無責任賛歌
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| 2001年12月31日(月) |
40歳のロンゲ……髪薄いってのに/『読者は踊る』(斎藤美奈子)ほか |
というわけで10回目の結婚記念日である。 世間的には大晦日というのだけれど、なんでまたこんな時に入籍したかっていうと、これならそうそう忘れやしない、ってのが一番の理由だったりする。 でも、しげはすぐこれを忘れるのだ。 昨日が私の誕生日で、次の日が元旦だったりするものだから、どれが何の日だったかわかんなくなるらしい。それに記念日のプレゼントは買っちゃったし、しげは今日も昼から仕事だし(さすがに夕方でシマイだそうだか)、なんだか記念日を二人で過ごすって雰囲気ではないのだ。
「せめて、年越しソバぐらい作ろうか?」 こう言ったのはもちろんしげではなく私である。ウチでの料理はもう私が作ることになっちゃってるのな。 「ソバも具も材料揃えてさ……」 「作ってくれるの?」 そういう会話をしたのが、夕べっつーか、今朝の夜中のこと。 もうスーパーの類は空いてないので、コンビニに行くが、ポプラを選んだのは失敗だったかも。 見事なくらいに「正月」を迎える雰囲気がない。 年賀状くらいは売ってるが、それも微々たるもの。普通は年末に向けて、コンビニも「年越し商品」っていろいろ置いてないか? どうも売りきれたんじゃないようなのは、それらしいコーナー自体が全く作られてないためだ。 一応、鏡モチや雑煮の材料は昨日セブンイレブンで買っておいたのだが、ソバだけはあとまわしにしてたのが失敗だった。 仕方なく、まあ気分だけでもとカップソバを二つ買って帰る。
宴会のあとなので、疲れ切っていて朝寝。 しげにいきなり起こされたのは何時くらいのことだったか。 多分、9時か10時か。 「……起きりぃよ、父ちゃんとこに電話しぃ!」(ちょっと注をつけておくが、しげは広島生まれの北九州育ちなので、方言が相当ヘンである。したがってこんな博多弁はない) どうやら父から電話があったらしいのだが、今年は特に年末を一緒に過ごす約束はしていない。 つーか、先日、食事でも時間が空いたらしないかと電話で誘ったのだが、「正月空けるまで予定が詰まっとる」と断られていたのだ。 その辺の事情をよく知らない(って、ちゃんと言ってるんだが忘れているらしい)しげは、てっきり私が今日、父と会う約束をしておきながら、それを忘れて寝過ごしてるんじゃないかと怒っているらしい。 しかし、そう気付いたのはあとになってからで、私もいきなり大声張り上げられて起こされた瞬間は、アタマが寝惚けているので、どうしてしげが怒っているのか解らない。 「なん、どうしたん?」 「父ちゃんから電話があったよ! だけん電話しぃ!」 「何の用ね?」 「知らんよ! いいから電話しい!」 ともかく凄い剣幕なので、仕方なく父の店(床屋)に電話を入れる。
「……電話くれたんやろ? なんか用ね?」 「おう、仕事が暇になったけん、散髪に来んや?」 そう言えばもう、二ヶ月くらい髪を切っていない。何度かお歳暮持って行ったりして、店に立ち寄りはするのだが、丁度折悪しく仕事中であることが多くて、散髪する機会がなかったのだ。 けれど、ムリヤリ起こされたものだから、体調は頗る悪い(だいたい父は、私が寝ている時は起こさなくていいからとしげには言いつけてあるのに、しげはいつもそれを無視している。ワザと私の体調を崩そうとしてるのか?)。 おかげで最悪の声で返事をしなければならない。 「……昨日も仕事でさあ、そのあと飲み会もあって……」 「飲んだとや?」 「いや、飲んどらんけど」 「そやろう」 「ばってん、体調がよくないけん、さっきまで寝とった。しげにムリヤリ起こされたんよ」 「そうや? なら来れんや?」 「わからん。気分がよくなったら来るかもしれん」(博多弁を知らない人に注。博多では「行く」ことを「来る」とも言います。相手の立場に立った言い方なんですね) 「ばってん、俺も4時くらいまでしか待てんぜ。お客さんもそのくらいで切れろうや」 「なんね、お客さん、来よらんとね」 「全然来よらん」 文字ではわかんないだろうが、父は威張った口調で喋っている。ちょっと笑ってもいる。空威張りが好きなんだよねえ、博多んモンってのは。 私もこれが虚勢だってのはわかるんで、つい言ってしまった。 「……なんなら、散髪代払おうか?」 「ばかたれ!」 ……だから、寝惚けたアタマで会話するもんじゃない。これは昔ながらの職人に対しては失言である。前にも同じセリフを言って怒られたってのに、また同じ失敗を繰り返してしまったのだ。
