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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月31日(木) 今年もお世話になりました 自前のアクセス解析が止まっているので、Webalizerの出力データを。
今年一年の統計データ
送出バイト数 75.8Gbytes
訪問者数 74万8千
リクエストページ数 483万
リクエストファイル数 614万
リクエスト数 727万
今年も多くの皆さんに訪問していただいて、本当にありがとうございました。
ログの解析結果を見て気が付いたのですが、5月にアクセス数が減って以後そのままです。たぶん、引っ越しをして雑記を書くのをサボっていたせいでしょう。
今年は芸能人が覚醒剤や合成麻薬で逮捕されるという事件があり、テレビや雑誌を賑わしました。薬物事犯は再犯率が高いことを指摘するコメンテーターもいましたが、その再犯をどうやって防ぐかという話はあまり出てきませんでした。それは、依存症という病気の再発をどうやって防ぐかが注目されなかったということです。
それでも薬物のリハビリ施設が各種メディアで紹介され、当事者や家族からの問い合わせも増えてスタッフの人は忙しかったそうです。
自助グループをやっているだけの僕でさえ、「あー面倒くさい」と思うことがあるのですから、毎日施設に常駐して対応しているスタッフであれば、悩む人の多さと再発の多さに心底うんざりしてしまうこともあるのでしょう。
しかし、そんな話を聞くたびに僕はビッグブックのドクター・ボブのストーリーを思い出します。彼はなぜ回復を伝えることに時間を費やしているのか、四つの理由を挙げています。
一、義務感。
二、楽しみだから。
三、そうするなかで、自分にこれを分け与えてくれた人への借りを返すことになるから。
四、そうするたびに、再飲酒に対する保険を少しずつ増やしていることになるから。
僕がAAや家路を続けていることは、まず何よりそれが楽しいからであり、人生を楽しむことは僕の義務だからです。
人生にはちゃんと意味があり、生きることは素晴らしい。アプリオリに分かっていたはずのことを、僕はどこかで忘れてしまい、飲んでいた頃は「何のために生きているのか、人生の意味が分からない」と嘆いていました。それは酒をやめただけではなかなか変わらなかったのも本当です。今は、それほど人にうらやまれるような生活をしているわけではないのに、生きることは楽しいと感じています。
人はいろいろな理由で回復のプログラムをやるようですが、僕の場合にはもっと楽しく生きたいという動機が一番重要でした。幸福とは困難がないことではなく、困難を乗り越えていける手応えのようなものだと思っています。
もっと人生を楽しんでほしい、というのがこれを読んでくれる人に僕が伝えたいことです。ただ夏休みの宿題は最初に片づけてしまった方が、あとをゆっくり楽しめるとは思います。いつまで「家路」が続くかわかりませんが、ともかく来年も続けてみようと思っています。
もうすぐ今年も終わります。今年一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
2009年12月29日(火) 発達障害について(その3) 知能指数と学業成績は比例するのか?
知能指数に比べて学業成績が良い人を over achiver、悪い人を under achiver と呼びますが、この用語自体が、知能指数と学業成績の間に正の相関があることを示しています。
さて前回、IQ70未満を知的障害、その中で適応障害(社会障害)を起こす人が精神遅滞という話でした。その上のIQ85〜70を正常知能と知的障害の境界という意味で、境界知能と呼びます。おそらく正規分布から計算した数字でしょうが、約14%の人がここに入るとされています。
前回は、知能そのものが不適合の原因になるわけではない、という話でしたが、境界知能についてもそれは同じで、知能が境界域でも、大学を出て働いている、という人だって珍しくないはずです。境界知能でも(というかおそらく他の発達障害でも)問題になるのは、情緒的なこじれ、被害的な対人関係です。
「お前はこんなことも分からないのか」と親に責められながら、勉強を強いられる。努力を続けても成果が上がらない、常に人に後れを取る、となると、人間は豊かな情緒を発達させることが難しいようです。出来の良い他のきょうだいと比較され続けるのも同様です。「どうせ僕のことなんか誰も認めてくれないんだ」という極度の自信喪失の状態に陥るのもうなずける話です。
小学校教師の力量も大いに関係するそうで、良い教師にあたって9才の壁を乗り越えられた子は、やがて他の子に追いついて正常知能に達し、スーパー教師に恵まれなかった子は次第に後れを取って、やがて知的障害のレベルへと下がっていく。これがごく単純化されたモデルです。今始まっている特殊支援教育によって、学習の遅れが目立つ子への個別対応が可能になれば、解消していくことなのかもしれません。
つまり知能というのは固定的なものではなく、適切な補いによって発達させることが可能なわけです。
境界知能が注目されているのは、虐待を受けた子のほとんどが境界知能に属すること、それから非行の子も同じく知能が境界域になることです。それから、アスペルガーなど知的障害を伴わない軽度発達障害が注目されていて、その中でも境界知能が多いからです。
そもそも知能とは、様々な能力の組み合わせです。それぞれが数値化されたものを、強引に一つのIQという数字にまとめています。境界域の知能では、個々の能力がバランス良く低いのではなく、能力によってばらつきが大きい(発達に凹凸がある)ことがわかっています。つまり何か苦手な能力があるために、それに引きずられて全体の能力が下がっているということです。
虐待と境界知能の問題を、ものすごく単純にモデル化すれば、こんなふうかもしれません。
まず何か軽度の発達障害を抱えた子がいて、こういう子には育てにくさ(身辺自立が遅れる、親の言うことを聞かないなど)があり、それを補おうとした厳しいしつけがやがて虐待に発達して境界知能の原因となり、児童期には反抗挑戦性障害、思春期には不登校、非行を現し、成人後は何らかの適応障害(ひきこもり・アルコールや薬物の依存症・反社会性人格障害や境界例人格障害など)となり、子をなすとそれを虐待する、そんな構図ではないでしょうか。
戦後日本では、ほぼ一貫してアルコールの消費量が増えています。消費量が増えればアル中も増え、アル中の家には虐待がつきものと指摘されていますから、この悪循環に引きずり込まれていった家族も増えているのでしょう。
そう言う意味では、「どこかで誰かがちゃんと対応していれば、こうはならなかったはずなのに」という情緒的こじれを抱えた人たちが、依存症の問題を抱えて続々と自助グループにやってきているのが現状ではないでしょうか。抱えている問題それぞれは(例えば虐待の深刻さとか)は重篤でなくても、それぞれが掛け算で響いてくるだけに難しいわけです。そして自助グループでも方向が変わらなかった人たちが、着実に次の世代を生み出していく。陰惨な図です。
面倒ごとを押しつけてきやがって、という恨み節が出てこなくもありません。
農林業など第一次産業では状況判断がゆっくりで良いし、製造業など第二次産業でもわりと定型業務が多いものです。ところがサービス業(第三次産業)では、ハンバーガー屋やコンビニのアルバイト店員にまで短時間の状況判断能力が求められます。そうした産業界の需要に応えるために、学校や親が成績(間接的には知能)に振り回され、子供がみじめな思いをするはめになっています。
社会が高度化し豊かになって、ある種の障害者には助けが多くなって暮らしやすくなったと言えます。けれど一方では、社会の変化によって障害が顕わになり、苦労を強いられた人たちも生まれてきたわけです。
2009年12月27日(日) 発達障害について(その2) 知能検査の結果(IQの数字)は正規分布になります。
統計を取り扱う人間には常識以前のことでしょうが、正規分布の場合±1σ以下の範囲に約7割が入り、中央から±2σ以上外れるのは4%ほどに過ぎません。
IQのσ(標準偏差)は16だそうです(田中ビネー方式の場合)。
知的障害とはIQ70未満をさします。人口の2.1%だそうですから、上の計算と合っています。僕が子供のころに学校に存在した養護学級には、主に身体障害と知的障害の子たちが学んでいました。
知的障害のうちIQが50〜70を「軽度」と呼びます。軽度であれば、本人も周囲も障害の存在に気づかずに社会生活を送っている場合も珍しくありません。IQが50あれば日常生活には大きな不都合がないと言います。IQ50とは暦年齢の半分ぐらいの知能ということですから、成人の場合には約9才、小学校中学年ぐらいです。
小学校中学年の子がどんな暮らしをしているでしょうか。新聞記事を読んでも理解はおぼろげでしょうが、テレビ欄を見て好きな番組を探すことはできます。買い物をすることも、家計簿をつけることもできます(足し算さえできればいいんだから)。それなりの文章も書けます。私たちの日常生活では、小学生ぐらいの知能しか使っていないのです。
さすがにIQがあまり低くなってしまうと(健康的な問題を抱えがちなこともあって)、施設で暮らさざるを得ませんが、知的障害の約9割を占める軽度(IQ50〜70)の人は、社会参加に問題がなく、比較的単純な作業なら工場などで労働も十分に可能です。なんとか高校を卒業し、運転免許を持ち、働いて結婚して子供を持っている人もたくさんいます。療育手帳の取得率も1割未満です。
知的障害と精神遅滞は同義語ではなく、知的な障害を原因として社会的な適応障害が起きたケースのみを精神遅滞としています。精神遅滞は知的障害の約半分ですが、その約8割は「軽度」であり、適応障害がないはずの人たちです。
では何が問題なのか。それは情緒の発達にトラブルを抱えるからです。
