心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年05月31日(日) 脳の病気(その4)

53.0Kg, 8.4%

善光寺の御開帳に集まった人の数は6百万人以上。長野県の人口の3倍だそうです。

さて、アルコール依存症を含む精神病は、心の病であると同時に、脳という臓器の障害でもあるという話を続けます。

最近は障害を「障がい」、子供を「子ども」とするなど、特定の漢字を嫌う傾向が強まっている気がしますが、それはまた別の機会に書くとして。

障害という言葉にはいろいろな意味があります。例えば damage(ダメージ)、trouble(トラブル)、あるいはdysfunction(機能障害)。handicap(ハンディキャップ)という言葉もあります。handicapped と言えば身体障害者のことです。

臓器の障害は「機能障害」という意味ですが、じゃあその障害を抱えて生きていくとなると「ハンディキャップド」という意味で捉えるのが良いと思います。

つまり、「何らかの制限や不利な条件を背負わされている」。これは心の病気に限らず、慢性疾患全般に言えることです。その不利な条件を受け入れていくことが、一番大事なことだと思います。

例えば、うつ病が原因で休職したせいで、出世競争から脱落してしまったとします。もう一度競争に復帰して、同期の出世頭になることを目標にしてしまうと、うつ病は簡単に再発してしまうでしょう。そこで、閑職に追いやられても、クビにならずに経済生活を維持できることに感謝しながら働ければ、それで良いのです。残業なしで早く帰れるから、映画を見るのが趣味になったというなら、なおさら。

これが「俺はもう出世できないから仕事を辞める」などと言い出して家族を困らせたりする。背負ったハンディを受け入れられないとはこういうことです。

アルコール依存症でも同じことで、「飲まなくなれば普通の人と同じ」と考えたい気持ちはよく分かりますが、現実には飲まなくなっても「不利な条件」は消えくれません。


2009年05月28日(木) 閑話休題

53.2Kg, 10.5%

脳の病気については、ひとまずおいて。

月曜日に納品のために、県内某企業を訪れました。うちの会社からは、ほかに神奈川の本社から営業さんが同行してくれました。警備所に置いてある受け付け用紙には、質問が二つ追加されていました。

・38度以上の熱がありますか?
・インフルエンザ様の症状がありますか?

もしそんなだったら、こんなとこ来ねーよ。なんつーか、いかにも「アリバイ作り」的な質問事項でありました。さて、仕事はさっと済んだので、帰り際に営業さんに、

「そういえば、本社では皆さんマスクして仕事してるんですか?」

と尋ねてみたら、そんな人はいないという答えでした。

でも念のため、水曜の本社勤務日にはマスクを携えて行きました。ところが、新宿へ向かう特急電車の中でも、横浜線や小田急の中でも、マスクをしている人はほとんど見かけませんでした。関西で季節はずれのインフルエンザが流行っているといっても、関東ではこんなにのんびりしたものです。

しかし、ドラッグストアではマスクが売り切れていました。実家の母が来週初めに神戸に農協のパックツアーで遊びに行く予定でしたがが、ツアーそのものが中止だそうです。

「ジジババばかりの旅行だから心配要らないとは思うんだけど、万が一ウィルスでも持って帰ってきたら、何を言われるかわからんからねぇ」

と母は電話の向こうで言うのでありました。

季節性のインフルエンザでも、国内で毎年数百人〜数千人が死んでいます。致死率は0.05%ほど。それと比較して、豚インフルエンザはそれほど騒ぐことなのでしょうか。

もっとも、第一次大戦前後に猛威を振るったスペイン風邪も弱毒性だったものの、途中でウィルスが変化して強毒性となり、世界で死者四千万人、致死率は2%という結果だったそうです。


2009年05月21日(木) 脳の病気(その3)

53.3Kg, 9.8%

脆弱性を抱えてしまった私たちは、それにどうやって対処していったらよいか、という話。

いったん、脆弱性の話を離れて、精神・身体・知的の障害者についての話に転じてみます。

障害者を特別の施設に閉じこめておくのではなく、社会で(自宅で)暮らせるようにすることをノーマライゼーションと言います。特別扱いをやめて、当たり前にしようという意味です。

ただ、このノーマライゼーションとは、障害者に対して健常人と同じ能力を期待し、同じ待遇を約束しているわけではありません。能力に制限があることが障害なのですから、その現実から目をそらすわけにはいかないのです。例えば仕事や住む場所が自由というわけにはいかなくて、何らかの制限を受けることは仕方のないことです。

