ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2010年01月31日(日) 一段落 久しぶりにのんびり雑記でも書こうと思ったらもう夕方です。
深夜までに書類を一式準備しなければなりませんが、とりあえず雑記を先にしましょう。
スポンシーと月に二回のペースで続けてきた、ステップの受け渡し作業が一段落つきました。終わったわけではありませんが、ステップ8の表ができたので、あとはご本人があちこちで埋め合わせをしていく過程を見守ることになります。
一回のセッションは6時間ぐらい。短いときは3時間ぐらい。月に二回のつもりでしたが、お互いのスケジュールがあわず月に一回だけになったことがあったので、7回のセッションを終えるのに4ヶ月半かかりました。
僕は、初版に寄せてから始めて、「医師の意見」、1章、2章、3章でステップ1、4章でステップ2、5章の途中まででステップ3をやり、そこでいったん12&12のステップ4に移って、安全・社会的・セックスの三つの本能について理解した上で、ステップ4に進むことにしています。今回はステップ3が終わったところで「あとは次回」ということにしてしまったため、それが辛かったとスポンシーの人に指摘されました。
ステップ3で「なんだってやってやる」と決心したのはいいけれど、じゃステップ4は次回ねということになったために、具体的な行動が何もできずにただ次のセッションを待つしかない「ヘビの生殺し」状態になってしまいました。幸い今回はスポンシーがその間もモチベーションを保ち続けてくれたから良かったものの、そうでなかったら、そこでしくじっていたかも知れません。次からはそこで区切らないように気をつけることにします。
それから、なぜ恨みの表→恐れの表→傷つけた人の表という順番で書くと良いのか、それもスポンシーから教えてもらいました。人を傷つけたことや、人を恐れていることは、いきなり表にしづらいのですが、人に傷つけられたこと(恨んでいること)は比較的書きやすい。それが首尾良くできたら、自分では書きづらいと思っていた表もハードルが低くなっているわけです。
表を見て、話を聞きながら、本当はその人の何が傷ついたのか、かわりにいつどうすればよいのか、その人の特徴的な行動パターンは何か、それはどこから来たのか、一緒に考えていくのはなかなか疲れる作業です。今はスポンシーが帰った後で布団を引いて1〜2時間休んでいるのですが、そのうちこれにも慣れていくのかどうか。
僕は彼の回復の役に立てたのでしょうか。
それは分かりませんが、是非そうであって欲しいと願っています。僕は誰かの回復の役に立てることもあるでしょう。でも逆に回復の足を引っ張ってしまうこともあるでしょう。自分が「誰にでも良い影響を与えられる奇跡の人」でないのはハッキリしています。
短期的に見て誰かが傷つかないように配慮すると、長い目で見ればその人の足を引っ張っていることが多いようです。厳しく接することが最善ということを僕も学ばねばなりません。僕のソブラエティの初期の頃に、厳しく接してくれた人たちへの恩義を改めて感じます。
2010年01月28日(木) 発達障害について(その14) Dr.KOBAのブログが閉じてしまって残念です。
アスペルガー症候群の人の起こした殺人事件がニュースで大きく扱われたこともあり、アスペルガーの人に犯罪性向があるという誤解があるようです。もちろん、アスペルガーの人が全体として犯罪に絡むわけではありません。しかし、犯罪を犯してしまう人がいるのも事実です。杉山先生の本では触法行為がある割合は約5%だとされています。
まずひとつは自閉症圏の特性が原因になっているもので、例えば放火の事犯を取り上げると、その動機が恨みやむしゃくしゃしたからではなく、「火をつけたらどうなるか知りたかった」というシングルフォーカスの特性や結果を想像する力の障害から起こってくるものです。
(それが人を傷つける結果になるとは予想できないから)。
もうひとつは、未診断・未治療のまま経過したケースで、いじめや虐待という迫害体験から周囲から孤立し、家族とのあいだにも強い葛藤がある場合です。あるいは、家族が子供の行動を修正する努力を放棄してしまい(要はネグレクト)、不適応が社会的問題として噴出した最初がたまたま犯罪だった、というケースです。
どちらであれ、早期に診断、介入が行われれば防げることで、アスペルガーそのものに犯罪性向があるわけではありません。
併発症について書いておくと、アスペルガーの併発症でもっとも多いのは気分障害(うつ病)です。アスペルガーもうつ病も、セロトニン系の機能不全が関係するところが共通しているので、これは当然かもしれません。
近年、メランコリー型のうつ病(本来のうつ病)以外のうつが増えてきています。そうした非定型のうつ病は器質的な色彩を帯びているという指摘があります。そうした器質的うつ病の背景には、(アスペルガーに限らず)発達障害が存在しているのではないか、と考えればつじつまは合います。
統合失調症も多いのですが、自閉症圏の人が持つ「心が触れあわない印象」は、統合失調の人の持つ「硬い印象」と共通するのかもしれません。実際、アスペルガーとせず統合失調症と診断する精神科医もいるそうです。これにはメリットもあり、高機能発達障害では障害年金がもらえませんが、統合失調ならもらえるのです。
強迫性障害も多く、ひとつは子供の頃の不適応の結果としてなるもの。もうひとつは社会的適応が悪くないグループで、大人になってから周囲に適応しようと努力しすぎて強迫性障害になってしまう人たちです。
不登校も多いのですが、これはいじめがあれば当然かも。解離性障害が多いのも、記憶にフラッシュバックが起きやすい特性と関係あるのでしょう。
意外なのは性同一性障害の多さです。小学生の頃に心の理論を獲得した後で青年期にさしかかると、自分と周りの(同性の)人との違いに気づくようになります。自閉症圏の人は、対象との心理的距離を保てないという特性があります(これが想像力の障害へとつながっている)。自分について他者からの視点を欠いてしまうため、どこが問題なのかわかりません。自分の抱えている違和感の原因を、性的役割に求めてしまうと、男の子が女になりたい、女の子が男になりたいと思うようになります。