純粋な知的障害の場合は、情緒の発達は普通の子と変わらず、すくすくと成長すれば安定した情緒を持った大人になります。しかし、知的な能力が低いほど、情緒も不安定になりやすいことも分かっています。
親の期待が過大だと、子供は大変苦しいわけで、「お前はこんなこともできないのか」と責められ続ければ、情緒がこじれてしまうのもうなずける話です。良く聞くのは、本来であれば特殊支援学級(昔の養護学級)に入れるべき子供を、親が頑張って普通学級に入れてしまう話です。親として子供のためを思ってのことでしょうが、子供はいずれ授業について行けなくなります。
小学校の先生から「9才の壁」という話を聞きました。小学校3〜4年生あたりでカリキュラムに抽象的な概念を扱う課題が出てきます。算数であれば分数や小数。国語であれば接続詞などです。この先5年生、6年生と進むと最小公倍数や文章題の解題などさらに難しさを増していきます。
そして、この3〜4年生でつまずく子供が多いのだそうです。(もちろんつまずく理由は知的障害に限りませんが)。母親が宿題を見てあげられなくなるのも一つの原因だそうです。そして知的な問題を抱えた子供は、抽象的な概念を把握する能力の発達が遅れるため、このあたりで授業について行けなくなるのだそうです。
またこの頃は子供が大人に対して秘密を持ち始める時期でもあり、それもハードルを作るわけです。
話を戻します。考えても見てください。自分がさっぱり理解できない外国語で行われる会議に毎日出席し、資料の意味は分からず、なのに時折質問を受けて答えなければならない日々を。理解できない授業に出続けるとは、そういうことです。さらに、暗号のような宿題を持って帰り、親には「お前はこんなこともできないのか」と言われる。これですくすくと情緒が延びるわけがありません。不登校やひきこもりにならない方が不思議で、もし高校卒業まで授業に静かに座っていられるのなら、並はずれた忍耐力の持ち主と言えます。
情緒のこじれが原因の適応障害は、知的障害に限らず発達障害全般に言えることです。情緒が未発達なゆえに衝動の制御が効かない状態で社会と接すれば、アルコールやギャンブルの問題が深刻化しやすいようです。それを依存症とひとくくりにするのではなく、精神遅滞の問題であるのか、依存症の問題であるのか、鑑別が必要だと思います。
社会適応がよい人たちにも依存症は過酷です。障害ががない人でも、いったん依存症で職を失うと再就職が大変です。ハンディキャップを抱えた人が、なんとか学校や最初の就職というハードルを乗り越え、安定した社会的地位を保てていたとして、病気のせいでそこから落ちてしまうと、今度は依存症とハンディキャップの両方が足し合わさった高さのハードルを越えなければならない困難があります。
依存症の人に知的障害(後で述べるIQ70〜84の境界知能も含めて)が多いのかどうか。それはおそらくこれからデータが出てくるだろうと思います。
僕が感じた一つの例を挙げてみたいと思います。
AAのミーティング・ハンドブックには、アルコホーリクを「足をなくした人間」にたとえているところがあります。切断した足が生えてこないのと、正常飲酒する能力を失ったことを同じとみなしているわけです。
これはどちらも「障害」という概念に一致します。障害という概念は、症状が固定して治癒不能になった意味です(法律やそのための診断の概念では別ですが)。トカゲの尻尾と違って人間の足は切れば生えてこない。アル中も正常飲酒できるようにはならない。どちらも症状の固定です。
この「足をなくした人間」という表現に対して拒否反応を起こす人がいて、それは自分が一生酒が飲めなくなったことに対する嫌悪の感情の表れであり、酒を飲めないことを(知識としてだけでなく)心情の上でも受け入れられるようになれば、自然に消失していきます。
しかし、中にはこの表現にいつまでもこだわる人がいて、不思議に思ったのです。
9才の壁のところでも書きましたが、知的障害を抱えた人は、抽象的な概念を把握するのが困難です。切った足が生えてこないのも理解できる。二度と酒が飲めないことも納得した。けれど、症状の固定は理解できない。なぜならそれは抽象的な概念だからです。そうやって枝葉にとらわれて幹を見なければ、本筋が流れていきません。
ビッグブックでは、アルコホリズムを身体の病気と精神の病気に分けて表現しています(その分類は医学的なものとは違います)。この twofold disease (二つの病気の組み合わせ)を理解することがステップ1の無力を理解するために大事なポイントになってきます。ところが、この二つの概念の把握に苦労する人がいます。どうも良くないのです。
ステップは小難しい抽象概念を操作しないとできないことなのか。おそらくそんなことはなくて、本質はもっとシンプルなものだと思います。AAから出版するわけにはいかないでしょうが、もっと分かりやすいステップの翻案書が出てもいいと思います。また、スポンサーやAAメンバーは、あまり些末な議論に入り込まずに本筋に導く努力が欠かせないのでしょう。
2009年12月24日(木) 発達障害について(その1) 初めてカトリックの御ミサに混じってみました。なんて正しいクリスマスの過ごし方なのでしょう。もちろん日本人らしく鶏肉やケーキもいただきました。まだ年内の仕事は残っていますが、大きな案件は片づいてほっとしています。
さて、そもそもなぜ発達障害に関心を持ったかというと、その数が多いからです。
アルコールの離脱症状で抑うつが出るので、依存症の人にうつ病が多いように思われがちですが、依存症の人に特にうつ病が多いわけではない(普通の人と変わらない)ことは、医者の側からも言われますし、自助グループの側からも実感できることです。うつ病の有病率は2%ほどで、統合失調症は1%程度。
ところが、発達障害となると、これが一桁多いわけです。ギャンブル依存症のリハビリ施設では、利用者のうち医療機関で発達障害の診断を受けた人が2割。それとは別に検査中の人が2割だそうです。利用者の発達障害を医療機関に評価してもらうことが欠かせなくなっているというのです。
知的障害と境界知能、自閉症とアスペルガーと高機能自閉症(PDD)、AD/HDとLD、そして第4の発達障害である「被虐待」。複数の障害を持っている人が多いことを考えあわせても、何らかの発達障害を抱えた人の割合は、うつ病や統合失調を大きく上回ってきます。さらには、医者にうつ病あるいは他の精神病と診断されていた人が、実は専門医の診断で発達障害であるが明らかになるケースも珍しくありません。
当然のことながら、そうした困難を抱えた人が、アルコールや薬物その他の依存症にもなり、自助グループにやってくることも頻繁に起きているのに違いありません。そして、本人ですら発達障害に気づいていない場合もたくさんあると思われます。そして、依存症の人の親も依存症というケースが多いことと、親が依存症の家庭にはネグレクトを含む虐待が多いことを考え合わせれば、依存症者が発達障害を抱えている確率はより高くなって不思議でありません。
こうした人たちは、その障害ゆえに社会適応に困難があり、(それが逃避的に何かに耽溺する原因になったのかも)、自助グループに入って続けていくのにも困難があるのは当然のことです。彼らも必要な支援があれば社会に適応してやっていけるように、自助グループの側に少しの配慮があれば、彼らに回復を提供することも可能になってくると思います。AAでは目が見えない人のためにビッグブックをオーディオCDにしたり、点字の本を作ったりしています。別のトラブルを抱えた人向けには、別の配慮を行うことも可能ではないでしょうか。
従来「まだ底をついていない」「やる気がない」「みんなと一緒にできない」「その場にふさわしい行動ができない(≒KY?)」などと言われてきたケースをもう一度見直してみると、それは「まだ苦しみ足りない」のではなく、すぐそれとは分からないハンディキャップを抱えていたがために依存症の回復プログラムに乗れなかった人たちが多かったのではないか。そして、彼らも適切な対応があれば回復の道に入れたのではないか、そう思うのです。
また、どうしても自助グループが役に立てないケースがあったとしても、その問題の所在が明らかであれば、お互い無駄な時間とエネルギーを使わず、自尊感情を傷つけあわずに済むというものです。
しかし発達障害と依存症の関係について考えるためには、まず発達障害についての知識がなければなりません。というわけで、ちょっと発達障害について学んでみたことを書いていきます。
付記:最近は障害を障碍(あるいはひらがなで障がい)と書くケースがあります。碍子(ガイシ)の碍で、礙の俗字。意味は「さまたげる」。現代表記では障礙を障害と書き換えますが、害の字が「がいする」にも通じるために、それを嫌う人がいるのでしょう(子供を子どもと表記するように)。
2009年12月23日(水) クリスマスコンサート AAの会場に部屋をお借りしている教会のクリスマスコンサートのチラシをいただいたので、仕事の合間に行ってきました。今年の8月から使わせて頂いているのですが、来年の2月まで半年間は仮許可なので、失礼の無いようにしておきたい、という思惑もありました。
演奏するのは地元の夫婦のユニットで、奥さんがアルパという南米のハープとアイリッシュハープ、旦那さんがギターとアイリッシュフルート。南米の曲を中心に、クリスマスらしい曲あり、みんなで賛美歌を歌い、子供たちが歌を唄うのを聞くという90分でした。
小さな聖堂を埋めているのは、おそらくほとんどが信徒の人でしょう。それでも「キリスト教徒でない人にも賛美歌を歌わせてしまって、ごめんなさいね」という言葉が出ていました。ひょっとしたらこのユニットのファンの人も来ているのかもしれません。
僕は特定の宗教に属しているわけではありませんが、宗教に対するアレルギーはないので、教会という場所や賛美の歌に違和感はありません。これが20年前だったら大きなアレルギー反応が起こったことでしょう。あの頃は、教会や宗教だけでなく、どこにいても自分が場違いな感じがして、居るべき場所はこの世界には無いと感じていました。今は、自分はどこにいても構わない気がします。自分はどこにいてもいいし、歓迎されなければ去ればいい、と。
