ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2001年09月30日(日) 行ってきました地区集会 行ってきました地区集会。
9時出発でしたんで、もともと10時には間に合うはずもなく、しかも途中でガソリンスタンドに寄ったり、セブンイレブンで朝食を摂ったりしてるんですから、峠をふたつ越えて会場についたときは、すでにミーティングは始まっているものと思ったら、まだでした。これが「AAタイム(AA時間制)」というやつで、外部に責任を負う場合はともかく、仲間どうしだとかなりルーズになります。「甘え」と言われれば確かにそうです。でも自分だって「遅刻の確信犯」なので人のことは責められません。
午後のミーティングの司会を任されたのですが、終わりの予定時刻を聞いておかなかった失敗があり、自分自身の話が長すぎたせいで、続く人たちも長めの話になり、終わりのほうの人たちは、わずかな持ち時間しか貰えなくなってしまいました。90分の枠の中に収めたつもりだったんですが、実は60分の予定だったらしく、部屋を借りる時間を一時間延ばして地区委員会をやることになりました。その一時間のために、1000円余分に出費がされるわけですが、誰も僕を責めたりしないところがAAらしい「寛容さ」でしょうか。それに甘えちゃいけないのでしょうが。
地区委員会はいつもどおりの紛糾です。まあ病気の人間の集まりですから、紛糾は当たり前ですが、初めて委員会に出たメンバーはレギュラーミーティングとのあまりの違いにびっくりしていたみたい。
2001年09月29日(土) 運の悪い・・・ 明日はAAの地区の集会があります。
といっても、中身はミーティングと地区委員会なので、何も特別なことはやりません。でも、普段は会えない他のグループの仲間と、一緒にミーティングをするのは、(僕みたいな)あまり「歩かない」、つまり他の会場に積極的に顔を出さないメンバーにとっては、貴重な経験なのです。普段ではあまり会わないメンバーの無事を確かめ合ったり、比較的新しい人の話を聴くことができたり・・・逆に地元のミーティングしか出たことの無い人にはいろんな仲間がいることを知る機会でもあります。
さらに一緒に食事したり、(風呂の設備のある施設でやることが多いので)同じ風呂に入ることで、親交が深まります。スポンシーもこういう集まりに出るのは初めてなので、彼にとって何かの転機になればいいな、と思っていたのですが・・・先ほど電話があり、38℃の熱でダウンしているそうです。週に何度も病院に通わなければならない彼ですから、そこで風邪のウィルスをもらってしまうのも、やむを得ないことでしょう。
でも、「運が悪いなぁ」と感じてしまいます。物理的な理由で、地元のミーティングしか参加できない彼にとって、貴重な機会です。いちおう明日の朝まで様子をみることにしました。
2001年09月28日(金) 出発の準備 茨城に出発するのは10月2日に決定しました。10月1日の月曜は、ホームグループのオープンミーティングです。このオープンのときにその月のバースディミーティングをすることにしています。去年まで10月にバースディを祝っていた仲間は去ってしまいましたが、新しくきた人たちも一日一日ソブラエティを保っています。9ヶ月の仲間が一人、6ヶ月が二人。なので、何とか出席したくて、なんだかんだ理由をつけて一日出発を伸ばしたわけです。第2週は戻ってきてるかもしれませんが、他はおおかた茨城にいるでしょう。
会社のノートPCが足りず、しかたなく自分で買ってしまいました。それの設定に追われています。
この日記のホームサイトは9月一杯にオープンするつもりでしたが、どうやら11月になりそうな気配です。でも、日記だけは更新していくつもりです。それにしても、携帯電話でのダイアルアップは遅いですねぇ。ホテルの電話からダイアルアップできるようなら、10月中のサイト公開もあるかも。
ああ、ねむい。