本人や家族が「障害を受け入れる」ということは、無理無理に頑張って普通人と同じ結果を出そうとするのではなく、制限があることを納得して受容することです。また、社会が障害者を受け入れるということは、そうした制限のある人を社会の一員として受容することです。

こうした人は、社会にとっては(言葉は悪いですが)足手まといになります。その非効率を受け入れることが文明社会だろうと思います。強い人、健康な人だけで構成されていれば社会は最高の効率で動くでしょう。効率のために弱者を排除するというのであれば、それは弱肉強食の論理であり、文明を持たない動物と同等の、人間らしさを失った社会になってしまいます。

さて、臓器に脆弱性を抱えた人は、(たとえ障害者に分類されるほど重いハンディキャップを背負っていなくとも)同じことが言えると思います。

ハンディキャップの重さや種類が違っていたとしても、何らかの制限を受けていることに違いはない・・・というところで、さらに次回に続いてしまいます。


2009年05月20日(水) 脳の病気(その2)

53.3Kg, 8.2%

精神病は、心の問題であると同時に、脳という臓器の障害でもあるという話の続き。

近年になって、統合失調症(精神分裂病)患者には脳萎縮があるという知見が定着してきました。画像で脳萎縮が判別できないレベルであっても、すでに脳神経細胞の消失が起きていると考えられています。
ただ、臓器の病気だからといって、これが恐ろしい遺伝病だと考えるのは間違っています。一卵性双生児の片方が統合失調の場合、もう一方が発症する確率は十パーセントあまりです。つまり残りの八十数パーセントは同じ遺伝子を持ちながら(脳萎縮がありながら)発症しないわけで、環境要因の大きさが分かります。

近赤外線を脳に照射して中の血流量を図る「光トポロジー」という技術があります。開業医の精神科医がこの装置を導入し、うつの診断に使っているというニュースをテレビでやっていました。例えば「<た>で始まる言葉を思いつくままに並べてください」というふうに脳を使わせると、健常者の場合前頭葉の血流量が増え、うつ病患者の場合は増えない、のだそうです。この機能の違いは、当然脳の器質的な違いからやってくるものでしょう。

部屋が片づけられず、すぐに汚部屋になってしまう人の中には、ADHDという病気の人が含まれているのですが、このADHDは「注意欠陥多動症」という「症状」に焦点を当てた病名です。この病名以前はMBD(微細脳損傷)と呼ばれていました。これは症状よりも原因に焦点を当てた名前ですが、ふたたび原因に関心が集まっているのだそうです。

どうやら21世紀初頭の精神医学は、心より脳へ向けて舵を切っているようです。

ところで(依存症を含めた)精神病というのは、親から遺伝によって受け継いだ脳の器質的脆弱性が問題なんだよ・・と言われても、実際その病気にすでになっている人間には何の慰めにもなりません。精神病の親を持っている(いまのところ健康な)子供たちにとっても同じことが言えるでしょう。

では、そういう脆弱性を抱えてしまった私たちは、それにどうやって対処していったらよいか、という話は、また次回に続くのであります。


2009年05月19日(火) 脳の病気(その1)

(信州サーモンはおいしくいただきました)
53.1Kg, 9.8%

精神病は、心の問題であると同時に、脳という臓器の障害でもあります。
精神医学も、心の問題に傾いている時期と、脳の器質変化を追いかけている時期を、まるで振り子が左右に揺れるように、繰り返しているのだそうです。

アメリカの精神科医というと、患者をソファーに座らせて話を聞く精神分析医というイメージが定着した時期もありました。一方で、脳を調べることが流行っていた時期もあったそうです。

手元にある『精神医学ハンドブック』という本では、精神病を大きく三つに分類しています。

最初は心因。いわゆる心の病というやつです。心身症、神経症、拒食症、性機能障害などなど。原因が取り除かれれば治りやすいという特徴があります。

(二番目は飛ばして)最後は器質因。これは脳の器質が変化したのが原因です。痴呆・てんかん・アルコールや薬物の中毒。脳梅毒もここに入ります。
なぜアル中、薬中がここにはいるのか? 重度のアルコール依存症患者には、しばしば脳萎縮が見られます(亡くなるまで萎縮が見られない人も多いですけど)。だから、画像診断でまだ脳萎縮が分からないレベルであったとしても、もっと小さなレベルで器質変化はすでに起きているに違いない、というわけです。
(その変化が不可逆なので、二度とマトモに飲めるようにはならない、というわけ)。