遠慮なく喋ってるようでいて、私と父との間にはもう随分と「距離」が出来てしまっている。母の死後、もう父と同居することが出来なくなったな、となんとなく感じるようになったが、それは父も同じであった。 別に父と憎みあっているわけではない。 以前、一緒に住もうか、と私が言った時に、父は「生活がもう、違うとう」とポツリと言ったが、まさしくそれが理由なのだ。 父から見れば、オタクな私の生活は、自堕落にしか見えまい(ノ_;)。 もっとも、父も戦前からの映画ファンで、何千本とビデオを地下倉庫に溜め込んでいる元祖オタクなんだが、同じオタクでも方向性が違うと、同居がしにくいものなんである。父が若いころならば衝突することもできたろうが(実際毎日のようにしてたし)、今や、衝突すれば確実に父の寿命が縮む。 あまり会わない方がいい親子というものもあるのだ。
……失言のせいで、気分が、更にずんと落ち込む。 結局、今日は行くような行かないような、曖昧な返事をして電話を切ったが、父に顔を見せる元気は全くなくしてしまった。 口には出さなかったが、父は、多分ソバだのなんだの、いろいろ私たちのために用意もしていただろう。そういう父の気遣いが察せられるだけに、なおのこと行く気をなくしてしまったのだ。しげも仕事に出かけねばならないし、私一人で父と会う元気はない。しげが早目に帰ってくれば二人で行くことも出来るが、多分、時間帯は合うまい。
案の定、4時ごろにまた電話がかかるが、しげはまだ仕事である。 居留守を使ってそのまま寝る。 ベルは20回ほど鳴って切れたが、これでしばらく父からの電話もなかろう。 しかし、2001年も最後の最後でドラマを用意してくれるものだなあ。 ……散髪、どうしようか。
年末に買って、まだ読んでない本をしげが帰るまでパラパラとめくる。
斎藤美奈子『読者は踊る』(文春文庫・700円)。 一応これは『鳩よ!』に連載されていた『本とうの話』という「書評」の文庫化、ということになるらしい。 らしい、と書いたのは、実は作者の視点が「作品」そのものの批評だけに留まらず、その本が世間でどう受け入れられて行ったか、そこに「ヘンな事情」がなかったか、そういった「周辺事情」の批評に腐心しているからなんですね。 要するにこの本、『トンデモ本の世界』と同じく、「こんなヘンな本なのにそれが売れている」という視点で253冊の本を切ってるのである。 しかも実にその視点が鋭い。 これだけ本が出版されている、つまりは情報が溢れている中では、一つ一つの情報の意味を分析し理解していくのは並みたいていのことではない。どこかヘンだな、と感じつつも、それを見逃し、惰性の日々に身を置いて思考能力を低下させていることは多かろう。 それを斎藤さんは一つ一つ暴いていく。その姿はまるでテレビ批評におけるナンシー関のようだ(誉めてんだよ)。 例えば、例の藤村新一による旧石器遺跡捏造事件、アレの責任がジャーナリズム、特にNHKと朝日新聞社にあると斎藤さんはズバッと言い切るのだ。 「捏造が起こる背景には『考古学フィーバー』がある」、それを煽ったのがNHKであり朝日新聞社だと言うのだ。 確かにそうだよなあ。新しい縄文の姿とかで、以前はやたら特番組んでたもんなあ。当時の再現ドラマとか作ったりしてたし、斎藤さん曰く、「見たんか、それを!」 まあ、視聴者の目を引くためには「ドラマ」作りも仕方ない、という意見はあろうが、斎藤さんの指摘は、そのドラマに、「現代日本人の常識をそのまま過去の社会に当てはめている」という点にあるのだ(もっとも、その指摘は作者自身のではなく考古学者中園聡のものだが)。 梅原猛の『日本人の精神の故郷』中の「京都の大文字の送り火は弥生の美意識であり、青森のねぶたは縄文の精神である」という何の根拠もない記述に対しての、「では博多どんたくは何なのだろうか。岸和田だんじり祭は。浅草三社祭は?」のツッコミには笑った笑った。 もちろん、博多どんたくは縄文とも弥生とも「どんたく」の語源となったオランダ語のZONDAG(ゾンターク…休日・日曜日)とももはや何の関係もなく、ただの観光のための祭と化している。 ジャーナリズムの行う「洗脳」のシステムが、タイトル通り、読者(あるいは視聴者)を躍らせている。少しは頭を冷やせ、というのが斎藤さんの主張だ。 結果的に、竹内久美子の利己的遺伝子もののように、『トンデモ本の世界』の世界とネタが被っているものもあるが、こういう周辺事情も含めねば、現代の本を批評するという行為はもう成り立たなくなってきているのではないか。 そう考えると、この本、数ある書評本の中でも群を抜いたものであると言えよう。
ただ、さすがの斎藤さんもオタク関係の事情には疎いらしく、明らかな事実誤認がいくつも見られる。 1996年の「死海文書本ブーム」について、「その後アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』がらみで再燃した」なんて書いてるが、その後も何も、「1996年」のブーム自体が、前年から始まったテレビ版『エヴァ』の影響なんだけど。 多分、斎藤さん、映画版の『春エヴァ』『夏エヴァ』しかご存知ないのだ。 また、桜井浩子とひし美ゆり子を比較して、「アンヌがこれほどの人気を誇っているのに対し、アキコへの思いの丈を語る男は皆無に近い」なんて書いてるけど、巨大フジ隊員に欲情した某氏とか、熱烈な桜井浩子ファンである唐沢なをき氏のことを知らないのであろうか。まあ、知ってるわけないな。 斎藤さんにオタクなブレーンが付いたら最強になるようにも思うが、別に最強を目指す必要はないし、多分、間違いを指摘されても斎藤さんは訂正なんかしないだろうから、まあ余計なお世話はしないどこう。
