無責任賛歌
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| 2002年05月25日(土) |
サヨナラを言いたくない人/『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』(吉岡平・森小太郎)ほか |
風邪、悪化の一途を辿る。 朝からかかりつけの病院で見てもらい、薬を貰う。 そのまま帰って眠ってりゃいいのだが、しげに『エボリューション』のDVDを買ってやらなきゃならないので、ふらつきながら天神ベストのLIMBへ。 その後ジュンク堂に回って買い損なってたマンガ本など買う。 そのあたりで体力が尽きたので、他にはどこにも寄らず、真っ直ぐ帰る。
新聞を開いてギョッとして、思わずしげに向かって怒鳴る。 「……おい、伊藤俊人さん、亡くなったよ!」 日頃はヒトの生き死になどに一顧だにせぬ冷血漢のしげも、このときばかりは「え? なんで?」と目を丸くして聞いてくる。 「クモ膜下出血だよ。生で見たことある人が亡くなると、さすがに信じられないって気になるなあ」 「いつ見たん?」 「おまえも一緒に芝居見たろうが! 『君となら』!」 実のところ、「生で見たから」だけでなく、伊藤さんには同年代の俳優として、すごく期待していた。だからなおのことその死がショックだったのだ。
伊藤俊人(いとう・としひと)氏、24日午後5時18分、くも膜下出血のため死去、享年40。 劇団・東京サンシャインボーイズ結成以来の畏友、三谷幸喜氏とは同い年だから、私より一つ年上だ。 初めて伊藤氏の演技に接したのは、テレビの舞台中継『ラヂオの時間』でのコメディアンの役だった。映画版では井上順が同じ役を演じていたが、はっきり言って舞台版の伊藤さんのほうがよっぽど溌剌としていてキレもよかった。 『ショウ・マスト・ゴー・オン』で東京サンシャインボーイズの舞台活動が休止した後も、舞台『君となら』やテレビ『古畑任三郎』など、三谷幸喜作品に引き続き出演していたのは、やはり伊藤さんのねずみ男的な、底意地は悪いけれど実は小心者、といったキャラクターが光っていたからだと思う。 『ショムニ』の演技は東宝サラリーマン映画を髣髴とさせていて、伊藤さんの「これから」を期待していたものだったのに。
日記には書かなかったけれど、つい二、三日前、なんの気なしに舞台『ショー・マスト・ゴー・オン』のビデオを見返したばかりだった。 伊藤さんの役は準主役で、主役の西村雅彦の舞台監督の下でソツなく立ち回りはするけど、肝心なところで大ポカをやらかす裏方の役である。 座長役の佐藤B作から、「一回くらい、ちゃんとした舞台を作ってやろうとは思わないのか!」と叱られてうなだれる。多分この思いは、三谷さん、西村さん、伊藤さんを始め、東京サンシャインボーイズの、いや、劇団関係者ならみな一様に感じることではなかっただろうか。
「もうおトシだから仕方ないかな」という人が亡くなったわけではない。 本当に「これから」の人が亡くなってしまったのだ。 役者が育ちにくい、評価されにくい現代で、バイプレイヤーとしてしっかり地歩を固めてほしい人だった。 ここしばらくの物故者の中でも、一番やりきれなさが残る。
後はひたすらテレビも見ずに寝る。 でも漫画だけはとりあえず読む(^_^;)。
マンガ、和田慎二『ピグマリオ』11・12巻(完結/メディアファクトリー・910円)。 ……あー、あまり感想書いてもしょーがないかなーって気がして来たな。 つじつま合わせのムリヤリな展開と言い、どこかで借りてきたようなイメージの羅列と言い、なんだかなあ、と思いながら最後まで読んできたんだけど、意外性も感動もないデタラメなラストだったなあ、正直な話。 作者本人はアレで満足してるらしいけど(-_-;)。 11巻で死んだオリエが12巻で復活してめでたしめでたしって……安易にもホドがあるんじゃない? 第一、オリエが死ぬのを予言したのも大地の女神ユリアナで復活させたのもユリアナじゃん。予言の意味を自分で無効にしてどうする。そこに何の矛盾も感じないのか? 和田慎二。 そんなテキトーな展開でいいんだったら、どうしてマリウスやシルヴァーナだけ復活させないんだよ。演出上、キャラクターを殺さなきゃならない場合があるのは当然のことだけれど、 そうやってキャラクターを弄ぶことが読者をバカにしてることなんだって気がつけよ。……ってもうこれ随分前の作品なんだよな、今更文句をつけたってしょうがないけど。 作者は『ピグマリオ』の出版はこれが最後とか言ってるけど、そのうち文庫化するんじゃないのか?
