に寄ってきた。沼袋。

 もちろん、祈った。

 いつも祈るしかできない自分。弱い自分。ダメな自分。

 でもどうか、私を救ってください、と祈るんだ。



2017年11月16日(木) 暗闇の中を闇雲に

 落ち込んでる私は真っ暗闇の中にポツンと座ってる感じなんだが、でも、私はせっかちだから、その暗闇の中を闇雲に動いて、陽が差してくる前に、歩きだすんだ。

 何かにゴンゴンぶつかりながら。

 ガツ〜ンと当たって倒れながら。

 仕方ない。それが私の性分だから。

 そうしていつか陽のあたる場所に出るはずだと信じる。

 そういう感じで九州行を決めた。これで何?なんてないけど。とにかく行ってみる。動いてみる。

 一つ一つやってみる。

 動き始めることで不安が消えていくはずだ。

 暗闇が薄闇になり、曇り空でも見えたら儲けもの。

 雨に降られたら傘をさせばいい。

 そうして歩いて行けば、少しは新しい自分になれるかもしれない。なれないかもしれない。

 どちらでも、とにかく、前に進んでることには変わりないと思う。

 ところで、友達と中森明菜の「難破船」を久々に聞いてものすごく震えた。あんな歌を明菜ちゃんに歌わせる加藤登紀子、鬼か?と思った。すげぇ歌だ。それを魂こめて歌う明菜ちゃん。昔のアイドルってハンパない。命がけだ。

 

2017年11月15日(水) 炎鵬を見に行くのです〜〜〜〜〜!

 来週、九州場所に行くことにしちゃいました。自腹よ〜。じ・ば・ら。

 お金もないのに。バイトもないのに。行くわ、九州。

 こんな大変な時におすもうとるなんて状況ないでしょう?

 土俵はどうなってんだ?を見てきます。今しか見られない。だから、行く。

 思えばいつもこうしてきた。

 今しか見られない。

 そういって、世界中グルグルしてきた。その金、貯金しておけば?とも思うが、貯金してたって、ろくでもないことにどうせ使ってしまう。

 それより世界を廻ってきた思い出と、それでやった仕事の方が大きい。

 私は生きてるんだ。だから動くんだ。

 九州場所、行く。初めての九州。

 実は私のルーツの場所。

 朝起きると、ああ、どうしよう、私?と毎朝途方に暮れるけど。

 だからこそ、行くんだ。

 自分の人生は自分で動かさなきゃ。

 。。。とか言いながら、ただ、炎鵬が見たいだけ。。。。やだ、炎鵬。また優勝して!なだけ。。。かもしれんのだが。わはは。

2017年11月12日(日) 死んだ私が思うのは

逆転の発想にしてます。

 今私は生きてるけど、心の中は死んでることにしてます。

 そう、死んでる、未来の私です。

 そのときは身体は死んで、心だけ念となって残り、世界を飛び回るのです。自由です。自由だけど身体はない。

 そのときに今の私を見て、どう思うか? 考えました。

 そうしたら、

 あんなぁ、靜香よ。そうやって身体あって、自分でひょいひょい動き回れるって、すんごいことなんだよぉ。今私は念はそりゃ世界中どこでも行けるけどなぁ。身体はない。身体あるってなぁ、すごいことやでぇ。それだけで丸もうけや。そりゃまた気ぃむいたら身体に入れるときあるけど、そんときはまた大切な、せっかく学んだこと、忘れてしまうんや。また1からやり直し〜思うと、なんか、こう、なかなか新しい身体ぁもらう気起こらんのや。だって自分がどっち行っちゃうか分からんて冒険やろ?

 だから、身体ある、意識ある今、思い切り好きなことやりぃ〜。イジイジしてないで、今あることを嬉しがって、キャッキャ生きろ〜。

 。。。って思った。

 今、生きてるってことで、自分で1から色々学んできて、色々なことをわかってる私って

 今を思い切り楽しんで生きる権利あるある。あるあるだろう?!と。

 たとえ楽しくなくても、楽しんでやるのです。楽しくないことさえ、楽しむ。

 昨夜から、これを考えました。

 そして、今ある自分を楽しむためにはどうしたらいいか?

