ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年09月30日(月) お風呂 ホームグループのミーティングにやっと出られました。
もっとも、「いつもと違うスケジュール」週間の平均出席メンバー数は3名だったとか。きっと深い分かち合いができたのでしょう(苦笑)。
僕がつながったミーティング場は、90分を3人で分かち合うという会場だったので、話がなが〜くなる傾向があり、人数が増えてきたときも、話を二十分以内で抑えるのに苦労しました。 よくそんなに話すネタがあるな、と思われるかもしれませんが、習慣的にたくさん話す癖がつけば、あとからあとから昔の思い出が引っ張り出てくるものです。深い分かち合いは、お互いの過去を深く引きずり出します。いくらこの人でも、この話は一生に一回しかしないだろうな、という話も心に残っています。
いつものミーティング会場に行ってみたら、文化祭をやっていました。別の施設を臨時に借りていることを思い出して、慌てて移動しました。「いや〜文化祭やってたよ」と言ったら、「自分でこの会場を決めたくせに」と言われてしまいました。 そんなことないんです。 チェアマンは別にいて、彼が手配したんです。なんか、グループの主みたいに思われるようになってしまったら、もうそろそろ他へ移る時期なのでしょうね(そう言われたし)。
ミーティングでも話したのですが、ミーティングはやっぱり心のお風呂ですね。服を着て風呂に入る人がいないように、心のよろいを脱いで、醜いところも、傷ついたところも、格好悪いところも、さらけ出してしまう。 それで初めて心の疲れや傷が癒せるのでしょう。定期的にミーティングに行かないと、やっぱり心が汚れてしまう気がします。
2002年09月29日(日) ひさしぶりにみんなに会えました 南相木村というところで、日曜集会がありました。
佐久のちょっと先だと思っていたのに、佐久から一時間と聞いてびっくりしてしまいました。もっとも、その近くのグループから地区委員会に毎月きてくれるメンバーがいるんです。片道3時間。 しかも女性なのに。
でもやっぱり遠いよう、ということで相談したら「麦草峠」経由を提案されました。
同乗者なしということもあって、標高2100メートルの峠に挑むことにしました。田の中を走りながら、山を見上げると、上は雲がかかっていたので心配したのですが、案の定、上っていくと雨になりました。 西側は針葉樹林帯が広がる山です。峠の付近はクマザサの広がる高地。 まだ9月だというのに、紅葉を始めた木も多く、たいへん綺麗でした。もっとも、八ヶ岳連峰を通る国道が自然を破壊しているという訴えもあるので、ひょっとしたら自動車の排ガスのせいかもしれません。 でも、霧が峰や車山にくらべれば、ゼロに等しい交通量でしたが。 同乗者がいないので、能力の限りトバしましたが、本人が車酔いしました。東側は広葉樹が多いですね。帰りは八ヶ岳高原道路経由にしようかと迷いましたが、もう一度麦草を越えて帰ってきました。腕が疲れました。 そういえば、昔、この峠を越えてミーティングに通ってきた女性もいたっけ。
気持ちが良いのは、ドライブをたっぷり楽しめたせいでしょうか、今月ようやく2回目のミーティングに出られたせいでしょうか。 それとも、昨日の腕の良いマッサージ師のおかげでしょうか。
ここのところ、何ヶ月かサボっていた家事手伝いをしました。(皿洗いと、燃えるごみ整理だけですが)。
2002年09月28日(土) Daily Life of a Dry Drinker 寝ていたら、延々と電話が繰り返しなるので、出て見るとFAXでした。
どうやら、FAXどうしの相性が悪いらしく、自動受信になりません。 相手のFAXは自動再送信を繰り返しているようですが、そのたびに失敗しているようです。FAX電話機の実装なんていいかげんなもので、着信した文書が縦半分に寸詰まりになってしまったり、用紙サイズ情報が間違って巨大な紙が出てきたり・・・。 今回みたいなケースも決して珍しくはないのですが・・・。
