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2004年01月28日(水) 誰そ、彼は
それは黄昏時にはまだ時間のある時刻だった。
昼間の陽射しが傾きかけて、かといって、落ちるにはまだ早い。
西日があたたかく、冬の街頭を染める時刻だった。
声をかけてきたのは彼の方だったけれど、彼に気付いたのはわたしが先だった。
この後のことを考えれば、なぜ黄昏時でなかったのだろうと、そんなどうにもならないことばかりを後悔し、責め立てる。
しかし、仕方のないことであった。
現実に、わたしは彼に遇い、声を交わし、冬の風の冷たさを言い訳に、そのまま近くの店に入った。
何年振りだろう。
わたしたちがまだ、制服を身に付けていた頃のことだから、十年近く、前のことになる。
「懐かしさ」では言い尽くせない想いがあった。
あの頃、わたしは彼を想っていた。
そして彼も同じ想いを持っていた。
けれどわたしは、彼を求めることなどはせず、彼は他の女に求められて、その女と懇ろになった。
恨んでなんかいない。
ただ、喪失感のみがそこにはあって、それはある意味、自己陶酔にもなった。
さめざめと、泣いたこともなかったけれど、どこか虚ろで、悟り切ったような気分にもなっていた。
少なくともそれは、十年前の話だ。
今、向かい合っているのは、もうすっかり「大人」と呼べる年齢に達した男女で、ある程度の貞操観を持ち合わせている一方で、醜悪の甘さも、知っていた。
指先が触れ合い、いつの間にか、店を後にした。
「寒いな」
彼が言ったその言葉だけが、妙に耳から離れない。
あたたかさを、求めていた。
わたしも、彼も。
肉体的にも、精神的にも。
「越えてはならない一線って、あると思うのよ」
そう言いながらも、既に身体はその一線を、多分越えていた。
「ごめんなさい」
不意に口を突いて出た言葉は、果たして誰に向けられた言葉だったのか。
刻は夕暮。
黄昏時にさしかかったとき、わたしたちは既に、他人へと戻っていた。
行き違う人の姿も朧気で、
「誰そ、彼は」
と向き合う人に尋ねる時刻。黄昏時に、ふたりは別れた。
本当だったら、この時刻に、逢いたかった。
わたしたちが、行き違うだけの、刹那の空気の共有。
本当だったら、この時刻に、逢いたかった。
「誰そ、彼は」
と、尋ねなければ、その人を特定できぬその、刻。
そうすれば、わたしたちは、擦れ違う人で済んだと言うのに。
あなただけは、裏切るまいと、誓ったのに…。
2004年01月26日(月) H・
普段勝ち気な女が急に神妙にして、「どうした?」と男に声かけられるのを待っている。
シニカルな仕草して、しゃがみ込んで、上目遣い。
何だっていうんだ?
救ってくれるなんて思ってんだろう?
甘いね。
確かにそんな女に、俺だって弱いかもしれない。
だけど条件付きだ。
「魅力あれば」の話。
鏡を見てからするんだな。
何でも思い通りになると思ったら大間違いさ。
「夢をみたのよ」
仕方なしに、女は話だす。
新しい煙草に火を点ける。
「あの人と久々に再会したの。あの人は結婚してたわ。ねぇ、あたし、思うんだけど、これはすごく象徴的だと思うのね。」
稚拙な言葉。
下品な口紅の色。
けれどそれが、誰かの好みだから。
「象徴的、ねぇ…」
夢判断は慎重に。
被分析者である夢見手は、決して自分の夢を解釈出来ないし、分析者に解釈のヒントを直接与えることは出来ない。
「ねぇ、あの人はもうあたしのものではないんだわ。他の人のものになってしまった。そして同時にあたしも、あの人に縛られる道理はなくなったんだわ。つまり、あたしには、あなたがいるのよ。」
つまらない解釈だと、笑えない。
女にとってそれは本当に真実なんだろうと思うから。
そんなわけで俺は、ひとりの女を完全に自分のものにした、つもりでいます。
それを見て、女は嗤ってる。
男は何時まで経っても、まだまだ、足りないらしい。
2004年01月21日(水) 言語としての「ぼく」
・社会的言語:
ピアジェの用語。
報告・批判・命令・要求・威嚇・質問・応答
・自己中心的言語:
ピアジェの用語。
反復=反響的言語模倣・独り言・集団的独り言=他人に反応を期待しない。
個人内(思考)から個人間(コミュニケーション)機能への移行にみられる形式は外言で機能は内言の特徴をもつ言語。
ぼくに、「しゃかいてきげんご」は存在しない。
すべて、盗まれたものばかり。
応えようとして潰され、尋ねようとして塞がれ、悔しくて声を張り上げたが、無視された。
その代わりに、与えられ続けた。
日々の報告、罵りでしかない批判、何もするなという、命令・要求。
ぼくは、閉じ込められ、それが嫌で、閉じ籠った。
ぼくに許されたのは、ただ、「じこちゅうしんてきげんご」
それが救い。
ぼくの発話は空をまわり、空回り、カラマワリ。
誰も受け止めることのない言葉は、空しく、反響する。
こみゅにけいしょん?
