心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年08月31日(日) 帰ったら疲れたので寝た

久しぶりの晴天でしたが、やはり夏の暑さとは違います。お昼に洗濯物を干して出かけたのに、夕方までにぱりっと乾きませんでした。

小学校のお祭りで、次女の付き添いをしました。
お祭りといっても、PTAの人たちが校庭で模擬店を開き、体育館ではバザーをやっているというやつです。長女は友だちと行くそうですが、次女は友だちがいないので、パパと行くことにしたのだそうです。

次女は友だちがいない(こともないらしいけれどほぼゼロ)です。1年生の頃は友だちがいたらしいのですが、女の子より男の子の友だちのほうが多かったようです。遊びに行くのも男の子の家ばかりでした。
いろんな異性と遊んでいると同性の友だちが減るのは、大人の世界も子供の世界も変わらないようです。反省して男遊び(?)をやめても、今度はなかなか女の子の友達の輪に入れず、次女は寂しい思いをしているようです。

僕は遅刻の常習犯なので、娘との待ち合わせにも10分ほど遅れてしまいました。すると彼女は「友だちが待っているんだから急いでよ」と言うのです。おや? 一緒に行く友だちがいないから、パパの出番ではなかったのか。

というわけで、次女の友だちグループ2〜3人のあとをついて校庭を右往左往する羽目になりました。友だちいるじゃねーか。
「なあ、おい、友だちがいるんだったら、パパは来なくて良かったんじゃないかな」
「うーん、えと。パパに荷物持ってもらえばいいかなと思って」
・・・荷物持ちか!

しかし、ろくに荷物もない姫君に20〜30分もかしずいていると、なんだかバカらしくなってきます。
「やっぱりパパはいらなくないか?」
「うん、やっぱり、パパいらない」

将来男を振り回す大人になりそうで、パパは怖いよ。いったい、どんな男を連れて来るやら。結局コーラ一本飲んで帰りました。

長女からは「女の子になったかも」とメールが来ました。以前『セイリの味方スーパームーン』という本をあげておいたので、それを探して読むように伝えておきました。小さく産まれただけあって、ちょっと人より遅いかも。

最近子供に定期的にお小遣いをあげるようになりました。服よりも、食べ物よりも、おもちゃよりも、なによりお金をもらうときに一番うれしそうな顔をされると、父親としてはトホホなのであります(しかしそこで不機嫌になってはいけない)。

メールをいただいていても、ろくに返事も出さずにすみません。明日からの仕事中にサボって出しますね(業務専念義務違反)。


2008年08月30日(土) 桃李不言 下自成蹊

本人から聞いた話ではないので、正確でない情報も混じっていると思います。
もし本人からこんな話を聞かされたら、僕はかえって「やなヤツだ」と思ったかも知れません。「あの人は言わないけど、実はこんな人だよ」と教えてもらったからこそ、尊敬の念と共に僕の心に残っているのだと思います。
いずれにせよ、聞いたのはずいぶん前の話で、いまは違うかも知れません。

その人は生活保護も受けられると思うのですが、ハンバーガー屋で働いているそうです。一日7〜8時間、一週間に5日、月に20日あまり、時給は求人広告に書いてあるから計算すれば月の収入はだいたいわかってしまいます。それは単身者の生活保護受給額と大して違わないと思います。
いや、生活保護なら免除される健康保険や年金を払っていれば、かえって貧しくなるはずです。おまけに、年のせいか、過去の酒のせいか、体があちこち痛んでいるそうnなので、医療費もかさむはずです。家賃も払わねばならないし。

昼間働いているのは、夜のAAミーティングに出たいから。平日しか働かないのは、週末はAAのことをやりたいから、という理由。年を取って選べる仕事も多くなく、働き方に条件も付けると、その仕事しかなかったという話です。

あえてそんな働き方をしている、という話は、本人の口から聞いたことはありません。スタンドプレーヤーではないけれど、なんとなく周囲の尊敬を集めている人だということは分かります。かといって、禁欲的でもないらしいですけど。

さて、僕は楽をしたい人ですから、同じ立場だったら、辛いほうは選ばないでしょう。いつも落ち着いた話しぶりで、その人なりのしっかりしたAAプログラムの解釈があり、安心感があります。日本のAAもまだ捨てたもんじゃない。

まあ、勝手に作り上げられた虚像かも知れません。でも、あえて真実を知って虚像を壊すまでもないと思っています。僕は、ミーティングでは分かったようなことを言っていても、実生活で甘えたことをやっているヤツが大嫌いです。鏡で本当の自分の姿を見せられているようですからね。


2008年08月29日(金) アンビバレントな気持ち

小雨の降るなか、高速バスのバス停駐車場に車を入れようとしたら、整理券発券機に「新宿行き運休中」という張り紙がしてありました。待合い室内の切符売り場で事情を聞くと、昨夜からの雨の影響で山梨県内東部の高速道路が通行止めになっており、復旧の見通しは不明だと言います。
JRの特急も運休中と聞いたのですが、念のため駅まで行ってみることにしました。みどりの窓口の前に、午前中の全便が運休という知らせが張り出してあったので、すごすご自宅へ帰ることにしました。

カウンセラー宛に行けない事情をFAXで送信し、布団を引きなおして二度寝することにしました。起きてみると、既にお昼過ぎでした。

さて、人の心には「変わりたい」という心と「変わりたくない」という心が同居しています。例えば、禁煙したい気持ちと、やっぱり禁煙したくない気持ちが両方あるものです。

禁煙すればいろいろ良いことがあるのは分かっています。健康になるとか、ご飯がおいしくなるとか、女房の機嫌が良くなるとか、タバコ代が他のいろいろ楽しいことに回せるようになるとかね。一方、禁煙にもデメリットがあると感じているはずです。イライラするとか、太るんじゃないかとか。

変わるデメリットよりメリットのほうが大きく感じられたとき、人は変わろうと努力を始めます。

しかし、単純にメリット>デメリットだけで人の行動が決定されるわけでもありません。「自分は変わることができる」というある程度の自信がなければ、人は変わる努力を始めようとしません。何度も禁煙に失敗している人は、また今度もダメじゃないかと諦めてしまいます。そういう状態の人に禁煙を説いてみても、意固地にさせてしまうのが関の山で、「タバコを吸うメリットの大きさ」を力説されたり、「タバコは自分には何の害もない」とか否認が始まったりします。

