心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年03月28日(水) ステップ6・7について

年度末で忙しいですが、それでも雑記を更新。

ステップ4・5で棚卸しをすると、次にステップ6・7が待っています。

> 6. こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。
> 7. 私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に神に求めた。

これは自分の欠点を全て取り除いてくださいと神に求めるステップです。

ビッグブックでは、同じ言葉を繰り返し使わず、別の表現を用いる修辞法が使われています。だから、ステップ5では「過ち(wrongs)」、ステップ6では「欠点(defects)」、ステップ7では「短所(shortcomings)」と違う言葉が使われていますが、すべて同じものを指しています。

どうやってステップ6・7に取り組んだらよいか、という質問を受けることがあります。しかし、ステップ6・7は極めて単純なステップです。ちゃんとステップ4・5で棚卸しができていたなら、それによって自分の欠点短所が明らかになったはずです。そして、

「もう、こんな自分ではいたくない」

と思うようになったはずです。変わりたいという願望です。

そうならなかったならば、ステップ5が不十分だったということでしょう。ビッグブックでも、ステップ5が終わったときに、それまでの5つのステップが手抜き工事になっていなかったかチェックするように提案されています。

ステップ6・7は意欲を持つステップです。

12ステップは全体に「意欲→実行」というプロセスが並んでいます。ステップ1はまさに回復への意欲を作るステップです(動機付け)。そしてステップ3で行動を起こす決心をし、実際にステップ4から実行していきます。

ステップ6・7でも「変わりたい」という意欲を持ちます。つまり、ステップ5で明らかになった短所を取り除きたいという意欲です。実際にそれが取り除かれていくのは、この後のステップです。

埋め合わせのステップ8・9でも、埋め合わせする意欲を持つステップ8があり、次に実際に埋め合わせを行うステップ9の順になっています。

ステップ6・7はスコップのような単純な道具だと言われます。ビッグブックでもわずか1ページしか割かれていません。使い方は難しくはない。ただ、そのスコップを使うか使わないか、それは私たち次第です。

実際には私たちは「すべての短所を取り除いて欲しい」と願うのは簡単ではありません。中にはなかなか手放せない欠点・短所もあるからです。

実際に棚卸しをやってみるとわかりますが、例えば40才の人というのは、その人の短所を抱えたまま40年生きてきてしまったわけです。その短所を人生の早いうちに手放せていたとしたら、その後はまったく違った人生を歩めていたことでしょう。もちろん過去に戻って人生をやり直すことはできないのですが。

旅の途中で道を間違え、その間違いに気づかないままずっと旅してしまい、気がついたらもう戻れないところまで進んでいた・・というような気分です。

そうした自分の人生の虚しさや、妙なこだわりを手放せなかった自分の愚かさに気づくと、人は打ちひしがれた気分になります。今さら違う自分になろうとすることは、過去40年の自分の人生を否定することにつながる・・そう感じてしまうのは、まさに病んでいる証拠だと思うのですが、まあそう感じてしまうものです。

欠点のある自分が自分であって、それを手放したら自分ではなくなってしまうような気になります。そうなってしまうと、当然回復は止まり、逆方向へと向かってしまいます。

ステップ5で明らかになる以前にも、今までだって自分の欠点短所に気づかなかったわけじゃありません。でも、うすうす気づいても、自分を変えることはできなかったのです。チャンスはいくらでもあったはずなのに。それほどまでに、自分で自分を変えることは難しいのです。

だからこそ、ステップ6・7は、自分で自分を変える決意をするステップではなく、自分より大きな力である神に、欠点を取り除いてくださいとお願いするステップになっているのだと思います。

実際に私たちを変えてくれるのは、ステップ8・9(埋め合わせ)と、ステップ4〜9を日々繰り返すステップ10によってです。

私たちは外的世界との関係にばかり関心を持ってきました。他の人との関係、社会との関係、物質的なもの(金銭や財産や外見など)です。外的世界との関係にこそ苦しみがあり、その苦しみを取り除けば、内的世界(心)の安定がもたらされると信じてきました。

