無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月13日(月) アッパレパソコン大合戦/『アニメージュ』6月号ほか

 第2書庫(ウチの3LDKのうち、二部屋は本で埋まっているのである。寝室と居間にも本棚は出張ってるが)の本のスキマで寝ていると肩だの腰だのがごっつ痛いわ。
 充分、眠れはしなかったけれど、仕事は休めない(休みたいという本音がアリアリだね)。頑張って起きてみると、なぜか足元でこうたろう君が等身大綾波レイのタオルケットに包まって寝ている。
 ……なんで? 居間を片付けて、寝られる空間、作っといたというのに。
 しかもしげのスカタンめ、ずっと以前、例のエヴァブームの時に、トチ狂ってうっかり買っちまったまま、もう何年も押入れのどこかに仕舞いこんでたアヤナミタオルケットを、なんでまた今頃引っ張り出して来たのか。……こうたろう君へのイヤガラセ?
 しげのどてかぼちゃ、いったいどうしてるかと思って、居間をヒョイと見てみたら、まさしくどてかぼちゃのように高イビキで寝ていた。
 客を追い出して自分はなにを悠々としてやがるか(--#)。
 私が起きた気配にこうたろう君も起きてくる。
 寝心地、相当悪かっただろうに、平気な顔をしてくれる。
 昨夜も、公演後の片付けを手伝わせたくなかったから、スタッフを残してさっさと撤収したかったのに、彼は「代表が残ってないと悪いんじゃない?」と、私をダシにしてしっかり居残り、最後まで片付けを手伝ってくれたのである。
 ああ、マメだなあ。
 このマメさ、当日は殆ど手伝わないで、文句だけ垂れてた誰かさんに分けてやりたい。……おっと、女のケツ追っかけるのだけはマメだったな(^o^)。
 ……読んでないフリして実はタマに読んでるんなら、少しは反応しろよな。

 こうたろう君を見送ることもできずに仕事。
 いつもはしげに職場まで車で送ってもらうのだが、今朝はこうたろう君、よしひと嬢の二人を空港と駅まで送らねばならないので、私はタクシーで出勤。ここんとこ出物が多いってのに、片道2千円の出費は結構イタイ。
 職場についても疲労が体の芯に蔦のように絡まってる感じがするが、これは懐具合が寂しいせいもあるのかも。

 午前中ずっと、体がダルくて頭が重いままだったが、午後からは何とかヒマになったので、ひと息つく。と言ってもお茶飲んで自分の席でぼーっとしてるだけだけど。
 しかし、それも5分と休んでいられない。
 何しろ、先週一日休んだだけで、またぞろ仕事が溜まりまくって、半端じゃない量になっているのだ。
 で、オソロシイことに、その仕事の中には「パソコンを使って○○○○を作る」というものまで混じっているのである。
 なんと!
 この私に!
 パソコンを使えと言う指示が来るとはあああああ!
 L(>0<)」オーマイガッ!
 ……いや、こうやって、ネットに日記まで公開しといて何をパソコン使うくらいで慌てふためいているのかと、ご疑問もありましょうが、実は私はえらいパソコンオンチでしてね、未だに文字打つ程度のことしかできないんですよ。……いやホント。
 じゃあ、この日記はどうやって立ち上げたんだ? と思われるでしょうが、これも実はセッティングとか全部しげにやってもらったんですよ。えいちてぃーえむえるとか全部。あとはもう、字を打てばいいだけにしてもらって。
 だから私はなんにもしてないし、未だになんにもできないのよ〜。私は『電脳炎』の課長さん〜。そんな私にパソコンをプログラムからどうにかしろなんて、土台無理なハナシなのよ〜。
 ヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノアーコリャコリャヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノ
 ……踊ってる場合か(-_-)。
 だもんだから、職場のパソコンにだって、これまで触れようともせず、その手の仕事は全部同僚にまかせっきりだったのである。
 ところが、ハイテクの波に押されるように(と言うほどのもんかい)、私もついにパソコンを使わざるをえなくなってしまったのである。
 けれど、ムチャクチャ単純なところでやたらと引っかかる。
 具体的なことは仕事の内容がバレちゃうんで書けないけれど、キーボードがウチのと型が違ってるせいで、カタカナ変換一つできない。だってアルファベットばかり並んでて、ウチのキーボードにある「カタカナ変換」ってボタン、ないんだもの(T.T)。
 例えば「いけん」と打ちこめば、ウチのパソコンだったらすぐに「意見」「違憲」などのほかに「イケン」というカタカナ変換もしてくれるのだが、なぜか職場のパソコンは漢字のみしかしてくれないのである。
 ……なぜ? どうして? カタカナなんてやたら使うじゃん。それがどうして変換文字の中に入ってないの? 理不尽じゃんかよう。
 しかもコイツ、カタカナ変換一つできないくせに、こちらが助詞の「の」を三連続して使ったら、「『の』がたくさん続き過ぎています」ってご注意メッセージ出してきやがった。
 ……この性悪機種、いったいどこのなんだよう。
 fujitsu? epson?
 ここに宣言します。パソコン初心者は絶対にこの二社の機種を使ってはイケナイ(←自分の未熟さを棚に上げた偏見)。
 義憤に駆られつつ、私、パソコンの前で5分くらい固まってましたよ(-_-;)。
 どうしたらいいのか、同僚に聞けばイッパツでわかるんだろうけど、ほかの同僚だって忙しくて、とても私の方にまで手は回らないのだ。でなきゃ、どうして私なんかにパソコンの仕事が回ってくるものか。
 私も、他にも分らないことがやたらとあるのに、あえて同僚の仕事を邪魔してまで、とてもその程度のことをいちいち聞いてはいられないのだ。
 私は悩んだ。
 いかにしてカタカナを打ち出すか。
 悩んだ末に思いついた名案とは!
 単語を入力したあと、そのあとに促音の「っ」をつけるのである。
 つまり、「いけん」を「いけんっ」と入力するわけね。
 すると、「意見」なら漢字変換できても、「いけんっ」じゃあ、たとえいかなるパソコンと言えども、漢字にはできない。仕方なく「イケンッ」とカタカナに変換してくれるのである。で、そのあと「ッ」を削除すれば(deleteくらいの英語なら私にも分るぞ)、見事にカタカナ字の完成!
 いやあ、私も最近、脳が随分と軟化してきてるんじゃないかと危惧してたんだが、案外とっさの知恵が働くなあ。小学校のころ「頓知小僧」と一部で言われていたのを久しぶりに思い出したぞ♪ ……って、トンチなのかこれは(-_-;)。
 でもおかげで私の書いた文章、初めは「イケンッ」「カイカンッ」「ショウテンッ」「テンカンッ」「ナンバンッ」「パイパンッ」「モンブランッ」「ヤンバルクイナッ」とか、やたらリキんだようなコトバばかりが並ぶハメになった(^_^;)。
 ああ、単語は職業がわかんないように適当にでっち上げてますから。
 「モンブラン」とか「ヤンバルクイナ」とか、「っ」付けなくてもカタカナ変換できるっちゅーに。
 休憩を間に挟みながら、なんとか勤務時間内に仕事を終える。
 ……疲れた(-_-;)。

