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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年11月30日(火) 初雪 朝起きたら雪になっていました。
(しまった、この前の週末にタイヤを替えておくんだった)
と思っても後の祭りです。
隣の盆地まで仕事に出かけるのはいいけれど、帰ってこれるのか不安でした。しかし、峠を越えてみると単に曇っていただけでした。インターネットのライブカメラで県内のあちこちを見て周ると、雪などうそのように晴れているところも多かったです。
長野県は山脈で分断されているので、峠の向こうの天気は行って見ないと分かりません。
そんなわけで、こんなリンク集 を作ってみました。
もっとも作ってみて気がついたのですが、いろいろとプラグインがないと見られないページが多いです。最近のWindowsはJavaが標準で組み込まれていないので、あちこち探してしまいました。(Microsoft VMは こちら でやっと見つかりました。Windows Updateもお忘れなく)。
Javaならともかく、ActiveXコントロールになると、IE以外のブラウザではお手上げです。
DCOMという技術はすばらしいものの、IEというブラウザは まったくいただけません 。しかし、IEでないと見られないページが世の中に存在するのも事実です。
ふと気になってこの雑記の過去ログをしらべていたら、もう3年3ヶ月も続けているのでした。生まれてからこのかた、いろんな日記帳に日記を書いてきましたが、続いてもせいぜい数ヶ月でした。季節を越えてこの雑記が続いているのも、ひとえに「読者」の皆様の存在があるからだと思われます。
これからも、いろいろとくだらないことを書き散らしていきたいと思います。
2004年11月28日(日) 当事者発表 地域の「心の健康を考える集い」というところで、うつ病の話をしました。
最初に話を聞いたときは、精神保健福祉士の集まりということだったので、精神科のケースワーカーの人を相手に話すのだろうと思っていたら、実は一般の人相手ということで、少しびびってしまいました。町の主催で広報も行き届いていたせいか、民生委員の人など200人近くが集まりました。
数週間前に話を引き受けたのはいいのですが、最近は仕事を終わって家に帰っても、余計なことをしている心の余裕がなく、原稿の準備もしていられませんでした。時間は20分ぐらいということなので、話の内容は「服薬について」と「日内変動」に絞って、時間があったらアルコールの話もすると決めておいただけでした。
ケースワーカーの方が送ってくれた確認のメールに返事をするのが遅れたり、その遅れたメールがまた不達だったりして、「精神的負担になっているようなら、キャンセルしてくだっさってもかまいませんよ」などと余計な心配をおかけしてしまいました。
話がうまいか下手かということは別にして、話をするのに慣れているかどうかといえば、慣れているほうです。AAのミーティングで毎週話をしていますし、オープンスピーカーズや集会で皆に対面して話をした経験もあります。
でも、本番の話をしているうちにどんどん緊張してきてしまいました。なぜかというと、聴衆の皆さんがじっとこちらを見つめて、まじめに話を聞いて下さるからです(反語的表現)。
つまり、日ごろのAAの集まりでは皆があまりまじめに聞いているように見えないのです。話をする人を見てないし、机に頬杖を突いていたり、つっぷしていたり。昼下がりのスピーカーズの雰囲気は、近頃の大学の講義なんぞより、よほどだらけた雰囲気です。
でも、AAのみんなが真面目っぽく見えないとしても、心の奥には情熱が燃えていると信じていますよ(いやほんと)。
2004年11月27日(土) 太った なんとなくウェストがきついので、久しぶりに体重計に乗ってみたら3キロほど太っていました。ジーンズがゴツゴツ感じられるというのは、ポケットの中身が増えたわけではなく、単に「ズボンの中身」が増えただけだったようです。
うつ病のおかげで、いつも腸の動きが鈍く、お腹を下していることが多い自分です。ずいぶん長いこと食べても太らない体質をやってきました。しかしそれも、終わりの時期が来たようです。まあ、ついに「中年太り」がやってきたというわけです。
こちらのウェブマスターは、毎日の体重を公開されていたりします。
そういえば昭和の御世の終わりごろ、毎晩7時のニュースに「今日の下血量は牛乳瓶にして何本分」などというのがありました。自分のお尻から下した血の量が、自らの意思とは関係なく全国民に公表されてしまうというのは、いったいどんな気分だろうかと思ったものです。やんごとなき身分というのは大変なものです。
それに比べれば、たった数キロの体重の上下を個人的に嘆いているなんて、まったくささやかなものであります。
2004年11月25日(木) 短信 ・新しいキーボードは順調です(だが、いま一歩慣れません)。
・ディジカメを買いました(でも撮るものがありません。求む被写体)。
・メガネを壊しました(また入浴中に壊れました)。
2004年11月23日(火) ジーンズ 久しぶりにジーンズを穿いてみました。何年振りでしょうか?
