ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年04月29日(火) つまらない話 英語版のビッグブックは、初版が1939年、第2版が1955年、第3版が1976年、最新版の4版が2001年の出版です。
P神父が英語版ビッグブックを日本語に訳している頃は、まだ英語版第3版は出ておらず、神父は第2版を底本にしたはずです。実際に、日本語旧版のビッグブックには、初版の序と、第二版の序しか載っていませんし、中身の文章も2版のものであることがわかります。
ビッグブックの新訳は2000年に完成して出版されたのですが、この時点ではまだ英語版第4版は出ていません。当然第3版の翻訳です。
そして、日本語の文章はほぼそのまま、個人の物語を更新したハードカバー版が出るのが2002年ですが、すでに前年に英語版第4版が出ていたので、その内容が反映されています。
ということで、旧訳のハードカバーとビニールのソフトカバー版は「第2版の翻訳」。青い表紙の2000年版(ポケットサイズ版と文庫版)は「第3版の翻訳」、最新の雲と空の写真の表紙のもの(ハードカバー・ポケットサイズ・文庫など)は「第4版の翻訳」と言うことが出来ると思います。
普段の睡眠時間は4〜5時間です。それしか眠れないのです。さすがにそれでは頭の疲労が取れないので、静かな部屋に布団を移して7時間ほどやっと寝ました。休みの日なので、子供二人とマクドナルド、ホームセンターで段ボール箱などを購入、ガソリンの値段が上がるみたいなので給油。
2008年04月27日(日) 意味のないことは起こらない 長女が「算数のノートがない」というので、車でジャスコまで買いに出かけました。僕のカーステレオは最近滅多に音楽がかからないのですが、その時は珍しくCDがかかっていました。そのCDには、植村花菜の『その先の想い』の次に、平原綾香のジュピターが入っています。
「愛を学ぶために孤独があるなら 意味のないことなど起こりはしない」
というところで、長女が「こどくって何?」と聞いてきたので、「ひとりぼっち、ということだ」と答えると、彼女は「ひとりになることなんて、ないなぁ」とつぶやいていました。
さて、土日はAAのイベントで過ごしていました。最近緊張続きで、お腹を下す日々が続いているのですが、この二日間もいろいろな理由で緊迫していて、逆に便秘になりました。スピーチは二人分しか聴きませんでしたが、そのぶん他の人と話をしていました。
僕はこんなところに自分のことをいろいろ書いているせいで、僕に多少なりとも関心を持ってくれている人には、近況報告が大幅に省けるという利点を得ています。なんであれ、話を始める切り口があるのはとても助かります。
僕のソーバーが始まった頃からお世話になっている男性メンバーとは1時間ほど隅で話し込みました。たまたま?同室になった男性メンバーとの話は、深夜に及びました。また、翌日には女性の立場からの話も聞かせてもらいました。みなさん、自分の経験と考え方を僕に分けてくださり、また僕のぶしつけな(金額などの)質問にも率直に答えてくださいました。それは、僕が僕の考えをまとめ、方向を修正するのにとても役に立ちました。本当にありがとうございます。
このイベントの参加費を支払った頃には、まさかその後、身辺が急展開するとは思っていませんでした。それが今はどたばたしているので、疲れや忙しさなど、参加を取りやめる理由はいろいろ考えられたのですが、結局はそこへ行ってしまいました。でも、行かなければ得られなかったものが、行ったからこそ与えられたと感じています。前進しようとするとき、ふっと背中を押してくれる不思議な力の存在を感じるときがあります。今回もそうだったのではないかと。
ともかく、これからしばらくは小休止の期間。これを利用して心身を整えなくてはいけません。
2008年04月22日(火) 近況 4月から新グループに移っています(まだオフィスなどには登録していません)。
それまで「新グループやろうぜ」というメンツは集まっていたものの、3月中頃になってもまだ、何曜日にやるのか、場所はどこが借りられるのか決まっていませんでした。ただ、メンバーの仕事の都合上、金曜日なのはほぼ確定していて、それが断酒会の例会の日と重なっているのが問題でした。
そこで、AAと断酒会の両方に出ている複数の人に媒介を頼み、断酒会の会長さんにご挨拶に出向いたりして、一つ一つハードルをクリアしていきました。「さすがに(断酒会とAAが)同じ建物の隣り合わせの部屋になるのはやめてくれ」という条件でしたので、別の建物で部屋を借りるべく交渉したり・・・。このままでは会場が始まるのが5月になるか、6月になるか・・。なんて言っていたら、4月から1年間部屋が借りられてしまいました。
まったく準備不足だったのですが、せっかく部屋が借りられたのに使わないでおくことはない。その部屋にアルコホーリクが2〜3人集まればグループになるんだから、ともかく始めちまおうぜ! ということで、ともかく毎回10人前後が集まっています。いろいろ用意できて、グループらしくなったら登録しようと話し合っています。
相方の仕事はシフト勤務制で、今週から夜勤も始まるので来られないこともあるようになります。いままで司会からは逃げてきましたが、いよいよやらざるを得ないか。
前のホームグループの会場が水・土で、それにプラス月・火が他のグループの会場をオプションにしていました。現在はホームが金で、月・火・水がオプション。土曜日に家にいることにしたのですが、なんとなく落ち着きません。
