無責任賛歌
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| 2001年12月13日(木) |
寝寝寝寝寝/DVD『エイリアン9』vol.3ほか |
はっはっは。 朝起きたらちょっと自分が狂ってることに気がついたんで、仕事休んじまったい。 って、こんな書き方したらシャレにならんなー。 要するにからだのバランスが狂って、仕事に行ってもシャレにならん失敗しそうなんで、休むしかなかったってことなんだけどね。 朝起きたら、全身がダルくて生汗がダラダラ出てて、しかも下痢が止まらんという状態だったんで、このまま仕事に出かけていたら多分職場でしかぶって(←博多弁でウ○コをおもらしすること)いたことであろう。
あたまがふらふらしているので、あー、それもいーかなー、しごとばでぶりぶりもらしたりしたらそしたらもうしょくばからもあいそつかされるしゆっくりまっしろなおへやでずーっとずーっとやすんでられるもんなーとかかんがえたりしてたりしてたりしてたもんで、だいぶおかしくなってきてるなーってじぶんでもわかっているのでやすんだほうがいいよーってもうひとりのわたしがいったの。
……大丈夫か、おれ(^_^;)。 初めは1時間くらい休んだら出かけようと思ってたんだけれど、内容物全部出しきってるはずなのにワキバラがキリキリ痛むので、「すんません、一日休みます」と職場に電話。 電話に出たのは上司ではなかったが、「お大事に」という言葉にイヤミがないのを聞くと、誠に申し訳ないという気になる。 つまりは今まで私の病気に関しては散々イヤミばかり聞かされてきたってことなんだよなあ。ふと振り返ると、ああ、脳みそが沸騰しそうな思い出があれこれと……。 私の職種は、ノイローゼでやめてく人間が毎年ン千人もン万人も出ると言われるくらい苛酷な仕事なんである。で、その原因ってのの筆頭に挙げられてるのが「職場の人間関係」。 ……殺伐としてるよー、マジで(-_-;)。 考えてみたら、私のように繊細でナーバスでビビッドな神経の持ち主がこんな職場に今まで勤めてこれたというのは奇跡に近いのである。 そのせいで、ほんのちょっとした優しさとか、いたわりの言葉とか、そんなもんにえらく敏感に反応するようになってしまった。 私がしげと結婚しちゃったのも、しげの全くの気まぐれの本人はたいした意識もなく何気なく言ったたわいもない言葉が、えらく私の疲れきったココロを打っちゃったってことにあったりするのだ。 若気のいたりってあるよな(^_^;)。
とゆーわけで、今日はたいしたことが書けません。 いや、元気なときだってたいしたこたあ書いてないが。
DVD『エイリアン9』vol.3「夏休み ボウグ 絶命」。 前回、恐怖心からエイリアンのみならずボウグまで殺戮してしまったゆりの夏休み編。 というわけで、エイリアンってなんなのかとか、なぜ小学生にエイリアン退治が任されてるのかとか、そういうメインのストーリーが全く語られないのに、ちょっと意表を突かれた。 富沢さんの原作は『ミルククローゼット』でもそうだったけれど、ドラマの中で設定を説明するってことを極力拒否したマンガを書く人なのだが、これはちょうど我々が古典文学を読むのとよく似ている。 古典の作者は、今の時代の人に向けて「未来のあなた方には分らないでしょうが、これはこういうことなんですよ」なんて解説してくれないし。 「解説」が入るとドラマがだれるってこともあるんだろうけれど、そりゃ確かに『ガンダム』でも「ミノフスキー粒子」の説明なんて一切しなかったし、『エヴァ』に至っては謎を残しまくりだったけれど、まさか1巻使ってのほほんと夏休みお遊び編やるとはなあ。ドラマ展開を1回遮ってまでも小学生のスクール水着を映像化したかったのか(^_^;)。 