心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月31日(金) ハイオク(その2)

このようにハイオクガソリンは、高圧縮エンジン専用のガソリンです。ハイオクを使うことを前提として設計されたエンジンは、たいてい高出力エンジンであるのは確かです。けれど、ガソリンそのもののエネルギーが違うわけではありません。
だから、レギュラーガソリン用に設計された自動車に、ハイオクガソリンを使っても、性能が上がるわけではなく、単なるお金の無駄遣いに過ぎません。

では逆に、ハイオク指定の自動車に、レギュラーガソリンを入れたらどうなるでしょうか?
「マジでハイオク専用ね」というごく一部の車を除けば、故障せずに走るでしょう。でもそれは非常事態用です。ど田舎のガソリンスタンドだと、ハイオクは置いてないところもあります。そんな時でも、ガス欠の車を押して帰らなくても済むように、レギュラーでも走るように対策はされています。

この場合にはレギュラーガソリンでもノッキングしないように、点火時期を遅らせる(リタード)制御をします。もちろん、そんなことをすればエンジンの出力は落ちます。なのでレギュラーを入れるとがっくりとパワーが落ちる結果となります。「レギュラーよりハイオクのほうが高性能なガソリン」という誤解が生まれたのは、このせいでしょう。
出力が落ちた分だけ、燃費も下がります。それでもノッキングは起きるときは起きてしまいます。

最近のようにガソリン価格が高止まりすると、レギュラーとハイオクの価格差も大きくなってきます。1リットルあたり10円違うと、50Lで500円です。僕は月に最低4回は給油するので、月に二千円の差となります。
しかし、そこで節約のためにレギュラーガソリンを入れても、価格差以上に燃費が悪くなって、結局出費増になるのがオチです。エンジンを常に「非常事態」で使うのも、耐久性の面ではどうかと思います。

それにしてもガソリンは高い・・なんとか節約できないものか。

(さらに続きます)


2007年08月30日(木) ハイオク

熱いお風呂にはいると、最初はとても熱く感じられますが、しばらくするとあまり熱さが気にならなくなります。これは体が熱さに順応した・・・のではなく、冷えた体が周囲のお湯を冷やして、皮膚の上にぬるいお湯が薄い層を作っているのです。
この薄い層を境界層と呼びます。水には粘性があるため、境界層はなかなか破られませんが、お湯をかき混ぜると層が破れ、熱いお湯が皮膚に接するのでまた熱く感じられます。どこぞの温泉では、客が熱いお湯に我慢して入っているのに、わざわざお湯をかき混ぜるサービスをしてくれるのだとか・・。

パソコンの熱くなった部品の周囲にも、熱い空気の境界層ができて、冷却の妨げになります。イオン風によって境界層を破壊して冷やす という技術も発明されつつあるようです。

ガソリンエンジンの燃焼気は、温度が2000℃にもなります。この温度が伝わったら、金属でできているピストンやシリンダーはすぐに溶けてしまいます。ここでも金属表面に境界層ができ、それがせいぜい200℃ぐらいまでしか上がらないので、エンジンが守られています。

さて、ガソリンエンジンの性能を上げるには、圧縮比を上げるという手段があります。目一杯空気(と燃料)を圧縮してから爆発させれば、膨張するときのエネルギーは大きくなります。しかし、気化したガソリンには悪い癖があって、圧縮しすぎると、スパークプラグで点火しなくても自己着火で勝手に爆発を始めてしまいます。

スパークプラグで着火して燃焼室内を燃え広がっていく正常な燃焼と、その反対側で自己着火して広がってくる異常燃焼がぶつかると、衝撃波が発生します。この衝撃波が大変なエネルギーで・・・ってことはなくて、ただエンジンからガガガと音がするだけです。これがノッキング(ノックする)という現象です。

でも、そのぶつかり合う衝撃のおかげで、金属表面の境界層が破られ、2000℃の熱に触れたエンジンが溶け出してしまいます。お湯をかき混ぜられて、熱い熱いと言うはめになるのと同じです。

これを防ぐために、高出力(=高圧縮)のエンジンには、自己着火しにくい燃料を使います。着火しにくさをオクタン価と言い、高オクタン価=ハイオクのガソリンが売られています。ハイオクガソリンは、添加物でオクタン価を高めている分だけ、ふつうのガソリンより高価になっています。

(長くなったので続きます)。


2007年08月29日(水) グループビジネス

AAのホームグループでビジネスミーティングがあり、役割の輪番を回す相談をしました。半年やらせてもらった会計係を降り、これから半年水曜日の会場係をやらせてもらうことになりました。

この半年間に、会計係でのトラブルが二つありました。ひとつは、ミーティング会場で回覧した出納帳を、そのまま忘れてきてしまい、ずっと使ってきた出納帳と領収書貼り付けノートを行方不明にしてしまったことです。これは新しいものを用意して使うことになりました。
もう一つは、僕が他の会場に用があったり、週末のイベントに出かけて、二回連続でミーティングを休み、献金箱から現金を回収しなかった間に、中身を誰かに持って行かれたことです。たぶん三千円ぐらいは入っていたのではないかと思います。教会は夜は鍵がかかりますが、昼間は出入り自由ですから。
そのことについて、グループメンバーが「必要な人が必要だから持って行ったんだよ」と言ったのが印象に残りました。ここは教会だから、その倫理観に従おうかという気分になりました。

水曜日の会場係は、仕事の都合もあって毎回来れるとは限らないのですが、それを言い出すと何もできなくなるので、思い切って引き受けることにしました。きっとなんとかなるでしょう。でも、おそらく半年の任期は全うできないとは思います(来年のことを言うと鬼が・・・)。

何年かぶりにこのグループに戻ってきた自分が、どういうスタンスでグループとつきあっていくか、ずいぶん迷いました。今ではその迷いもなくなって、まるでずっとこのグループにいたかのような顔をして座っていますけどね。
でも、その間ずっとこのグループを維持してきてくれたのは、ここの仲間たちなのだという事実を常に忘れず、そのことに敬意を持って行きたいものです。

土曜であれ日曜であれ、週末のAA会場を維持するのには特有の苦労があります。AAイベントが行われるのは主に週末ですが、なかなか出席もかないません。家族(特に子供)相手のことにも制約を受けます。それで愚痴を聞いたこともありません。頭が下がります。

いろいろ一区切りついた、という気がしたビジネスミーティングでした。


2007年08月28日(火) ありのまま

親父の小言 に「人に馬鹿にされていよ」というのがあります。

バカにされまいと思うからこそ、本当の自分より良く見せようと背伸びをしてしまいます。背伸びをして歩けば疲れるし、転んで痛い目にあうこともあります。そして、もっとイタイことは、背伸びをしていることは周りの人にモロバレなのです。
バレていないと思っているのは本人だけです。うすうすバレていることに気がついても、もう背伸びはやめられない。自分に正直になれていないのです。

そりゃまあ、この世の中には競争がありますから、時には自分を大きく見せなければならないときもあるでしょう。でも毎日それを続けていたら疲れます。ウツにもなるでしょう。無理する力は、いざって時のためにとって置いたほうが役に立ちます。

本当の自分を見せればバカにされるのではないか、嫌われるのではないか、という恐れは誰にでもあるでしょう。でもそう言う自分だって、虚勢を張る人はバカに見えるし、知ったかぶりをする人は嫌いでしょう。人は自分を映す鏡ですから。

虚勢を張らなければつきあえない友人なら、そんな友人とは別れた方が良いのです。恋人でも、夫婦でもそれは同じです。そんなつきあいを何年続けてみても、安心できる関係にはならないでしょう。あなたが愛しているのは「大きく見せている自分」であって、「本当の自分では愛されない」という不安と緊張が続くからです。

それはAAの中でも同じで、バカにされまいと肩肘張っている人は辛そうです。先ゆく仲間を見れば、回復が足りないと言われようが、バカにされようが、俺は俺だもんねという「ありのままの自分」で生きている姿勢が見えてくるはずです。

バカになるのは、その時だけ辛いだけです。虚勢を張り続ければ一生辛いですよ。


2007年08月27日(月) 手遅れの提案

ヘイゼルデンの施設を退所した後、スリップ(再飲酒)して再び施設に戻ってきた人を調べたところ、80〜90%の人が(強く勧めたにもかかわらず)
 ・AAミーティングに参加していない
 ・短期間のみ参加しただけ
 ・せっかく参加していたのにやめてしまった
であったそうです。

ソブラエティにAA(や断酒会)が必須というわけではありません。世の中には、ミーティングなしでソブラエティを楽しんでいる人が確かにいます。自分もその人たちの一員であれば、ミーティングに通う手間も暇も金も要らないので楽です。

でも、自分がその一員であるかどうか、どうやったら確かめられるでしょう?
それは試してみるしかありません。

つまり、ミーティングに通うのをやめてみて、自分がスリップするかどうか試してみる方法です。ずっとスリップせずに過ごせたならば、自分にはミーティングは必要ないと証明できます。