 今ある自分を最大引き出すにはどうしたらいいか?を考えることだ。

 それをじっくりじっくり考えて、考えながら両手足動かしていこうと思います。

 いや、それは、はい、考えながら何でも働くぞ、エイエイオー!ってことですね。

 エイエイオー!です。

 世界のみなさん、エイエイオー!です。
 

2017年11月11日(土) 社会のゴミな気持ちがするとき

 面接をさせてもらった喫茶店のバイト、落ちてしまった。今回はすみません、という電話がきて、がああああああああん。。。

 そこから身体が八つ裂きになるように痛み出した。

 心もどうにもならず、涙がぽろぽろ出てきた。

 みんなはこことは縁がなかっただけ、またあるよ〜と慰めてくれるが、、、そりゃ私もそう慰めるだろう。

 しかし、落ちたものは落ちた。

 落ち込む。激しく落ち込む。昨日は友達ユキさんのメタル・トークショーという大変明るいものに行く予定だったから行ったけど、どうにもこうにも涙が出てしまい、途中で出てきてしまった。ごめんね、ユキさん、せっかく招待してもらったのに。ダメな和田です。

 お金がない、先行き見えない、そういうときはもう世の中なんてすべてどうでもよくなる。

 ツイッターでわいわい社会のことを言ってる人たちを見て、よろしゅうございますな、みたいな気持ちになる。自分だってさんざ言ってるくせに。

 社会運動をしてる人たちに、この気持ちを伝えたい。えっと。お金も仕事もないときは、そんなこと一切合財どうにもよくなるよ。そんなこと言ってる人たちはから騒ぎに見えるよって。

 すみません。どうしたってしょうがないのです。

 今は自分が一番かわいそうな人に見えちゃうような。

 そんなの大したことないじゃん!と笑う人は私を笑え。

 そこで笑っていろ! 

 社会に不要です、と言われると、本当に凹む。どうにもこうにもならない。

 でも、そう言いながらも、誰かが、さ、お仕事ですよ、なんて手を差し伸べてくれるわけはないから、また探すのです。

 探し続けるしかない。。。

2017年11月10日(金) 一人KY

昼下がり、365歩のマーチを自分で歌って涙が出てきた。

365歩のマーチ

 いい歌だ。なんて歌だろう。

 あなたの付けた足跡にゃ綺麗な花が咲くでしょう♪

 って、優しいよね。ここが凄いなぁと思う。大丈夫だよ、大丈夫だよって言ってもらってるようです。

 そのままyoutube見てたら、いっぽんどっこの唄が出てきて、ぼろは着てても〜〜ってのが私だわぁと思ったが、これ、若い人のことなんだよね。すみません。私、オバさんでボロ着てんですが。。。

 いっぽんどっこの唄

 しかも男じゃなくて女なんですが。。。

 人のやれないことをやってます、ええ。貧乏生活。

 ああ、でも、根性だけがあります、ってのは本当にそうかもしれない。

 人と同じことをしたいのに、どうしていつも人と違うことしてひいひい言って暮らしてんだろう、私?

 一人芝居なKYです。。。

 それでもなんでも、ワンツーワンツー、歩いて行くしかないんだね。今日も明日も明後日も。

 ワンツーワンツー。

 そのうち、あれ? わ、、、、ワン、うっ。。。。バタッ。

 ひゅるるる〜〜〜〜〜〜〜〜るるるるる〜〜〜〜〜〜 ←天に昇る音

 あはははははははははは ←天国

 ということになるんだから。誰だってさ。

 ま、それまでなんとかあがくんだな。

 うん。

 あああ。あはははははははは、はいつなんだろうなぁ?

 

2017年11月09日(木) キジ猫くまの謎

 自分のダメな日常加減に心も身体もヨレヨレで、どうしたものか?と思う。思うが仕方ないので、今日もただ生きるのみ。

 世の中の人はどうしてああも幸せそうなのか?

 いや、そうでもないのか?

 美味しいご飯を食べたり、友達と楽しそうにしたり、家族と和気藹藹したり、楽しそうな場所に行ってたり。仕事で成果出してたり。

 私もせめて猫でも飼って暮らしたいものだが、ネコも飼えない。一階のアパートに引っ越そうか。今、2階。防犯上はよろしくないが、野良猫を呼び寄せられるよな。。。

 思い出せば、昔、今住んでるおんぼろアパートの比較的近くに住んでいた@20代の頃。

 そのアパートは1階で小さな庭もあり、野良猫もやって来た。あの築50年は必ず経過してるであろうアパートにでもまた住むか。。。

 庭で葉物野菜ぐらいは育てられそうだ。。。

 そして猫を呼ぶ。にゃああ。にゃああああああああ。

 どんな猫がいいだろうか?