しげ、7時に帰宅。 「パチンコ客がいねーから仕事がラク」だと。 日頃はそんなに客が多いんか。って、深夜だもんなあ。 しげ、速攻で落ちそうな気配だったので、二人でカップソバを食う。 予測通り、しげ、そのまま爆睡。私は昼間たっぷり寝ているので、まだ全然眠気が来ない。とりあえず大晦日だし、紅白でも見るかなあ、と思って、テレビのスイッチを入れた途端、えなりかずきが『なんてったってアイドル』もどきのヘンな歌を歌っている。 興醒めして、CSに切り変える。
CS『ポピーざぱふぉーまー カウントダウンスペシャル』っつーか最終回。 全39話ってのは長かったのか短かったのか。とりあえず来週からまた再放送するらしいけど。 DVD発売は告知までされたのにどうなったのかなあ。何か情報流してくれるかと思ったけど全然なかった。 けれど、コタツに入ってる清水香里とさし向かいで新年を迎えようとは、いかにもオタク(^_^;)。こんなやつそうそういまいと思ったが、あとで『ポピー』のファンページ検索して見ると、同じことやってるヤツが結構いたのだった。 ううむもポピーファン、侮り難し。
そのあと、なんと『ルパン三世』第一シリーズの1話から17話までの放送が始まり、もう何度見たかわからないのだがついつい見入る。 作画枚数が当時のテレビアニメとしては破格、と大塚康生さんは『作画汗まみれ』で書いてはいるが、それでも『カリオストロ』などに比べると線も動きも粗く見える。にもかかわらず、キャラクターの描出力は、どのルパンよりも傑出している。 第一話、『ルパンは燃えているか?』、での次元大介の初登場シーン、寝転がって足を組んでるそのつま先がゆらゆら揺れてるが、これだけで次元の余裕とアンニュイさの表裏一体、不敵とニヒルの混合、男臭さが表現されているのだ。 もう、このころの大塚康生は最高である。 峰不二子も、大隅正秋演出のころはワンカットごとに微妙な表情を見せている。……高校のころ、文化祭でアニメキャラ写真グランプリ(もちろん20年以上前だから、テレビ画面を接写したもの)を開いた時、新旧の不二子を並べたが、投票で圧倒的人気を得たのは当然旧の方だった(グランプリは南原ちづるに輝いたが。そういう時代だったんである)。キャラの力が違うんだよなあ。 『7番目の橋が落ちる時』あたりまで見て、さすがに睡魔に襲われて眠る。 ……今日見る夢はまだ初夢ではないのだな。
A HAPPY NEW YEAR……
2000年12月31日(日) 20世紀の終わりの夜に……/『算盤が恋を語る話』(江戸川乱歩)ほか
| 2001年12月30日(日) |
ケーキとシュークリームと焼き鳥と/『ヒカルの碁』15巻(ほったゆみ・小畑健)/『細腕三畳紀』(あさりよしとお)ほか |
年の瀬も押し詰まってるさなかの誕生日である。 誰のって、私のなんだけれども。 別に年齢を詐称する必要もないので正直に言っちゃうけれど、今日で私は39歳である。 30代最後の年だけれども、数え年だともう今年の正月に四十を迎えているので、感覚的にはもう「不惑」なんだなあ、という気持ち。 しかし、孔子はよく言ったもんだね。確かに四十になると「惑う」ことはなくなってるもの。悩みは尽きることがないが迷いはないのな。世間の荒波、困った事態は連日奔流のごとく押し寄せてくるが、今更、自分の性格変えようがないしい、ってなもんなんで。 オタクをやめよう、なんてのもついぞ思わない。自分で自分に、「そのまま行ってよし!」とGOサインを出してるような感じである。
「しかし、人生の折り返し点は確実に過ぎたなあ」 「なん、生きるのがつらいと?」 「楽しいとかつらいとかいう感覚でとらえちゃいないよ。長く生きたいってわけでも、早く死にたいってわけでもないってことだよ」 「以前はいつ死んでもいいとか言ってたくせに」 「『死んでもいい』と『死にたい』は違うよ。別に俺は死にたいわけじゃない。ただ、確実にお前より先には逝くよ」 「……ズルっ子やね」 「お袋は若いころは『死ぬのなんて怖くない』とか言ってたけど、死ぬ間際になって『死にたくない』って言い出したものなあ。そういう覚悟の足りないことはこれから言いたくはないけどね」
