ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年04月29日(火) 新潟行き 一人旅ということもあって、必要最低限の睡眠時間を確保するために8時起床。
遅刻の確信犯であります。上越まで1時間半。上越から新潟までは「ざっと1時間じゃないの?」という雑な時間見積りをしまして、気合が入れば10時半、悪くても11時には到着するだろうと踏んでいました。が・・・、悪いことは起こるものです。
何が原因なのかはっきりしないのですが、瞳孔が開きすぎる傾向があるので、昼間の運転にはサングラスが欠かせません。もともとメガネをかけてますから、オーバークリップタイプのを使っています。妙高山が綺麗だったので、走行中にサングラスを外そうとしたら壊してしまいました。修理に40分。お腹が痛くなって、トイレに寄りました。二回目はパンツを汚す始末(食事中の方すみません)。ああ、そういえば東京で飲んでいた頃はいつもこうだったなぁ、と思い出しました。なにせ、胃から大腸まで、ほとんど液体しか入っていない状態ですから、おならのつもりが(以下略)。
というわけで、今日の僕はパンツなしの状態で、大変落ち着かない状態でした。あとガス欠寸前で、スタンドに飛び込むという失態もやらかしました。
「かつては私たちを困らせた状況にも、直感的にどう対応したらいいのかわかるようになる」
直感的に対処したけど、正しかったのかどうか・・・。到着は昼でした。あんまり人の顔も名前も憶えなかったけれど、ともかく決めることは決められました。
帰りは体力回復速度を維持、上越高田まで1時間半。そこから自宅まで2時間。ディズニーランド往復と同じ距離でした。
新潟の人の役には立ちませんでしたが、自分自身のためにはなりました。ありがとう。
2003年04月28日(月) 諸事あり 昨日ずっとバスに乗っていたせいで、腰が痛いです。
なので、せっかく夏タイヤに履き替えた車でも、いま一歩楽しめません。
連休に入って「心の家路」へのアクセスも減っています。ある時期まで12:00〜13:00の時間(おそらくは昼休み)に山があったんですが、最近は「谷」になっております。また、土日も谷になっています。主婦のビジターの方もある程度の数いらっしゃるようですが、やっぱりみんな職場で見てらっしゃるのでしょうか?
僕もそうです。
あと、最近顕著なのは深夜のビジターが増えたことでしょうか。
明日は新潟。なるべく早く寝て、なるべく早く到着したいけど、午前中いっぱいとかになったりして・・・。
2003年04月27日(日) The delegate has a joyful job 朝5時過ぎに起きました。ふと気が付いたのですが、今日の委員会の場所がわかりません。
人形町区民館だとは聞いているのですが、それはいったいどこにあるのでしょう?
パソコンを起動して、オフィスの「かわらばん」を見たら住所番地が書いてありました。あとは東京の分厚い地図を持って駆け足。
メッセージ委員会に出たのは初めてです。みんな熱心なのね。生まれて始めてドトールに入りました。続けて別の委員会に出席して、そのあとマクドナルドでくだけた分かち合い。
サービス活動には人を回復させる力がある、と信じていますし、その例はいつでも目の前に現れます。サービス=12番目のステップであり、回復のプログラムであるのですから、それに熱心に取り組む人には、必ず何らかの恵みが与えられるのでしょう。ただ、倒れても誰も誉めてはくれません。馬鹿だなと言われるのがせいぜいです。「熱心」と「なんにもしない」の中間が、一番難しいアルコホリックです。
ラウンドアップの宿泊定員が近づいているとの話を聞きました。特に土曜の晩はあと数名だとか。帰りにセントラルオフィスによって、慌てて土曜の宿泊の申し込み。あと、書評を書いてもらうための本を一冊購入。
さて、今日と同じ時間に家を出て、鬼怒川に13:00に到着することは可能なんでしょうか。まあ、車なら可能でしょうが、バスと東武と乗り継いで・・・。
あと20ヶ月。楽しまなくては。
2003年04月26日(土) 休日 ミーティングの帰に、風雨の中、車を走らせていました。
山沿いの道を走っていると、目の前の路面上をちらちらと白い粒子群が移動していきます。それは冬場の凍結した路面の上を吹き漂う粉雪に似ていました。外気温計は17℃を示しています。峠を越えて盆地に戻ったところで、その正体に気づきました。散った桜の花びらでした。月にむら雲花に風、今年は満開にならないうちに、散っていってしまいました。
やっとタイヤを夏タイヤに変えました。といっても、純正の夏タイヤがオールシーズンタイヤですから、それほど違いは感じません。オールシーズンタイヤと言っても、冬は役には立ってくれません。オールシーズンのシュラフと同じで、命を託するには頼りないというわけです。
タイヤ交換でもっとも疲れるのは、タイヤを格納場所(車庫の天井下)へ脚立を使って出し入れすることです。ついでに手で洗車をしました。鳥のフンがたくさんあって難儀でした。冬場は塩カル、夏場は鳥のフンによる腐食を防ぐために、ワックスを維持するのが正しい戦略です。僕にとって、ワックスがけは、タイヤ交換と同時にやってくる季節行事のようなものなんですが・・・。
今回は疲れちゃったので、ワックスはなし。ガラス撥水剤を丁寧にコーティングし、内側はコルクとティッシュの組み合わせで仕上げました。これは雨の日や湿度の高い日でも視界を確保するため。車は僕をミーティング上まで連れてっていってくれる、魔法の箒です。
複合機が届いたので設置。さっそくOSMのチラシを印刷してみました。うんうん。
ひさしぶりに子供達とゆっくりすごせた一日でした。
2003年04月25日(金) ガソリン代 さすがに以前に比べてガソリン代は減ってきていますが、相変わらず頭痛の種です。
「そんなでけえ車に乗るからだ」という声も上がりそうですが、遠くまで自分で運転するのは疲れるんです。そして、禁煙であるひいらぎの車に乗りたがる人は少ないのです。常に言うように、僕は健康上の問題でタバコをやめたのではなく、単なる節約のためにやめたのです。だから、煙いのはあまり気になりません(でも選べるときは禁煙の場所を選びます)。ただ、車でタバコを吸われると、何日も匂いが残って子供から文句を言われるのが嫌なんです。タバコ代節約してローン払ってるの!