 しげ、迎えに来てくれてるかと思ったけれど、昨晩、片付けの時に痛めた腰が痛くて動けないと連絡。
 もともと腰の骨が一本欠けてるんで、ちょっとした拍子ですぐ腰を痛めちゃうんだが、だったら日頃から腰の筋肉をちゃんと作るように鍛えてればいいものを、肉食うばかりで遊んでばかりいるからすぐギックリ腰になっちゃうのだ。
 仕方なくまたタクシーを拾う。
 ……だから2千円の出費は痛いんだってばよう(T.T)。
 帰宅してみると、しげ、「助けてええええ……」と全然、深刻さのカケラもない声を出しながら寝ている。
 「医者には行ったんかい」
 「医者に行っても湿布しかくれないから行かない」
 実際、この近辺の整体医はヤブ医者ばかりだ。
 骨が一つもともとないなんて、私に言わせれば結構なフグだと思うんだけれど、筋肉つけるしかないですね〜とか簡単にこきゃあがる。年とって運動できなくなったらどうすんだよ、そこまで考えてモノ言ってるのか。
 治療の手段、本当にないのか?
 手術して失敗したくないから逃げてるだけじゃないのか?
 医者のスキャンダルとかよく聞くものだから、どうにも疑心暗鬼になってしまうのである。
 ネットで知り合った医者の方々とかに相談してみたいようにも思うけれど、私自身、しげの病状をキチンと把握しているわけではないので相談がしにくいのである。第一、「腰の骨が一本ない」って、何科に相談すりゃいいんだ。
 とりあえず、しげの希望通り、腰に湿布だけは貼ってやる。
 しげ、「はああああ!」と冷たさに悲鳴を上げるが、構わず2枚目を貼る。
 「ふへえええええ!」
 ……こういうアホな声出して喜んでるなら大丈夫かな。


 晩飯は昨日の仕出し弁当の余り。
 一応、全員分を用意したらしいが、食べずに働いた人も多かったらしくて結構余りが出た。いくつか持って帰ってもらった人もいるのだが、それでもウチに三つ残っている。
 その中から高菜弁当を選んで食べる。多分、しげは辛いもの苦手だから、これは食わないだろう。
 ……あ、奥さんのキライなモノを食べてあげてるんだ、優しいダンナサマ、などと勘違いしないで頂きたい。下手にしげの残しておいたもの食うと、あとで「私の食ったねえええええ!」と、悪鬼のような形相で迫ってくるのである。
 だったらせめて冷蔵庫には入れておいてほしいもんだ。