AAのとあるサービスの委員会をクビになりました(正確には再任されなかった)。もう一つも今年限りとお知らせがありました。サービス関係からは手を引いて、別のことをやれという、神さまの思し召しかも知れません。現在AAサービスの舵取りをしている人たちは「僕とは合わない」ということです。AAの素晴らしいところは、どんな人であれ最長四年でその立場から追い出される輪番制が確立していることで、またサービスに関われる日もいつか来るでしょう。
スポンシーの一人は、ステップ9をこなしながら、毎日ステップ10の検討をするところまでたどり着きました。もう一人はゆっくりさんなので、4の表が全部終わるのは夏か秋か。でもそれが、彼のドミノの倒れるスピードなのでしょう。
サービス関係は手じまいして、ホームグループ、スポンサーシップ、地元地区の仲間との関係、それより何より自分のことに集中して行きなさい、というふうに、ハイヤー・パワーが余計な荷物を取り除いてくれたのだろうと信じて。
2008年04月20日(日) Jさんの物語(その10/おしまい) さらに半年後(それはもう今年ですが)にJさんからメールが届きます。
まだ二人が別れていないとしても、僕には「こういう関係では、そのほうがありがちなこと」だと理解できてきた以上、驚くことはありませんでした。ちょうど、アル中さんのご家族からのメールが、半年後も「まだ飲み続けています」という話であるのが普遍的であるように。
AAで何年間か酒をやめた「彼」は、Jさんとの交際の中で酒を飲み出し、そして当然のように加速度的に悪くなって、悲惨な状態になっていました。メールには彼がJさんを思い通りに操ろうとした、あるいは支配しようとしたエピソードが多数うかがわれます。その行動が、彼のもともとの性格から来ているのか、それともボーダーの彼女に振り回された結果の反応なのか。あるいはアルコール乱用による精神の荒廃の結果なのか。止まらない暴力癖の一面なのか。僕には分かりません。
一方彼の言い分としては(それはJさんのメールを通してしか知れないのですが)彼女に「いままでどれほど譲歩し、負担に感じてきたか」と憤ります。そうして彼女を拒絶しながら、別の日には「すぐに来てほしい」と呼び出すのです。
そうした彼に対して、Jさんは、好かれるように、嫌われないように、捨てられることのにないように、懸命に努力してきたと主張します。しかしながら、ボーダーの人と接したことのある人ならご存じだと思いますが、接することで「まるでこちらが操作されているかのような」感覚を味わいます。ボーダーの人は決して人を操ろうなどと意図していないのでしょうが、結果としてその行動が人を操るかのような印象を与えます。しかもその操作の基準がころころと変わります。Jさんが、そのことを自覚していないのであれば、一切その記載がなくても不思議ではないはずです。邪推がすぎるでしょうか?
彼の態度はアルコール問題の否認へと変わり、Jさんは家族のグループに出たりしましたがなじめず、それでも共依存について考え出したところで、彼が仕事で遠方に行き、電話で彼女の家族まで激しく非難を始め、Jさんは「一時的にせよ別れます」という決断を下したのが現状です。
その後のメールのやりとりは、僕がこの件を雑記に書きたいとお願いし、許可をいただいたりする事務的なことが数通あるのみです。
摂食障害の人の約半数、薬物乱用者の半分以上はボーダー(BPD)だそうです。AAにもボーダーの女性は結構います(男性もいるけど女性ほど目立ちません)。彼女たちの評判は(飲んでいなくても)概して悪いものです。「何を考えているか分からない」「わがまま」「回復していない」「回復する気がない」などなど、ひどい言われようです。それは、アルコール依存症に対する理解のない世間が、飲んでいるアルコホーリクに浴びせる言葉とそっくりです。
改めて掲示板でこの件を取り上げたスレッドを読み、BPDにも12ステップが有効だという話を伺いました。確かにそうかも知れないと僕も思います。しかし、今の日本のAAにBPDの人をも回復させるしっかりしたステップが普遍的に存在しているのかどうか、あるいはアルコール以外の(BPDを含めた)メンタルな問題に対する理解や受容が広がっているのかどうか。そういう疑問には否と答えざるを得ません。
なにぶん問題に取り組むには、問題の存在を認めなくてはならないのですが、それを促す雰囲気は今のAAにはありません。これからオンラインでもリアルでも、いろいろなグループが出来ていくのでしょう。
AAはアルコールの問題専用ではあるものの、アルコールと他のメンタルな問題の両方を抱える人に対する理解は必要不可欠だと思います。
Jさんと彼の幸せを祈ります。それぞれ別の人生を歩くのが幸せへの道だと思うのですが、回復しなければ他の人を相手に同じことを繰り返すだけかもしれません。実はそれが二人にとって一番耐え難い未来予想図だったりして。
末筆になりましたが、Jさんに改めましてお礼申し上げます。ありがとうございました。お幸せに。
2008年04月19日(土) Jさんの物語(その9) このときの僕からの返信は10日以上遅れています。
――――――
Jさん、ひいらぎです。
ずいぶん遅くなりました。
知り合いのあるアルコホーリクは、家を飛び出してアルコホーリクの彼女と暮らしだし、そして二人で飲んでいます。母は殴っても、彼女は殴らなかった彼もいまでは立派に彼女を殴っています。
それでも彼女は彼の元にとどまり続けています。彼を助けたいという一念で。
男がアルコールに取りつかれ、依存しているように、また暴力というパワー幻想に取りつかれ、依存しているように、女もまた「私ならいつか彼を助けられる、いま面倒を見られるのも私だけ」というパワー幻想に取りつかれ、依存しています。