しげとは時々、そんな、死についてのヘンな会話をする。 とりとめがないし、実のところ更にトシを取れば醜く生に執着しそうな気もする。理想は水木しげる氏のように、「私はもう半分以上水木さんではないのです」という境地になりたいとも思うが、寝惚けることの多い昨今、10分の1くらい、私はもう、有久さんではないのかもしれない。 それもまた善哉。 午前0時を過ぎて、ロイヤルホストで食事。 ささやかながら誕生祝である。 どこぞのホテルでディナーとかにならんところがいかにも庶民。だいたい明日も結婚記念日なんで、そうそうパーティなんか開けるわきゃあないのだ。 誕生日と言えばケーキ、ということでしげの好みのショートケーキを二つほど注文。 「ほど」というのはついでに私がシュークリームを頼んだからである。でも皮が固くて味は今一つ。 さすがに深夜なので、いくつか料理を注文するが品がない。 無難なところで定食を頼むが、店長がやってきて謝罪して20%割引券をくれた。固持するが是非にと言うので、仕方なく使う。別にその気はないが、なんとなく難癖つけて安く上げる客と同一視されるような気がして、こういうのは好きじゃないんである。 店長が「夜遅くいつも来て下さってますから」と礼を言うが、しまった、こんなところでも顔を覚えられてたか、と苦笑。
そのあとひと寝入りはしたが、実は今年最後の仕事の日である。 さすがに午前中だけだが、もう眠くて眠くて。 帰宅するなりまた泥のように眠る。誕生日は寝て暮らすってか。
目覚めるともう夕方。 今日はAIQの打ち上げというか御慰労会というか、要するに飲み会があるのだ。しげを叩き起こして、天神の中央広場まで急ぐ。 待ち合わせの7時には20分ほど早目に到着。 余裕があるとつい、福家書店に寄ってしまうのはオタクの人情だが、こういうオタクオタクした行動をしげは滅法嫌う。別にオタクが嫌いってわけじゃなくて、オタクがいかにもオタクであることを標榜するような行動に出ることが一種の「開き直り」に見えて、しげには傲慢に映るらしいのだが、かと言って、別に誰かに迷惑かけてるわけでもないのだから、これはしげの方がワガママを言っていると考えるべきだろう。 だって、しげは自分がどこかに寄りたい時はやっぱり時間を気にしないで同じ行動取ってるんだから。 一月の新刊が早目に出てるかと思ったが見当たらないので、落穂拾いのように旧刊を買いこむ。
アンジェリーナさん、たけうちさん、エロの冒険者さん、しおやさん、獅子児さん、三々五々に集まってくる。 たけうちさん、ロシアのコサックのような帽子をかぶっているので、なんとなくこれから南極に越冬隊員として行くか、八甲田山で死の彷徨をしようかという感じ。ああいう帽子は私も好みなんだが、似合いそうにないので買ったことはない。けれどそろそろ私の頭はだいぶ薄くなってきているので、帽子は被ったほうがいいかなあ、と感じている。いや、ハゲかくしってことじゃなくて、年寄りっぽいと電車で席譲られたりしかねないから(^_^;)。 本の袋を下げていたので、しおやさんから「何買ったの?」と早速聞かれちゃったが、ちょうどそのとき買ってたのが内田春菊の『金玉』。……ちょっと天神のドまん中で見せるのは恥ずかしいかもしれないモノであった。 いや、見せましたけど。もう「恥」というコトバが私の中からどんどん消えていくなあ。
時間通りにみんなで近くの居酒屋へ。ぴんでんさんはそちらでもう待機しておられた。 この店、焼き鳥を含めて品数も豊富で安く、味もなかなかなので、店名を出してもいいのだが、どうも周囲の客層がちょっと気に入らないので、一応控える。いや、いつ来ても妙に「徒党を組んだ連中」が多くてさ、トイレに行くとそこにタムロってたりゲロ吐いてたりで、ちょっと環境が悪いのである。
オタクアミーゴス公演のビデオテープを獅子児さんからいただく。 上下2本、計4時間の大作(^^)だが、それでも若干のカットはあるとのこと。 幕前に某スーパーの「さかなを食べよう」という歌をなぜか今回公演のテーマソングとしてかけているのだが、これが一番しか入っていないそうな。 もっとも聞いたことがある人はわかると思うが、あの「♪さかなさかなさかなー、さかなーを食べるとー、さかなさかなさかなー、アタマーがーよくーなるー♪」と、エンドレスでかかり続けてるやつを延々聞かされてもちょっと頭がクラクラするだけなので、それは構わない。 当日は受付にいたりして、見ていない部分も多いので、明日が楽しみである。
さて、飲み会になるともうぴんでんさんが毎回爆発してくれるのだが、今日も酒量が増えるにつれ、「どうしてあのエロネタを日記に書いてくれないのですか」と絡んでくること(^_^;)。 うーん、別にエロなことを書きたくないと思ってるわけじゃなくて、これは公開日記なんだから、見る人によってはぴんでんさんの性格を誤解する人が出るかもしれない、そうなったら申し訳ないないなあ、という配慮のもとだったんだが、「ぜひ書いてください」と言われればもう、書かずばなるまい。 ……先に言っときますが、ぴんでんさんはとてもいい人です(^^)。
さて、ぴんでんさんは往年の山城新伍もかくやと言うほどのソ○プラ○ドの帝王でいらっしゃる(おいおい)。 で、あるとき、いつものごとく、馴染みのソ○プ嬢と、とっても楽しいことをしていたと想像してください。 ところがそのとき突然、ぴんでんさんの携帯にコールが。 問題はその着メロである。 オタクはやはりいかにもオタクな着メロを入れるものではないかとご想像されるだろうか(ちなみに私の携帯の着メロはしげが『ルパン三世(新)』を入れてくれている)。それはある意味「当たって」いた。 突然流れたその音楽とは!