手を伸ばせば、掴まえてくれる。
そんな距離に、誰かいて。
いて、くれれば…。
捕まえられて、籠の中で育てられた幼虫は、
蝶になって籠を開けても、
決してそこから、出てはこなかった。
2004年01月20日(火) Walkin' Smokin'
すっかり人が少なくなったカフェテリアで、頭を抱える。
気持ち悪い。
寒くて買った爽健美茶。
すっかり冷めて、冷たくて、また震えた。
寒空の下、煙草に火をつけて、ひたすら、吸った。
コートとマフラー。
それでも、寒くて。身体が、小刻みに、震えた。
一本、二本、三本。
その後は数えていない。
寒さで、麻痺しちまったようで、何本吸っても、何も感じず、
ただ、何とはなしに、切なかった。
ふと、窓ガラス越しに、Kが見えた。
彼女はもくもくと、課題をやっているみたいで、わたしのことなど、気づきもしない。
瞬間、窓ガラス一枚が、絶対に超えられない、壁みたいな気がした。
リプトンのレモンティが缶の中で冷たくなって、いつの間にか咽喉に吸収されていて、気づいたら、空っぽだった。
「もう、中はいろうよ。寒い。ダメだよ。」
自分の中で、誰かが音を上げる。
何度目か、だった。
レモンティもなくなってやっと、素直にその声を聞いた。
立ち上がった瞬間、世界が回った。
ニコチン、過剰摂取。
摂取し過ぎ。
セッシュシスギ。
毒素が体内脳内流れの最悪な血液ジェットコースターに乗って、ぐるぐるぐるぐる、体内脳内巡ってるのがわかる。
有害物質。脳内物質も出て来ない。
考えられない頭で、とりあえず、紅茶花伝ミルクティ買った。
うつうつうつ。
嫌んなったからもう、煙草取り上げて、
身体取り替えて、
アタマ摩り替えて、
ワープしよう。
でも出来ないから、思考切り替えて、今日も、帰る。
2004年01月18日(日) 非誕生日
此処で此の侭、息絶えることが出来たなら……。
ずっとずうっと、同じ場所で、息をしてきた。
生まれてからずっと、同じ箱の中で、生き続けてきた。
歩く道は決まってて、走る早さも決まってて、会う人も決まってて、思うことも決まってて。
思い付きとか、偶然とか、そんなものは存在しない。
たとえそう思えるようなことがあっても、それは、やはり必然で。
此の侭此処で。
足を止める度、足元には深い歪。
半歩だけ踏み出せば、堕ちることが出来る。
一歩でも踏み出せば、また、進んでいくことが出来る。
「パーティをしましょう。」
華やかな笑い声と、ティーカップの軽くぶつかる音。
午後のティーパーティ。
そこに集うのは、みんなめかしこんだ、人間、動物、植物、鳥類。
あぁ、不思議の国に来たんだな。
『歪に、落ちてしまったのかしら?』
「今日はね、パーティよ。」
「なんで?どうして?」
「決まってるじゃない。非誕生日だからよ。」
「そうそう、一年で364日もある、大切な日だからよ。」
「非誕生日のパーティなの?」
「そうそう。だからプレゼントもあるのよ。」
「じゃあ、誕生日はどうするの?」
「もちろん、パーティするのさ。」
「あたし、こんなところでとまってられない。
じゃあね。さよなら。永遠に。」
主役抜きでも、パーティは続くんだよと、教えてくれたのはおさかなさんだった。
だからパーティは続いて、
そしてあたしは主役だったんだなと、そのとき気づいて。