FAXの内容は、「新住所を何度も通知しているにもかかわらず、旧住所に文書を送られて迷惑している」というものでした。 どうやら、委員会の議事録を送っている県外のメンバーが転居して、しかもその情報が僕のところに届いていなかったため、旧住所に毎度届いてしまい、しかもそのアパートの管理人さんが親切に新住所に転送してくれたものの「いい加減にしろ」ということになった、というストーリィでしょうか。
「何度も」といわれても、そんなもの受け取るのは今回が初めてだし(先方は何度も送ったのかもしれませんがFAXは毎回失敗したということでしょう)、だいたい郵便局に転送願を出しとけばいいのに。
まあ、機械のせいにしたり、相手のせいにしたりしても仕方ありません。
それに、先方が「迷惑している」と感じたことは事実でしょうから、そのことにわざわざ言い訳する必要も
ないでしょう。黙ってパソコンを立ち上げ、宛名印刷ソフトのデータベースと、PDAの住所録を更新し、寝なおそうかどうか思案した挙句、一日を気分よくはじめることにしたのでした。
2002年09月27日(金) Stome has gone やっと忙しさが去りました(いや、まだ安心できないのですが、ぜひ去っていてほしい)。
今月はミーティングに出たのが1回。 病院でのミーティング(メッセージ)が1回。地区委員会が1回です。 あと、電話で仲間と話したことが数回あったぐらいかな。きのうやっと、ホームグループのチェアマンと電話で話をする機会がを得ました。日曜日のミーティング(県内のグループが集まる)にも出られそうですし、来週からは通常のスケジュールでミーティングに行けそうです。
やっぱり、ミーティングから遠ざかると、ソブラエティの質が落ちる気がします。いつもだったら平然としていられることにも、イライラしてみたり、不安になってみたり。もちろん、ミーティングにまめに出ていたからといって、そうした感情が100%解消することなんてあり得ないわけなんですが、たとえ自分が十分話せなくても、人の正直なスピークアウトを聞いていると、自分の心の小ささやら狭さに気づかされ、それが日常の心の糧となってくれているような気がします。どうやら僕は「一生ミーティングが必要な人」の範疇の中のようです。
2002年09月25日(水) うっとうしいポップアップウィンドウ反対 3連休なので医者に行きそびれたまま、寝てすごしていました。
ご心配をおかけしましたが、なんとか無事に過ごしています。まだ、喉はタンの製造を止めてはいないところが心配なのは、こうなってしまうと、なかなか完治せずにあとを引くバターンがあるからですが、生活自体に支障はありません。パソコンのほうも新CPUで元気に動いています。 ただ、発熱量が多い(無負荷で50度以上)ので暖房装置となってしまいました。
しばらく日記を書いていなかったら「さるさる」がまた「うっとうしいこと」になっていますね。こういう悪趣味なポップアップウィンドウは嫌いです。 といっても、日記の筆者にはどうしようもありません。インターネットエクスプローラーをお使いの方は、「ツール」メニューから「インターネットオプション」を選び、「セキュリティ」タブから「制限つきサイト」(通行止めのマーク)を選んで「サイト(S)」ボタンを押します。「次のWebサイト・・・」のボックスに、www2.diary.ne.jp と入力して「追加」ボタンを押してください。あとはOKを2回。
制限つきサイトに指定することで、うっとうしい広告やらポップアップウィンドウやらも消えてくれます。ただ、これをやってしまうと、日記筆者は日記が書けなくなってしまうので、筆者の方は我慢してください。うっとうしいサイトは片っ端から「制限つきサイト」に登録していくと、だんだん快適(?)になってくれます。僕のとこでは、asahi.com やら Yahoo も「制限つきサイト」に入っています。
こういう広告の露出を制限するテクニックとかって、なかなか雑誌では取り上げてくれないですよね。記事を書くほうにもしがらみが・・・