一方で(そちらの確率の方が高そうですが)スリップしてしまった場合には、必要なものが不足していたことが証明されます。が、その証明はあまりにもコストが高い気がします。

でもその実験をやってみたいのなら止めません。試してみたくなっているときには、もう人の言うことに耳を貸す精神状態ではなくなっていますから、何を言っても無駄です。である以上、スリップを防止するためには、まだ聞く耳を持っているうちにチェックを入れてあげることが必要です。

聞く耳を持っている段階ならば、周りからの「提案」というのも、それほど気に障ることはないでしょう。「そうだよな」と部分的にでも納得するでしょう。すでに一線を越えている場合には、「うるせえな」と感じ、干渉を受けまいとかえってAAから遠ざかる結果になるかもしれません。
もうその時は一線を越えているのですから、去っていった人に対して「俺の一言があいつをAAから遠ざけてしまった」などと気に病む必要はありません。もうその時には手遅れだったのですからね。

あるいは「まだ準備が出来ていなかった」ということかもしれません。いずれにしろ、アルコールがその人を説得するでしょう。


2007年08月26日(日) 最近の出来事

妻がビリーズブートキャンプを買ってきました。
半年前に「これを買って試せばぁ」と言ったときには買わなかったのに・・・。深夜のテレビでNFLの試合を見ていたのですが、その頃流れていたブートキャンプのコマーシャルでは「効果がなかったら全額返金します」と言っていたのに、売れはじめた後はそういう宣伝文句を使わなくなったようです。
最初のストレッチをやっているところで、「もうだめ、ついていけない」そうであります。無駄遣いも甚だしい。

車検に25万円かかりました。予想より高かったので、土曜日はあっちの銀行、こっちの銀行と回って、少ない残高を空にして金を集めてきました。
ロッカーカバー・ガスケット交換、プラグ交換、フォグランプ・アセンブリ交換、ATF交換、デフオイル前後とも交換、ブレーキパット交換、ブレーキフルード交換、エンジンオイルとフィルター交換(これは無料)。
貧乏なのに、分不相応な車を意地になって維持している・・という気が自分でもします。

プリンターのインクを買いに行きました。毎月どれかのプリンターのインクを買っている気がします。ある人は、プリンターのインクが切れても、交換インクを買ったりしないそうです。かわりに9千円ぐらいで売っている新しいプリンターを買ってきてしまうのだとか。新品のプリンターにはインクが付いてますからね。そして、古いプリンターはオークションで売り払ってコストを回収するんだそうです。毎年最新のプリンターが使えれば快適でしょうね。

この週末は、ホームグループの仲間のバースディミーティングでした。
このサイトを見てくれた彼の奥さんから、メール(だったか掲示板だったか)で相談を受けたのは何年前だったのか。今の彼はAAであちこち出かけて楽しそうです。が、そのうち「もういい加減にしてよ」と本気で怒られるときも来るでしょう。それも信頼されることのひとつの現れです。

そしてそのミーティングで思ったのですが、僕のバースディミーティングに毎回出ている人はいません。毎度メンツが少しずつ違います。それだけ、僕があっちへふらふら、こっちへふらふらしてきたということでしょう。
来年の自分のバースディは、また違った会場でやりたいものです。


2007年08月25日(土) サイクルを回すエネルギー

昔の友人、同級生、過去の同僚などに会うことがあります。たいてい彼らは自分より順調な人生を歩いているように見えます。すると僕も「もし依存症という病気にならなっていなかったら、自分は今のようにはならなかった」という考えが浮かぶことがあり、もし・・だったらという別の人生を思い浮かべてしまいます。

想像上の人生を歩いている別の自分は、今の自分より明らかに幸せそうです。その自分と現実の自分を比べれば、マイナスにしか感じません。そして切なさや劣等感や焦りを感じてみたりします。

しかし、僕の心がある程度健康なときには、もう一つの比較対象に目を転じることが出来ます。アルコールが原因で、希望もなく精神病院に入院していた頃の自分です。そちらの自分と比べれば、今はプラスばかりです・・・年齢とか。
あのころ解決不能に思えた問題が、どれだけ多くは解決されたか、感謝することが出来ます。

感謝することは大切です。

ミーティングに行けば、ステップに取り組めば、ハイヤー・パワーを信じれば、「楽になるよ」と経験ある仲間は言います。でも、最初からそれを信じられる人はいません。信じられなくても、だまされたと思ってやってみるしかありません。
きっと最初のステップ2は「だまされたと思って」、つまり半信半疑が精一杯ではないかと思います。

行動のない信仰は死んだ信仰だ、とAAの言葉にあります。逆を言えば、行動することは生きた信仰です。

だまされたかも知れないと思いながら、半信半疑でやってみたら効果があった・・・そこで初めて本当の意味で「信じる」事が出来るのでしょう。まあ深夜の通販番組みたいですが、世の中の多くのことは効果が実感できてこそ信じることが出来るのでしょう。

しかし効果が出ていても、それを感じることが出来なければ、信じることも出来ません。過去の自分と現在を比較して、回復していることを実感できなければ、ミーティング、ステップ、ハイヤー・パワーの効果を信じることが出来ません。効果を蒸ししているのですから。それはステップ2が出来ないことを意味します。

行動する→効果が出る→信じる→さらに行動する・・というサイクルを続けるためには、目盛りのゼロ点をあのどん底の時に置いて、解決された問題に対して感謝するという行動が欠かせません。


2007年08月24日(金) 怪しい診察

スルーしようかと思ったのですが、一応書いておこうと思います。
それは横綱朝青龍のうつ診断の怪しげ度です。

事情を知らない人もいると思いますので、ざっくりと経過を説明しておきましょう。
朝青龍はモンゴル相撲の出身で、2003年に横綱に昇進しています。ちょうど貴乃花、武蔵丸が引退した頃で、その後は4年近く一人横綱を努めてきました。
大相撲は年間6場所ですが、この間の優勝回数が実に15回ですから、その強さは圧倒的です。その成績と、一人横綱の重責を果たしてきた実績には重みがあり、横綱に身勝手な行動があっても、相撲協会から大目に見られてきたのは確かです。
ただ横綱に対する批判の中には、単に外国人力士だから気に入らないという感情がこもったものも感じられました。強いからこそふてぶてしいというのも、格闘技選手としてはアリなのではないかと、僕なんかは思うのですが、それは置いておきましょう。

今年になって、もう一人のモンゴル出身横綱が誕生すると、相撲協会もくるりと態度を変えます。この夏の間、朝青龍は腰を痛めた診断書を出して、モンゴルへ帰国して静養しているはずでした・・・が、向こうで元気にサッカーをしていることがばれてしまいました。
急遽日本に呼び戻されて、協会に出頭した横綱が何を言われたのか分かりませんが、おそらくガツンと言われたのでしょう。それがショックだったのか、横綱は釈明の会見をすることもなく、自宅に引きこもりになってしまいました。

その状態を診察した精神科医は、道を歩きながら報道陣に「うつ病になる一歩手前の状態」で、すぐに帰国させて療養すべきだと話したので、これが大ニュースになりました。

この先生は横綱の友人だそうですから、横綱の身を案じての行動だったのかも知れません。ただこれが「これ以上ストレスを与えて、本物のうつ病になったら相撲協会のせいだからな」と聞こえなくもありませんでした。

だいたいちょっと1回診察しただけで、ろくに会話も出来ていないのに「うつ病になる一歩手前」だとか「今後の治療方針」だとかが判断できてしまうのも、なんだかすごく怪しい気配がします。僕の記憶が確かなら、この先生は包茎の治療をする男には精神科的治療が必要と言ってた人じゃなかったかな。

だいたいこれを聞いて、うつ病で苦しんだ経験のある人は「一緒にするなよ!」とツッコミを入れたい気分になったのじゃないでしょうか。立場を利用してわがままに振る舞っていた人間が、ガツンと言われたのがショックでふさぎ込んでしまった、そこをさらに責めらるとうつ病になる・・・うつ病がそんな病気だと世間に理解されたら、ウツで休んでいるサラリーマンの立場はどうなるというのか。

相撲協会が指定した精神科医は、いったん解離性障害という病名をつけた後で、命に別状はないので急性ストレス障害という病名に変更しました。会見した医者は「数十分の診察で正確な診断は出来ない」と言い、うつという言葉はニュースから消えました。

苦痛な出来事から4週間以内のを急性ストレス障害と呼び、それ以上続けばPTSDに名前が変わるそうです。精神科の病名は診察の推移とともに変わっていくものですが、あまりに未確定の状態で公表してしまう行為は疑問に感じます。
最初の精神科医が語るニュース映像を見たときに感じたことは、「この医者の言うことは、ひどくうさんくさい」ということでした。疾病利得を得に行っていると言いましょうか。