ソレアードや平和を作る人を聴きながら考えたことは、最近よく考える「信じるという能力」についてです。自分を信じる(自信)、人を信じる(信頼)、神を信じる(信仰)というものは、どれも同じ信じるという一つの能力なのだと思うのです。
話は変わって、AAでは会場に教会の部屋を借りていることが多いので、その教会の人と接する機会が少なからずあります。ミーティングが始まる直前まで部屋で話をしてくれる熱心な人もいれば、廊下で立ち話をしただけの人もいます。そして感じることは、やはり神父や牧師を職業とする人たちの頭の良さです。というか頭が良くなければ聖職者にはなれないのでしょう。それだけでなく、人と接する社会的スキルなど様々な能力などなかなかハードルも高そうです。(もちろん、何にでも例外はあるにせよ)。
牧師親子の歌声はプロ並みでした。医者や弁護士は自分の子供を同じ職業に就かせようとするそうですが、牧師はどうなのか。コンピューターの中のこびとさんたちを働かせる仕事を選んだ僕を、農夫だった父はどう思っているか。それを気にしたことがありませんでした。
「信仰を持っている人たちは、人生がどういうものであるかということについて論理的な考えを持っているのだ」(p.73)
2009年12月21日(月) この雑記について この雑記も最初は日記形式で日常をつづっていました。
すると僕の周りの人が雑記に登場するのですが、次第に誰かのことをネットで全世界に向けて書くのも「いかがなものか」という気分になってきて、だんだん日常を書くことが減りました。
かわりに増えてきたのが、考えていることを書くことです。
大学ノートに書くことを、かわりにこの雑記に書いているようなものです。
何かを勉強しているときにはその復習であり、なにかアイデアがひらめいたときにはそのメモ書きです。アイデアの場合には、それは僕の仮説に過ぎないので、メールや掲示板で指摘を受ければ、アイデアを捨てたり、修正したり、論証不足として結論を先送りしたりするわけです。従って、雑記は完成されたものではなく、未熟な状態のものが提供されているわけで、そこは読む側も分かっておいていただきたいものです。常にクリティカルな視点は持っていて欲しいということです。そうして僕が考えたことは、現実に活動する中で役に立つかどうかが試され、経験として僕の一部になり、役に立つことが実証された考えは使える道具となります。
また、この雑記は、頭の中をさらしている、とも言えるわけで、かなりの羞恥プレイです。
だからこそ、5年前、10年前に自分が書いた文章は恥ずかしいわけです。誰だって自分の少年期・青年期の日記を読み返すと「その恥ずかしさに悶えてしまう」のではないでしょうか。それは成人してからも同じであり、以前に書いた自分の文章を読んで恥ずかしく思わないのだったら、それは進歩がない、回復がないことを意味するのではないかと思います。
それと、以前から「セラピストになれるのではないか」と言われることもありますが、そんなこともないでしょう。僕が「自分の経験という井戸」を持っているのは依存症という分野だけだからです。依存症専門のセラピストは儲かりそうもありませんしね。
雑記を書くのにあてる時間は最大30分程度と決めています。それ以上時間を使うと、他の時間を浸食してしまうからです。ただ、先日のDV関係復習のような慣れない記事は、資料を読み返したり、本を調べたりするので1時間、2時間とかかっている場合もあります。それは「調べて正しいことを書こう」というよりも、「学ぶためには時間が必要」だからです。
2009年12月20日(日) 料理・学習・動機づけ 料理が下手な人がいます。
本人も料理が下手なことは分かっていて、なんとかしようと思っているのですが、自分では解決できずにいますから、下手だと言われると傷つくわけです。
料理が下手な人には特徴があって、たいていテキスト(レシピ)どおりに作りません。
テキストに書いてあるとおりの材料を集め、指示通り包丁で切って、順番どおりに鍋やフライパンに入れて加熱すれば、だいたいテキストの写真に似た料理ができあがります。味もまあまあです。僕も料理は下手だという自覚があるので、何か作ろうと思えばネットでレシピを探すことから始めます。
おそらく料理には勘所があって、それをマスターすればよりおいしく作れるのでしょうが、それは普通に料理が作れるようになってから、次のステップとして取り組めばいいことです。
テキスト通りに何度も作っていると、だんだん上達してきて、季節の食材の変化にも対応できるようになり、冷蔵庫の中の食材だけで料理が作れるようになります。つまり「応用」がきくようになるわけです。
テキスト通りに作ってうまくいく経験を重ねると、一度も作ったことのない料理でも、レシピを入手してそのとおりに作れば、たいていの料理を作れる自信がついてきます。これが「自信」というやつで、経験のないことも「できる」手応えをつかむことによって、その人の能力はぐっと上がるわけです。(経験のあることをできると思うのは、ちょっと自信とは違う)。
自分が料理が下手だという事実に直面して、テキスト通りの料理の仕方を身につけ、それが一通りできるようになったら、他の料理に応用していく・・・。自分なりのやり方を加味するのは、それができてからで遅くありません。これは楽器の演奏でも、資格試験の勉強でも、人が何かを「学習」するときの基本手順です。
12のステップもこの基本手順どおりの構造をしています。おそらく他の断酒のやり方でも、体系化されているものは同じ構造だろうと思います。ともあれ、まず自分が抱えている問題に直面しなければなりません。しかし、(たとえ料理が下手という程度であっても)欠点というのは直視したくない、受け入れたくないものですから、合理化という防衛機制によって無理矢理受け入れやすい形に変形してしまいます。そのせいで「学習」という手順の最初の一歩を外してしまうのです。
この合理化は、問題を否認させたり、他者に責任転嫁するという形を取ります(断酒会やAAのやり方がどうのという話も、たいていこれが出所です)。一人の人がこの合理化の壁を突破して進歩できるようになるには、それなりの時間がかかります。それを少しでも短縮するために、「動機付け面接法」というのが注目されています。ただ、動機付け面接法は、回復の入り口に導く方法であって、回復なり学習の手段そのものではありません(つまりステップや指針の代替にはならない)。
AAでスポンサーをやったり、ニューカマーの相手をする人は、この動機付け面接法に関心を持っても良いんじゃないかと思います。
2009年12月19日(土) 軽症のアル中 アルコール依存症も病気なので、軽症や重症の違いがあるのは当たり前です。
例えば、うつ病でも、重くなれば昏睡状態になってしまいますが、軽ければ医薬品ではなくハーブで治療が済んだりします。
「アル中には重症も軽症もない」というのは、極端な表現で正しくないのですが、しかし、使う場所によっては正しくもあります。
AAや病院にやってくる人たちは、ほぼ決まって「自分はそれほど重症ではない」と感じるようです。かくいう僕も「自分はそれほどひどくない」と思っていた一人です。根拠はいろいろあって、自分はまだ家族があるとか、働いているとか、刑務所に行ったことがないとか、でもそんな程度のことなのです。
そもそも病院やらAAに来ている時点で負け(という表現もヘンですが)なのです。要するに重症です。
ネットでこんなことをやっていると、見ず知らずの人から相談のメールが舞い込むことは珍しくありません。その中には「自分は酒をやめた方が良いか」という相談もあります。例えばこんな話です。
会社の同僚と酒を飲みにいったら、恥ずかしいことをしでかしてしまった。ところが自分にはその記憶がない。おまけに同僚からは、最近のお前の酒の飲み方はおかしいと言われる。どうしたらいいか。
まだ誰からも断酒を勧められていないわけですが、ブラックアウトは依存症になる人の特徴で、これから依存症になるのか、もうなっているのかに関わらず、断酒するしかないと返事をします。すると、その人は酒をやめてしまうのです。
(もちろん、メールで相談を受けた時点でもう重症でやめたがらない人もいますが、それは別の話)。
詳しく聞いてみれば、IDCなりDSMの診断基準を満たすでしょうが、もうパターンもわかってしまったのでたずねることもしません。だいたい僕は診断をする立場じゃないですし。それと、僕はその後を追跡するフォローアップはしません。
ただ、僕にメールを送った人なら分かると思いますが、1月1日には過去にメールをいただいた人に年賀のメールを送っています。すると、その返信で近況を知らせてくれる人が結構いて、2〜3回メールのやりとりをすることがあります。それで、その後も努力の必要もなく酒をやめていることが知れるのです。
リアルでも、AAメンバーとして活動していると、ときおり「私も実は以前は酒を飲んでいまして」という人に会うことがあります。この場合も同じで、家族に量が多すぎることを指摘された段階で、酒をすっぱりやめてしまっているのです。もちろん、その時点での診断基準は満たしているようです。
そんな具合に、軽症のアル中さんというのは、自分の健康に対する意識が損なわれていなくて、おまけにアル中さん特有の認知の偏りもまだなくて、自分の飲酒について危険を感じた段階で、素直にすっと酒をやめてしまうのです。医者に行くまでもありませんし、酒をやめ続けることに何の困難も感じていないようで、年賀のメールだけが僕との接点です。
逆から見れば、医者やAAに行く羽目になる人というのは、もうそれだけで重症です。「家路」にしても、雑記や掲示板を何度も覗く段階で、軽症でないのは明らかなのです。読んでいる人が全員重症なので、一緒くたに扱っても問題ないというわけ。(読者が家族や関係者であっても、その人たちが相手にするアル中さんが重症ばかりなので、これも問題ありません)。
ネットで「プレアルコホーリック」と称している人がいますが、ネットで活動しないと酒がやめ続けられないのなら、もう「プレ」じゃないだろうと思うのです。