(しかしこれは本質的な性同一性障害とは違うような気がします。性転換手術後に自殺する人たちは実はこういう事情があるのかも。あるいはアスペっぽい性同一性障害の人は、実はアスペだけなのかも)。
これを防ぐためには、思春期になるまでには、本人に告知をする必要があるわけです。
考えてみると、性同一性障害も発達障害の一種と言えるのかもしれません(器質的問題だから)。
統合失調にしても、うつ病にしても、はたまた社会不安障害のようなものでも、その病気の標準的な従わない「非定型」があり、しかもそれが往々にして遷延性とか難治例であったりするわけです。そういう例の根底には発達障害があるという話が出ています。例えば(自閉症でなくても)子供の頃に虐待を受けた人が、大人になってうつ症状や不安障害を発症したとして、大人になってからの症状だけに着目して治療しているだけでは、なかなか根治に至らないのもうなずける話です。
大人を診る精神科医たちは、患者の生育歴に着目する習慣を持ちませんから、発達障害の存在は見過ごされがちです。21世紀の精神医学は、発達障害を抱えながら大人になった人たちのさまざまな併発症に対応していくことになるのでしょう。
21世紀の発達障害は、20世紀の精神分析のような大きなジャンルになっていくのではないか、と想像するのです。
さて、自閉症圏の話はここら辺にして、次回からADHDと虐待のことに移るつもりなのですが、星野先生がADHDと依存症についての本を書いているので、その本を読んでからにしようと思います。星野先生は、アルコール依存症をはじめとした各種依存症と、ADHDを含めた各種発達障害は重なっていると考えているようです。つまり依存症の人には、多かれ少なかれ発達障害(被虐待も含む)を抱えているのではないか、ということかも。
というわけで、いったん発達障害についてはこれで終わりにします。僕は自分が調べたことと考えたことをごちゃ混ぜにして書いているので、この雑記を鵜呑みにせずクリティカルな視点を持って読んでください。それから、発達障害そのものに興味があるわけではなく、あくまで依存症との関わりの中で調べているだけの話です。
(ひとまずおしまい)
2010年01月25日(月) 発達障害について(その13) このアスペルガーについての雑記を読んで、「自分もあてはまるかもしれない」とスポンシーの人に言われました。僕は素人なので診断を下す立場じゃありませんが、その人を見てアスペルガーだとは思わないわけです。
子供の臨床に関わっている医療従事者が、発達障害のことを勉強したところ、来る患者全員が発達障害に見えてきてしまった、という話がありました。
なぜそう感じてしまうのか。
発達障害で問題になるのは、各能力間の発達の凹凸であり、凹の能力がその人の能力全体の足を引っ張ってしまうことだ、という話を思い出して下さい。発達障害でないことを定型発達と言いますが、この定型発達はすべての能力が均一に発展することを意味しません。
人間というのは得意なこともあれば、苦手なこともあります。発達障害を見る目を養うということは、能力間の凹凸に目を向けることですから、誰でも持っている得手・不得手にも目が向いてしまい、結果としてみんな発達障害に見えてしまったというわけです。
自閉症にも重度の人もいれば、軽度の人もいます。アスペルガーでも深刻な人もいれば、軽微な人もいます。発達障害と定型発達は白黒はっきり区別できるものではなく、つながっているものです。定型発達の人の中にも、アスペっぽい人がいることになります。とってもアスペっぽい人もいれば、少しだけアスペっぽい人もいるはずです。
前述の彼は、ひょっとしたら少しだけアスペっぽいのかも知れません。
アスペ度合いがどの程度であったとしても、(もしそれが本当にアスペから来ている障害であるのなら)障害の特性は修正しようがない、という点に着目する必要があります。
例えば大人のアスペルガーの人の悩みから「人からの誘いをうまく断れず、険悪になる」を取り上げてみると、人付き合いがうまくなるという目標ではなく、誘いを上手に断れるようになることをまず目標とすべきです。
このように障害といえるレベルでも、そうでなくても、人間の特性には変えようがない部分があることを考えねばなりません。
とはいえ、障害に対して何もできないわけではありません。子供のころに出来ることはたくさんあります。大人数の普通学級で逸脱行動を続けているより、少人数の特別支援教室でこまめに面倒を見てもらうべきですし、薬で衝動性を抑えて学習に取り組めば成績も伸びます。また虐待やいじめ、周囲の無理解からの保護も必要です。
そのためには何よりも、早期の診断が必要です。それも小学校入学前に。
自閉症圏の人は、概念化や一般化が苦手です。人間関係のルールを場面場面に適用していくことが苦手で、これが社会性の障害となります。場面に合わせて何が正しい行動かわからないので、紋切り型で不適切な行動をしてしまうわけです。しかし、彼らは記憶力が良いし、ルールを守ることは得意です。場面に合わせて細かくルールを学んでいき、失言をして恥をかくことを恐れずに質問していけば、適切な行動を取れるようになっていきます。
このように本人の努力と周囲の協力によって、社会や人間関係のトラブルは減らしていけます。また二次障害は防ぐこともできます。
つまり、障害には変えられる部分と、変えられない部分があります。変わらない部分は本人も周囲も受け入れ、変えられる部分は積極的に変えていくことが、障害への対応なのだと思います。
(まだ続く)
2010年01月23日(土) 発達障害について(その12) やっと雑記の更新です。
読んだ雑誌に、(自閉症を含む)アスペルガーの幼児が、何かに自分の頭を繰り返し打ち付ける自傷行為をするのは、母親に甘えたいのに障害ゆえに甘えられない葛藤が原因ではないかと書かれていました。
母親と一緒に何かを喜ぶことをしない、そのくせ奇妙なこだわりを見せる。人を避け、目を見ず、だっこを要求せず、抱きしめようとすれば身をよじって嫌がる。母親にとってアスペルガーの子供は育てやすい子供ではありません。障害の特性が「しつけの失敗」と見なされると、それは母親へのプレッシャーとなり、子供の意思を無視した強制へと発展しかねません。