男が酒をやめるためには、酒に対する敗北を認めなければならないように(暴力も同じ)女が男の元を去るためには、敗北を認めなければなりません。それをお互い嫌うのです。
ようするに、面倒を見る方も、酒を飲むのと同じ依存症の心理に陥っているのです。だから、アル中の家族のグループアラノンでは、AAと同じ12のステップを使います。
いかなる人間的力も、取りつかれ病んだ心を救済することはできず、それができるのは(その人の)神様だけ。
敗北を認めなさい。あなたに彼は救えないし、彼もあなたは救えない。
無力を知り、助けを求めなさい。
酒と暴力はイコールですから、そのことを忘れないように。進行性ですよ。
――――――
数日後のJさんからの返信は、彼への依存を認めつつも、やめられない心情を吐露しています。そしてまたまた半年経つのであります。
2008年04月18日(金) Jさんの物語(その8) さて、彼と別れて、EAのミーティングに行ったという報告から半年後。Jさんから「めでたく私たちは本当のDVのカップルになったようです(笑)」というメールをいただきました。
(ああ、やっぱり)
それ以外の何の感想を持てるでしょう。
「殴る側の辛さの訴えをどう受け止めたらいいのでしょう」
暴力も、やめたいのにやめられない、ということではないでしょうか。自分自身に経験がないことですので知識でしか語れませんが、病的であることは確かです。
そして僕のかつての忠告を受け止めていなかったことを詫びる文面が続いていましたが、酒をやめられない人に「やめろ」と言ったのと同じことですから。
そして、これから彼とドライブに行くのだが、その誘いに従うことは、従わないことより若干安全だろうという言葉で結ばれていました。
2008年04月17日(木) Jさんの物語(その7) 慣れないことをしているので胃が痛い状況が毎日続いていて、もう体重を量るのも嫌になってきております。メールをいくつか頂いていますが、返信が遅れていてすみません。すこし余裕ができるまで時間をいただきます。
さて、Jさんの話の続きですが、この時期の僕もどたばたしていて、Jさんからもらったメールに一通一通まめに返信していません。なので、多少はしょる部分もあります・・・。
――――――
Jさん、ひいらぎです。
お酒の影響が完全に抜けるまでは、男性で3〜5年、女性で5〜7年はかかると言われています。女性のほうが長いのは、生理的な原因によると言う人もいます。
もちろん、医学的な検査の話ではないのですが、そう信じる人も多いのです。
あなたも彼も、男女のつきあいをするには、まだ早かった。
結論はそういうことではないでしょうか。
結果がそれを示していると思います。
あなたはあなたの道を歩めば良いのです。
診察室では、自分の行動を正直に伝えることをお勧めします。
それから、これは心からの忠言として申し上げますが、
「なにがあっても、よりは戻さないように」
であります。
仮によりが戻って、さらにつきあいが長く続いて、さらには結婚ということになったとしても、おそらく彼は「殴る夫」になり、あなたは「殴られる妻」になっただけのことでしょう。
神さまは、あなたに必要なものを与えてくれ、不要なものは取り去ってくれます。
あなたに彼は必要なかった。ということでしょう。
ひいらぎ
――――――
この時点で暴力があったか、という確認をしたのですが、彼からの暴力はもっぱら言葉によるだけで、わずかに顔を叩かれたことがあるものの、それは彼女の「殴って」「何でもして」という懇願によって行われたものだと返信がありました。
でも、女に殴ってと言われたって、普通殴れないもんじゃないか? と思うんですけどね。
さて、一週間後にJさんからまたメールがあり、自分を保つために意図的に忙しくしていたこと、冷静になって彼にメールしたものの、彼からの返事も冷静な別れの言葉だけだったことなどが告げられてありました。
そして初めてEAに行き、シェアリングから得るものがあった、という報告をいただいたあと、何もないまま半年経過したのでした。
2008年04月16日(水) Jさんの物語(その6) さて親密だったはずのJさんと「彼」。
しかし彼は突然限界を越えてしまったかのように、Jさんに暴言を吐き、拒絶の態度を取るようになりました。彼女を置いて一人で帰ろうとする彼を、彼女は「帰らないで」と言って抱きつき、30分から1時間泣きわめいて止めたのです。
実はこうした事態は数ヶ月前にもあった、とJさんは告白します。だからその二の舞は避けたいと、彼の側は冷静を努めていました。ところがJさんほうは、「自分がとたんに幼児のようになり、『見捨てられる事がその瞬間死ぬ程の恐怖』に変わってしまったのだ」と言います。
その時彼女の頭の中には、ずっと以前に彼女が離婚を経験したときの混乱が再現されていたそうです。それでも彼は、Jさんを無理矢理引き離して帰って行くのでした。
AAメンバーでもある彼は、数年間飲まないでいる生活を維持していたのですが、Jさんとの交際を初めて数ヶ月後に再飲酒し、加速度的に悪くなって精神科に入院を勧められるほどになってしまいました。だから、彼の飲酒による心の荒廃が、この修羅場をもたらしたと考えることもできます。
ところが、飲んでいる彼との交際続行を希望するJさんのスタンスは、「そんな彼を助けてあげたい」という共依存的なものではなく、拒絶されても捨てられたくないというしがみつきです。
おそらくJさんにアルコール乱用の時期があったとしても、それは依存症ではなく、ボーダーの「自己破壊的行為」の一つにすぎなかったのではないか、という考え方もできます。
