あなたは私を満たしてくれる。
私があなたを満たしてあげる。
でも、満杯にできるのは、全ての半分だけ。
残りの半分は、みんな、自分で埋めるしかない。
だから、あなたが居れば幸せだと言う訳でもないし、
私が居るからあなたが幸せな訳でもない。
誰かに幸せにしてもらおうとか、
誰かが居るから幸せだとか、そんな幻想や妄想を抱いているなら、
今すぐ捨てて。
それはただの自己破棄だと、気付けない人が、多い。
そんな人に、愛はあげない。
先日知り合いと飲みに行った時、ある同期の人に、
「ナナは子供嫌いそうだな」って言われた。
子供なんて大嫌い。…そんなふうに見えるらしい。
まぁ、悪い気は、しない。
と言うのも、世の中には“子供が好き”“犬が好き”とか、
小さくて弱くて可愛らしく、それでいて世話の大変な、言葉で制御できない
生き物に対して「私はそれらを愛しています」という態度をあらわにしながら、
気付かずに彼らの痛みの尻尾を平気で踏みつける人がたくさん居るからだ。
私は子供は別に嫌いじゃない。…けれど、子供も大人も、人は人なのだ。
そこに、成熟の要素は重要じゃない。要は、その人を好きかどうかだと思う。
本質的なものは、大人も子供も本来なら変わらないのだ。
子供は、良い事も悪い事も、事実は事実として吸収する。
それはある種の大人にとっては都合の悪いことでもあり、
またある種の人には愛すべき対象となる原因でもある。
私は、だから嫌いな人に要素付けられた失礼で心無い子供は、その親と
共に、嫌いである。愛を知らない子供は嫌いだとは、はっきり言っておく。
子供はみんな純粋で無垢だなんて、子供を甘く見すぎだと思う。
そう思っているから、人からは子供嫌いに思われるほうがラクで良い。
好きか嫌いかなんて、彼らと始終向き合って生活する立場にならなきゃ
解る訳もないのだから。笑いながら尻尾を踏む人種にだけは、ならないと良い。
人の心を最も傷つけるのは、言葉だと思う。
人の心を一番動かす事のできる物。
彼の言葉は、私の精神的に敏感な部分をざらざらした舌のように逆なでする。
同じように、私の言葉も、彼の心を細く、それでいて重厚に締め上げるのだ。
それは、一番エロティックで残酷な仕打ちだと思う。
幸いなのか不幸なのか、私と彼は、あんまり言葉を掛け合わない。
お酒を飲んで酔った時に、お互いの友人や知り合いを間に置きながら
少しの会話をするくらいで。…だから、電話をしてもあんまり話すこともない。
普段は一緒にいても、必要事項を話したりするだけで、大事な事なんか
何も言わない。私と彼の間にある、大事なものと言うのは、言葉の
キャッチボールや、意味のある会話ではなくて、それによる心の動かし合い
なんかでも無くて、何も言わないでお互いの身体に触れることだ。
あとは、少量の意味の無いギャグの行き来や、くだらないテレビゲームの
進み具合を話すくらいで。
それだけで、充分だ。だって、他に欲しい物なんてないんだもの。
言葉の威力をかりて、心を動かさなきゃいけないふたりなんて、
なんだか悲しいようにも思えてくる。
私は、クマのプーさんの一番最後の章で、クリストファー・ロビンが
プーに話す内容が、とても印象的で、好き。
「あのね、プー。これから僕がここに来なくなっても、君は“何もしない”
ってことをしていてくれる?」
「一番好きなのはね、誰か大人に、今日は何をするの?って聞かれて、
“何にも”って答えて外に出ることなんだ」
確かそんな事を言っていた。小学校にあがったら、“何もしない”でなんて
居られないからなんだよね。それは、大人になることでもあるし、
子供でなくなっちゃう、子供の自由さから離れて暮らすことでもある。
よく、子供の心を失わない人が好き、なんて言う人が居るけど、ずっと
子供でいられる人なんて、普通居ない。だれでも、いつかは大人に成るし、
大人になったら、色々な事に制約されて生きて行かなくちゃならない。
人はそのうち、感動したり、心動かすものですら、自分で作為的にこなさなきゃ、
涙もでないし、感動もしないようになって行っちゃうんだ。
それが嫌だから、せめて、言葉の威力をもってして、心を作為的に動かす
事はしないで置こうと思う。
とりわけ、一番側に居て欲しい、愛する人には。
プレゼントを貰う時、嬉しい気持ちの成分ってなんだか考えた事ある?