つまり、アスペルガーは子ども虐待の危険因子となります。
保育園・幼稚園では集団行動の枠が緩やかなためにトラブルにはなりにくいのですが、小学校に上がると、集団行動ができない、人の気持ちを読み取れない、という特性が、激しいいじめを招く原因ともなります。自分のこだわり(遊びのルールなど)を他の児童に押しつけて平然としているといった発端から、障害への無理解が重なっていじめへと発展していく、という例が示されていました。アスペルガー児の実に8割が深刻ないじめを経験していた、という調査もあります。
一方で、人の気持ちが読み取れないという特性は、いじめの意味を読み取れないことにもつながります。小学校低学年では、いじめを受けていても割と平然として我関せずの態度を取っています。
小学校高学年になるまでには(健常児に比べれば何年も遅いものの)「心の理論」を獲得し、他者の心理を把握することができるようになります。これによって社会的なルールに従えるようになるわけですが、健常児とは脳の違う部分を使ってこれを成し遂げます。いわば役者が他者を演じるように、社会的に期待される役割を理解してそれを「演じる」ことが可能になっていきます。
(しかし、従いたいと感じて従うわけでなく、期待される役割を演じるために生きることそのものが辛い体験に違いないと思います)。
これにより、ルールに従えないというトラブルは激減するものの、今度は他者との関係を非常に気にするようになります。その中にはいじめに対する態度も含まれ、それまでの超然とした態度から一変して、深刻に悩むようになります。ここへ、自閉症圏のフラッシュバック現象が重なり、過去に受けたいじめの体験によって、対人関係の不適合を起こしてしまいます。フラッシュバックが生じると、それを軽減されることは困難です。
他者からのどんな働きかけであれ(たとえ親切にされたのであっても)被害的に受け取ってしまい(被害的認知)、攻撃的な態度に出てしまう、となると対人関係を良好に転ずることが難しくなります。早めに診断を行い(学校に上がる前)、適切な療育をするとともに、周囲に障害のことを理解してもらうなどの環境調整が必要となります。ともかく、いじめからの保護が重要だとされる根拠です。
赤ん坊は、母親を目で追う、親から離れようとしない、去ろうとすると後追いする、という「愛着行動」を見せますが、自閉症圏の赤ん坊にはこの愛着の形成が遅れます。アスペルガー児では本格的な愛着の形成が小学校に入ってからになることも珍しくありません。
小学校のこの時期に遅れてやってきた幼児的な甘えが、うまく両親に受け止めてもらえればいいのですが、それがうまくいかなければ虐待を受けたのと同義になるわけです。
こうした虐待といじめの迫害体験によって、劣等感・無力感・疎外感を味わい続けていると、やがては体に症状が出る心身症や、うつ病・強迫神経症・統合失調症・各種依存症や人格障害といった「二次障害」へと発展していきます。仮にそうした病気にならなかったとしても、被害的かつ攻撃的な対人関係が固定してしまうと、社会への適合にも人間関係でもトラブルを抱えて生きていくことになります。
(休み休み続く)
2010年01月18日(月) 発達障害について(その11) 繰り返しになりますが、ADHDとアスペルガーの鑑別のポイントはここにあるのかもしれません。
「ADHDは人なつこく、人にからかわれることも基本的に好みますが、アスペルガーの場合には孤立を好み、からかわれることを嫌います」
さて、図書館に返してしまったアスペルガーの本のメモの続き。どのように対応するのがよいかという話。
・人間性を直そうとせず受け入れる
「発達障害への対応で大事なことは、がんばればできると思わないこと。がんばってもできないことがあるのを理解し、受け入れましょう」
二次障害の問題は(アスペの上にアルコールの問題が乗っているとしたらその問題も)修正可能であるにしても、元々抱えているアスペルガーゆえの問題は直しようがないわけです。例えば人の話を聞けなかったり、集団行動ができないことを、性格のせいにして非難することは、本人に不可能を要求するだけであり、それが続けば彼らの行き場を奪うことにしかなりません。
アスペルガーゆえの欠点は直そうとしてはいけないわけです。
・二次障害
詳しくは次回書きますが、アスペルガーは家庭内では虐待、学校などではイジメの原因になりがちです。周りと自分が違っていることに対して、自分を責める方向へ向かうと、劣等感やストレスから心身症を起こしたり、攻撃的な対人関係を作ります。
こうした二次的な問題が、元々のアスペルガーの問題に加わって、本人を大変生きづらくさせてしまいます。
・家族に愛着を持ちにくい
アスペルガーに限らず自閉症圏の人は一人を好みます。また感情表現が得意ではありません。過敏性があるので、家族の言葉も雑音に感じられることがあります。見つめ合って笑うというような感情の交流を家族が求めても難しいわけです。→心の中にある様子をくみ取り、理解しようと努める。
・友達づきあい
集団行動は苦手で一人を好みますが、友達と仲良くなりたい気持ちはあります。場の雰囲気が読めず、行動の加減ができないため、いたずらや悪ふざけに誘われると、加減ができずにやりすぎてしまうことがある。→しばしば非行につながる。
・言いたいことをいってしまう
「そのヘアスタイルは変だ」とか「ダサい服」と思っても、ふつう対面で言わない(言えない)ものですが、アスペルガーの人はそれを言ってしまう。それも特性の一つとして受け入れるほかはありません。
(いったいどこまで続くやら)
2010年01月17日(日) 閑話 発達障害の話はまだ続ける予定ですが、ちょっと脇にそれます。
回復前の自分を振り返って、思うことの一つに「人に甘えるのが下手だった」というのがあります。
基本的に自己喪失した淋しい人間だったわけです。
人は淋しいときにどうするか? 淋しければ人と交わるしかありません。人の集まるところへ出かけていって、声を掛け、話をし、一緒に食事をしたり遊んだりすればいいわけです。しかし人に声を掛けるのは怖かったし、どんな話をしたらいいかもわかりませんでした。