マンガ、吉岡平原作・森小太郎作画『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』(エンターブレイン・630円)。 なんだか最近やたらとこの日記に「タイラー」でのアクセスが多いんだけど、どうやら以前のアニメのDVDが出てないかどうか検索されているらしい。 けどLDは出てるけど、DVDは確かまだ出てないんだよな。今見ても充分いい出来だと思うからBOX出したっていいと思うけどなあ。新作がこうやって書かれていることでもあるし。 それはそれとして、次の小説の新刊が出るまでの場つなぎ外伝の第二巻、ジャ・ディーンとアザリンちゃんの関係が明らかになる。うーむ、しかしこういう設定にしちゃうと結末がすごく悲劇的なことにしかならない感じだよなあ。 だいたい、この「真」シリーズ、オリジナル版と基本ストーリーは変えないって言ってんだから、「どうしてこのあとジャ・ディーンが本編シリーズに登場しないのか?」と問い出したら、やっぱり悲惨な運命が待ち受けているとしか考えようがないじゃないの。なんだかんだ言っても、これ「戦争もの」なんだし。 けれど、「戦争もの」だからこそ、安易に人を傷つけない殺さない、ということも作り手は考えとかなきゃならないことなのだ。あと1巻で完結、ということだけれど、なぜこの物語が「外伝」としてしか語られなかったのか、ってことまできちんと説明のつく結末になってくれるといいんだけどなあ。 あ、あと、口絵イラストのユリコさんのコギャルのコスプレは、すっげーかーいーっスよ(* ̄∇ ̄*)。
2001年05月25日(金) ドームにぃ、轟くピンのぉ音ぉ♪/『ウインドミル』11巻(橋口隆志)
| 2002年05月24日(金) |
カニの味がわからない/『かしましハウス』7巻(秋月りす)/『焼きたて!! ジャぱん』2巻(橋口たかし) |
24日、女優の清川虹子さんが肺出欠で死去。享年89。 記事にはどれも「喜劇女優」と書いてあって、もちろんそれは清川さんにとって名誉なことではあるんだろうけど、私はもう清川さんの「喜劇」の演技ってのを殆ど覚えてない。喜劇俳優の常で、清川さんもトシ取ったら「演技派」に転向してったからね。 映画での一番最後の演技は多分『ガメラ3』なんだろうけど、あれも全然喜劇じゃなかった(見方によっては喜劇とゆー指摘はこの際ナシね)。 ただ、私は喜劇俳優が「演技派」に転向するのが長い目で見て必ずしもいいことだとは思えないのだ。下積みが長いから、演技の基礎は普通の役者よりよっぽどできているし、ソツなくこなせちゃうんだけど、そのせいでかつての「喜劇役者」としての質が問われなくなることも多いからだ。 森繁久彌の代表作が『三等重役』でなくて『夫婦善哉』や舞台の『屋根の上のバイオリン弾き』になってしまうというのは、結局は「喜劇」そのものが普通の芝居、映画に比べて一等低いものと見られることにつながっていきかねない。 ましてや、喜劇役者が「政治」に参加しようなどというのは自分というものを全く履き違えてはいないか。十年以上前、清川さんが年金党の顔として立候補した時、「ああ、この人は何も考えてない」と落胆したものだった。当然のごとくこのとき清川さんは落選している。存在自体が「滑稽」になってしまっては、もはや喜劇役者としては死んだも同然だ。 言っちゃなんだが清川さん、どんなに顔出ししてても、実質的にはもう何十年も「忘れられた」存在ではなかっただろうか。もっとハッキリ言えば、清川さんでなければならない役なんて一つも演じていないのである。『楢山節考』では何の役だったんだ、清川さん。 清川さんを正当に評価しようと思えば、代表作といわれる『アジャパー天国』あたりを見なければならないだろうけど、残念ながら未見。DVDは出てるから欲しいんだけど、このあたりの映画を買ってたらもうキリがないので買い控えてる。