でも、だれもそんなこと、どーでもよかったのね。
誰もが同じところにいるのが当たり前で、みんなそこにいるの。
だから、誰かひとり欠けてしまっても、誰も気づかない。
たとえそこに、生気のない人形が横たわっていたとしたら、
誰かが邪険にして、それを片付けてはくれるだろうけど、
それがなんなのか、それがどうしてそこにあるのか、
そんなことは誰も、関心がない。
手の中にひとつ。
非誕生日のプレゼントが入ってた。
いつのまに。
それを開けてみた。
差出人は、「ぼく」
受取人は、「きみ」
肝心要のプレゼントは、あしあと、だった。
『これはきみのあしあとです。これはきみの、いっぽの歩幅です。
もしもいっぽを、進めなくなったときがあったなら、
これを地面におきなさい。
そして、それをまたいでみなさい。
かくじつにいっぽだけ、きみはすすめます。
非誕生日、おめでとう。』
2004年01月17日(土) 手繋鬼
「その媒介は、言葉で行う性交である。」
「こんにちわ。」から始まり、「さようなら。」でお仕舞いになる彼との繋がりを、誰かの言葉を借りて、そう、解釈しようと思った。
身体に触れることなく、いいえ、彼が今目の前に居なくても良い。
彼と繋がること全て、それをわたしたちふたりのセックスと考えれば。
わたしたちはもう、何人もの子どもを産み落としていたし、
同時に、何度もの堕胎を繰り返していた。
わたしは生み、
わたしは殺す。
彼との繋がりで、ふたり分のことをそうしてきたし、
わたしひとり分のことをまた、そうしてきた。
同時にわたしは、彼のこともそうしてきた。
彼を生み、
彼を殺した。
そして全く同じことを、彼にもさせてきた。
それはわたしが意識してそうしてきたのかもしれないけれど、
もし、わたしがそうしなくとも、
彼自身、進んで行っていたに違いないことであった。
彼は生み、
彼は殺す。
精神的繋がりは、多くのことを、繰り返す。
時に彼の言葉はわたしを優しく抱いてくれたし、
時に同じ言葉で、わたしは陵辱された。
同様に、彼も。
あぁ、誤解しないで欲しい。
別にわたしたちは、性的な言葉を遣り取りしていたわけではない。
官能小説のような、そんなやり方で、お互いの性欲のみを刺激するような、
そんな猥雑なことなどしたことはない。
そしてそんなこと、望んではいない。
ただの、言葉だけだ。
それは「こんにちわ。」から始まって、「さようなら。」で終わる。
そんなありふれた、ただの言葉たち。
だから、わたしには、夫に対するやましさなど、全くないのだ。
傷つけ、傷つき、
犯し、犯され、
愛し、愛され、
産んでは、殺した。
そして、全てには、終わりがあった。
長々と繋がった糸は、いつかその重さに耐え切れず、ぷつりと。
手繋鬼。
夕暮れになれば、帰らなければ。
2004年01月15日(木) 冬物語
吐く息が白くなって、悴んだ指先で、こうしてペンを握ることが、困難になってきました。
赤く腫れて、少しばかり傷つけたところで、痛みなど感じなさそうです。
あの人は最近ずっと、イライラしていて、煙草の数も、心なしか増えたような気がします。
それを隣りで見ているぼくは、なにひとつ出来ず、ただ鬱々と、灰皿に溜まった吸い殻を、コンビニ袋に空けるのみです。
あぁ、君はどうしていますか?