例えば立食パーティーでは初対面どうしが話をするわけですが、その場合にはまず相手を褒めることから始めるのだそうです。といっても初対面の人のことはよく知らないので、ネクタイの柄でもなんでも褒めればいいのだとか。しかし、僕は人を褒めるのがたいそう苦手でした。
子供と話をしたいお父さんのための会話法というのがあります。お父さんは子供のことが知りたいので、「学校はどうだ?」「勉強は進んでいるのか?」「友だちはいるか?」という尋問になってしまいがちですが、これをやると子供は頑なになってしまいます。逆にお父さんが「会社で一緒に働いている人でこんな人がいて、お父さんはその人との間でこんな苦労があって」という話をすれば、子供も友達との間のトラブルを話す気になってくれる、といった類です。
つまり人と親しくなるには自分を打ち明ける必要があるのに、僕はそれも苦手で、やれ学歴がどうとか、仕事の専門性がどうこうという自慢話ぐらいしかできなかったのです。
AAに来た頃、ある仲間が電話番号を教えてくれました。
僕は淋しかったので、大変勇気は必要でしたが、その人に電話を掛けてみました。するとその人は気持ちよく話し相手になってくれました。僕は、今後電話するなら何時頃がよいかと尋ねると、ミーティングのない晩の9時過ぎなら良いという返事でした。
「すごい良い人だなぁ」と、僕の中でその人の評価はうなぎ登りです。僕はやがてしょっちゅうその人に電話を掛けるようになります。電話しても良いと言われた時間帯とはいえ、その人の生活時間を浸食している、ってことは少し頭をよぎりましたが、それで行動のコントロールが効いたわけじゃありません。やがて「度が過ぎるのではないか」とその人に叱られる羽目になりました。それは僕が悪いのですが、叱られた途端に僕の中でその人の評価が急降下してしまいました。
アル中さんの対人関係は、賞賛とこき下ろしの両極端だと言いますが、まさに僕もそれをやっていたわけです。赤ん坊が親に甘えるようにべったりもたれかかり、それを叱られると「僕なんか大事じゃないんだぁ〜」といじけてしまう、という構図です。
人間関係、まったく甘えを排除するわけにもいきません。歯車の間に遊びがなければ機械が壊れてしまうのと同じです。しかし、誰かをべったり甘えさせるほど許容量の大きな人はいません。結局、少し甘えを許し、少し厳しいことを言う、そのバランスが取れているあたりがちょうど良いのでしょう。
AAのキャリアも長くなってくると、しだいに逆の立場に移ることになります。ちょっと親切にすれば良い人だと言われ、ちょっと厳しいアドバイスをすれば嫌なヤツだと言われ、それに振り回されていたらこっちの身が持ちません。良い人だと言われるのも、嫌なヤツだと言われるのも、「相手の病気の症状である」と割り切ってゆかなくては。
断酒系掲示板では、さんざん悪態をついて出て行った人が、前回の詫びもなくしゃあしゃあと戻ってくるわけです。おそらく世間では許容されない行いでしょうが、そこはメンヘル系掲示板ゆえに許されるべきことなのでしょう。自助グループも同じようなものです。そうした人が、少しずつ人間関係を学び、社会性を身につけていくのも回復の一部なのだと思います。
先日ミーティングの後でスポンシーとマクドでコーヒーを飲んでいました。僕の離婚前後は、ちょうど彼にプログラムを渡している最中で、一緒に食事したりしていました。一人暮らしになった後は淋しかったし、お茶に夜遅くまで付き合わせたこともありました。一応スポンサーとしてのお話がメインという建て前ですが、従としてグチその他を聞いてもらいたい部分もあったわけです(そっちが主だったりして)。
それで先日彼はコーヒーを飲みながら、その頃の話をして「あんときゃスポンサーとしての立場を濫用してさ」と僕をからかいたかったのでしょう。僕としては「話に付き合ってくれて、ありがとね」と笑うしかありません。
自分を振り返って、少しは昔より人に甘えるのが上手になったかな、と思ったりします。まあ、もう少しスマートに甘えられるようになりたいものです。
ま、君もスポンサーになったら、適度にスポンシーの時間を搾取してくれぃ。(という冗談がアスペの人には通じないわけだ)。
2010年01月15日(金) 発達障害について(その10) では少し脇道にそれて、AAに来たアスペルガーの人に対して、こちらはどんな対応ができるか、アイデアだけでも書いてみます。
例えば、接触を嫌がること。
グループによっては、握手やハグをしているところもありますが、アスペルガーの人にはこれが大きな心理的負担になることを考えるべきだと思います。
自分の話に夢中になりがちなことを考えると、ミーティングでの分かち合いを一人最大何分までと決めておいてもいいでしょう。アスペルガーの人はハッキリとしたルールを守るのは得意なので、時間が来たら終わりにするのであれば、話の途中で止めても感情が傷つかずにすむと思われます。
臨機応変が苦手ということを考えてみます。
ミーティングでは分かち合いのトピックス(テーマ)を決めることがありますが、そのトピックスはミーティングが始まってから司会者から提示されるのがほとんどだと思います。多くの人にとって、これは負担にはなりません。最初に話をする人はちょっと大変ですが、人の話を聞きながら、自分の番が来たら何を話すか考えておけばいいわけですから。
しかしアスペルガーの人が「二つのことを同時にこなすのが苦手」だということを思い出してください。「人の話を聞く」、「自分の番で話すことを考える」というのは別のことですから、これを同時にこなすのが難しいでしょう。結果として彼らはミーティングで自分の話をするのが苦手になりかねません。
そこで、ミーティングのトピックス(テーマ)は一週間前などにあらかじめ決めておき、何を話すか事前に考えてきてもらいます。また、書面に書いてきたものを読み上げるのもオーケーということにします。予定通り物事を進めるのは得意なのですから。(自閉症グループ全体に、話すことより書くことが得意と言える)。
この「事前に分かち合いのテーマを出しておく」「書面を読むのもオーケー」という対応を、ギャンブルの施設での発達障害クローズドのミーティングで試してうまくいっているという話が紹介されていました。
