心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年03月30日(日) むずかしいときにも

毎年その年のテーマを決めています。
昨年一年は Keep It Simple でした。その指針どおり生きることが単純になったかと言えば、全然そんなことはなかったわけですが、まあ一応目標は掲げておかないといけません。
今年は「おしつぶされそうな、むずかしいときにも、生きる喜びはある」p.23
The joy of living we really have, even under pressure and difficulty.

安楽を人生の目的にしてしまえば、それが叶わないときには生きる喜びが失われます。

さて、人が変わろうと努力するときに、どのように変わりたいかという目標は大事であるように思います。たとえば、酒を飲んで苦しんでいても、酒をやめる行動を取れるとは限りません。酒をやめた自分という目標像をまず設定して、その目標に向かって努力するから、人は変わる努力ができるのだと思います。
何度も酒をやめることを失敗していると、酒をやめた自分の姿が想像できなくなり、それに向かった努力も虚しく感じられるだけです。だから、飲み続けている自分の悲惨な現状と、酒をやめた理想像とのギャップを明らかにして意識させてあげれば、人はおのずと変わりたいと思ってギャップを乗り越える努力を始めてくれるものだ、という考え方に僕も賛成です。

自助グループというのは、酒をやめた人間という一つの理想の像を提供することで、そこへやってきた人がその像を自分自身に投影するチャンスを与える場所になっているのではないでしょうか。

話が逸れました。

さて、どのように変わりたいのか自分でも分からない。変わった自分の姿が想像できない。そういう重苦しい局面が人生にはあります。そんな時にも、きっと「生きる喜び」はあるのだと思います。それは快晴の空の下のようなスカッとした喜びではないかもしれませんが、重く垂れた雨雲しか見えなくても、その上の太陽の存在を感じることに似ていると思います。

ま、しょうがねぇよ。


2008年03月28日(金) 孤独か衝突か

人間関係の悩みを解決する一つの方法は、孤独を選ぶことです。
そもそも人間関係がなければ、それで傷つくこともありません。
だから人は、アパートの一室に、あるいは二階の自分の部屋に、引きこもってみたりするわけです。

僕も飲んでいた頃は非常に孤独でした。自分で選んだ孤独なのですが、一方で淋しい気持ちも強く、誰かと親しくなりたいと思っていました。けれど、誰もこんな自分とは本当の意味で親しくなりたくないのではないか、と恐れていました。
孤独な人間にとって、自分から親しさを求めて拒否されることほど恐ろしいことはありません。だから、単調な孤独が続くほうを選んでしまいます。
実際には、自分が他者と親しくなるのを拒否しているだけなのですが、それを自分の落ち度として認めたくはありませんから、相手に「私とは親しくなりたくない」という責任転嫁しているのです。

どんなに親しい人であっても、いつも思い通りに動いてくれるとは限りません。どんなに信頼した人であっても、裏切られることはあります。人間関係を持てば、傷つくこと(傷つけられること)があるのは避けられません。
それでも多くの人たちは、孤独よりは、人間関係の悩みを選びます。

つまるところ、絶え間のない孤独か、それとも人間関係の悩みか、そのどちらかしか選びようがないのでしょう。時には出入りの少ない人間関係の中で、波風の少ない安定した状態が続くことがあり、孤独ではないが悩みもない平穏が続くこともあります。しかし、人はわがままなものですから、いつかはその平安も破綻します。

実は孤独であっても人間関係の悩みが無くなるわけでもなく、自分を拒否している(親しくしてくれない、思うようにしてくれない)誰かを恨むことは避けられません。だとすれば、わがままな自分とわがままな相手が付き合って、傷つけあっても孤独よりはましだと思うのです。


2008年03月27日(木) 副作用

僕は遷延性うつ病を患っていて、向精神薬を飲み続けているAAメンバーです。
そうしたことを明らかにしているAAメンバーは少ないので、今日は薬の副作用の話をしてみたいと思います。

どんな薬にも副作用はあります。副作用のない薬なんて無いと言っても過言ではありません。

向精神薬全般に言われる副作用は、めまい、ふらつき、吐き気、だるさ、口の渇き(による口臭)などが主ですが、他にもいろいろあります。副作用は必ず出るとは限りません。100人同じ薬を飲んでいても10人にしか出ないとか、一人とか、あるいは千人に一人とか。

新しい世代の抗うつ薬(SSRI/SNRI)は、副作用が少ないのが特徴です。けれど、まったくないわけじゃないし、古い世代の薬と違って現場で使われた経験が蓄積されていません。

以前飲んでいたパキシルという薬は、下半身に影響が出ました。専門用語で言えばオルガズム機能不全、平たく言えば遅漏です。頑張っているのに、なかなかイかない。これは不満がたまります。最初は、どうしてこうなったのか戸惑いましたが、やはり同じように薬を飲んでいる仲間と話したとき「おー、なんだお前もかよ」と肩をたたき合った覚えがあります。それから、医者に相談したところ「少ないながらも報告がある。臨床試験でも、こうした症状の申告がでてきづらいから、実際にはもっと多いのかもしれない」という話でした。
インポや早漏の人から見ればうらやましい状態なのかもしれませんが、これはこれでストレスの元ですし、セックスパートナーにとっては負担になります。もちろん、同じ薬を飲む全員に出る症状ではなく、少数派でしょう。そして、そんなことは気にならない人もいるでしょう。ですが、僕の場合にはクォリティ・オブ・ライフをかなり下げる副作用でした。
女性でも同じようにオルガズム機能不全が出るようで、相手の男性にかなりの「がっくり感」を与えるんだよと聞いたことがあります。それはとてもよく分かるよ。

その後、トレドミンというSNRIに変えたのですが、こちらは「胸が締め付けられるような不安感」という副作用が出ました。これもなかなか辛いものがあります。ちょっとしたことで、なんでこんな強い不安感に悩まねばならないのかと。それでパキシルに戻したこともあったのですが、今はトレドミンを飲んでいます。