風邪、最悪の状況になるも、仕事は休めず。 咳やクシャミはひっきりなしに出るわ、鼻水は止まらないわ、これでマトモな仕事ができたら立派なもんだ。 風呂にも入らずヒゲも剃らず、という状況で職場に行ったら、さすがに同僚たちから「お具合悪いんですか?」と言われる。 具合が悪いのは今週ずっとなんだけれど、やっぱり態度で示さないとわかんないものなのだな。 ハナミズで息ができないから喋りがどうしても「この゛件についでば、の゛うしばしょうか」みたいな感じになる。まんまマンガのキャラだ。 ここまでくるともうひたすら帰って寝たい、としか思わない。 体調がいいときには決して仕事に対して意欲のない人間じゃないとは思うんだけど、たかが風邪一つでこんなに世の中に対してどーでもいー気分になるものなのか。 だからと言って結びつけるのはちょっとムチャなんだが、私は「安楽死」には基本的には反対の立場だったりする。 「苦しいからもう殺してくれ」って言うのは裏を返せば「苦しくなかったら死にたくない」ってことだから、「死」を望んでるとは言えないからだ。本当にその人が「助からない」と断言するのって難しいと思うんだけどどうか。
女性の年齢を本人に面と向かって問うことはシツレイに当たる、というのが一応、「世間一般の常識」ってことになってるらしい。 私自身はこの常識というヤツが今一つ理解しがたくて、「女性のトシ聞くののどこが悪いのか?」と内心考えたりしている。別段、私ゃ相手が若かろうが年寄りだろうが、それで対応を変えたりはしないし。 でもそれは「私」の場合なんであって、女性を年齢で品定めするアホな男ドモが、世の中にはウヨウヨしてるってこともわかっちゃいるのだ。合コンなんかでさ、相手のトシがわかんないときはベタベタチヤホヤしてたのに、自分より年上(と言っても1、2歳程度)だと知った途端に、「なんだ、オバサンじゃん」とそれまでの態度をコロッと変えてつっけんどんになっちゃう男、結構いるもんね。そんな態度取られたりしたら、そりゃ女性は傷つくだろう。女性が自分のトシを隠したがる心理も理解できなくはない。 けれどそれは、悪いのはあくまで偏見の眼で見る男の方なんであって、それに迎合するように女性が年齢を隠したり、サバ読んだりしてちゃ、女性自らが「女の価値はトシの若さである」と認めることになりはしないか。 年齢を堂々と言って、それで男の態度が変わるようなら、苦労せずに相手の人格のレベルが計れてちょうどいいと思うがどうか。
なんでこんな話題を切り出したかと言うと、ウチの職場にもそんなスットコドッコイがいたりしたからだ。 つい先日、いかにも無遠慮なセクハラバカが、やっぱり「ねえ、トシいくつ?」と同僚の女性に向かって聞いていたことがあった。そのときちょうど間近にいた私が、女性が返答に窮している様子を見て、「そういうことはあまり聞くもんじゃ……」とか助け舟を出した。 そのことに感謝されたのかどうか知らないがその女性、今日になって、世間話している最中に、「私、昭和49年生まれなんです」と仰ったのだ。 実際、その方がおいくつかなんて気にもかけていなかったのだが、なんとウチの女房よりも若かったとは……。 思わずビックリして、私はとっさに叫んでいた。 「昭和49年って……『メカゴジラの逆襲』のトシじゃないですか!」