まあ、メールという狭い窓から覗いた風景で、全体を判断するのは誤りのもとかもしれません。しかしながら、二人とも男女のつきあいをするには回復が足りなかった・・ということは確かに言えると思います。
明日は、僕がこのときに返信したメールの内容です。
2008年04月15日(火) Jさんの物語(その5) さて、Jさんは経済的に恵まれている人のようです。心が乱れているときにメールを書いているので文章に一部混乱はあるものの、基本的には知性の高さ、学歴の高さを感じさせる文面です。
僕が2通目のメールを送ってから1ヶ月半は、何も音沙汰がありませんでした。しかし、メールというものはいつだって前触れなく突然やってくるものです。
そのメールで彼女は、彼との関係に突然破局が訪れたことを告げていました。数日前までとても親密であったはずなのに、彼がいきなり我慢の限界を超えたかのように拒絶の態度を示し、Jさんに対して暴言の数々を投げつけたのでした。それだけならば、単純な男女の愛憎劇に過ぎなかったでしょう。
Jさんは知識のある人らしく、それに続いた自身の病的行動を「境界例」という言葉で説明していました。境界例とはすこしふるい言葉ですが、現在の境界性パーソナリティ障害(BPD)を含むすこし広い範囲を示す概念です。どちらもボーダーライン、あるいはボーダーと略されます。
ここでBPDとはどんなものか、簡単な説明を入れる必要があると思います。もちろん僕は素人に過ぎないので、説明が正しいとは限りませんので、鵜呑みにしないようにお願いします(と免罪符を張っておきます、話があれば掲示板へ)。
ボーダーの人の根底にあるのは、強烈な「見捨てられ不安」です。それは、人とどんなに親密な関係を築いても「必ず人は最後には私を見捨てるのだ」という根源的な不安です。研究者の本では、母親の養育態度に原因を求めています。
見捨てられ回避の行動として、相手が離れていきそうなときに、強烈にしがみつくという形は分かりやすいものです。別れが想像上のものに過ぎなかったとしても、相手を感情的に振り回すことで、わざと嫌われる行動を取り、「それだけのことをしたのだから捨てられて当然だ」と先手を取ることもあります。
他者を「良い人(味方)」と「悪い人(敵)」に分けてしまいがちなのも特徴です。同じ人が優しい態度を取ることもあれば、冷たい態度を取ることもある、とは理解されません。たとえ99回優しい態度を取ったにしても、最後に取った一つの冷たい態度によって「裏切り者」にされてしまったりします。そして別の機会には「良い人」に格上げされることもあるわけです。
自分の本当の姿を知られることを極度に恐れるのも、真実を知られたら皆から見捨てられ、誰も相手にしてもらえなくなる・・という恐怖からです。だから良い面を見せようと人に良く見られたい努力するものの、裏側では自分にはそれだけの価値がないと感じています。
強い怒り、コントロールを無くした怒りも特徴です。これは子供の頃、親の関心(愛)を自分に振り向けてもらうためには、一番強い感情である怒り(かんしゃく)を爆発させるしかなかったからだと解釈されています。この行動様式が大人になっても保たれ、人の関心を振り向けたい、優しくされたいときに、憎しみや怒りを相手にぶつけることによって、相手の罪悪感を呼び起こして目的を達成しようとするのだといいます。
「自分は幸せになる価値のない人間だ」という思い込みも強烈で、幸せな関係が続くと不安になり、自分からその幸せを壊すこともします。
ボーダーの人がこの特徴をすべて持っているわけではないでしょう。それはJさんについても言えることです。そして、non-BPDの人にも多かれ少なかれそうした傾向はあります。
ともあれ確かに言えることは、ボーダーの人と親密でいるのは大変だということです。さまざまに振り回されてへとへとになり、仕方なく距離を取るようになります。すると本人の見捨てられる不安はかき立てられ、さらに激しい態度で人を遠ざけて、例の絶望的確信をさらに強める結果となります。こうした行動は本人が望んでしていることではなく、子供の頃に身につけたパターンが捨てられないでいるのが原因なのです。親密な相手が、たまたま回復途上のアルコホーリクであった場合には、再飲酒を招いても不思議なことではないでしょう。
以前はボーダー(BPD)は治らないと言われました。しかし最近では、経験を積んだ精神科医やカウンセラーのもとで根気強く自分を変える努力をするとか、あるいは支持的で安定した配偶者との生活によって変わるとされています。一時期親密になって、あとで逃げ出すのは悪い関わり方なのです。
Jさんがボーダーだというのは自己診断に過ぎないのですが、こうした一般的な説明をふまえた上で、続きを読んで頂ければと思います。と言いつつ続きは明日なんですけど。
2008年04月14日(月) Jさんの物語(その4) さて、僕からの2通目のメールは今から読むとピントを外しています。物質依存とプロセス依存に共通するものは何かという話をするはずなのに、一つの依存をやめて他の依存に走るという文脈になってしまっています。
――――――
ひいらぎです。
孤独感とか虚無感とかを、酒で埋めていた人が、酒を飲まなくなると、別のものでそれを埋めようとすることはあります。
よく見るのが仕事中毒です。あとは買い物依存、ギャンブル、恋愛、拒食過食、処方薬などなど。依存対象が変わっただけなんですがね。
この中にはある程度までなら必要不可欠なものもあります(買い物とか食事とか)。だから、アルコールのように100%避ければいいというわけにもいきません。