端的に言えば「苦しみは外から自分の中へもたらされる」と信じていました。

しかし、ステップ6・7まで来れば分かっているはずです。本当のトラブルは私たちの内側に存在しており、最奥部にある存在との関係こそ私たちが最も関心を持つべきものだと。その関係が良好であれば、外との関係もおのずと良好になると。

苦しみやトラブルは自分の内部に生まれ、それが外との軋轢を生んでいきます。だから、私たちの内側が回復したとき、外側にある社会的・物質的な苦しみも解決していったのです。


2012年03月16日(金) 渇望という言葉

アル中(アルコール依存症)に対するありがちな誤解を一つ挙げます。

「なぜ、私たちは酒を我慢できるのに、この人は我慢できないのでしょう?」と家族の方から聞かれることがあります。

その時に僕は「あなたは特に酒を我慢していないでしょう」と申し上げることにしています。

僕は職場の忘年会や歓送迎会で酒席に出ることがあります。そこで(依存症でない)普通の人たちの酒の飲み方を観察すると、それは明らかに依存症の人の飲み方とは違っています。ビール瓶を持ってお酌に回ることもありますが、相手がすでにビールを2〜3杯飲んでいるときは、「もう要らない」と言われることもありますし、儀礼上お酌はしても相手は口を付けただけで、実際にはほとんど飲んでいないこともあります。
これはつまり、「もう満足したから、これ以上は要らない」ということです。もう十分満足しているので、それ以上は飲みたくないのです。つまりそこには何の我慢もありません。お腹一杯食べたから、もう食べられない、と言っているのと同じです。依存症でない人は、我慢しなくても、自然にコントロールできてしまいます。

<アルコール依存症でない人は、ちっとも酒を我慢なんかしていません>

では、アルコール依存症の人の場合はどうか。アル中は2〜3杯のビールでは満足できません。もっと「しっかりした酔い」を目指して杯を重ねていきます。そうして飲み過ぎてはトラブルを起こします。なぜそんなに飲むのか。酒に意地汚いのか、酒が大好きなのか?

シルクワース博士は、多くのアルコホーリクを観察した結果(彼は生涯に5万人のアルコホーリクを診たそうです)、アルコホーリクには次の酒を求めてやまない強い欲求が備わっていることを発見しました。その強い欲求は、アル中が酒を飲まないでいる間は存在せず、アルコールを体の中に入れることで発生します。博士はこれを「渇望現象」(the phenomenon of craving)と名付けました。

この博士の主張はアル中たちの実体験とよく重なっていたため、ビッグブックでは「かつての問題飲酒者には、この博士の説明は実にしっくりくる。それ以外には説明のしようがない多くのことが、この理論で説明される」(p.xxxiii(33))と賛同を示しています。

この「渇望」は非常に強い欲求であるため、それに逆らって酒の量をコントロールするのは大変な苦労です。しかし、まともな生活を送ろうと思ったら、なんとか酒の量を抑えなければなりません。なので、依存症者は渇望に逆らって、なんとか次の酒に手を付けないように、ものすごく「我慢」をしています。

<アルコール依存症の人は、普通の人とは比べものにならないぐらい、一生懸命「我慢」している>

しかし、渇望はとても強いので、ついには負けてしまい、飲んだくれてしまいます。「彼らは逃避するために飲んだのではなく、自分の精神ではコントロールできない渇望に屈して飲んだのである」(p.xxxvii(37))。