しかしアニメーション技術の点から見ると、この『エイリアン9』、現在、世界のアニメを見渡してみても、ほぼ最高レベルにあるといっていい。 あの、斜め上からのアングルで、人が椅子に座る動きを、その重量を感じさせるように描くって、どれだけすごいことか、ご理解いただけますでしょうか。こういう日常の細かい描写が実はアニメの最も不得意とするところなのだが、それをサラリとやってのけてんだものなあ。 すげえぞ、GENCOにJ.C.STAFF(『ウテナ』や『エクセルサーガ』作ったとこだな)。 これで原作の絵がもちっとよけりゃなあ。 かわいいけど、キャラの描き分けが出来ないのはマンガとしちゃ、どう言い訳したって下だもんなあ。
マンガ、倉田真由美『突撃くらたま24時 〜東京デンジャラス探訪〜』(白夜書房・900円)。 ここしばらくアタマがぼんやりしてるし、更新遅れて一週間前の記憶を今書いてるしで、この本もいつ読んだか記憶にない。 もう感想書いた気もするが書いてない気もするのでとりあえず書く。 もしどっかに書いてたら読者の人教えてくれ。もう過去の日記読み返す元気もないでな。 もう三年くらい前に『ブブカ』で連載してたっていう『だめんず・うぉーかー』ブレイク以前のくらたまさんの突撃ルポマンガ。でもオビでさいばらりえぞう師匠が「くらたま! ぬるい突撃ばっかやってんじゃねーよ!!」と書いてる通り、最初のうちこそ多少はSMパーティでムチ持ったりしてたが、ねるとんパーティで出会った彼とは面倒くさがってバックレちゃうし、石原裕次郎13回忌は行列の多さに取材を途中でやめちゃうし、確かにヌルい。いしかわじゅんが言うほど「才能がない」とも思わないが(西原理恵子と比較するってのは、そりゃアンタ、「手塚治虫に比べて才能がない」と言うのと同じだってば)。 まあ、結婚前の(すぐ離婚したけど)痩せてたころのくらたまさんのグラビアをが見られるのがウリなのかな、この本は。 自画像と違って美人です。 それはそれとしてびっくりしたのは、実はくらたまさんが○○○の○○○○○○で、実は私も○○○○で○○○○○○○○○○○ので、○○○○○○○○れば、くらたまさんの○○○○○○を○○○○○○○○のである。ということは、○○○○の○○○○○ると、くらたまさんと○○○○○○○○○○○○○できるかも……。うふふ♪ 伏字にするとなんかすげえイヤらしいことがあったように見えるな(^o^)。 ああ、でもこういうのも縁というのだろうか。
2000年12月13日(水) 小山田いくの模写もできます/『まんがサイエンス7』(あさりよしとお)
| 2001年12月12日(水) |
鶏は卵を音を立てて生む/『獣星記ギルステイン』2巻(酒井直幸・田巻久雄) |
物まねの江戸家猫八さんが10日、心不全のため死去。享年80歳。 なんかまた訃報が続いているなあ。 代表作のように言われている『お笑い三人組』はうろ覚えの記憶しかないから、やっぱり印象に残ってるのは映画『お葬式』の不気味な葬儀屋だったりする。 いや、もちろんものまね芸はちょくちょく演芸番組で見てはいたが、ドラマの中でその芸を披露することは少なかったから、若い人の中には猫八さんの芸を見たことないって人もいるんじゃないかなあ。 今のテレビのバラエティがほとんどクソになり果ててるのは、こういう方々の芸の面白さを紹介する時間を設けてないってとこにも原因があることは確かだ。それに対して憤りを覚えてる一般視聴者がいてもおかしくないと思うんだけど、そんな意見がテレビ雑誌なんかの読者コーナーに載ったりすることもないよねえ。ホンモノの芸が見たいって思ってる人なんて、もういなくなっちゃったってことなのかな。 今度の紅白にはドリフが出る。 