 
 『アニメージュ』6月号。
 巻頭特集は巷で話題の個人アニメ『ほしのこえ』。
 アニメージュ編集部は、ここ数年、「アニメとは何か」というマニアックな方向にどんどん進んで行っている気がする。しかし、読者の興味関心は相変わらず、美少女アニメや美形アニメ萌え〜の、声優萌え〜であるわけで、その乖離の具合はとんでもないレベルまで開いちゃったんじゃないだろうか。
 この巻頭特集などはそのあたりを象徴しているように思う。
 何しろ、「アニメグランプリ」を巻頭から押しのけて(ここ数年、アニメグランプリは全く盛り上がっていない)、個人制作アニメを特集しちゃうんだからねえ。オタアミ会議室でも話題になってたし、こうなるとぜひとも『ほしのこえ』、見てみたくなるぞ。

 それはそうと、アニメグランプリの淋しさといったら、もう20年前の盛況ぶりが今となっては信じられないくらいだ。
 1・2・3位の『フルーツバスケット』『犬夜叉』『スクライド』にケチをつけたいわけじゃないが、少なくともこの三作がベスト3になっちゃうとは、アニメージュの読者、殆どそれ以外のアニメを見てないんじゃないかね。
 第一、1位の『フルバ』にして、得票数がたったの461票。
 あの『千と千尋の神隠し』ですら7位で、118票しか取ってない。
 この程度の得票では「ベストテン」なんて作れるはずもないが、これは単に投票者が少ない、という数の問題だけではないような気がしている。
 日本人の五人に一人が見た計算になる『千と千尋』だけれど、それすらアニメージュの読者は見ていないのか、それとも見ていてかつ『フルバ』や『犬夜叉』を選んだのか。別に『千と千尋』がそれらのテレビアニメより格段に優れてるとまでは思わないが、「そういう読者しかいない」状況と言うのは、余りにも今の読者の住んでる世界が狭すぎはしないか。
 またぞろエラソウなこと言いやがってと腹立てる人はいるだろうが、私は一応、ベスト20の中で一度も見たことないアニメ、『最遊記』と『シスタープリンセス』と『NOIR』の三本だけだったのだ。
 少なくとも「お前こそ最近のアニメ見てないんじゃないか」とは言わせない。
 私も含めて、第一オタク世代と言われる人たちは(この区切り方にはいろいろ異説があるので、まあ、『ヤマト』ブームにハマった世代としておこう)、誰に強制されたわけでもなく自然に過去のアニメ、あるいは特撮やSF映画をキチンと評価した上で「今のアニメ」を見ようという気持ちを確実に持っていたのだ。

 日本アニメの歴史を語ろうと思ったら、戦前の大藤信郎の『くじら』や瀬尾光世の『くもとちゅうりっぷ』くらいはせめて見ておきたいと我々は思っていたし(実際、たまにテレビでやっていた)、「日本アニメのベストワンは?」と問われれば、すぐに『わんぱく王子の大蛇退治』『太陽の王子ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』などの東映アニメの傑作群が口をついて出た。
 これらの作品は、制作後何十年も経った今見ても、決して古びてはいない。
 それどころか、現在のデジタル技術では表現しきれない、細やかな演出がアニメ職人たちの技術に支えられてもいたのである。
 これも言いきってしまうが、『ホルスの大冒険』のヒルダのような、単純な線でなおかつ万感を表現するようなアニメ技術の冴えを見せてくれたキャラは、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』の蓮姫を見るまでは皆無に等しかった。

 今のアニメに感動すること、ハマること、それは別に構わない。
 しかし、どうしてこうも過去のアニメや映画を見ない世代が増えてきたのか。
 昔に比べて今はビデオもある、BSもCSもある。情報も盛んに提供されている。なのに、今の10代、20代は本当に昔の映画を見ようとしないのだ。
 理由を聞いても「興味がないモノをなぜ見ないかと言われても……」とキョトンとする。その「なぜ興味がわかないか」ということを問題にしてるんだがねえ、私ゃ。
 我々の世代なら映画を見ていく段階で自然発生的に生まれていた好奇心が、彼ら彼女らには見事なくらい、ケツラクしているのだ。
 増えすぎた情報に対処しきれなくなっているというのもあるのだろう。
 実際、今から生まれてくる子供は、私と特撮モノについて語ろうと思ったら
『ゴジラ』『ガメラ』『ウルトラ』シリーズは言うに及ばず、『ガッパ』も『ギララ』も『ゴケミドロ』も(キリがないので止める)、全部見なけりゃ対等に話せないのである。
 アニメにしたって、せめて東映動画の長編全作(短編は私も何本か見逃しがある)くらいは見ていてくれないと、「ああ、千尋の階段落ち、あれ『長猫』のルシファーの変形だよ」とかいうこと話したって、何のことだか全然わかるまい。
 けれど、我々だって、全ての映画やアニメに通じているわけでは決してない。
 カネもなく、なかなか時間が取れずに、若いころは見たい映画も見られなかったのだ。それでも衣食住の出費を削り、古本を買い込み、映画館に通い、電器屋のディスプレイで未見のテレビアニメを見た。
 未だに見ていない過去の名作・愚作は腐るほどある。
 しかし、それを見ることを今の人のように「諦めて」などいない。
 昔も今も、情報量の多さにメゲたりはしていないのだ。
 私ゃ未だに明智小五郎と金田一耕助と多羅尾伴内の映画を全て見るまでは死ねないと思ってるんだが。