この状態を打破するには、「自分は変われる」という自信が必要です。たとえば、断酒に何度も失敗している人も、断酒会で自分より重症な人が立派に断酒している姿を見れば、自分もやればできるかもと思ってくれるかも知れません。過去にはいろんな苦境を努力して乗り越えてきた体験だって持っているはずですから。

単にサッカーが好きだというよりも、自分も将来Jリーガーになれるかもという期待のほうが、大きな動機付けになるのもこれで説明できます。

禁煙とか断酒だけでなく、カロリーコントロールとか昼夜逆転とか、借金返済などなど、何でも自分の抱えている問題に当てはめてみれば、変わりたい気持ちと変わりたくない気持ちの両方があることに気づくはずです。

たぶんこれもカウンセラーの仕事の一つでしょうね。


2008年08月27日(水) 性格の話(その2)

母との話の続きです。

父は自分の世界を作って、そこにこもっているのが好きでした。それは、野菜や果物の品種改良のまねごとだったり、誰も知らない野菜の栽培だったりしました。

「だから、私や子供をどこかに連れて行ってくれたことは一度もなかったよ」と母は嘆くのです。僕の記憶のない幼い頃、夏に谷浜海岸まで連れて行ってもらってるハズですが、そういう細かいことは母の記憶からは(嘆くために一時的に)消去されているようです。

例外は父の最晩年の海外旅行でした。夫婦でアメリカ西海岸とフランスだったか。フランスの時は、近所の親戚で葬式が出来たのですが、父は訃報を聞かなかったことにして、母と一緒に逃げ出すように出かけていきました。(葬式には兄が出ました)。それがよほど楽しかったらしく、母はもっと父と旅行したかったようですが、父が突然死んでしまったため、叶わぬ夢になりました。
その反動か、母は毎年のように海外旅行に行くようになり、最近では「台湾は近すぎてつまらないわね」などと、台湾好きの息子の神経を逆なでするような事を言う始末です。

いやまてよ、父母で国内旅行もずいぶん行ったはずではなかったか。大阪の花博とか、富山のチューリップ畑とか。それらもご都合主義的になかったことになったようです。嘆くために。

そして、母は苦労話を続けるのに飽きたらしく、突然こう言いました。

「お前も自分の世界にこもっているのが好きだし、意外と出不精だから、新しい奥さんをもらうんだったら、その人も自分の世界がある人の方が良いよ。いつも夫婦一緒じゃなくちゃ嫌だなんて人は、お前には負担だよ」

そう言われると、そういう人を選ばないといけない、と思ってしまう僕もビョーキです。雑記に妻のことが書けなくなったので、代わりに母のことを書いているだけだという気もします。元妻も母もインターネット・リテラシーがないから。将来僕の妻になる人も、やっぱり雑記のネタにされてしまうのでしょうか。雑記も書けないネタが増えるばかりであります。


2008年08月26日(火) タバコの底つき

禁煙についての経緯は http://www.ieji.org/stories/ragi-006.html に書きました。

禁煙したとき、ニコチン依存が「底をつき」していたのかどうか。
あまり考えたことはなかったのですが、今から冷静に振り返ると、底つきしていましたね。

当時の僕はセブンスターを1日25本ぐらい吸っていました。本当は30本以上吸いたかったのですが、本数を減らそうと努力していたのです。職場は禁煙になり、喫煙所に行かないと吸えなくなってましたが、それ以前に自分の机で吸えた頃は、パソコンのモニターを見ながら無意識のうちにタバコに火をつけるので、灰皿にタバコを置こうとすると、すでにそこには自分で火をつけて忘れたタバコが2本煙を上げている・・という状態でした(仕方ないので3本まとめて吸う)。

仕事で地元の精密工業の工場に入ったときです。クリーンルームという塵の少ない環境にしていますから、出入りするには更衣室で防塵服という全身着を上から着ないといけません。慣れないから来たり脱いだりに5分ぐらいかかります。さらに工場の最深部から喫煙所まで、歩いて10分ぐらいかかったりします。すると合計15分。往復すると30分。タバコ一本吸うためにこれだけの時間が無駄になります。
タバコ休憩しちゃいけないというルールはなかったのですが、午後に3回も吸いに行けば、作業の中断が多くて周りの人もうんざり顔です。でも、こちらはニコチンの渇望現象に体が支配されているので、我慢しているとイライラして仕事になりません。

県外の半導体工場だと、タバコ吸ったら10分は入室禁止というところもありました。呼気中に含まれるタバコの粒子がいけないんだそうです。ちなみに女性は化粧禁止でした。いくら顔をマスクで覆っても、隙間から化粧の粉がこぼれ落ちたのではクリーンルームになりません。だから朝はすっぴんにクリームだけ塗ってきて、夕方終業後に更衣室で化粧して帰るのだそうです。これじゃランチデートができませんね。余計な心配か。
男性も化粧の下地クリームを顔にまんべんなく塗らされました。顔の皮膚がはがれ落ちて塵になるのを防ぐためです。クリームは香料と着色料を抜いたものを化粧品会社に特注しているんだとか。
話がそれました。

自動車工場はクリーンじゃありませんでしたが、広くて喫煙所がやたら遠かった。

仕事はそれなりにしているつもりでしたが、僕のタバコの評判は悪く、それが仕事の評価にまで及んできました。タバコ代に1万円近く使うので、肝心なときに金がなかったりしました。タバコのせいでずいぶん情けない思いをしていたのです。

タバコの底つきは、アルコールのどん底ほどじゃなかったけれど、あのとき確かに僕はタバコで底をついていたのだと思います。


2008年08月25日(月) 性格の話(その1)

電話が壊れたので取り替えて欲しい、と母に言われ、食事と二千円をエサに釣り出されて行きました。どうも母は、息子がヨメをもらい直して、さらに一人孫を持つ夢を捨てきれないらしい。困った人であります。息子はお母さんの「自慢の息子」になるために生きているわけではありませぬ。

どうも僕には、「話をしていると急に不機嫌になる」という欠点があるようです。5分前まで穏やかに話していた人が、どうして急にこうも意固地になるのか、と相手は思うようです。ところが僕のほうは、自分の機嫌が急降下しているとは思いもしません。
このことは、携帯電話で話しているときには特にそうらしいのです。