孤独感、虚無感やストレスは、誰にでもあるものですが、それがあまりにも強すぎ、それの癒し方が下手だということが、依存症者の根本の問題です。
ある人は、その状態をアダルトチルドレン(AC)という文脈で語るし、AAでは霊的な病気といったりします。宗教とか心理学にも、同じ問題を解決しようとしている部分もあります。
自立は目標であって、いきなり依存体質を止めて自立するのは無理だから、健全なもの(ハイヤー・パワー)に依存しなさいというのが、AAの知恵であります。
AAにいるアル中は、何か高尚なことをしようとしているのではなく、糖尿病患者がインシュリンを使うように、自分に必要な治療をしているに過ぎません。
僕も一人の回復途上のアル中に過ぎず、ただ人より多く苦しみや悩みを見聞きしてきただけの話です。
AAのハイヤー・パワーは my Higer Power とよく言います。自分専用の神様です。あなたには、あなたの Higher Power があって、その存在はあなたが生まれてからずっと、あなたを見守ってきたし、あなたのことを一番に愛しているのです。
精神科医の話を紹介しておきます。
http://www.h7.dion.ne.jp/~dansyuan/newpage117mizusawa.htm
終わりのほうに、酒以外のものへの依存の話がでています。
自立への道は、日々の作業であって、完成はありません。
でも、その道を歩くってことではないでしょうか。
2008年04月13日(日) Jさんの物語(その3) さて、最初のメールは彼の行動に一抹の「奇妙さ」を感じながらも、Jさんが「アルコホーリク候補生」である前提で書いたものでした。
しかし、その後の彼女の返信は、彼女がアルコールを手放せないことをキッパリ否定する内容でした。AAメンバーである彼と過ごす時間は、酒なしであることが当たり前で、自分一人の時も自然に数日飲まないことはある、と彼女は書いてきました。
「アルコールに問題がないのならば、では何が問題なのか」と疑問に思った僕は、返信をしないでいるうちに、Jさんの次のメールが届きました。
そこには、人が薬物や飲酒などの物質的なものに依存するのと同じように、Jさん自身が「彼」に依存していることが告白されていました。そして、その「堂々巡り」からの脱出には二種類のジリツ、「自律(依存対象へのコントロール)と自立(他者からの精神的自立)」が必要だと考えているとも書かれていました。
彼女にとってアルコールは些末な問題であり、彼との関係のほうがずっと重要だ、という言葉を信じるとするならば、逆にいくつかの疑問が僕の心に浮かんできました。
なぜ「彼」は、Jさんの飲酒をことさら大げさに取り上げ、指弾したのか。何年もAAにいた彼でであるならば、彼女の飲酒に問題がないことは理解していたはずで、そうした根拠のない「ゆさぶり」をしかけねばならないほど、この男女関係は殺伐としたものなのであろうか。
であるのに、このカップルの間には強烈な引力が働いていて、お互い離れがたく感じているように感じられる。しかしそれが平穏な関係ならば、決して彼女はそれを「堂々巡り」とは表現しないであろうこと。
そして彼からの「ゆさぶり」に対し、彼女は怒りを覚えているようであるが、同時にそれが別れ(彼から見捨てられる)の原因になることを恐れているような印象が感じられる。しかし、関係を揺さぶっているのが彼の側だけとは考えにくい。
まあ、短いメール数通から、これらのことを鮮明に描き出したわけではありませんが、なんとなくそんなイメージを持ちました。激震の時期と(おそらく短い)和解の時期が繰り返される男女関係。それを「恋愛依存」と呼んでいいのかどうか。依存対象が物質でなく、プロセスになっているだけの違いで説明できるのか。
いずれにせよ、Jさんがアルコールに問題がないと確定したわけでもないので、物質依存・プロセス依存両者に共通するような事柄を書いた、あたりさわりのない返信をしたためることにしました。
その内容はまた明日。
2008年04月10日(木) Jさんの物語(その2) さて昨日の続き、以下は僕からJさんにあてて最初に出した返信(一部抜粋)です。
――――――――
ひいらぎです。
返信が遅くなりましたことを、まずお詫びします。
たとえば嗜好品のことを考えます。
チョコレートが大好きだという人のことを考えてみましょう。
毎日チョコレートがないと気が済まないという。
けれど、運悪く内臓の病気になって、医者からチョコレートを食べることを禁止されたとします。
哀れなその人は、大好きなチョコレートを諦めねばなりません。
あなたは、この人の立場をどう思いますか?
チョコレートぐらいなくたって、生きていけるのです。
チョコレートがないと、ちょっと淋しい、あるいはとっても淋しいけれど、生きていけるのです。
それが「嗜好品」です。
でも、依存症の人の対象物は、嗜好品とは違います。それがないと生きていけないぐらい思い詰める。あるいは、諦められるけれど、それが辛くて辛くて仕方ない。
やっと、諦めても、またそこへ舞い戻るのです。
僕は医者じゃないので、あなたが依存症なのかは診断できません。
ただ、気にかかることがあります。
あなたは、飲酒には、他に原因があって、それによる心の悩みとか辛さを癒してくれる道具として酒を使っているのじゃないですか?
そして、それが嗜好品ではなく、毎日なくてはならない「生活必需品」になっているのではないですか?
もし、大災害が起きて、辛い生活の中で何ヶ月も酒なしで生き延びることになったら、悪夢のようだと感じませんか?