飲み出せば、いつか必ず渇望現象が高まり、そのために酒をコントロールできなくなり、トラブルを起こしてしまう。解決は「まったく飲まないこと」しかあり得なくなります。

依存症でない人は、我慢しなくても自然にコントロールできます。一方、依存症の人は一生懸命我慢しているのですが、どんなに我慢しても結局は酒をコントロールできません。

さて、ここで「渇望」という言葉にまつわる話をします。

「酒をやめてもう半年になるけれど、いまだに渇望がある」と言う人もいるかもしれません。しかし、その種の欲求は「渇望」ではありません。シルクワース博士の言う「渇望」は、あくまで最初の一杯に手を付けた後に沸き起こってくるものです。酒をやめて期間が過ぎていれば、渇望はもうなくなっているはずです。でもなお「飲みたい気持ち」があるのでしょうが、それについてはシルクワース博士は「強迫観念」という別の言葉で示しています。

ネットの掲示板やブログでは「飲酒欲求」という言葉を見かけます。その言葉は概ね「酒をやめた後もまだ残っている、酒が飲みたい気持ち」について述べられています。それは渇望とは違います。

酒を飲みたい気持ちは、酒をやめる前にもあるし(渇望)、酒をやめた後もあります(強迫観念)。それを一緒くたにせず、明確に分けたところにシルクワース博士の功績があります。

自分の過去の飲酒体験に照らし合わせて渇望をよく理解すると、「なぜ再飲酒を避けなければいけないのか」が分かります。そうなると、酒をやめ続けたいという動機が生まれます。たいていのアル中には「次は違った飲み方ができるかも知れない」という妄想を、多かれ少なかれ抱えています。(でなければ、なぜ再飲酒するのでしょう?)

craving という言葉に「渇望」という日本語を当てたのは、あまり良くなかったのかも知れません。辞書で「渇望」という言葉を引くと、「のどが渇いて水をほしがるように、しきりに望むこと」とあります。これだけ読めば、最初の一杯を飲みたい飲酒欲求と区別がつきません。

シルクワース博士の説明や、それを受け継いだAAのビッグブックや12ステップでは、「渇望」はあくまで最初の一杯を飲んだ後にやってくるもので、最初の一杯に手を付けたい願望とは違います。しかし、渇望という言葉は、アディクションにまつわる精神医学全般でも使われており、そちらでは、飲む前と飲んだ後の区別を付けることなく使われていることが多いように思います。

どちらの使い方が合っているとか、間違っているとかの話ではありません。あくまでビッグブックの12ステップではこう使っているのですよ、という話です。

実は、その使われ方の違いは、僕も最近になるまで知りませんでした。ギャンブルへの依存が、アルコールや薬物の依存と同じであることを説明するのに、この渇望現象の共通性が言われることがあります。けれど、そこで使われている「渇望」が、必ずしもビッグブックでの意味と同じとは限りません。

もし、ビッグブックどおりの渇望の意味をギャンブルに適用すると、こんなストーリーが展開できます。

ギャンブルに問題を抱える人物がいます。彼はもう半年パチンコを断っています。けれど、彼の心の中には「もう一度パチンコを楽しみたい」という欲求が大きくなったり小さくなったりしています(これは渇望ではない)。ある日、彼はその欲求に負けてパチンコ屋に入ります。この段階ではまだ渇望は起きていません。

彼は、今日は五千円だけ楽しもう、そうすれば小遣いの範囲内だ、と考えます。しかし、五千円を使い尽くしても、まだ彼は席を立つことができません。彼の中に渇望がわき上がり、もっとパチンコをという強い欲求に彼は支配されてしまったのです。彼は財布の中身を全部使い切っても足りず、近所のサラ金で何万円も借りてきてパチンコを続け、閉店時間が来て店の外に出されたときには、大変な後悔に襲われています。

普通の人であれば、2〜3杯のビールで満足し、それ以上欲しがりませんし、次の用事をキャンセルしてでもパチンコを打ち続けたいとは思いません。けれど依存症の人は続けて「次」が欲しくてたまらなくなります。その背景には強大な「渇望」が存在します。この渇望の有無が、依存症の人とそうでない人を明確に分けるものです。