し、し、しまったあああ! 私がオタクだということはできるだけ職場の同僚には隠していたのにいいいい! せめて「『アルプスの少女ハイジ』の年ですね」とか「『宇宙戦艦ヤマト』の年ですね」とか言ってたら、まだキズは浅かったかもしれないのに……あまり変わらんか(T∇T)。 さすがに『メカゴジラ』には同僚の女性も、クスクス笑っている。あまり引いてはいない様子なのがラッキーだった。ここはなんとか話題を変えねば。 「ちょうどそのころは山口百恵の映画に入り浸ってましたねえ、私は。『ひと夏の経験』がヒットして、『伊豆の踊子』が封切られたのが昭和49年ですよ。56年に引退するまで、ほぼ全ての百恵映画は見に行きましたねえ。何しろ友和とコンビを組んでない『初恋時代』とか『エデンの海』とかまで見に行ってましたから」 と、ここまで喋って、ハタ、と気がつく。何となく同僚の女性、困惑しているような表情。 え? ついてけないの? 話題に。 待てよ、『伊豆の踊子』の年に生まれたってことは、この方、もしかして……。 えええ?(゜゜;)! ……恐る恐る聞いてみる。 「……すみません、もしかしたら、山口百恵って、よく知らないなんてこと……ないですよね?」 ところが同僚の女性、申し訳なさそうに眉根を寄せて……。 「すみません、三浦友和と結婚した人ってのは知ってるんですけれど……」 ……うわあああ、自分の同僚に山口百恵を覚えてない世代がもう紛れこんでいたとはああああ!。
油断していたのだ。 しげもこの女性とほぼ同世代なのだが、しげと会話するときには、私はあまり世代のギャップを感じずにすんでいた。なんとなれば、なつかしモノの大好きなしげは、自分が生まれるより十年程度過去の歌手とかドラマなどもよく知っていて、私の振る話題にも全然平気で付いて来れていたからだ。 しかしよくよく考えてみたら。 今年、大学を卒業したばかりの22歳の新社会人たちは。 昭和55年(1980)生まれだったりするんである。 もろ戦後生まれじゃねーかよう(この場合の「戦争」とは、当然「一年戦争」である)。 昭和40年代生まれってことで「若いなあ」なんて思ってられる時代じゃなくなってきてるのだ。平成だってもうすぐそこだ。
ちょうどそこに通りかかったもう一人の女性の同僚の方(こちらは私より年上)に向かって、私は思わず叫んでしまっていた。 「ねえ、聞いてくださいよ、この方、『山口百恵をよく覚えてない』なんて言うんですよ!」 年上の同僚、一瞬絶句したあとおもむろに、 「……私も母に聞いたことがあるだけで……」 女性はやはり年齢に関してはいつまでもどこまでも見栄を張りたがるものなのかなあ。
何かにつけ、しげは私にヤツアタリしてばかりいるが、今日も迎えの車の中で「アンタはいつも冷たい」とブー垂れている。 「いつも無愛想にしか返事せんし」 「地顔だよ、これが」 「人のこと、『フフン』と鼻で笑ってる」 「おまえの思い込みだ」 「思いこみでもそう見えるんだもん」 「だったらおまえも、目つき悪いの直せよ」 「普通だもん、これが」 「自分のことだけ棚に上げるな!」 他人の欠点をあげつらう人間ほど足元が見えてないとはこのことだ。
少しでも栄養を取っておかないと、と「かに一」で夕食。 前回来たときはカニは食べなかったが、今日はたらふく食うことにする。 けれど鼻は詰まってるし目眩はするしで、美味いんだかどうなんだか全く解らない。これじゃカニの食い損だと考えるのはやはり根っから私が貧乏人だからか。 頭がボンヤリしていたので、カバンを店に忘れたことに気がつかず、ウチまで帰ってきてしまう。しげから「カバンは?」と言われるまで、手に何にも持ってないことにさして違和感も感じてなかったのだからこれは相当、重症である。 店に戻ると幸いカバンはちゃんと店の人が取っておいてくれていたが、明日は絶対医者に行こうと決意して、あとはひたすら寝る。 DVD『PPG』の続きを見ているうちに爆睡。