「自分は軽症だ」という主張そのものが、重症を物語ってしまうわけです。この逆説に気づくのも回復のうちでしょう。
2009年12月17日(木) ある種の技法 二郎さんの掲示板で、家族が抗酒剤を本人に無断で飲ませると、家族を信頼できなくなってしまう、という話がありました。実際、みそ汁などにこっそり入れられて、それを知らずに酒を飲んでしまったために、セルフ嫌悪療法をやってしまった、という話はたまに聞きます。
(実際にはそんな経験はないのですが)、もしスポンシーから(一応しらふという設定として)「妻(母がでもいいけど)がみそ汁に抗酒剤を入れていることがわかった。もう信用できない。妻をどうすればいいだろう」という相談を受けたとします。
いきなり話がそれますが、「妻をどうすればいいでしょう」というのは相談ですが、「そんな妻とはもう離婚するしかありません。どう思いますか?」というのは、もう離婚すると決めているのですから相談ではありません。その場合には、まずその指摘から入ります。人の意見を自分の耳に入れるために必要なスタンスをスポンシーに示唆することは大事なことです。
話を元に戻します。本人が家族を信用できない以前に、本人がいままで信用できないことばかりしてきたからこそ家族の信用を失って、こっそり抗酒剤という仕打ちを受けるわけです。しかし、この種の説教はスポンシーの耳にあまり入りません。説教はアル中さんの耳に届かないのです。「それとこれとは話が別」などと屁理屈をこねられるのが関の山です。
恨みの感情をどう取り扱うか、というステップの話はスポンシーがステップをやっていれば効果があると思いますが、それ以前であれば話をしても効果がないと思います。
スポンサーとして言うべきことは、おそらく「それであなたはどうしたいのか?」でしょう。スポンシーは「妻がどうすべきか」を話していますから、そもそも主語が違うのです。
「主語を私にして、〜したいと表現してみよう」と導きます。
「私は妻がこっそり抗酒剤を入れるべきではないと思います」
主語は私になったけれど、〜したいになっていません。
「私は妻にこっそり抗酒剤を入れてほしくありません」
願望の表現になりましたが、いま一歩。
ここら辺で「つまるところ、あなたは奥さんが信用してくれないのが不満だということでしょう」と導けば、
「私は妻に信用してほしい」
「私は妻に信用される人間になりたい」
「私は妻にこっそり抗酒剤を入れられない人間になりたい」
という言葉になるでしょう。
そして、そのために何をすればいいか考えてもらえば、「毎朝妻の前で抗酒剤を飲む」という結論が出てくるかもしれません。
自分が信用できないことばかり繰り返してきたことを反省し、信用されるためには信用される行動を取らなければならないと決意し、そのための具体的行動として毎朝妻の前で抗酒剤を飲む・・・という思考がアル中さんはとても苦手です。おそらくそうした思考を司る脳の部位がアルコールで損傷を受けたか、飲む前から損なわれていたのでしょう。機能が回復するには時間がかかるのです。なので、説教が意味を持ちません。
いたずらに自尊感情を傷つけることはせず、自発的な行動を促す・・・てこれ子供の相手をするときの話じゃなかったっけ、と思うのですが、酒をやめたばかりというのは実際子供みたいなものなのです。あるいはリハビリのお手伝いという感じ。
この手法には、自分が信用できないことを繰り返してきたという事実への直面化がなされていません。なのでこの技法ばかりってわけにはいかないと思います。
2009年12月16日(水) 子供が好きなのではなく利用している AAのミーティングに出るより、家で家族と一緒にいたい、という発言をする中年おじさんアル中は少なくありません。さらに話を聞いていると、どうも奥さんとではなく、子供と一緒にいるのが楽しいという話になっていきます。一見ほほえましい話なのですが、実はこれは具合の良くなさ(精神状態の悪さ)の表れです。
職場も居心地が良くないようですし、奥さんとの関係もぎくしゃくしたまま、ということが多いからです。
人間は、自分を褒めてくれる人をいい人と感じ、自分をけなす人を悪い人と感じます。実に子供っぽい行動原理ですが、こういう根源的な部分は何歳になっても変わるところがありません。
もしその人が、職場で「あなたは仕事ができる人だ」とか「あなたのおかげで皆が助かっている」と高く評価されているのなら、彼は職場が好きになるでしょう。しかし、彼は酒でミスをしたり、休んだりして同僚に迷惑をかけてきた「負の遺産」を抱えています。信頼を取り戻すまでには長い時間がかかります。大事な仕事をまかせてもらえないだけで、彼の自尊感情は傷つき、職場に対してネガティブな感情を持たざるを得ません。
もしその人が自助グループで熱心にやっていたなら、少なくとも「彼は真面目にやっている」という評価は得られます。ビギナーが高い評価を得るのは難しくありません。ただ
例会にたくさん出席しているだけでいいのですから。しかし、こんなところに来る羽目になった運命を恨んでいるようでは、「まだ下降中」と見られるのは仕方ないことです。
では、その人の家庭はどうか?
その人の奥さんや親は「迷惑をかけた対象」であり、信頼はしてもらえません。信頼しないのが家族の健康の証です。しかし、彼はそれが面白くないわけです。
ところがここに一つの例外があります。それは子供です。子供にとってどんな親でも、親は親です。虐待によって児童相談所に保護された子供ですら、家に戻りたがります。自分に至らないところがあったので親が自分を見捨てたのだ、と小さい心を痛めるのです。
アル中さんは子供にも迷惑をかけ、傷つけているのですが、それでも小さな子供は父親と友好関係を結ぼうとします。それが彼にとって唯一「自分を評価してくれる人間」なので、「子供といる時間が一番幸せに感じる」という話になるのです。
子供にも父親に対する憎しみが当然あります。しかし、それが問題行動となって表出してくるのは、子供自身がさらに成長する時間を経てからのことです。
人間は自分が必要とされていることに満足を感じます。この場合は父親が子供を「自分の精神安定剤代わり」に使っているわけで、これも一種の虐待と言えますし、子供の心に新たな傷を重ねてしまいます。酒をやめたアル中が家にいるよりも、毎晩例会に出て、週末は大会に行っていて不在が続く方が、長期的に見れば子供にとってプラスになるのですが、具合の悪いアル中さんは(酒を最後まで手放さなかったように)子供との関係維持に固執します。何しろ子供は彼にとって「最後の砦」なのですから。
子供のいない独身の人の場合、甥や姪、あるいは世話になっている牧師や住職の子などを代役に当てているケースも見たことがあります。自分の子供ほど強い固執があるわけじゃなさそうですが、傷ついた自分をいやすために、子供という力の弱い存在を利用している点では同じです。
断酒が続けば職場での評価もそこそこ戻り、奥さんや親もそれなりに信用してくれるようになります。この頃になれば、子供を利用する動機も少なくなり、普通のお父さんたちと同程度の関わりに戻っていくのでしょう。これもある種の回復といえます。
しかし、酒を飲んでいるお父さんに傷つけられ、酒をやめたお父さんにも傷つけられた子供は、いずれ何らかの形のトラブルを起こしてそれを表現します。断酒会でもAAでも、きちんとやっていれば子供の被害は軽減できますし、起きたトラブルに対処していく能力も備わります。
しかし、回復のプログラムを経ずに年数を経た父親の場合、子供のトラブルを深刻に捉えなかったり(つまり否認だ)、「俺は依存症から立ち直った立派な人間なのに、子供たちのこのだらしなさは何だ!」と恨みを持ってトラブルを拡大してみせたりします。
「親と同じにはなるまい」と思いながら、息子の5割が親と同様にアル中になり、娘の25%がアル中と結婚するのだそうです。遺伝的な体質があるにせよ、(飲んでいてもいなくても)親がそのように子供を育てるわけです。自助グループへの参加は、子供の将来の幸せのためにも良いわけです。
子供と一緒にいることが、子供のためにならず、かえって傷つけているのだ、と気がつくことが第一歩です。自分が回復しないのは勝手ですが、子供にツケを回すのは親としてどうか。
2009年12月15日(火) 韓国行きは・・・ 韓国へ行く必要があるのかどうか、まだ確定しません。
「旧姓のパスポートの有効性を確認しておけ」と本部長に言われたので、県の地方事務所に電話してみました。
残り期限が2年なら、新規申請でICパスポートに切り替えるのが望ましいのだが、それには8日必要。名字の変更だけなら6日間、ただし料金は新規と一緒。
「書き換えなしで、このパスポートのまま使えますか?」と聞いてみたら、渡航書類と航空券を旧姓で予約すれば渡航はできる。でも、現地で起こるトラブルは自己責任で解決してくれ、だそうです。
「例えばどんなトラブルですか?」と聞いてみると、一番多いのはクレジットカードとパスポートの名字が違っていると使えないのだとか。そういえば海外でカードを使うときはパスポートを見せろと言われたような気がします。となると、ホテルの支払いなど現金をたくさん持って行かないとまずいな。
他には現地で病気や怪我をしたときに病院などで本人確認でトラブルとか。いずれにせよ、そういうトラブルを現地語か英語で切り抜けられるのだったら、自己責任でどうぞ、という話でした。
韓国語はまるでわかりません。英語も自信がまるでないな。「あい・はぶ・ちぇんじど・まい・ふぁみりー・ねーむ・びこーず・あい・・・」とか言っている自分が目に浮かぶようです。
以前仕事で台北に行ったついでに病院の一室でやっているAAに言ってみようと思ったものの、病院の救急入り口で僕の英語がまるで通じてくれず、ほとんど涙目でした。ふと思いついて、漢字で筆談を試み「禁酒会」と書いたら、親切な看護婦さんが部屋まで連れて行ってくれました(正式には戒酒無名会)。ビバ・漢字文化!(どうりでエーエーじゃ通じねえわけだよ)
などと書いていたら、トラブルが解決したので来なくてもいい、というメールが来ました。やた!