今でも、ぼくのことを恨んでいますか?
ぼくは自ら進んでこの生活を受け入れました。
彼がぼくにとって、どれほど必要なのか、正直ぼくにはわかりません。
彼にとってのぼくも、きっと同じでしょう。
施設は、かわりませんか?
彼がぼくを迎えに来てくれてから、もうだいぶ経ったように思います。
でも、たったの数か月なのですね。
あの頃、ぼくには未来などないと思っていました。
そして過去も。
そしてあの人が現れたとき、ぼくは彼が、ぼくを救ってくれるような、そんな救世主に見えたのです。
実際どうだったか。
今ここで、ぼくに未来などありません。
それは何よりも確かです。
ただ、あの頃と違うのは、過去があるということ。
君と語る、過去があるということです。
ごめんなさい。ぼくの思い上がりですね。
きっと君は今でも、君を置いて出て行ったぼくを、恨んでいるはずだから。
ただひとつ、伝えたいのです。
ぼくはあの人と間違いは犯していません。
君を裏切らない。
それだけは
やっとここまで書いたとき、彼が帰って来た。
あぁ、また、何年も君に、言葉を伝えられないのか。
2004年01月13日(火) あめふらし
「雨が降るな」
晴れ渡った空の下を歩きながら、ふと、彼が呟いた。
ぼくは足を止める。
「今日は傘なんて持ってないよ」
大丈夫だと彼が言う。
「ぼくらがあそこのディスカウントストアで買い物してるうちにあがるから」
果たして、数十メートル進んだ辺りで、空が暗くなってきた。
「ほら、雨の匂い」
ぼくにはまだわからないその匂いを、彼はすでに感じ取っていた。
ディスカウントストアで小一時間ほど買い物をして外に出ると、アスファルトは濡れて黒光りしていて、所々、水溜まりが出来ていた。
「あ、雨上がりの匂いがする」
ぼくがやっと気づいて口にすると、彼は微笑んでぼくを見てくれた。
彼が雨に気付くのが、こう、人より抜きんでているのはなぜだろう。
いや、そんなのはどうでもいい。
彼は何かに、とても敏感なんだ。
匂いだろうか。
空の色だろうか。
それとももっと、ぼくが感じることもできない何かなのだろうか。
わからない。
わかるのはただ、ぼくが彼のそんな能力を、とても尊敬しているということだ。
そしてぼくが彼を、愛しているということだ。
「雨上がりは、気持ちいいね」
彼はご機嫌だ。
「雨上がりは、気持ちいいね」
同じ言葉を、ぼくも返す。
「今日は、もしかしたら、虹が見えるかもしれない」
思い付きで言ったぼくを少し意外そうな目で見下ろして、彼はそれからにやりと笑った。
「正解だよ」
いつかかかる虹を、ぼくらは空を見上げて、待っていた。
手を繋いで、ふたりで。
2004年01月12日(月) dog fashion
dog fashion
:
(卑)(女の)背後からの性交
「犬は犬らしく、わんわん喚いてりゃいいんだよ」
だったら、首輪をつけて、リードを放さないで、
ちゃんと繋いでおいて。
避妊手術はちゃんとしないと、雌犬なんてすぐに妊娠しちゃうわよ。
匂いを覚えさせて。
御主人様がわかるように。
繋いでおいてよ、何処にも行けないように。
「犬ハ犬ラシク」?