2001年09月27日(木) 遠方よりメール機たる 遠くの仲間からメールが届きました。手紙を書くのは億劫でも、メールを書くのは楽でいいです。ずいぶん長いこと書き物はワープロばっかりでしたから、私信とかもワープロで打って印刷したのを送ります。手書きなのは最後の署名と、封筒の表裏ぐらい。
さて、その仲間も僕と同じうつを抱えています。飲んでる薬の話だとか、有給を使い切っちゃった話だとか、そんな内容です。でも、あいかわらずしんどいけれど「飲まずにやっている」という現状が伝わるだけでも、なんとなく気持ちの分かち合いができてます。その仲間は、僕のAAとの最初のコンタクトの頃、とっても厳しいことを言ってくれた人です。厳しいことを言うので、皆からかなり敬遠されている人でした。
「ここの会場は週2回やってんだから、2回とも来なさいよ」
「最初の一年が一番難しいんだから、その間だけでも残業断ってでも来なよ」
「今度飲んだら死ぬかも知れないんだぞ」
僕も彼のことを敬遠していました。でも、スリップして病院のベッドで思い出したのはほかの仲間のかけてくれた優しい言葉ではなく、彼の厳しい言葉でした。ああ、自分が嫌われても構わないから、本当に僕のことを思って言ってくれてたんだなぁ。損な役回りを引き受けてる人なんだ。1年ほどして感謝の言葉を伝えたら、「あれは僕の霊的な病気の部分が言っている言葉です」と謙遜していました。遠くへ移っても相変わらずなんでしょうね。
2001年09月24日(月) 連休中家で仕事するつもりだったけど・・・ 日曜は妻と映画『千と千尋の神隠し』を見に行きました。整理券とか配っていた割には、満席にはなりませんでしたけど。券を持って並んでいると、後ろから「プシュ」「プシュ」と缶ビールを開ける音がし、ぶ〜んとビールの匂いが漂ってきます。飲みたいなという考えも出ますし、酒臭くてやだなぁという気持ちも半分です。映画は面白かったですよ。
月曜は子供たちと公園へ。
10月のホームグループのミーティングですが、できればグループ内で処理したいのですが、今週はミーティングなしですから、どうしようもありません。また今回も南隣のグループのM女史に頼むことにしました。忙しい彼女の生活に電話で割り込まないよう、留守番センターに直接用件を吹き込みます。メッセージが蓄積されたことが彼女の携帯へメールで通知される仕組みです。
15日と22日について、快諾をいただきました。いつもありがとう。ごめんなさい、いつも十分なお返しができなくて。
ああそうだ。茨城県のミーティング会場を調べておかなくちゃ。
仕事が終わるのは8時過ぎが多いみたいなんで、たぶん出席はできないでしょうが、何が幸いするかわかりません。最初からあきらめちゃいけません。
2001年09月22日(土) ぼくのソブラエティはここから始まったんだけど 10時間寝ましたが、まだぼうっと疲れています。午後は出社して仕事を進めるつもりでしたが、もはや午後2時ではその気力もありません。資料だけ取ってくることにして、会社の駐車場からスポンシーにいきなり電話をかけました。
「今日やっている会場へ行かないか? 途中で風呂も入ろうよ」
10月1日のホームグループのミーティングには、どうやっても出るつもりでいますが、それ以降のことで、自分の担当の分を誰かに頼まないといけません。もうだいぶ長いこと隣のグループには顔を出していませんが、ともかく行って頼んでみることにしました。100円ショップでタオルと石鹸を買い、220円の公衆浴場に入りました(一応温泉だよ)。久しぶりの会場は、改装が行われてきれいになっていました。何ヶ月ぶりだろう・・・およそ11ヶ月ぶりです。「どう?」と尋ねると、「二人でミーティングを始めていると、ぽつぽつと遅れてくる人が来て、3人か4人で やってるときが多いかな」「今は県内どこも変わらないね」。新しい顔ぶれが増えていました。