ところで、上の子が携帯を買い換えたいという話をずっとしています。
端末の割賦が残っているので、それが終わるまで待ってくれと言ってあったのですが、その期限ももうすぐです。同じソフトバンクで買い増しをすると高いので、ドコモかauにナンバーポータビリティで移そうと思います。僕と同じauにしてくれれば、いろいろ手間が省けます。が、本人に聞いたら、auはかわいいのがないからドコモがいいそうです。
auよ、春モデルには可愛いのを出してくれ!
2009年12月14日(月) 微妙な話題(その3) ここで話の切り口を変えるのですが、以前に日本における原点回帰運動を振り返る文章を書いた中で、日本のAAに見切りを付けてアメリカに渡った人たちに触れました。その中で西海岸のグループに立ち寄った人たちの話をいくつか聞きました。伝聞情報なのですが、複数から話を聞いて総合したので、それほど間違っていないと思います。
例えば、ある場所では24時間ミーティングが開催されています。1時間ごとにミーティングが終わると机と椅子が片づけられ、床がきれいに掃除されて、休憩時間中に再び椅子と机が並べられます。何もそんなに掃除しなくても、日に1〜2回で十分だと思うのですが、毎回の掃除に意味があるのだそうです。ビギナーはともかくこの掃除に参加したり、コーヒーを準備したり片づけたりして、次のミーティングに出るわけです。ともかくこれに「参加」することが大事なのだそうです。
休みの日にはスポンサー宅に行ったり、仲間と一緒になったり、ともかく飲まない人たちと一緒に過ごして、飲まない生活を身につけます。
スポンサーシップも生活指導に近く、例えばミーティングには肌の露出の多い服やミニスカートで来てはいけないと教えたり、銀行のATMの使い方というか、そもそも金の使い方そのものから教えたりして、社会性を身につけさせるわけです。
(日本でも、キティちゃんの健康サンダルに短パンサングラスでハローワークに行って「ひょっとしてそれで面接に行くのか?」と職員にヤな顔をされている若者がいたりしますが、まあそんな感じかも)。
ビッグブックは読まれているものの、あまり字句通りにステップが行われているわけではなく、例えば棚卸しはスポンシーが半生記をとつとつと語るのをスポンサーはただ聞くだけであり、退屈で寝てしまうといけないので、スポンシーを助手席に積んで、ハイウェーを走りまくることで眠気を払って最後まで聞く、というテクニックがあったりするわけです。
(無論、こうしたグループばかりでなく、比較的少人数で基本に忠実にやっているところもあるわけですが)
こうしたグループの姿を想像すると、これがAAの「欠点」に対する一つの解答であることがわかります。西海岸では若者に薬物が蔓延し、ハイスクールを途中でドロップアウトして社会経験もろくに積まずにアルコホーリクになる人も少なくないと聞きます。こういう人たちにビッグブックをいきなり読ませても成果を出すのは難しいでしょう。
これはどこか日本のAAの現状に重なります。ようは行動療法的なのです。仲間の言葉ではありませんが「これも確かにAAには違いない」。しかしAAのスピリチュアルな力はどこへ行ってしまったのでしょう。
話をジョー・マキューに転じます。彼は黒人であり、まだ人種差別の激しかったころの回復者です。彼の文章を読むと、とても頭の良い人物であることが分かります。彼はAAのオリジナルなメッセージの力を強調していました。そのため、彼はステップを分かりやすい言葉でかみ砕いて説明し、把握しやすい身近な例に例え、より広い層にステップが広がっていくように心を砕いている様子が、その文章から見て取れます。
僕はAAの12ステップを理解するために高い知的水準が要求されるとは考えていません。(もしそうなら僕だって理解できない)。しかし、ステップの本来の力を引き出すためには(つまり抽象的な欠点の概念を把握して内省を実行するためには)、それなりの国語力が必要であることは、認めなければなりません。
結局のところ、「仲間の支えによって断酒が継続していく」タイプのフェローシップ指向のAAグループも現実に必要とされているのです。ビッグブックに忠実なステップのやりかたがAAを埋め尽くせば良い、ということは決してありません。ビッグブック・ムーブメントにたずさわる人が忘れてはいけないことだと思います。
アメリカでは、AAがステップからフォーカスを外した結果、メンバー数の減少を経験しました。一方で、様々な支えがあったとしても、メンバーシップサーベイを見る限り、社会的マイノリティにとって回復が険しい道であることに変わりないようです。なかなか難しいものです。
さらに日本に話を移します。
日本でAAを始めた二人は教養高い人たちでした。M神父は京都大学で教えていた人で、P神父も学校はどこだか知りませんが教鞭をとっていた人です。まあ神父だから頭の良いのは当然か。
M神父は、社会的に恵まれた人たちが断酒会で助かっているのを東京で見て知っていました。だから日本でAAを始めるにあたって、その人たちは断酒会に任せることとし、手を差し伸べる人のなかったドヤ街のアル中さんたちにメッセージを運ぶことに決めました。そうした決断の背景には、19世紀以降アメリカに存在したキリスト教によるドヤ街での救済ミッションの姿があったと思われます(日本でも救世軍が活動しています)。
だから二人の神父は、助けるべき相手にあわせてビッグブックという道具を捨てたのではないか、と僕は思っているのです(もはや確かめる術はありませんが)。そして、その選択が合理的だったからこそ、AAが日本に根付いたのだと思うわけです。
2009年12月13日(日) 微妙な話題(その2) AAでなぜ白人は助かり、黒人やヒスパニックは助かりにくいのか? AAで人種差別が行われているわけではありません。実はこれは教育レベルの問題なのです。
どこの国でもそうですが、裕福な人たちは教育レベルが高い傾向があります(逆に貧乏人は学歴が低い)。貧しいがために高い教育が得られず、それがために低収入の職業に就き、生活に余裕がないので子供にも高い教育が与えられない、という悪循環が形成されます。貧困の固定は貧困の遺伝とも言われ、さまざまな政策が取られていますが、すぐに解消できる問題ではありません。とりわけアメリカのような低負担・低福祉の国では難しいのですが、フィンランドのような高負担・高福祉の国でも低所得層に教育を施すのは簡単なことではないようです。
アメリカでは過去の人種差別の影響から、黒人やヒスパニックに貧困が多く、しかもそれが増加しつつあります(貧困率が白人の3倍程度)。黒人の貧困の多さと、AAにおける黒人の少なさはどう関係しているのでしょうか?
AAのサーベイの数字には出てきませんが、実は白人でも教育程度の低い層はAAで助かりにくい傾向があることが知られています。アメリカはWASPの国(白人でアングロ・サクソン系でプロテスタントの人の国)と言われますが、AAも同じと言えなくもない。極論すれば、AAは白人の中流階級以上で知識層のためのものというわけです(ここらへんは本来すこし冗談交じりにしておかなければならないところですが)。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
それを理解するには、AAが始まった頃のメンバー構成と、メッセージの運ばれ方がヒントになると思います。ドクター・ボブは3つの大学に行った人で、ビル・Wもとりあえず一つは出ています。初期のAAメンバーたちは、経済的に成功していたものの、世界恐慌とアルコールで地位を失った人たちでした。
ビッグブックの文章(原文)は格調高いと言われますが、それは当然修辞が理解できる読者を期待してのことです。彼らがメッセージの受取り手として想定したのは、自分たちと同じ階層の人たちでした。(それは「第四版に寄せて」から読み取れます)。
12のステップ自体にしても、例えばステップ4・5で行われる自己分析は(正直なところ)容易に習得可能とはとても言えません。「自己中心と身勝手はどう違うんだよ」みたいな質問はそれを象徴しています。「簡単な霊的な道具」と言いながら、ちっとも簡単でない小難しいプログラム、という印象を持ったとしても、あながち間違いとは言い切れないわけです(だが全般的には間違いで難しくはないのだけれど)。
12ステップにしてもAA共同体にしても現実は(ぶっちゃけな表現で)「頭の良い人たち向け」になっている。これがAAプログラムの「欠点」であることは明白で、サーベイの数字はその反映です。
AAの中でもそれは意識されていて、特にマイノリティにリーチアウトするためのパンフレットを作ったり、AAを紹介するコミックを作ったりしました。しかし、12ステップを「たやすい形」に翻案することは、公式には一切行われませんでした。
(たぶん続く)
2009年12月12日(土) 微妙な話題(その1) 2007年のアメリカ・カナダのAAメンバーシップ調査がここにあります。
http://www.aa.org/pdf/products/p-48_07survey.pdf
この中の「人種」の分布を見ます。
白人 85.1%
黒人 5.7%
ヒスパニック 4.8%
インディアン 1.6%
アジア系他 2.8%
ではアメリカとカナダの全体の人種人口比はどうなっているのか?