そのことに気がついていなかったわけではありません。
でも、「そりゃ相手が悪いんだよ」と責任を相手になすりつけて過ごしてきたわけです。でも、実際にはそのせいでずいぶん痛い目にも遭っています。にもかかわらず、自分の欠点だとは意識してきませんでした。

相手が女性の時に限られるかと思ったら、スポンシーに「僕相手の時もそうですよ」とあっさり肯定されて_| ̄|○でありました。

母に、それとなくその話をしていると、父も同じだったと言われました。
「とーちゃんは優しい人だったよ。でも自分の思い通りにならないと、意固地になって曲げない人だった」
そして、お前もそっくりだと言います。
ちなみに母は感情がすぐに顔や声に出る人で、これも僕の得意技です(だから電話を通して不機嫌がすぐ伝わってしまう)。

性格の半分は親からの遺伝だと言います。本当かどうか知りませんが、いはやは何ともな話でありました。

相手が失礼な電話の切り方をしたのが気に入らなくて、こちらかすぐに電話をかけ直したってのも何回かありました。我ながら困った人です。さすがに、誰相手でもそんな無鉄砲なことをするわけじゃありません。電話でケンカするのは不毛であり、相手から電話を切るという逃げ道を奪ってはいけないのです。

果たしてこの欠点は、今後すこしは改善するのでしょうか。
相手次第だという気もする(いやそうじゃなくて)。


2008年08月24日(日) アルコホリック

alcoholic を「アルコホーリク」と訳すのが正しいのかどうか。
アルコホリックではないか、という話があります。
たぶんそうに違いありません。

olic で終わっている単語をピックアップしてみます。

Catholic → カトリック
metabolic → メタボリック
parabolic → パラボリック
symbolic → シンボリック
workaholic → ワーカホリック

それぞれ、カトリーク・メタボリーク・パラボリーク・シンボリーク・ワーカホリークだと変な感じです。

ではなんでAAは「アルコホーリク・アノニマス」なのか。AAの出版物すべて、アルコホリックではなく、アルコホーリクになっています。日本のAAというところは、自分たちにしか通じないカタカナの変な単語ばっかり使っている、いけ好かない団体なのですが、まあそれは漢字にしにくい言葉なので仕方ないとも言えます。
でも、アルコホーリクという言葉は「奇妙さの極み」って感じがします。

アルコホリック・アノニマスだと世間の基準に合っているような気がしますが、アルコホーリクス・アノニマスだと世間から乖離して俺たちの道を行くカルティークな団体の名前という気がしなくもありません。

12&12は1979年初版、ビッグブックはそれより古くて1977年が初訳です。そこでアルコホリックではなく、アルコホーリクとしてしまったのが間違いの始まりではなかったかと思います。そこでなぜホーリクになっちゃったのか知りませんけど。

なまじ団体の名前でもあるために修正できずにここまで来てしまった、と言う感じがしますが、「間違ったときには直ちにそれを認めた」ということを標榜している団体なのですから、早め早めに訂正したほうが将来に禍根を残さずに済む気がします。

誰かが先に「アルコホリックス・アノニマス」という商標を登録しちゃったらどうするんだろう。

でも、自分はその変な名前の団体の構成メンバーなので、自分のことはとりあえずアルコホーリクと呼ぶのですけど。「アル中」とか「アルコール中毒者」のほうが好みです。

自分(たち)の基準じゃなくて、世間の基準に合わせていくことは大事だと思いますよ。

ちなみにオリンピックの終わった中国では、戒酒無名會(繁字圏)、嗜酒者互戒協会(簡字圏)です。日本でも戒酒無名会にして、ソブラエティは戒酒、ハイヤー・パワーは超人力とかにしますか。ますます怪しいという気もしますが。
霊的目覚めは「覚醒」とか。う゛ーむ。


2008年08月23日(土) なぜ半額?

税金は誰から取るのがふさわしいか、という話があります。
正解は「課税してもあまり文句を言わない人たち」。つまり政治的弱者からふんだくるのがふさわしい、というわけです。

以前、都知事が増税のために「銀行に対して外形標準課税をする」と言い出したことがありました。これが決まれば、東京に本店のある銀行は、それぞれ数十億円の税金を納めなくてはならなくなります。そこで銀行は都にぶーぶー文句を言い、政府にも泣きつきました。結果、都知事はその話を引っ込めざるを得なくなりました。つまり、銀行は政治的強者というわけです。

なぜタバコを吸う人が、旧国鉄の税金を払わねばならないのか。そこに論理的理由などありません。ただ「文句を余り言わない人たち」に押しつけられただけです。もし喫煙者が、全国喫煙者連合会などという圧力団体を作って活動すれば、たばこ税だって下がるかも知れません。

なぜ交通機関の運賃は子供半額なのか。でも飛行機は半額にならないし。けれど体重の重い人には割増運賃という話もあるらしい。となると、割引きにも割増しにも論理的一貫性などありません。
なぜ障害者だと半額になるのか。それも「そう決めたから」というほかありませんし、障害者と健常者の境界線だって「そういう決まり」としか言いようがありません。それらは決して「変えられないもの」ではないと思いますけどね。

こんなふうに、世の中の決めごとは論理的ではないし、神さまは平等ではないと思います。けれど不公平を恨んでみても始まりません。変えられるものは変え、変えられないものは受容していくしかありますまい。

東京の地下鉄で切符を買おうとしていたところ、おじさんが窓口で駅員に文句を言っていました。どうやら奥さん子供と3人でお出かけの様子なのですが、その子は両足にハーネスをはめ、一目で身体障害とわかりました。おじさんは「子供で障害者だから、半額の半額だろう」と駅員に掛け合っていました。それはその通りらしいのですが、自動販売機で半額の半額の切符は買えません。けれど駅長のいる窓口まで行って欲しい、という駅員の説明に、おじさんはまた文句を言っていました。

おじさんは当然の権利を主張しているだけなのでしょうが、僕には、おじさんが「子供が障害者になってしまった」という運命が受け入れられず、その恨みを世間にぶつけているように感じられました。おじさんはそれで良いかも知れませんが、子供にとってみれば、恨みがましいお父さんと過ごしているウチに「障害者に生まれてスミマセン」という気持ちになるのじゃないかと、その子の表情の失せた顔を見ながら、勝手に同情してしまいました。

僕も障害者手帳をいただいていて、市の施設が無料になることがあります。受付のおねーさんは、「手帳は開いて見せてください」と言います。最近はあれを偽造する人すらいるのだそうで、写真付きになったのもむべなるかなです。