「♪と〜っとこ〜、走るよハム太郎〜♪」
いや、笑ってはいけない(^u^)。 ぴんでんさん、根はとってもメルヘンな方なのだ。 しかし、いくらメルヘンなぴんでんさんでも、今まさに最高潮と言うときに携帯に出るわけにはいかない。 仕方なく楽しいことを優先させるわけだが、その間も「ハム太郎」は当然、流れ続けている。 あとの次第は、ぴんでんさんの言葉をそのまま写す。 「あれ、フシギなもんで、音楽が鳴ってると、腰の動きが自然とそのメロディーに乗って、動くようになるんですね、こう、「と〜っとこ〜、走るよハムたろ〜』っていうように(ポーズ付き)」。 ……みんなもう、爆笑(≧∇≦)。 更にトドメの一発。 「……これでみなさん、これからハム太郎の音楽を聞くたびに私の腰の動きを思い浮かべてくれることでしょう」
……このように、ぴんでんさんはとってもイイ性格をしている人なのである。 そして、実際、ハム太郎を聞くたびにクスリと笑い出す女が私の隣に生まれてしまったのだった。 つくづく、洗脳されやすいやつだよなあ、しげ。
これからちょくちょく、ぴんでんさん語録も書いていくことになろうかと思うが、ぴんでんさん、未だにご独身の好漢であります。御本人は、結婚したらピッタリ遊びは止める、と公言していらっしゃいますので、お付き合いしたいという妙齢のご婦人がいらっしゃいましたら、私までご一報のほどをよろしくお願いいたします。
ぴんでんさん、その後も『鉄人タイガーセブン』や『電人ザボーガー』など、ピープロ製作特撮番組の魅力などを語る語る。 私も当然見ちゃあいたんだが、どちらかと言うと同じピープロ作品なら『宇宙猿人ゴリ』や『快傑ライオン丸』派であったので、その二作には、ぴんでんさんほどにはハマらなかった。この辺がやはり世代の差というものであろう。 評論家の岩佐陽一がやはり『タイガーセブン』には相当感銘を受けているのだが、実はぴんでんさんと同世代である。そのことを聞くと、ぴんでんさん、「でも私、岩佐陽一、嫌いなんですすよ」と複雑な表情。 これも一種の同族嫌悪ってやつだろうか。
みんなで散々食って散会。 次の集会は、年が明けた中ごろに、『シベリア超特急』の鑑賞会を行おうということになったが、みなさん、そんなに心にストレスをあえて溜めようというのか(^_^;)。
雑誌『ドラゴンHG(ハイパーグレイド)』第1号(富士見書房・1000円)。 あの伝説の(どこが)とり・みきとゆうきまさみの合作、『土曜ワイド殺人事件』の復活である。 題して『土ワイ4 京都藁人形殺人事件』。 もちろん、今度の主役も元マンガ家アシスタントの田渕A子(この名前で少女マンガファンはまず笑ってください)。 アレから(何がアレからかはもういちいち解説しないが)A子は山にこもって修業していたのだった(なんのだ)。同時期になぜか起こる、「人間の死に方の通りに殺される藁人形」事件。そして群馬県警から京都へ出張捜査に現れた、あの頭が陰毛の(^_^;)田子二毛作と土手村の刑事コンビ。 ストーリーはこんなだが、ともかく随所に描き込まれたマニアックなギャグの数々がわかる人にはわかって大いに笑える。 登場人物がシルエットになってるシーンにさりげなく『煙突屋ペロー』がいたりしてな(^o^)。……みんなもどれだけネタがわかるか探してみよう!
他にも、復活を遂げた結城信輝『ヴェルパーサーガ』、復活を遂げたゆうきまさみ+田丸浩史『マリアナ伝説』(復活ばっかりかい)などがメイン作品。……ちょっと雑誌としてはオタク向けすぎる気はするが、ドラゴンだし富士見だからいいのか。 よくわかんないけど、声優やネットアイドルのグラビアまで付いている。このネットアイドルの木村紗雪って女の子が、「自分が生まれる前のマンガを読んで感想を書く」という企画ページを持たされてるんだけど、その第一回に選ばれてるのが江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』。 ……もう、二十年前ってかよ。まだ完結してないってのに。 この女の子、「『高円寺さゆり』が好き」、なんて書いてるが、このキャラが薬師丸ひろ子をモデルにしてることも知らないんだろうなあ。つーか、薬師丸自体知らないのかも。
次号予告を見ると、『ダーティペア』や『地上最強の男竜』など、やっぱり続編企画ばっかりだ。2号出せるのかなあと思って発売日を見ると……12月?……まだ出てる気配がないぞ。売りきれたのか、やっぱりポシャったのか。 吾妻ひでおが描いていればポシャったと確実に言えるんだが(^o^)。
マンガ、ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』15巻(集英社・410円)。 年の瀬っこともあるのか、ジャンプコミックスが早めに発売されている。 買うには買っていたのだが、一度読んでるものなので、慌てて読まなくても、と思っていたのだが、どうしてどうして、通読すると連載を待ち望みながらぶつ切りで読んでいた時よりはるかにリズムのある構成だったことに気付いた。 佐為がついにヒカルの前から姿を消し、その姿を追って、因島へ、更には東京へ舞い戻り、「二度と碁は打たない」と泣き崩れるまでのヒカルの心理の流れが実にスムーズでリアリティがあるのだ。ドラマはやはりキャラクターの心のうねりが作り出すものなのだなあ、と感心する。 連載の方はいよいよ塔矢との久しぶりの対決なんだけど、ここで完結させられれば、多少の物足りなさは残っても、いい締めくくりになるようには思う。けれど実際には、人気のある限り、これからも連載は続いて行くのだろう。そうなればそうなったで、ある意味、ヒカルが燃え尽きるまで(あしたのジョーかい)、あるいは時代をポーンとすっ飛ばして未来まで行っちゃってもいいかもしれない。ここまで来ると、多少トーンダウンしても、行けるとこまで描いて行ってほしいという気持ちも起こってくるのだ。