こうして考えてみると、とりあえず必要なこと、できることは、発達障害の人のダブル・クローズドのミーティングではないかと思います。ミーティングの数が少ない田舎では難しいでしょうが、都市部ではダブル・クローズドを開催する余地もあるでしょう。
そして、発達障害の人をそうしたダブル・クローズドにうまく誘導できるような周知も必要になってくるのでしょう。
発達障害においては「人間性を直そうとせず受け入れる」ことが大事だとされます。しかしそれは、とりもなおさず、周りの人に対してその人のやり方に合わせる負担を強いることにもつながります。例えば上に書いたようなことを、すべてのAAミーティングで実施しようとすれば、きっと大騒ぎになるでしょう。
だからといって発達障害の人をダブル・クローズドに隔離する発想になってはいけませんが、彼らが回復できる場所を担保するためにも、そうした会場が必ず必要なはずです。
またビッグブックを読んでみると、たくさんの慣用句や修辞がちりばめられています。しかし、それに気を取られてしまうアスペルガーの人たちを考えると、「足をなくした人」に例えるような修辞を一切廃し、直球勝負の文章だけ(しかも平易な言葉)だけで編集されたテキストがあっても良いと思います。
基本テキストは安易に改変しないという合意がAAの中にありますし、著作権によっても守られています。けれど視覚障害者のためにオーディオCDを作ったり、弱視の人のために大判の印刷を作ったわけです。そうした対応をもう一歩進めて、発達障害の人のためにシンプル版のビッグブックというものを作っても良いのではないか、と思うのです。
僕は以前から、ビッグブックを総ルビにすべきだという話をしています。漢字に全部ふりがなをふるわけです。これですら実現しないのですから、文章そのものを改変したものを作るとなると簡単ではないのは確かでしょうけど。
障壁を越える、というのは何も文化や言語に限らないと思うのです。
(つづく)
2010年01月14日(木) 発達障害について(その9) ADHDとされた人の中に、相当数アスペルガーが混じっているのではないか、という話をもう少ししておきます。
社会性の障害に注目したのがアスペルガーであり、行動の傷害に焦点を当てたのがADHDです。だから、一人の人がアスペルガーとADHDの両方の診断基準を満たすことはあり得ます。その場合は併記せず、アスペルガー(社会性の障害)を優先させるという決まりがあります。なので、アスペルガーかつADHDという診断にはなりません。(アスペルガー+LD、ADHD+LDはあり得る)。
アスペルガーの本を図書館から借りたまま、忙しがっている間にろくに読まずに返さなくてはならなくなったので、箇条書きで抜き書きしていきます。
・言いたいことを一方的に話す
話したいことを夢中で話してしまい、相手の反応を見たり、相手にあわせることが苦手なので、周りが困っていても、お構いなしに話し続け、止めると機嫌が悪くなる。→周りから孤立しやすい。
・興味の幅が狭く一点に集中しやすい
シングル・フォーカスあるいはモノトラックと呼ばれ、周囲の反応に無関心になる。限定された趣味にのめり込む。→人にあわせることの大切さを教える必要。
・人の気持ちが読み取れない
顔の表情、口調、ボディーランゲージ(肩をすくめるなど)が読み取れない。言外の意味や場の雰囲気(空気)を読み取れない。素直ではあるのだが直接的な物言いが人を傷つける。→遠回しの言い方や表情で伝えずに、言葉でハッキリ伝えるようにする。
・慣用句や冗談、敬語が理解できない
冗談を真に受けてしまう。間違いを笑うと傷ついたり、逆にそれを喜んでいつまでもはしゃぐことも→一緒になって騒がず、間違いは直す。場の雰囲気が読み取れないため、不必要に丁寧な敬語を使ってしまう。
・触られることを嫌がる
知覚過敏。音に敏感(聴覚)、シャワーや服が苦手(触覚)。触られるとパニックになる。そのほか、偏食(味覚)。一つのものを食べ続けてもなかなか栄養障害にならない。
・同じ道順、同じ手順にこだわる
通る道、一日の予定などにこだわる。朝乗る電車の座席を決めていたりする。想像力や認知の障害があるため、予定が突然変更になるとパニックになってしまう。また、いつも通りの手順を(相手の気持ちを読まずに)押しつけると、人とトラブルになる。
・記憶力はよい。想像するのは苦手。
自由課題や課題作文が苦手。
・スポーツが苦手
体を動かすことが元々苦手。ルールは覚えられるが、それを状況に合わせて応用するのが苦手で混乱してしまう。周りの人の動きや複数の指示にあわせるのが苦手なので、集団スポーツを避ける(ボウリングなどは得意)。
・二つのことを同時にこなせない
複数の情報を同時に処理できないので、「話を聞きながら要点をメモに取る」、「話の重要性を判断しながら資料にマークをつけていく」ということができない。一対一の会話はできるが、複数人数での会話に参加できない。
(つづく)
2010年01月10日(日) 発達障害について(その8) 自閉症グループには、ウィングの三症状があります。
・社会性の障害
・言語とコミュニケーションの障害
・想像力の障害とそれに基づく行動の傷害
このうち言語とコミュニケーションの障害が軽微なのが「アスペルガー症候群」です。
幼児期は、母親と視線を合わせない、呼ばれても応えない、母親が去っても後追い行動をしない、興味のあるものに向かってしまい迷子になる、などカナー自閉症と同様です(愛着の障害)。
知覚過敏があるのは4割ほどですが、やはり痛いのでシャワーが浴びられない、触られることを嫌がるということもあるようです。明らかな言語の遅れはないところがカナー自閉症と違っています(遅れがある場合は高機能自閉症)。
社会性や想像力の障害は、幼稚園保育園や小学校に入ると目立ってきます。場の雰囲気や人の気持ちを読み取ることが不得手なので、ともかく集団行動が苦手になります。
授業では落ち着いて椅子に座っていられない、先生の話を聞いていない、他の子にちょっかいを出すなど勝手なことをする、興味のない授業では床に寝そべったり外へ飛び出していってしまう・・などという授業妨害をして嫌われる原因となります。