そういう飲酒はとても危険なんです。
あなたが抱えている問題が何なのかは分かりませんが、心を酒で癒すのはやめるべきです。
おっしゃるとおり平日はビール一本、週末二日は完全に禁酒するということが、できるのだったら、僕はあまり心配しません。でもたぶん、あなたは週末二日を完全に禁酒することはできないでしょうし、毎日ビール一本では足りなくなるでしょう。
それと、もしあなたが「彼を選ぶか、チョコレートを選ぶか」をせまられたら、チョコレートを捨てて、彼を選ぶでしょう。けれど、あなたは「彼か、酒か」で悩んでいる。それはどうしてでしょう。
(中略)
僕は、あなたがAAに入るべきだとは思いません(少なくとも現時点では)。
だけれども、酒をやめられるのなら、やめるべきだと思います。
やめるのが無理なら、(たとえば週末二日は飲まないように)酒をコントロールすることを試してみるべきです。
そして、コントロールできなかったら、医者の判断を仰ぐことをお勧めします。
(中略)
あなたが酒をやめても、あなたは何も失うものはないのですよ。
ひいらぎ
2008年04月09日(水) Jさんの物語(その1) こうやってWebをやっていると、見ず知らずの僕にメールで相談事を持ちかけてくる人がいます。たいていは飲酒中の人に巻き込まれて困っている人です。内容は深刻なものが多いのですが、メールの往復は2〜3回で終わるのが通例です。話を聞いてもらうだけである程度の満足を得て、具体的な行動を起こすところまでなかなかいかないのだと思います。
そういえば、ある精神病院の看護師長さんが、「家族の方がよく病院まで相談に見えるけれど、ほうぼうあたった挙げ句に、ようやく悩み事を理解して聞いてもらうことができた、というだけで力尽きてしまう、満足されてしまって、その後の行動が続かないパターンばかりだ」とおっしゃってました。
基本的に問題を起こしているのは飲んでいる本人ですから、なぜ巻き込まれている側の人間が、慣れないことを始めなくちゃならないんだ、という憤りの気持ちは今の僕にはよく分かります。困ってはいても、困っているなりに問題が安定してしまっているのです。
Jさんとも、そんなふうにメールの往復が始まったのですが、珍しく1年半もの長きにわたって、散発的にやりとりが続いています。雑記も書くネタに苦労しているので、雑記に書いてもいいかと尋ねたら許可をいただきました。数回に分けてやりとりを書いていきたいと思います。
もちろん相手のプライバシーにも配慮しなければならないので、内容は僕側から送ったメールが主になるでしょう。
Jさん(女性)は断酒中の彼との交際中。彼はAAに通い、数年飲まない生活を続けていました。最近二人の仲がギクシャクしだしたのは、Jさんの飲酒が原因なのだと彼は主張します。Jさん自身は適正飲酒だと思っているものの、彼は彼女をアルコホーリクと決めつけ、AAミーティングに通い酒をやめなければ、いずれ精神病院か刑務所か墓場に入るくだり一方のエスカレーターに乗っていると主張するのでした。そして、Jさんが今度飲酒でトラブルを起こしたら、彼は別れると宣言したのです。
Jさんの疑問は「AAとは、本人だけでなく周りの人にも断酒を勧めるところなのか」というものでした。
僕は、彼の主張にも「奇妙さ」を感じていましたが、Jさん自身の「酒で苦しんでいないのに、なぜ酒をやめなければならないのか」という疑問に焦点を当てて返信を書きました。
ひいらぎからの返信は次回(たぶん明日)。
2008年04月08日(火) ナルシスト えーと、昨年度末の有給残が14日、新年度支給が10日で、合計24日のはずなのだが・・もう22日に減っているのはなぜだ?
さて、僕はナルシストです。
ナルシストというのは、「俺ってかっこいい」とか「私ってキレイ」と思っている人のことだけを指すのではありません。心の問題、精神的なナルシストというのもあるのです。
自分を美しいと思うナルシストは薄化粧です。濃い化粧で自分の美しさを消してしまったらつまらないですからね。同じように、心のナルシストも心の化粧を拒みます。
心の化粧というのは表現が変ですが、心のヨロイと言ったらいいでしょうか。
心のナルシストになりきれない人は、自分の心の醜さ汚さを隠そうと、心にヨロイをつけます。ヨロイで心の醜い部分を隠し、ヨロイの強さを身につけることで、ようやく人と対等になれる自信を身につけるわけです。
ところが心のナルシストには、ヨロイは必要ありません。もちろん、自分の心にも、汚さ弱さがあることは承知していますが、別にそれを隠さなくても、ヨロイなしの生身のココロで勝負になると踏んでいるからです。
だから、自分の汚さ弱さを人に見せてしまっても(かなり)平気です。「それで僕のことを好きになるも嫌いになるも、あなたの勝手です」と、相手に下駄を預けてしまいます。それで相手が傷つくかもしれない、とはなかなか考えないわけです。ナルシストは自分のことで手一杯で、人に対する思いやりがありません。
ところが、相手との関係によっては「そのことは黙っていて欲しかった」と言われてしまうことだってあるわけです。別に苦しさを吐き出すことで楽になろうするのじゃなくて、さらけ出すのが一種の習性みたいなものなんですけど、相手にしてみれば違いはありません。
だから、やはりナルシストはやめて、思いやりを持たねばならないな、と思うのですが、努力はすれども人はなかなか変われません。それでも、日々「無用なことは沈黙する」という努力は続けているわけですが。
2008年04月07日(月) ニュース検索分割 ニュース検索ですが、
http://www.ieji.org/journal.shtml
最近は依存症関係のニュースも増えたため、ページがとても長くなってしまいました。二百数十キロバイトもあったりします。