マンガ、あさりよしとお『細腕三畳紀』(講談社・500円)。 あさりさんの、恐らくは世界で唯一の「三葉虫マンガ」(^o^)。 と言うか、三葉虫をネタにして、これまであさりさんが描いてきたギャグ・SF・ナンセンス・怪獣・特撮・魔女っ子・オタクマンガの手法を全てぶちこんだような、ベスト・オブ・あさりよしとおのような体裁になってるのが凄い。 ……あさりさん、燃え尽きつつあるんじゃないのか。 こう言っちゃなんだが、あさりさんは自分のオタク趣味さえ表に出さなければ、もっとブレイクしたっていいマンガ家なんである。ウケるネタ、ドラマツルギー、キャラクター造型、それぞれにおいて傑出した才能を持っていることはわかるし、例えばあさりさんが本腰を入れて、『ゴジラ』をシリアスに漫画化したとしたら、とてつもない傑作ができるだろう。 ところがあさりさんが実際に描いちゃうのは『中空知防衛軍』であったり、今巻の『マーくんの場合』のような「怪獣対巨大三葉虫」だったりするのだ。パロディは日本においてはまだまだ市民権を得たとは言えない。偉大なる吾妻ひでおにして、決してメジャーにはなれなかった。パロディは、日本マンガシーンにおいては、自らをマイナーのワクに閉じ込めるものでしかないのである。
今巻に『佐藤くんの場合』という短編がある。 悪の組織に就職した平凡な青年が三葉虫怪人に改造され、「その日」が来るまで待機任務についている、その平凡な日々を描いたものだ。 なんの変哲もないアパートの四畳半での普通の日々。 三葉虫ということで近所の子供が石を投げる。 同窓会の電話が来るが、もうこの姿では顔は出せない。 何も知らない実家の母親から送られて来たラーメンを啜る。 モビルスーツのプラモを買ってきて作るのが唯一の楽しみ。 そして「その日」は来る。 彼がアパートの窓から見た、最後の夕日の街並み。 彼は呟く。 「どうして平凡に生きようと思わなかったんだろう……」 三葉虫の流す涙を見ながら、あなたは泣くだろうか、それとも、失笑するだろうか。確実に言えることは、これはオタクのためだけに描かれたマンガであり、オタクにしか理解できないマンガであり、これを読んで感動する、泣けるということがオタクであることの証明であるということだ。 三葉虫がいなくなった街で子供たちが会話する。 「どこかで元気にやってるかなあ」
誕生日に、こんな感傷的なマンガ読んじゃイカンなあ(^_^;)。
2000年12月30日(土) 誕生日スペシャル/アニメ『フリクリ』5巻、『競作五十円玉二十枚の謎』(若竹七海)
| 2001年12月29日(土) |
これでもだいぶ短くしました。/映画『シュレック』/DVD『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』 |
体調もいいので、朝からキャナルシティに向かい、映画『シュレック』を見る。 AMCでは字幕スーパー、日本語吹替版をダブルで上映してくれていて、好きなほうを選べるのが嬉しい。こういうのがシネコンのいいとこだね。 通常、私は字幕版を見るか吹替版を見るかで迷うことは全くないんだけれど、今回はしげが「マイク・マイヤーズもエディ・マーフィも嫌いだしぃ、山寺宏一さんの方にしようかなあ」と悩んでいるので、見るギリギリまで迷うハメになる。 結局、「そういや、日本語版、藤原紀香だっけ?」としげが眉間にシワを寄せたので字幕版を見ることにしたが、なんか嫌わなきゃならない理由でもあるのか。確かに「客寄せパンダ」であることはハッキリしてるんだけど、予告のテレビ特番じゃ、そう悪い出来でもなかった感じだったけど。そう言えば『サウスパーク』にも出てたな、金魚役で(^o^)。 ハマちゃんもどの程度のテンションでやってるのか気になるし、DVDが出たら吹替版も確認してみたいところだ。
さて、映画本体の出来だけれど、見ている間、楽しめはしたのだけれど、商業論理に引きずられた映画作りにはやはり疑問は残る。 ディズニー映画のパロディにするつもりならば、フルCGではなくてセルアニメーションで作んなきゃ意味ないじゃん、というのが実は致命的な欠点。 『FF』もそうだったけれど、所詮は「CGでここまで出来るようになりました」ってレベルを越えられてないからなあ。唯一、CG作品をCGでパロったプリンセス・フィオナの『マトリックス』シーンは、ギャグのレベルとしては『最終絶叫計画』と変わりない。ここで「あえて『マトリックス』のパロディをやらない」というギャグに関しての厳しさがドリームワークスのスタッフには欠けているのである。でも、CMでこれを流しまくっているのはいかにもキャッチーだからなんだよね。商業論理が優先されている、というのは、そういうことなんである。
