遠雷 - 2004年10月31日(日) 遠くで雷が吠えている 大粒の雨がばたばたと降ってくる 日も暮れて冷えたアスファルトが濡れていく 遠くで雷が吠えている 秋ですねぇ 春は霧雨、夏は夕立ち、秋は秋雨、冬は雪 雨一つとっても、日本は楽しい 秋は秋を楽しみたいと - Leroy Dead - 2004年10月24日(日) 所用があり、久しぶりに電話したら、昨日リロイが死んだと言う。 私がずっとお世話になっているトリニダードのスティールバンド、Moodsのリーダーであり、チューナーであり、私のパンメイキングの師匠でもある。 25年ほど前に(確か1977年と記憶している)Moodsを立ち上げ、ブグジーからの誘いも蹴り、自分自身の音を追求し、パン一筋に生きてきた男が一人、息を引き取った。 パノラマに勝とうが負けようが、年中練習している事に一番のプライドを持ち、休む事がなかった。それ故にMoodsのスモールアンサンブルは、トリニダード国内より、主にヨーロッパから高い評価を受けていた。 楽器の制作、調律、バンドアレンジまでを彼一人で行っていた。トリニダードでは、珍しいスタイルだ。 彼の求める音に仕上げるには、それしかなかったのだろう。 93年、東国から来た英語もろくにしゃべれない男を、バンドに引き入れ、わずか一ヶ月で一人前に仕上げ、パン・ジャンボリーに出場させた男。 世界中から調律、制作の技術者が集まる、科学技術会議にボアパン、ノーグルーブパンのスペシャリストとして、講師として呼ばれていたのに、軽く蹴ってしまった男。 敬虔なカトリック教徒で、家族を愛し、バンドメンバーも家族同様に愛した。 酒とたばこを嫌い、スポンサーからもらったラムは全部僕にくれた。 二度目の旅で、少し英語を話せるようになった僕に、パンの歴史やチューニングの秘伝を少しづつ話してくれた。 朝10時から夕方5時まで、彼のハンマーの音がしない日はなかった。 ビックリするくらい勤勉な男だった。 彼に一度、僕の作ったベースパン、チェロパンを見て欲しかった。僕の調律したギターパン、テナー、セコンドを見て欲しかった。 うちのバンドを一度ちゃんと聞いてもらいたかった。 あなたにいただいた技術は、村治の中で確実に進化しています。 あなたにいただいた音楽に対する情熱は、うちのメンバー、生徒さんに私が責任を持ってそそいでいきます。 あなたが作ってくれたパンは、今、日本中で鳴っています。 まだまだ教えていただきたい事はたくさんありました。 まだまだお話したい事はたくさんありました。 もうあなたに会えないのは、あなたを頼ってはいけない、という事でしょうか。 もう私も一人前なのかも知れません。 たくさんの技術を作ってこられて、もう充分だと思います。 お疲れさまでした。 たくさんの愛を音楽にささげてくれてありがとう。 -
|
|