マンガ、秋月りす『かしましハウス』7巻(竹書房/バンブー・コミックス・620円)。 中表紙のイラスト、裏にも逆版で同じ絵が描いてあって、透かしてみるとピッタリと1ミリのズレもない。スゴイ技術だぞ印刷屋さん。 本にこういうオアソビがあると、ホント、嬉しくなっちゃうね。 本編の方は相変わらずの四姉妹ものだけれど、さすがに7巻経ってもみんな全くトシを取らないと、ひとみ姉さんの「ダイエットできないお嫁に行けない」ネタも鼻についてくる。……トシ取ってないんだから結婚できないの当然じゃん、とツッコミ入れたくなるね。 『OL進化論』と違って、こちらは少しずつでもトシを取らせていったほうが物語に起伏が生まれてよかったと思うがなあ。『サザエさん』みたく何十年も続けることも想定して、時間経過をあまり厳密に描きたくなかったんだろうけど、そりゃおこがましいと言うものだ。キリよく10巻くらいで終わらせること考えた方がよかないか。 特に巻末の『ゴローと歩けば』の出来がいいだけに、「時の流れ」が「必要」だとも思うのだ。
マンガ、橋口たかし『焼きたて!! ジャぱん』2巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 あー。なんかキャラクター、作りこみすぎ。 江口寿史のトーマス兄弟みたいなライバル店の店長はまだいいとして、あの仮面の総支配人はなんなんだよ。これが実はヒロインの生き別れの兄だったりしたら笑うぞ。 画力はあるけど相変わらずキャラクターと話造りがなんかズレてるよなあ。 それでも「使える」料理マンガとしては一応読めはする。炊飯器でジャぱん2号、一度作って見ようかな。
2001年05月24日(木) 幻想の帝国(改)/『作画汗まみれ』(大塚康生)ほか
| 2002年05月23日(木) |
風邪さらに悪化/『パワーパフガールズDVD−BOX/バブルス缶』/『何が何だか』(ナンシー関) |
風邪、昨日より悪化。 熱はないので、なんとか仕事には行くものの、ノドが痛くてたまらない。なんだかこんなふうにじわじわと病状が悪化していくのって、気分が頗る悪い。 帰宅してからは疲れ果ててぐでっと寝ているだけなので、あまり書くことないけど勘弁ね。
少しは栄養をつけようと、すし大臣で高いネタを食う。 つーか、ここ、高いネタしかないんだが。100円皿がない店(最低が130円)なんて、この店くらいのもんじゃないかね。 ウニを食った日はトロは食わないと決めているが、大盛850円のウニの味がイマイチ。これなら大トロ食っときゃよかったかと後悔するが、さすがに850円皿を2枚も食う勇気はない。控え目に食っても二人で4千円位してしまうのである。 ビンボー人が何をそう贅沢してるかとお叱りを受けそうだけれども、体調が悪いせいで、多少ヤケも入ってるんである。
寿司を食いながら、しげがふと、「父の日、父ちゃんどうする?」と聞いて来る。そう言えば来月の16日はちょうど第3日曜で、父も仕事が休みである。 この場合の「父ちゃん」というのはしげの父親ではなく、私の父親のことである。根っからのイベント好きではあるが、しげは自分の父親のことはてんで考えていないので、その分、何かにつけターゲットはウチのオヤジの方に集中することになる。 私の方こそ「父の日」なんて、まるでアタマになかったのだが、そう言えば前々からしげは親父を食事に誘いたがっていたのである。 「メシ誘うのでいいんじゃない? けど予定が空いてるかどうかだなあ」 七十も近いってのに、親父は未だに休みとなると旅行だのなんだのとどこかに出かけて行く。糖尿もひどくなっていて、足も結構不自由なのだけれども、運動しないと悪化するばかりなので、散歩程度はしなければならない。ところが博多の人間というのは短気で、病気を治すための運動なんて女々しいことは死んでもしたくないのである(^_^;)。 