といってもソフトジーンズパンツで、ポケットの容量も大きめです。
僕は、右前のポケットには、車のキーとエンジンスターターのリモコン、それにアパートの鍵を入れています。左前のポケットには、携帯電話とハンカチーフ。右後ろにはカード類で分厚くなった財布を入れています。
普段穿いているワークパンツならば、これぐらいの小物は余裕で入ってしまい、気になりもしません(そりゃポケットは膨らむけどさ)。ところが、ジーンズのポケットの容量は小さいのです。そこへ無理に押し込んでいるから、内容物が腰の周りにゴツゴツあたって気持ち悪いです。
以前は、このゴツゴツをまったく気にせずに、一日を過ごしていたわけです。
そういえば、あのころは携帯電話なんてなかったです。左ポケットに入っていたのは、箱ごと潰れたセブンスターと100円ライター。そして、財布にはクレジットカードも診察券も入ってなかったし、電話や鉄道のカードだって1枚か2枚ですんでいたものでした。だから、財布だって薄くて柔らかかった。
そうすると身に着けているアイテムの容量が増えてしまったのが「ゴツゴツ」の原因のようです。
2004年11月22日(月) 本という流動資産 深夜(と言ってもいい時間帯)に、本を売りに行きました。
紙袋いっぱいに本を持っていって、二千円あまりになりました。その値段の半分は『いま、会いにゆきます』と『世界の中心で愛を叫ぶ』が占めているわけです。お店の人に「新しい本をありがとうございます」と言われてしまいました。いつも古い本ばかり持ち込んでいるせいでしょうか?
「分裂症が分かる本」という本を買って読んでみました(まだ途中です)。アメリカの本の翻訳であります。この本の著者は、戦後精神病床を約50万から約10万に減らしたアメリカの政策は完全な失敗だったと述べています。
2004年11月21日(日) 新幹線 東京でAAの集会に出まして、1分ほど退任の挨拶をしました。
集会は一応午後4時まで続く可能性があったので、帰りのバスは6時近くのを予約しておきました。ところが集会は2時過ぎには終わってしまいました。
新宿駅まで移動してもまだ3時前でした。駅前の大きなカメラ店でパソコンのキーボードを買いました。買ったキーボードが今月3つめであります。腕や肩が痛くなるのは自分のキータイピングのやり方が悪いと認めることができず、キーボードのせいにして買い換えているのです。
最初のがこれ。人間工学レイアウトが肩に良いはずだったのですが、なんと英語配列で、日本語配列との差に敗れ去りました。
次に買ったのが これ。深いキーストロークが指に優しいはずだったのですが、メカニカルスイッチのカチカチいう音がうるさいと同僚から苦情が来ました。
今回買ったのは、こいつです。指先を確実に受け止める広いキートップと軽いキータッチが吉の「はず」です。
3時間もバスを待つのは嫌なので、切符を払い戻してJRの特急で買えることにしました。みどりの窓口で自由席特急券を買おうとしたら、「線路にひびが入って特急は運休です。復旧の見通しは立ちません」と言われてしまいました。あらら。
高速バスの切符はいつもキャンセル待ち状態ですから、再度買えるわけもありません。
しかたなく東京駅まで行って、初めて東京駅から長野新幹線に乗りました。新幹線は揺れなくて快適でしたが、長野に着いてからローカル線の移動に疲れました。それに一万円近く余計な出費を強いられました(自業自得だけど)。
2004年11月20日(土) マッサージ あまりに腕と肩(それに頭)が痛くていけないので、マッサージに行くことにしました。
今までは駅前のホテルの一室でやっている按摩さんへ行っていたのですが、その按摩さんに「こういうものには相性があるので、あなたに私が一番とは限らない」と言われていたので、別のところを試してみることにしました。