オルガズム機能不全と強い不安感を天秤にかけた結果、「胸が締め付けられるような不安感」のほうがまだマシだと思ったのです。不安感も、これが薬の副作用だと分かっていれば、受け入れやすいものですから。

だから、薬は怖いものだという印象をあたえたいわけではありません。きちんと医者とコミュニケーションを取って、副作用に対処していくことが大切だと言いたいのです。必要な薬を勝手にやめてしまったり、あるいは欲しい薬を何でも出してくれる町医者や、自己処方での売薬の長期連用、いずれも薬のトラブルへの入り口です。


2008年03月26日(水) ちょっと長い話

父が死んだ葬式の席。僕は前の晩まで飲んでいた酒の離脱症状に苦しんでいました。かすかに震える手で、集まった人々に酒を注いで回りながら、僕は酒を飲みたくてたまりませんでした。家の中の人目につかないところで一杯飲もうと思うのですが、田舎の葬式は、親戚やら近所の人やらで家中人だらけになってしまいます。
斎場で父のお骨を拾うとき、母は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。けれど僕は悲しいという気持ちよりも、早くこれを終わらせて精進上げの席で一杯飲めないものだろうか、と考えていました。

翌日医者に行って薬を出してもらい、一時的に酒をやめました。
3週間後は自分の結婚式でした。僕は乾杯のシャンパンから飲み始めました。皆の顔には、咎める気持ちと、仕方ないかという諦めの気持ちの両方が浮かんでいました。そしてそのまま新婚旅行に行ったのですが、当然僕の酒は加速度的に増え、旅の後半には、僕はすこし酒が切れただけで離脱症状に悩まされる状態に逆戻りしていました。
その国のデパートはもう全館禁煙が当然でした。真夏の炎天下、デパートの外でタバコを吸いながら、僕は暑さとは違う理由で吹き出る汗をかきながら、酒の自動販売機のないその国の制度を恨んでいました。新婚の妻など放り出して、その街のどこかへ酒を飲みに消えてしまい気持ちで一杯でした。

親の死の時は、人生最悪の時の一つでしょう。でもその時僕の心を占めていたのは、酒を飲みたいという渇望だけでした。新婚旅行なんて、人生最良の時の一つでしょう。でも僕はやっぱり飲みたい気持ちに支配されていました。底に当たりつつあったのです。

AAに来て、ミーティングに通い続け、仲間に会い続けて、僕の酒は止まりました。僕はAAで酒をやめ続ければ、だんだん自分に自信がついてくるものだと思っていました。酒さえやめれば、それなりに立派な人間に戻れるのだと。けれど、正直になるにつれ、自分は自分で思っているほど立派な人間ではなく、本当の自分は醜く弱い存在だと分かってきました。だからこそ、生きていくためにアルコールが必要だったのです。自分はアルコールが入っている状態が「自然な状態」だったのです。だから、いつもその「自然な状態」に戻りたがっている自分がいました。いつも再飲酒は目前でした。

ある時、経験の長いAAメンバーに、信用できるAAメンバーと、信用できないメンバーをどうやって見わけるかという質問をしました。その人は、いつも「ミーティングに出続け、仲間に会い続けることが大切だ」と説き、それを実践していました。だから当然、そういう活動を一生懸命やっている人が信用できるメンバーだ、という答えが返ってくるものだとばかり思っていました。
ところが彼の答えは違いました。「ハイヤー・パワーを信じている、神を信じている人は信用できる」。普段神という言葉を使わない人だけに、僕は驚き、「やっぱりAAってそれが本質なんだ」と思い知らされました。

僕は自分が頭がいいと思っていました。うぬぼれですな。もし神さまがいるなら、僕は神さまと同じぐらい頭がいい。だから神さまの考えることは、自分にも分かるはずだと思っていました。
ところが、世の中には悲惨なことや、理不尽なことがたくさん起こります。もし、善意の神さまがいて、皆のことを考えながら運命を操っているのなら、そんな辛く悲しいことが起こるはずがありません。ところが、ニュースは悲惨な事件ばかり報じ、自分の回りにも、自分自身にも、辛いことはいっぱい起こります。
これで神さまがいないことが証明できるではないか、と思っていました。

今は、単純に、自分は神さまほど頭が良くない事実を受け入れています。
生きていればいろいろ辛いことは起こります。僕も辛いことは嫌だし、楽しいことが好きです。けれど、やはり辛いことは起きます。それがたとえ僕の目には何のメリットも何の意味も感じられない出来事であったとしても、僕を含む世界を司っている神さまの目から見れば、きちんと意味があるはずだと、今は信じられるようになりました。ただ、小さな僕にはその意味が分からないだけなのだと。

こうして僕の人生にも、なにがしかの意味が与えられました。無軌道に、無目的に進んでいた僕の人生にも、目的が与えられました。その目的というのは、あんまり自分でこだわって考えなくてもいいことが分かりました。ようやくアルコールが不要な生き方が始まったように感じています。

長いこと闘病生活を送っていた仲間が亡くなりました。彼は「生きる喜びを伝えなければならない」と言っていました。「新しい仲間が、私たちの生き方に何の喜びも楽しみも見つけられなければ、彼らは私たちのように生きることを望むはずがない」と本にあります。なるほど、経済的に恵まれること、健康に恵まれること、高潔な人物であること、人から見て分かりやすい指標はたくさんあります。
けれど、安楽こそ人生の目的、悲惨は無意味という価値観に立ってしまえば、それは僕の飲んでいた頃の生き方と何も変わりがありません。
成功を拒まれ、人からも評価されず、苦しいことばかり重なるときでも、やはり確実に生きる喜びは存在しています。その喜びを知るためにこそ、苦しさが存在しているのかもしれません。