飛ばした真ん中は内因。ここにはうつ病と分裂(統合失調)が入ります。(高血圧や糖尿と同じ意味で)明らかに遺伝的な病気になりやすい体質が元にあり、それに環境の問題が加わって発病します。遺伝的な脳の病気だというなら、器質因に入れても良さそうですが、少なくとも二十世紀の科学では、脳の変化が見つけられなかったため、違う内因というジャンルが作られました。

うつ病については「誰でもなる可能性がある」とは言いますが、実際には同じ環境でなる人もならない人もいます。同じ食事をしていても、糖尿になる人ならない人がいるのと同じことです。

二十一世紀になって、病気による脳の変化の研究が進んだ、という話なのですが、続きは次回。


2009年05月17日(日) 情報に踊る

計測なし。

「最近パキシルを飲むのをやめたんですよ」

という相手の言葉を聞いて、僕は(ふむ、なるほど)と思いました。
日曜のマクドナルド店内は、昼食をマックですませようという家族連れで混み合っていました。金のない若いカップルもちらほら。日本の女性のファッションは年々幼児化していくという話もありますが、それも別に悪いことじゃないだろうと思いながら、190円で買ったコーラをじゅるじゅる飲んでいました。

で、パキシルの話です。もちろんその人が飲むのをやめたのは、医者が処方を中止したのではなく、勝手な服薬中止でした。そして、理由は聞くまでもありません。

数週間前、パキシルなどのSSRIの副作用で攻撃性が増す、という記事が新聞に載りました。それを読んだときに、(こりゃ勝手に服用を中止する人が増えるな)と思ったものです。

「私は自分が攻撃的な人間だと思います。それはたぶんパキシルのせいだと思うんです」

という相手の訴えを聞いて、僕はコーラを飲み干すと、「それはパキシルとは何の関係もない、元々の性格だと思います」と冷徹に答えました。

ではなぜあんな記事が新聞に掲載されたのか?
掲載されたのは、もちろん厚生労働省がその情報を流したからですが、その意図は何か、と考えてみると、やはりお金のことでしょう。

パキシルの薬価は20mg一錠で216.9円だそうです(wikipediaから)。これをうつ病の最大用量40mg使うと、日に233.8円。ひと月に一万三千円になります。自己負担率が三割だとしても、残りの七割の約九千円は健康保険からでるわけです。パキシルの服用者は100万人を超えているそうなので、単純計算では毎月九〇億円です。

一方伝統的な抗うつ薬の例としてアモキサンを取り上げると、25mg一錠が15.9円。75mg使うとするれば、日に47.7円、月に1,431円。パキシルの10分の1です。健康保険の収支のために、新しい高価な薬ではなく伝統的な安い薬を使ってほしい、と厚生省が考えたとしても不思議ではありません。
ただ、あの記事に振り回された人も多かったのではないかと思います。

「薬を飲みたくなければ、医者にそう言って止めてもらいなさい。それでも医者が飲めというなら飲みなさい。あなたは医者より経験も知識もないのだから、そういう思い上がりを抑えるようにしましょう」

というアドバイス以外に何が言えるでしょうか。


2009年05月16日(土) 何のために?

53.1Kg, 9.6%

在宅勤務も良し悪しです。
一日24時間の中で、1時間半〜2時間を費やしていた通勤の時間が節約できるのは嬉しいことです。一方で、その時間は、仕事とプライベートの気持ちを切り替えるのにも費やされていました。車のハンドルを握っているうちに、仕事上の「あれもやらなきゃ、これも片づけなくちゃ」という焦りが消えてくれました。風呂に入りながらふと仕事のことが気になっても、「どうせ職場に行かなければ何もできない」と諦めて忘れることができていたのです。
それがいまや、家の中を移動するだけで職場に行けてしまうわけで、仕事がプライベートを、プライベートが仕事を浸食しないように、腐心せねばなりません。
(いや別に、それを雑記を更新しない言い訳にしようってわけじゃないですけど)。