2002年09月22日(日) かぜ 風邪をひいてしまいました。
妻からうつされたんで、夫婦で臥せっております。一足早く金曜日に医者に行った妻は薬を処方してもらえましたが、土曜日から悪化した僕は薬なしです。熱は特にないのですが、咳と鼻水とくしゃみが大変です。気管支から肺が痛いです。子供たちはジジババに預け、夫婦ふたりで、数時間ごとに寝たりおきたりの連続です。
3連休のうちになおるかなぁ。
2002年09月18日(水) 疲れが取れません さすがに、そう簡単に疲れは取れてくれません。
ただ、緊張感が取れてしまうので、仕事に身の入らないことこの上ないです。今度こそ3連休になりそうなんですが、実は稲刈りが待っていたりします。ストレスが溜まった心にはちょうど良い作業になりそうですが、体のほうが持ちそうにないので、雨でも降ってくれないかと週間天気予報を眺めています。
昔は数日先の天気予報となると高層天気図が出てきたものですが、最近ではテレビの天気予報で、寒気団の説明に使われるぐらいしか見ません。人間のカンに頼るよりも、コンピューターの出した予報を信用しろということかな。
2002年09月16日(月) 明日への扉 断続的に18時間ぐらいは寝たでしょうか。
「早く入り口から入ってしまったほうがいいよ」
仲間のその言葉に含まれたニュアンスの意味を、僕もわからないわけではないのですが・・・。
入り口の向こうがどんな世界なのか、それは語ってくれないのでした。抱負を聞かれるでもなく、心構えを諭されるわけでもなく、ただ、事務的な手続きの件をお願いして電話は切られました。
「助かりたければ、人の役に立ちなさい」 クリスチャンのオモニの言葉が、なんとなく心に浮かぶのでした。
あすからは、日常。
2002年09月15日(日) War is over now ひと眠りして起きました。
一週間半の予定だったプロジェクトへの参加(お手伝いとも言う)ですが、3週間半を費やして、やっと納品にこぎつけました。 まだやる作業はありますが、とりあえず、日常が帰ってきそうな気配です。明日はゆっくり休んで、AAの委員会の議事録、翻訳の校正なんかをやりたいな。Webの更新もしたいのですが、これは優先順位が低いから・・・。
2002年09月13日(金) 非日常 (僕らはいつも酔いを求めているんだ) 帰ってくると朝刊が届いている、という生活からの出口がやっと見えてきました。
順調に行けば(あんまり行きそうもないですが)、月曜日はお盆以来の休みになりそうです。「大変な生活なのではないか」と言われることもあるのですが、実はアルコホーリクにとってはそれほどツラい生活でもないのです。仕事に没頭していると言えば聞こえはいいのですが、実は仕事に酔っているだけってこともあります。
極端に忙しくて、日常のことはそっちのけ。 てんやわんやの大騒ぎの日々ってのは、実は毎日飲み暮らして、毎日が非日常のアル中の世界とかなり似ている部分もあるのです。
「僕らはいつも酔いを求めているんだ」
先行く仲間の言葉が思い出されます。
酒でなくても、薬物であれ、ギャンブルであれ、日常からの脱却・非日常を求めることに変わりはありません。時にはそれは「恋愛」であったり、「過度な趣味へののめりこみ」だったり、場合によっては自助グループの活動にかこつけた「脱出」なのかもしれません。日常のレベルでは「陰口」とかも、のめりこみやすい対象です。たまたま「酔っ払いやすい」対象がアルコールだっただけで、どんな行動障害がおきていても不思議ではなかったはずです。 だから、「酔いを求める」原因を自分の中から取り除く作業を続けていかないと、何も変わっていないことになるのかもしれません。
(ということを、非日常にどっぷり使っている人間が言っても説得力がまるでないけど)。
2002年09月12日(木) 実は怒っている プロバイダーを変わる決断をしました。