大抵の場合、欲しい物なんか、人にねだるまでも無いハズ。
本当は、その物を貰うのが嬉しいんじゃなくて、恋人が自分の為に
(ここ重要)労力をはたいてくれる、そして、自分に、それだけの労力に
見合う物をくれるというのが、嬉しいんだと思う。
だから、私は、恋人がプレゼントなんかよこさないと良いなと思う。
特別な日に、何か貰う事が、どれだけ重要なんだろう。
私は、それよりは、何もない普通の日に、優しくされるほうが嬉しかったり
するから。ただ、一緒に居れて幸せだって気持ちを、プレゼントなんかに
換算して欲しくない。
まだ、そう思えるから、良かったって思う。純粋なままで居られる。
いつか、何か特別な事があるたびに、何かをあげないと、
愛が表現できなくなったり、感じられなくなるのかなって思うと怖い。
妥協や維持ばかり気にするようになったら、恋はそこまでだろうなって、
何となく思う。
男の人の部屋に行った時、私は水周りを良く見る。
トイレの綺麗な人には、マメな人が多い。
それと、キッチンのシンクまで、掃除の行き届いてる人は
女の人でもそうそう居ないから、男の人の場合は言わずもがな、って感じか。
トイレやキッチン、お風呂などの水周りには、わりかし性格が出易い。
いつだったか、男友達の家に遊びに行った時、トイレに生理用のナプキンが
こっそり置いてあったのを見た。彼女が居るんだなぁって思って
なんだかドキドキしてしまった。
またある時は、別の男友達の家に遊びに行った時、何気なくキッチンを見て、
こなれた使い勝手になってるなぁって思った。どうやら、彼が料理好き
と言うのは本当らしいな。と、思った。
さすがにお風呂は滅多な事が無ければ借りないから、そこまで見たことは
無いけど、部屋がどれだけ綺麗かを見るよりは、キッチンとトイレを
見せてもらった方が早いと思う。
人の部屋をみるのは、好き。住んでる人の性格や趣味がちゃんと反映される
場所だから。楽しいのである。
永遠というものを求めるなら、
完全というものを求めるのなら、
最後の終着点はシだろうな。
生きていると、不思議に思うこと、悲しく思うこと、
どうしようもないこと、逃げ出せない心の場所から、
何時までも金縛りになって。全てが固まる。
…思考も、幸せも、時間も、発展も。
そして、
最初から何も無かったなんて思えなくて、
世の中はいつも不平等で、
そして自分はただ空っぽなだけで、
誰のことも大事に思えなくて、
人のくれる愛も信じられなくて、
世の中の不条理に戦う心も無くて、…って。
そんなことばかり考えてたら、辛いでしょう??
どんなに嫌だと思っても、それ以外の明るい希望も、どうでもいい気楽さも、
自分を生きたままらくにする方法も、何ひとつ考えられないのなら、
あとはもう、シヌ以外、ないね。
そうして全てから解放されて、全てを0にする勇気があるなら、
やってみりゃ、いい。そう言う人は、別に無理して生きること無い。
永遠や、完全なんて、最初っからどこにも無いのだ。
それが解ったら、生きてても良いような気がする筈だ。
飼えない子犬を拾ってくるのは、本当の優しさじゃない。
昔、小さな子供のカマキリを、自分で可愛がりすぎて
殺してしまったことを、未だに私は後悔している。
自分でそれを殺してしまった時、それまで動いていた柔らかく白い腹や、
薄い背中の羽、うす黄緑の半透明の身体も、とても好きだったのに、
死んでしまったあとは、ただの不浄な抜け殻で、魂の抜けた身体を、
呆然と握り潰していた私の手は、小さく震えて、力が入らなくなった。
どうせ殺してしまうなら、悲しみも苦しみも感じないように、
してあげられたら良かったのに。
どうして羽をもいだり、してしまうのだろうか。
残虐な子供の心は、良心など知らない。
私の中に、やさしい子供は存在しない。
身体や皮膚を傷つけないようにと思って、爪を切る。
爪も指先も本当は悪くなくて、ただ、爪は伸びると
身体を傷つけるから、そう思って、爪を切る。
だけど結果は、深爪になりすぎて、指先は、痛い。
思いもよらない所で、傷をつくってしまうこともあるという話。
これからの人生設計を考えた。
出来れば20代のうちに第一子を産んどきたい。
と、すると、私はあと6年以内に子供を作らないといかんことになる。
うーん。自信、ないなぁ…。
ようやく今年、大学を卒業するけど、来春からやっと働いて
社会人一年目なのに。
はたして6年で私は“大人”になるのだろうか?