で、結局、休日のたびに旅行して美味いもの食って酒飲んで帰って来てるのだが、これで糖尿がよくなるわきゃない。これもまた緩やかな自殺願望だろう。 なんだか明日にでも死にたがってるような、生き急いでるって感じなんだが、妻に先立たれた老人に「長生きしてね」なんて偽善的なことは言いたかない。生きてる間、「飯でも食おうか」と声をかけるくらいのことしかてだきやしないのである。 少し早めではあるが、寿司屋から電話を入れて、16日は体を空けておくように頼む。でもどうせ日が近くなったら予定を忘れてるだろうから、もう一回くらい確認しておかないといかんな。
DVD−BOX『パワーパフガールズ/バブルス缶』。 ボックスだけの特典は、なんと監督のクレイグ・マックラケンが映画学校の学生時代に課題として製作した正真正銘のパワーパフガールズ第一作。 ガールズの等身がちょっと違うけれど、基本キャラクターは同じ。 日本アニメの影響が云々されるけれど、製作年は1992年。キャラ自体は相当早い時期から固まってたみたいで、そうなると『セーラームーン』の影響って説はチト怪しくなる(アニメの『セーラームーン』も1992年のスタートだけれど、この『パワパフ』第1作はその数年前から製作されていた)。これもまた恐るべき平行進化の現れだろうか(^o^)。 博士が全く違うキャラだったり、最初の敵がギャングリーン・ギャングとアメーバーボーイズだったりと、テレビシリーズとはテイストがかなり違っている。憎みきれないあのモジョ・ジョジョは影も形も見えないけど、アイツがいないとパワパフって感じがしないものなあ。 声もマックラケンほか学生仲間が当ててるので、ガールズの声も本編よりちょっと色っぽくてGOODだ(* ̄∇ ̄*)。 日本版だけの総集編『おさらいガールズの基礎知識』『おさらいモジョ反省する!?』『おさらいわるもの大集合』もちゃんと収録されてるのが嬉しい。もしかして本国版のDVDよりおトクなんではなかろうか。
ナンシー関『何が何だか』(角川文庫・540円)。 200ページしかないのに500円越してるよ。千円で文庫が2冊買えないってのはつくづくツライ世の中になったもんだ。こうなるといよいよBOOKOFFを頼りにせねばならなくなるけれど、本はやっぱり新刊で買いたいのだけどな、私としては。 中身は1995年から97年にかけてのものなので、「そんなことあったっけ?」ってものも多い。単に私が世間に背を向けてただけなのかもしれんが。 けれど「何言ったった世の中かわんねーや」ムードが漂っている最近のナンシーさんのエッセイに比べて、まだまだこのころの毒舌はキレがいい。出て来た当時のサッチー、早速「どこがいいんだ」って言い切ってるし。後年ならいざ知らず、1996年当時の人気上昇中のサッチーに対してそう断言するのは、結構勇気が要ったと思う。 それにしても、野村沙知代がテレビに出て来てたのって、こんなに最近だったんだなあ。となると、ワイドショーネタを提供してたのって、せいぜい5年程度だったってことになる。いくら世の中の流行り廃りが速いからって、あのサッチーバッシングはやはり異常だったのではないか。 世の中のヒトビトの憎悪やイラダチ、相当根が深いような気がする。日ごろから悪口言うことに慣れてればそんなにストレスたまんなくてすむと思うんですが、いけませんか。そうですか。まあいいけど。(←ナンシー関風)
2001年05月23日(水) できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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