2008年08月22日(金) セデス

といっても市販品の頭痛薬セデスのことではなく、処方薬のセデスGのことです。
透明な袋に入った白い顆粒で、口に含むと舌がピリピリするところが「かなり効く」という印象を与える薬でした。舌に対する刺激と効能は関係ないとは思いますけど、そこが人間の心理というものですね。

で、セデスGがなぜ禁止(というか供給停止)になったのか。
これは処方薬乱用の問題ではなく、長期連用者の中に間質性肝炎を発症する人がでてきて、これがセデスGの主成分であるフェナセチンが原因と考えられたのです。

僕もセデスGを処方されていたので、もともとアルコールで弱っている肝臓が、さらに弱ったのではないかと医者に相談しました。答えは、あなたのわずかな使用量では問題にならない。あれはあなたの何十倍もの量を使っている人たちの話だ、と教えてくれました。僕は、そんなにたくさんの鎮痛剤を必要とするほど激しい痛みを抱えながら、日常生活を送っている人が存在することを初めて知り、衝撃を受けたものです。

それほど量を使わない人でも、偏頭痛や慢性の頭痛を抱える人の中には、セデスGでないと効かないという人も多くいました。

でも、そういう事情とは関係なく、ダメとなったらすぐに供給停止にしてしまう政策です。リタリン依存問題による供給停止にしても、代替品がなかったわけで、それを必要としていた遷延性うつ病やADHDの人は、いまどうしているんだろうと思います。リタリンを使ってようやく仕事が出来ていた僕の知人は、いま生活保護で暮らしています。

市販の頭痛薬でフェナセチンを含んだ物はありませんから「セデスハイ」を買ってみてもムダです。僕も含め代替品としてロキソニンを使っている人が多いようですが、セデスの効き目が懐かしいという話をすることがあります。

セデスGには、フェナセチンのほかにイソプロピルアンチピリンやアリルイソプロピルアセチル尿素が含まれていました。実はそちらの成分のほうが効き目があったという人も多いことでしょう。セデスが懐かしいと思っている人は、そうした成分のある薬を使いたいと医者に相談してみたほうがいいかもしれません。

痛みがあって鎮痛剤を使うぶんには依存にはなりません。けれど、もともと薬物への依存傾向を持っているアルコホーリクは、1錠の薬が頭痛を楽にしてくれるのなら、もっと大量に飲めば頭痛以外の人生の問題も楽になってくれるはず、という妄想を抱きがちです。結果として過剰服薬・大量服薬(OD)をやらかして病院の世話になったりします。飲んだものが酒でなくても、やはりそれはスリップであり、ソーバーをリセットしてやり直すべきです。だって、「飲んだ薬物にたまたまアルコールという名前が付いていなかった」だけの話ですから。

アルコホーリクが薬を飲むのは危険が多い。けれど必要な薬を拒むことは正気とは言えません。安全なソーバーのためには正しい知識を身につけることが大切ですから、薬の話もタブーにせずにオープンに話し合った方が良いと思います。少なくとも、薬のことを相談できる相手を最低限一人持っていることが、生き残るために必要です。


2008年08月20日(水) 鶏が先か卵が先か

いつまでもみっともない雑記を掲げておくわけにもいかないので、何か書かないといけません。

昨夜のAA会場はステップミーティングでした。ステップミーティングでみながステップの話をしている、この当たり前のことがこの会場の良いところだと思います。

12&12のステップ2のところに「にわとりが先か卵が先かという議論はやめて・・」というくだりがあります。なぜここにこんな例えが書いてあるのでしょう、と先ゆく仲間に尋ねたら、こういう答えでした。

・神様が人間を必要としたから、神様が人間を作った。
・人間が神様を必要としたから、人間が神様を作った。

どちらが真実かというつまらない議論を、ここでは「にわとりが先か卵が先か」と表現しているのだそうです。

僕は my Higher Power という言葉が好きです。自分のハイヤー・パワー、自分(専用)の神様。僕はアルコールには無力な人間で、ほうっておけば必ずまた酒を飲み出して人生を破壊するでしょう。無力な人間には助けが必要です。AAもAAの仲間もその助けになってくれますが、僕のビョーキも重いので、しばしばゲインラインを突破されてしまいます。頼りになるフルバックは、やっぱりハイヤー・パワーしかいません。

僕はハイヤー・パワーを「見つけた」と思っていますが、実際には僕のハイヤー・パワーは、おそらく僕が作ったものなのでしょう。でもそれで十分だと思っています。そして、その自家製の神様と宇宙の主は、一体のものだと考え出しています。この考え方の反証はとくに思いつきません。

では「偉大な力」はどこに見つかるか。第4章には、誰でも「自分の一番奥深いところ」に見つかると書いています。個人の物語のピーター神父の話でも、神は内在と表現しています。神父である彼が、その考え方ですべてだと思っていたわけではないでしょうが、AAである以上彼自身の宗教は脇において、AAの考え方の一つであるところの、神は一人一人の中に内在しているという考えに従ったのだろうと、解釈しています。

第5章の先頭には「最奥の自分」に対して、酒に対する無力を認めるのが最初のステップだとあります。最奥の自分=ハイヤー・パワーだろうと僕は思うわけです。


2008年08月19日(火) 書くネタがないので

新しい奥さんに望むこと

・毎日料理をしてほしい。
・お弁当も作ってほしい。
・仕事で遅くなって、夕食やお風呂が二度手間になっても、嫌がらないでほしい。
・猫や犬の毛が付いた服を、ダンナに着せないように。
・家計はダンナに握らせるように。

そんなにいろいろ望んでも無理なので、どうしてもこれだけはってのを、一つだけ望むとすれば、

・可能性としては低いものの、前妻が子供の面倒を見る能力がなくなった場合、子供二人を引き取って養育するので、その点納得しておいて欲しい。

やっぱり最後の条件が嫁ゲットの一番高いハードルになるのでしょう。ただ、確定的なことは滅多に言わないカウンセラーが、そのことは明確にしておかないといけない、とハッキリ言うのですから、これは大切なことなのでしょう。というか、これが大切なことだという意識が希薄なのが、僕の抱える問題の一つなんでしょうね。