(ギャンブルで問題を起こしていても、どうみても渇望を備えていそうにない人もいます。もしビッグブックの考え方をギャンブルにも適用するならば、その人はギャンブルのアディクションではないことになります)

渇望現象、それから(この雑記には取り上げませんが)強迫観念、この二つで構成されているのがビッグブックのアディクション概念です。そして、アルコール以外の(例えば薬物やギャンブルも)このアディクション概念に当てはまるから、対象は違っても同じアディクションである、という主張があります。ならば、それらのアディクションも明確な渇望を備えているはずなのですが・・・、あまりそのことは理解されていないように思います。

AAの中ですら、飲酒欲求と渇望の区別がついていないことが多いのですから、こんな雑記も「とてもマニアックな話題」なってしまうわけです。


2012年03月13日(火) AAミーティングはナラティブセラピーなのか?

ナラティブセラピーとは、自分自身の物語を語り直すことによる治療法とでも言いましょうか。先ほどちょっとググってみたら、主にトラウマ治療の現場で使われているようでした。

ナラティブという言葉は聴きなれないかもしれません。ナレーション(語ること)という言葉がありますが、ナラティブとは物語を語ることです。

ナラティブセラピーと社会構造主義は密接な関係にあります。社会構造主義とは社会学の言葉で、現実やその意味は、すべて人の頭の中で作られたものであり、意識を離れては存在しないという考え方です。

客観的事実がどうかではなく、それを体験した自分が経験をどう解釈するか。その解釈こそが現実であり真実であるということです。だとすれば、過去の体験の解釈を自分が変更すれば、体験の真実もその意味も変わってくるはずです。

精神的にお加減の悪い人はだいたいが過去の出来事に圧倒されており、その支配から脱することができない無力感を持っています。それはつまり「体験の解釈を変えることができずにいる」と言い換えられます。そこで、自分が生きてきた物語を語ることを試みます。それは最初は辛いことかもしれません(不都合な真実だから)。しかし何度も語りなおすことにより、今までの自分の解釈とは違った解釈が成り立ってきます。そうしれば自分にとっての過去の体験の意味も変わってきます。

ナラティブセラピーでは治療者と被治療者の間に上下関係はありません。社会構造主義の立場からすれば、「正しい解釈」も「間違った解釈」も存在しないわけですから、治療者が望ましい方向に導くというわけにはいきません。治療者と被治療者は平等な立場で新しい物語を作っていくことになります。「答えはその人が知っている」とか「あなたが問題なのじゃない、問題が問題なのだ」みたいなキーワードが散りばめられるのがナラティブセラピーの特徴です。

12ステップでは表を使って、その人の中にある問題を外在化させます。べてる式当事者研究ではホワイトボードを使います。ナラティブセラピーでは「物語」という外在化の手法を使っていると考えればいいのじゃないでしょうか。

ナラティブセラピーが日本に紹介されたのがいつなのか知りませんが、関連書の出版年を見ると20年ぐらい前であることがわかります。ちょうどそれは、日本で様々なジャンルの自助グループが誕生し、拡大しつつあった時期でした。

治療者・被治療者の上下関係を否定しているところ、語ることを重視する点など、自助グループの文化とナラティブセラピーの文化は近いものがありました。だから、自助グループがナラティブセラピーのピア版(当事者版)であると誤解されてしまったのではないか・・・。僕はそう思っているのです。その結果、自助グループ文化がナラティブ文化に誘導されてしまい、12ステップから離れていってしまったのではないか、・・・そんな風に考えています。

例えば、「他では言えないこと(恥ずかしいことや辛いこと)をグループの中で話せるようになることが大事だ」だとか、「自分の飲んで酷かったころの話ができると回復する」なんて言われたことはありませんか? こんな考え方にはナラティブ文化の影響を感じるんですけど、気のせいでしょうか?