治療のために引退するのも仕方ないでしょうが、無事短期間で心的外傷が癒えて復帰するというのなら、それも良いことでしょう。横綱にあるまじき精神的弱さなどと責めるのは酷なことです。またふてぶてしく優勝するところを期待しています。


2007年08月23日(木) AAの源流

オックスフォード・グループ運動(Oxford Group Movemnt)というのがありました。(19世紀のオックスフォード運動とは別のものです)

アメリカ人の牧師でブックマンという人が、イギリスを旅したときに宗教的回心を経験し、その手法を伝えていくことを目的とした集まりでした。その手法というのが、罪の自己点検、告白、償い、信仰の証という手順でした。これがAAのステップの源流です。

ブックマンはこれを宗教運動と位置づけていたようで、この運動に「第一世紀キリスト者共同体」という名前を付けていました。オックスフォード・グループという名前は、彼が最初にイギリスのオックスフォード大学の学生相手に広めたことから、メディア側がつけた名前でした。

ビル・Wのスポンサーであるエビーや、ドクター・ボブもこのグループのメンバーでした。ただ、少なくともドクター・ボブの回復には、オックスフォード・グループだけでは不十分であり、ビルとの出会いが必要でした。
ビルはアル中相手に宗教を説くことに疲れていましたし、その後二人の周りに集まったアル中は大部分が無神論者だったこともあって、数年後にこの人たちはオックスフォード・グループを去り、AAという名前のグループをはじめます。その過程で宗教色は可能な限り薄められていきました。

その後オックスフォード・グループのほうは、道徳再武装(Moral Re-Armament)運動と名前を変えて全世界に広がっていきました。その性格は平和運動へと変化して、人種や宗教の壁を越えた道徳的集合を掲げるようになります。その後下火になり、現在ではまた名前を変えて活動しているようです。

このグループは「四つの絶対性」というものを信条にしていました。絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛の四つです。この四つの絶対性は、直接にはAAに受け継がれませんでした。かわりにAAでは、絶対性に相対する「四つの性格的欠点」という考え方を選びました。わがまま・不正直・恨み・恐れの四つです(P121)。


2007年08月22日(水) 淋しくなる

当然のことですが、僕がAAにやってきた時には、まわりのAAメンバーは全員僕より長いソーバーの人ばかりでした。周りの人はみなが「先ゆく仲間」だったわけです。

飲まない期間が長くなるにつれて、「後から来た人たち」が次第に増えていきました。一方で「先ゆく仲間」は、様々な理由でその数を減らしていきます。飲まないままで県外に移った人もいれば、飲んで県外でやり直している人もいます。もちろん、飲んでしまった人もいます。

やがて「先ゆく」と「後から」の比率が逆転し、地元のAA共同体の成長とともに、僕も相対的にソーバーの長い方へと移っていくことになりました。

AAでは長く飲まないからといって「偉くなる」ことはありません。基本的に、ソブラエティの長短というのは、いつAAにつながるチャンスを得たかの違いに過ぎません。回復の度合いも、年数の長さだけで計れるものではありません。たとえ経験は浅くても、熱心にステップに取り組んだ結果、僕よりはるかに回復しているメンバーだってたくさんいるでしょう。現にきらりと光るものを見せるメンバーはたくさんいます。

ではあるものの・・・。やっぱり10年の経験をするには10年を要し、20年の経験をするには20年を要します。これは変えられない事実です。「年数が長くても回復が足りない人はたくさんいる」という主張もあるかも知れません。でも、努力しても20年が2年にはなってくれないものです。

だからこそ、自分より「先ゆく仲間」の経験は貴重なものです。僕のスポンサーは、「ひいらぎも5年になれば分かる」「10年になれば分かる」という言葉を使いました。その時に何を意味していたかは分かりませんが、なるほどその地点に到達してみなければ見えないものがあることは納得しました。
だから、この先も15年、20年、30年と続けていけば、きっとその時にならなければ見えないものを、神様は明らかにしてくれるだろうと思っています。

でも、そこまで待ちきれないので経験を分けて欲しい時もあります。そういうときには「先ゆく仲間」しか頼るものがありません。だんだん離ればなれになって、会いに行くことすら思うように出来ないわけですが、心情的にはとても頼りにしているのであります。(その割には悪口ばかり言ってないかって?)

ソーバーが長くなるにつれて偉くなるのではなく、長くなるにつれて淋しくなるのです。


2007年08月21日(火) 日常の出来事

職場のトイレの水タンク内で、配管が破れたらしく、トイレ室内が水浸しになってしまいました。運悪く(?)その時トイレを使っていたのが僕だったので、雑巾で掃除をする羽目になりました。
配管は応急処置をしておいたのですが、しょせんその場しのぎに過ぎず、夕方にはまたトイレが水浸しになってしまいました。同僚が絶縁テープでもって補修してくれました。その同僚によれば、ホームセンターなどに行くと、タンク内部用のビニール管を売っているのだそうです。いつもながらに変なことを知っているので驚くのであります。
僕はと言えば、キッチンシンクの排水のところにあるゴミキャッチャーが、交換可能な部品で、やっぱりホームセンターで売っていることを、この年になるまで知らなかった人間です。

残業した後、まっすぐ家に帰らずに、職場近くの総合病院で開かれていたアルコール依存症のセミナー(?)に行ってみることにしました。前回のAAミーティングの時にチラシをもらっていたのです。
なにしろ2時間のセミナーに1時間半遅刻していったので、確かなことは分かりませんが・・おそらくそのセミナーは、依存症が専門でない一般病院の医療スタッフに、依存症者への対応方法(つまり初期介入の方法)を伝える主旨だったようです。

介入の手法として「この方法は2/3の成功率だった」と言われると、2/3というのはすごい数字だと思ってしまいます。が、そもそも介入の成功という概念が、治療の成功とは違っている事に気が付きました。断酒に到達するのが成功ではなく、アルコール依存症の専門治療に結びつけるところが目標なのでした。

考えてみると、依存症の治療にはまず「初期介入」というフェーズがあって、次に専門機関での「治療」のフェーズがあり、最後のところで自助グループでの「断酒維持」というフェーズに到達するのでしょう(こうきっちりとは分割できないでしょうけど)。

いつの間にやらAAは「酒をやめる気のある奴だけ相手をする」という姿勢になってしまった感じがします。僕は「よくまあ飲んでいるスポンシーの相手なんかしますね」と感心されることがあります。そんなときには「どんなふうに12番のステップをやるかは自由だ」と答えることにしています。結果として僕のスポンサーシップは失敗続きなのですが、それはそれでかまわないと思っています。

まだ酒をやめる気がなさそうな人の家族から相談を受けても、僕には良いアドバイスが出来ない悩みがあります。時間と金に少しでも余裕が出来たら、ASKのインタベーションのセミナーでも受けてみたいと思うのですが、「余裕が出来たら」と言っている人間はいつまで経っても実行に移せないのであります。


2007年08月20日(月) 向こう側にも人間

「すべての人に同時に役に立つことはできない」
という言葉があります。

僕の投稿を読んで納得してくれる人もいれば、不快に思う人もいることでしょう。
若いころにモデムを買って通信を始めたときから、それは変わりません。
モラルとかマナーの問題もありますが、根本は「向こう側にも人間がいる」という単純な事実だと思います。

不快な思いが嫌で、心地よい思いだけしていたい。
人は誰もそうかも知れませんが、あまりそれが強いと不幸になるんでしょう。
心地よさを約束してくれる酒にはまり、時に不快な思いをさせる人付き合いが嫌いになる。
そうやって孤独に飲んできたわけです。

自分のために例会や掲示板に来ているのに、人のやることばかり気になる・・・。
誰かのためにやっていることじゃなくて、自分のためなのを忘れないでください。

例会や掲示板に「心地よさ」ばかり求めるのは、酒の酔いを求めたのと同じ心理だと思います。誰も不快にさせたくないというのは、その気持ちの裏返しでしょう。人を不快にすると、自分が落ち着かなくて心地よくないわけです。

人の役に立つこともあれば、傷つけてしまうこともある。助けてもらえることもあれば、不快にさせられることもある。それが「向こう側にも人間がいる」ってことでしょう。


2007年08月19日(日) Fear - 恐れ

ミーティング用お勧めテーマ #7, Fear - 恐れ

「私たちの欠点を増大させていたものは、自己中心的な恐怖――すでに得たものを失うことへの、あるいは求めるものを得られないことへの恐れだった。私たちは要求が満たされないままに生きてきたため、絶えず不安と不満の状態にあった。これらの要求を鎮める方法を見つけるまで、平和が訪れるはずはなかった」 12のステップと12の伝統 p100-101

飲んでいた頃の自分に取って一番大事なもの。それは「すでに得た」手元にある酒を失うことであり、これから「求める」次の酒、明日の酒を得られないことでした。それは恐れそのものでした。