前妻に送金する養育費がもったいないとか言われても困っちゃうし。

だいたい前妻との子供をそこそこ大事に出来ない男に、新しい奥さんの連れ子(もしいた場合)を大事に出来るわけがありません。そこを見極めずに再婚しちゃうから、継父による連れ子の虐待が起きたりするんじゃないですか。新しい奥さんとの間の子供ができても虐待しそうだし。そうかと言って、前の奥さんとの間にきちんと境界線を引けない男や、新しい家族の生活をないがしろにする男でも困るわけですが。

だったら前の奥さんと再婚すれば面倒がない、と言われることもありますが、「それは自傷行為なのでやめるように」とも言われていますし、そのとおりだと思います。

毎日明かりのついていない部屋に帰るのは淋しいもので、こんな生活に5年も10年も耐えられるはずがないと思います。ただ、今はどちらに進むか方向性すら決まっておらず、無風状態の帆船のようにふらふら漂うばかりであります。

なんにせよ、稼ぎは多い方が良いんでしょう。


2008年08月17日(日) 東京行き

週3回ヤクルトおばさんからジョアを買っているのですが、低カロリーのレモン味がなくなってしまいました。何もかも価格高騰の折、商品を値上げする代わりに、売れ筋でない商品を廃してコストを抑えるのだそうです。同じく低カロリーのジョアライトも販売終了です。おばさんは「手持ちの在庫がある限り持ってきます」と言ってくれたのですが、ついにそれも底をつき、今日からイチゴ味を飲むことにしました。

さて、日曜は東京へ。睡眠時間4時間で仕事に行くのは大変ですが、同じ4時間で東京のAAに行くのはそれほどでもありません。特急電車か高速バスに乗り込んだら、あとは3時間追加で寝ていけばいいわけですから。今回は三鷹のバス停あたりまでぐっすり寝られました。

飯田橋の駅を降りたのはいいのですが、会場がどこだか忘れたので、携帯電話でセントラルオフィスの「かわらばん」のページで確認しました。集まった人数は70〜80人ほどでしょうか。女性6割、男性4割、あるいは女男比2:1ぐらいでしたでしょうか。女性が多いのは、アルコール以外の人や家族の人が多いせいではないかと思われますが、「あなたは何の病気ですか?」と聞いて回ったわけではないので確信はありません。

中身は濃かったと思います。「他よりステップの話をしているスピーカーの割合が多い」と感想を言っている人がいました。確かに、僕が朝10時から午後4時まで、部屋の外にふらふらサボりに行かずに話を聞いていたのは久しぶりです。普段のイベントではたばこも吸わないのに喫煙コーナー付近を漂っていたりしています。不真面目と言われればそれまでなんですけど、正直な話、会場の中にいるのが耐えられなくなるAAイベントもあるんです。

午後は、ビル・Wが経験した「白い閃光」のような劇的な霊的体験を経た人たちの話が3人続きました。(後で聞いたら、意図的にそれを3人並べたのだそうです)。霊的経験の後でそれを霊的な助言者に相談したところ、「それは神様とのふれあいのほんの始まりに過ぎない。言ってみれば神様が名刺を渡してくれたぐらいだ」と言われた、という最後の人の話が印象的でした。ちなみに僕は霊的体験を持たない「その他大勢」の一人です。

一つ気になったのは、一部に跳ねっ返り的発言が目立ったことです。確かにこのステップのやり方は、その人に効いたのでしょう。だからそのやり方が本物だという意識を持つのは分かります。でも、本とはかなり違ったやり方でステップをやっている人たちも、ステップをやっていることには違いないし、ステップをやらずにミーティングだけで助かっている人も、助かっていることには違いないのです。そういう人をあからさまに批判しては反感を買うばかりです。たとえば、断酒会には12のステップがないから断酒会はダメだ、と言ったら断酒会の人たちは怒ってしまうでしょう。断酒会でもたくさんの人たちが酒をやめて社会生活をしている事実に目を向けないといけません。それはAAの中でも同じことです。
主催の人たちは、もう何年も前に「跳ねっ返り発言」のしっぺ返しを経験済みのようで、いさめる言葉も出ていました。

ところで僕は思うのです。仲間に会い続けることで酒をやめて幸せでいられる人に、僕は無理にステップをやれと勧めるつもりはありません。でも、仲間に会い続けても、酒が止まっても、相変わらず苦しさが取れない人もいます。ミーティングに出続けても、しっかり酒が止まらない人もいます。そういう人たちに「やる気がない」とか「感謝が足りない」とか叱っても仕方ありません。苦しんでいる人は、仲間やミーティング以上のものを必要としているのですから、「あの連中と一緒にステップを試してみたらどうか」という提案があるのが親切ではないでしょうか。

一緒に行ったスポンシーが、会場に女性が多いのを心配し、「ひいらぎが女と話し込んでいたら、間に入って止めるつもりだった」そうであります。僕が離婚したことは知れているから、よけい危険だと言うのです(狼はどっちだ?)。別に僕は女をつかまえにAAイベントに行ってる訳じゃないんですけどね。それに、親切なナイトの実際の行動は、休憩時間にはタバコを吸いに行ってしまって、ひいらぎの監視どころじゃなかったし。今の僕は、いろんなことで手一杯ですから、余計な心配ですよ。僕は女性に「一緒にステップやりましょう」とか言って誘う男じゃありませんて(むろん、やれと強要もしない)。

給料日が来たら来月のイベントの振り込みをしよう。来月はスポンシーがついてこないから・・・。


2008年08月16日(土) 低空飛行

調子最悪というほどでもありませんが、全般的にウツっぽい状態です。
掲示板でもメールでも、四角い文章(つまり改行が少なくて行数が多い)を読む気になれません。別に記憶力が悪くなったわけではなく、うつで注意力が散漫になったせいで、入ってきた情報がザルで水をすくうみたいに漏れ出てしまい、脳に残らなくなっているだけ・・だと分かっていても、なんか頭が悪くなったみたいで情けなくなります(いや、老化かも)。

とはいえ、記憶力にも自信はなくなってきています。
何年も前とはいえ、ミーティングに通った場所を忘れるわけはないと思っていたのですが、実際にその場所の近くまで行ってみても、細かい地理が全然思い出せませんでした。

明日はまた東京であります。明後日は出勤だ。


2008年08月14日(木) 家風

離婚騒動の中で、母が話してくれたことがあります。

それは、○○家(僕の旧姓)に嫁に来た立場から、この家の家風について語った言葉でした。この家は元は地主でありました。もっとも農地改革で財産の大半を失ったので、今はビンボーですが。