そこで、雑記の下には最新72時間以内のニュースのみを載せ、「アルコール依存」・「薬物依存」・「ギャンブル依存」・「摂食障害」のページは、それぞれ別に設けました。
http://www.ieji.org/misc/news-al.shtml
http://www.ieji.org/misc/news-drug.shtml
http://www.ieji.org/misc/news-gamble.shtml
http://www.ieji.org/misc/news-eat.shtml
2008年04月06日(日) 予定 ゴールデンウィークの次の週には、地域のAAのラウンドアップがありますが、残念なことに実家の田植えと重なっていて行けません。田植えがどうしても外せない用事なのか・・と言えば、そこはビミョーです。実家の田んぼのほとんどは、農協による代理耕作を頼んであるか、人に貸してあるので、自分たちで食べる分しか耕作していません。その広さ、わずか一反五畝(約15a)。母と兄だけでも十分ですし、成人した甥も手伝ってくれます。
しかし、母が言うのであります。「お前が来てくれると、兄ちゃん喜ぶよ」と。
母はさすがに僕を動かす方法をよく知っています。「お前が来ると役に立つ」でもな
ければ、「私が嬉しい」でも「来ないと切ながる」でもなく、「兄ちゃん喜ぶよ」であります。実際行ってみても、兄が喜んでいるかどうか、かなりビミョーです。
ともかく、米を分けてもらえるだけのことは、しなくてはなりません。この「自分たちで食べるだけは耕作する」のも、はたしていつまで続けられるのやら。おそらく母が元気なうちだけでしょう。
さて、話は変わりますが、僕は人を好きになるときに、その人の「声が好き」という要素がかなりのパーセンテージを占めます。僕の場合、人の顔を覚えるより、声を覚えるほうが早いのですが、それと関係あるのでしょう。
そういう僕ですから、自分の容姿の美醜の評価よりも、自分の声がどう思われているかのほうが気になります。僕の声は、男らしい野太い声ではなく、男としては甲高く、緊張すればさらに高くなります。おまけに、口の中でごにょごにょ言っていて、聞き取り辛いと言われます。
昨年ある会合で、皆の前に出て話をする機会を与えられました。終わった後で「良い話でした」と言われたのは確かに嬉しかったのですが、それよりも「ひいらぎさんて、素敵な声ですね」と言われれたのが飛び抜けて嬉しかったですね。もちろん僕は、言ってくれた相手のことを(この人いい人だなぁ)と思うようになるわけです。
結局僕も単純な人間なのであります。
2008年04月05日(土) 年のせい? 僕は近視なので老眼鏡は不要なのですが、車の運転用とパソコン操作用では別のメガネを使っています。「これは老眼鏡ではない」と自分では思っていても、パソコン用に近視補正の度数を弱めたメガネが必要なのは、目が老いてきている証拠です。
はたまた、最近4〜5時間しか眠れないのは、これはうつがぶり返し気味なのであって、加齢のせいで睡眠が浅くなったわけではない・・と自分に言い聞かせたいわけですが、短い睡眠時間はもう年単位で続いています。
たとえ4時間しか眠れないにしても、12時に寝て4時に起きてしまうのは、僕の趣味ではありません。なので夜更かしということになります。
夜寝る前に10分ほどテレビを見る習慣だった時期があります。BS2の短い番組で、イギリス紳士用の山高帽を作る作業を紹介していました。AAミーティング前の仲間との雑談で、たまたまその番組の話をしました。全然性格の違う二人が、偶然同じ番組を見ているなんて、不思議ですねという話になったのです。が・・直後に気がついてしまいました、その深夜番組(というか早朝番組)を、朝の早いその人は起床直後に、僕は就寝直前に見たという違いに。
こまめに歯を磨かないと、すぐにシソーノーローになってしまうようになりました。
それにしても、本棚からは本が溢れ、床からいろんなものが積み上がるようになって・・ああこれではすっかり「オタク部屋」です。
2008年04月04日(金) 新グループ いつかはアクセス数500をと思っていましたが、まさかこんなネタで突破してしまうとは・・。やはり他人の不幸はなんとやらでしょうか。そういえば、たまちゃんのところも、オットォ!(・o・ノ)ノ〜のご乱行ネタだとアクセス数が増えるのだとか。
妻の回復を引き出すべく本気で動き出すのか、それとも「もういい加減にしてくれ」ということにするのか、こればっかりは人生の選択として自分で決めねばなりません。そんなことに悩まなくても、変化を望まなければ、だいたい同じような毎日が続いていってしまうわけで、それが「ぬるま湯の不幸」というものでありましょう。
そもそも自分が何を望み、何を目標とし、何を動機としていくのか。それを明らかにするためにも専門家(カウンセラー)の手を借りる必要があるのでしょう。でも、今は忙しいから、それは来月からにしようかな、とか言うのは「明日から酒をやめるアル中の論理」と同じですな。
さてさて、暗い話はおいといて、新しいAAグループが始まりました。
まだミーティングが始まっただけで、地区やオフィスには登録してありません。次回の地区委員会まで無事にミーティングが続いていたら、登録することになるでしょう。
すでにあるグループは形が定まっていて、それを変えていくのは大変なことです。そして変えようとすることが常に正しい方向とも限りません。しかしながら、新しいグループというのはまだ形がないので、いかようにも自由に形を作っていけます。それが新しいグループの魅力でもあります。