だったらあんたは飼い主らしく、
あたしが従順になるように、
鞭を持って、調教なさい。
2004年01月11日(日) 贖罪
許されたいと思った。
赦されたいと思った。
今、目の前で横たわる君の、その赤い唇が色を失わないうちに。
君に、許されたい。
君に、赦されたい。
贖罪。
何だってしよう。君のために。
赦してくれ。
「愛玩して、哀願して。」
猫のように縋りつく君に、ぼくが与え続けたのは、君の望むものは何ひとつなかった、気がする。
餌を、与え続ければ、それでいいと、思っていた。
「愛玩して、哀願して。」
君の大きな瞳。
愛玩するぼくは、マスター。
哀願するぼくは、バスター。
ぼくは君の、何なのだろう。
「マスター」で、在り続けたかった。本心。
「愛玩して、哀願して。」
ぼくは、愛玩するのが好きで、
(哀願するのも悪くない。)
そう、思えていたならば。
「愛玩して、哀願して。」
君の、願い。
―――贖罪―――
「愛玩しよう、哀願するよ。」
贖うために・・・・・・愛したから。
鏡が、割れる音がする。
2004年01月10日(土) めだまやき。
キミの眼球を、食べてしまおうと、思った。
キミの瞳は大きい。
ちょっと異常なんじゃないかと思うくらい、大きい。
しかも色は鳶色だ。
そこにぼくが映っているのが、普通に会話している時にも見えて、時々ぼくはパニックを起こしそうになる。
普通に、というのもでも、本当はどうかわからない。
ぼくの目線はキミの瞳に吸い寄せられて、いつの間にか、そこから逃れられなくなる。
会話はおざなりになり、キミの瞳だけに集中してしまう。
キミの瞳に映ったぼくのうろたえた姿のみに集中してしまう。
そんな時、キミは決まってこう言う。
「また、魔法をかけられてしまったのね。」
まるで魔法にかけられたみたいに、ぼくの身体、表情、声色、その他ぼくのすべてがギクシャクすることを、キミは敏感に見抜くのだ。
キミは金縛りの術を知っているのだね。
ある朝、ぼくが目覚めると、ぼくの隣にはキミが居る。
別に珍しいことじゃない。
ぼくはいつも、キミの隣で、キミよりも早くに、目が覚めるのだから。
ぼくはキミを起こさないようにベッドをすり抜け、
キッチンへ行き、全裸の肌に、エプロンだけをつける。
油モノを料理する時には、こうしないと火傷するんだ。
冷蔵庫には新鮮なたまご。
フライパンを熱して、油をひいて、たまごをそのまま、ふたつ、落とす。
濃い黄色の黄身に、ぼくの寝ぼけた顔が映る。
まるでキミの瞳に映ったぼくのようだ。
「キミの眼球を食べちゃおう
キミの瞳に映るぼくが嫌いだから
キミの眼球を食べちゃおう
めちゃくちゃにしてスクランブルエッグ
そのまま焼いてめだまやき
でも、キミが目を開けたままだとあまりに悲しい
だからサニーサイドアップ
きちんと目は閉じましょう」
うたいながらフライパンに蓋をして、その間にコーヒーを淹れる。
いい匂いがしてくる。
「おはよう。」
振り向くと、キミが居て、鳶色の瞳は相変わらず大きかった。
ぼくたちはとても、仲良しだった。
2004年01月09日(金) 水鏡
「すげー富士山きれー」
本日ハ晴天ナリ。
車窓から見える薄曇りの地平線のある方角に、上半分真っ白になった、一月の富士山が見えた。
「はしゃぐことでもねーじゃんよ」
窘められてもやはり、それは絶景に映った。
しかし寒すぎる。
こうして携帯をいじくる指先が、何度もスリップする。
一月。
初めてここに立ってから、どれだけ過ぎたろう。
初めてここに立ったとき、何を思っていただろう。
悴む指先。
「気をつけろよ」
そう、足下は果てしなく広がっていそうな水面。