さて、給料日前で金がなく、しかもガソリン警告灯が点灯してしまいました。
非常時にはクレジットカードで給油というポリシーですが、これには魔が潜んでいるのと単価が2円ほど高くなる(いいのか?)という難点があるので、なるべく手持ちの現金の範囲で入れることにしています。ちなみに、同じスタンドに2回行くと「現金カード」を作れと催促されます。現金カードを作ると一見さんより単価1円ぐらい安くしてくれるというメリットがあります。遠いスタンドが安売りしていることもあります。
以前、方程式を作って「ガソリンをわずかでも安く入れる方法」を研究したことがあります(微分方程式になった)。結論としては、よほどの単価の差がなければ、安いスタンドに寄るためにお出かけ・寄り道するのは逆効果というわけです。そんなわけで、ガソリンが少なくなった時点で、道路わきのスタンドで給油というポリシーを貫いた結果、現金カードが何枚もできてしまいました。
ちなみに、プリペイド式やチャージ式のもあるのです。偶然チャージ式のに6千円弱残高があるのを発見し、良いことに帰り道ぎわのスタンドだったので給油を試みました。
「最後の使用から2年以上経ってますので、残高は無効です」
そうであるか。そういう仕組みならばやむを得まい。つまらないことに泥濘するのはいやだけど、このスタンドでなけなしの現金を使うのも、カードを使うのも、なんとなく面白くありません。
そんなわけで回り道しまして、別のスタンドでカードで満タンにしました。
2003年04月24日(木) にゅー・ほらいずん 新しいホームグループで2回目のミーティングをしました(月2回だからねぇ)。地図も新しくしないといけませんね。
会場付近から南を望むと・・・方角としては松本の街の明かりが見えるはずですが、見えません。なぜかというと「地平線があるから」です。360°どちらを向いても山が見える長野県におきまして、地平線が見えるのも不思議な話ですが、地平線の向こうに山が見えているわけですね。もちろん、盆地の中ほどは集水点ですので、凹んでおります。そこから南にゆっくりと上り傾斜になっているのですが、地球の湾曲はそれに打ち勝って地平線を作るのですね。でも、しょぼい山でも湾曲に打ち勝つのは簡単というわけです。
え? 全然珍しくない? そうでしょうね。全国にいくらでも「地平線の上に山が見える」場所はあるでしょうからね。でも、長野県には地平線がないと思ったら、間違いだよん、というお話。
地平線まではふつう20Km。その向こうはどうなっているか、行ってみないとわからない。距離を移動することを必要とする役目を与えてもらっていることは、大変な幸運です。なにせ、AAだって、ちょっと距離を移動しただけで、驚くほど違っていたりするのですから。
「どこへ行っても、アル中はアル中、神は神」という言葉を以前にもらいました。
自分の知っていることはごくわずかで、視野が狭いんだということを忘れずにいないと、「われこそ正義」にすぐなっちゃうから難しいです。
2003年04月23日(水) 中年になるということ 認めたくは無いけれど、「忘れっぽく」なりました。
風呂に入りながら、「ああ、あの人に電話しておかなくちゃ」と用件を思い出しても、ふと気が付くともう深夜だったりします。さすがにそんな時間に電話はできません。若い人を見ていると「スポンジが水を吸うような記憶力」を感じるのですが、もはや、僕にはそれは失われてしまったようです。
6才の子供の1年は1/6だけど、40才の1年は1/40に過ぎないと言う言葉もありました。一日はさらにその365分の1なのですね。でも、大切な一日には違いないのに、なぜか軽い僕の日常(本当に軽いのか?)。
憶えられないのは「生存に重要でないから」だそうです。「生きていくのに忘れてはならない情報」であれば、忘れないそうなのです。その意味では、確かに今回の電話の件など、たいして急ぐことでもありません。
そうやって、忘れっぽくなることで、心の負担を減らす仕組みが出来上がってきてしまったのでしょうか。忘れたふりをしていても、心のどこかに残っていて、くよくよ悩んでいることは多いのにね。でも、忘れていかないと、人生は苦しいことが多すぎます。
それでも、生きていくだけの価値はあるんでしょうけどね。
ともかく、30才を過ぎてから、あの吸収力はしだいに薄れてきてしまいました。忘れっぽくなるのが恵みなのか、苦しみなのか、まだ僕にはわかりません。
2003年04月22日(火) たったひとつの冴えないやり方 結局書類は夜に1/3しか仕上がらず、出社して続きをやりました。
電話が鳴るたびに「びぐびくぅ」としながら、それでもお昼前で2/3ぐらいでした。しかたないので、そのままいったん送信。図を描くのは面倒くさかったので、最後は手書きで3頁描いて送りました。やれやれ。
昨日増えた薬がいきなり効くわけはないので、前回増やされた薬が効いてきたということでしょうか。プラスαの要因として、締め切り前の馬鹿力とか、いい加減なものに仕上がっても「しょうがないじゃん」という開き直りでしょうか。いや単なる「良心の胼胝」なのかも。
ひとつの言葉が人を不安にさせ、ひとつの言葉が人を救うこともあるのさ。
たまには日付が変わる前に寝てみようかな(かえって調子が悪くなったりするんだけど)。
2003年04月21日(月) 私が奇跡 また子供達はジジババ預かりという状態になってしまいました。
今日は定例の打ち合わせがあって、休みたくても休めない状態で、霧のように霞んだ頭で出社していきました。以前はうつの状態のときは、人と話すのが一番苦痛で、嫌でイヤでしかたなかったのですが、うつ状態でも無理やりミーティングに出続けたせいでしょうか、人と話をするのは苦痛には感じなくなってきました。ただ、多少なりとも創造性が必要な作業はまるで進みません。明日の午前中までに、書類を一部作らなくちゃいけないのですが、職場で作業するのは諦めて、医者が午後始まる時間で早退してしまいました。