(ミーティングで酷かったころの自分の話ができないと「正直になれないと回復しないぞ!」とか非難されちゃうんだうよなぁ。うまく話ができる人ばかりじゃないんだけど)

また、ライフストーリー形式の棚卸しなんて、まさにナラティブセラピーのピア版そのものじゃないかと思えてきます。話すほうはノートに書き溜めた自分の物語をひたすら話す。聞くほうはただ聞く・・・。30年ぐらい前の棚卸しの経験を聞くと、スポンサーはただ聞いているだけじゃなかったそうですが、いつの間に「ただ聞くだけ」になってしまったのでしょうか?

ビッグブックの12ステップをやってみて気づいたのは、12ステップでは物語を語ることは重視されていないことです。そして棚卸表を書くときは自分で自身を分析し、ステップ5で相手をするスポンサーは、スポンシーが正しい解釈へとたどり着くように手助けします。「正しさ」「望ましさ」の追求は12ステップ全体を貫く原理です。

こう考えると、12ステップとナラティブセラピーは対極的なアプローチです。だから、12ステップグループにナラティブ文化が及んできたとき、12ステップの力が弱まり、導き手たるスポンサーを求める人は減っていったのではないか・・・。ま、今となっては確かめようがない昔の話ですが。

ジョー・マキューは、他の治療法の影響によって、AAの12ステップが「薄まった」結果、AAの有効性が徐々に失われたと主張しています。同じことは北米だけでなく日本でも起きたんじゃないでしょうか。

もう少し、AAなどの12ステップグループはは本来語り重視じゃない、という話を続けます。

日本のAAでは、新しくやってきた人にも、なるべく早くミーティングで話をするように薦められます。もちろん話をせずに「パス」して、ただ聞くことに徹することもできますが、「話すことが回復につながる」という考え方があります。ところがアメリカのAAメンバーに聞くと、あちらでは新しく来た人に対しては、半年か1年ぐらいはミーティングで話をせず、他の人の話をだまって聞くように提案されるのだそうです。新しい人というのは身勝手な自己主張をすることが多く(いるよね、日本でもそういう人)、それが自省や回復の妨げになる、というのがその理由だそうです。

また drunkalogue(ドランカローグ)という言葉があります。drunk は飲んだくれ、logueは「語り」という接尾語です。いわば「飲酒譚」。酒を飲んでトラブルを起こし、社会的に次第に落ちぶれていくストーリーは、時に切なく、時には笑が取れる話で、聞いていて楽しいものです。しかし、あちらのミーティングではドランカローグをとうとうと語る人は好まれないのだそうです。

その理由のひとつが「酷かったころの自分の話」は、しばしば自慢話に過ぎなくなってしまうからです。人はポジティブなことばかりでなく、ネガティブなことも自慢します。もうひとつは、ドランカローグの内容は人によって違います。そのせいでAAの序文にもある「共通する問題」がぼやけてしまうからです。

AAミーティングは、人によって違う問題、違う解決法を分かち合う場所じゃありません。共通する問題、共通の解決方法を分かち合う場所です。ドランカローグは耳目を集めますが、メッセージを運ぶ手段としては良くないのでしょう。

日本のAAは人数がなかなか増えてくれません。けれど、AAミーティングには新しい人は結構やってきます。しかし、続けて出る人は多くありません。一番問題視されているのは、2〜3年するとAAを去っていってしまう人たちの存在です。メンバーシップ・サーヴェイを見ると、この年数あたりでメンバー数のグラフがどんどん縮んでいます。なぜ人がAAを離れていくのか。それはもうAAに魅力を感じなくなったからでしょう。その人たちも、自分自身の問題や自分なりの解決を見つけたからこそ、AAに留まっていたのでしょう。たぶんナラティブな効果によって。しかし、その間にメンバー皆に「共通する問題」や「共通の解決方法(12ステップ)」に触れることができなかったからこそ、もう自分にはAAは必要ないと結論付けて去ってしまったのではないでしょうか。