病院でやっているミーティングについて、1回を引き受けてもらいました。彼は仕事のスケジュールを変更して行ってくれるようです。ああ、今思い出すと、感謝の言葉も言わずに帰ってきてしまいました。来月になったら、週末だけしか帰って来れないけれど、その週末にはここの会場にくることにしよう・・・
2001年09月21日(金) 平気で嘘をつく人 嘘をつかない人間はいません。
でも、たいていの人は嘘を発する瞬間に、心の中に何かの痛みが走るのでしょう。嘘を言っているな、と周囲にバレバレという人もいます。僕もそうで、カミさんには「嘘を言っている瞬間が分かる」とまで言われてます。しかし、世の中には自分の利益を守るためには、何の顔色も変えずに嘘をつける人もいます。もっと悪いのは、自分の利益よりも、他人の不利益のために嘘をつく人もいます。自分が幸せになりたいために嘘をついてしまう、というのは理解できなくもありません。でも、人の足を引っ張るために(自分の利益を犠牲にしても)嘘をつく心理は、「幸福の追求」という原理からは理解できません。そこにあるのは、恨み・妬み。
今日会った人は、そういう人です。確かにここ数ヶ月、その人との間に利害の対立があったことは事実です。しかしながら、今日の会話は「お互い腹を割って話そう」という次元の話し合いではなく、細かい穴のほじくり合いが発展した非難の応報。帰社すると、「世の中にはああいう人もいるのだ」と上司に言われました。
昔スポンサーに言われた「アル中でなくとも霊的に病気の人はいるのだ」という言葉を思い出しました。Big Bookにも「私たちは病気の人には同情を持って接するのだ。たとえ、それが霊的な病気であっても関係ない」とかなんとかありましたね。僕も言いたいことは言ってしまったのだし、それでよしとして、心の中に恨みを残さないようにしたいです。そうしないと、その恨みがどんどん膨らんでくるから。
でも、今月末の支払いが満額でなかったら、喜んで内容証明とか書いていそうな自分です。
2001年09月19日(水) さて、どうしよう。 月曜から出張に行って、金曜に帰ってくるという生活がもうすぐやってきそうです。そんな話になったのも、例のテロの影響が及んでいるのかもしれません。というか前々から決まりかけていた話に、トドメを刺したのがあの事件だったのかも。先のことを心配しても始まらないのですが、自分もミーティングに出られなくなるし、ホームグループのことも、誰かに頼んでいかなければいけません。それから病院でのミーティングのこともあるし。やっぱり心配しだすとキリがありません。
本当にそうなるかどうかも判らないのに、不安に思ってしまう「先取りの不安」というやつです。ともかく、新潟のラウンドアップには行けそうもなくなったことだけは確かです。あと、この日記を含んだWebサイト立ち上げも、9月いっぱいに立ち上げて10月はろくに更新せずにほっとくか、それとも11月あたりから始めることにするか・・・
2001年09月18日(火) ミーティングお休みが続くときは・・・ 今週のミーティングの予定は、昨日のホームグループのやつだけです。病院でやるミーティングは別のグループの番だし、来週の月曜は祝日なんで、会場が休みになってしまいます。祝日だと、ほかの市の施設も軒並み休みになり、開いているところも「昼間だけ」となってしまうので、どうにもなりません。3連休を増やすために法律を変えたりしてるみたいですが、おかげで、月曜のミーティングがお休みになる回数は増えました。
次のミーティングまで10日近くあります。あまり間をあけると「ソブラエティの質が悪くなる」という感じがします。そう感じる仲間も多いみたいです。久しぶりに、どこかよそのグループへお邪魔しようかな。
温泉の近くの土曜の会場もいいし、8月のBirthdayに行けなかった仲間のいるところでもいいし・・・
それにしても、昨日よりも体が痛いです。筋肉痛が翌日に出るのは若い証拠で、翌々日以降もこうして痛いのは、年を取った証拠。ともかく、どこに行くか今のうちに決めておかないと、ずるずると日々が過ぎていってしまうのは、もう何度も経験済みです。さて、どこにしようか。