 師匠の家時代には、黒白の猫を飼っていたが、野良猫でよく遊びに来ていたのはキジちゃん。

 いや、もう、ネコなら、何でもいいだろう。にゃあああああ。

 ネコがいればたいていのことは解決する気がする。

 寂しくても猫を撫でてればいい。
 悲しくても猫の顔を見てればいい。
 楽しいときも猫のしっぽをつかんで。
 ご飯も猫と並んで食べる。
 お酒を飲みながら猫の頭をごにょごにょしたり、顔をびにびにしたり。

 一緒に寝る。
 抱きしめる。
 時には喧嘩する。ひっかけられたり。

 何も話さなくても分かり合える。
 辛い時、黙ってヒザに乗ってくれたりする。
 でも、邪魔もする。

 ああ。。。ネコがいたらなぁ。

 ネコって完璧だよな、いっしょに生きるには。

 死んだ婆ちゃん家には歴代の「くま」というネコがいて。

 くまは何代いたのか知らないが、私が小さいときから、おばあちゃんが死ぬまで、いつ行っても、くま、がいた。

 必ず、くま。

 なんで、その名前だったんだろう?

 くま。

 ばあちゃん家は千葉・勝浦の山ん中で、周りはなんもない山だらけだから、歴代くまは、みんな自由に生きてた。

 あれ、もしかして、ずっと同じ、くま、だったのかもしれん。。。

 だとしたら30年ぐらいは生きてたのか?

 ああああ。。。ありえる。歴代くま、だと思い込んでいたが、あれ、同じくま、だったのか? 何せ山暮らしネコだからな。30年、化け物みたいに生きたかもしれん(ま、ありえんが)。

 どうだろう。。。。くま。

 謎のくま。

 キジ猫くま。

 くま、死んでも山に住んでそうだ。にゃあああああ。

 

2017年11月08日(水) 笑って生きたい

いいことも悪いことも色々あるけど、昨日の夜は、昔お世話になった音楽業界の方の訃報を聞きました。つい2日前ぐらいまで普通にFBに書き込みしてたのに。。。いいね、とか押してたのに。。。今ってSNSあるから、ずっと会ってない人でも、まるで日々会ってるかのように今日何してたかわかってしまったり、何聞いてる、何食べてるかが見えて。そんな中で突然に亡くなってしまったとき聞くと、本当にびっくりしてしまう。えええええっ?って。

 ここのところ、誰かが亡くなったという話ばかり。友達の友達。友達がお世話になった人。。。。日々誰かが亡くなってる。

 そりゃもうそういう年齢なんだろうけど。。。

 でも、思う。だから、ただもう生きてるだけでいいんだなって。

 あの人はこう言った、ああ言った、あんなことした、こんなことした。すべて些細なことだよね。それもこれも生きてるからこそ。

 死んでしまえば、そういうこと、ぜんぶ消えちゃうね。

 昨日亡くなった人のことも、お世話になりながら、私、あの人ってさ〜なんてうわさ話とかイヤらしくしてた。本当にごめんなさい。なんて私、イヤらしいんだろう。

 でも、もう、そういうことどうでもいいというか、とにかく、止めようというか、どんなこともどんな人にもそれぞれ事情があり。そうせざるをえないものがあるんだから、もう、それをののしったり、怒ったり、そういう諸々止めよう、意味がないや、と思う。

 人生は思ってるよりもあっという間だから、生きてる間はみんなと楽しくすごしたい。少しでも多く。

 

2017年11月06日(月) もじゃもじゃ言うから

 もう世の中にもの申すのは止めよう、と思ったのに、昨日、中野時代にずっと通ってた平和の森公園に行って。。。そこはオリンピック用の練習陸上トラックだの体育館だのを建設するという計画で木が17000本も切られてしまうことは知ってて、そろそろ工事だということも知ってたので、木を見ようと思ったんだけど、ふと木を触ったらなんだかすごく悲しくなり、それから写真をいっぱいガラケーで撮って、帰ってきてそれをツイッターにアップしたら、たくさんリツイされて、なんかまたもの申してしまった。

 どうせ世の中は不条理なことだらけ。ああだこうだ言う人は損で、だまってニコニコしてればしあわせだしラッキー!