去っていった人たちが悪いのではなく、「共通する問題」「共通の解決」を提供できないでいる日本のAAに問題があるのだと思います。僕が「AAのメンバーを増やす最善の方法は、いまAAにいるメンバー一人一人が12ステップをやることです」と言うのはそのことです。

ナラティブセラピーは、その専門家に任せておけばいいじゃないですか。


2012年03月09日(金) 早期発見・早期治療は役に立ったか

3月11日もAAの病院メッセージに参加したりして、いつもと変わらずに過ごしていると思います。

広く日本のAAで使われている『12のステップと12の伝統』という本には、こういう下りがあります。

「AAの誰もが、まず底をつかなければならないというのはなぜだろうか。底つきを経験してからでないと、真剣にAAプログラムをやってみようと思う人はほとんどいない、というのが答えだ」

回復するためには、まず「底つき」(hit-bottom)をする必要があると言っています。さらには別のところで、AAの初期の頃には「どん底のケース」(low-bottom case)の人たちしかAAで助からなかったが、最近の若い人たちを助けるためには「底つきを、その人たちのために引き上げる(raise the bottom)」必要があった・・とも書いています。

この「底つき」はしばしば誤解されています。社会的立場を失って、社会の底辺に向かって落ちていくことであり、これ以上落ちようがないところにたどり着くのが底つきである・・という解釈は間違いです。

実際には社会的立場を失わなくても底つきを経験する人はいるし、一方でどこまで落ちていっても底をつかない人もいます。確かに、何かを失うことは底をつくチャンスではあります。仕事や家族を失うことが、底つきのきっかけになることもありますが、そうならない場合のほうが普通です。

12ステップをやった人には「底つき」が何であるかは明確です。意思の力で酒はやめられない(再飲酒は防げない)という自覚です。底つきをするのに何かを失う必要はありません。

おそらく10年か20年ほど前から、医療や援助職の人たちが「底つきの底上げ」ということを言い出しました。どん底に落ちる前に早めに底つきを経験させる・・という意味ですが、前述のような底つき概念への誤解に基づいた考え方でした。

この雑記のテーマは、この「底つきの底上げ」が何をもたらしたかを考えることです。物事には功罪両面があるのが普通であり、「底上げ」にも良い面もあれば、悪い面もありました。僕としては害のほうが大きかったと考えています。

「底上げ」のために医療や援助職の人たちが取った戦略は、早期発見・早期治療でした。そのために「アルコール依存症は病気である」という啓発活動が行われました。これは功を奏し、昔だったら依存症と診断されないような人たちも、依存症者として扱われるようになりました。

本当に重症化した人たちばかりではなく、まだそれほど深刻でないケースでも依存症と診断されるようになりました。12&12にあるように、「まだ元気で、家族もいて、仕事も失わっていない」という人たちが、問題(の一部)に気づき、酒をやめるチャンスが与えられたのです。早期発見・早期治療は実現しました。

ではその人たちが、「底つき」を経験したかといえば、僕は否だと思います。それは、社会的なものを失っていないからではなく、意思の力で酒はやめられるという方向へ誘導されたからです。

そうした早期診断が行われる前は、依存症と診断される人は重症化・深刻化した人たちばかりでした。自分の(意思の)力では、短期間しか酒をやめ続けられなかったため、断酒会やAAという当事者の継続的な援助を必要としました。

「底つき」とは言葉を変えれば「援助への希求」です。私には助けが必要だ、仲間やハイヤーパワーの力がなければ自分は再飲酒を防げない、という自覚が、援助を求める姿勢へとつながります。「底上げ」以前は、そういう流れになりやすかったのです。

ところが依存症が病気だという啓発活動が奏功して、早期発見されるとともに、診断を下される人の数も増加しました。深刻化した人たちの割合は減り、自分の力である程度の期間(何ヶ月か何年か)やめ続けることが可能な人たちが増えました。