降りた駅から、しばらく歩いた。
覗きこむと、ふたりが映って、ゆらゆらと揺れる。
「凍らないのかな?」
「もっと寒くなれば、もしかしたらね」
「そんな寒くなったら死んじゃうよ」
「こんなふうに?」
手にした小石を投げ入れた。
ぐわんぐわんとめちゃくちゃな波紋を描いて、ふたりが消えかかる。
「だめ!!」
思わず大声を出した。
「消えちゃうよ!」
勢いついてむしゃぶりつくと、優しい目が笑った。
「水鏡さ。消えることはない」
「でも!」
そこにふたりが映っているのは違わないのだ。
「いいかい?」
噛んで含めるように、顔を覗きこんだ。深い眼の色だ。
「鏡の中の君がいなくなるのは恐ろしいこと。それは君がいなくなることだから。でも、水鏡は違う。ほら見てご覧。もうそこには」
果たしてそこにはすでに波紋は治まり、ただ覗きこむ、ふたりがいた。
ふたりは寄り添って、水面に小石を、投げ続けた。
本心では、このまま水面に映るふたりが消えて無くなることで、密かな心中が成り立てばと、ひとり静かに、願った。
2004年01月08日(木) 堕胎
銀色のカプセルの中は、温かだった。
ただ、少し窮屈だと思った。
「聞こえるかい?」
聞き慣れた声が、カプセルの外側を、こんこんと軽く叩いた。
聞こえるよ。
応える代わりに、同じようにカプセルの内側を叩く。
しばらくの間、そしてそこは静かだった。
ドクン、ドクンと、心臓が脈打つ音だけ、聞こえる。
いつの間にか、眠りに墜ちた。
小さな女の子が、砂の城を作っている。
でも、あまりに海岸に近すぎて、積み上げたと思うと、すぐに波がさらっていってしまう。
終いに少女は癇癪を起こして、砂を派手に撒き散らしてそれを崩してしまった。
「可哀想に」
外で声がした。
「そう?」
「君のせいじゃないけどね」
そう、ぼくのせいじゃない。
「ところで、」
声が尋ねた。
「さっきのは、誰の夢?」
そう、それはぼくの夢じゃあなかった。
「知るもんか」
大袈裟に手を動かすと、紐状のものが絡みついた。
チューブだ。
ぼくの生命維持装置。
「しかしなんだね、こうして外の世界も見られず、自分の意思で動けもしない。あまつさえこの生命は、このチューブによってのみ、支えられている。生きている意味があるのかね?」
こんなのはつまらないと、思った。
こんなの、生きてるうちに入んないんじゃないの?
気紛れだった。
ぼくはチューブに手を苅テけた。
「……先生!」
「ああ。……可哀想に」
止めどなく流れる汗を拭いて、そこに転がった今は只の肉塊となった、かつて生命だったものを見つめた。
「へその緒が首に絡みついて生まれてくるなんて……」
若い医師が溜め息を吐いた。
そして考えた。死産だったと、伝えたとき、そんな気がしていたと、母親が呟いたことを。
「不完全な砂の城が崩れる夢を、みたんです」
その表情のどこかに、安堵があったように、思えてならなかった。
2004年01月07日(水) テディベア
朝起きると、目が開かなくて、身体を縦にすることが出来なかった。
仕方ないので、そのままベッドで目を閉じていた。
いろんなことが思い浮かんだが、どれもこれも、まとまりなくて、考えようともしないうちに、泡沫のように、消えていった。
眠くはなかった。
それでも目を閉じているうちに、何度か沈んだ。
とりとめのない、夢をみて、また浮かび上がる。
このまま、毛布に同化して、溶けてしまえばいい。
同じ台詞が、何度も記憶を徘徊したが、それがなんなのか、既にどうでもよかった。
重い瞼と身体を起こして、やっとその前まで動いた。
瞼は赤く、腫れている。
