鍋をたたく...鍋男

 

 

kurma - 2001年09月25日(火)

車を買った。ずっと愛用してきた「ハイエース5ナンバーめっちゃ古い」号(別名スーパー引っ越し君1号)は本当に古い車で、あちこちつぶれて、修理代がかさんで仕方なかった。車検が切れるのを機会に、いつも世話になっている整備屋さんに、お買い得な中古車を探してもらっていたのだ。なかなか出物がなくて、結局ぎりぎりになってしまった。

TOYOTAハイエースからNISSANキャラバンに、5ナンバーから4ナンバーに、ディーゼルエンジンからガソリンエンジンに、14年落ちから4年落ちになった。

ガソリンエンジンと言うことで燃費が悪くなることは承知の上だったのだが、実際に乗ってみるとリッター2-3キロも変わらない。前のはディーゼルにしてはすこぶる燃費が悪かった。「5ナンバーの車に常に機材を積んでいるせいだ」と思っていたけど、考えてみれば、あまりに古かったので、かなり無駄があったに違いない。

今回のキャラバンは燃費の悪さを引いても、加速の良さはあまりある。別に飛ばすわけではないけど、まわりの車の迷惑にならないような加速はあった方がいい。そんなことを考えて、発進の時に踏み込んでいたのも、前のハイエースの燃費の悪さを手伝っていたのかも知れない。


それにしても「ハイエース5ナンバーめっちゃ古い」号は良く走ってくれた。東京を何往復もした。和歌山も、津も、岡山も、淡路も、滋賀も行った。京都なんて何回走ったか覚えていないほどだ。彼とは四年間のつきあいだったけど、今までよくがんばってくれたもんだ。

雨の日になるとライトがいきなりついたり消えたりしたのにはまいった。あれはもう何年前だったろう。

これは二年ほど前。大阪のミナミで打ち合わせを終えた後、車に乗ると、クラッチの調子が悪い。エンジンルームを見ると、クラッチを踏むたびに、とあるホースから「ぴゅー」ってオイルが噴き出している。修理屋さんに電話して応急処置の方法を聞いて、とりあえず修理屋さんまで走った。あのときは、だいぶどきどきした。

ハッチバックのガラスを割ってしまったこともあった。ガラスを入れ替えると、何万もかかるので、走り回って、中古パーツ屋でドアをみつけて、ドアごと替えた。色が違って、凹んでて、でもそれしかなくて。機材を積んだ車に「鍵がかけれる」それが最重要項目だった。

最近はラジエーターの調子が悪くて、80kmで10分以上走行すると、水温計の針がぐんぐん上がった。しょうがないので夏でも冬でも暖房をフルパワーでつけて走った。ひどい話だ。戦後じゃないんだから。夏にメンバーがうちの車に乗るはめになると、気の毒でしょうがなかった。

高速のパーキングでなぜかバッテリーが上がってしまって、みんなで押してもらって「押しがけ」したのは、今年のはじめだった。原因は発電機とバッテリーをつなぐケーブルが腐っていたこと。修理工場でもなかなか原因がわからなくて、修理に時間がかかった。「もうこの車はやめよう」と思ったのはこの時だった。

この前後に何回も小さな故障が発生して、この一年でかなりの出費になってしまった。安物買いの銭失いとはまさしく私の事だ。
普通ここまで我慢しないよね。かっこわるいとか思うんだろな。20前後ならいざ知らず、30越えて、「夏に暖房かけて走る」のもかなりまぬけだ。
私の場合「めんどくさい」ってのが先立っちゃって。見た目とかより、運べないとだめなのよ。

ドラム缶六本を載せれるようにフルフラット仕様にしたり、うちのバンド機材が出し入れしやすいように、かつメンバーが乗っても不便のないように。あれこれとだいぶんいじった車だったので、愛着だけはあった。

中も外もぼろぼろになるまで使いきった彼から、次の車に機材を移し替えて、何年ぶりかにからっぽになった彼を見たとき、いくつかのストレスから解放される安堵と、別れる寂しさとが一緒に出てきた。「お疲れさん」と口をついて出たのは、車に対してだったか。この数年、私は彼と共にあった。私自身今までよくがんばった、と思ったのかも知れない。


今回の車もぼろぼろになるまで乗るのだろう。あっちこっち手を入れるのだろう。もうすでにフルフラットにはしてある。ドラム缶も三本積んでいる。(そうしないと部屋が狭くて仕方ないのよ。)上げ底にした床の下にきれいにはいる様に、ハードウェアのケースもできている。この車とは何年のつきあいになるだろう。そしてこの車に別れを告げるとき、私はまた一つ階段を上っているはずだ。
今の車はきっと今の私に妥当なのだろう。



南無......