原因は技術的なことなので、ここに書くのはふさわしくないのですが、ほかでは当たり前にできるサービスをお願いしたのに、10万円以上の出費と、月々一万円の料金を設定されたのが原因です。 いろいろ交渉を続けるのも面倒になったので、あっさり解約することにしました。 ADSLなので、プロバイダー移転には工事日の設定など、面倒なことがたくさんです。いちおう移転先はOCNの予定です。
ただ、いきなりホームページのアドレスが変わるのも問題なので、半年ぐらいはダイアルアップの契約で月々700円支払いながら、移転を進めようと思います。
光ファイバーを引くことも考えましたが、まあそれは車のローンが終わってからにします。まあ、全ては時間ができてからってことで。
2002年09月11日(水) ネット断酒 最近「二郎さん」のところの掲示板に出入りしています。
毎日、たくさんの投稿にコメントをまめにつけて、几帳面な方だな、というのが印象です。モデレーター役というのは、結構大変なんですよね。もっとも、あの方にとっては、毎日の書き込みが日記のようなものなのでしょうか。それにしても「ネット断酒」というのですか、Face to Faceの自助グループに属さずに、飲まない生活へとたどり着いている人々もいるのですね。
僕は、実はあんまりネットを経由した人間関係ってのは苦手なのです。RCP/Mには間に合いませんでしたが、それでも300bpsのモデムを10万円ちかくで買ったくちです。NiftyやPC-VANの消長を眺めてきたなかで、泥沼のチャット地獄にもはまりましたし、それはたくさんの文章を書いてきたのですが、(オフ会のない)オンラインの人間関係が長続きした経験がありません。
そんな僕ですから「ネット断酒」はたぶん無理でしょうね。
ネット上でしか触れ合ったことのない人々の存在は、なんとなくずっしりとした実存の重みを欠いている幻想から抜けられないのです。 でも、そうした壁をやすやすと乗り越えられる人々もいるのですね。世代の違いなのでしょうか。僕は、古いタイプなのでしょう、現実のアル中さんたち(止める気があってもなくても)との接触があった上で、はじめて、こうしてオンラインでの自分も存在を許されている気がするのです。
でも、文章を書くのはストレス解消になるので、こうして駄文を書いているのです。
夜明けがアラスカからアリューシャン列島へ届いてきました。 そろそろおうちへ帰ろうかな。
2002年09月10日(火) 自動車工場は広かった。 入り口から現場まで2Kmありました。 機材を持って2往復したら午前中が終わりました。
結局、進捗率が悪いということで、早々に退散することになったのですが、睡眠時間の短い日々が続いていたので、ここで少し休息を取ろうと、ホテルの翌朝のチェックアウトまで寝てから長野へ帰ってきました。 途中 こちら の事故渋滞に巻き込まれてしまいましたが、おかげで、体は休まりました。
やっぱり、体が過労の状態にあると、精神的にもギスギスしてきて、職場の人間関係も殺伐としていけません。 やはり人間の体には十分な休息が必要です。なんとか今度の日曜日を無事切り抜ければ、平穏な日々が戻ってきそうな気配です。限度を試される日々の中では、「なんでエンジニアなんて職業を選んでしまったのだろう」と人生の選択を呪い、余裕の有る日々が戻ってきたら、「あれもやろう、これもやろう」と思いを馳せるのですが、いざ苦しみが過ぎてしまうと、頭も体もサボるのを楽しんでしまうのでした。どうも、勤勉という美徳は身につきそうにありません。
常時接続環境にいると、しょっちゅうWebページを覗きにいったりするのですが、ダイアルアップだとなんとなく面倒で、掲示板めぐりやら日記やらもまるでしないのでした。
(それだけ日頃から仕事してないってことかもね)
2002年09月06日(金) ねむれない ここのところ帰ってくるのは深夜(か朝方)なんですが、なかなか眠れません。
仕事のテンションの高さが収まらないのです。若い同僚は、缶ビールを4本飲んでも眠れなかったとぼやいています。土日休めないのはつらいなぁ。
来週は愛知県に滞在です。たぶん、ホテルからダイアルアップします。