 若い人、みんな人生をどこかで「諦めて」ないか?
 若い癖にどうしてそんなに「焦り」がない?
 若い今の感性でしか感じられないものを手に入れようって欲求がなぜ生まれない?
 結局、そういう若い人たちと話をしていても思うのは、「つまんない生き方」しかしていない人間が、映画やアニメを「つまんない」と馬鹿にしているということなんである。
 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』はわずか9票で62位。アニメージュは今アニメファンに支えられているわけではないと断じたところで構うまい。

 規定枚数を越えたので、この話題、明日の日記に持ち越す。
 ……書き出すと、本当に止まらないね。
 

 『キネマ旬報』5月下旬号。
 亡くなったビリー・ワイルダー監督の特集号だけれど、一番読んでてジンと来たのは蛭子能収さんが寄稿してるエッセイ。
 亡くなった奥さんとの映画三昧の日々を、かつての投稿時代の貧乏生活を背景にして綴られているのだけれど、ご本人はおおマジメに書いているのだろう、けれどその筆致は、どこかユーモラスで切なく、内容も切ないけれど何となくおかしくて笑ってしまう。
 蛭子さんが若いころ、よく行く画材店の従業員が、『去年、マリエンバードで』を見に行った時に偶然来ていたこと(もちろんそれが後の奥さん)。
 『パリ、テキサス』を見ながら腹を立てて席を立とうとした奥さんを、「最後まで見て評価しようよ」と一生懸命なだめたこと。
 死ぬ前日に見た映画がティム・バートン版の『猿の惑星』で、「せめて死ぬ前日くらい『最高に面白かった』と言える映画を見たかった」と述懐するおかしさ、悲しさ。
 やっぱり映画で繋がってる夫婦って、とてもいいものなんである。


 夜、こうたろう君に電話。
 無事帰りついてくれてたようで安堵。
 また、しばらくは会えまいが、いずれそのうち。

2001年05月13日(日) 愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス


2002年05月12日(日) 懐かしき人々の狂乱

 きれいに晴れ渡った空。
 公演日和、なんて言葉はないが、雨に祟られた去年に比べれば、格段にツイている。問題はお客さんが来てくれたとしてもそれに見合うだけの芝居を見せられるかどうかだが。

 しげとよしひと嬢、昨日も余りよく寝てないだろうに、朝から会場のぽんプラザへ。今回、会場とムチャクチャトラブルがあったとかいう話で、しげもよしひと嬢も朝っぱらから機嫌が悪い。ストレス溜まるのは分るけれど、それをうまく回避してこその劇団運営である。話を聞く限り、みんな揃ってアチラに手玉に取られている感じで、情けないったらない。
 しげは私に「アンタを交渉に行かせればよかったかな。クレーマーだし」とかこきゃあがるが、私ゃ趣味でクレームつけたりゃしないぞ。
 例えば、修理に出したビデオデッキの故障が直ってなかったり、郵便物が時間指定通りに届かなかったら、文句言うのは当然だろう。文句をつけなかったら、代金だけ取られてデッキは壊れたままだし、郵便物は送り主に送り返されてしまうじゃないか。

 今回、会館の受付がきちんと説明をしてないために、一部機材などを使うのに支障を来たしたというのだけれど、みんな唯々諾々と会館の理不尽に対してペコペコ頭下げてるのな(--#)。
 ……いや、頭を下げることが悪いとは言わない。
 相手がアタマ下げただけで上機嫌になる程度のお寒いメンタリティしか持ち合わせてないってんなら、それも一つの方法だ。話を聞く限り、所詮はお役所仕事しかできない、経営者として使い手の便宜とか、図ってやろうなんて当たり前の対応すらできないやつららしいし。そんなのといちいちケンカしたってなあ、と判断したのも分らなくはない。
 アチラにもどこの馬の骨かわからない劇団に会場を貸したくはないっていうのはあるんだろうな。以前ホリゾントに穴をあけられたって話だから。
 けど、それをやったのウチじゃないんだぞ。
 そこで、ハイそうですか、と納得したら、ウチもそんな唐変木と同レベルだって自分で認めたことになるんだぞ。それでいいのか。
 せめて「負けて勝つ」くらいのことは考えてもいいんじゃないか。「負けて負けて」どうするかね。