食事がきちんと摂れていないという理由でミラドールを処方されました。
ああ、また薬が増えてしまった。十何ヶ月もかけて減らしてきたのに、増えるときはあっというまなのね。
先生は学会の人でもあるので、「新しいBigBookが出たので、書評をどこかに書いてもらえませんか?」と頼んでみたら、OKをいただきました。
帰ってから、新グループの登録をふたつのオフィスにFAXしました。夕方は気持ちの落ち込みが激しかったけれど、お風呂に入って、軽く食事したら持ち上がって来ました。それでも知的作業ができる状態でもないので、いったん寝て夜半に起きたところです。
「二流のAAメンバーなどいない」というビルの言葉が大好きです。AAの中は回復を争う場でもなければ、過去の酷さを競う場所でもない。「私が奇跡」の言葉どおり、ひとりひとりの一日が奇跡なのです。僕自身のこんな一日ですら、やはり奇跡なのでしょう。
とは言っても、何時になったら書類ができるやら。
2003年04月20日(日) 寝てました 妻が布団から出てきてくれません。またうつになったようです。
昨日、上の子が保育園で一緒だったお母さん達(なぜか保育園と小学校の通学区が違っていたり、入学を境に移動になった人も多い)とお花見に行って、だいぶ疲れたのでしょう。4月から始まった新生活に家族全員ストレスを感じているのは間違いありません。
しかたないので、子供たちにご飯を食べさせ、洗濯物を干して・・・ここまでで限界だったのでババに頼んで子供たちを預かってもらいました。家事は忘れた頃にやってくる災難。
あとはひたすら寝るだけ。よく眠ってしまったようで、仲間から携帯へ届いたメールで起きたら夜10時でした。
最近AA用のメールボックスが溢れていることが多いので、RAGI@を2MBから4MBに増やしました。
2003年04月19日(土) ようやく春が来ました 起きると10時半。次に起きると1時でした。
急に暖かくなって、花がいっせいに咲き始めました。桜は平野部では五分咲きぐらい。山の中は27日でも花見ができそうかな。花の区別がつくわけじゃありません。あれはこぶしかな、こっちは木蓮かな・・。
夜の町を歩いていても、どこからか漂ってくる匂いがあるんですが、匂いはますます判りません。
レーザープリンター君もそろそろ寿命のようです。今のトナーが終わったら、お役ごめんにしてあげましょう(年末ぐらいかな)。高い買い物と思われるかもしれませんが、コンビニで1枚10円でコピーを取るのを考えると、実のところどっちが安いのか判りません。最近の機種はちょっと高いのだと、両面印刷の機能があってなかなか素敵であります。なんてったって一番苦労するのが、調子の悪いプリンターで両面印刷することですから。それと、カートリッジ給紙方式以外のものは、トラブルが多いので買わないと決めました。
キャノン製が7万弱。でもブラザー製だと5万弱です。
ちなみに7万円なら、ブラザー製の複合機が買えます。プリンターのほかに、スキャナ・ファックス・コピーの機能も果たしてくれるんですが、残念ながら両面印刷はできません。カートリッジ給紙なら、両面印刷機能がなくても、再給紙でなんとかなるかなぁ。
でも、実際に一番手間がかかるのは、仕分けして書類束なり冊子に仕上げる工程なんですよ。業務用機にはもちろん、ソート&ステップラ機能があったりするんですが、何十万円とします。それだけその工程が大変だってことですね。でも、値段の差ほど機構が複雑化しているとも思えません。結局、モノの価格とは「どれだけ時間(手間)と金を節約してくれるか」という基準で決まるのかなぁ。
2003年04月18日(金) 地震・雷・火事・親父 昨日の晩のうちから「休む」と宣言して、確信犯的に休んでしまいました。
たぶん過労熱なんでしょうが、37度台の熱が出てくれたのも、好都合でした。
なるべく案件の無いときを選んで休んでいるのですが、結果として「あいつはヒマな時を選んで休んでいる」「無理すれば出て来られるはず」と話も出ているのかもしれませんが、自分の体が第一であります。
週末に東京に行く予定だったのですが、バスの予約もキャンセルしました。
休んだおかげで、被雷で故障した通信機器の入れ替えをすることができました。ただ設定に戸惑って3時間ほどかかってしまったのは恥ずかしい話ですけど。それだけやって、あとは寝ていただけです。
電話線をアパートの外壁に沿って10m近く配線しているものですから、被雷を受けやすいのです。壊れたのが電話機だと思って、3万円も出して買い換えてしまったのですが・・・まあ忘れることにしましょう。
雷サージ保護器をつけたほうが良さそうですが、滅多に来ない雷のために数千円出費するのが、なんだか悔しいです。
地震・雷・家事・親父、忘れた頃に降ってくる災難ですね。
もう親父の怒鳴り声も忘れてしまいました。まだ乗り越えられないあの背中。
2003年04月17日(木) ハイヤー・パワーのふるい 昨夜はほとんど眠れませんでした。
仲間を傷つけてしまった後悔と、神の役を演じた自分への自責の念が、僕を苛んでいたのです。
無理やり体を布団からひっぺがして、5分遅れで職場につきました。睡眠不足が原因の激しい頭痛がするものの、それを理由に頭痛薬を飲んだら、とたんに寝てしまうでしょう。そんな日に限って、来客もあり、電話も多いのです。