2001年09月17日(月) 覚えていない昔 筋肉痛バリバリです。仕事は座り仕事なんで問題ないんですが、ちょっとでも体を動かすと、痛いです。
月曜はホームグループのミーティング。ほかのグループの仲間がやってきてくれました。
「最初は、母親がここのミーティングに通いだしたんだ。
月曜日になると、どこかに行っているんで、何かやっているんだなと思った。
そして、その頃から自分の飲酒について、煩いことを言わなくなった...」
ホームグループは事実上毎回オープンミーティングなんで、家族の方が訪れることも多いのです。僕は記憶力が悪いので、昔誰がきて、自分が何を言ったかなんて覚えていません。でも、相談を受けたとしたら、
「口出しはしないで、飲みたいだけ飲ませてあげなさい。ただし、その尻拭いの手伝いはしないこと。本人の生活が行き詰まらないように協力していると、飲んでいる年数だけが増えていきます。早めにどん底に突き当たったほうが、失うものが少なくてすみますから。仕事とか家族とか。ただ、死なないように、それだけは気をつけてあげてください」
とか何とか言ったことでしょう。
僕も父母と暮らしている頃は、父母の助けで仕事が続いていました。でも、その間は、なかなか自分と直面しようとは思わなかったものです。でも、家から離れてアパートの一人住まいで死んでいった仲間もいます。僕も多分そうだったかもしれない。
2001年09月16日(日) 稲刈り 実家で稲刈りをしました。といっても自家消費用ですから、経費を最低限に抑えるため「バインダーで刈って、ハゼを作り、天日で干す」という、肉体労働です。僕は体を使った労働は苦手なんで、結婚相手は農家の娘でない人と決めていたぐらいです。僕の役目は、刈り取られた稲束を田んぼ全体から集めてきて一列に並べ、ハゼにかけるという単純極まりない労働です。農協から「胴割れ」を防ぐために早めに収穫するよう指導があったものですから、暑い中での作業です。しょちゅう水分を補給し、大量に汗をかきます。体を使う仕事の良いところは、頭の中がカラッポになることです。
いろいろと悩みや希望や欲望を考えていても、次第にそれが消えていき、「ぜい、ぜい」と息をしながら、体だけが動いていきます。休息に稲の上に寝転んで、空を眺めると、透き通るような空色に白い雲が浮かんでいます。春と秋の行楽シーズンを田の手伝いに費やすのは、あまり良い気持ちはしません。でも、体を動かすことが、心のどこかを癒してくれるのは間違いありません。
そういえば、AAのイベントも春と秋の農繁期に集中することが多く、1年目2年目は無理を言って行かせてもらいましたが、最近はそうもいかず、地元のオープンスピーカーズも休まざるを得ないほどです。ラウンドアップも多分脱穀と重なるでしょう。汗だらけになって、何よりも望むのは風呂に入ることです。汗に濡れたシャツが風で冷やされるとなおさらです。
そういや、ドカタをやっていたメンバーが「ミーティングに遅れずに行きたいのはやまやまなんだけど、どうしても風呂行ってからじゃないと」って行ってました。何事も、その人の立場にたってみないと理解できない、ところがそれが一番難しい。
2001年09月15日(土) 場所を求めて右往左往 Webサイト作成のほうは、少しづつ進んでいます。問題なのはそれを収容する空間をどこに確保するかです。理想的なのはホスティングサービスを利用することで、独自ドメインだとなおさらいいでしょう。使っていないドメイン名も二つあるんですが、ドメインの所有者は住所氏名電話番号などが公開されるのが原則なので、無名性という点からは良くないかな。単に空間だけ確保するのであれば、契約しているISPのWWWサービスを利用できれば、無料です。が・・URLの一部にアカウント名が入り、しかもアカウント名は実名です。予備のISPは、再契約しないとWWW空間が貰えません。そういやNIFTYの契約が残っていたから・・・これも再契約しないとだめ。仕方ないので、落ち着き先が決まるまで、無料ホームページスペースのサービスをしているところを見繕っています。広告が入ってしまいますが、まあ仕方ないでしょう。落ち着き先が決まったら、引っ越せばいいわけですし。とりあえず COOL か goo で始めます。