さらに、(ルールを守ることには真面目なのですが)遊びやスポーツのルールがなかなか憶えられないこと、他の子の動きや状況に合わせて判断することが難しく、また体を動かすことが生来苦手(運動音痴)なこともあって、集団による遊びやスポーツが苦手です。
このような授業中に落ち着いていられない、集団で人と同じことが出来ないという学童期の記述だけを見ると、「おや、これはADHD(注意欠損多動症)のことではないのか?」と思った人もいるかもしれません。脇道に逸れますが、それについて少し書きます。
日本の教育分野では、まずLD(学習障害)が注目されました。LDとは読む・書く・計算するという能力に問題を抱え学習が進まない障害です。
これとは別に、能力に問題がない(医学的な意味では学習障害ではない)のに、授業中に落ち着いていられないために学習に取り組めない多動児が増えてきていることが問題となりました。これによりADHDが注目されました。
ADHDへの対応が進んでいくと、これはリタリンという薬が効くことが分かってきました。薬に加えて適切な対応をすることにより不注意や多動の問題がおさまり、学習の遅れは児童期に取りもどせ、(二次障害や虐待などの背景がなければ)青年期を過ぎれば困った問題はあまりなくなってしまいます。これによりADHDに限って言えば、なにも児童精神科医が出てこなくても、町の小児科医で十分対応出来ることがわかってきたのです。
となると、薬があまり効かなかったり、大人になっても問題を抱えているADHDの人は何なのか。子供のころに虐待を受けた可能性がまず一つ。そして、ADHDではなくアスペルガーが誤診されたという可能性です。ADHDとアスペルガーでは対応の枠組みが違うので、誤診があると正しい対応が出来なくなってしまいます。
このように、専門家の注目がLD→ADHD→アスペルガーと広がってきているため、過去にLDもしくはADHDという診断を受けていても、実はアスペルガーという可能性を疑ってみなければなりません。
ADHDもアスペルガーも「場にそぐわない行動」を取る点は同じです(例えば興味のない授業だと外へ出て行ってしまう)。しかしADHDでは怒りや好奇心によって生まれた衝動を制御できず「何が正しい行動か分かっていても、それができない」のに対し、アスペルガーでは社会性や想像力の障害があるために「何が正しい行動か分からずそぐわない行動をとってしまう」という違いがあります。
また対人関係では、ADHDは人なつこく、人にからかわれることも基本的に好みますが、アスペルガーの場合には孤立を好み、からかわれることを嫌います。積極的に人に関わるにしても、あくまでも自分中心的な関わり方となります。
(つづく)
2010年01月08日(金) 発達障害について(その7) カナー自閉症の8割には知的障害があります。しかし、本当に知能が低いのかどうかは疑問が残ります。「状態としての知能」が低いのは言語とコミュニケーションの障害に阻まれて能力が発揮できないためで、「素質としての知能」はもっと高いのではないかと思わせるエピソードも紹介されています。
子供は想像力が豊かで、丸めた新聞紙をボールやバットや刀や拳銃など、様々なものに見立てて遊ぶことが出来ます。自閉症児は現実にとらわれるためこれが苦手です。ルールを守ることは得意なのですが、ルールを逸脱して自由な発想をすることができません。(視点を変えて相手の気持ちをくみ取るのが苦手なのもうなずける話です)。
そのかわり「こだわり行動」を示します。同じ動作を続ける自己刺激行動、好きな趣味に没頭する興味の限定、学校や買い物に行く道順やものの置き方などへ強いこだわりを見せます。例えば、本棚に本を並べる順序にこだわり、他の並べ方をすると怒ります。人の気持ちや場の雰囲気を読む力の弱さに加えて、自分の興味やこだわりを優先し人に強要してしまうため、対人関係のトラブル(子供同士であればイジメ)に発展しがちです。
心の理論のところでふれましたが、過去の記憶と現在の事実を区別する能力が低いことと、おまけに記憶力が良いため、頻繁に過去の記憶を再体験するフラッシュバックを起こします。何年も前にいじめられた体験を思い出し、それを現在と区別できないため、相手に仕返しをしてしまったり、あるいは小さい頃に社会適応させようと無理な訓練を強いられた記憶が蘇ってパニックに陥るケースもあるそうです。
知覚過敏性とフラッシュバックが結びつくと、些細な刺激で過去を思いだしパニックを起こすようになってしまいます。カナー自閉症にしても、アスペルガー症候群にしても、イジメからの保護が課題となります。
知的障害のある広汎性発達障害(カナー自閉症)の出現率は0.6〜0.8%。一方、高機能広汎性発達障害(アスペルガー)の出現率は最も新しい調査では1.5%だといいます。
自閉症は、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害(それに基づく行動の障害)の3つの症状です。アスペルガー症候群は基本的にこの3つの症状を持ちつつ、コミュニケーションの障害が軽微なものです。言語の遅れがなく、知的にも正常が多くなります。カナー自閉症のうち知的障害を持たない高機能グループと、アスペルガーとの違いは発語の遅れがあるかどうかで、質的な差はないとされます。
いつだったか、施設に入っているカナー自閉症の中年男性が、酒を手に入れて飲むようになって依存症を疑われ、精神病院に送られて、そこからAAに来たことがありました。女性の看護師の同伴で、言葉はしゃべらず、一回だけの参加でした。おそらく病院側のアリバイ作りのような参加だったのでしょう。
このような例外を除けば、知的障害を持った自閉症の人がAAにやってくることは、まずないだろうと思われます。自助グループの人間が出会うのは、アスペルガーを含む高機能PDDのグループでしょう。というわけで、次からは本題のアスペルガーについて書いていきます。実はこれまでのすべてはアスペルガーを書くための前ふりでした。