試したのは市内にあるスーパー銭湯の一角でやっているお店です。
お風呂に入る前に時間を予約して、ゆっくりと湯船とサウナに入りまして、風呂から出た後にはソフトクリームなんぞをほおばりまして、汗の引いたところで揉んでもらいました。
一番凝っている筋を繰り返しもんでもらえるところが、今までの行っていた按摩さんと違うところです。それから、整体の要素も取り入れていて、揉むだけでなく伸ばすこともしてくれるのが新鮮でした。
一時間5,800円というのは、僕のたしなむ娯楽(?)の中ではもっとも時間単価の高い部類であります(本当だって)。
2004年11月19日(金) 初ビリヤード 同僚に「今夜予定はあるか?」と聞かれたので「ない」と答えたら、ダーツとビリヤードをやりに連れて行かれました。
ダーツは、エレクトロニック・ダーツです。会社でなんだかすごく流行っていて、本社の休憩室にはゲーム機も置かれています。ゴルフのコンペティションを会社でやるって話はよく聞きますが、ダーツのリーグ戦がある会社というのも珍しいかもしれません。
それから、生まれて初めてビリヤードをやりました。ルールはベーシックなナインボール。なにせキューを握るのも初めてなので、玉が変な方向へ行ったり、ジャンプしてみたり・・・。腕でキューを押し出すのではなく、腕の角度を直角に保ったまま、肩でキューを押し出すと、玉が大体望んだ方向へ進んで行ってくれるようになりました。
9ゲーム目で、7番・8番・9番のボールを続けてポケットして初勝利しました。
体力のゲームというよりは、頭脳のゲームで、結構面白いかも。
5時間遊んで1,500円というのは高いのか、安いのか。ともかく部屋が広くて、タバコの煙がこもらないところは助かりました。
それにしても同僚は夕食ぬきで深夜まで遊んで平気な顔をしていました。僕はハンガーノックで倒れるかと思いましたよ。
2004年11月18日(木) 日々事も無く 僕は、年末まで試用期間中(試験採用中)なのに、有給休暇を3日もらえた幸運者であります。だというのに、今月は上旬に一日休み、そしてここ二日続けて休んで有給を使い果たしてしまいました。おまけにさらに半日休んだし・・・。
さらりーまん生命が風前の灯であります。
ISO14001の取得だとかで、ゴミの捨て方までうるさく言われてかないません。機密保持のために、書類もデータも持ち出すな、自宅で仕事なんてもってのほか!と言われましたが、もう自宅のパソコンとVPNて繋いでしまいました。それに、せっかくゼロハリのカバン持ち歩いているのに、中身が弁当箱だけなんて情けないじゃないですか。
まだ、本格的な暖房器具を出してないせいで、寒くてかないません。知らぬ間に日々が過ぎていってしまいます。
2004年11月16日(火) 絶えず少しずつ明らかに どうしても左手(肩)が痛くて、休んでしまいました。激しい頭痛は肩のせいでしょうか、それとも緑内障のせいでしょうか。
整形外科に行こうかとも思ったのですが、どうせ腱鞘炎なら「腕を休めてください」と言われるだけですから、やめておきました。
布団で寝て、起きたら子供が天才テレビくんを見ていました。
やっぱりミーティングは通い続けないとダメなんだと思います。つくづくそう思い知らされることが起こります。2年、3年、5年、6年で見えなかったことが、ようやく見えてくることがあります。絶えず神は私たちに少しずつ明らかにしてくれる。そう、「少しずつ」であって、決して一度にたくさんではありません。
現在の自分のソブラエティをどれだけ「大事にするか」、それはまったくその人の自由であります。でも粗末にすると失われます。
「これは無くなっちゃうと困るな。今にも無くなりそうだな」というものは、実はなかなか無くなりません。例えば、お金とか、住む所とか、職業とか。