もちろん辛さに涙がにじむことはありますが、誰のためにもならないことが、起こるはずがない、と信じています。

僕の生きる喜びってわかりにくいのが難点だよね。


2008年03月25日(火) おのれはおのれ、人は人

アルコール含有の食べ物で酔ってしまったために、ソブラエティをリセットした人がいました。ご本人の話では「間違いで食べたのではなく、アルコールが入っているのが分かっていて、食べたいと思って食べた」ので、スリップ(再飲酒)としたのだそうです。ちょっとストイック過ぎると考える人もいるでしょうが、本人が納得しているのなら、それはそれだと思います。
一方、出された缶ビールを一本飲んじゃったものの「間違いだったから」とスリップ扱いにしなかった人も知っています。その後無事に飲まない生活が続いてるのですから、とやかく言うことではないように思います。

粕漬けを食べる人もいれば、食べない人もいます。栄養ドリンクを飲む人もいれば、絶対ダメだという人もいます。魚の照り焼きには調理酒を使う人、みりんを使う人、ともかくアルコールは使わない人。おでんの汁にお酒を使う人、使わない人。
そういうことは「人それぞれ」としか言いようがありません。

問題はアルコールに限りません。
毎晩必要以上の薬を飲んで「気持ちよく」なっていても、酒さえ飲んでいなければソブラエティと呼べるのかどうか。ある人々に言わせれば、AAはアルコールの問題だけを扱うのだから、薬の問題は対象外なのだそうです。一方、じゃあ毎晩覚醒剤を打っていても、酒さえ飲んでいなければソブラエティなのかよ、と疑問を投げかける人もいます。
僕としては、そこで「酔いを求めているのかどうか」「気持ちよくなろうとしているのかどうか」を一つの基準にしたいのですが、これも僕の意見に過ぎません。

結局のところ、自分の物質的ソブラエティ(アブスティネンス)の基準をどこに置くかは、その人が決めるしかないと思います。AAとして、これはいいけど、これはダメという統一見解など出しようがありません。

大切なことは、人の基準を自分に当てはめようとしないことです。栄養ドリンクを飲んでも何も起こらない人もいれば、50mlのドリンク一本で飲酒欲求(渇望)のトリガーがかかってしまう人もいるのです。人の基準を自分に当てはめた結果、自分の守るべき一線が破れて酔っぱらってしまったとしても、それは人が悪いのじゃなく、自分の責任です。

もう一つ大切なことは、自分の基準をみんなに認めてもらおうとしないことです。人それぞれであるからには、中にはあなたの基準を批判する人も出てくるでしょう。その時に無理に相手を納得させようとしたり、逆に引け目に感じて押し黙ってしまうのは、結局自分が苦しくなってしまうことにしかなりません。

耳を傾ければさまざまな意見があることが分かります。時には自分の基準を修正することもあるでしょう。けれど「彼は彼なり、我は我なり」といういう基本を忘れないことです。

そもそも、僕らは毎日感情的にスリップを重ねていることもお忘れ無く。


2008年03月23日(日) 専門家の話

土曜日の教会は復活を祝う人たちで溢れていました。
最近は日系南米の人が増えて教会も賑やかですが、10年前はそれほどでもありませんでした。もちろん、AA会場のほうの人数も、今よりずっと少なかったのです。

10年前そこにいらした神父さまは、よく僕らのAAミーティングが始まる前に、会場に一緒に座って話をしてくれました。やっぱり信仰に関する話が多かったように思います。ミーティングが始まってもそのままに、僕らの話に最後まで付き合って下さったことが何度もありました。

してもらった話はほとんど覚えていません。けれど、その話が巡り巡って今の僕の栄養になっているということは、なぜか確信できます。

その頃別の会場は、クリニックの3階で開かれていました。そのクリニックの先生も毎回休日出勤?で僕らに付き合っていただきました。会場費はまともに払えた試しがなかったのですが、ミーティングが始まる前に、先生を囲んでそれぞれ持ち寄った昼お昼を食べるのが習慣で、先生のぶんのコンビニ弁当を買っていくのが、僕らの負担でした。

その昼食会(?)での話の中身は、実はあまり覚えていませんし、ミーティングの終わりに関係者の立場から話をいただいたのですが、その話もあまり覚えていません。
けれど、それもまた栄養になっているという確信があります。

それにしても「関係者」ってのは変な表現ですね。医療・保健・福祉などAAに関係ある分野の専門職の人の総称です。英語のAAではプロフェッショナル(専門家)という表現を使っていて、最初は日本でも「専門家」という言葉を使っていたのですが、ある人々から「われわれは専門家などではないよ」という意見が寄せられ(謙虚?自信喪失?)、以後関係者という表現を使うことになったのだそうです。


2008年03月22日(土) 安心して生きる

午後は、仲間のステップ5を聞かせてもらいました。
この棚卸しを聞くという経験も、ようやく指折り数えられるぐらいの回数になってきました。それで多少慣れてくるということもなく、相変わらずぐったりと疲れます。おそらく、話す方はもっと疲れたことでしょう。疲れるのは真剣にやっているからだと思います。

ただ真剣であっても、どうしても途中で眠くなるのは避けられないような気がします。それは疲れるからという理由ではなく、同じパターンの繰り返しに催眠効果があるのではないかと思っています。
自分の生き方を振り返ってみてもそうなのですが、年齢が変わり、場所が変わり、相手が変わっても、ひたすら同じパターンを繰り返して生きてきたことに気づきます。環境が変わっても酷い酒の飲み方が変わらなかったように、自分の本質も変わらなかったのです。
だから棚卸表も同じことの繰り返しが反映されます。現象面ではさまざまなバリエーションを見せていても、距離を取ってみれば一様にその人の「色」に染め上げられていることがわかります。だからこそ、自分以外の一人に聞いてもらう意味もあるのでしょう。
棚卸しに「興味深いドラマティックな展開」とか期待しても無駄だとわかりました。