地主は借地人から地代を徴収することが出来ます。その大半が農地だったので、地代は米など穀類の現物納付(つまり年貢)でした。土地に対する徴税権を武士階級が握っていたにせよ、実際に徴税・納税の義務を背負っていたのは、土地所有者である地主農民たちでした。裕福ではないにせよ、毎年年貢が入ることが保証されているということは、手持ちの金を全部使ってしまっても、次の収入で何とかなる、ということです。そういう地主時代に培われた、多少無理してでも、礼式はきちんと整えたい、金がないからと言って見栄えの悪いことはしたくないという家風は、没落後も簡単には消えません。

難しい言葉を連ねてしまいましたが、平たく言うと「金遣いが荒い」わけです。僕もそこに育った以上、それから自由ではないのですが、それは別の話として。

話は変わって、娘二人とお盆で実家に行ったのですが、その道中二人が「お好み焼きが食べたい」と言い出しました。なんでも、おじいちゃん(元妻の父)にお好み焼きを焼いてあげると呼ばれたので喜んで行ったら、具がピーマンとシソの葉だけで、とても子供の食べられたものではなかった、という話でした。
具がピーマンとシソの葉だけのお好み焼きか・・・どうも見栄えの悪い話だ、と僕は思いました。

じゃあ、お好み焼きの店に行こう、という話をしました。外へ出た息子が孫を連れてきたのだから、多少はご馳走しなければならない、と母も思うでしょう(そういう家風)。ここは母を当てにしてもいいはず。

母、僕、娘二人の4人で出かけようとしたら、兄が「一緒に行く」と言い出しました。休みだからといって昼間からビールを飲んでいる兄が同行する目的は、お好み焼き屋でさらにビールを飲むことに違いないのですが、断る理由も特にありません。弟にハンドルを握らせれば、さらに安心して飲めるという算段でしょう。

ところで午後3時には、お好み焼き屋は閉まっていて、夕方になるまで開店しないわけです。店の駐車場で途方にくれていると、兄が「それまでの間、ボウリングをやろう。金は俺が出すから」と言い出しました。遊びに来た弟を、多少金を使ってでも、もてなさなければならない(という家風)ってことにしておきましょう。ここで帰ったらビールが飲めない、という理屈かもしれませんけど。

2ゲームだけの予定が3ゲームになってしまったのは、僕にスコアで負けた兄が「もうひと勝負」とがんばったせいです。酔って勝負になるわけがない。ちなみに僕のスコアは3ゲームトータルで400と高いものではありません。

○○家(離婚後も名乗らせてもらっている婚家の姓)のムコとして、その家風に12年も染まった僕は、ボウリングもお好み焼きもゴチになって悪いな、どこかでお返ししなくては、という意識が希薄です。これは、どこにバランスを取ったものか、いまだに悩みます。

中ジョッキを4杯飲んだ兄は、帰宅後すぐに寝てしまったようです。「最近いつもそうだよ」と母が言います。兄は明らかに酒に弱くなってきています。このまま定年まで大過なくすごしてくれるのかどうか。僕が心配しても仕方ないことですけど。


2008年08月12日(火) トクホン並み

理屈とトクホンはどこへでもひっつく、という名言があります。

まず自分の主張したいことがあって、それを正当化するための理屈なんて、後から幾らでも考え出せるという意味です。だから、理屈に理屈で対抗して、つまらぬ議論を繰り広げてみても疲れるだけです。それよりも、なぜ相手がそんなことを言い出したのかという動機の部分を探ったほうが、よほど良策です。

そして、理屈が後付けになる主張の大半は「○○が気にくわない」というような個人的な憎しみだとか、プライドの傷だとかが原因ですから、なおさらその理屈に耳を傾けても仕方ありません。

「AAの伝統からすると、どうのこうの」「そもそもAAとはこういうもの」みたいな議論は、たいてい何かが気に入らなくて始まっていますから、「理屈とトクホンはどこへでもひっつく」とつぶやいて放置プレーが正解だったりします。だって、理屈じゃなくて感情の問題なんですから。理屈が好きな人の理屈は「理屈っぽい」と感じるものですが、感情的な人の理屈にはそういう印象がないものです。

もちろん「○○○○は放送禁止用語だから」というのも同類だと思いますよ。

ビートたけしが作った映画の最後のシーンで、主人公が「どいつもこいつもキチガイだ」とつぶやいて立ち去るってのがありました。僕もそうつぶやいて立ち去りたいところですが、あいにく映画と違って人生にはその後も続きがあったりします。

さて、僕は夏でも冬でもジーンズは二日続けて履いて、毎日洗ったりしません。でも月曜日はジーンズが汗でびっしょり濡れていたので、さすがに一日で洗うことにしました。別に暑い場所にいたわけではありません。空調しない環境にいたのは2時間あまりだけでしたし、そこも風が通って気持ちいい空間でした。あとはエアコンの環境にいたのですから。それでも汗をたくさんかいたのは、緊張していたからでしょうね。

明日から二日間、娘二人と実家へ行ってきます。実家も1日目はともかく、二日目は緊張が高まったりするかも。


2008年08月10日(日) この子誰の子

僕の携帯電話のかな漢字変換には「予測変換」という機能がついています。
例えば「あ」と一文字入力すると、「あ」で始まる単語のうち、僕の使用頻度が一番高い「明日」という単語が候補に表示されます。先ほど「ひいらぎです」と打とうと、「ひ」と一文字入力したら、最初に出てきた候補が「非嫡出子」でした。なんだかなー。なんか変だなと思って、「あ」から全部チェックしてみることにしました。

あ・・愛してる
い・・忙しい
う・・受け止めてね
え・・エッチ
お・・お風呂

なんじゃこりゃ。いったいこの携帯電話は、持ち主である僕のことをどんなメールを打つ人間だと思っているのでしょう。きっと電話のバグでしょうね。

土曜日。東京へ行くのに高速バスではなく、特急電車を使ったのは、帰りの高速道路が入り込みと重なって混み合うことを恐れたからです。それに特急だって指定席を予約しておかないと、混み合った自由席に2時間以上立っていなければならないのではないかと。

でも、帰りの特急は1/3ぐらいしか席が埋まっていませんでした。高速道路も混んでいなかったようです。そして高速バスだけが混んでいたようです。世の中思ったより不景気なのですね。