 私はこうたろう君を迎えるために、福岡空港へ出発。
 地下鉄の駅を上がって、到着口まで、100メートルは歩く。……長いよ。
 スカイマークで11時10分に到着とのことだったが、5分ほど遅れる。
 去年、私が東京に行った時には天候不順とかで1時間くらい遅れたのだけれど、今回は理由が解らない。案内嬢さんに「何か事故でも?」と問い合わせた途端に飛行機到着のランプが掲示板に点る。
 ほどなくこうたろう君が降りてくるが、荷物がない。
 「手ぶら?」
 「ああ、今日は土産はないよ」
 誰も要求しとらんわ(^_^;)。……って、前回東京に行ったとき、こうたろう君からはたっぷり土産を頂いているので、ここで更に土産を期待したりしたら、それこそ人でなしと言うものであろう。

 公演にはしばらく間があるので、それまで博多の町をこうたろう君を連れてムリヤリ観光。と言っても、あまり会場から遠くへ行くわけにはいかない。
 まずは腹ごしらえと、博多駅で降りてキャナルシティへ回るが、アテにしていたラーメンスタジアム、どこも行列状態。
 仕方なく、食事は川端に回ってしようと、コンコースを辿る。実はその途中に今回の公演会場の「ぽんプラザ」がある。
 「『ぽんプラザ』って、ヘンな名前だと思ったら、水道局だから『ポンプ』ラザなのか!」
 こうたろう君、驚くと言うより笑っている。確かに、お世辞でもセンスのいいネーミングとは言えない。まあ、役所にとんがったセンスを求めても仕方ないけどね。ダサイくらいがちょうどよいのだが、演劇の会場としてはまるで似合わない。ちょっと中を覗いてみても、全くの「公共施設」なんだもの。
 けれど、どういうわけか、表のどこにもチラシが貼ってない。これじゃここで公演があるって分らないのじゃないか。
 「せっかくだから、みんなの様子、覗いてみる?」
 私が口にする前に、こうたろう君に誘われて、会場の4階に上がる。
 うわあ、受付も入口も、てんで殺風景で、まるで演劇を上演するような感じじゃないなあ。……って、見た目、倉庫のドアじゃん。
 ちょうど、待ち合いのところで、赤ちゃんをあやしながらチラシを折っている愛上嬢と会う。
 「あらあ! お久しぶりですゥ!」
 私とこうたろう君の両方への挨拶だろうな、これ。
 そう言えば、殆ど前回の公演以来かな(間に一回くらい遊びに来たかもしれないが忘れた)。けれど相変わらず喋りのテンションが高い高い。
 でもって、愛上嬢、とても二人の子持ちにゃ見えないくらい若い。もうハタチも半ばを過ぎてるくらいだろうけれど、赤んぼ抱いてなきゃ10代にだって見える美人さんだ。……羨ましいぞ、鈴邑君(←旦那さんね)。
 しかし、ウチで一番演技力のあるやつが二人の子供の子育てに忙殺されてるんだから、もったいないったらないんだけど、どうもご本人もそう思っているらしくて、散々今回の役者に関して愚痴を言う(^_^;)。コラコラ、愚痴を言うのは私の仕事だ。
 この子も、もう一回くらい、チョイ役でもいいから舞台に立たせたいんだけど、生活のことを考えると難しいんだよね。ウチ、一応、人材がいないわけじゃないんで、練習する時間と各家庭の経済状況さえよければ、もっと、人が見ておもしろがれる芝居が作れると思うんだけどなあ。
 会場内をちょっと覗いて、その狭さに唖然としながら、腹が減って来たので、食事に出る。


 こうたろう君と「かろのうろん」で昼食。
 彼は肉とじ、私はしめじとじを食べながら、「博多のうどんの腰は『伸び』があるんだよ」などとウンチクを垂れる。例の『博多学』の中に、「博多のうどんは腰がない」と書いてあるけど、それは「福岡のうどん」だ、と注釈をつける。ウンチク聞きながらの食事って、あまり楽しいものではないだろうが、こうたろう君、美味しいと言って食べてくれる。ありがたいことだ。
 櫛田神社を突っ切って、「博多ふるさと館」で博多織の実演を見る。ここは小さいところだが、時間がちょうど合えば、博多人形造りなどの実演が見られて、観光の穴場になっているのだ。しかも日曜祝日に来ても殆ど混んでいないのがいい。
 「爺ちゃんの家がこんなだったからなあ。ほら、この引き戸の木が擦れる音が好きだったんだよなあ」なんて、こうたろう君を置いてきぼりで懐旧に浸る私。……職人の家に生まれると、どうしてもこういう昔の「生活臭さ」ってヤツに惹かれてしまうんだよね。
 今日がちょうど「母の日」であったことにも気づいて、萬行寺に寄って、母の墓参り。そう言えば今年はまだ墓参りもしてなかった。もっとも、カーネーションの一つも持ってきてないんだけれど。
 こうたろう君に「悪いね、無理やり付き合わせちゃって」と謝ると、「いや、以前、お世話になったから」と言ってくれる。ううう、こんちくしょう、私を泣かせようって算段だな。く、くそう、な、泣いてたまるかよう。
 天神まで足を伸ばして、福家書店でオタク本など漁る。
 買うつもりはなかったのに、気がついたら雑誌や単行本など数冊購入。
 ベスト電器LIMBのテラスでひと休憩。ついまたDVDを買いそうになり、こうたろう君に止められる。いかんいかん、また悪いクセが(^_^;)。
 夕方近くになって来たので、川端通で「焼きカレー」を食べて、ぽんプラザへ舞い戻る。これもこうたろう君、美味いと言ってくれてホッとする。