 というのは最近ほとほと痛感してる。世の中の悪しきことを、それは間違ってる!なんて声をあげたところで、結局は駆逐され、損してトホホ泣くことになる。

 だいたい正義感を振りかざす人を、世の中は嫌う。何をエラソーに? って。

 でも、理想を言う人がいなくなったら社会はどうなるんだろう?

 ダメだよ!と声を挙げる人がいなくなったら、どうなるんだろう?

 わからないけど。。。。そんな変らないのかな?

 でも、とにかく、私はすぐにギャアギャア言いたくなってしまってそんなにいいことないから、もう黙ってようと思ったのに。

 またギャアギャア言ってしまった。

 でも、言ってしまったら、昨夜は意外と多くの人が同意してくれて、私がした幾つかのツイートが次々リツイされて拡散されて、今朝もまだ続いてる。

 中野の木は切らないでほしいし、生きてる木は自分が切られること知ってか知らずかはわからないけど、自分はすごく悲しく感じたから、もう工事ギリギリだけど、どうやら話し合いはまだ続いているようなので、こうしてみんなが知って反対することで、木が切られないことになるといいなぁと思う。願う。

 森は生きている、という映画が大昔にあったように思うけど。そうなんだ。森は生きている。木も生きてるし、木といっしょに、鳥も虫も生きてる。公園に行くと鳥の声がすごいして、木がなくなったら鳥はどこに住んだらいいんだろう。

 ああ、やっぱり私はああだこうだもじゃもじゃ言うことを止められないんだな。

 これからももじゃもじゃ言いながら、損しながら、生きていくんだろうな。

 そうだね。仕方ない。

 そうするよ。

2017年11月05日(日) チャランケ祭に行った

 自分の人生を慰撫したり貶したりしてないで、やれることをやろう、目の前の、と思うのであった。

 そんなことしてても誰も楽しくないし。誰も喜ばない。

 それならなんかやって、またなんか書こう。

 そうしよう。そうしよう。

 残り時間は短いんだった。忘れてた。もう二十歳の私じゃない。てか、二十歳までの時間よりも短いんだから。

 ところで、昨日はチャランケ祭、という沖縄とアイヌの祭に行った@中野の四季の森公園。

 アイヌの儀式というのを見て、これが面白かった。

 神に祈ることはカムイノミ(カミにイノル、に音が似てるね)といい。神は一人じゃなくて、クマが10頭いたら、その10頭にそれぞれ神がいて、また神は絶対じゃなくて、間違いも冒すのだそう。

 儀式は神への祈りで、自家製のどぶろくをトゥキという漆ぬりのお椀に入れて、箸みたいので、みんなでそれを祭壇にかけたりする。

 そのどぶろく、後から残りを飲ませてもらったら、激ウマだった!!

 さらにどぶろくの酒粕も祭壇に塗りこめたりするんだけど、その酒粕もおいしい。

 木の実なども捧げて、これも不思議な味だった。

 アイヌは不耕起農法で種をまくだけ。主にヒエとかアワみたいな雑穀しか作らない。あとは山や川、海からとってくるんだって。(今は違うそうです)

 そして簡易に作った祭壇、その後ろに女性が立とうとしたら、大きな声で、ダメダメダメって怒るから、なんだと思ったら、祭壇の後ろはあの世、そこに立ったら死んでしまうんだって。

 でも、人は死んでもまたあの世で生き続け、年も取るという死生観。年取るから顔が分からなくなるから、親子でも。だから、それぞれが家紋のようなものを持ち、男、女、どちらが家長というのもないから(男女平等!)、それぞれが家紋を持って、それで死後の世界では誰かを判別するとか。

 もっと色々教えてもらいたかったけど、話をしてくれたおじさんが、急に、そこにいた可愛い女の子に気づいてしまいw 女の子をナンパし始めてww 話は終わった。チッ。残念っ。

 アイヌの神より若い女。。。。そりゃそうだな。。。

 おじさんの生き方は正しい。

 しかし、きのうの四季の森公園は、奥の居心地いい方には企業さんな祭。手前の狭い所にチャランケ祭、と分割されており。チャランケの方はゴミ箱さえつかわせてくれない。中野区よ〜。

 あ。もう、こういう世の中にもの申すみたいの止めたいと思ったんだ。。。世の中や人にもの申しても何もいいことないし、自分が損するばかりだから、もう口をつぐんで行こう私は。。。と思ってる。世の中は不条理で出来ていて。私はもう何も言いたくないの。

 
 
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