数年ぶりに長野に帰ってきた仲間と一緒にやるのですが、その仲間が地元に落ち着くまで1年間ほど期間をおいたらどうかという意見はずいぶんありました。それを急かせたのは、彼の持っている情熱とも無謀ともつかないものが「落ち着いて」しまったら、新しいグループの意味が薄れてしまうからでもあります。僕はその情熱を支える役割をしていこうと思ったのですが、ここ1〜2ヶ月の準備段階を振り返ってみれば「足をひっぱてんじゃねーよ」と言われても仕方ありません。反省。
ともかく新しい会場には今夜12人の参加者がありました。AAでは吉兆の数字であります。このグループが神さまに愛されて続くのかどうか、それは今から心配しても始まりません。正式なAAグループとは何を示すのか、僕には分かりませんが、ともかく1ヶ月あまりに及んだ、僕のホームグループなしの状態は解消されました。
3月はドタバタしていたおかげで、「月末まで」の仕事が4月にはみ出しています。というわけで明日も仕事です。
「おしつぶされそうな、むずかしいときにも、生きる喜びはある」
2008年04月02日(水) 12の伝統 今夜中に出荷コードを出さなければならないので、会社で徹夜になるかと思ったのですが、お客さんから来週頭でいいよと連絡をもらったので、8時過ぎに仕事を切り上げてAAミーティングに行くことにしました。
ビッグブックミーティングで「12の伝統」のところ。最後に余った15分を二人でシェアしました。
アメリカで始まったばかりの頃のAAは二つの大きな不安があったと書かれています。ひとつはメンバーの再飲酒(これは当然ですね)。そして、当時のAAは本人も家族も一緒にやっていたので、しばしば三角関係が起こり、それがグループを破壊するのではないかという不安が二つめです。けれど、AAでのセックスの問題は、他の社会集団以上に深刻ではないことが次第に明らかになっていきます。
もっと深刻な問題は、権力や支配、そして金銭の問題です。だから、12の伝統はおもにこちらを扱っています。
AAメンバーは全員が平等だと言っても、人間はどこでも上下関係(序列)を作りたがる物です。ソブラエティの長さなんて、ただひとより早くAAにつながったというだけで、人間的優秀を示す基準ではないのですが、ソーバーの長い人間が偉いということになりがちです。
グループのビジネスミーティングで決めごとをするときに、意見を決めかねると、なんとなく皆が顔色をうかがう人がいます。それはグループの長老と言われるような人たちです。鶴の一言によって、意見が雪崩を打ったように変わってしまうこともあります。劣勢に立たされた側が、長老の意見によって優勢に早変わりとか。
本当の長老とは、余計な口を差し挟まず、グループの皆が「間違える経験を積む権利」を行使するに任せ、事態の推移を辛抱強く待ち、本当に危なくなったときだけ適切な助言をするために静かに待っている人のことです。
ところが人間とは弱いもので、「皆のために良かれ」「新しくつながる仲間のために」といいながら、トラブルの芽を摘んでいきます。転ばないように大事に育てられた子供は、転ぶことに弱く、起きあがれなくなると言います。AAグループでも「自分たちで間違える経験」を積まなかったグループは、「死にかけの執事」が去った途端に崩壊の危機にさらされます。
先ゆく仲間の責任とは、自分がいなくなっても、後から来た人たちが自分たちでやっていけるようにすることではないでしょうか。伝統12の言う「本当の謙遜」とは、なかなか難しいものであります。
2008年04月01日(火) 幻の姉 僕と兄とは6才離れています。実は2才年上の姉が存在するはずでした。が、生まれてすぐに亡くなってしまいました。その後に僕が生まれることになったのですが、姉が順調に成長していれば、僕は存在しないはずの子供で「幻の姉の代わり」でした。
農家ですから、男手が多いのは喜ばれますが、女の子だって必要です。かあちゃん、ばあちゃんが野良仕事から疲れて帰ってきた後で、家事の手伝いをしてくれる子がいれば楽です。
そんなこともあって、小学校時代の僕は「お前は女の子の代わりだから」と言われながら、食事の準備やかたづけ、掃除や、風呂の火の番などをさせられていました。今の時代であれば、男の子がこれぐらいの家の手伝いをしてもおかしくないかもしれません。けれど、当時の農村ではそれは明確に女性の役割でした。比べられる対象も、従兄弟ではなく、従姉妹たちでした。
僕は「女の子の代わり」であることに大きな疑問も持たず、「優しい子になれかし」という周囲の期待に応えるのが当たり前だと思っていました。まあ、別の女装させられたわけでもないし、不都合はなかったのです。
ただ、心の中では「生きているのは幻の姉ではなく、次男の僕なんだ」という強い思いがあり、それが時にはわがままな行動として噴出しました。「6才も離れていれば、兄弟ではなく一人っ子が二人のようなものだ」と母がよく言っていました。
中学生になって人間関係が変わると、僕はいじめられるようになりました。それは現代の小中学校にあるイジメのような残酷なものではなかったにせよ、僕は毎日くらい顔をして過ごすようになりました。それを見た両親は話し合った結果、「これからお前は男らしく強くなりなさい」と養育方針を変えました。
しかし、いきなり男らしくと言われてできるものではありません。体力や気力が人より優れないと知るや、お前は頭が良さそうだから一生懸命勉強しなさいということになりました。それは親の愛には違いないのでしょうが、問題のすり替えにしか過ぎず、問題は僕の中に温存されました。
アルコール依存症のパーソナリティ特性の研究では、自己愛性パーソナリティ障害が必ず挙がります。また性同一性について問題の指摘する報告もあります。僕はどっちもど真ん中なわけです。
男らしく強くと言われてもしんどいし、じゃあ女として暮らせてと言われても困るし。わがままを抱えながら優しいフリをする男をやるのが精一杯という感じです。
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