「これは失っても惜しくないけど、でも一生最後まで無くならないんだろうな」というものは、実はあっさりと無くなってしまうものなのでしょう。例えば家族とか、信頼とか。
飲まないで無事にやっているのは仮の姿で、一皮向けば重症のアル中であります。
2004年11月14日(日) 根拠のない自信と表裏一体 NEET に関する AERAの記事 のなかで、特に「とはいえ自信のなさは、実際には『自分はもっとできるはず』とか根拠のない自信と表裏一体です。できないことを認めて、開き直ることができない」という一文に、自分の姿を重ねて深く納得してしまいました。
自分の飲んでいたころは、ちょうど20代と重なり、仕事もロクにしていませんでしたし、教育も訓練も受けていませんでした。酒を片手にただ引きこもるだけの日々でした。酒の問題がなければ「自分はもっとできるはず」だと思っていました。それに「本当の自分」は仕事もきちんとこなし、社交的で、他の人よりちょっと多く尊敬と愛を受け取れる人間だと思っていました。
「本当の自分はこうじゃないんです」という感覚ばかりが強く、酒に足を引っ張られたことが悔しくてなりませんでした(でも酒はやめませんでしたが)。
AAにやってきて「自分に正直になる能力があれば回復できる」という言葉と出会いました。正直という能力にはたくさんの意味があるのでしょうが、僕が最初に感じ取ったことは「本当の自分は、今の自分しかいないのだ」ということです。
本当の自分はもっと「できる」はずだと思いたかったし、酒をやめることが「第一のこと」であろうはずがないとも思っていました。もっと金があれば、もっと世間の信用があれば、もっと都会に住んでいれば・・・。
でも、金もない、信用もない、酒をやめることすらおぼつかないのが現実の自分の姿でした。世の中にそういう自分が一人しかいない以上、その情けない自分で生きていくしかないのであります。本当の自分なんてものは、探さなくても、ずっとそこに居たのでした。
僕の高慢さが、本当の自分の姿を、自分として認めることを拒んでいただけの話なのです。
2004年11月13日(土) 売名企業 「ぶどうのつるのように」を収容している掲示板OTDが、いつの間にかライブドアに売り払われて、URLも変わっています。こうやって、なんだかんだ事業を買収していくのかライブドアのやり方なのでしょう。
プロ野球再編問題ですっかり名前を売ったライブドア。球団を持てないとわかったとたん、財務状況悪化が避けられる見通しを好感して、株価が上昇したという噂です。
一応IT技術者として、ライブドア(旧オン・ザ・エッヂ)・楽天・ソフトバンクともに、以前から名前は良く知っていました。そして、どれに対しても好感を持っていないという点でも、周りの技術者と変わりはありません。
その中で、少しでも応援してあげようと思うのがライブドアの堀井社長かな。読売のオーナー(当時)に「僕の知らない人はダメ」などと言われて門前払いをくらったあたりから、関心を寄せるというか、肩入れをしてしまいました。
とは言うものの、この人の欲しいものは、会社の知名度と世間の信用であって、プロ野球団は単なるその象徴にすぎないのでしょう。
「人生で一番大切なことは成功すること。尊敬も女も成功についてくる」と言ってはばからない堀江社長。ぜひ彼には、その信念を貫いてほしいものです。
10年経った後に「やっぱり愛は金では買えませんでした」などと泣き言を言って欲しくはないものであります。
2004年11月11日(木) ホワイト・ノイズ 朝に雨が降っていると、なぜこんなに眠いのだろうと不思議に思います。
雲が垂れ込めて薄暗いのが眠気を誘うのでしょうか?
それとも、ザァーという雨の降る音が、バッググラウンドノイズとなって胎内にいるような安心感を与えるのでしょうか?