ちょっと古いのですが、2000年のアメリカの国勢調査と、2001年のカナダの人口調査の結果を使います。アメリカの人口調査では、白人・黒人・先住民・アジア系という分類と、ヒスパニックか否かという分類は別になっています。なので、ヒスパニック系の中の各人種の数を勘案し、さらにそこにカナダの人口を足します。するとこんな感じ。
白人 72%
黒人 11%
ヒスパニック 12%
インディアン 1%
アジア系他 3.6%
この二つを比較するために、AAでの%を人口の%で割ります。
白人 1.18
黒人 0.50
ヒスパニック 0.41
インディアン 1.60
アジア系他 0.79
この数字から何を読み取るか・・1.0以上の数字は「その人種がAAで助かりやすい」ことを示します。逆に1.0未満の数字は「AAで助かりにくい人種」です。
AAで白人は助かりやすく、アジア系は助かりにくく、ヒスパニックや黒人は最悪です(原住民系は数が少ないのでおいとくとして)。
AAでなぜ白人は助かり、黒人は助かりにくいのか? AAで人種差別が行われているわけではありません。実はこれは教育レベルの問題なのです。
(続きます)
2009年12月11日(金) ピンチ! 社用の携帯が鳴ったので、出てみると本部長でした。上司を二人も飛び越してくるからには、どうせロクでもないことに違いありません。
「韓国へ行ってくれ」
ああ、やっぱり。
今週、韓国からの事案が二つあったのに、他を優先させて後回しにしたのがいけなかったのか。業を煮やした韓国人たちが人身御供を要求したようです。
「行ってもかまいませんが(いや行きたくないけど)、身柄を拉致られると他の件が止まります。今日中に解決を送りますから、それで韓国人たちが納得しなかったらにしてください」
というわけで、行く・行かないの結論は来週に持ち越しです。
本音は面倒だから行きたくないだけの話ですけど。
「ところで、パスポートの期限は大丈夫か?」
「あと2年残ってます・・・あっ!」
「何だ?」
「今年名字が変わったので、パスポートが無効です」
(へっへっへ、再取得には最低6日間必要だから、少なくとも来週の出張はこれでなくなった。あとは来週末まで逃げ切れば年末年始の休み、来年になれば風向きも変わるだろう)
それにしても、再取得の費用は会社に出してもらおうかな・・・などと甘いことを考えていると、本部長からのメールが着信しました。
「旧姓で飛行機のチケットを取ってください」
くそ、その手があったか。
追いつめられるひいらぎであった。
日付が変わって、今日(土曜ね)はスポンシーの恐れの表を聞いていました。前回は恨みの表を聞いたのですが、これは過去まで遡っての表になりました。対して恐れの表は現在の人間関係が中心で、過去のものはありません。これは、過去の恐れの中で恨みに転化したものが、現在まで残って恨みの表に載り、転化されずに去った恐れは時間とともに忘却された、ということかもしれない、という話を二人でしました。
ステップ5の相手をするといつもそうですが、脳みそが疲れました(仕事よりも)。
2009年12月10日(木) 翻訳権の十年留保 交野市断酒会 をリンクしました。
「翻訳権の十年留保」というのは、先進国から後進国への文化の輸入を促進するために、先進国側の著作者の翻訳権を制限したものです。日本はこの規定の適用を前提にベルヌ条約に参加しており、国際的に認められた権利?です。主要国では日本にだけ認められていますが、それは欧米の言葉から日本語への翻訳の難しさを考えてのことだそうです。
1970年までの旧著作権法では、海外で発行された著作物が発行後10年間日本で翻訳出版されていなければ、翻訳権は消滅し誰でも自由に翻訳出版できることになっていました。これが「翻訳権の十年留保」です。1970年に新著作権法が施行され、この規定はなくなりましたが、1970年以前に発行されたものにはこの規定が有効です。
さらに、著作権の戦時加算というものがあります。第二次大戦中に戦勝国側の著作物の権利が尊重されなかったことを理由に、戦勝国側の著作権の有効期間を10年ほど延長しました(国によって長さが違います)。翻訳権の十年留保に対しても戦時加算が有効であるため、戦勝国側の著作物に限っては、1980年頃までに本国で出版されたものが対象となります。
したがって「一日二十四時間」の例で言えば、Twenty-Four Hours a Day は1954年に初版であり、これが1964年までに日本で翻訳出版されていなければ、日本での翻訳権は消滅しており、誰が翻訳出版しても問題ありません。したがってP神父が翻訳を出版することに問題はありませんでした。
しかし翻訳されたものには新たに日本語での権利が発生しますから、P神父の翻訳である「一日二十四時間」をそのままリプリントして出版してしまうと、P神父の翻訳著作物の権利を侵害することになります。別に新た日本訳したものであれば、この問題は発生しません。
「翻訳権の十年留保」というのは、原著作者にとってみれば勝手にどんどん翻訳されてしまい、印税も入らないので面白くないはずです。実際日本の出版社では、翻訳出版に当たって原著作者への連絡をしていないそうです(無用なトラブルを避けるため)。しかし、戦後の日本ではこの項目のおかげで、多数の翻訳出版が行われ、一冊の原著に複数の訳本が出版されることも珍しくありませんでした。その競い合いによって日本の翻訳の技術は向上し、現在の出版文化を支える基盤となりました。
2009年12月09日(水) 自助グループは必須か?(その2) 僕はある種の人たちに対しては「自助グループに行け」とうるさく言わないことにしています。自助グループは人と交流する場所なので、精神状態が悪く人との交流でさらに悪化してしまう人の場合には行かない方がいい場合もあるからです。うつ病や統合失調の具合が悪い場合、性被害などの重いトラウマがある場合です。そちらが悪化して入院した、自殺したとなると断酒どころではありません。
ただ、飲酒によって生じた抑うつ(アルコール性抑うつ)の場合にはそういう配慮は必要ありません。これは断酒後1年以上続くこともあります。となると、アルコール性抑うつと本来のうつを鑑別する必要がでてきますが、それほど難しくはありません。本来のうつの人は、「うつだからミーティングに行けない/行けなかった」という話はまずしません。これはアルコール性抑うつの症状を自助グループに行かない言い訳に使っていると思ってほぼ間違いありません。自殺しちゃうほど危ないのは、「会場にいるだけでとても辛いのですが、いつか良くなると思って毎日通っています」と言う人のほうです。辛いことでも行かねばと思って続けてしまうところが、いかにもうつなのですが、これを見落とすといきなり自殺されてしまったりします。
過去に自殺未遂のあるケースはリスクが高いのはわかるでしょう。それから、アルコール性抑うつの場合には抗うつ剤の効きが良くないので、他の薬が使われます。となると、抗うつ剤を飲んでいてその効果が出ている場合は、本来のうつ病について気をつけた方が良いことになります。うつ病が悪い場合には自殺する気力も出ませんから、自殺はある程度良くなってから、例えば働きだしてから起こることが多いのです。「元気になってきたあたりが危ない」ということは肝に銘じておいて欲しいことです。
医者もそういう事情を勘案して、自助グループに行かせる・行かせないの判断を下しているでしょう。医者だって患者に自殺されたくはない。アルコール依存症は死に至る病気とはいえ、一回の再飲酒で死ぬ確率はそれほど高くありません。「行かなくて良い」と言われる人の場合、再飲酒のリスクより、自殺を防ぐベネフィットのほうが大きいわけです。そういう人に無理に自助グループを薦めるのは禁忌で、症状が改善したときに改めて判断されるでしょう。
そちらの症状が改善すると、医者が自助グループを薦めるようになります。これをご本人は症状が悪化したと判断されたからと勘違いして医者ともめた例がありました。良くなっているのに追加の治療が必要だといわれて不本意だったのでしょう。しかし、良くなったからという根拠があってのことです。
2009年12月08日(火) 自助グループは必須か?(その1) アルコール依存症者はAAや断酒会という自助グループに通うべきなのかどうか。
もちろん、ここで僕は「通うべきだ」としか言いようがありません。そういう立場でここにいる以上、それ以外のことは言えません。そういう僕に対して「私はこのような事情で自助グループに行きません」と言われても、「ああそうですか」としか答えようがないのです。間違っても「わかりました、そういう事情なら行かないのも当然ですね」という肯定的な返事は期待してはいけません。
しかしながら、行くのも行かないのも、まったくその人の自由だと思います。
もちろん、行ったほうが断酒の維持率が高いことはデータが示しているのですが、それも分かった上で行かない選択をするのもありだと思います。なにぶんにも、その人の人生はその人のものなのですから。
もし自助グループに行かずに何年も断酒が継続していて、いまの生活に満足していて、今後も再飲酒の不安がないのだったら、「断酒の三本柱」とか「自助グループへ通いなさい」なんて言葉に惑わされずに、自分のやり方に自信を持っても悪くないと思うのです。
であれば「行きたくないから行かない」とか「自分には合わないから行かなかった」とあっけらかんと言って朗らかにしていられるはずなのです。裏返して言えば、自分のやり方でよいと思っていながら、自助グループへ通わないことへのエクスキューズ(言い訳)が出てくるのは、やはり自然ではないのです。防衛機制、再飲酒への不安を表している可能性があります。