今日はちょっと話が重いわね。
ちなみにトリニダードでkurmaといえば、
現地のカリントウの様なお菓子の名前。
おいしいのよ。


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秋なのね - 2001年09月20日(木)

いい天気だ。
暑いけど空気の感じが変わったね。
べとべとしない。
秋なのね。

こないだ夜のレッスンをしていた時だ。ずっとスティールパンを叩いていて、ふと、音がとぎれたときに、窓から流れてくる涼しい秋風と一緒に、虫の鳴く声が聞こえてきた。少し距離のあるところから聞こえてくるその声は、鈴虫なのかコオロギなのか私は知らない。車が通ったり、こちらが喋ったりしているとかき消されてしまうくらいの、その控えめな虫の声は、「静かなんだな」という認識を新たにせしめ、「秋なんだな」と今年初めて思った。

先週日曜あたり、少し秋風邪をひいてしまった。
みなさん、涼しいからって、おなかだして寝ちゃダメよ。








営業日報up datelive in カンクン



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live in カンクン - 2001年09月16日(日)

Steel Power Starsは晴れ男ならぬ、晴れバンドだ。一度、和歌山のイベントで、台風の日に大雨の中を走っていってたら、台風が突然進路を変え、屋外ステージでの演奏を無事すませたことがある。台風一過で雲一つなく、逆にかんかん照りになって、暑すぎるくらい。いや、暑すぎた。屋外のステージ上が暑いのは仕方がないけど、せっかく集まったお客さんが、直射日光に耐えられず、ステージから離れた建物の影にみんな逃げてしまって、演奏を始めるまで、客席ががらんとしていたのにはまいった。演奏始めるとだいぶ戻ってきてくれたけどね。

Steel Power Starsの本番は、雨で中止になったことがない。イベント自体、晴れる日を設定して行われることが多いけど、うちの晴れ確率の高さはなかなかではないかと思う。

この日は箕面「カンクン」でのlive。ちょろっと降ったりして、なんだか落ちつかない天気。器材を運んでるときはしっかり雨が上がってるあたりは、さすがSteel Power Stars。でもお客さんの入りが心配だった。

カンクンでSteel Power Starsの名前でさせていただくのは初めて。箕面でのお客さんもしっかりいるわけではない。何回かさせていただいているうちに、少しづつお客さんを増やせていければと思っていた。

ふたを開けてみれば、テーブル席の半分が埋まっている。20名のお客さんに来ていただいた。初回のライブとしては上々ではないか。教室の生徒さんにもたくさん来ていただいた。

今回の評価が次のライブの入りを決める。心して演奏。

30分の3ステージ。先日、グレートブルーでの新曲5曲を含む、全15曲+α。
かなり生に近いサウンドで、音量に気を配ってのステージをしてみた。
反省点は山のようにあるけど、「カンクンではこうだろう」と考えていた音にかなり近い。いい線いってるんじゃないかな。

おかげさまで、マスターから次のブッキングをいただきました。次の箕面でのライブは11月後半のお休みの日。ご近所の方はチェックしといてね。

Thanks a lot!



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いそがしっ - 2001年09月11日(火)

私たちSteel Power Starsに、関西ジャニーズさんの若手、V.Westが取材に来た放送が、8.29に、関テレさんであった。書かないとなぁと思ってたら、日にちがどんどんたっちゃった。

8.19.の発表会以後、うちの教室の生徒さんは一気に増えた。ありがたいことです。加えて、9月になって新学期は始まるし、9.8.のライブはあるし、車の車検が切れて新しい車探さなきゃで、鍋男、いそがし、いそがし。きゃー、嬉しい悲鳴だわ。

このままだといつまでも書かないので、ここで一旦線をひいときます。
日々、新しい日記を期待してのぞきに来ていただいた方ごめんなさい。
ライブの報告も、関テレさんの放映の反応なんかもまた、書いていきます。

とりあえずはこないだのライブ。ゲストに出て下さった月夜さんの日記に、彼女がライブの報告を書いてはるので、ご覧あれ。(鍋男・自分のライブを人に報告してもらって、手抜きするの巻)

これを書いてたら、アメリカをねらったテロが行われた。現時点ではNYの貿易センタービルとペンタゴンが攻撃された。テロはこの後も続く可能性があるという。どないなってんの?

悲しいね



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