その応対をしているときだけは、空元気を出して努めて明るく振舞い、それ以外のときは、頭を抱えてうつむいているだけです。無理に演じるのは、一番悪いと判っているのですが、生きていくためには仕方が無い現実との妥協というもの(かもしれない)です。
病院メッセージだったのですが、単純に自分の心の荷物を降ろすだけのテーマにしてしまいました。
「怒りと自己憐憫」
良かれと思ってやったことが裏目に出る。神の役を演じたことに後悔を持つ。でもそれは、「神のように完璧で失敗の無い自分」になれない、現実の自分に対する怒りと、その反射の自己憐憫に過ぎないのです。自分よりあらゆる面で優れた存在であるハイヤー・パワーがあれば、その前にいる自分は、まったく不完全で、弱く、無力な存在です。
でも、その自分の不完全さに腹が立つのです。不完全であることがプライドを傷つけるのです。
そんな自分に、「いったいお前は自分を何様だと思っているんだ」と言ってやる事が大切でした。不完全であることが許せないことは、つまりは無力に成りきれていない証拠ではないかと。
ハイヤー・パワーはときどき僕を試しに来ます。
それでも、飲んでいた頃と本質的に何も変わっていない人間が、不思議と飲まないでいられるのです。
話せる場所があって、とても助かりました。
不完全な仲間に囲まれている、不完全な自分。自分を許さなければ、他の人を許すこともできはしないと思い知らされました。
2003年04月16日(水) 40才になったーらー、とーもだち百人できるかなー なくしたキーボードですが、出てまいりました。
何回か、そのキーボードを使って高速バスの中でメールを打ったことがあったのですが、酔ってしまうので、今回は使わないつもりでした。だから、「かばんから出して座席のポケットには入れなかった」と強く信じていたのですが、あらゆる場所を探した挙句に、バス会社の運行部に電話したら、あっさり出てきてしまいました。
昔飲んでいた頃、とんかつ屋で昼飯を食いながらビールを飲み、雑誌を読むのを常としていました。米紙の東京特派員が日本語の雑誌に書いているコラムがあって(彼はいまでも日本にいるけど)、飲みながら読んだ記事には、彼が40歳になることが書かれていました。
彼が読んだ本『40才になったら読む本』には、「男が40になると良いことがひとつだけある。それはタキシードを着ても、ボーイと間違われなくなることだ」とあったそうです。
梅雨の頃には僕も40になるのですが、タキシードを着る心配はなさそうです。
3年ぶりにミーティング来られた人から、「変わったわねー」と言われました。
確かに丸かった頬がなくなり、頬骨からあごにかけてに凹みができるようになり、鼻が脂っこくなり、肌がざらざらするようになってきました。歳月は過酷に僕の体に年月を刻みつつあります。ソブラエティだけ長くなって、戸籍上の誕生日が来ない方法は無いものか?
などという仲間の話を笑っていたのですが、ついに僕もその思いにつかまってしまったわけです。
恵みがあるとすれば、若くて不安定なねーちゃんだけでなく、年齢に関係なく回復している女性も好ましく思えるようになったことでしょうか。「男という病気」が進行しただけかもしれませんが・・・
2003年04月15日(火) 疲れたから寝る 職場の窓から見たら、梅が満開でした。
花見の名所の桜も咲き始め、このぶんなら今度の週末あたりが花見の時期になりそうです。
この前買ったキーボードですが、さっそくどこかに無くしてしまいました。
おっちょこちょいは「アル中+女性」だけの特性ではなさそうです。
さて、そろそろ新潟に顔を出す準備をしないといけません。
長野と新潟は隣どうしだから近いだろうなどと思われるとしたら、それはとんだ誤解です。
僕の住んでいる長野県の真中へんから新潟まで280Km以上。東京からだと浜名湖あたりまで行く距離じゃないかな。新幹線も高崎で乗り継ぎの必要があります。高速バスとかがあればいいんだけど、交通網は東京を中心としたハブ状に形成されていて、地方と地方を結ぶ交通は、なかなかに貧弱なのです。
だから行かないかっていうと、まあ行くでしょう。「回復を求めてどこまでも行きなさい」という提案を今こそ大事にするときなのでしょう。
しかし資金繰りが厳しくなってきました(会社の話じゃないよ)。
見栄はって献金しすぎたってのもあるかもしれない。虚栄の行動は決して幸せに結びつかないのですね。(ちなみに先日にキーボードは家計から出費してもらいました)。
でも余分な金を持っていると、どうも無駄遣いしちゃうんですよ。置く場所も使う時間も無くて箱のまま置かれているDVDプレーヤーやら通信機器らが恨めしげに背後から睨んでいる気が・・・。
しかし恵みの多い役割であります。賛成してくれる人も反対してくれる人もいて楽しい。
無関心な人がいるのはやむを得ないと知りました。直接的な活動が得意な人もいれば、間接サービスに向いている人もいるのです。ただ、後者であるにもかかわらず、関心を持てない人々に対しては、私たちの告知と啓発が足りないのでしょう(反省点)。
支持はしてくれないが、理解はしてくれる人がいます。こぼれる愚痴を聞いてくれる人がいます。
だから続けていける。自分の信念だけで続けられるほど、回復も成長もしていません。
自分にとって大切な人たちであります。
2003年04月14日(月) づーずー問題 県外で、安曇という漢字を読める人がどれだけいるのでしょうか。
もともとは九州北部に王朝を築いた「阿曇族」が、大和王朝の侵略に破れ、彼らの海運の先のひとつであり、大和王朝の影響が及んでいなかった新潟に移り住み、さらにそこも安全でなくなった時に、糸魚川経由でこの盆地に移り住んだという伝説?史実?が名前の由来とされています。