楽しみであったはずの酒が、いつの間にか生活必需品になり、さらに水や食料のように足りなければ苦しみを呼ぶものになっていました。にもかかわらず、酒は飲むとどんどん減ってしまうのです。体から酒が抜けても次の酒が補充できなければ、禁断症状が起こるので、いつもある程度酒に酔っていなければなりませんでした。酒を失うことと、次の酒が手に入らないことは、不安の対象でした。

酒をやめて、そうした不安からは解放されたつもりでいました。でも、決してそうではなかったようです。

例えばどこで働いていても、いつかはこの職場を辞める羽目になるんじゃないか、という不安がこびりついて離れません。貯金がなければ、金のない苦しみがありますが、わずかな額でも貯金が出来れば、今度はそれを失う事への恐れが生まれます。

働く動機にしても、働かなければ手元のお金がいつかはなくなり、食べるにも困ってしまうからです。つまり不安と恐れを出発点として働いているので、病気や怪我や、あるいは倒産や解雇によって職を失うことへの恐れはなくなりはしませんでした。

今は酒がやめられて幸せだと言っていても、その幸せなはずの自分が、過去の友人に会いに行けませんでした。痛々しい過去に触れないことで保たれている現在の幸せが、過去を持ち出すことで壊れてしまうのが怖かったのです。ミーティングで正直に話しているつもりでも、会うのが怖い人がいる現実が、自分の回復の度合いを示していました。

現に存在している不安や恐れを、忘れることでしか幸せが保てないのが飲まない生き方ならば、不安や恐れを酒で忘れていた頃の生き方とどう違うのでしょうか。

結局のところ、人生はなるようにしかならないのです。僕が恐れるようなトラブルが持ち上がったとしても、きっとすべてのことは「なんとかなる」、つまり解決の方法があるのです。そこで示された解決方法が、僕の大嫌いな方法だったり、賛成できなかったりすることもあるでしょう。でも、神様の巨視的な視野で見ればそれが最善の方法に違いありません。それを信じることが出来れば、不安や恐れは小さくなります。

自分の利益ばかり考えていると、どうしても視野は小さくなり「なんとかなる」という信頼が薄らいで、不安が増えてきます。


2007年08月17日(金) 盆休みに思う

実家に二泊三日里帰り(?)してきました。子供は一緒ですが、妻は行きたがらないず家に残っていました。

今回は犬も一緒に連れて行きました。
というのも、子供たちが夏休みの自由研究に「犬の観察」をすることになっていて、しかも夏休み前にそう書いて先生に提出してしまったので、今さら研究テーマは変えられないと言うのです。ええい仕方がない、犬も一緒だ、とばかりに車の荷室に積み込みました。三日間、里へ山へと散歩に連れ出したおかげで、犬も足が一回り太くなるぐらい力強くなった・・ような気がします。

中日にプールに行った以外は、特にどこかへ連れて行くことはしませんでした。ニンテンドーDSは持参禁止、もちろんおばあちゃんの家ではアニマックスもテレビ東京もBSも映りません。パパは新聞を読み、子供たちは外で遊ぶか本を読むか。まあ、パパはときどきノートブックを広げては、ああPHSの電波が届かないと嘆いていたりしましたけど。

夜更けに24時間やっているスーパーへと、夜食の買い出しに行きました。ええ、子供も一緒です。一晩目は自動車で、二番目は街灯のない真っ暗な道を手をつないで歩いていきました。薄雲が出て快晴ではなかったのですが、明るい星はよく見えて「あれが木星、あれが大三角」などと話しながら懐中電灯を消して歩きました。ほんの30秒ほどでしたが北東から南西へと流れる天の川が、しかも暗黒星雲で二またに分かれているところまでよく見えました。

おばあちゃんが特別な料理をしてくれるわけでもないのですが、子供たちは普段の倍ぐらい食べ、宿題もあらかた片づいて、最後には「もう一晩泊まっていきたい」と言い出しましたが、予定どおり帰ってきました。

盆休みと言うことで、他の親子連れの姿を見ることもたびたびありました。
それを見て思ったことは、「やはり子供は子供らしい服がよい」ということです。子供は憧れが強いもので、テレビに出てくる人と同じ服を着てみたいと思うのも自然なことでしょう。でも、テレビの女の人たちの着る服は(特に夏場は)過度に露出が多くて「せくしー」なものもあるわけです。
それを子供が着たからってセクシーになるわけではありませんが、streetwalkerのドレスと同じものを、小学生の女の子に着せていいものなのかどうか。せめてセックスアピールが自意識の中に明確に入ってくる思春期まで、我慢させたらどうなんだろう・・と、まあそんなことを考えました。


2007年08月15日(水) 酒の席に出ることについて

結局の所、私たちは酒があふれかえっている世の中を生きて行かなくちゃならないのであります。いつの間にか、コンビニやスーパーで酒を売るのが当たり前の世の中になっています。生きていれば、ビールのCMを見てしまったり、誰かが飲んでいるところに出くわしたり、はたまた酒の席へ招かれたりします。
大なり小なり酒の誘惑はあって、それに対処できないのは、十分病気から回復していないからです(AA用語で言えば、霊的な状態をきちんと維持できていないのです)。

だからと言って、目の前に冷えたビールのグラスを置いて、自分がどれほど意志が強いか試してみるのは無謀というものです。無事に切り抜けられたからといって、何の勲章になるわけでもありません。

では、依存症である僕らは、酒がテーブルに出てくる場所には一生近寄れないのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。

そこへいく「きちんとした理由」があるなら、パーティでも宴会でもバーでも行けば良いということです。きちんとした理由とは、生きていくうえで必要という意味だと僕は思っています。

そういうところで飲んじゃう人っていうのは、別にそんなとこ行かなくても生きていけるのに、わざわざそこへ行って飲んでいるわけです。飲めば命に関わるかも知れないのに。

「自分は回復が足りないから危険な場所には近寄らない」という方針は、自己の状態、世間の状態それぞれに、正しい認識ができているってことでしょう。これを「正気」と呼ぶのであります。

来月結婚式に呼ばれているとか、職場の忘年会に出ることになったとかで、近い未来に必ずやって来る酒席を、はたして飲まないで切り抜けられるか、不安を語る人がいます。そういう人に対するアドバイスは「そんな先のことよりも、今日一日飲まないことに集中しましょう」だと思います。


2007年08月14日(火) 終戦記念日に思う

例年(かな)8月のこの頃には、戦争について、あるいは戦争を生み出す経済についての文章を載せています。そういう意味ではちょっとばかり政治色を帯びます。

東西冷戦の結果、ひとつの国が二つに分断されていた(いる)ケースはいくつもあります。

有名なところでは、西ドイツ・東ドイツです。
国家分断後、共産国家となった東ドイツの計画経済はすっかり失敗し、貧しくなった国民は、国境を越えて西ドイツへと逃げ出していきました。そのせいで東ドイツの人口はどんどん減り、ますます経済が苦しくなったため、国民が脱出できないように国境を封鎖しました。有名なベルリンの壁も、国境封鎖のひとつです。

30年後、東ヨーロッパが民主化でざわざわしている頃、ハンガリー政府が民主勢力に押されて隣国オーストリアとの国境を開放します。ハンガリーと東ドイツって、ずいぶん離れている気もするんですが、東ドイツ→(チェコ・ポーランド)→ハンガリー→オーストリア→西ドイツという亡命回廊を通って、人々はぞろぞろと豊かな方へと逃げ出していきました。
時のホーネッカー政権にそれを止める力は既になく、翌年行われた自由選挙で民主勢力が圧勝、西ドイツへの併合が決まります。

南北イエメンの場合には、ソ連崩壊によって経済支援を失った南イエメンの経済が行き詰まり、これも豊かなほうである北イエメンに吸収されるかたちで決着していました。

南北ベトナムの場合には、戦争で決着がつきました。
あと残っているのは、二つの中国と、朝鮮半島です。

戦争で決着した例を除けば、豊かな方が貧しい方を併合しています。平和的手段で決着するとすれば、朝鮮半島の行方もだいたい見えていることになります。

ハンガリー・オーストリアが国境を東ドイツ国民に解放したように、北朝鮮→某国→韓国という亡命ルートが確立されれば、比較的短期間に事態は収拾するのではないでしょうか。もっとも、多くの東ドイツ国民が合法的に東側諸国(ハンガリー含む)に行けたのと違い、北朝鮮からは友好国である中国・ロシアに脱出するのもままならない状況ですから、まずそれが変わる必要があります。
隣接国が国境を開放して、難民の通過を許したとしても、それほど大きなコストは要らないはずですが、話はそう簡単には進みません。

ドイツの場合でも、ドイツが二つに分断されたままの方が都合がよい人々がいたのです。西ドイツは、疲弊した東ドイツ経済を吸収したがために、10年以上低迷しました。しかし、それを乗り越えた後の統一ドイツは、EUの中で大きな発言力を持つ国となりました。