その後、夜のミーティングに参加。ステップ12でした(今週2回目)。最後に5分時間をもらったので「安心して生きる」という主題で話をさせてもらいました。

さらにファミレスに移動してアフター。その途中で「顔を見かけたから」と家族のグループのメンバーが顔を出してくれました。最近AAのオープンにはいらっしゃらなくなったけれど、そちらのグループは続けていると聞いて安心しました。

帰りは失敗を経験した仲間と同乗してきました。時間が長かったので、いろいろ余計なことを言い過ぎたかと今頃心配になってきました。どうしても伝えておきたいことは、「失敗をやらかしたからといって、それで僕の中の君の評価は全然下がっちゃいねーよ」ということです。

帰宅後に、超夜更かし中の次女に一緒に遊ぶことを40分強要されました。疲れすぎて変な時間に起きてしまいました。


2008年03月21日(金) 一点に帰着

アダルト・チャイルド(AC)という概念では、子供の頃の親子関係が問題になります。人は生きるのが辛い人生を与えられても、そう簡単に諦めて死を選ぶわけにはいきません。だから何とか生きていこうと適応した結果、ちょっと他の人と違う大人になったということです。
ACは病気という概念ではありませんが、パーソナリティ障害(人格障害)は診断基準のある疾病です。こちらも、子供の頃の親子関係に端を発し、適応の結果、人と違う行動様式を身につけた結果だとされます。

ビッグブック後半の個人の物語は、子供の頃の親子関係の話ではなく、「自分の言葉、自分の見方で、いかに神との関係を打ち立てたかを述べ」、「それぞれの語り手が、自分より偉大な力にどう取り組み、どう理解していったかをさまざまに書いて」ということが主題です。第四版の個人の物語はまだ読んでないのですが、それ以前のストーリィには親子関係に関する言及が多かった(ように思います)。
ちなみに、第一版と第二版の物語は、こちらで読むことができます。
http://silkworth.net/bbstories/stories.html"
http://silkworth.net/bbstories/2nd/stories.html

いま自分がやっているステップのやり方では、ステップ4の表を書くときに、まず父親との関係、次に母親というふうに、原家族(生まれ育った家族)から始めるという指示があります。12ステップが対象としている「性格上の欠点」も、やはり子供の頃の親子関係を抜きには語れないのでしょう。

うつ病の本を読んでも、「うつの根は子ども時代に植え付けられる」と書いてあったりします。

こうして、僕の関心をひきつける事柄が、すべて「子供時代の親子関係」に帰着していくことに感慨を覚えたのですが、よく考えてみれば、それらはすべて「人の心」という一つの対象を扱っているのですから、一つの焦点に集まって当然なんでしょうね。

不遇な子供時代を送った人には、奇妙に人を惹きつける魅力があります。平凡な人たちに囲まれていると、僕はすぐ退屈してしまいます。それは僕自身に問題があることの徴候に過ぎないのですが。


2008年03月20日(木) 人生の選択

家庭生活を少々犠牲にしても、仕事に生きる選択をする人がいます。
逆に会社の歯車になんかなってたまるかと、家族と過ごす時間を最優先という人もいます。
海外の山へ登ることをライフワークにしている人は、仕事も長続きしないし、家族も長いことほったらかしで、それで何か世間に認められる偉業を成し遂げることもないけれど、それがその人の人生の選択なのだそうです。
私小説を書いた作家は、奥さんの気持ちとか考えたのかなとも思いますが、それを考えた上での人生の選択なのでしょう。
僕にしてみれば、残業続きの生活なんて自分を傷つけているだけにしか思えないのですが、犠牲を払うに足る価値があると感じる人もいるのです。仕事も家庭も大事にして、自分を犠牲にする人もいますが、犠牲に価値を感じる人でしょう。

どんな人生を生きるかは、その人の選択です。その選択を誰かに任せてしまうのは不幸の始まりです。

人の人生を決めたがる人には気をつけろと言われました。仕事に生きるのか、家族を大事にするのか。人に認められる生き方をするのか、さげすまれても自分の信じたことを貫くのか。その人にしか決められないことを、代わりに決めようとする人は危ない人です。世間にはそういう人がウヨウヨいるので避けようがありません。せいぜい、「はいはい」と受け流しておくしかないでしょう。

そもそも、そういう選択の押しつけをする人は、その人自身が自分で自分の人生を選択できていない、自分を喪失した人であることが多いようです。そんな人のアドバイスに従って自分の人生を決めて、いずれ後悔して文句を言ってみても、絶対謝ってもらえませんからね。

自分の人生の選択を、他の人がどう思うかと気にしてはいけません。平凡に生きるのか、アブナく生きるのか、選ぶのは自分の責任ですから。後で振り返って「あの選択で良かったのだ」と思えたならば、人から見てどうであろうと、自分にとっては最良の人生だったと言えるはずです。