 しかし、開演前2時間、もう4時になろうってのに、やっぱりチラシの一枚もオモテに貼ってない。リハーサルや調整に時間がかかってるのは分るけれど、聞いてみると受け付けも愛上嬢しかいないそうだし(子連れに受け付けさせてどうする)、準備がデタラメ。
 しげの話だと、チラシはここの管理人に渡して貼ってもらうように頼んでたそうだが、未だに貼ってないってことは忘れられてるんじゃないか。仕事してねーぞ、ぽんプラザ。
 仕方なく、私とこうたろう君で手分けして、一階、二階の入口と、4階の出入り口に、チラシをベタベタ貼りまくる。
 受付にも愛上嬢だけを座らせておくわけにはいかないので、私とこうたろう君で座って待っている。……芝居の公演の受付が四十男二人ってのはいくらなんでもマズいと思うぞ。塩浦嬢とかが当日だけでも来てくれりゃ、受付くらいなんとかなったんだろうけど、あの子も貧乏で来られなくなったらしいし。
 コヤの中では、鈴邑君が演出そっちのけで舞台の指示を取りしきっている。本来なら、舞台監督がそこまで出しゃばるのは、指揮系統の面から言ってもあまりいいこっちゃないんだが、演出より舞台監督の方が実力があって実質的に頼りになるんだから仕方がない。タイムテーブルを確認しているあたり、堂に入ったものだ。
 ああ、お手伝いに見学だけだったはずのラクーンドッグさんや、つぶらや君のお友達も三人ほど走り回っているぞ。でも、本来の劇団員である「彼」の姿はない。年に1回しかない公演だってのに、事前に休みが取れなかったのか。そんなに職場での立場がないのか。
 だからみんな、芝居をやれる態勢作ってから、公演打てよなあ!

 ……と、内心、準備の不手際にイライラしてるのは私だけではないので、口には出さない。私の仕事は撮影だけなので、それに専念するだけである。
 「メイクが遅れてる!」なんて声が聞こえたが、気のせいだろう。

 いよいよ本番。

 今回の芝居は2本立てである。
 『HERO』は、よしひと嬢の脚本、主演。
 私以外の脚本を上演するのは初めてなので、これが試金石になって、ほかの人たちも脚本を書いてくれることを望んじゃいるんだが、どうなることか。
 あるシナリオライターの男の妻が殺人を犯すのだが、彼女は「これは『正義のヒーロー』がこの女の体を借りて、悪を倒したのだ」とトランス状態で語る。
 その殺した相手というのが男の不倫相手なものだから、果たして、妻は本当に「ヒーロー」に体を乗っ取られたのか、それとも、これはすべて妻の演技なのか、はたまた妄想なのか、真相がが分らないまま終わる、というのが、つまり「リドル・ストーリー」としての効果を狙っているわけなのだが、ドラマとして、そこで終わっちゃうのはチト弱い。
 本当は、そこまでをもっと凝縮してムダなセリフを省いてプロローグにして、不倫相手の死体をどうやって誤魔化すか、というドラマに仕立てた方がずっと面白くなるんだけれど、そこまで練り上げるのは時間的制約もあって難しかったのだろう。
 それならばそれで、芝居にメリハリを付けて、途中、ダレさせないようにしなきゃならないのだけれど、ともかくみんな揃って下半身の動きが弱い。
 あのなー、愛人がよー、男を責めるんならよー、抱きついて、腰に手を回してキスして、甘えてるように見せかけながら「アンタ、離さないから」って絡みついて見せるくらいの情念ほとばしる演技見せなきゃ、観客はリアルさなんて感じてくれねーよ。
 芝居やるなら、その程度の度胸はつけろよ。