元々依存症の人たちは援助を求める能力が低いのですが、それが援助を求める方向へ転換するのが底つきです。早期診断を受けた人たちは、確かに酒をやめたかもしれません。でも援助を求める方向へは転換しませんでした。とりわけ当事者同士の援助である断酒会やAAにはつながりたがりませんでした。それを「とりあえず酒はやめられているから良いではないか」と追認する雰囲気が、医療や援助職の中に生まれたのではないか、そう考えています。

結局、早期発見・早期診断は実現したけれど、底つきの底上げにはつながらなかった、というのが本当のところではないかと思います。

最近こういうケースに接することが増えています。比較的早めに診断を受けて(最初は少し苦労するけれど)自力での断酒に成功している人たちです。この人たちが、何年かすると再飲酒します(場合によっては十年以上のケースも)。断酒の初期の頃に、短期間AAや断酒会の世話になっている場合もあるし、なっていない場合もあります。いずれにせよ、飲む人は飲みます。

依存症の人が再飲酒するのは、ある意味「当たり前」なので、そのことをとりわけ問題視する必要はありません。しかし、早期診断を受けて何年間か自力断酒が出来た人というのは、その後がこじれてしまう場合が多いのです。

一つには、自力で何年間か(10年以上も)やめられたという成功体験がアダになり、改めて断酒会やAAの援助を求めることがますます難しくなりがちです。もう一つ、「飲んでいない期間も依存症は進行する」という考え方がありますが、実際その通りだと実感させられます。まるで酒をやめていた期間などなく、その間も飲み続けていたかのような、急激な悪化を見せます。そのために、やめるのがますます困難になっています。

しかし、最も切ないのは子供のことです。最初の断酒が始まる頃には、子供が小学校に上がる前か、低学年くらいという年代が多いわけです(早期発見のおかげです)。それが、それが数年後とか十年ほど後になると、ちょうど子供が高校受験とか大学受験のころに差し掛かります。その頃になって、家族の悪夢が再現されるわけです。それまで以上に金銭が必要になる時期でもあり、ご本人もなんとか働き続けて稼ごうと思いますし、家族にもそれを応援しようとします。しかし、回復よりも仕事を優先すれば何が起こるか。再飲酒や入院、失職、離婚、自殺など。結局子供の人生は大きく狂ってしまいます。

最初の時にきちんとしていたら、こうはならなかった・・はず、なのになぁ、と残念な気持ちにさせられます。

早期発見・早期診断は良いことですが、それが継続的な援助を求める方向に向かわないのが大きな欠点です。医師からは「断酒会やAAに導きたくても、患者が診察室に現れなくなってしまえば接点を失ってしまう」と聞きます。

早期発見・早期診断は(少なくともそれだけでは)失敗だったと思います。何年間か自力でやめられる人たちを作り出したので、見かけの成果が挙がっているだけで、本質的な問題の解決には至っていないというだけのことではないかと。クライアントが目の前からいなくなれば問題は解決したことになる、それが医療や援助職の理屈であり、その理屈が「底つきの底上げ」作戦が成功したかのような幻想を作り出しただけだったと思うのです。

医療や援助職にとってはそれでいいかもしれません。でも当事者にとっては、中途半端な解決は悪夢そのものです。せいぜい数ヶ月か数年しかコミットしない専門家と違って、当人にとっては一生の問題なのですから。

もちろん早期診断が生涯の断酒に結びつく人もいるでしょう。しかし、その割合はそれほど多くないというのが印象です。具体的数字を持っているわけじゃありませんが、「底つきの底上げ」が言われるようになって10年・20年が経過し、年単位の断酒を経た後の再発の問題が顕著になってきているのじゃありませんか?