2008年03月18日(火) ひいらぎに50の質問

Q1.あなたの名前は?
A.ひいらぎです。
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Q2.生年月日
A.1968年6月21日・・といつもアンケートには書いているけどウソです。
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Q3.身長/体重/座高
A.171/53/分かりません
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Q4.血液型/星座
A.AB/蟹
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Q5.職業
A.りーまんもどき
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Q6.使っている携帯は?
A.au W42SA/willcom WX320KR
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Q7.乗ってる車
A.レガシーランカスター6 2000年式
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Q8.趣味
A.ネットショッピングで店頭では買えない買い物をする
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Q9.どんな性格?
A.自分に自信がない神経症的性格
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Q10.芸能人に例えると?
A.のびたくん
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Q11.自分の長所は?
A.長所は短所
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Q12.自分の短所は?
A.短所は長所
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Q13.特技は何?
A.割り箸が片手で割れる
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Q14.くせは何?
A.トイレットペーパーを大量に使う
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Q15.どんなファッションですか?
A.基本はヲタク系、トレーナーとスキニーパンツ
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Q16.毎月/毎週買う雑誌は?
A.少年サンデーとビッグコミック・オリジナル
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Q17.最高睡眠時間は?
A.18時間くらい
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Q18.最近のマイフ゛ームは?
A.悩みたいだけ悩むこと
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Q19.休日の過ごし方は?
A.寝る
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Q20.朝起きたらまず何をする?
A.目覚ましを止める
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Q21.好きな言葉は?
A.流れに逆らって泳げばすぐに疲れ果てて沈んでしまう
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Q22.好きな音楽
A.考え事に音楽は邪魔かな
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Q23.好きな食べ物
A.焼きそば
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Q24.好きな本
A.日本語の本(楽だから)
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Q25.好きな芸能人
A.YOU/ゆうこりん
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Q26.好きなテレヒ゛番組は?
A.BSニュース
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Q27.好きな映画は?
A.28 DAYS
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Q28.宝ものは何?
A.もらったプレゼント全般
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Q29.お気に入りのファーストフート゛は?
A.立ち食いの天ぷらそば
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Q30.吉牛とマックどっちが好き?
A.松屋
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Q31.好きな異性のタイフ゜
A.傷ついている人
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Q32.嫌いな異性のタイフ゜
A.自立している人
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Q33.彼氏彼女はいるの?
A.彼氏はいません
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Q34.もし自分が異性だったら
A.女って気持ちよさそうだと思う
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Q35.幸せを感じる時
A.ぐっすり寝て起きたら午後だった時
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Q36.不幸だと思う時
A.出ると長くなる電話がかかってきた時
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Q37.UFOキャッチャーに最高いくら費やしたことがある?
A.1000円くらい
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Q38.もしお店を開けるとしたら何屋さんを開く?
A.風俗店
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Q39.ケ゛ームセンターで真っ先にするケ゛ームは?
A.もうUFOキャッチャーしかできません
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Q40.コンヒ゛ニでよく買うもの
A.ビタミンウォーター
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Q41.何度ぐらいまでお湯につかれる?
A.45度ぐらい。
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Q42.今までしてきた中で一番良いことは?
A.真実は人を傷つけることがあるが、やはり真実が一番です。
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Q43.今までしてきた中で一番悪いことは?
A.本当の解決にならないかりそめの解決を与えること。
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Q44.尊敬する人は?
A.こんな僕の相手をしてくれる人
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Q45.1億円あったら?
A.すぐに半分になる
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Q46.あと3日の命だったら?
A.現実のしがらみをかなぐり捨て、好きに生きられる最高の瞬間かもね。
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Q47.自分の値段はいくらぐらい?
A.ホテル代別で2万かな。
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Q48.人生の目標
A.死ぬまで生きる。
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Q49.誰にも言えない秘密をどうぞ
A.私・・・男なんです。
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Q50.最後にヒトコト!
A.これからも「心の家路」を応援してください。


2008年03月17日(月) ありのまま

人は皆ありのままで愛される権利がある、ということであります。
少なくとも子供にはその権利が与えられてしかるべきです。だが、そのような子供時代を過ごす人ばかりではないのも現実です。

今夜のミーティングはステップ12でした。「(私たちは常に)神の役を演じ、周りの人びとを支配しようとするか、あるいはその人たちに依存しすぎるかのどちらかだった」 支配と依存は一枚のコインの裏と表です。

ありのままのその人を愛するということは、条件を付けずに愛するということです。「もし〜だったら愛してあげる」というのは、愛と言うより我欲の押しつけであって、支配あるいは依存の構図です。

あなたが回復すれば愛せる、しかも特定の方法論で回復すれば・・という縛りをつけることは、たとえ相手のために良かれという善意から発していたとしても、我欲に過ぎないということであろう、と我が身の行動を振り返って思うのです。

とは言え、僕も生身の一人の男に過ぎません。人をありのままに愛することは、人にはできないことなのかもしれません。神さまは「何でもできる」という設定なので、誰をもありのままに愛せることは確実なんですが、人間にはなかなかねぇ。っと、言い訳してどうする。

これからもたびたび同じ過ちをするのでしょうが、その度に気づいていくしかないのでしょう。


2008年03月13日(木) ボロボロの一冊

「ビッグブックのやり方」でステップをやっている人には、一冊のビッグブックを愛用している人が多いように思います。いつも持ち歩いていれば、必然的にその一冊はぼろぼろになります。
そういう人のビッグブックには、スポンサーから「ここは大事だ」と言われたところが蛍光ペンでマーキングしてあったり、仲間と分かち合った部分にはボールペンで書き込みがあったり、すぐページが開けるように付箋が貼り付けてあったり・・・。ボロボロになっても、新しいのと取り替えるわけにはいかない事情というのがあるのでしょう。

僕もビッグブックを回復の指標として使い始めた頃の最初の一冊は、ちょっとだけボロボロになりました。それは文庫版でしたが、今のより一つ版の古い、ページ番号が32ページずれているやつでした。僕には「ビッグブックのやり方」を伝えてくれるスポンサーはいなかったのですが、別の事情もあって蛍光ペンのマーキングは山ほどしてありました。少ないながらも書き込みもありました。

持ち歩いて読んでいたので、小口が手あかで汚れて、角が丸くなっていました。ハンドブックを使っているミーティングでも、わざわざ文庫版を取り出して読んでいました。

あるミーティング会場でのビッグブックミーティングに参加したとき、そのグループで使っている本に混ぜてしまい、忘れて帰ってしまいました。帰宅して「手元にない」と気がついたときは、単純に「次にそこに行ったときに返してもらえばいいや」と思っただけでした。

次にその会場に行ってみると、たしかにちょっとボロい僕のビッグブックはそこにありました。が・・、ある一人のメンバーが「この古びたのは私のものにする」と決めたのか、すでに自分用として愛用されている様子でした。僕は「返してくれ」とは言いづらく、新しいのを一冊買うことにしました。