「いいつけを守らないからよ。酷い顔」
彼女が言って、私の頬を撫でる。
「いいつけも、約束も、守れないかしらね」
彼女はとても、楽しそうだ。
「気分はいかが?」
彼女の手には、赤い顔をしたテディベア。
そいつをぴこぴこ手の中で動かして、私に問い苅テける。
赤いテディが、私に問い苅テける。
「酷い気分よ」
まるで病院みたいな、真っ白な壁を見渡しながら答えた。
「丁度インテリアが欲しいわね。あたしのこの腕を串刺しにして、引き千切って、あの壁にハリツケにしてやりたい。
そんな気分よ」
赤いテディベアが笑った。
「望みを叶えてあげましょうか?」
今度は私が笑った。
「いいわね。でもその前に」
私のナイフを手にした右手が、テディベアの眉間に振り下ろされ、そのまま腕は弧を描いて、横の壁面に、突き立てられた。
「いいつけも、約束も、罰するものがいなければ、効を失うわ」
彼女は笑っていた。
消えるのか、と思った。
「誰も何も傷つけず、生きていくのなんてね」
言い残して、彼女は消えた。
私のお気に入りの、下卑た笑いと共に。
「誰も何も傷つけず」
生きていくのなんて
「できるわけがねーよ。生きてんだからさ」
テディベアのナイフを引き抜いて、裁縫道具を取り出した。
「こんなことやったって、
無意味なんですけどね」
ふと見上げた壁面に、私の白い腕が、虫ピンで止めてあるような、そんな気がした。
2004年01月06日(火) 青い空の下
白昼のビル街で、無意味に携帯電話を弄っている。
ここは車通りが激しい一方で、この時間はほとんど、人通りはない。
まったく、こんな場所でこんな時間に待ちあわせしようなんて、キチガイ沙汰だ。
ここで待ちあわせしようと言い出したのは彼の方だ。
「止めてくれよ。あんなところ。
眩しすぎて、あんたが来たことすらわからないじゃないか」
ぼくが反論すると、意味ありげに笑った。
もっともこれは、彼の癖で、特に何の考えもないのを、知っている。
「ぼかぁね、あの空が好きなんだ」
彼の指す空は、決して頭上に広がるあれじゃない。
「都会の空の青さなんて、たかが知れてるじゃないか」
「ぼくは別に、頭上に四角く切り取られた都会のあの空だって、嫌いじゃないがね」
反抗的な態度をとったのは、待ちあわせ場所が気にいらなかったからだ。
彼はふふんと鼻を鳴らして、ぼくの言葉を流した。
「眩しいと君は言うがね、眩しすぎて見えないくらいが、本当の青空だと思うよ」
知ったことか。
大体、本当の、って意味わかって言ってんのか。
心の中で悪態を吐いたが、何を言っても無駄だということは、百も承知だ。
「あの空は美しい」
まるで目の前にそれが広がっているように、恍惚として、彼は呟いた。
それきり、ぼくが何も言わないのをいいことに、彼は時間を指定して、せっかちに電話を切った。
いつもこうだ。
惚れた弱みとでもいうのか、ぼくは本当に、彼に逆らえたことがない。
携帯の画面に反射する光が眩しくて、目を細めて顔を上げた。
全面ガラス張りのビルに、青空が映って、そこだけ妙に、底抜けに、明るかった。
2004年01月05日(月) ねないこだれだ
夜が嫌いだ。
電気を消して、真っ暗になった部屋を横切って、ベッドまで辿り着く。
冷たいシーツと毛布の間に滑り込んで、目を閉じる。
チク、タク、チク、タク
枕元の目覚時計が、次第に大きな音で啼き始める。
チク、タク、チク、タク
寝返りを打つ。まだ冷たいシーツに足が触れて、ぴくっと身体が動く。
そして、今度はゆっくりと、脚を伸ばす。
ひんやりとした感触。
チク、タク、チク、タク
夜行列車の過ぎる音が、遠く聞こえる。
がしゃん!