ドイツより国家規模の小さい韓国が、統合による経済の停滞を脱するには10年では足りないでしょう。しかしそれを乗り越えた暁には、現在の北朝鮮や韓国と比較してずいぶん強力な国家が朝鮮半島に誕生することになります。そして、周囲の国々は、その国家の誕生を望んでいないということではないでしょうか。

歴史を通して、常に大陸側からは中国・ロシア、海洋側からは日本・アメリカによって、翻弄され続けてきたのがこの半島の悲劇だと言われています。あらためて「地政学」という言葉を思い出したりしています。日本も中国の東側になければ、ずいぶん歴史も違っていたでしょうね(当たり前か)。

15〜17日まで帰省してきます。一応ノートパソコンとPHSカードは持って行きますが、なにせPHSの基地局から1,200mも離れているので、更新もままならないかも知れません。アイ・ウィッシュ・ユー・ア・ハッピー・ウラバンナであります。


2007年08月12日(日) Dependence - 依存

ミーティング用お勧めテーマ #6, Dependence - 依存

「人によりかかりすぎると、遅かれ早かれその人は私たちを見捨てることになる。なぜならその人も人間であり、私たちの絶え間のない要求に応じきれなくなるからだ。こうして私たちの不安はつのり、うずくようになる。
私たちが他の人を常に自分の思いどおりにあやつろうとすれば、その人は反感を持ち、激しく抵抗するだろう。すると私たちはますます傷つき、迫害されたと感じ、報復を望むようになる」(12のステップと12の伝統 p72)

AAミーティングで、ある理知的な仲間が「飲んでいるアル中は赤ん坊のようなものだ」と表現していました。

赤ん坊は自分では動けず、お腹がすけばおっぱいを求めて泣き、おむつが濡れれば気持ち悪いと泣き、退屈したから遊んでくれと泣きます。人生の最初の時期にだけ許される特別待遇です。

人はアル中になると赤ん坊と同じことをします。酒がないから買ってこいと喚き、粗相をしたから拭いておけと言い、俺がこんなに飲むのはお前らのせいだと責めます。人生の最初の時期にだけ許されるはずの特別待遇を、大の大人が要求します。

同じ人がこんな事も言っていました。「人間だったら人間関係の悩みを抱えるのは当然のことだ。だが普通の人の人間関係の悩みが、限られた誰かとの間の悩みであるのに対し、アル中である僕らの悩みは、周りの人全員との間に多かれ少なかれ悩みがある」

それこそが、問題を抱えているのは周囲の皆ではなく、自分自身であることの証拠だと言いました。

飲んでいるときも飲んでいないときも、僕の他の人への評価は中間が無く、いつも両極端でした。例えば、あの人はいい人だ、信頼できる人だ、大きな人物だ。だからあの人についていきたい、などと人を尊敬崇拝することがありました。
その良い評価の原因は、その人が僕の意見に賛成してくれたり、僕に何か良いことをしてくれたせいです。つまり僕を大事にしてくれたのです。そのおかげで僕は安心と自信を手に入れる事ができたのです。僕はその人のことを好きになったと勘違いしていましたが、実はその人がくれる自信と安心を好きになったに過ぎません。

相手も人間ですから、僕とは意見の合わないときもあります。そして、僕より大事な人ができることだってあります。そんなとき僕は内心で相手を責めるものの、一応表面は寛容なふりをして相手を許すことができました。

でも僕の許容範囲は狭いので、それが何度か繰り返されただけで、あっという間に僕の評価はプラスからマイナスへと一転し、「あの人はいい人だと思っていたのに裏切られた。だまされた。信じた俺がバカだった」などと陰口を言い出すのです。

そして「世の中バカばっかり」だとか「人間なんて信用ならない」などと、一段高いところから見下ろす態度で自分を慰めるほかありませんでした。

何のことはない。いつも相手が僕の望んだものを与えてくれる特別待遇を望んでいただけでした。赤ん坊がすること、飲んでいるアル中がすることを、飲まなくなった後も別のかたちで続けていただけでした。べったり相手に依存すること、相手が望む反応をするように支配することは、一枚のカードの表と裏のようなものです。

相手が期待した反応をしたときに幸せになるという生き方。果たして、依存症になる前からそうだったから依存症になったのか。あるいは、依存症になった結果、赤ん坊のような生き方が染みこんで抜けなくなったのか。それは僕には分かりません。

僕に分かるのは、アルコールという物質にべったり依存する癖がつき、また人間にもべったり依存する癖がついた人間が、それらの依存を完全に断ち切るのは難しいということです。長年酒をやめ続けた人が、奥さんに先立たれたとたんに飲んだくれに逆戻りした話を聞いたりすると、物質依存さえ抑えれば良いとも言えないと感じます。

どうせ何かに依存しなければ生きていけないのなら、物質や対人依存などの不健康な依存ではなく、AAグループとかハイヤー・パワーなどへの健康的な依存へと切り替えていくしかないと思うのです。


2007年08月11日(土) Contempt prior to investigation - 調べもしない...

Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑すること

ミーティング用お勧めテーマ #5, Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑すること

<このプログラムの霊的な部分でつまずくことはまったくない。意欲と、正直さと、開かれた心こそが回復に必要な核心である。これらなしに回復はあり得ない。
 「あらゆる情報をはばむ障壁であり、あらゆる論争の反証となり、そして人間を永遠に無知にとどめておく力を持った原理がある。それは調べもしないで頭から軽蔑することである」〜ハーバート・スペンサー> 付録2「霊的体験」P299

湾岸戦争を覚えていますか?
1991年、経済的に困窮してクェートに侵攻したイラクに対し、アメリカを筆頭とする多国籍軍が反攻した戦争でした。そうした事実よりも、「テレビで中継された戦争」として人々の記憶に残されているように思います。

僕は酒を飲みながらその戦争をテレビを見ていました。巡洋艦から(わざわざ反対方向へと)発射され、空中で回頭する巡航ミサイル、そのミサイルに搭載されたカメラの映像。ヘリコプターや戦闘機の照準に橋や建物が合わされ、次の瞬間にそれが崩れ落ちる様子。そして夜のバグダッドの対空砲火。

僕にはその戦争が、ユダヤ・キリスト教国家と、イスラム教国家の間の宗教戦争にしか見えませんでした。宗教の名の下に殺し合っている彼らより、僕の方がまだ幸せだと思いました。そうやって自分を慰めるしかなかったのかも知れません。

前にも書きましたが、当時僕の住んでいた地方は、新興宗教の勧誘がとても盛んでした。その中には後にサリン事件を起こした団体もありました。神や仏について話を聞かされるのに辟易していた僕は、

「神仏に頼るのは、心の弱い人間のすることだ」

という信念を強めていきました。

が、その年の夏に僕は(酒が原因で)手首を切って自殺未遂をします。自分が当事者になるまでは、

「自殺未遂は、心の弱い人間のすることだ」

と思っていたので、図らずも「心の弱い人間」の仲間入りをしてしまった僕は、ひたすらそのことを隠して生きるしかありませんでした。
さらに4年後にAAにたどり着いて、「神」だとか「偉大な力」について話す人々に囲まれたときは、ちょっと前までマトモな生活をしていた(?)自分が、何でこんなところに通う羽目になったんだろう、と内心で嘆いていました。素直になるには、もうすこし酒で打ちのめされなければなりませんでした。

AAに数年通えば見えてくることがあります。しばらく酒が止まったのに、ぼろぼろと脱落していく人間の多さです。そしてある程度長い期間無事にやめている人たちは、多かれ少なかれ「自分より強い力」について語っているという事実です。
もちろん世の中には「神」に煩わされずに(?)飲まないで過ごせる人もずいぶんいるのでしょう。でも、自分がそっちの仲間に入れる自信はもうありませんでした。僕のソブラエティの年数はたいした長さではありませんでしたが、それでも失敗してもう一度やり直すにはもったいない長さでした。だから僕は安全策をとることにしたのです。

断酒の成功と失敗について、その理由を探るのに十分な数のサンプルデータが集まっていました。僕は飲まないで生きるために「自分の理解できる神」「自分専用の神」を探すことにしました。今でもそのころの判断に間違いはなかったと思っています。
僕は科学的な手法が好きだと言いながらも、十分な数のサンプルを集める前に、信仰は役に立たないと決めつけていたのでした。今でもそのことを考えると、恥ずかしさを感じます。

話は変わって、僕より後にAAにつながった女性が、「私は家にいるのが辛いから、AAミーティングに毎日通うのが楽しくて仕方がない」という発言をしていた時期がありました。僕はそれを聞いて「12のステップはAAの中だけでなく、家でも実践すべき事だから、いつまでもそんなことを言うのはいかがなものか」という批判をしてしまいました。
彼女の家にもいろいろと事情があることを、他の仲間から、また本人から聞かされたのは、僕が非難の言葉を何度も重ねた後でした。