知的には正常、時にはもっと高い知能を持ち、コミュニケーションに問題はないながらも、社会性や想像力に障害を持ち、曖昧で大まかな概念が把握できず、場の雰囲気や相手の気持ちが読めず、一度に一つのことしかできず、融通が利かなくて他の視点が持てず、話をしているとこちらが疲れてしまう人たちについてです。
(続くとも、もちろん)
2010年01月07日(木) 発達障害について(その6) 自閉症グループの子供は、驚くほど記憶力がよいことが知られています。
例えば子供の頃にお母さんに「お前なんかいらない」と言われると、大人になっても言われた日付まで含めてしっかり覚えていたりします。施設に預けられた子供が、そこでの職員との会話を忠実に再現したおかげで、施設スタッフの言葉の暴力が明らかになったという話もあります。
興味を持ったことは覚えるので、天気の週間予報を全部覚えていたり、ポケモンのキャラクターの名前を全部言えたりします。しかし、暗記が得意というわけではないようで、興味のないことに記憶力は発揮されないようです。
記憶力はすぐれているけれど、想像すること、応用することは苦手です。
標準誤信課題というテストがあります。
「A君はチョコレートを後で食べようと<机の中>にしまって遊びに出かけました。A君がいないあいだに、お母さんがそのチョコレートを<戸棚>にしまいました。その後で、A君が帰ってきました。A君はチョコがどこに入っていると思いますか?」
A君はお母さんの行動を知らないので、正解は<机の中>です。けれど、3歳児の多くは<戸棚>と答えてしまうのだそうです。人の気持ちよりも、事実に引きずられてしまうのです。これが4才になるとほとんどの子が正解できるようになります。
最初にチョコレートの箱を見せ「何が入っていると思う?」と聞くと、答えは「チョコ」です。でも開けてみせると中には鉛筆が入っています。そこで、「最初に見たとき、何が入っていると思った?」と聞くと、3歳児は「鉛筆」と答えてしまいます。過去の自分の気持ちより、現在の事実に引きずられてしまいます。
「他の子はこの箱を見て、何が入っていると思うかな?」と聞いても、やっぱり「鉛筆」と答えてしまいます。これが4才になると正解を答えられるようになります。
つまり健常な子は3才から4才になるあたりで、「人の気持ちを想像し理解する能力」や「過去と現在の自分の気持ちを区別する能力」を手に入れます。相手の気持ちを想像して嘘をつく能力も手に入れます。こうした能力を「心の理論」と呼びます。
いつも挨拶をする人が、今日は挨拶をしてくれない。あれ、なにか気分を害してしまっただろうか、と心配するのも「心の理論」が獲得されているからで、これがなければ極めてマイペースな人になります。
知能の遅れがあるダウン症児でも「心の理論」の獲得に問題がないことが分かっています。一方、自閉症児は心の理論の獲得がないことが知られています。
アスペルガーのような知能の遅れがない高機能群では、9〜10才ごろにこの課題をクリアすることが知られています(つまり普通の子の4〜5年遅れ)。しかし普通の人のように直感的に相手の気持ちを読むのではなく、推論を重ねて人の気持ちを理解していることが確かめられています(つまり心の理論そのものの獲得ではない)。
例えば、相手のほほの筋肉が動かず低い声でしゃべっていれば「不機嫌」、目が大きく開かれ口の角があがっていれば「喜んでいる」。おそらく、持ち前の記憶力の良さが発揮され、状況ごとに辞書が作られていくのでしょう。やはり新しい状況は苦手なようです。
このように「心の理論」の獲得がないために、人の気持ちをおもんぱかる、場の雰囲気を読んで正しい行動を選択する、ということが苦手になってしまうのです。
(続きますよ)
2010年01月06日(水) 発達障害について(その5) 自閉症の特徴の一つは、情報の選択ができないことです。
人間の五感には様々な情報が流れ込んできますが、必要な情報を注意選択する機能があります。例えば赤ちゃんは目の前の扇風機の音がうるさくても、その向こうから聞こえてくるお母さんの声に注意を固定します。ところが自閉症の場合には、この注意選択の機能が働かないため、情報の洪水の中で立ち往生してしまいます。
成長するにつれ注意を固定することができるようになりますが、それには意識的な集中が必要なため、しばしば過剰な選択が働いてしまい、必要な情報がすっぽり抜け落ちてしまう、ということが起こります。
こうした情報の洪水に対抗するために、自閉症児は自分で一定のリズムを持った刺激を作り出して、外からの不快な情報を遮断します。目の前で手のひらをひらひら振る、座りながら体を前後左右に振り子のように振る、目も回さずにくるくる回る、など。
また成長すると「解離」を使うことで、外からの情報を遮断するテクニックを使う人もいるそうです。
知覚の過敏性もあります。
普通の赤ちゃんはだっこやおんぶを喜びますが、自閉症児を抱きしめようとするとパニックになり、おんぶすれば母親の背中から離れようとのけぞります。これは皮膚の感覚が過敏なため「触られると痛い」からです。シャワーも痛がって嫌がる子が多く、入浴が嫌いになったりします。服が肌を刺激することを好まないため、服を着たがらず、靴を履いたり帽子をかぶるのがひどく苦手な子もいます。音に対しても敏感で、音楽などの大きな音を嫌がります。
こうした過敏性がある一方で、やけどや怪我の痛みには鈍感だったりします。寒さに対して鈍感であると(服への過敏性もあいまって)他の人が厚着をするようになっても、薄着で寒がらないこともあります。
知覚過敏と過剰選択があるため、例えば手を握りながら話しかけると、握られた手の感覚で頭がいっぱいになってしまい、話が無視されてしまいます。このため、後述するアスペルガーの人も含めてPDDの人に話かけるとき、話の中身に注意を向けてもらいたければ、こちらの顔の表情を変えず、声のイントネーションも抑えて平板に話すことが必要になります。
蛍光灯の細かなチカチカが気になる、白地に黒い字の印刷ではコントラストが強すぎるなどとも書かれていました。
(つづく)
2010年01月05日(火) 発達障害について(その4) さて話は、知的障害から広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)に移ります。