ともかく、雨の朝はいつも以上に眠気と戦わないといけません。
高気密のコンクリート製の建物を建てて、その中で暮らしていると、人間は体調を崩してしまうのだそうです。そして、周囲の環境からの雑音がある程度入くる環境にすると、回復するのだとか。
家の近くに電車が通っています。ローカル線なのでそれほど本数は多くなくて、一時間に数本通る程度です。もう電車の音には慣れてしまって、うるさいと感じることもありません。ただ、慣れたところで騒音そのものがなくなるわけじゃありません。ふと、テレビの音が聞きづらいなとか、人の話し声が小さくなったなと感じたときに、意識して聞いてみると、ちょうど電車が通っているのです。人間の耳は不思議です。
ああ、雨の音を聞きながら、布団の中でうとうとしていたいものであります。
2004年11月10日(水) その後 ・5月末にミーティング会場でした火傷ですが、跡も残らず治っています。ただ、一番ひどい部分の皮膚が、まだちょっとざらざらしますが、いずれそれも消えるでしょう。
・7月中旬に前の会社でした小指の怪我は、傷跡が多少引きつれるものの、きれいに治っています。小指の爪が根元で割れてしまったのですが、爪が伸びたおかげで、だんだん爪もきれいになってきました。来年の2月ぐらいには、爪も元に戻るでしょう。
・「90の道具」ですが、なかなか続きを書けないでいます。おそらく、来年になって、一緒に入社した4人で事務所を構えられて、高速道路通勤から開放されれば、再開できると思います。
2004年11月09日(火) 南関東の冬 神奈川の本社へ。
相模湖まで中央道を使って、そこから相模川をつたってひたすら下っていくというルートを取りました。他にも、八王子から16号を経由したり、富士山の東側を抜けて御殿場から東名高速を使ったりとか試してみましたが、相模湖から山中を抜けるルートが一番速いようです。
本社は米軍の座間キャンプと厚木飛行場の間にあります。
ときどき、ジェット機の音が「ぎゅぎゅぎゅーん」として、会話ができない状態になります。これが日常の姿だというのですから、基地のある町は大変です。
南関東の冬は好きです。澄み渡った空。暖かくはないけど、肌を刺すほど冷たくはない風。雪が降らなくて乾燥した空気。
どこでも好きなところに住んでいいよと言われたら、たぶん南関東の16号線沿線に住むだろうと思います。東京の人にも、信州の人にも、「どこがいいんだか分からない」と言われますけどね。
帰宅すると夜10時。疲れました。
2004年11月08日(月) 心 定刻までに会社に着いたのはいいのですが、めまいと吐き気があって、とても仕事にはなりません。それでも朝から昼へ、昼から夕へと、次第に良くなってきます。うつの日周変動とは不思議なものであります。
はっきり言って、家で布団を引いて寝ていたいです。でも、さらりーまんである以上、昼間は机にへばりついていないといけません。さらりーまんは気楽な稼業ときたもんだ、と書いて、後に都知事にもなった人が、ラジオの対談で「実際には気楽でもなんでもないわけです」といっているのを聞くまで、これがアイロニーだとは気づきもしませんでした。
「こんな日に、ミーティングなんか出るもんかー」と思うのですが、なんとなく惹かれるように会場へ向かってしまいます。こんなときは、人の話を聞いていても「聞くのも面倒だなー」と思ってしまいます。
それでも、不思議なことに、ミーティングが終わっての帰り道は、心が軽くなっていることに気づくのです。やっぱり人数の多いミーティングはいいね。
(先週は4人だけだったそうだけど)
仕事がつらいときも、今日一日。
2004年11月07日(日) 低く低く推移 今週は身体面でも精神面でも低調に推移しました。
今週のトピックと言えば、障害者手帳をいただいたことでしょう。うつ病で精神障害の3級をいただきました。長野ではアルコールで手帳をもらうことは難しいようです。
年金などがもらえる1・2級と違って、3級はあまりメリットがありません。携帯電話の割引があるので、早速それを申し込みにいきました。あと市営の入浴施設や美術館が無料になるのはうれしいところです。(といっても、美術館の常設展には魅力がなく、企画展は有料のまま)。