あれから何冊のビッグブックを買ったのか数えていません。人に差し上げたのが多いですね。今は3冊を使い回しています。そのうち一冊には一部に蛍光ペンでマーキングもしてありますが、結構面倒な作業なので他の二冊は「まっさら」のままです。

別にまっさらでも恥ずかしいとは思いませんが、ボロボロになった一冊を携行している人を見ると、なんとなくうらやましく感じることもあります。

人にあげたものの中には、もう捨てられてしまったものもあるでしょう。本を渡すだけではダメで、一緒に中身も渡さなけりゃダメなんだ、と最近つくづく思います。


2008年03月12日(水) チューリング

メールを受信拒否にしておいて、「返事がこない」と怒られて焦ってみたり。

さて、僕はプログラマー(あるいはSE)という職業をしていて、この二十数年だいたいいつも仕事にありついてきました。仕事を見つけるのに苦労している人からは「手に職があっていいねぇ」とうらやましがられることもありますが、実は逆で「この仕事しかできない」のです。だから、働ければどんな仕事でもかまわないと言える人をうらやましく思ったりします。

世の中就職難だと言われる割には、理系大学の人気は長期低落傾向です。情報数理系の学科の偏差値も以前ほど高くはありません。高校生に夢を与えられる仕事ではなくなっているのかもしれません。まあ、大学で学ぶ知識と、仕事で使う知識が、かけ離れているのは、どの分野でも良くある話であります。

チューリング・マシンという概念を学んだことを思い出しました。外部からの情報に応じて、マシン内部の状態が変わり、外に出てくる情報が変わってくる・・・コンピューターの基礎概念です。
これだけ書いていると、人間と変わりませんね。外部からの情報(人から何を言われたか、何をされたか)によって、内部の状態(心の状態)が変わり、外に出てくる情報(自分が何を言うか、どんな行動をするか)も変わっていきます。

昔は、機械は単純であり、人間は複雑であると割り切ることができました。でも、昨今のコンピューターは複雑になってきて、人間と同じように扱いづらく、予測不能になりつつあります。チューリング・テストという考え方は、十分に進化した機械が計算した「思考」は、人間の思考と区別できなくなるだろうと予見しています。

アラン・チューリングは計算機科学の父と呼ばれていますが、40才の時に同性愛の罪で逮捕され、ホルモン治療を受けた結果、自殺で亡くなっています。1954年のことでありました。


2008年03月11日(火) 内在する原因

ミーティングには行かなかったのですが、原因不明の熱で入院した仲間のお見舞いに行き、1時間半も話し込んだので、結局ミーティングに行ったのと変わらない時間に帰宅することになりました。

さて、親の望むとおりの職業に就いていたら、今頃どうなっていたのだろう、とふと考えることがあります。おそらく地元の大学の教育学部へ行って、中学校の先生になっていたことでしょう。先生にならなくて良かったなと思います。自分の子供を学校に行かせるようになると、やっぱり学校の先生は、やりたくない人が無理してやる職業ではないと思います。
どんな職業を選んだにせよ、人生のどこかでアル中になっていたことは変えようがなかったと思っています。

僕も最初は、人生の分岐点のどこかで別の道を選んでいれば、酒におぼれる生活にはならなかったのじゃないか・・という「もし・・だったら」の自己憐憫にはまりまくっていた時代もありました。でも今では、環境の違いは僕の病気を進めたか遅らせたかの違いしかもたらさなかったと思っています。どの職業を選んでいても、僕は遅かれ早かれこの病気になったことでしょう。

多くの人が、依存症になった原因を最初は外に求めます。選んだ職業が悪いのであり、選んだ旦那(妻)が悪いのであり、はたまたそれに付随したジジババが悪いのであり、あそこで胃の手術をしたのが悪いのであり、仕事を失ったのが、借金をしたのが・・・。

でもそれは「単なるきっかけ」にすぎず、病気の原因は人に内在していると思います。その人の外の環境は、中の原因を引きずり出して明るみにさらしただけでしょう。

「とにかくミーテイングに行く、祈る、スポンサーと話す、そして仲間と一緒に笑う、これしかないです」とメールをいただきました。その通りだと思います。


2008年03月09日(日) 14年前

ちょうど14年前の今頃で、僕はまだ酒を飲んでいる頃のことです。
僕はその半年ほど前から地元で就職活動を始めたのですが、長野の田舎では車が運転できないと通勤にも支障がある・・ということで最初の何回かの面接は空振りばかりでした。そこで、まず車の免許を取ることにして、3ヶ月ほど教習所に通いました。
もちろん、僕の乗る教習車内部の空気は、前の晩に飲んだ僕の酒ですっかり酒臭くなるのが通例でした。今のご時世なら、教習所からたたき出されていたことでしょう。
教官に嫌われ、普通の人より時間はかかったものの、なんとか免許を取り、親に金を出してもらって中古車を買い、それでなんとか面接に合格して仕事にありつくことができました。
正社員として働くのは10年ぶりぐらいでした。

勤めだして数日後に、近所のパチンコ店で殺人事件が起きました。景品交換所の人が殺され、現金が強奪されるという事件でした。さっそく刑事が聞き込みに会社にもやってきました。僕は刑事の聞き込みを受けるのは初めてでした。刑事の姿は噂に聞いていたとおりでした。一応きちんとスーツを着ているのですが、疲労が服にも表情にも及んで「よれよれ」の印象を与えます。けれど、眼光は鋭いのでありました。

刑事はたびたびやってきました。数人しかいない社員をまとめて、あるいは個別に話を聞いていきましたが、むろん僕らがめぼしい情報を持っているわけがありません。僕などパチンコをしたことすらないので、景品交換所なんて本の知識でしかありませんでした。

結局犯人が判明しないままに、時間が過ぎ、事件は人々の記憶から消えていきました。昨日地元の新聞に「公訴時効まで1年」という記事がでて、それで14年前を思い出した次第です。