ドリフだって、私たちの世代に言わせればクレージーキャッツの足元にも及ばないんだけど(なのになぜかしげも同意見だが)、それでも今『ドリフ大爆笑』の再放送なんか見ると、みのもんたが出るバラエティもどきに比べりゃはるかに面白いんだものなあ。 猫八さんの芸はもう忘れられていたと思う。 ご本人がドラマの中でその芸を見せることを避けておられたようだが(それは訳者に徹するという清廉な態度ではあったろうが)、演出家にもっと頭があれば、ごく自然な形で猫八さんの芸を披露する脚本、演出も書けたのではないか。 実は私は監督としての伊丹十三をあまり評価してないんだけれど、それは毎回「喜劇」を作っていながら、あの人が俳優に要求していたのは、「演技」であって「芸」ではなかったからだ。 何が言いたいかっていうとさ、つまり、あれだけの役者揃えていながら、『お葬式』は「マルクス兄弟の喜劇」にはなりえていなかったってことなのね。一人一人の演技に「芸」というか「花」がないわけ。猫八さんの使い方もそうだが、菅井きんにあんなフツーの長ゼリフ喋らせてどうする。伊丹映画、どれも詰めのところで工夫がないのだ。 ……なんか猫八さんを悼む文章になってないね。すみません。 付け足しみたいだけど、鶏が卵を「ぽこ」って音を立てて生むという表現を世間に知らしめた(もちろんウソだけど)猫八さんの業績を最後に褒め称えておこう。……だって、ネット見ても、モノマネの芸自体に触れた追悼文が見あたらないんだもん。
ここんとこ、またワイドショーあたりでは話題らしい田代まさしの逮捕。 ただのノゾキかと思ったら、覚醒剤も押収されたとか。 勝手な憶測だけれども、前回の盗撮事件より前からクスリはやってたんじゃないかなあ。まともな神経持ってたら、謝罪しなきゃなんないときに、「ミニにタコができる」なんてギャグ、飛ばすわけないもんなあ。 ニュースはどこも「復帰はもう絶望」発言を繰り返してるが、そう言いつつ復帰した芸能人、腐るほどいると思うがな。いや、復帰がいけないと言いたいわけじゃないのよ。マスコミはホンネでは別に田代まさしがどうなろうと気になんかしちゃいないんだよね。ニュースになるから報道してるだけでさ。そのくせ、言ってることは妙に正義派ぶってて、キャスターたちが「復帰させるべきではない」みたいな態度を暗に匂わせてるのがどうにも気に入らないのよ。 田代まさし本人については悪い印象は持っちゃいない。芸なしだけど(^_^;)。 あの田代さんのノリってのは、言っちゃ悪いけど、クラスなんかでちょっと面白いやつがいて、結構みんなにウケてるんで、調子に乗ってシロウト参加ショーに出たら、またこれが結構ウケたっていう程度のレベルなんだよねえ。 そこが昔から痛々しくて、だからこそ嫌いにはなれなかったんだけど、もう十年昔だったら、シャネルズとしてはともかくも、コメディアンとしてはまずデビューできてない。もともとゼロだったんだって思い切れれば、更生することだって可能だと思うけど、芸能界の甘い汁吸っちゃってる人間で第2の人生送れたって人、そうそういない(吸い損なった人ならまだ戻れるんだけどね)。 なんかもう、無理しないで、ゆっくり養生しろよって言いたくなるけど、そう言ってあげらける人ももう周囲にはいないんだろうなあ。なんかもう、この人に関するニュースは見たくないな。
しげ、体調が優れないらしく、車での送り迎えが出来ない。 それで雨の中を濡れながら帰る。 電話口でのしげの息遣いがいかにも苦しそうだったので、「ボナペティ」に寄って、クリコロッケ・鶏肉・焼きビーフン・カツトジ・茄の肉詰めなんかを買いこみ、更にミニストップで栄養剤も買う。