時計より遠く、列車より近くで、何かが壊れる音がする。
続いて罵りあうような、鋭い声。
チク、タク、チク、タク
時計よ、もっと大きな声で啼いて。
あたしは毛布を引き上げて、頭からすっぽり、隠れてしまう。
罵声は続いた。
身体を堅くして、あたしはもっと深くに潜り込む。
また、硬いものが割れる音。
Umm…
軽いハミング。
耳を塞いで、出来るだけ小さな声で、
出来るだけそれしか聞こえないように、
あたしはうたをうたう。
ママが子守歌をうたってくれなくなってから、あたしはこうして、ひとりでうたをうたうことを覚えた。
歌声がないと、眠れなかった。
前に眠れなくて、うたをうたってもらおうと、階下に降りていったら、酷く叱られて、おしりをぶたれた。
だから、ひとりでうたうようになったのだ。
バタバタバタ…
乱暴に階段を駈け登る足音がして、あたしは身を更に硬くして、口を塞いだ。
部屋のドアがほんの少し開き、廊下の光が漏れた。
ドアはすぐに閉じた。
「ねないこだれだ
わるいこどこだ
たべちゃうぞ
たべちゃうぞ」
パパのうたった子守歌。
あたしはしっかりと目を瞑った。
もう夜はたくさんだ。
今日が過ぎても、また明日の夜がくる。
それなら、もう目が醒めなければいいのに。
2004年01月04日(日) チ・ヨ・コ・レ・イ・ト
久しぶりに買ったメイジの板チョコは、思った以上にミルクとクリィムたっぷり、って感じで、寝ても覚めても纏わりつく。
舌足らずなお喋り。
「じゃんけんぽん!」
「あいこでしょ!」
「じゃんけんぽん!」
「グーリーコーのーおーまーけ!」
「じゃんけんぽん!」
………
学校帰りの空色の歩道橋で、救急車のサイレンをBGMに一段抜かしした。
「じゃんけんぽん」
「チーヨーコーレーイート!」
あたしが声を張り上げるのは、怖いことを忘れるため。
「しーんちゃん、10円玉かーして!」
「まいちゃん、何するの?」
「こっくりさん」
明日、学校へ行って、まいちゃんが来てなかったら、あたしは後悔するのかなぁ。
「じゃんけんぽん!」
放課後はゆっくりと暮れてゆく。
2004年01月03日(土) ベッド、階段脇
四角い白い、ばかでかいスΓテンジみたいなベッドの上に青にほんの少し緑を足したような色の毛布。
そんな寝床が、広い階段脇に置かれていて、ぼくはそこに寝ていた。
その部屋は、設定上、マンションの一室だったが、室内に階段がついている以上、マンションではない。
最初に来たのは、背の低い、白髪頭の、老人。
祖父だ。と思った。
「向こうの部屋から持って来たのか」と言い、
「あるのだから、買う必要はないな」と言った。
どうやら設定上、ぼくには別宅のようなものがあり、そこからベッドを持って来たと、彼は思ったらしい。
しかし実際は、ベッドは買ったものだった。
しかしそれから回想が始まる。
ぼくは別宅で、そのベッドの上で、恋人とじゃれあっていた。
そこでぼくは、半一人暮らしのようなものをしているのに、なぜ、ベッドだけがないのだろう。
そこで目が醒めた。
わたしはベッドの中で、なぜか涙を流していた。
2004年01月02日(金) 執着劇
「砂粒をひとつひとつ、数えていたのはあなたかしら。」
知らない女の人にそう声をかけられて、ぼくは戸惑いながら振り向きました。
ぼくはそんなことをしたことは無かったので、
「いいえ。違います。」
と言いました。
その女の人はひどく悲しそうな眼をして、
「嘘をついてはいけません。」
と言いました。
ぼくは嘘などついていなかったけれど、その女の人がそのあとも悲しい顔をして、ぼくを責めるので、ぼくは仕方なくうなだれていました。
その女の人は、ぼくのせいにしたがるのでした。
砂粒を数えるという作業は、とても手間がかかりそうですが、それがどうしてしてはいけないことなのか、僕にはわかりません。
「どうしていけないのですか。」
とぼくが尋ねても、女の人は、それに答えてはくれませんでした。
その女の人は、しばらくして去っていきました。
ぼくが砂粒をひとつひとつ、数え始めたのはそのときからです。
やってみると、それがいけない理由がなんとなくわかりました。
固執するということは、何よりも悪しきことなのです。
2004年01月01日(木) そして雑記へ。
とりあえず、移転しました。
理由は、メモラで通常日記を書きたいなーと思ったから。
ブクマしてくれてた方々、ごめんなさい。
今迄どおり、犯月はこちらで今迄どおりのことを書いていきます。
そしてそして、
画像設定とか、色々面倒なことは放っておくので、しばらく簡易設定のままで失礼。
あたしに、必要な場所、そのいくつかが、犯月。だったりする。
>>
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