「ビッグブックのやり方」を、この短い文章で説明するのは無理なので、かわりに別の話をしましょう。

ある時スポンサーシップの中で、スポンシーからこんな質問をされました。

「自分では解決不能な酒の問題を、神さまが解決してくれるというのは分かりました。でも、それが神さまの役割だとするならば、なぜ僕は棚卸し(ステップ4・5)や埋め合わせ(ステップ8・9)をしなくちゃならないのでしょうか?」

それはとても良い質問でした。なぜなら、僕には答えられなかったからです。
アルコールの問題を解決するのに、なぜ自分の性格の欠点と向き合い、傷を与えた人に償わなくてはならないのでしょう? それと酒と何の関係があるというのでしょう。
僕が自分でやったときには、そんなことを考えたこともありませんでした。そこで僕は改めてビッグブックや緑色の本を読み、先達に質問してみました。

中には、ステップは「酒をやめた後」で人格を磨くためにやるという人もいます。でも僕はそれは間違いだと思います。道徳や哲学で酒が止まるなら、誰もこんなに苦労しやしません。やはりステップは「酒をやめるため」にやるのでしょう。

五章の最後に「神とあなたの間に、あなたの頑固な意志が作っていた障害物」という言葉が出てきます。ハイヤーパワーの恵みによって酒が止まるにしても、自己中心的な思考が神と自分の間に障害物として立ちはだかっていたのでは、助けは得られません。

アル中の酒を止めるのも、回復させるのも、(本人を含めた)人間の役割ではないと思うのです。それはハイヤーパワーの役割です。ならば人間の側は何もしなくても回復できる、ということにはなりません。人間は人間の側の役割を果たさなければなりません。それが12ステップであろうと思うのです。

だから酒のことも回復のことも神さまに預けておいて、いまはステップに集中しましょう、と翌週になってスポンシーに回答したのでした。


2009年05月11日(月) お誕生日

朝/コーヒー・トースト・キャベツとウィンナーの炒め物・ヨーグルト・チーズ
昼/牛丼弁当並・おみそ汁(吉野家)・ごはん一膳
夕/ケーキ・本節らーめん(800)
夜/ピザパン・野菜メンチカツパン・ジュース
53.3Kg, 9.2%

(もう過ぎてしまいましたが)11日は、僕が四回目の精神病院を退院して二日後、何ヶ月ぶりかでAAミーティングに復帰した日です。あれから13年経過しました。
もうずいぶん昔のような気がして、まだ10年あまりしか経っていないとは信じられません。正直な話、当時の記憶はすでにぼやけています。AAミーティングで繰り返し話している経験談だけが、脳に改めて焼き付け直されているような状態です。そんなわけですから、酒でどんなに痛い目に遭ったとしても、時間が経過すれば「のど元過ぎれば熱さ忘れる」になるのは致し方ないことかも知れません(でも病気は治ってないぞ)。

とりあえずこの日付を「僕のAAプログラムが始まった日」としてバースディにしているのですが、2003〜4年頃にビッグブックのやり方と出会ったのが「僕の実質的なAAプログラムの始まり」だったと思っています。だが、まあそれは別の話。

たまたま月曜日は仲間の3年のバースディ・ミーティングでした。それが夕食に「ケーキ」が加わっている理由です。僕も下旬の自分のバースディ用にケーキを予約しなくちゃね。

アメリカでは数多ある12ステップグループのバースディ用に、専用のケーキを作ってくれるお店もあると聞きました。安価で良いそうですが、味もそれなりだそうです。

さて、前に済んでいたワンルーム・マンションに入居するときに、2年分の火災保険に強制加入させられたのですが、1年足らずで退去してしまいました。保険会社に電話をかけたら、中途解約の書類を送ってくれるそうです。例え5千円でも戻ってくれれば嬉しいです。
かように、在宅勤務は私用電話がかけ放題なわけです。


2009年05月09日(土) 田植え

52.8Kg, 9.8%

雨がちの天気が続いて心配していたのですが、田植えの日は無事晴れ上がりました。稲刈りと違って田植えは雨でも支障は少ないものの、やはり晴れてくれたほうが嬉しいものです。
兄が使う田植機は中古をタダでもらったもので調子が悪く、毎度トラブルを起こしてくれます。無事動いてくれるのか心配でしたが、今回は兄が3日前に整備をしていたので順調でした。
自家消費用だけの耕作なので午前中だけで終わりました。しかし、お昼を食べてすぐに帰れるわけもなく、午後は母の相手をするのが大変で、田植えそのものよりそちらのほうが疲れたかも知れません。(早めに帰ると、母は「せっかく来たのにろくに話もしていかない」とグチグチうるさいのです)。