年だけくっても、精神的に成長しなかったら、結局子供と同じじゃないか。
私は、いい年して学生なんかをやっている、ロクデナシなのだ。
志があって学生をやっているのなら、尊敬すべき人なのだろうけど、
勉強が好きな訳じゃないし、ただ、時間だけくって、何もしないまま、
大学もあとにする。
私は、こんなんで、本当に大丈夫なのだろうか。
なんだか、心配だ。
最近頭の中身が上手く起動しなくて、真っ白なタイムテーブル。
空白の予定が、今の私の体を動かしている。
ああしたい、こうしたい、でも今は出来ない。
だから、今は我慢するしかない。
毎日そんなことの繰り返しだ。
本当は、早くここからでて、私に無理に介入してくる様々の
他人や、肉親の見えない鎖から開放されたい。
私は私の自由なやり方で生きて行けたら、と思う。
だけど、自由は、それに相応する義務の上に成り立つものなので、
私はまだ、何処にも行く事が出来ないのだ。
…私だけじゃない。…あの人も。
頭のなかでは、構築されたいのに、されない、もどかしさを抱えた
欲求の構想たちが、空白のまま、静かに横たわっている。
どんなに好きだった人でも、過ぎてしまったら 過去の恋でしか無いのかも知れない。
中学の頃に好きだった人を忘れられないのは、彼らとは 何も、なかったからなのかも知れない…。
手をつなぐだけでドキドキしたり、側に居るだけで 声がうわずっちゃうような。そういう恋だったからなのかも 知れない。
あの頃は、キスだって、自分からしようって言えなくて、 行動に移す事なんて勿論出来なかったし、ただ、隣りの教室と 続いているベランダにでて、あの人の姿を見つけては、教室の窓辺に 引っ込んで目線だけ移してうっとりしたり、そんな程度で幸せだった。
だけど、私はもうあの頃の私じゃないし、キスも目をつぶるだけで 簡単に出来る。“しよう”って言うのも、可愛く言える。
だから、余計に、あの頃の恋は特別で、変える事が出来ないんだと、思う。
街も人も、恋も、過ぎた物は、過ぎたものとして、後は同じ事を、 違う相手と繰り返すだけだ。それにいちいち、恋だのなんだのって 名前を与えるのにも、もう疲れた。
同じ事を繰り返すだけなら、もういいや…って、何度も思って来たから、 だから、恋人になった人とは、その人と、「初めての気持ち」を 探すようにしている。それは、見つかったり、見つからなかったり、 見つかっても、初めての痛みだったりもするのだけど。
どの人とも、繰り返すだけの恋愛では無いとイイナと、思う。
本当は、書くのをずっと嫌がってた。 前の彼の話は、極力避けようって思ってたからだ。 それは、今の彼の手前というよりは、私の気持ちの問題であって。 元より、嫌いで別れた訳じゃなかったからなんだけどね。
彼に、新しい彼女が出来たのを知ったのは、実は結構前で、 その時、私は、自分のしたことは何処かへ置いといて、彼に対して、 良かったなって思う反面、やっぱりなぁ、という気持ちがあった。
…カッコいいから、きっとすぐに次の彼女が出来る筈って、 思ってはいたけど。本当は、心の中は複雑だった。
前までは、私のものだった手や、優しい言葉は、今度はその子のものに なるんだろうなぁ、…ってな事を、おぼろげに思った。
それが嫌なんじゃない。私は、彼に、新しい彼女が出来て、やっぱり 私じゃなくても大丈夫だって、思って欲しかったのと同時に、 私じゃない事をちゃんと知って欲しかったのと、ほんの少しだけ、 後悔してくれたらいいなぁ、と思っていたのだ。
勿論、もうやり直しは効かないけど、私が彼を好きだった気持ちに 嘘は無かったし、好きじゃなかったら、きっと我慢して付き合って 行けたんだろうなぁって、思ってるけど、あのまま付き合っていたら、 どうなったのかなぁ、って、考えたりは、する。
好きだけどどうしようも無かったら、…私はあのまま壊れていたんだろうか。 それか、心中か、夜逃げか。結局破局だったかも、知れない。 私は途中で降りてしまったから解らないけど…。その続きも、見たかった ような気は、する。
でも、ね。…今の方が、私は前も、先も、あの頃より見えてると思うんだわ。 行き詰まりの恋ではなくて、今は別に、急がなくても良い恋だし。