アニメと言えばディズニーというイメージに挑戦した作品はもちろんこれまでにも世界各国で作られていて、本作はそれらの集大成であるとは言える。けど、それはまあ親切な解釈で、悪く言えば既成作品の稚拙なパクリとも言える。 ドラゴンとの城での攻防戦は、構図や演出面から言っても、『やぶにらみの暴君』や『長靴をはいた猫』にインスパイアされていることは明白だし、ロビン・フッドのミュージカルシーンなんかメル・ブルックスの『ロビン・フッド キング・オブ・タイツ』そのまんまだ(『アリババと40匹の盗賊』も入ってたな)。 もっと言っちゃえば、おとぎばなしのパロディならば、テックス・アヴェリーの方がよっぽど切れ味のいいギャグを何十年も前にやっている。「赤ずきんが実は○○」とかな(^o^)。「お姫さまが実はお転婆」なんてこんな古臭い設定でパロディになると考えてるんだったら、パロディという手法自体、舐められたもんだなあ、と鼻白む思いさえする。 つまり、ディテールを見て行くと、そのほとんどが反ディズニーの既成作品の寄せ集めになっているわけで、その点では芸がないと断ずるしか仕方がないのだ。
確かに、ドリームワークスのアニメ部門がこれ以上失敗できない苦境に立たされていた、というのはわかる。 『キング・オブ・エジプト』が成功したとは言い難いこと、セルアニメ(厳密には手描きではないけれど)だとウリがないことなど、それらの点を考慮してのフルCGという選択は確かに間違いではなかろう。 実際に本国ではディズニーの『アトランティス』を蹴散らして大ヒットしているそうだから、「どうして手描きアニメにしなかったのか」なんて批判は野暮だ。そんな風に野放図に言い放ったところで、「それじゃ客は来ないよ」、の一言で済まされてしまうだろう。 でも、結局それって、「本当に面白い映画を作ろう」という思いからはほど遠いのは否定出来ない事実だろう。 同じネタで、日本のスタッフが作れば、ずっと面白くはなる、それは確実だ。。しかし、そうなると今度は毒が強すぎて、アニメ慣れしていないアメリカじゃ逆に受けなくなるように思う。でも、原恵一や大地丙太郎が監督した『シュレック』の方が10倍は面白くなると思うんだけど、それだったら見てみたいと思いません? 既に『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの冒険』(こっちは本郷監督だけど)にそういう要素はあったけどね。
ファークアード卿の悪役ぶりの見せ場が少なく(コイツがまた「やぶにらみの暴君」ソックリ)、ラストが盛りあがらないこともあるし、物足りなさはやたら感じる。オチもまあ、『美女と野獣』に反発すればああなることは予測がつく。つまるところ、「映画を見てビックリ」というワクワク感はあまり感じられなかったのだ。 けれど、作画、演出、テーマの全てに渡って、これまでディズニー一辺倒でクソ駄作を乱発してどん底状態にあったアメリカアニメが、その呪縛から解き放たれて、ようやく鑑賞に堪えるアニメを作り出した、という点は大いに評価しなければなるまい。というか、アメリカ人にもディズニーに飽き飽きしてた人間も多かったんじゃないか。『パワーパフガールズ』のヒットと『シュレック』のヒットは、明らかに連動しているのだ。 私の場合、似たような映画をこれまでやたら見ちゃってるせいで新味を感じないだけで、素直に見れば退屈することのない佳作なんである。 日本じゃ本国ほどにはヒットしてないみたいだけれど、日本にも「ディズニーって、夢があるから好き」なんて目をうるませてる藤○朋○みたいな○○○はいるからねー、そういうやつらにはぜひ見せたいアニメだったりするのだ。 しげに感想を聞くと「まあまあ」。 まあ、そんなとこだろう。
今日もラーメンスタジアムに行ってみようかと思ったが、既にホールが人で溢れ帰っていて断念。けれど、これは明らかに「反博多ラーメン」の機運が高まってる証拠じゃなかろうか。 アンケート結果で、優勝するのは果たして博多ラーメンかその他のラーメンか。どこのらーめん屋に行ってもとんこつ細麺しかないって偏ってる状況を打破してくれそうな気配は確実に感じる。
でも、食い損なうと昼飯にはラーメンに拘りたくなるのである。 ウチの近所のベスト電器を回って生ビデオテープを買いこんだあと、ウチの一風堂に立ち寄る。 気がつかなかったが、しげと二人でここに来るのは初めてだった。私はときどき一人で食べに来てたんだが。 「なん、いつの間にアンタ、来とったん」 とウラミがましい目で見るしげ。でも私はしげだって、私に隠れていろいろ美味しいものを食べてることがあるのを知ってるので、聞き流す。 広い通りに面しているとは言え、筑紫通りから横に入ったところにあるので、それほど混んでないんじゃないかと思っていたらアテが外れて、こちらも昼どきで満員、10分少々待たされた上に、学生らしい男ふたり連れと相席である。 真向かいにいるからどうしても二人の会話が聞こえてくるんだが、やっぱり話題は「ラーメンスタジアム」。 片方は横浜のラーメン横丁かどこかにも行ったことがあるとかで、「やっぱり横浜は美味い」なんて喋ってる。意見は意見としてわかりはするんだが、ラーメン屋の中で他のラーメン屋の話をするってのは、礼儀としてしないって感覚がこの人たちにはないのかなあ。メシに毒でも入ってない限り、その店の中でその料理の悪口は言わないってのは、誰にでもある常識だと思ってたんだが、今どきはそうでもないのか。 ここのラーメン、麺の固さやスープの味が選べるので、とんこつ嫌いの私でもまあ、食べられる。たまには濃い味が食べたくなることもあるので、辛口を頼むが、やっぱり水を大量に飲まないと「舌にもたれる」。 岡田斗司夫さんも一風堂には来たことあるそうだけれど、舌に合ったのかなあ。