だから、早期の診断を、一生続く援助(つまり当事者活動たる自助グループ)へとどのように結びつけていくか。医療・援助側と当事者活動の橋渡しが必要なのだと思います。

「大事なのは最後の一杯を飲んでから何年経ったかじゃない。次の一杯を飲むまで何日あるかだ」


2012年03月05日(月) アディクションセミナー雑感

横浜のアディクションセミナーに行ってきました。正直、金曜日には疲れが溜まりまくっていたので、週末の予定を全部まとめてキャンセルしたいぐらいの気分だったのですが、約束していたこともあったので出かけてきました。

(とは言うものの、僕が行かなかったとしてもそれほどトラブルになるわけじゃありません。行かなければ誰かがちょっとだけ困るでしょうが、僕が空けた穴は別の誰かがきっと埋めてくれるでしょう。それは僕がそれほどの重要人物ではないということです。しかしやはり穴は空けるべきではありません。軽諾寡信とは老子の言葉)

午前中は自分たちの分科会の部屋にいたのですが、午後はメインホールの体験発表(スピーカー)を聞いたり、他の団体の分科会を覗きにいったりしていました。そこで感じたことをいくつかメモ的に書き残してお気ます。

アディクションセミナーには様々なグループ・団体の人たちが来ていますが、アルコール・薬物の物質依存系の人は少ない感じでした。薬物の人は多かったけれど、あれは昼休みに琉球太鼓を披露する人たちが来ていたからで、それがなければもっと少なかったのではないかと思います。あの琉球太鼓は、人前で演舞をすることで、いままでの生き方で張り付いてしまった否定的な自己像をぬぐい去る効果を狙っているのだと聞きました。AAの分科会も(毎度のことですが)10人以下のこぢんまりした感じでした。

午後のメインホールでのAAのスピーカーの人が、「AAメンバーは内向きで、AA以外のことに関心を持たない。今日来て初めて知ることばかりだ」と言ってましたが、AAメンバーが内向き過ぎるというのは、その通りだと思います。

だいたいAAのオープン・スピーカーズ・ミーティング(OSM)というのは、アルコホリズムのことや、そこから回復する手段であるAAのことを世間に広く知ってもらい、回復できる手段があることをまだ知らない人に伝えていくための手段です。だから「オープン」なのです。だとすれば広く世間に広報して、関心のある人に来てもらい、参加者のうちAAメンバーの占める割合が半分以下とか、もっと少なくても良いぐらいものであるはずです。

しかるに、現実に行われているAAのOSMは、参加者の実に9割以上がAAメンバーというとんでもなく身内感覚のイベントで、「(他地区・他県から)来てくれたAAメンバー数が多ければ成功」などという評価基準になってしまっています。これじゃあAAのメンバー数増加が頭打ちになるのも当然と言えます。AAメンバーの視線はAA内部に向けられていて、世間の中で「まだ苦しんでいるアルコホーリク」のことは無視されています。

むしろ、ギャンブルやACやひきこもりのような、物質嗜癖以外の分野の人たちが元気でした。HA(ひきこもり・アノニマス)は小部屋で分科会をやっていましたが、(確かめたわけではありませんが)HAメンバーよりそれ以外の人のほうが多く、ニーズがたくさんあるのだろうと感じました。

注目すべきは、午後のメインホールでのスピーカーで、お二人が発達障害について言及していたことです。お一人はADHD、もう一人はアスペルガーという話でした(どちらも女性)。発達障害が「生きづらさ」の原因になっている場合があり、その部分には12ステップが解決になってくれないわけで、回復しようと努力していても、何年経っても変わらないってことが起きてしまいます。その場合、変えられない部分は変えられないことを受け入れて、別の部分を変えようと努めるようにするしかないわけです。発達障害ゆえの特性は特性として、それ以外の二次障害の部分には12ステップによる変化あり得るということを示してくれたように思います。お二人のスピーチは賞賛に値すると思います。

ただどちらもACのジャンルの人たちでした。発達障害は分野を問わず、アルコールの人にも、薬物の人にも、ギャンブルの人にも、またそれぞれの家族の立場の人にも存在するはずで、将来、そうした立場の人で発達障害を自認する人の話が、ここで聞けるようになると良いのですが。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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