ところが、帰ってみればしげは、昨日買ったパソコンデスクを元気に組みたてている。 ……なんだったんだよ、あの電話口でのタメイキ混じりの声は。 しかもどこかに置き忘れてきたのか、大枚はたいた栄養剤千円分がない。うわあ、ミニストップか乗って来たタクシーの中かどっちかに忘れてきたか。 ああ、もったいない! もちろん、悪いのは私なんだが、ヘラヘラ笑いながらデスクを組みたてているしげを見ていると、なんだかどうにもムカムカとヤツアタリしたい気分になってくる。 実際にはあとでしげが3倍返しでネチネチ文句つけてくるのが解りきってるから、やんないけど。 しげ、要領が悪くてなかなかデスクをセッティングできない。 「はあーん」「ほわっ」「ひえーん」と情けない声をあげ続けるので、うるさくなって仕方なく家具の場所移動を手伝う。 しかしこのデスクにパソコンが鎮座ましますのはいつの日か。
11日(火)の唐沢俊一さんの日記を読んで、オヤッと気付いたことがある。 すずきぢゅんいち監督の『ひとりね』にからんで、珍しく(と言ったら失礼か)唐沢さんがマジメに映画を論じていたのだ。 「映画監督は裏方なのである。観客になって楽しんでしまってはいけない。いや映画に限らず、全ての創作において」 小説で例えるなら、シャーロック・ホームズよりコナン・ドイルが前に出てきちゃいけないってとこだろうか。この批評が「マジメ」だと言うのは、日頃、唐沢さんが主張されている「“裏”モノ」としての姿勢と真っ向から対立する概念を提示されているからだ。 その裏方たるべき監督が、観客になって楽しみ、つまんないトンデモ映画を作りまくった代表的な例が、あのエド・ウッドだったりする。それに、唐沢さん自身、『すごいけどヘンな人』で取り上げた人々は、みんな出しゃばりばっかりだ。 現実的には、監督が出しゃばろうが出しゃばるまいが、その作品の客観的評価とはあまり関わりがない場合が多い。評価が高くなるか低くなるかは、観客のその時代時代の感じ方のムーブメントに左右される面が大きいのである。 唐沢さんの書かれていることは「創作者の心得」を表したスローガンである。だから間違ったことを言ってるわけじゃないんだけど、これは結局、唐沢さん自身の自戒の念として書かれているんだと解釈するのが自然であろう。 つまり、唐沢さんは、「自分は“裏”モノを観察することは好きだけれども、“裏”モノそのものにはならないぞ」と言っていることになるのだ。 ……当たり前か。ミイラ取りがミイラに、バードウォッチャーがトリさん自体になっちゃ、話にならんからねえ。っつーか、破滅するって(^_^;)。
マンガ、酒井直幸原作・田巻久雄作画『獣星記ギルステイン』2巻(小学館・560円)。 新登場キャラはサラの兄、ミハエル。 いかにもアニメ化を狙ったような美形キャラ&コヤスなセリフ回し(←やたら「タメ」の多い某声優さんのこと)なのはご愛嬌だが、こういう激悪なやつにはそういうカッコつけが実に似あっている。好きなんだよなあ、「私は滅びぬ!」なんて、打消しの助動詞だけ古語で喋るようなやつ(^o^)。1巻読んだときにはリアル路線で行くのかと思ってたけど、そうでもないみたいね。結構ケレン味たっぷりの話になるんじゃないかな。 声優さんが誰になるかは知らないけど、是非コヤスでお願いしたい(^^)。 で、案の定こいつもギルステインで、未だ自身をコントロールしきれていない伊織を翻弄するのだ。おかげで伊織、ナイスバディのヘレナさんに、あんなことまでしてしまうし(^_^;)。 どんなことをしたかは、マンガを実際に読んでみよう。
2000年12月12日(火) モロボシダンは不滅だ!/ドラマ『ウルトラセブン・果実の熟す日/約束の果て』
| 2001年12月11日(火) |
夢の宮崎で盆踊り/『伊賀の影丸/邪鬼秘帖の巻(下)』(横山光輝)ほか |