2002年09月05日(木) 感謝 あと、正味二日半しかないのですが、仕事の進捗が思わしくありません。
もうちょっと進んでいるだろうと思って油断していました。
「ああ、なんでもっと早く真面目に取り掛からなかったんだろう」
とか何とか後悔してみても、多分次のプロジェクトも同じ後悔にまみれて過ごすのでしょう。そして、一生それは直らないのかもしれない。 はたして、この怠惰さに、いつかは改善が訪れるのでしょうか。
さすがにうんざりして、同僚をデジカメで撮って遊んでいたら、「そんなことしてる場合じゃないでしょう」と怒られてしまいました。 はい、そうです。ごめんなさい。 現実逃避している場合じゃないです。
夜11時過ぎに、仲間から携帯に着信がありました。 たとえそれが、事務的な打ち合わせにすぎなくても、殺伐とした仕事ばかりの日々が過ぎていく中では、ひとつのオアシスだったりします。
飲んでいた頃、人間によって最も傷つけられたと錯覚していたのですが、実は自分を傷つけていたのは自分でした。いまも、自分を一番傷つけるのは自分ですが、人間によって最も癒されることに気付かされたのです。
みんな、ありがとね。 怒ってくれた同僚にも。
Forthday が日本に夜明けが迫っていることを教えてくれますが、もうすこしワープロに向かってから寝ることにしましょう。 約束にだいぶ遅れています。「みんな、大好きだよ」。 ミーティングでそう叫んだ、先行く仲間の気持ちが、少しわかった一日でした。
2002年09月02日(月) 今を悩んでます 実は、このサイト『心の家路』の存在は、長野県内のAAメンバーにはなるべく伏せておきました。
昨年秋にスタートする際に、ミーティング会場地図とスケジュールは載せさせてもらうと了解を地区委員会でいただいていたのですが、それっきり特に報告するわけでもなく、一部の方たちだけに見てもらっている状態でした。
「県内のAAの情報なのに、地元のメンバーに伏せていてどうするんだ」という至極まっとうな意見を頂戴いたしましたので、少しずつ会う人ごとに教えていこうかな。
日記を書いている利点は、近況報告が要らないことですね。
ああ、社長は元気になりました。 やる気まんまんです。 うるさいぐらいです。そのくせ都合の悪いことは忘れているのでタチが悪いです。今回の社長の入院などで、潜在的だった問題(将来会社の経営を引き継ぐのかどうか)が、あらためて浮き彫りになったわけですが、不思議と悩みませんでした。 所詮なるようにしかならないし、その時が来たら考えればいいことです。
先のことで悩むよりも、今日の悩みでいっぱいだし。
2002年09月01日(日) 友達いない (名取有羽現象とも言う) 20代の頃は、年賀状なんて出したこともありませんでした。 まあ、一人で飲んでいたから当然と言えば当然なんですが・・・。最近僕の出す年賀状の8割ぐらいはAA(と断酒会)関係です。 PDAの連絡先データも、必要最低限の仕事関係と親戚を除けば、全部AAがらみ。
だいたい僕には友人と呼べる人がほとんど居ません。 大学時代の友人とは、だいぶ関係回復が進みましたが、彼らはだいたい東京にいるか、それぞれの郷里に居るので滅多に会いません。高校以前の知り合いとは縁が切れてしまったし、成人以降は飲んでばかりなので、親しく親交した人もいません。 自宅まで遊びに行ったことのある友人は指折り数えても「ふたり」。
もし、仕事と家庭だけで平和な生活が維持できたとしても(英語の場合には仮定法過去というヤツだね)、だいぶ寂しい人生になっていたでしょう。
残念なことに、仕事と家庭とAAと、あと趣味の時間を少々取ってしまうと、もう僕の時間はなくなってしまうので、「普通の友人」てのは今後とも沢山できそうもありません。でも、おそらく「寂しい」ってことはなさそうですね。 自分から離れていかない限り。
Are you a Bill's friend?
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