まとめると、自助グループなしでも断酒が順調だと自信が持てるならそれでオーケーだし、自助グループが気になるのは不安のある証拠ですからもう少し自分の状態に正直になった方が良いということです。
僕はある種の人たちに対しては「自助グループに行け」とあまり勧めないことにしています。それはどういう人たちで、理由は何か、ということは明日。
2009年12月07日(月) 偏食 普段のミーティングでは、説教くさい話になるのを避け、なるべく自分の酒やステップの体験を話すようにしています。しかし、いつもそうできるとは限りません。
昨夜は仲間のバースディミーティングで、本来であれば少しおめでたい話でもして、(誰だって自分の酷かった頃のことは忘れるので)以前のその人の姿を知るものとしてチクリと一言クギを刺すぐらいにしておこうかと思っていたのです。ところがご本人の話が「○年AAをやっても、自分はこれしか回復していなくて・・」という暗ぁ〜い話だったので、思わずむかっ腹が立ってしまい、僕の順番の時に「今日はお説教(をする)ね」と断って始めてしまったわけです。
アラカルトというのはメニューの中から自分の好きな料理を選んで食べます。またバイキング料理(スモーガスボード)では、セルフサービスで自分の好きな料理を取り分けて食べます。最近は安ホテルの朝食はもっぱらこれです。AAもそんな風に自分の好きなことを選んで楽しむ?ことも可能です。好きな仲間とだけ付き合い、お気に入りのミーティングやイベントにだけ参加していても、それなりのボリュームが確保されていれば、十分努力しているように見えます。
けれど好きなものだけ選んで食べていると偏食になります。体は正直なので、必要な栄養素が足りなければ不健康になります。AAも同じです。病気は正直なので、必要な栄養素が足りなければ心が失調します。真面目にAAをやっているつもりでも、結果を見れば不足があるのは明らかで、それを自己憐憫のネタにしていては、今後も同じことが続くばかりです。
何年か前、僕は東京で一人のメンバーと会いました。彼は「何年経っても惨めなソブラエティを送っているヤツは人殺しだ」と言うのです(彼はどこでもはばからずにそれを言うようです)。
僕はAAに来るまでは最高でも一ヶ月半しか断酒が続きませんでした。「いつでも酒がやめられる」と思っていたものの、心の奥では一生酒をやめるなんて無理だと思っていました。そんな自分にとって2年、3年酒をやめ続けているAAメンバーは天上の人みたいなもの。もしその天上人たちが「何年酒をやめてもちっとも回復せず辛いばかりだ」と話していたら、僕は「ほらやっぱり酒をやめても何も解決しない」と諦めて、死んでも構わないから飲み続けることにしたでしょう。東京で彼と会ったころの僕は、酒はやまっていたものの、会社が倒産し、子供は不登校になり、自分はうつが悪化して酷い状態でした。避けられない運命があるにしても、それを乗り越えていくステップの強さと希望が話の中になければ、「他の人が酒をやめる手助け」どころか「人殺し」のスピーチである、これがおそらく彼の言いたかったことでしょう。
酒を飲んでいると不幸が押し寄せてきます。回復すれば自業自得の不幸はなくなりますが、誰にでも訪れる不幸は酒をやめてもやってきます。幸せとは不幸が訪れないことではなく、不幸を乗り越えられる手応えみたいなものではないかと思います。栄養の足りた肉体が病気を乗り越えていくように。
2009年12月06日(日) mil 原点回帰運動について(その9) 最後にビッグブック・ムーブメントの他の団体への広がりについて。
僕自身は地元のACグループに出席したことがあるぐらいで、AA以外のグループの歴史も現状もわかりません。なので、これは伝聞情報です。
最近でこそNAでベーシックテキストが訳出され、OAではステップと伝統の本が、ACAでは「ACのための12ステップ」やアダルト・チルドレン・ビッグブック(ACBB)が出版されていますが、それまではミーティングでもスポンサーシップの中でも積極的に本を使っていくという話は聞きませんでした。
12ステップは、それを通じてハイヤーパワーとの関係を作っていくことが回復の基盤になるのですが、日本のAAでその部分が希薄になっていったのと同じ現象が、他のグループでも発生していたと考えられます。たとえば、このサイトに収録している新聞記事では日米のGAを取材してその違いに触れています。
http://www.ieji.org/archive/newspaper-clipping/ga-01-asahi.html
アメリカのGAでは「神の意志を理解し、自分の卑小さを確認することから始まる」のに対し、日本のGAでは自分の体験を語り、人の体験を聞くことで、人生のストーリーを再構築するとなっています。この外部からの視点を、自助グループ側の視点にてんかんすると、スピリチュアリティが重視されている状態と、仲間意識が重視されている状態の対比と言えないでしょうか。
日本のAAが、他の12ステップグループの成長の見本にならなかった、ということはよく言われることです。12ステップはAAが発祥だと聞き、ステップの話を聞こうとAAのオープンスピーカーズに行ったものの、そこでステップの話はほんの少ししか聞くことができなかった、という体験は少なからずあちこちから伝えられました。(オープンミーティングやオープンスピーカーズでステップの話をするべきか、というのは置くとして)。
また、援助職の人が生のAAの姿を知りたくてAAに行ってみたものの、本に書かれたことと現実があまりに違って驚いた、という話も実は珍しくありません。
12ステップの本質を「パワーゲームから降りること」と解釈し、必要なのは神を含む12ステップそのものではないとして10ステップを作ったり、「自己内部からの批判的な声に耳を傾けない」というグループ文化を作った麻布の先生の影響が、12ステップグループに及んでいました。
それぞれのグループが、始まりからしてステップが曖昧だったのか、AAと同じようなステップの希薄化が起きたのか、あるいは地理的な広がりによってステップの伝達が妨げられたのか。事情はそれぞれでも改めてステップを求める人たちと、AA内部のビッグブック・ムーブメントが相互につながるのは時間の問題でした。
BBF(ビッグブック・ファミリー)は、回復のプログラムとしてAAのビッグブックを使うグループとしてスタートしました。対象はアルコールや薬物依存者の家族の人たちです。このグループは結局アラノンに合流することを選んだのですが、現在でもBBFとしての活動も行っているようです。
秀眉はギャマノンで、基本テキストを持たなかったギャマノンのなかでビッグブックのステップのやり方が広がり、それが本人達のグループであるGAのメンバーに広がっていきました。同じ回復のプログラム、同じ価値観はGAとギャマノンの関係を(本人のグループと家族のグループとして)理想的なものとしている、と評する人もいます。
各グループでは、ビッグブックを読み合わせるときに、「アルコール」をそれぞれの依存対象に、「アルコホーリク」を自分たちの呼称に置き換えて読むのだそうです。例えば医師の意見をそう置き換えて読むことで、身体的アレルギーと精神的とらわれのモデルが自分の問題にもあてはまることを確認します。
ジョー・Mの功績を日本に紹介することを目的とした「回復研究会」には、各グループから横断的にメンバーが参加していますが、AA・NA・EA・GA・ギャマノンメンバーの姿を見ることができます。個人的には、AA以外のグループでビッグブックが回復のテキストとして使われるのは、それぞれのグループの基本テキストが有効に機能し始めるまでの限られた期間ではないか、と思っています。
ともあれ、現在日本の12ステップグループの中で「並列的に」ステップの(再)獲得運動が起きていることは間違いありません。たまたまAAのビッグブックがその手段として使われているために、ビッグブックの存在が目立っているのですが、焦点はあくまで12ステップそのものであることは強調しておきたいところです。
ステップを伝える「パケット」としてのビッグブックや、ジョー・Mについて、あるいは回復研究会についても書こうと思っていたのですが、長くなりそうなのでそれはまた別の機会にして、とりあえずこの文章はこれで終わりにします。
2009年12月05日(土) mil 原点回帰運動について(その8) 読んでいる方も飽きているかもしれませんが、書いているほうも飽きてきました。けれど、もう少しビッグブックのやり方全般の話を続けてみます。
「棚卸しのやり方がわからない」という質問をたまに受けますが、ビッグブックのp94〜95には見開きで棚卸表があり、その通りに書けばいいわけです。しかし、なかなか書けないのは、それが「誰を恨んでいるか」「何を恐れているか」「誰を傷つけたか」という表だからです。自分は誰も恨んでいないし、何も恐れていない、誰も傷つけてない、という否認が強いうちは棚卸表はなかなか書けません。
ビッグブックはその表に至るまで百数十ページありますから、それを分かち合ううちにスポンシーに自分を点検したい意欲を起こさせることが、スポンサーに必要な技量なのだと思います。
表の第一欄は「恨んでいる相手(恐れている相手・傷つけた相手)」、第二欄は「その理由」、第三欄は「自分の何が傷つけられたから恨んで(恐れて)いるのか」です。見開きの表は第三欄までですが、第四欄が付け加えられた表を使う人たちもいます(僕も)。第四欄は「自分自身の誤り」で、p.98とp.101の記載が根拠になっています。