朝、いつものようにしげに車で送ってもらおうと思って、寝ているしげを起こそうと声をかける。 「おい、行くぞ」 しげ、細目をあけて泣きそうな顔になって言う。 「……ダメ、ムリ」 その表情が真剣だったので、私も何かあったのかと不安になる。 「何? 具合が悪いか?」 「……宮崎なんて行けん」 「……はあ?」 「あんた今日、宮崎まで出張やろ? 道わからんし、行ききらんよ」 ……息を整え、しげを小突いてヒトコト。 「夢と現実、ごっちゃにすなっ!」
時々この日記にも書いてることだが、しげはしょっちゅう夢であったことを現実と錯覚するクセがあるのである。寝起きの時はもちろんだが、ヒドイときになると起きてパッチリ目が覚めてるときでも、「アンタ、私を苛めたね?」とか、身に覚えのないことを言ってくる。 私自身も記憶力には自信がないほうなので、あまりしょっちゅう言われると、ホントにそんなことしたかなあ、という気になることだってあるんで迷惑なんである。 ……しげの妄想の中じゃ、プロポーズしたのも私からってことになってるしなあ。 月の下、二階の窓辺のしげに向かって、私が下の道から愛を囁いたって言うんだが、そりゃ『ロミオとジュリエット』のシチュエーションそのまんまやないけっ! 実際はしげの方からコクられてんだけど、それ認めちゃうとしげの心の中では私に対して「負け」を認めたことになるらしいんだな。 なんでやねんって(-_-;)。 10年先には真実はしげの負けず嫌いの妄想の前に覆い隠されてしまうのかもしれない。
ああ、なんで「宮崎」かってのも見当がつくぞ。 多分、「シーガイアに行きたいなあ」くらい考えてたんだろうなあ、それ以外に「宮崎」の風物なんかしげは知らんだろうし。
またぞろなんだかカラダがだるくなってくる。 昨日の日記に、「1時間早く帰った」と書いたが、早く帰ったのは今日だった。昨日は一応頑張って就業時間ギリギリまでいたのだ。 いや、更新が遅れているせいで、一週間前の日記を今(12/17)書いてるもんでよ、記憶も大分混乱してるんだよ。 読んでる人には「昨日だろうが今日だろうが、テメーの行動なんか、いちいち気にしてなんかいね〜よ」と突っ込まれそうだが、多少の脚色や演出はあれど、ベースとなる事実は抑えときたいのである。それがいわゆる“虚実皮膜”ってやつなんで。
で、しげに「どっか手っ取り早く栄養補給できるところに連れてってくれー」と頼みこんで、またゼイタクにも「すし大臣」に寿司を食いにいく。 これでまた数ヶ月は寿司はガマンしよう。 食い納めのつもりで食うので、前回は食わなかったウニも食う。 ここのウニは美味い。 そらもう、そんじょそこらのスーパーで売ってるようなアルコール漬けのウニとは比べものにならんほど美味い。 けれど高い。 そらもう、そんじょそこらの寿司屋のウニと比べても、なんでこんなにと言いたくなるくらい高い。二カンで850円だぜ、オイ。 「新鮮さを保つため、少なめに回しております」ということなので、回転してくるのはカンピョウ巻とかそんなんばっか。 それで回転寿司と言えるのか、と言われそうだが、もともとこういうネタ勝負の店は回転式にしたくはなかったんじゃないかと思うんである。けれど、実際、イマドキの若いもんの中には、職人さんの「へい、らっしゃいっ!」て掛け声が怖くて寿司屋に入れんというような(しげだ)アホンダラも増殖してるんで仕方なくそうしてるんじゃなかろうか。 というわけで、ウニは頼まねば来ない。 ウナギもトロも、サーモントロも流れて来ない。 全部500円以上だ。 でもカラダがダルいとその分なんか思いきり散財したい気分になるんで、思いきって注文する。 ついでに新発売というカニ汁も。 美味い。どれも死ぬほど美味いーいいいっ! けれど財布は思いっきり軽くなっちゃったのであった。
しげはいいよなあ。 タマゴサラダ一つで満足出来るんだから。 「高いの食わなきゃ量を食えるのに」 って、だから寿司ってのは質より量なんだよっ!