休日を堪能しようと、帰宅して、買ったままでまだ読んでない小林よしのりの『戦争論2』を探すが、見当たらない。 ウチはともかく既に本棚に収納スペースがなく、床がどんどん平積みの本で侵食されて行っているので、どこに行ったかわかんなくなることが多いのだ。 あちこち探して、ソファーの上にとっ散らかったしげの上着やら下着やらの中に『……2』と書いた本らしきものの背表紙が見えて、「あ、こんなところに!」と取り出してみたら、それはしげが買ったばかりの『螺旋回廊2』というエロゲーであった。 ……たいして中身に差はないかもしれんが。
DVD『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』見る。 オタク的に細かいことを言うと、「地底怪獣」と書いて「バラゴン」と読むのが正しい(^^)。 ついでに言うと、どこぞのライターが「怪物を、もともとは博士の名前である『フランケンシュタイン』と呼ぶようになったのは、この映画のせいではないか」なんて書いてたが、この混同は既に本国の『フランケンシュタインの花嫁』のときから始まっている。タイトルロールの「花嫁」ってのは理屈で考えると、博士の花嫁なんだけど、たいていの観客がエルザ・ランチェスター演ずる「怪物の花嫁」のことだと思ったのだ。 しげは額が広いので、昔「フランケン」と仇名されてたそうだが、これも正確には「モンスター」と呼んであげなくちゃいけない(^^)。 こんなどーでもいことに拘ってるから、オタクは嫌われるんだけどもな。特に女の子に。 最近、某チャットで、それと気づかず中学生の女の子と会話しちゃったんだけど、初手から「私、オタクって嫌いなんです。すぐ自分の考え押しつけてくるから」と言われて、「オタクにもいいオタクと悪いオタクがあるんだと思ってください」なんて言い訳をして、自己嫌悪に陥ってしまった。 オタクにいいも悪いもあるかい(-_-;)。女の子に嫌われたって、「オレはこれが好きだ!」と自信をもって叫ぶくらいの気概がなくてどうする。全く修業が足りんことである。 いわゆる劇場版と海外版の2種類があると巷間伝えられる『フラバラ』(あまりこの作品省略して言う人いないと思うがめんどくさいんでこう略す)だけれど、今DVDのリーフレットで、ようやく「海外版と言われているが実はテレビ放送されたもの」との解説が入る。実際、劇場公開を見ていない私はこれを何度となくテレビで見ているのだが、そのたびごとに「海外版のみ」と言われるオオダコとの対決で終わるので、「なんじゃこの唐突なラストは」と不審に思っていたのだ。 実際に「幻」だったのは、劇場公開のタコなしバージョンだったのである。実際に目にして見ると、結末の座りがいいのはやっぱり劇場版の方である。バラゴンを倒し、勝鬨をあげながらも業火の中、地割れの中に沈んでゆくフランケンシュタインの哀れさは涙をそそる。ガッツポーズ取ってるヒマがあったら、さっさと逃げりゃいいじゃん、というツッコミは置くとして(^_^;)。 オタクならば先刻ご承知、本作には『サンダ対ガイラ』という日本特撮史上屈指の名作と言われる続編が存在する。アメリカとの版権が切れなきゃ、多分更なる「フランケンシュタインシリーズ」が作られた可能性もあるんだろうけれど、二作で終わっちゃったってのはちょっと残念。
滞っている日記の更新を頑張る。 横目で見ているしげが「10行ぐらいで書けばいいじゃん」と言い、私も納得はしているのだが、「ただこういうことがあった」だけじゃなくて、どうしても「ディテールを書きたくなる」のが人情というもののだ。 しげの言動なんかも細かく書いていったら、今の文章の十倍は笑えるんだが、いかんせん、分量も今の十倍かかる。 短くしてもどうしてもこれくらいはかかっちゃうのだ。 まあ、性格だと思ってください。
オタクアミーゴスの総合パティオを覗いてみると、唐沢俊一さんから、この日記の記事の一部を削除したことについてご返事がある。 オタアミ当日の唐沢さんの言動を私が日記にアップしたことで、ご迷惑をかけたと言うのに、唐沢さんは「気にされなくていいですよ」と気遣ってくださっている。つまりは唐沢さん本人の気持ちは問題ないのだが、周囲がちょっと騒いだ、ということらしい。 だからといって、いったん削除したものを再アップする気はないので(それなら最初から削除はしない)、その旨更に謝罪のご返事を書きこむ。 唐沢さんの「悪口」は芸の一つでメチャクチャ面白いので、それを世間にご紹介する誘惑に打ち勝つのはなかなかに難しい。実際、「こりゃさすがに書けんわ」ということでオミットしているネタは、ほかにも数限りなくあるのである。しかし、世間には、悪口言われて本気で怒るココロの狭いやつがゴマンといるからなあ。 悪口を許容できない社会というのはタブーが多い社会、つまりは未開社会であり、差別的な社会だということになるのだが、全く逆に捉えてる人も多いのだ。 みんなで悪口が言いあえる優しい世の中にしていきたいけど、被害者の味方面したファシストがやたらいやがるおかげで、この国は随分キュウクツになっている。 この日記で伏字しつつも悪口を書いていってるのも、そういう「自由な雰囲気」を作って行きたいからなんだけど、道はまだまだ遠いなあ、という感じなのである。
2000年12月29日(金) やっと年末
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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