いつから安曇という字に変わったか知りませんが、おおむねそれは「あづみ」と呼ばれていたようです。おそらくは戦後の国語改革の際に「づ」を「ず」に統一するという試みがなされ「あずみ」が正式名称として採用されたようですが、今も変わらずに「あづみ」という表記がなされます。ローマ字表記のaduminoよりもazuminoを英語話者が話した場合に、zuのが自然に近いというのもあるかもしれません。ちなみに広辞苑は「あずみ」です。
しかし、この「づ」か「ず」かは個人の好みも含めて、しばしば(虚しい)議論の対象となってきたことがあります。
で、県外の人に読めないグループ名というのもどうかと思いまして、ひらがなで記述することにしさらに「野」をつけるつもりだったのですが、づ・ず問題で悩んでいたのです。
結局「ず」で始めて、あとはメンバーが集まったら話し合っていこうと思います。
さて、新宿の高速バス乗り場で、カレシに別れを告げている女の子がいました。
赤のタータンチェックのスカートに、白のセーター(かトレーナー?)、黒のジャケット、ボブカットの髪。「可愛くていいなぁ」と思った後で・・・、なんか服と髪しか覚えていないことに気が付きました。結局中身じゃなくて、パッケージに目が行っているだけなのね。
中身を求めるのは愛であって(その愛はエロスかもしれないけど)、パッケージに心を奪われるのは実は理想のアニマを求めているだけなのかもしれません。
「男という病気」シリーズは、まだ続く(かも)。
2003年04月13日(日) 週末を東京で過ごす(その二) すごいオーディオセットの部屋にお邪魔してしまいました。
いやー、やっぱり音が良いと心が洗われるようです。
僕はもうオーディオセットは持っていなくて、音楽はパソコンで再生しています。
ドライブとサウンドカードにはわりとお金がかかっているので、スピーカーとアンプを買いたい気持ちはあるのですが・・・、結局3DKで子供と同居という住宅環境では、でかい音が出せるわけもなく、小さな音で「鳴る」スピーカーなど存在しません。
ヘッドフォンアンプ+ヘッドフォンの組み合わせという案もありますが、外部の音が聞こえないのは不安要素でもあります。
さて、八王子に移動して交流会。参加人数は少なかったけれど、そのぶん密度が高くなるという利点もありますね。でも二日連続は疲れたので、新宿までの移動の最中にBBを読みました。苦しくつらい時こそ回復のチャンスであって、楽しい日々の中でも成長できるほど優れた人間は滅多にいるものではないのでしょう。
滅多にいないという言葉で思い出したのですが・・・
「どんな女性が好みですか?」という質問に対しては、「確かに嫌いなタイプはあるけれど、特に<これじゃなきゃイヤだ>というタイプがあるわけじゃありません」としか答えられません。
でももし(そんな可能性はないが)「自由に選んでいいよ」という状況を与えられたなら、
「背の低い」女性を選びたいです。ところが身長という遺伝形質は、メンデルの法則に従って分布すること+日本の栄養状態が良くなったこともあって、150cm以下の女性は希少な存在になってしまったわけです。
なんで松野明美とか田村亮子とか好きなんですか?と言われても、だって他にいないじゃない。安達裕美だって育ちすぎてしまったし(153cm)。
ミニモニやPなんとかは? あれは成長期の少女から恣意的に選んでいるだけだから論外。
希少だから好きなんでしょう? と言われれば、否定できなかったりして。
まったく「男という病気」は治らないものであります。
もちろん、現実には自分でもよく理解できない基準でもって、誰かを選択して好きになるので所詮自分自身が不思議だったりするのです(変な日本語だ)。
2003年04月12日(土) 週末を東京で過ごす(その一) さすがに30分でお出かけの準備をするには無理がありまして、高速バス乗り場まで走っていく羽目になりました。
今回は幸運にも隣席は女性でありました。
いや、別に女性ならOKで、男はヤダと言うわけじゃありません。高速バスでは寝ている人が多いのであり、寝ていると知らずのうちに境界を越えて隣の席に侵入してしまう場合があるわけです。やむを得ないことなので、お互いそのことに配慮があればいいわけです。男同士の場合でも、紳士的にできれば問題ないのですが、時折大柄な人(太っているとも言う)と隣り合わせる場合があり、その場合にはなぜか「どうしてお前とオレが同じ料金なんだ」と言いたくなる状況になることが多いのです。
女性との組み合わせになった場合には、体格がどうあれ心配はありません。
別に、若くて可愛い女の子が居眠りしてしだれかかってくることを期待してるわけじゃ、断じてありませんぞ! まあもし万が一、そうなっても拒みはしませんが。
後ろの席のオバサンがうるさかったけれど、多分その人は日ごろから大きな声で話しているのでしょう。職場の愚痴を聞きながら、いつの間にか寝入ってしまいました。
一日代議員オリエンテーション。関東甲信越では初の企画でした。
帰りに、とあるビッグブックグループのメンバーと電車の中で短い分かち合いを持てました。確かに、今の日本のAAのステップ4・5は、単なる「通過儀礼」に成り果てているのでしょう。
個人的に「ステップ8の前で立ち止まっているのだ」という悩みを相談したところ、
「もうすでにステップ4で作った表を手にしているじゃないですか」と指摘されました。
僕のステップ4・5は述べ伝えられてきた旧来の手法に従ったものなので、BBの精神からは外れるかもしれないけれど、ステップは繰り返しやるものだから、今回は手元の表を吟味することにしましょう。「じゃ、まあ8やるか」という気分にはなってしまいました。
(ヒマになったらという条件をつけるところがダメなんだけど)。