「人を批判する前に、その人の靴を履いて長い距離を歩いてみろ」

という言葉が「どうやって飲まないでいるか」の中にあったと思います。
相手の立場に立ってものを考えてみろと、スポンサーから(うるせーよ)と思うぐらい言われていたにもかかわらず、こんな具合です。

自分に対して理知的という理想像を求めてしまうだけに、「知りもしないで批判してきた過去」を思い出すと、なかなかに恥ずかしいのであります。


2007年08月10日(金) Complacency - 自己満足

Suggested Topics For Discussion Meetings #4, Complacency - 自己満足

「どんなに多くの人が、「私は飲まないでいるだけで幸せです。これ以上何を望み、何をするんです? 今の私のままでいいんです」と大胆にも断言したことだろうか。自己満足はいつか幻滅によって中断させられ、必ず逆戻りさせられるという代価を払わなくてはならい。私たちには前進するか後退するかしかない。現状が維持できるのは今日だけで、明日には通用しない。私たちは変わらなければならない。現状で満足してはならないのだ」(ビルはこう思う 25)

AAミーティングに定期的に通い出したころ、AAの人たちがやっていることを見て「あんなことまでするなんて、大変だ」と思ったものでした。

例えば後に僕のAAスポンサーになってくれた人は、毎週二回、コーヒーバスケットを持ってきてその会場を開け、お湯を沸かし、来るか来ないかも分からない人たちを待ち、教会へ払うの会場費を全額負担し、ミーティングの司会をし、そして後かたづけをして帰って行くのでした。
それで何か金銭的報酬を得ているわけでもありません。聞けば隣県のミーティング会場まで足を伸ばしているみたいだし、日曜には精神病院を訪問してもいるらしい。それで何を得ているかといえば「酒を飲まない生活」だというのですから、苦労に見合った報酬だとはとても思えませんでした。

他のAAの人たちも、似たり寄ったりのようでした。感謝状ひとつもらうわけでもないのに、良くやるもんだ。おまけに、ステップだとか謙虚だとか、神(!)だとか。今の僕は酒を止めるのが苦しいから、ここに通ってきているけれど、楽になればおさらばするのは当然だと思っていました。

自分をいじめるのが好きな人たちとはつきあっていられない。と思っていました。

酒が止まらないのが自分の悩みであり、それが止まって、さらに「長期の離脱症状」ってのが抜けてくれたら、もう断酒だ何だという話とは無縁でいたい。その後の人生は、再飲酒という落とし穴にはまらないように、人よりちょっと注意深く生きて行けば大丈夫だと思っていました。

僕の場合は幸いなことに、結果は早く出てくれました。五ヶ月後に再飲酒、一年後に再入院となりました。

AAで自虐的に生きていると思っていた人たちの方が、僕よりも楽しそうでした。彼らより楽しく生きていると思っていた僕は、気がつけば鍵がかかる病院の中です。

僕にとってさらに幸いだったことは、断酒会へ行けとうるさい病院だったので「自分はAAだ」と言い出さざるを得なかったことです。おかげでそのままAAに戻れて、ある晩に勇気を振り絞って「スポンサーをお願いします」と頼めたことです。「あの人たち」の仲間に入る気持ちになれたことです。

当時に思いついて、今でも同じ考えでいることがあります。
大切なことは方向性なんだと。回復の方を向いているか、ずるずると悪い方へ向かっているかです。現状維持で十分などと思っていると、そのうち崖っぷちが近づいてきて落ちてしまいます。良くなろうと思い続けることが大切だと思いました。それは今も変わりません。

うまいこと人生の落とし穴を避けて生きていける自分だったら、そもそもアル中にはならなかったはずです。落とし穴に落ちるたびに酒を飲むことはなくなりましたが、もうすこし落ちる頻度を減らしたいと思います。


2007年08月09日(木) アル中の三大否認

アル中の三大否認とは?

・自分はアルコールをコントロールできている
  →だから断酒は必要ない。

→コントロールできていないことに気づく。断酒の努力が始まる。

・自分が酒をやめるのに手助けは要らない
  →だから病院に行かない。断酒会も行かない。

→自力ではやめられないことに気づく。助けを求める。

・自分はアルコール以外の問題はない
  →だから断酒だけすれば十分だ

→酒は表面に現れた症状にすぎないことに気づく。自分を変える努力が始まる。

それぞれ回復のステージであります。
次のステージに進むには「気づき」が必要です。
本人が気づくように、周囲はいろいろ準備をしてあげることはできます。
けれど「気づく」のは、本人にしかできません。
牛を水辺に連れて行くことはできますが、水を飲むかどうかは牛次第です。ただ、水がないと牛は水を飲めませんから、水を準備してあげることは必要でしょう。

ステップ4とか、ステップ8の表で、憎んでいる相手・恐れている相手・傷つけた相手として「自分」を書くことには、僕は否定的です。
というのも、ステップ4〜12全体が、自分を憎み、自分を恐れ、そして自分を傷つけてきた過去に対して、自分に埋め合わせをしていく作業だと思うからです。明示的に自分に埋め合わせをしようとすると、「俺の生きてきた人生、すごい辛くて苦しかった」という自己憐憫の罠にはまりがちです。だから表を書くときの「相手」の欄は、やはり他者や社会の仕組みなど、自分の外部にあるものに限定すべきだと思います。

どうしてもその欄に「自分」を書きたいときには、その言葉を「神」と置き換えてみるのも案です。自分を辛い運命に導いた神様を恨み、もっと悪くなるかと恐れ、そして信頼を裏切ったということですね。

生き方が自傷行為みたいな生き方をしてきたんだから、それの方向を変えるということが、自分に対する埋め合わせだと思いますよ。


2007年08月08日(水) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(3)

(続きです)

ジョー・マキューのメッセージが「AAの正しいやり方」だとは主張できません。AAの本来のメッセージは、ビッグブックや『12のステップと12の伝統』に書かれています。しかし、それを読んで具体的なステップの方法が思い浮かんだ人は少ないのではないでしょうか。
ジョー・マキューの本の内容は秩序だって明快であり、方法は具体的、実践的で、スポンサーにもスポンシーにもわかりやすく書かれています。ハウ・ツーが書かれた攻略本と言ってもいいでしょう。もしあなたが、これからAAのスポンサーをやろうとして迷いがあるなら、あるいはAAに長くいてもう一度ステップをやり直そうと思っているなら、はたまたAAにちょっと嫌気がさし始めているなら、これがまさにお勧めの一冊です。
また、アルコール以外の依存症の方にもぜひお勧めします。

この本は著者ジョー・マキューによる経験と力と希望の分かち合い、つまり個人の本で、いわゆるAAの本(評議会承認出版物)とは違います。AAから出版されているわけではありません。だからこそ日本での出版を行ってくれた「依存症からの回復研究会」に感謝を表したいと思います。翻訳はこなれていて読みやすく、年配の人にも若い人にも親しみやすいと思います。
現在は同会から自費出版の形でしか手に入りませんが、そのうちいろいろなところで入手可能になるでしょう。書籍としての完成度は、自費出版の域を超えています。

僕のようなぺーぺーの声ではなく、昔風のやり方を知る本当のオールド・タイマーの声に耳を傾けてほしいと願っています。

来年出版されるという『私たちが踏んだステップ(THE STEPS WE TOOK)』にも期待しています。

(この項お終い)

http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1
依存症からの回復研究会――回復の力学――

携帯電話からでも読めるようにと、雑記の方にも3回に分けて掲載しました。おかげで、雑記を3日分サボれましたよ。明日からは通常?に戻る予定。


2007年08月07日(火) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(2)

(続きです)

ひるがえって日本の状況を見てみると、二千数百人までは順調に増えたAAメンバー数も、その後の十数年は漸増あるいは停滞にとどまり、ようやく四千に届いたかどうかと言われるぐらいです。日本AAの創始者の一人、ピーター神父がステップすべてを経験し、伝えるべき明確なステップを持っていたことは間違いありません。それはビッグブック日本語版の個人の物語を読めばわかります。日本AAも始まりは確かにスピリチュアルなものだったに違いありません。
しかし、後年AAをのぞきに来たピーター神父の同僚が「AAからすっかり霊的なものが失われていて幻滅した」とつぶやいたと伝えられます。
AAの現在の停滞は、ステップを行うメンバーが減り、新しい人にステップを伝える能力が失われたからだと、僕は断言します(個人的意見ですからきっぱり言います)。ステップ12までどころか、ステップ4の棚卸しすら行わないメンバーが当たり前になりました。そして「仲間の交流」のフェローシップにばかり熱心な人が増えました。