広汎性発達障害(PDD)には、旧来の自閉症(カナー自閉症)、アスペルガー症候群、レット障害、小児崩壊性障害、非定型自閉症(PDDNOS)の5つが含まれます。これが一つのくくりになっているのは、以下の三つの基本症状がどれにも共通して存在するからです。
・社会性の障害
・言語とコミュニケーションの障害
・想像力の障害と、それに基づく行動の傷害
この三つの症状は知的なハンディキャップについて何も述べていません。PDDであっても知的障害を伴わない人たちがいるわけで、IQ70以上を「高機能広汎性発達障害」と呼びます。アスペルガーがその典型です。その多くは既述の通り境界知能ですが、中には高いIQを示す人もいます。しかしIQが高いながらも、言語理解に対する得点が低くなるのが特徴です(つまり頭は良くても言語の障害がある)。
いろいろと話を広げる前に、まずカナーの自閉症から始めます。
赤ちゃんに近づくと、赤ちゃんはじっとこちらを見つめるので、お互い視線が合います。お母さんの顔を見れば微笑み、お母さんが離れると後を追おうとします(後追い行動)。自閉症児の場合、こうした愛着行動がずいぶん遅れ、歩けるようになると興味の対象(換気扇など)に向かって勝手に走ってしまうので簡単に迷子になってしまいます。
人と感情を共有することが苦手なのがPDD全体の特徴で、自閉症児ではお母さんと一緒に何かを見てきゃっきゃっと笑うことが少なく、かわりに自分の興味に没頭します。(人に興味がないと言われる)。
杉山先生の本を読むと、自閉症の社会的障害は「自分の体験と人の体験が重なり合う前提が成り立たない」とまとめてあります。引き合いに出されているのが「逆転バイバイ」です。
普通の赤ちゃんは0才の後半になると、大人のまねをして「バイバイ」と手を振ってくれます。このとき赤ちゃんの手のひらは、こちらを向いていますから、赤ちゃんには自分の手の甲が見えているはずです。
自閉症の子供もバイバイをするようになるますが、このとき自分に手のひらを向けてバイバイとやります。これが逆転バイバイです。大人がしてくれるバイバイをそのまま再現してしまうのです。
では普通の赤ちゃんは、なぜ相手に手のひらを向けてバイバイができるのか。それは自分の体験と人の体験が重なるという前提があるために、相手からどう見えるかが論理を使って考えなくても分かるからです。しかし自閉症の場合にはここに障害があるため、見たものを視覚的にそのまま再現するわけです。
健常な子供が1才前後で言葉を発し始めるのに対し、自閉症児ではこれが遅れます(アスペルガーの場合には遅れない)。言葉が出始めるとオウム返しをします。お母さんが「ジュースが欲しいの?」と聞くと、「ジュースが欲しいの?」と疑問文で返します。そっくりコピーしてしまうところは前述の逆転バイバイと同じです。つまり、自閉症の言語の障害には、社会性の障害が乗っかっています。
このほか偏食やこだわり行動、目の前で手を振るなどの自己刺激行動、トイレや服の身辺自立の困難、眠らないなどで、お母さんが子育てに悩み、「病気かも」と思って受診して自閉症の診断が行われることが多いようです。
(もちろん続く)
2010年01月04日(月) あれ? 月曜から勤務日だと思い、9時前に出勤し(といっても部屋を移動するだけ)、パソコンでタイムカードを打刻しました。タイムカードは本社サーバーのグループウェア上にあって、VPNで接続しています。そしていつもどおりネット上の予定表を確認すると「年始休暇」の赤い文字が記されており、所在表を見ると同僚は誰も出勤していません。
どうやら仕事は火曜日からだったようです。
男性に比べて女性のアルコホーリックの回復は遅いのか? という話が一部でちらほら出ていました。少なくとも、ビッグブックのやり方でステップをやっている女性たちを見る限り、男性より時間がかかっているとは思えません。つまり、12ステップの効き目に性差はないと思われます。
けれど、僕がAAにつながった頃から、女性の回復は遅いという話をときどき聞きます。それはどういう尺度で測っているのか? おそらく社会性をなにかの目安で計っているのでしょう。しかし、そもそも女性と男性で社会的役割に違いがあるわけですから、いくらAAも男社会だからといって、男性用の物差しで女性の回復を計る(もしくはその逆)こと自体がナンセンスだと思うのです。
女性の社会進出を例に考えても、仕事のキャリアを中断せず、家のこと子どものことを完璧にこなす、なんてことができるのは一部のスーパーウーマンだけです。同じことはアルコホリズムの回復の分野にも言えて、家族の世話と自分の回復、おまけにパートで金を稼ぐことまでそつなくこなさなければ回復ではない、なんて価値観になったら、回復したと言われる女性はほんの一握りになってしまうでしょう。
さて話は変わり、正月にTSUTAYAへいったら、本棚に発達障害の本が二十冊ぐらい並んでいました。ちょっとしたブームになっているのでしょうか。発達障害について書くに当たって、まず知能について書いたのは、境界知能(IQ70〜84)を取り上げたかったからです。知的障害を持たない発達障害を、軽度発達障害と総称します。この軽度発達障害に境界知能が多いのです。
そして境界知能では、知能を構成する各要素で得手・不得手の差が大きく(分野ごとに凹凸がある)、それが総合点であるIQの数字を引き下げています。例えば水を貯めるダムの堰堤に凸凹があることを想像してみてください。ダムの貯水は堰堤の凹の一番低いところまでしか貯まりません。同じように、他の能力は並以上だったとしても、不得手な能力が社会適応の足を引っ張るのです。
したがって何が苦手なのかを特定し、それをどうやって補完していくか考えることが大切です。補完は決して恥ずかしいことではありません。例えばAAミーティングで年配の人が本を読むのに老眼鏡を使って衰えた視力を補完しています。それを恥ずかしいと思って老眼鏡を使わなければ、本から得られるはずのものを失ってしまいます。それと同じです。
年賀状はようやく3日の晩に郵便局に持ち込みました。大掃除やら帰省やらそれなりにこなせば忙しいものだと実感した年末年始でした。
もくじ|過去へ|未来へ