メトロカードの残高がなくなったので、買おうとしたらもうTカードと言う名前に変わっていました。バスでも使えると聞いたので、三鷹のバスに乗ったときに「使えます?」と尋ねてみたけれど、「ダメ」だそうです。東京の交通機関はよくわからないです。
仲間の家に投宿。
2003年04月11日(金) 梅は咲いたか桜はまだかいな 仕事が慣れない領域に入っているので、それによるストレスも激しいのかもしれません。
適切な利益水準を確保することが大切なのですが、全国レベルになると、利益なしでも仕事量の確保のために値を下げてくるコンペチターがいるので厄介です。
一方ローカルな市場だと、利益を確保できる値段だと、お客さんにとっては高すぎて、投資そのものを取りやめてしまうケースもあります。技術屋にとって、金の話に巻き込まれるのは大変な心労なのですが、お鉢が回ってきたものはしかたがありません。
技術一本で食べていかれれば良いのですが、そうも言っていられなくなってしまいました。
携帯電話用のキーボードを買ってしまいました。これです。
ポケベル世代ではないけれど、ケータイでのメールはPメールの頃からやっているので、親指で打つのもそれほど苦痛じゃありませんが、漢字対応になってから急にうっとうしく感じられるようになりました。乗り物の中だと酔ってしまうし・・・。
16mmピッチの慣れたキーボードなら、メールを打つのが楽しくなりました。
でも、人前でこれを広げるのは、10年前のノートPCのごとくジロジロ見られて恥ずかしいです。
東京では桜が散りつつあると言うし、山梨では咲いていたけれど、こちらはまだです。
実家ではやっと梅が咲いていました。このぶんだと花見は20日か、気候によっては27日になるのかな。ちいさい頃は山桜しか見たことがなかったから、初めてソメイヨシノを見たときには「葉っぱの無い異様な
2003年04月10日(木) なんとか離陸しました なんとか新しいグループがスタートしました。
といってもオフィスへの登録もまだなんですよ。グループ名も決まっていないし。
うつ状態の低空飛行が続いているので、論理ベースであろうが、感情ベースであろうが、意思決定がなかなかできないのです。なので、仕事でもだいぶ困っているところです。
いつもは50分で着く道程ですが、20分ほど余計にかかりました。
まあ、この時期は初心者マークが道に溢れる時期ですから、我慢しないといけません。でも、イライラします。お腹も空いているのに、何かを食べる時間さえ奪われるので、余計イライラします。ひとり車の中で呪いの言葉を吐いているあたりは、さすがアル中であります。
開場のお祝いに、長野県の北から一人、東から一人、南から一人、いらっしゃいました。
遠路はるばるありがとう。それから、病院から車に乗り合わせて3人いらっしゃいました。
それと関係者の方がお一人。おかげでミーティングらしくなりましたが、次回からはどうなること
やら・・・。ともかく、この会場にハイヤーパワーが存在して欲しいものです。
日本のAAが長くメンバーを惹きつけられないのは「霊的な目覚め」を提供できていないからではないかという説があって、最近僕もその説を信奉しつつあります。
そんなもん簡単に提供できるもんか! と思いもしたのですが、実はそう難しい話でもないようなのです。基本に返るという運動が、極めて日本的なAAを築き上げてきた人たちにとって、必ずしも歓迎されてはいないという点も、日本のAAらしい現象だと思います。
といっても、自分の場合には目覚めは極めて限定的なものに過ぎないので、それについて語るのはまだ若い(回復が足りない)もどかしさがあります。
早く目覚められた人には、「おめでとう」と素直に言ってあげるべきなんでしょうけど・・・
嫉妬は霊的に病んだ人間にとって、ごく当たり前の感情ですから(と自己憐憫に浸る)。
2003年04月09日(水) 去るもの、残るもの AAから去っていきたい人々を引き止めるのは、あまり賢明なやり方ではないのだと聞きます。彼らは、AAのある生き方と、AAのない生き方の両方を試してみたいわけで、それを阻止する権利は誰にもないわけです。
始めは素晴らしいものに見えたこの集まりが、いつからか「付き合いきれない連中」に感じられるようになる体験は、僕にもたくさんあります。そのたびに、僕は選択を突きつけられてきたわけです。そのたびにAAを続けることを選んできたのは、たぶん僕が仕事と家族のほかには、たいした人間関係を持っていないからでしょうね。
親戚と数えるほどの友人達を除けば、さしたる付き合いもありません。
いろいろと忙しくてAAに来れない、と言う人は人生がそれだけ壊れていないわけで、それはそれで羨ましいですが、僕は今さらそうはなれないのです。
かといって、仕事に注力しすぎるのも、(僕には)悪い結果しか生みません。
なんだかんだ言っても、AAほどエネルギーを注ぎこめる対象を他に見つけることができないし、またAAほどエネルギーを与えてもらえるところも見つけられてません。AAから離れたら淋しかろうと思うから離れられないだけなのかも。
いさかいあい、傷つけあいながらも、そこに生きていく実感を得ます。
不完全な自分は、時にはウツになって布団にもぐりこんでいることもあります。「よい加減」を知らない僕は、極端から極端に走りがちです。でも、器用に生きていけない自分が、やっと見つけた方法なのです。
新品のコップを洗い終わりまして、明日から新しいグループです。
2003年04月07日(月) 断酒と言う結果 AAメンバーの皆さん。あなたは、自分のソブラエティ(飲まないで生きること)が、AAプログラムのおかげだ、と自信を持って言うことができるでしょうか?