しげが哀願するような目をして、「ねえ、GOODAY(←近所のホームセンター)に寄っていい?」 と聞いてくる。 しげがこういう甘えるような目をしたときには大抵高い買い物をしたがっているのだが、案の定、目的はパソコンデスク。 ぴんでんさんからパソコンを譲ってもらうことになっているので、先に机だけ買っとこうってんである。 そりゃ構わんのだが、さっきのウルウル眼は、つまり私に運んでくれと言うわけだな? だから、私ゃ具合が悪いんだっちゅーとんのに(-_-;)。 実際、手に力が入らないので、しげに「そこの端を持って」と言われても、たいした役に立たない。ほうほうの体で二人して部屋の中に運びこむ。 「組みたてはまた明日にでもしてくれ」と頼んでぶっ倒れる。 早いとこカラダが回復してくれないと、しげにこき使われ殺されるな(T.T)。
マンガ、西岸良平『タイム・スクーター』(双葉社・300円)。 今や手に入りにくい西岸氏のSF短編を復刻してくれるこのシリーズ、ありがたいことはありがたいのだが、初出を一切書いてくれないのがなんとも隔靴掻痒である。 なにしろ絵柄があまり変わってない人だから、これらの短編が果たして70年代に書かれたのか90年代に書かれたのか、それすらも区別がつかないのだ。 「宇宙戦艦ムサシ」なんてギャグが出てくるところを見ると、70年代後半かなあとも思うのだが(80年代に入るともう恥ずかしくてパロれんだろう)。 まあ、そういうちょっと外したギャグはともかく、西岸さんの『三丁目の夕日』などで見せているノスタルジーが、実は現実の社会への絶望に裏打ちされているものだということが、これらの短編から見て取れるのだ。 『キリコ』なんか、超能力少女が精神病者扱いされて閉じ込められているなんて身もフタもない設定から始まっているが、特筆すべきは彼女の見る幻影だ。『夕日』シリーズだって、時々「悪夢」がモチーフに使われるが、ここに描かれる「幻覚」のイメージは、ひたすら血みどろで、残虐の一言に尽きる。 許せてないんだろうなあ。 西岸さんには、現代がやはり、虚飾に彩られた醜い世界にしか見えていないのだ。だから時折発表する短編には、その「幻影性」を象徴するような表現が多々現れる。 それはいささか平板な表現で、多少説教くさくはあるけれど、西岸作品を「現実を否定したノスタルジー」だと思いこんでいる人には、ちょっと冷水を浴びせかけるような効果を挙げていると思うんである。
マンガ、横山光輝『伊賀の影丸/邪鬼秘帖の巻(下)』(秋田書店・300円)。 影丸たち公儀隠密、秋月藩乗っ取りを企む黒木彈正に雇われた阿魔野邪鬼たち辻斬り浪人と、忍者軍団土蜘蛛党、三つ巴の戦いも終局。 そりゃ最終的に勝つのは影丸ってことはわかりきってるし、ヒーローってのはたいてい性格が真っ直ぐ過ぎて、イマイチ個性がないんだが、それを補ってあまりあるほどに他のキャラクターたち、死んでいく浪人や敵忍者に個性があるのがもう楽しくて仕方がない。 以前、横山光輝キャラ総出演の『ジャイアント・ロボ』というアニメシリーズが作られていたが、『鉄人28号』『魔法使いサリー』『仮面の忍者赤影』『バビル2世』『マーズ』『闇の土鬼』『水許伝』『三国志』などなどから、たくさんのキャラクターを持ち出してきていたのに、なぜかこの『伊賀の影丸』だけは無視されていた(マンガ版にはひとコマだけ出演)。 巻数から言えば『三国志』『鉄人28号』に継ぐ代表作なのにどうしてこれだけオミットしたんだか。 誰もが指摘しているように、横山さんのキャラクター造型の魅力は徹底的なパターン描写にある。表情、ポーズともに、この場面でこういう感情のときにはこんなアングルでこう描いて、というのが全て決まっているのだ。 そういうマンネリでありながらツマラナクならないのは、ドラマのツボを横山さんが抑えているせいだろう。「ここで邪気が『フフフ』と不敵に笑いながら出てくるぞ」という期待感、これは歌舞伎を見るのと同じ感覚だ。 古臭い手法かもしれないが、こういうケレン味を今の漫画が忘れがちであることも指摘しておく必要、あるんじゃないかな。
2000年12月11日(月) デジタルビデオ、どれがいいか?/『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』5巻
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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