さて話は変わって。
僕がたまにスポンシーに話すことのひとつに「苦しみは自分の心の中にしかない」ということがあります。
確かに世の中には良いことも悪いことも、正義も不正義も起こります。どちらかと言えば悪いことの方が多いような気がします。しかし、世の中に遍在する不幸せや苦しみに自分が巻き込まれて不幸になっている、と考えるのは間違いだと思います。
あるいは誰かのせいで苦しんでいるのだというのも同様です。
自分は状況の犠牲者なのだ、という甘美な自己憐憫に浸るのは、あまり生産的でないと思います。

エイブラハム・リンカーンは People are as happy as they make up their minds to be という言葉を残しました。人は自分が心の中で選んだだけの幸せを手にする、とでも訳すのでしょうか。
変えられない状況を受け入れて心の中に幸せを作り出すのもいいし、変えられないと思いこんでいた状況を変えるために決心をするのもいいし。いずれにせよ、幸せ不幸せは自分の心が決めるものなのであります。

世の中には不幸を好み、不幸を愛しているとしか思えない人がたくさんいます。


2009年05月02日(土) 退去確認

53.0Kg, 9.8%

もう一週間前になりますが、以前住んでいたワンルーム・マンションの退去確認に立ち会いました。敷金が一ヶ月だったので、クリーニング代と壁のクロスの張り替え費用で足が出る(追加費用を請求される)かと心配でした。
それに、フローリングの床にヘヤカラーをこぼして色が付いてしまい、いろいろ試したものの着色は取れませんでした。床の張り替えという話になったら、ずいぶん財布に痛いことになります。とはいえ、それもやむを得ないかも知れないと覚悟はしていました。

クロスの張り替え面積は15平方メートル、敷金精算で約8千円ほど追加請求されました。
しかし、壁のピンク色の汚れは僕の入居前から付いていたこと、それから別の壁面の汚れは洋服ダンスを置いた裏側に発生したカビで、経年使用上やむを得ないのではないか、という主張をして値引きを交渉してみました。

鉄骨の建物は湿気がこもります。入居時に換気はこちらの責任という一筆を入れてあったので、カビについては認められませんでした。ピンク色の汚れについて減ずることになり、張り替え費用の単価修正と、退去通告が一ヶ月に満たなかったので本来認められないはずの家賃の端数返還を作って、プラマイゼロになりました。

さらに交渉してみようとしましたが、相手はそれまでお互い気づかないふりをしていた床の汚れを指して「あ、この汚れはいったい何だ」という声を上げる作戦に出て来られたので、諦めました。

というわけで敷金は戻ってこなかったのであります。


2009年05月01日(金) 素直さ

52.8Kg, 9.9%

ネット接続はゴールデンウィークになると言ったとおりに5月になってしまいました。溜まったメールは片づけましたが、ほかの人のブログなどはまだ目を通していません。

夕食を食べながらテレビをザップしていました。衝撃映像特集も面白くないし、巨人広島戦もいま一歩です。そのうちNHK教育テレビの「ハートをつなごう」にたどりつきました。偶然ですがアルコール依存症の特集をやってました。

画面の彼はまだ若い人なのですが、断酒会で断酒歴3年だそうです。再就職をし、年の暮れ仕事納めの日に職場の皆でビールを飲んだそうですが、依存症をカミングアウトしていた彼には別のソフトドリンクが用意されていたそうです。その心配りに対して彼は「ありがたいことです」と素直に感謝を述べていました。

この素直さが、回復の速い遅いを決めるひとつのカギなのだと思います。

「これみよがしに俺だけ別のものを用意しやがって」という僻み根性とか、「みんなで俺の前で酒を飲みやがって」という恨み節が出ると、どうしても回復に回り道が多くなってしまうように思います。彼の場合、きっと断酒会の先輩の指導が良かったのでしょう。

自分も、断酒後何年か経った後の職場の飲み会で、「あなたは飲んじゃダメだからね」と言われ、(これだけ年数が経ってもそう言うのかよ)と内心カチンと来てしまった経験があります。

素直にならないとなかなか感謝できないわけでありますから。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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