2008年03月08日(土) 乗り越えてねーよ

ここのところしばらく、僕は喪失の悲しみの中にありました。いや、別に肉親を亡くしたわけでも、仕事を失ったわけでもないので、心配は無用ですが、それでも人生にたびたびはない(あって欲しくない)ことでありました。

過去僕は喪失の乗り越えるためには、なるべく悲しみに振り回されない方が良いと思っていました。取り乱して深く悲しまない方が、乗り越えるのが楽になると思っていたのです。でもそれは深い抑うつを長引かせることにしからならないそうです。

僕も多少は進歩をしたいと思っていますので、今回は何も手につかない状態ならば、無理に動かずに布団の中で悶々と考えていました。机の前でぼうっとしながら心の中で人を責めてみたり、それを口に出してみたり、「もし・・じゃなければ」と自分をひたすら責めてみたり、泣き言をメールしてみたり、いきなり罪深さを告白してみたり、ごちゃごちゃしていたのです。

一方で、前から組まれていた予定は変更せずにこなしていましたし、人と会って話をしたり食事をしたりもしていました。そこは取り乱すことを自分に許せませんでした。けれど何を食べても味はしないし、相手の吸うタバコの煙さも感じない状態でした。

今はただひたすらに悲しい状態で、まだ光は差してきません。しばらくは暗い顔をして暗い話を続けているでしょう。いずれ雲の隙間から青空が見える日も来ると信じていますが、まだその時ではありません。何かを忘れることはできないし、忘れる必要もないと考えています。

悲しみの感情も含めて、僕に与えられたもので不要なものなどないと信じていきたいものです。ああ、それにつけても、自分の愚かさよ。


2008年03月06日(木) ステップ3

ステップ3:
「私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした」

ここに書くことは本の受け売りですが、僕の深く納得することでもあります。

ステップ3には「神」という言葉が出てきますから、そこに注意が向いてしまうことは仕方のないことかも知れません。けれど、理解しがたいのは「意志と生きかた」とはいったい何であるか、ということかもしれません。

ジョー・Mによれば、「意志」とは考え方であり、「生きかた」とは行動であるそうです。

例えば僕は、人間関係の悩みを抱えていたり、金銭の悩みを抱えていたりします。そうした悩みは、自分と自分の外(他者や環境)との関係性にあるのですが、そもそもその悩みの原因は「自分の行動」にあるわけです。
もし、自分に非がなかったとしても、他者や環境は自分の思い通りには変わってくれないので、自分(の行動)を変えるしかありません。

そこで僕は短絡的に、自分の行動さえ変われば良くなると結論づけます。たとえば、酒を飲むことが問題ならば、酒を飲む行動を変えて飲まなければ良いと考えます。ところが人間の行動を支配しているのは、その人の考え方です。行動だけ修正してみても、考え方が変わらなければ、いずれその人は元の行動に戻るだけです。僕は自分の行動だけを修正しようと努めていたので、結局いつまでも酒は止まらず、人間関係や金銭の悩みを抱えていたのでした。

考え方(意志)を変えれば、行動が変わる。行動が変われば、結果として他との関係が変わってくる。だから、まず修正すべきは考え方ということになります。

ここでもう一つ問題なのは、考え方は自力で修正できるか、ということです。世の中は良い道徳や理念であふれています。良い理念を説く人はたくさんいます。あなたが(僕が)そうした理念に従って、考え方と行動を修正できていたならば、今頃こんな文章を読んだり書いたりしていないはずです。自力で修正できなかったからこそ、今の場所にいるのです。

そこで私たちは自分を修正できる力を持った存在を必要とするのです。


2008年03月04日(火) 問題なのは

「問題は酒を止めてからの期間の長さよりも、次の一杯を飲むまでの期間の短さである」

眼精疲労で頭がガンガン痛かったのですが、思うところがあって普段行かないミーティングへ行きました。ビッグブックの箇所はステップ3のところでした。

僕は飲んでいた頃、「自分の意志で突っ走ろう」という人生でもなかったと思っていたし、ましてや自分が「神のように振る舞う役者さん」だとは思ってもいませんでした。「自分で何もかも取り仕切っていれば、申し分のない満足と幸福とがつかみ取れる」とも思っていないつもりでした。

どちらかと言えば、いつも周りの目を気にして、どう思われるか、どう評価されるかばかり気にしていました。「こんなことをしたらどう思われるか」という恐れが行動を規制していました。だから自分はエゴイストなどではなく、状況の哀れな犠牲者だと思っていました。

けれど、相手にどう思われるか気にし、自分の振る舞いによって評価を上向かせ、相手が自分に接する態度を変えよう・・というのは、自分の行動を変えることで相手の気持ちを支配しようとしていることです。僕は怒りや攻撃によって相手を変えようとするタイプではなかったものの、もっと受動的にであれ相手を(自分を取り巻く世界を)自分の思い通りに変えようとしていたのでした。

つまり僕も、「自分の意思で突っ走る取り仕切りたがり屋」で「神の役を演じる役者さん」だったのです。そして、そんなことはうまくいくはずがなく、酒におぼれる原因のひとつでもありました。

そんな苦しい生き方はやめたいと思っても、自分の力でやめられたなら、AAにたどり着くほど道に迷うことはなかったのです。道徳心や自己規制などというものは僕の役には立たず、自分が神さまを演じる代わりに、自分の主(あるじ)である存在が必要なのでした。

AAの仲間のバースディミーティングに、僕はプレゼントを持って行く場合もあれば、手ぶらの場合もあります。以前は「ある人にはプレゼントをして、別の人にはしなければ、いったいその人に何と思われるだろうか」なんて真剣に心配していました。だからしたくもないプレゼントをするために悩んだりしていたのです。まさに、bondage of self(自我の束縛)でした。(セルフ・ボンデージというと違う意味だな)。自分を苦しめているのは自分でした。