ちょっと表現を変えてみましょうか。
「自分がプログラムに十分に取り組んでいるから、ソブラエティが与えられている」
はたしてそうなのか、自分はいつも自信がないのであります。
初めて会ったアルコホーリクは、入院回数が数えられないほどすごいご仁でございました。
病院から出れば必ず飲むという人です。若い頃から酒にまつわる話には、ことかかないようでありました。
ところが、30代の頃、特に何もなしに「2年間酒を止めていた時期があった」そうなのであります。酒を止めようとは思ったけれど、特に断酒会に通うとか努力はしなかったそうです。
悲壮な決意があったわけでもなく、我慢に我慢を重ねたわけでもなく、2年間を過ごしてまた飲み始めたら、元に戻り、もう二度と酒を止めることができなかった・・と話は続きます。
この「なんとなく2年酒を止められてしまった」というのが、僕の恐怖の対象です。
自分がAAプログラムに取り組んでいるおかげで、お酒が止まっている・・・のじゃなくてそれと「たまたま酒が止まっている」が重なっている可能性があるではないですか。
僕のソブラエティは単なる偶然、いつ飲みだしてもおかしくないかもしれない。
ところがその考え方には誤りがあると言われました。
プログラムに対する「自分の努力」=「断酒と言う結果」であるという考えが間違いで、あなたが取り組めば、神は常に「今日一日のソブラエティ」という結果を与えてくれるのだそうです。自分の努力がソーバーを支えている(かもしれない)と考えるのは、傲慢であろうと。
ああまったくこの病気は、高慢と自己憐憫の往復であります。
2003年04月06日(日) 男らしい悩み 女親の場合には、自分の子供が自分の子供であることに、ほぼ絶対の確信を持つ事ができます(病院で取り違えとかなければね)。
ところが、男の場合には「ほんとうにこれが自分の子であるか」という疑念を100パーセント晴らすことは、ほとんど不能なのです。別にわざわざ疑念を差し挟む理由はないのですが、じゃあ「絶対の確信」を持てるかというと、カッコウに托卵されてるんじゃないかという疑念を捨てることはできないです。
精神病院から退院してきて間もないうちに、妻が腹痛を訴えて内科で診てもらったら「旦那さんおめでとうございます」とか言われてしまったわけです。それで、産婦人科にいったわけですが、あの「第0週」って医者の経験と勘で決めているフシがありますね。
だって、「最後の生理はいつでしたか?」と聞かれても、旦那が飲酒・入院中なんて、そんなこと気にしていないから・・・。だいたい生理周期も不規則になってただろうし。
その日付ってのが入院中で外泊とかしてない時期だったから、ひと悶着ありました。
まあ、アル中の嫉妬妄想も混じっていたでしょう。
一人目は出産が冬場で、未熟児だったので温度管理が大変でした。だから、二人目は陽気の良い5月あたりに生まれるようにと家族計画してたんですが・・・。
この時も、腹痛で内科医にいったら「こりゃレントゲンは撮れないね」と言われてびっくりというパターン。4ヶ月も早い妊娠でした。
最近は10万円も払えば、郵送でDNA親子鑑定してもらえる時代であります。
でも、仮に10万円が余分にあったら子供のために使うでしょうね。
だから、基本的には疑っているわけじゃないってば。
2003年04月05日(土) 雪の恩恵 スタッドレスタイヤと言うのは、ふつうのタイヤよりも高価であるし、磨耗が激しいし、それでいてグリップ力は低いときています。そういう意味では低性能なタイヤです。
利点は雪道でスリップしないことだけです。
スリップしないと言うことが、どれだけ重要かは強調しても強調しすぎることはありません。
などという冗談はともかく、そのタイヤをいつ履いて、いつ脱ぐかが大事な選択であります。
だいたいここらへんでは、12月のどこかでスタッドレスにし、3月のお彼岸にノーマルにする、と言う人がふつうです。でも11月に雪が降っちゃうこともあれば、3月末に降ることもあるわけです。でも、スタッドレスを多用すると、減りが早いからもったいないわけ。
だから、履き替えにはギャンブル的要素が混じってくるわけですね。
一番早く履いたのは、10月末に新品のタイヤを買ったときに、ついでにつけてもらった時。
遅かったのは、1月中旬までノーマルだったこともあります(暖冬だった)。
脱ぐほうで早いのはやっぱりお彼岸。遅かったのは、ウツでほったらかしで何と7月までスタッドレスだった時もあります。
で、今回は今週末に履き替えようと思っていたら、雪が降ってしまいました。
高速道路は事故通行止めが3ヶ所と、倒木が1ヶ所。
足止めしてくれた、お天道様に感謝。のんびりしました。
2003年04月04日(金) 失態 6月にやるイベントの会場費5万円というのは、今の長野地区にとっては法外なのではないか、何と言っても地区の年間予算が5万円なのだから・・・、という意見を腹に抱いて実行委員会会場に行きました。
例によって目的のためなら手段は問わないという卑劣な僕でありますから、いままで皆で検討した案をひっくり返すのには、特に躊躇もありませんでした。
昼間のプログラムだけの参加者から500円づつ参加費を集めるなんて・・・、と言う思いもありましたし、夜は夜でお金が必要だし、会場費のほかの経費も要るわけです。
夜の雨なので、帰りも高速を使うことにして、ゆっくりと走りながら、「本当にこれで良かったのだろうか」という後悔に苛まされていました。
今日のこの往復だけで高速代2,900円を使ってしまったわけです。そういえば以前ガソリン代も計算したけど、もう忘れてしまいました。献金箱に入れた千円札。