火曜日は、体の疲れで一日会社を休んでしまいました。
金曜日は、(入社して一ヶ月以上過ぎてますが)歓迎会をやってもらいました。この歓迎会がいわゆるふつーの宴会で、呑み助の相手を3時間しらふでするのは、とっても疲れました。
何年たっても宴会には慣れません。
この土日はほとんど寝てすごしました。
2004年11月04日(木) おたく談義 昨日の雑記で、コードウェイナー・スミスと書いてしまいましたが、そりゃハーラン・エリスンの間違いではないかという指摘をいただきました。SF者としては恥ずかしい限りです。
某アニメの最終話のタイトルが「世界の中心で愛を叫んだ獣」で、これがSF小説のタイトルのパクりでありました。
この某アニメに人類補完機構という謎の組織が出てくるのですが、これはコードウェイナー・スミスの短編群からもじったものです(最後まで補完機構の実態が明らかにならない筋立てもそのままです)。だから、「世界の中心で・・・」もこの短編集の中の一篇だと信じ込んでしまったのが僕の間違いでした。
で、「世界の中心で・・・」は、ハーラン・エリスンという作家が編んだSF小説のアンソロジーでした。このエリスンという人は変わった人で、このアンソロジーに自分の短編を収録し、しかもその題名を本のタイトルにしてしまうツワモノであります。ちなみに英題は THE BEAST THAT SHOUTED LOVE AT THE HEART OF THE WORLD です。アニメのおかげでしょうか、20年以上前の文庫本が再版されています。
10代の終わりごろから、20代の半ばまで、英米のSF小説をずいぶん読みました。早川書房、創元推理文庫、キャラクター商品で有名なサンリオもサンリオSF文庫を出していました。
しかし、年とともに(アルコールに脳を侵されたせいか)、緻密な設定を想像力を働かせて読むのが面倒になってしまい、最近では日本人の書いた分かりやすい小説が好みになってしまいました。だから、SF者をなのる資格はもうないですね。
2004年11月03日(水) 休日の過ごし方 『世界の中心で愛を叫ぶ』読了。
なんのひねりもない直球勝負のストーリー。
でもなんで、このタイトルなんでしょう? コードウェイナー・スミスの小説や某アニメーションとはなんの関係があるはずがありません。かといって、この小説の中身からタイトルが連想されるというものでもありません。
映画版『いま、会いにゆきます』を見ました。
場内は若い男女二人連ればかりでした。
年をとると涙腺がゆるくなっていけませんね。
本を読んだり、Windows XPをインストールしたりの休日でした。
そんなことよりも、部屋の片づけが優先のはずなんですが・・・。
2004年11月01日(月) 腱鞘炎 職場で買い与えられたパソコンは、○ル・コンピューター製でした。むろん、デ○だからと言ってなんら不都合があるわけでもなく、順調に動いておりました。
が・・・、3週間使い続けた結果、腕が痛くなってしまいました。
原因は、キートップのサイズが小さいキーボードと、安物のマウスにあるのだろうと思って、電器店で人間工学デザインと書いてあるキーボードとマウスを買ってきました。
マウス付属のCD-ROMには、「健康的にコンピューティングするために」というドキュメントが入っていました。読んでみると
「キーボードを打つときには、手首を浮かせ、パームレストや机につけないようにしましょう」
と書かれていました。自分がどんなふうにキーボードを打っているか確かめてみると、左手の手首はべったりと机につき、右手の手首はわずかに机に触れています。手首を浮かせて、腕全体を使って手を移動させながらタイプすると、特定の筋肉だけを使うことがなく、炎症を最低限に抑えることができるのだそうです。
僕の場合は、左上腕が一番痛みがひどいです。これは左手首を動かさないせいで、特定の筋肉が酷使されているのが原因でしょうね。
つまるところ、腱鞘炎になった理由は、キーボードとマウスが安物だからではなく、自分の姿勢が悪かったからみたいです。
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