日曜日。転居の通知を兼ねて残暑見舞いを50枚発送。焦らずとも、旧盆をすぎてからでもよかったようですが、

家路もなにか更新しようと思いながらも、ずるずる先へ伸びます。


2008年08月08日(金) 夏休み

お肉を食べると、その晩はいつもより眠くなるような気がするのは気のせいでしょうか。しかも、牛肉>豚肉>鶏肉>魚のような気がします。考え過ぎかも知れませんけど。まあ、思い過ごしも恋のうちと言うことですし。

転居のお知らせのハガキを出しそびれていたので、暑中見舞いを兼ねて出すことにして「かもめーる」を買ったのですが、暑中見舞いではなく残暑見舞いの時期になってしまいました。旧盆が始まるまでには出さないと、情けないことになってしまいます。

明日は東京。


2008年08月06日(水) ニュース検索

「えんぴつ」や「さるさる」ではなく、「家路」においてある雑記 http://www.ieji.org/journal.shtml には、下にニュース記事を検索した結果を載せています。

ひさしぶりに、このニュース検索のメンテナンスをしました。
いつの間にか Google と Livedoor しか検索できなくなっていたからです。検索結果の表示形式が変わると、それを拾い出すこちらのプログラムも変更しないといけませんが、手間がかかるので面倒がってほったらかしだったのです。
検索エンジンである Google や Livedoor は、検索結果を再利用することも考えてくれているのでしょう。表示形式は滅多に変更されません。ところが Yahoo は、何を考えているのかしょっしゅう変更をやかしてくれます(さすが孫さん)。

新聞社のサイトにとってみれば、検索結果の表示ページですら「貴重な広告スペース」であり、売り上げのもとです。だから結果表示を機械的に使われては困るわけです。なので、しょっちゅう変更があっても文句の言いようがありません。

asahi.com はいつの間にか検索ページにAjaxが導入されて、面倒なことになっていました。読売は外部の検索エンジンを使っているのですが、それを Goo から Yahoo に変えていてくれました。そんなことに一つ一つ対応していくと、だいたい半日は過ぎてしまいます。

でも、おかげでまたニュース検索がにぎやかになりました。

いままで引っかからなかった記事をひとつピックアップします。

自立支援施設 住民ら署名合戦 (朝日)
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000120807310002

(愛知)障害者自立支援施設建設が暗礁(読売)
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/dounaru/dounaru080405_1.htm

名古屋マックのことだそうです。


2008年08月05日(火) 閑話

寂しいときにはその「寂しさ」を、切ないときにはその「切なさ」を、そのまま抱えて生きていけばいいのだ、と自分に言い聞かせる日々です。

職場は毎日朝から最後の一人が帰宅するまでエアコンがつけっぱなしです。温度設定は27℃。僕の場所は冷えにくいところなので、自前の扇風機を併用しています。通勤の車の中もエアコンはつけっぱなしです。7月下旬からは、自宅でもエアコンを使うことが増えました。夜中に窓を開けっぱなしのまま電話で話をしていると、声が外から回り込んでお隣に迷惑になるのを心配します。そして窓を閉めればパソコンの熱もあって温度が上昇するのでエアコンです。
こういう生活を続けていたら、すっかり冷房病になってしまいました。

気象庁の発表する注意報・警報を携帯のメールで受信しています。以前、大雪警報を知らずに残業していたら、帰宅できなくなりかけたので、注意を払うようにしているのです。でも、ここのところ毎日毎日大雨の注意報あるいは警報がでていて、もうすっかりそれに慣れてしまい、危機感を感じません。

さて、掲示板で公務員の話が出ていますが、僕は「行政というのは集めた税金の再分配役に過ぎない」と思っています。お金が再分配される過程で、消防や警察や教育というサービスに変わる場合もありますし、道路や箱物に形を変える場合もありますが、助成金や補助金という名目でお金のまま分配されることもあります。

行政が効率化しない最大の原因は、競合相手がいないことでしょう。より安価で良質のサービスを提供する業者が新規参入してきたりしませんから危機感が生まれません。逆に、努力したところでマーケットシェアが増えるわけでもありません。さらには、金を払ってくれる人間と、金銭やサービスを受け取る人間が必ずしも一致しないのも、問題を複雑にしています。たくさん税金を納める人が、市役所ではVIPラウンジに通され、市民課の待ち行列を飛び越して書類を交付してもらえる・・なんてことはありません。

この金の払い手とサービスの受け手が異なる現象は、テレビやラジオの民放にも見られます。放送局にとってのお客様はあくまでCM枠を買ってくれる企業であって、視聴者は客ではありません。じゃあNHKはどうなんだ、とか。どうしてNHKの著作物は視聴者みんなの共有物にはならないのでしょう。大河ドラマのDVDとか、実費で売ってくれても良さそうなものじゃないですか。

話がどんどんそれました。


2008年08月04日(月) 仕事

高校生の時にアルバイトしたことがあります。夏休みの間に、S○NYの工場でスピーカーの組み立てをやりました。体を動かすアルバイトは、それが最初で最後です。大学に入ってからは、コンピューターソフトのアルバイトしかしていません。
例外として、人から頼まれて「おもちゃショーに出品するおもちゃの半田付け」という仕事を3日だけやったことがありました。半田不良でショーの当日動かないおもちゃばかりで大トラブルだったそうです。あとはひたすらソフトの仕事ばかりしています。
雑誌に原稿を書く仕事もしましたが、すべてパソコン関係ばかりですから、ソフト関係の仕事にくくっています。それらのアルバイトが本業になって、そのまま来てしまいました。書いたソフトは様々で、パソコンのワープロソフト、ゲーム各種、ワークステーションのCADソフト、保育器の温度制御、スキャナーのドライバーなどなどあって、今は工場で使う特殊用途のソフトを専業にしています。
「手に職がある」と言えばよく聞こえますが、「ほかの仕事はできない」ということでもあります。仕事があるところにしか住めないわけです。

ソフト書き(プログラマー)の人材は慢性的に不足しています。
それほどハードルが高い仕事じゃないと思いますけどね。僕がこの業界に入った頃は、大学中退どころか高校中退の連中もいっぱいいましたし、40過ぎてからこの仕事を始めた人も少なくありませんでした。英語をおぼえるより、C++言語をおぼえる方がずっとずっとず〜〜っと楽だと思います。でもこの仕事は人気がないみたいです。
やっぱり http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=50495 みたいなことになっているからでしょうか。
(これはある出版社の情報処理技術者試験の参考書に挟まれていたしおりだそうです)。
僕も若い頃は、職場のデスクにお風呂道具が入れてあり、下着は近くのコインランドリーで洗ったものですが、昨今は毎日家に帰っております(午前様だったりしますけど)。