だから、きっと、あなたも幸せになれますようにって、今は思うよ。 私じゃ出来なかったこと、私じゃない人なら今度は簡単だと思うしね。 私も、あなたで無いなら、難しい恋はしなくて済むから、本当は、気がラクで いいんだ。これは、本心だけど。 あのとき、寄せ書きに書いた私のセリフ。ずっと、って言葉に棒線を引いた こと、許さないって言ってくれて嬉しかった。
それを聞いただけでね、付き合って来れて、良かったって本当に思えるんだ。 色々あったけど、大学を卒業したら、会う事も少ないだろうから、 安心してる。あなたとの恋は、まだ、私もひきずってくって思うけど、 それでも良いってすぎちんが言うから。それも、私は、嬉しいなって思う。 いつか、彼の為にあなたのことは忘れるでしょうね。
さよなら、さよなら。
書いたら、スッキリした。できれば、できるだけ、会うことの無いように…。 まだ、臆病物の、私。時々、こんなこと、考えてる。
一度だけ、こぼれそうなほどの星空を見た事がある。
星を、なんで星屑と言うんだろうとずっと思っていたけど、 街の明かりも、電灯も、月も細い、夜の空にある星たちは 本当に綺麗で、小さな砂つぶのような星がたくさん、たくさん、 本当は、宇宙にあるんだなぁって、そう思った。
星は、落ちて来そうなくらいある。
星屑でちりばめられた、ビロードみたいな黒い空と星を見ていたら、 なんとなく、宇宙を銀河っていうのが解った。
でも同時に、こんな星空を見るためには、明かりも、空気も、 生活に必要な物をどれだけ捨てなければならないんだろう? って考えて、夢と現実のギャップも気付かされた。
そんなことを考えると、単純に綺麗な空も、なんだか哀しさを 帯びて見えて、そんな時、人間のエゴを思ってがっくり、する。
物事や信念を貫き通すには、簡単な気持ちではやりきれない。 そんな気が、する。
雪は、降る時に音がしない。
しんしん、しんしん、けなげに積もる。
静かに優しく積もる雪のように、
いつか真っ白になって消えて行くと良いと思う。
私の記憶も、あなたの記憶も。
忘れたい事は、雪に埋めて、静かに記憶の埋葬を。
雪に閉じ込められた冬の日には、良くそんな事を
考えていました。
大きな窓から見える外の風景に目を細めながら、
いつか幸せになれるといいなと、微かに灰色がかる雲の上を見つめながら。
言葉は、結局役に立たないと、思った。
言葉は簡単に嘘をつくから。
大人になると、人は平気で嘘をつく。
本当の事だけでは生きて行けないから?
そうだ、それが世の中の処世術だ。
だけど、私は騙されやすい。
出来れば人を信じたい。悪い人などこの世に居ないと思いたい。
悪人には事情があると思いたい。でも、そんなこと、絶対ない。
今耳に届く、目に見える言の葉は、嘘の幹から芽吹いた葉なのか、
それとも真実の樹木の葉ですか?
お願いだから、私に嘘をつかないで。
出来れば、本当の事だけを知って生きて居たいんだ。
…そうか、でも、無理だね。
私がこんなに真実を追い求めるのは、きっと嘘の裏返しだからだ。
人に騙されやすいのは、本当は人を疑っているからだ。
ああ、気付いてしまった。それは、とても悲しい一瞬。
2001年11月01日(木) |
バカは死んでも治らない |
バカは死んでも治らない。
そりゃ、そうだ。
世の中、きれいな物だけで出来てる訳じゃない。
だからといって、汚い物だけしかない訳でもない。
どちらか一方を選べるほど、人は高尚な生き物じゃない。
それをいつまで経っても、理解しない。
解ろうともしない。そんな人は、バカだと思う。
バカは死なない。
死なない代わりに、周りの人に少しずつ不幸の元を分けて行く。
嫌われ者ほど長生きするのはそのせいかも知れない。
だけどそういうのを、世の中は許してる。神様は制裁を加えない。
人を判別して、分けるのは、人の仕事だからだ。
憂えちゃうよ。でも、涙は出ない。
世の中の、光と闇、昼と夜、善と悪、表と裏。
始りと終りは、いつでも背中合わせにあって、いつの間にか
すり替わっている。だから、ある人を批難する時、その人の裏側には、
批難した人に酷似した、自分の姿があって、バカはそれにも
気付かない。
色んな事、そう考えると、怖くなる。
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