AAメンバーが増えないのは、多くの飲んでいるアルコホーリクがAAを知らないからで、もっとAAを広報すれば良いという議論があります。それはその通りですが、もう一つの視点があります。多くの人がAAのドアを開けて入ってきますが、同じぐらい多くの人がいつの間にかミーティング場から消えてしまいます。また2〜3年はAAにとどまるものの、その後去ってしまうメンバーも少なくありません。それは現在の日本AAに「ひきつける魅力」がないからでしょう。

新しい人は、ただ飲んでいないだけの人には魅力を感じません。ステップを経験し、スピリチュアルに目覚め、生きる喜びを感じることが「ひきつける魅力」です。AAメンバーが伝えていくべき「このメッセージ」とは、スピリチュアルな目覚めと、そこへいたる手段であるステップのやり方です。この本の翻訳出版ばかりでなく、さまざまな「原点回帰」の試みが日本のAAでも盛んになってきたことを、大変頼もしく思っています。

(明日まで続きます)

ビッグブックのスポンサーシップ――依存症から回復する12ステップ・ガイド――
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1


2007年08月06日(月) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(1)

ビッグブックのスポンサーシップ
――依存症から回復する12ステップ・ガイド――
ジョー・マキュー著
翻訳・発行依存症からの回復研究会
B5版188P 1,500円
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1

僕もたかだか10年ちょっとのソブラエティをいただいただけで「オールド・タイマー」なんて呼ばれてしまうのですが、本来オールド・タイマーとは、昔風(オールド・タイム)のやり方を知っている人のことで、20年・30年の時間は必要でしょう。

ジョー・マキューは、もはや伝説とも言える「ジョー&チャーリーのビッグブック・スタディ」のセミナーを継続的に開いたひとりです。彼自身、30年以上もアルコール依存症の治療施設を運営してきたのにもかかわらず、彼は現在のAAの停滞・衰退は、治療施設の影響だと主張します。
治療施設の大半は、28日間の入所期間中にAAの12のステップに取り組むのを基本としています。入所中にどこまでステップを進めるか(ステップ4まで、5まで、8までなど)は、施設によって違いますが、ある程度ステップを実行した後になってから退所してAAに通い出したのです。その結果どうなったのか? 本来、新しい人にステップを伝える役割は、AAスポンサーやAAグループのものでした。それが治療施設によって代行された結果、AAはステップを伝える能力を失ってしまいました。AAスポンサーの役割は新しい人を治療施設に連れて行くことに変わってしまい、ステップを12まで行うメンバーは半数以下になりました。そしてアメリカ政府が治療施設に対する補助金を削減し、治療施設の数が減り始めると、今度はAAメンバー数の減少が始まったのです。以前はAAに来た人の半数が回復していたのに、その率は5%ほどにまで下がってしまいました。

ジョー・マキューは、治療施設を悪として扱う愚を避けます。問題は治療施設の存在ではなく、AAがステップを新しい人に伝える能力を失ってしまったことだと彼は主張します。そして彼は、彼の持っている経験、つまり彼がAAにつながった頃、AAが高い効果を上げていた頃に、彼がスポンサーから受け取ったやり方を現在の僕らに伝えようとしています。

彼はAAのフェローシップ(仲間の交流)が持っている力を否定しません。共感の人間関係は、人に力を与えてくれます。しかしそれはどんな集まりでも持っている力にすぎない、もう一つAA本来の力に気づきなさいと彼は訴えます。それはステップによって人間が変わる力です。

僕は、新しい人の頭がすっきりするまで1年待ってからステップを提案するとか、ステップを一巡するのに3年間を目安とする習慣には、「それは新しい人の苦しみを長引かせるだけでしかない」と思います。ステップには弾みがあり、ステップが次のステップへとドミノ倒しのように連鎖しく勢いがあります。ジョー・マキューは、その弾みを大事にするプログラムを「リカバリー・ダイナミクス・プログラム(RDP)」と名付けました。現在ではRDPを取り入れた治療施設は百を超えています。またAAではビッグブック学習のミーティングが開かれ、AAミーティングの前後にコーヒーショップでビッグブックを分かち合うスポンサーシップが日常のものとなっています。

もちろんその功績をすべてジョー・マキューに帰するのはフェアではありません。そこには無名のヒーローが多数介在したはずです。また、たとえばワリー・Pは、AAオフィスの書庫から1950年代に行われていた教室形式でのビッグブック学習とスポンサーシップを再発見し、『バック・トゥー・ベーシックス』(基本に返れ)という本を出版しました。批判は受けつつも、バック・トゥー・ベーシックスのミーティングは北米全体へ、さらに各国へと広がっています。

このように、AAが停滞しメンバー減少の危機が訪れたとき、AAを愛するメンバーたちはもう一度AAのスピリチュアルな魅力を取り戻そうと努力を始めました。それを「原点回帰」と呼ぶのも、「基本に返る」と呼ぶのも、あるいは「ビッグブック原理主義」と揶揄するのも自由ですが、全体的な潮流が、ビッグブックを道具として使い、スポンサーからスポンシーへとステップを伝えていくことへと回帰しているのは確かです。

(明日へ続きます)


2007年08月05日(日) Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの...

Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの信仰

Suggested Topics For Discussion Meetings #3, Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの信仰

「飲んでいた間、意志の力に支えられた私たちの知性こそが、自分の内的生活を正しくコントロールし、世間での成功を保証してくれると私たちは確信していた。それぞれに神の役を演じるこの勇ましい哲学は、聞こえはよいが、なお厳しいテストを受けなければならなかった。実際にどれだけそれが役立ったかというテストだ。鏡の中に映し出された姿こそが、充分な答であった」(12のステップと12の伝統 P52)

家にたくさん酒を置くからたくさん飲んでしまうのであって、必要な分しか買ってこなければ飲み過ぎることはないと考えたことがありました。
そこで僕は日本酒一升の紙パックや、焼酎の4合瓶を買ってくるのをやめ、ワンカップ大関を二本買って帰ることにしました。夕食の時に一本(一合)、夜寝る前に一本。合計二本であれば、なにもトラブルは起きないはずでした。しかし僕は当然のように(AAの用語で言う)「アルコールの渇望現象」につかまりました。もっとわかりやすい言葉で言うと「これっぽっちじゃ全然足りねー」ということです。

最初に気になるのは、夜11時で酒の自動販売機が閉まることです。当時の田舎には酒を24時間売るコンビニは滅多にありませんでした。11時を過ぎてしまえば、朝5時に酒の販売が再開するまで待たないとなりません。押すボタン全部に「売り切れ」の赤いランプがついた状態を、何度恨めしく見たことでしょう。
11時前にあわてて買いに行くのもしょっちゅうでしたが、11時に「欲望に負けなかった自分」を自分でほめているときもありました。その場合には、後になってもっと強い渇望現象につかまる運命でした。
不眠でまんじりともできず、朝5時には千円札を握りしめて自動販売機の前に立っているのがお定まりのパターンでした。それから酒を飲むのですから、その日に仕事に行ける方が不思議です。時には朝5時まで待ちきれず、隣町の酒を売るコンビニまで片道8キロを歩いていったこともあります。飲酒運転はしなかったのですが、ラッパ飲みしながら歩いて帰ってくれば、やはり仕事には行けません。
そういうわけで「二本しか買ってこない作戦」は、たいてい大失敗に終わりました。

それは笑ってしまうほど愚かな行いです。でも、僕が最初は「今夜は飲み過ぎないように」という善意から出発したことを忘れないでください。トラブルを起こしたい気持ちは皆無で、逆にトラブルを起こさないように気を使った結果として、翌朝の泥酔が待っていただけです。
じゅうぶんな善意(つまり道徳心)と、それなりの知性を使った結果がこれです。

あるAAミーティングで、こんな話が分かち合われました。

子供がお腹をすかしたので、インスタントラーメンを作ってあげた。具がないのは寂しいし、栄養のことも考えて、そのラーメンに卵を落とした。けれど子供はそれがよほど気に入らなかったらしく、食べてくれない。強情を張る子供に腹が立って、ラーメンは箸も付けずに流しに捨ててしまった。

もちろん僕らはにやにや、くすくすしながら、その話を聞きました。
間違いなくこの話も、善意から出発しています。栄養のことも考えるという知性も使っています。けれど、ラーメンは食べられずに流しに行ってしまいました。

もっと善意でいられるように、自分を道徳的に責めてみました。でも、結果は大して変わりませんでした。もっと知性を使えるよう、本を読んだり人の話に耳を傾けてみました。でも、結果は変わりませんでした。僕はいつも結果に腹を立てていました。

僕は、誰かにやり方を教えられて成功するよりも、自分のやり方で失敗する方を好む人間でした。でも、その失敗が自分の知性にも道徳にも反映されないので、同じ失敗を何度も繰り返すだけでした。わかりやすい例で言えば再飲酒です。