 『ねこまん』は私の脚本なので、演技や演出を貶すと、責任を役者に転嫁するような形になっちゃいかねないので言いにくいのだが、それでも客観的に見れば、あちこち穴だらけなのは否定出来ない。
 やっぱり、ギャグなのにセリフとセリフの間が徹底的に悪い。
 客に絡む脚本を書いているのに、役者が客を無意識のうちに怖がっているのが分る。これはイタイ。
 しげからもらった原案は、「猫だと名乗る女が現れる」だけだったので、それをマンガ家の設定にして、編集者との四角関係に仕立ててギャグにした。ヘタクソな歌詞も交えて、ミュージカルっぽくしたのは、クレージー・キャッツ映画へのオマージュである(植木等よりも、人見明のセン)。
 だから、歌い手は客に絡まなければ(実際に客にしなだれかかったりしなくても、心理的に絡んでくれりゃそれでOKなんだが、それもなかった)この脚本はギャグとして成立しないんだけど、そこに演出もキャストも気づかなかったのかなあ。
 笑いが好きなら、みんなもっとコメディ見ろ。昔のも今のも。「趣味に合わない」とか「面白くなかったら損」とかいう発想は、役者には厳禁だ。そんなお高く止まって取り澄ましたような態度で、人の心を動かせるものかどうか、考えてみればいい。

 私が言わなくても、お客さんは正直である。
 三十人ほどのお客さん(例年、こんなものだ)のアンケート、今回はいつもの不条理劇でない分、役者の技量不足をストレートに批判した意見が寄せられていた。……ホンがつまんないという意見はなかったから、どうして笑いがイマイチ起きなかったのか、自らの演技力不足に大きな原因があったのだと、役者諸君はキモに命じておくように。
 私は私で、自分の脚本の欠点については、誰に言われなくても自己批判しとくからよ。

 それでもこうたろう君、しげの演技を誉めてくれる。
 「いやあ、舞台映えしてるよ。一番生き生きしてたし。やっぱり、たくさん映画や舞台見てるのが強みだね」
 望外の誉め言葉だなあ。
 しげの役は化け猫なんだけども、もともと無表情で、どんなにブリっ子して見せても、目だけは笑ってないやつなんで、普段でも見ていてどこか怖いのである。その辺の「凄み」が自然に出たってだけだと思うけどね。
 けれど、痛む足をそれと感じさせないように演技して見せたこと、これだけは誉めていい。役者なら当たり前のことだけど、その当たり前もできない人間って、この世の中に多いからさ。

 撤収はいつものごとく、混雑を極める。
 其ノ他君の小道具のギターがどこかに行っただの(あとで置き忘れていたのが見つかる)、セット代わりのポリ袋の捨て所がないだの(手分けして持ち帰ることに)、お手伝いさんが「ミスが多かったから」と電車代をもらってくれないだの(ムリヤリ持たせた)、しげが痛む足をかばって、ギックリ腰になっただの(あほ)、いろいろあったが、なんとか終了。
 片付けのときだけやってきた藤田君、荷物が揃ってないってんで「誰かチェックしてなかったのか!」とか文句垂れてたけど、チェックしてて見つからないから、困って探してるんだよ。トンチンカンなこと言ってる暇があったら、自分で探せ。

 しげとよしひと嬢は、一足先に帰宅。
 よしひと嬢、ロドリゲスの助手席には、ベスト電器から借りてきたプロジェクターが鎮座ましましているので、仕方なく荷物でいっぱいになった後部座席のスキマに挟まるように運ばれていく。
 「警察に見つかったら、人形のフリをするように」
 誰ぞがそんなこと言ってたけど、そりゃムリってもんでしょ。
 
 こうたろう君と、ようやくラーメンスタジアムが空いてきたので、「博多一黒丸」でチャーシュー麺。オーソドックスな味で、それほどしつこくなく、悪くない。今日の公演のことなど、乾杯しつつ(私は水だけど)語る。
 「やっぱり、芝居をするってだけじゃなくて、その先に何があるかを見なきゃな」
 とは辛辣だが至言だ。

 帰宅したときには、私も相当、くたびれはてていたが、それでもDVD『ポピー・ザ・パフォーマー』などをみんなで見て騒ぐ。
 でもそれも12時までが限界。睡魔が猛烈に襲ってくる。
 明日が休みならなあ、徹夜してでも喋りまくりたかったんだけどなあ。
 『ワンピース』話で盛りあがるこうたろう君とよしひと嬢、腰が痛いと泣くしげを残して私は一人、本棚のスキマで寝るのであった。

2001年05月12日(土) 今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)


2002年05月11日(土) つんでぶで……謎の言葉(^o^)/DVD『日本誕生』ほか

 ミュージカル『キャッツ』のロンドンで21年続いたロングランが昨日で終了。
 もちろん本場の舞台を見たことはない。
 劇団四季の舞台を東京と福岡で見たことがある、それだけだ。
 しかし、「これはいい舞台だろうな」という想像はついた(「だろうな」というところが微妙。役者の技量不足を想像で補ってるのだね)。
 「続いているものがいきなり終わる」というのはどういうことなのか、実はよく解らない。NHKで『連想ゲーム』が終わった時も、「なんで今更」という気持ちの方が強かった(我ながらスゲエ譬えだ)。
 「代がわりにムリがある」というのなら分らなくもない。『サザエさん』はいくら代替わりして声が変わろうと続かせることができそうだけれど、『ルパン三世』がいくら三十年以上続こうが、声優を全部入れ変えてまで続けられるかどうか(また譬えがちとハズレてるな)。
 あ〜、つまり『キャッツ』を終わらせることに意味があったのかなあ、と思ったってことなんだけどね。客が入らなくなったとはちょっと考えにくい。20年続けば、もう固定客もいるだろう。役者にとっても「『キャッツ』に出演することが夢」って人、多いんじゃないかなあ。
 でも、残念と言えば残念だけど、日本じゃあまり大きな報道しないね。
 下手すりゃ、『ねずみとり』が終わるときもコラム記事で終わるんじゃないか、日本の新聞。
 