今日は時間がなかったから外食はしなかったけれど、食べていれば少なくとも5〜600円は使ってしまったでしょう。食費まで費用に含めるなと言われるかもしれませんが、わざわざ出かけなければ我が家のエンゲル係数を押し上げることもないのですよ。
こんなことを委員会のたびに何回か繰り返せば、5万円という金額の何割かは出てしまうわけです。その金額で得るものは「僕の発言権」という極めて信頼の置けないものだけです。
だったら、特別献金でも募って5万円を満たすという案を支持したほうがよかったかもしれない。
何が最善なのか、神ならぬ身には判るはずもないということでしょうか。
常に「少しづつ」しか明らかにされないもどかしさ、などと諦念をつぶやいてごまかすには、あまりにも大きな今夜の失態。
2003年04月03日(木) 低空飛行 うーん。すっかりウツであります。
といっても毎日会社に行っていますけど。ほとんど何にもしていません。
必要最低限のことをしているだけです。今日はそれでも、朝起きるのがつらくて、午前中休んでしまいました。受注作業が終わり、実作業が始まるまでの、比較的空いた日々にちょうどウツの周期がはまってくれました(たぶん)。
こういう時に、ごろごろサボっていなくて何か自分のためになることをすれば、もっと成功できるような気もするのですが、ウツの身にとっては「生産的なことは何もしない」もしくは「ほんとうにやりたいと思うことだけやる」ということが、一番自分のためになることなのでしょう。
家に帰っても、なにかやらなくちゃと思いながらパソコンの前に座り、そのまま何時間もたってしまっていることがあります。
なんだか、「単にサボっているだけ」という気もしますが、うまくサボる習慣をつければそれほどウツも悪化しないのでしょうか。
それにしても「判断ができない」という症状は一番こまります。
2003年04月02日(水) すぱーむ・すぱーむ・すぱーむ いわゆるSPAM(迷惑メール)の類にはすっかり慣れっこになってしまいました。
昔から使っているHotmailのアカウントはすっかり汚れていて、毎日十数通の性器増大やら高利金融やら男女交際うんぬんのメールがやってきます。まあ、これはアイスランド人として登録してあるせいか、英語が多いです。
もちろん日本語で書かれた様々なメールもやってきます。
ところが、日本人として登録してあって、誰にも教えていないはずのアカウントにも時折そういうメールが混じってきます。たぶんMicorsoftがアドレスを売っているのでしょう。
迷惑メールはPOPメールアカウントのほうも同様であります。
ただ法律ができたせいでしょうか、迷惑度はかなり下がっています。
タイトルに「未承諾広告※」とつけて、送信者のメールアドレス・氏名名称・住所・以後の送信を停止するための通知方法が書かれていれば、違法広告メールも立派に「合法」になってしまうというわけです。それでもこのルールができたおかげで、フィルタリングできるようになってだいぶ助かっています。中には「末承諾広告*」とか小細工をしてくる業者もいますが、送信停止だけはたいていきちんと対応してくれます。
掲示板にメールアドレスを書き込んでいる以上、広告メールが舞い込むことは諦めているのですが、先日ある「業者」から一日に複数通のメールが届きました。
おそらくメールアドレスの自動収集ソフトと、メール自動送信ソフトを使っているのでしょう。
ルールに従っていない旨の指摘と、送信の停止を依頼したところ、翌日「迷惑は承知、重複も許して欲しい」と書き加えられて、同じ内容のメールがきたので呆れてしまいました。
「割り切った男女交際」のメールよりも、よっぽどげんなりさせられるメールでありました。
2003年04月01日(火) スマートマンとワイズマン 詳しく書くわけにはいかないのですが、気の滅入ることが多いこのごろです。
雑務をこなそうとメモ帳(もちろんパソコンの)を開いたら、過去のメモが目に入りました。
Don't worry. if everything worked right you'd be out of a job.
気にしなさんな。すべてがうまくいったりしたら、あなたの仕事が
なくなるじゃありませんか。 by fortune cookie
ネットニュースの誰かの記事のシグネチャ(署名)にくっつけてあった文章でした。
トラブルに対処していくことが、生きていくということなのでしょうか。
その下に、こんなメモも残してありました。
スマートであること、頭の良い、抜け目のないことは、そうでないより確かに結構なことです。
しかし、ユダヤの言い伝えにこんな話があります。
「スマート・マン(利口な人)とワイズ・マン(賢明な人)とは違う。
スマート・マンは状況から抜け出すのが上手な人だが、ワイズ・マンは状況に入るのが上手な人だ」
たぶんどっかの新聞のオンライン社説からの抜書きでしょう。
AAのプログラムは多面的で、状況に対する無力を認めて、コントロールしようとする無駄な努力を放棄しなさいと言っている一方で、棚上げは一時的な解決でしかなくて、その問題に取り組む「やる気」を取り出せるのは、あなた自身しかいないと言います。
スマートに「困難な状況」から身をかわしながら生きていくことは、一見楽そうに見えるし他の人がそうやっていれば羨ましくも見えます。でもいつかは行き詰まってしまうでしょう。
奥深い自分に正直であろうとすれば、困難な状況からうまく抜け出すことを考えるよりも、
どう関与していくか考えるほうが良いのでしょう。
利口であるよりは、賢明になりたいです。たとえそれが、周囲から愚かしく思われようとも。
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