僕は酒をやめようと言うメンバーに対して平等な敬愛を持っている(つもり)ですが、その上で、僕も弱くて愚かな人ですから当然人間に対しても「好き嫌い」があって当たり前です。なんであの女性のバースディには花束を持って行くんですか、などと聞かれても、そんなの言葉で説明しなくても分かるだろうに、ということです。

なんか久しぶりにミーティングで言いたいことを腹蔵なくしゃべれた気がします。僕は話は下手なので、聞きやすい話ではなかったとは思いますけど。


2008年03月03日(月) ブラックアウトについて

鏡を見たら、目玉が黄色くもなく、血走ってもいないので驚きました・・てか、それが普通か。いつもは見える八ヶ岳が、昨日は黄砂で煙って見えませんでした。

さて、ブラックアウトについて。

ブラックアウトとは、アルコールが原因の記憶喪失のことです。飲んでいた時間のことが、部分的にあるいは全部思い出せないことです。もちろん、人は酒を飲み選れば意識が混濁しますし、酔いつぶれて寝てしまうこともあります。その間のことを憶えていないのは当然です。
けれど、比較的意識がはっきりしていたのに、まるで思い出せないことがあれば、それがブラックアウトです。

たとえば僕の経験で言えば、前の晩に1軒目で飲んだ後、2軒目、3軒目とはしごしたのですが、1軒目でのことは憶えているものの、2軒目以降のことは憶えていなかったりしました。けれど財布の中身は確実に減っていましたから、行ったは確実です。
朝から酔っぱらっていて、ああゴミを出し忘れたと気がつき、あわてて出しに行こうとしたら、実はもう出してあったとか。酔っている間にコンビニで買い物してきたみたいだけれど、まるで憶えていないとか。友人が電話をかけてきたことをまるで憶えていないとか。

アル中本人には「酒を飲む人が、飲んでいた時間のこと忘れるのは当然のことだ」という思いこみがありますから、これが健康な酒飲みと病気の酒飲みを分ける症状だとは知りません。むしろ周囲の人のほうが、その異常さに気がつきます。

もちろん依存症でない人でも、疲れた時に大酒を飲んでブラックアウトの症状を起こすことはまれにあることだそうです。けれど、アル中さんのような頻度では起こりません。特にたくさんの酒を飲んでいないのにブラックアウトが起こるのも、アル中さんにしか見られないことです。

薬物でもブラックアウトの話を聞きます。おもしろいことは、ギャンブル依存や買い物依存というプロセス依存の人からもブラックアウトの経験を聞いたことがあります。


2008年03月02日(日) やれやれ

家電店に寄ったついでにプリンターのインクを買おうと思ったのですが、古い機種用のものはもう売っていませんでした。メーカーとしてはまだ売っているのでしょうが、売り場には流動性の悪い商品はもう置いてくれないのでしょう。

先日田舎の田んぼの真ん中に建っているデパートに行き、そこにテナントとして入っている家電店の売り場を冷やかしていたのですが、MD DATAのメディアとか、データDAT(DDS2)のテープとかを売っていたのでびっくりしました。東芝がHD DVDからの撤退を発表しましたが、メディアはいつまで売り続けられるのでしょう。

前の会社に勤めていたときに、お客さんから「フロッピーディスクドライブが壊れたので交換部品が欲しい」と電話がかかってきて、耳を疑ったことがあります。工場のような信頼性の要求されるところで、フロッピーみたいなドライブもメディアも壊れやすい媒体を使うでしょうか?
しかし詳しく話を聞いて、5インチのフロッピーで、納入されたのが1980年代とわかり、なるほど当時なら他に選択肢がなかったと納得しました。僕と同年代かそれ以上の技術者の方ならば、8インチフロッピーという団扇みたいにデカい媒体をご存じでしょう。

機械は売られなくなっても、それを動かす消耗品はいつまでも求められるものです。

話は変わります。
アメリカの公民権運動(人種差別撤廃運動)について詳しくは知りませんが、キング牧師の名前は覚えています。特にキング牧師の演説 "I have a dream" (私には夢がある)は僕の好きな文章です。

だがある時彼の伝記を読み、彼が女性問題を抱えていたことを知り驚きました。彼は牧師ですから、妻があり子もあったのですが、全米を行き来して公民権運動を指揮している頃、投宿先に女性を同宿させていました。彼自身そのことに悩んでいたものの、意を決して女性と別れると、また別の女性ということになって解決しなかったようです。
彼が最後に暗殺されることでわかるように、彼の運動は常に社会との軋轢の中にあり、その大きなストレスの解放が女性であった、と伝記は彼に同情的でした。が、やはり人間としては罪であろうと思います。

僕はその時いろいろ考えたのですが、結局彼に対する尊敬の念は揺らがないという結論に達しました。彼は自分が弱い人間であることを認めていました。僕はそれまで、強い人間でなければ世の中は変えられないと思ってきました。けれど、何かを変えるのに強くなる必要は無いことを学んだのです。

どんな人間でも雪のように純白の潔癖にはなれません。僕は強くて正しいことにあこがれていました。そういう人(そう見える人)を尊敬し、愛しており、自分もそうなれれば尊敬と愛を集めるだろうと夢想していました。けれど決して自分がそうなれないことも感づいていましたから、同時に憎んでもいました。しかし、自分の弱さを自分が許せるようになるという変化が与えられたとき、人の弱さを許し、弱さを抱えた人を愛せるようにもなりました。

僕はかの牧師のように世の中を変えることはないでしょうが、弱くて汚い人間として生きていければそれでよいと思っています。

週末二日続けて、AAの仲間の棚卸しを聞きましたが、どちらも終わりませんでした。

けんちん汁vs豚汁問題と、一品香について教えて頂いて、ありがとうございます。
僕の中では「豚肉なし=けんちん汁」「豚肉あり=豚汁」という分類にしたいと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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