 昨日までで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』、上映終了。去年は小屋を変えて続映が決まったけど、今年はキリよく終わり。
 十作目まで続いてる人気シリーズのわりに3週間の上映ってのは扱いが悪くないか。三回目を見に行こうかどうか考えてたけど、結局、行かずじまい。よしひと嬢が行くと言ったら行ってたかもしれないけど、この公演の追い込みの時期にはさすがに誘えんのだよな。
 今度こそDVDが発売されるに違いないと勝手に思いこんで、その日を待とう。


 明日はこうたろう君が泊まりに来るというのに、部屋の片付けが進んでいない。
 だから片付けてる最中に未読の本を見つけちゃうからイケナイんだけどよ。
 けれどそれでも居間にフトンを敷けるスペースだけは確保する。もっとも、いきなり地震が起きて本やビデオが倒れかけてきたら一発で死ぬけど(^_^;)。

 夜、12時を過ぎても、しげとよしひと嬢、なかなか帰ってこない。
 生活時間帯がデタラメになっているので、もういちいち呼び出しなんかしないのだけれど、さすがに心配になって電話連絡入れようかと思った途端、帰ってきた。
 なんでも、駐車場のストッパーの一部がロドリゲスの部品に引っかかって、出られなくなったらしい。
 「それで、どうやって出て来たんだよ」
 「無理やり」
 ……そーゆーのでいいのか? どこか車の部品、欠けたりしてないか?
 なんだかしげの車に乗るのが怖くなってきたな。

 しげとよしひと嬢、それで寝るのかと思ったら、今から明日の公演用のパンフレットを作るという。
 だからどうしてこんなギリギリのスケジュールで、しかも演出家に役者がそんなスタッフ仕事をやってんだか。いい加減、家内制手工業から脱出できないのかね。

 DVD『日本誕生』。
 去年買ってて、ずっと見ないで置いたままだったDVD。
 と言っても、随分昔にテレビで見てはいるんだけど。
 こういうのがだんだん増えてきてるんだよな。積ん読ならぬ、「積んでぶで」。語呂が悪いな。しげと一緒に見ようと思って、見るのを控えてるからそういうことになるんだけど、いい加減、墓の中までDVDを持っていくわけにもいかないので、そろそろ片付けていかないと、と思って見る。
 昨年は円谷英二生誕100年のおかげで、『ハワイ・マレー沖海戦』(ああ、これも「積んでぶで」)ほか、東宝特撮の秀作が「ゴジラ映画」に限らず、結構な数が出たのだけれど、必ずしも「この映画で円谷英二を語られてもなあ」と、ちょっと残念に思うラインナップもなくはなかった。
 この『日本誕生』も、ラストの白鳥のアニメーションなど、なかなか美しいイメージもありはするのだけれど、全体的に神々の世界のイメージの貧困さが目立つ。冒頭の混沌の世界からして、「別府温泉地獄巡り」にしか見えないのはちょっとねえ。
 岩戸神楽もスサノオのヤマタノオロチ退治も、のちの東映動画版『わんぱく王子の大蛇退治』という世界的レベルの傑作を見ているだけに、特撮どころか玩具にしか見えない。……オールスター総出演映画だからなあ。役者のギャラにカネ掛けすぎて、特撮の予算、削られたんじゃないか。
 ラストの天変地異も、合成のズレ、色調の失敗が目立つ。……日本神話、もっともっと面白く、感動的にできる要素があると思うんだけど、妙に現代の倫理観入れて描くからシマリのないものになるんだよな。
 ラストはやっぱりヤマトタケルが復讐する相手は○○○○にしなきゃ。って、そんなの作れるわけないか(^_^;)。


 DVD『ジャングルはいつもハレのちグウ』7巻。
 テレビシリーズを見ていたので、これも再見。
 中途半端な終わり方も、OVAで続きが制作されるとなれば、文句もない。最近のギャグアニメの中じゃキレのいい出来だったから、これも期待。
 でも、しげ、「面白いのはオープニングだけ」って言ってたから、これもひと悶着あるかも(^_^;)。

2001年05月11日(金) ちょっと愚痴を言いたい夜/『荒野の出前持ち』(石川賢)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)