僕は恨みの表・恐れの表・性の表(傷つけた表)の三つを使いますが、四つ表を作る人もいれば、一つで済ませる人もいます。
僕はスポンシーには「親に対しての恨みをたくさん書いて欲しい」と頼みます。人は幼い頃の親子関係から人間関係を学んでいきます。そして成人後、まるで親のコピーのように振る舞うか、あるいは親を否定して正反対の像になります(実際には両者がモザイクのように共存している)。いずれにせよ、現在のその人の対人関係のスキルや、性格上の欠点は、親から受け継いだものです。スポンシーの悩みは現在の家族(妻や子)に集中していることが多いのですが、親との関係を洗わない限り欠点が見えてこないと考えています。
親子関係にフォーカスをあてることは僕がスポンサーをやる中で身につけた技量であり、ビッグブックには書いてありません。いくつの表をどう使うかも書いてありません。つまり、ビッグブックの原理の部分と、スポンサー個人の技量の部分が存在しているのだと思います。
「棚卸しのやり方がわからない」という質問に対して、表だけ提示しても意味がないのは、それがスポンサーと一緒に動機を形成し、スポンサーと一緒に分析していくことが前提だからです。このサイトでも(ビッグブック関係の)棚卸し表はダウンロード可能にしていませんし、他でも積極的にやっていないはずです。
2009年12月03日(木) mil 原点回帰運動について(その7) さらに続きます。
ビッグブックによる12ステップのやり方、という言葉を使うと、まるでそれにはたった一つのやり方しかないように聞こえてしまいます。
しかし、実際にはかなりバリエーションがあります。それは流派と呼んでも良いのかも知れません。B2Bやビッグフット、最近目立つジョー・マキューもそれぞれ一つの流派と呼べると思います。余計なものを使わずビッグブックだけという人たちもいます。棚卸表も少しずつ違います。「ビッグブックに書かれたやりかたをする」という点では共通でも、それぞれ特徴があります。「ビッグブックのやり方」あるいはビッグブック・ムーブメントというのは、それらの総称であり、決して一枚岩ではありません。
例えばドゥー・ザ・ステップというのを紹介します。
僕には経験がありませんが、これは元はドクター・ボブから始まったやり方だそうです。スポンサーとスポンシーが一対一でビッグブックを先頭から読んでいき、途中でスポンサーが大事なところに注釈を与えたり、スポンシーに質問をしたりします。その注釈や質問が「ドゥステ」のキモなのだそうで、ビッグブックへの書き込みは代々受け継がれているわけです。ぶっ通しでやっても2〜3日はかかるとか。
そしてステップの箇所に来ると、そこに書いてあることをします。祈るべきところでは祈り、棚卸表を書くところでは書きます。ドクター・ボブは約五千人の患者を治療したそうですが、患者たちはドクター・ボブの指導を受けながらベッドで棚卸表を書きました。スポンサーの目の前で棚卸しを書くのはプレッシャーが大きそうですが、ともかくそれをやり、すかさず性格上の欠点のあぶり出しが行われます。埋め合わせはその場ではできないので、スポンサーと一緒に誰にいつ埋め合わせをするか計画を立てます。
ドゥステは「次の人に渡し続けないとステップが腐ってしまう」と言われ、スポンシーの相手をすることによって、スポンサー側のステップが深められていきます。ステップのやり方はどれもそうですが、スポンシーよりスポンサーにご利益が大きい仕組みです。
ドゥステをやる人たちは、ビッグブックの表紙の裏にドクター・ボブから始まる系譜を書き、スポンシーはその一番下に自分の名前を加える習慣だそうです。
(経験がないのでドゥステについて違っている部分があったら教えてください)。
2009年12月02日(水) mil 原点回帰運動について(その6) 「バック・ツー・ベーシックス」や「ビッグフット」にどんな意味があったのでしょうか?
少なくとも僕は「これだけで回復できた」という人は一人も知りません。これらのビギナー向けのテキストがメンバーに回復をもたらさなかったのは明らかなことです。(回復した人はそれ以上のことをしています)。そもそもどんな形式であれビギナーズ・ミーティングとは、それだけで回復が達成できるものではありませんから、効果がなかったと非難するにはあたりません。
ある精神科医がビッグフットに対して「これは旅行のパンフレットのようなものだ」と評しました。私たちが旅行会社のパックツアーに申し込むと、旅行の日程を書いた紙が送られてきます。そこには何日にどこへ移動し、何を食べ、何を見、どこへ泊まるか書いてあります。それを見て私たちはどんな旅行になるのかおおよそ理解します。もし旅行に申し込んでも、集合場所しか知らされず、旅行の内容についてさっぱり情報がなかったら、あなたは大いに不安になるのじゃないでしょうか。
12ステップが旅行そのものだとすれば、ビッグフットは旅行の日程表のようなもので、旅行(ステップ)の概略を把握できる効果があります。けれどパンフレットを読んだだけで実際に旅行をしなければ、旅行の経験は得られません。しかし、旅行に行こうかどうか迷っている人には、旅行の中身を知ることは決断する上で大切です。
もし日本のAAがステップで回復した人の集合体であったならば、ミーティングではステップという旅行の経験談がたくさん話されていたに違いありません。その話はビギナーの人たちの耳にも入り、自分もどんな旅行をするのか(つまりステップは具体的にどうするのか)おおよそのところがはっきりと分かるはずです。
しかし現実のAAにステップをやった経験者が少なく、経験と力と希望が分かち合われていないとしたら、ビギナーの人たちには情報が与えられず、突然「ステップをやろうじゃないか。私がスポンサーになってあげよう」という人が現れても、知らないおじさんについていくのは怖いと感じて怖じ気づいて当然です。
こうして考えてみると、ビッグフットの果たした役割は、「ビギナーをステップにいざなう」という本来通常のAAミーティングが果たさなければならない役割であり、その機能を代行したにすぎなかったわけです。
「バック・ツー・ベーシックス」や「ビッグフット」を経験した人の中で、準備ができていた人たちはビッグブックのやり方でステップに取り組みました。ビッグフットは入り口として十分な役割を果たしたと言えます。ビッグブック・ムーブメントの成熟とともに、こうしたビギナー向けミーティングは下火になっていった感があります。しかし、何らかの形のビギナーズ・ミーティングは常に必要とされているはずです。いずれ新しい何かが始まるのではないか、と期待しています。
さらに続きます。
2009年12月01日(火) mil 原点回帰運動について(その5) さらに続きます。
「ワリー・Pという一個人の12ステップの解釈を、AAの原理だとして広めてはならない」という批判を受けて「バック・ツー・ベーシックス」は1年あまりで使われなくなってしまいました。では本当にワリーの解釈は偏っていたのかどうか? 6年経ったいま再評価してみると、それはワリー個人の解釈ではあるものの、決してビッグブックの伝える内容から外れてはいません。ワリーの本もあくまでビッグブックを読むことを前提としていたわけで、AAの原理から外れようがなかった、ということでしょう。批判は的はずれでした。
しかしワリー・Pの本を日本で出版して使っていこうとしても、翻訳許諾のために提示された条件が厳しすぎてクリアできそうにありませんでした。そこで日本のメンバー達は一計を案じました。自分たちでテキストを書けばいいのです。
日本ではAAメンバー自身が回復のためのテキストを書くのはごく珍しかったのですが、アメリカではたくさんのテキストが広まっていました。ネットでダウンロードできるものもあれば、ヘイゼルデンで売っているものもあります。そこで日本のメンバーも自分たちが手にしたもの基づいてテキストを作ることにし、完成させたのが「ビッグフット」です。
ビッグフットはビギナー向けミーティング用で、「1時間のミーティング4回で12ステップすべてをこなす」というコンセプトは引き継がれました。これを使ったAAミーティングが行われるようになり、毎夏には一泊二日で12ステップを学ぶセミナーが開かれるようになりました。
当然予想されたことでしたが、これもワリーの本と同じように批判の対象となりました。AAのオフィスで売っている本ではなく、メンバーが書いた本をミーティングで使って良いのかどうか。かまびすしい議論が続いた挙げ句、その是非は常任理事会というAAの最終責任機関に持ち込まれました。彼らの判断は、賢明にも政府的役割を避けました。ビッグフットをAAミーティングで使うことの是非は判断せず(つまりそれは各グループの良心に委ね)、AAと外部の接点になる病院メッセージではメンバーが書いたテキストは使用しないで欲しい、という限定的な依頼の形を取りました。
それでビッグフットを使っていた病院メッセージで、ビッグブックだけを使うことになったわけですが、それで特に不都合は起きませんでした。ビギナー向けのミーティングでも本を二冊使うのは煩雑だと感じられるようになりました。こうして、独自のテキストを作って使う熱は徐々に冷めていきました。
現在でも「ビッグフット」の名前を冠したミーティングは行われていますが、すでに独自テキストは行われておらずビッグブックのみを使っているという話です。それでも、1時間のミーティング4回で12ステップを、というコンセプトは維持されたままです。
まだ続く。
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