世の中の不景気が続くと、就職に有利な理系の学部の人気が高くなる・・ということを昔は言いましたが、今はどうなんでしょう。


2008年08月03日(日) 食べること

生きることは食べることだな、と最近つくづく思います。

食べている時間はもとより、その前後には、食材を買いに行っている時間、調理の時間、後かたづけの時間があるわけです。人によっては満腹でごろごろする時間なども加えてもいいかもしれません。

それらを足しあわせると、人生のかなりの部分は食事をするために費やされています。そもそも、働いて金を稼ぐことも、その金で食事をするためでもあります。

食べるために生きているのか、生きるために食べているのか。

それはともかく、一人暮らしになって食べることが大きな時間を占めるようになりました。食べるためにすることは、すべて自分のための事です。何でも自分のコントロールが及んで楽しくもあります。いままでその部分は、ほとんどが妻の役割でした。その時は、すべてが妻のコントロール下にあって、こちらは食事に不満があれば文句を言うことしかできないわけです。でも不満ばかり並べ立ててるわけにもいかないので、黙って食べるしかありません。

その忍耐が、「お弁当は毎日ちゃんと作ってよね」とか「からになったお弁当箱は、嫌がらずに洗ってよね」という不満として吹き出していったのでありましょう。

調子が悪い妻に替わって、自分が料理をしていたときは、それは子供たちのためであって、決して自分のためではありませんでした。

いま一人で暮らして、自分以外に食べる人がいない環境で、自分が食べることに時間を使いながら、生きることは食べることだと実感しています。


2008年08月02日(土) 怖かった

AAの第4章76ページには「私たちが抱えている人生の問題」というのが、生計が立てられないとか、人間関係の問題とか、落ち込みの餌食などなどがリストアップされているのですが、その中に「他の人が助けを必要とする時に助けになれない」というのがあります。

僕が助けてもらったと思って感謝していることの一つを挙げますと・・・。
離婚したときの僕は、一見元気そうに見えても、さすがに心の中はメゲてしました。そんな時に、「貯金も家族も失ったけれど、借金はないし仕事もある」と言ってくれた人がいました。それだけ恵まれているのだから、投げやりになってはいけないと、前向きになれたのは、その一言のおかげでした。
人間の言葉は、そのように人の心を変える力を持っています。それは過剰な褒め言葉である必要はないと学んだ機会でした。

でも、その人がたまたまトラブルがいくつか重なって、体も心もお疲れである時に、話を聞き終わった後に僕がしたことは、すこしでも元気づけられる言葉を差し出すのではなく、逆に足を引っ張る行動であったわけです。よりによって、こんな時に。なんてこった。

「10年AAでステップやって、そんなもんですか。それなら元がよほどひどかったに違いない」とか、「(言うことと行動が違う)二重生活を続けていること自体が問題なのです」とか、「普段自分は頭がいいと思って人を(特に女をか?)見下しているから、そうなるんです」と言われても、本当のことなので反論のしようがありません。

十分手加減してもらったのはわかってるんですが、正面切ってそう言われると、さすがにメゲメゲにめげるのであります。だいたい、助けになれないと嘆くこと自体が共依存的だし、上から目線なのかもしれません。

「もう電話もメールもしてくるな」という怒りのパターンには慣れっこなのですが、冷静にグサグサと突かれて、実に・・・実に生きた心地がしませんでした。


2008年08月01日(金) オンライン化

「例のイベントに行きますか、どうしますか?」と聞かれたとき、正直面倒だなと思いました。それでも、行くことにして切符の手配など頼んだのは、最近の自分の有り様を反省したからでした。
とりあえずお祈りとか黙想はしているものの、日々の棚卸しはサボりまくりです。寝る前に「ああ、今日を振り返っていないな」と気がついても、寝るのが優先でステップなんぞどこへやら。
もう一度方向修正する力をもらいに、そのAAイベントに行ってみようという気になったのです。8月は3回上京することになるので、少々面倒に感じなくもありませんが、これも自分のためであります。

ユニクロに買った服のサイズ交換に行きました。
僕は胸回り(男だからバストじゃなくてチェスト)が88cmぐらいです。これはちょうどサイズSとMの境目あたりです。結果、Sサイズを買えばちょっとキツく、Mサイズを買うとちょっと余ることになります。どちらがいいかは服によります。
今回はMを二つ買って帰ったのですが、ちょっと大きい感じなので、まだ袖を通していない一つをSに交換してもらおうと思った次第です。
店員さんに「サイズ交換お願いします」と言ったら、「じゃあ棚から希望のサイズのを持ってきて下さい」と言われました。でも、棚には同じ商品がありません。忙しがっているうちに2週間もすぎてしまい、お店はすっかり秋物の世界になってしまいました。
仕方ないのでバーゲン品の棚から、似たような同じ値段のを選んで持っていきました。あとはレジでピピッとBCRで処理しておしまいです。レシートを持っていくのは忘れたのですが、問題なくて、住所とか名前を書けとは言われませんでした。
つい1年か2年前は、MとLの間だったんですけどね。

ネット販売が盛んになって古本屋がつぶれていくって話を書いている人がいました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080525/crm0805251244006-n1.htm こちらの記事などを読むと、アダルトショップ(大人のビデオ屋さん)も苦境に立たされていることが分かります。
実際、僕の住んでいる市内でも、ここ数年で3軒つぶれています。1軒は家族経営だったようで、中学生の男の子がよく店番をしていました。その子が高校生になると、友だちがビデオを買いに来ちゃったりして。かなり可哀想な気がしました。けれど彼にとっては、ビデオの中に存在する女たちと、友だちとの会話の中に登場させる女の子とは、はっきり別の次元に属している話しぶりだったのが印象に残っています。でも、その店もつぶれてしまいました。
それで、良かったのか悪かったのか。

ひさしぶりに、とんでもない大ポカをやってしまって、自己嫌悪で落ち込んでいます。でも、誰が悪いのでもなく、自分が悪いので仕方ありません。ここでも謝っておきましょう。「ごめんなさい」


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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