いまはもう少し実利的な人間になりました。結果が良いんだったら、教えられたやり方で不満はありません。教えてくれる相手は「ハイヤー・パワー」です。その偉大な力は、僕を悪い方へ導くわけがない。そう確信しています。
僕に必要なことは、きちんと導きが伝わってくるよう、ハイヤー・パワーとの間のパイプの目詰まりを掃除すること。それと、教えられたやり方を実行に移す素直さです。それがきちんとできていれば、ラーメンが流しに行くこともないはずです。でも、ラーメンは流しが好きなのです。


2007年08月03日(金) Attitude of gratitude - 感謝の心(態度)

Suggested Topics #2, Attitude of gratitude - 感謝の心

「過去の苦しみから学んだ教訓――いまいただいている恵みに導いてくれた教訓をじっくり思いめぐらすと、私は心から感謝しようという気持ちになる。アルコホリズムという苦しみ、つまりアルコホリズムに反抗して自らの高慢さをくじかれた痛みが、幾度となく私を神の恵みへと、そして新しい自由へと導いてくれたことを」(ビルはこう思う 266)

3回目の入院の後、僕は節制して酒を飲むという目標に挑みました。一升瓶に線を4本引き、二合ずつに分けました。一日二合、週に五日、土曜と日曜は休肝日と決めました。一週間で一升なら、誰にも文句は言われないという作戦でした。
夕食の時に一合飲み、寝る前に寝酒で一合飲み・・。もちろんそれで我慢できるはずがありません。すぐに「明日の分も飲んじゃえ」という前借りが始まり、一週間もつはずの一升瓶が二日で空になりました。それでも節制した結果だったのです。

半年後には、どう頑張っても僕には節酒はできないと認めざるを得ませんでした。

僕は怒り狂いながら、自分の部屋の壁を蹴っていました。

父親も酒を飲む。兄も酒を飲む。叔父も酒を飲む。学生時代の友達も、仕事の仲間も酒を飲む。世の中に酒を飲む人間はいっぱいいるじゃないか。
なのになぜ?
なぜ、この酒が大好きな(そう自分で思っていただけでしたが)僕が酒をやめなくちゃならないのか。

もし神様がいるんだったら、神様はいったい何を考えているんだ。みんなの中で僕が一番酒を必要としているのに、よりによってその僕から酒を取り上げようとするなんて、悪意があるとしか思えない。僕に敵意がある奴は去れ!

大学も途中でやめ、仕事もできなくなり、友達は去り、金も失い、精神病院に何度も入り、たっぷり苦しんでいるのに、まだまだ僕は自力で何とかしようともがいていました。

その二ヶ月後にふと決心して「依存症に詳しい」と評判の精神科医を訪ね、その紹介で初めてAAに行きました。まだまだ反抗心が強くて、立派なスリップも経験させてもらいました(おかげでスリップの経験が分かち合えます)。

ともかく、あの部屋で怒り狂っていた日から1年あまりの間に、僕はAAにつながり、スリップして最後の入院をし、スポンサーとソブラエティを得てAAミーティングを開きました。ついでに言えば結婚もして、最初の子供も生まれました。生まれて初めての定期預金も作りました。あまりに多くのことが起こったのです。

最初の頃は「もし〜だったら」の罠に良くはまりました。もしアル中にならなかったら。もし大学をやめなかったら。もし東京に残れていたら。もしこいつと結婚しなかったら。数え上げればきりがありません。

今はそれも少なくなりました。僕がアル中になったことも含めて、すべてが神の計画だったと思えます。もうすこし僕の反抗心が少なかったら、飲む苦しみもAAにつながった後の苦しみも少なかったのでしょうが、それすらも計画に含まれていたと思いますね。
ときどき反抗心がぶり返して、真夜中に冷蔵庫を蹴っていたりすることもありますが、翌日になればそれも笑い話です。貴重なものをたくさん失ったけれども、僕は恵まれた人間だと思います。

平原綾香が「意味のないことなど起こりはしない」と歌うのを聞くと、確かにその通りであると(今は)思います。


2007年08月02日(木) Acceptance 受け入れる

Suggested Topics #1, Acceptance 受け入れる

「もしあなたが、私たちのような深刻なアルコホーリクなら、もはや中途半端な解決方法はない。私たちは、自分の人生が自分の手に負えなくなった状況まで、人間の意志では決して戻れないところにまで踏み込んでしまっていた。残された道は二つしかなかった。耐えられない状況に目をつぶって行き着くところまで突き進むのか、それとも霊的な助けを受け入れるかだった。私たちは受け入れた」 P39

4回目の精神病院の入院の時には、僕は自分の将来の人生がおおむね予測できました。多くの人たちが、僕と同じ人生行路を歩いていました。つまり、依存症がひどくなって精神病院に入院し、もうここへは戻ってこないと自分に言い聞かせるのですが、遠からず病気がぶり返して病院に戻ってくるというサイクルを繰り返している人たちです。

先を歩いている人も、後から付いてくる人も、たくさんいました。なかには病院内で飲酒して保護室行きなんて人もいましたが、たいていの人は入院中はマトモな人のふりができているようでした。朝退院して、その日の夕方再入院してくる人がいる一方で、入院と入院の間隔が何年も、十何年もあく人もいました。でも、サイクルがどうであれ、世間で暮らし続けることができない人たち、という点ではまったく同じでした。

僕はもはや「もう同じ過ちは繰り返さない」と自分をだますこともできなくなっていました。どこかに、まだ自分の知らない素晴らしい解決方法がある、という盲目的な期待も失っていました。

僕にできるせめてもの抵抗は、ベッドに横たわってヘッドホンで音楽を聴き、古本屋で買ってきたマンガを読むことぐらいでした。つまり「耐えられない状況に目をつぶる」ことです。

この先も、退院したり入院したりを繰り返して生きていくしかないのか?

もう病院から退院できなくなってしまった人たちも、ずいぶんいました。
「退院できなくなる」という言葉を使ったら、誰かが混ぜ返しました。「人は皆、入院すれば必ず退院する。ただ、その時生きているか死んでいるかの違いがあるだけだ」と。

なにも、そんなに悪くなるまで意地を張らなくても良かったのですが、僕はAAの霊的ってやつが嫌いだったのです。神も、ハイヤー・パワーも、祈りも黙想も、ついでに言えば棚卸しも埋め合わせも、毎週毎週同じ時間にミーティングに行く生活も、嫌で仕方なかったのです。

精神病院の中でも人は死にます。満床で動かす先もなく、家族が迎えに来る翌日までベッドに寝かされた遺体。あるいは来るのが葬儀屋だけだったり。

自分がそうなるのは何とか避けたかったのです。助かる手段がありさえすれば良かったのです。その手段が霊的かどうかなんて全く問題ではありませんでした。

あの時の僕は本当に<助かりたかった>。ただ、当時はそんなことを口に出して言うほど素直じゃありませんでしたから、「お前らに俺を助けさせてやるぜ」というぐらいの態度でしたでしょうけど。

受け入れるのを意固地に拒んだ時間だけ、苦しみが長引いたわけで、それは他の誰のせいでもありません。


2007年08月01日(水) AAの仲間から贈られた言葉を、今でも大事に憶えて...

AAの仲間から贈られた言葉を、今でも大事に憶えています。

「アル中は、人のやることが気にくわない」

つまり、自分の思い通りにしたいのです。
家庭でも、自助グループでも、職場でも。

「こういうことをするヤツが気にくわない」
「俺のことを気にくわないと思っているヤツが気にくわない」
これの連鎖です。

それが「気に入らねえんだよ」という言葉と一緒に出てくればまだしも、人の道だとか、常識だとか、一見まっとうそうに見える理屈にすり替えられて出てくるわけです。が・・本心は、ただ気にくわないだけだろう、ってことが透けて見えることも、ままあります。

気に入らないのは、相手の問題ではなく、自分の問題です。

AAの12の伝統は、ルールではありませんが、グループを律していくために必要なAAの基本原理の一つだとされています。伝統によってグループが守られ、その中のメンバーが守られます。つまり、守るための道具です。

ところが、自分の問題が片づいていない=ステップをやっていない状態で、伝統を使うとかえって問題を抱えることになりがちです。本当は相手のやっていることが気に入らないだけなのに、「お前のやっていることは伝統違反だ」という正論へと巧妙にすり替えてしまいがちです。こうなると、伝統は相手を攻撃するための武器になってしまいます。
けれど、そのことにはなかなか気づけません。

AAの中に何年もいる人ならば、伝統を武器として振り回してしまった恥ずかしい経験が何度もあるはずです。最初から回復している人なんていないですからね。たぶんこれからもやるでしょう。

だから伝統について相手を諭す場合には、自分の動機をチェックしなければなりません。相手を攻撃する剣として使いたいのか、グループやメンバーを守る盾として使いたいのか。

そして自己欺瞞が起きていないか、誰かのチェックを受けることも必要でしょう。

自分をチェックするという習慣は、ステップを実行することによって身につけます。ステップ4・5・6・7・10・11あたりです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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