長い病気休暇で被った経済状態が回復したら、この日記もお金を払って、広告を取り除きたいところです。
2001年09月14日(金) 狼と赤頭巾ちゃん 午前中から打ち合わせ・資料作成・また打ち合わせ。そりゃそれも仕事かもしれないけど、せっかくコードをたくさん書こうと意気込んで出社したのに、1行も書けなかった。などと考えてしまうのも、悪いことは人のせいにしたがるアル中的思考でしょう。スポンシーに昨日の名刺の件で、ちょっと言葉がキツすぎたかな、と思ったので、電話をかけてみました。が、留守電でした。ところがすぐに折り返しかかってきて、いろんな話をしているうちに1時間半も過ぎてしまいました。電話を切ってPCに向かうと、すぐに県外の仲間から電話がかかってきました。その仲間と僕とはシェアできる経験が少ないんで、話題は主に世間話です。アメリカのテロの話・東京の鉄道の非統一性について・アノニミティの話。アルコホーリクじゃないけど「さびしい」からAAにやって来る女性たちの話。
「そう、僕も昔はAAの中で起こる『狼と赤頭巾ちゃん』のことについては、軽蔑のまなざしで見ていたんだ」と話したら、「じゃあ、私のことも軽蔑のまなざしで見てたんだ」と言われました。うん、そのとおり。でも、僕もAAもやっぱり人間の集まりであって、男と女がいれば起こることは起こるべくして起こる、ということは学びました。「誰かを非難する前に、その人の靴を履いて歩いてみろ」と何かのテキストにありましたが、このケースもそうでした。「ほんとに気をつけてね」。ありがとう、心配してくれて。
僕もずいぶん「先行く仲間面」をしたもんだけど、どうやら君のほうが回復が速いかもしれない。いや、たぶん速い。速いです。
でもな、デートの約束をすっぽかすなら、連絡ぐらい入れなさい。電話しているだけで、すっかり真夜中です。
この日記、新しく作るWebサイトのコンテンツのひとつとして書いてるんですが、肝心のホームページの作業が進んでません。遅れの原因の一つは、やっぱり長電話かな。
2001年09月13日(木) ステップ1と敗北宣言 病院でのミーティングに行きました。テーマは、ステップ1です。ステップ1は、アルコールに対する敗北宣言です。ほかの問題であっても、自分が何かに敗北したことを、受け入れるのは難しいものです。再挑戦してみよう、という考えを持つ人がいてもあたりまえです。ハンドブックの3章の終わり付近の文章は、「納得できるまで、再挑戦してみればいいよ」という主旨でしょう。再挑戦して、そのたびに敗れ去り、そのたびに何かを失っていく。何かを失ってみて、もしくは失う予兆が出始めて、自分がとっくの昔に敗北していたことを、認めざるを得なくなるのです。
さて、前からスポンシーに、名刺を作ることを頼まれていました。パソコンとプリンターがあれば簡単な話です。専用紙もあるし。僕が作った下書きには、彼の住所に「○○荘○○号室」が入っていたのですが、彼はそれを取り去ってほしいと言ってきました。気持ちはわからなくもありません。○○荘○○号室があれば、アパートの一室に住んでいることが明確になり、なければ一軒家に住んでいるかもしれないと思わせることもできるのです。「それがなくても、郵便も届く」と彼は言いいます。そうでしょう。そのたびに、郵便局員や宅配便の人に、余計な苦労を背負わせていることに、気が付いていないのです。結局は自尊心の問題であり、虚勢をはることは、謙虚と正直とは反対の方向なのです。そして、その方向には酒瓶が待っている。
そのことは、沢山の仲間によって、証明されているのです。
2001年09月12日(水) 今日一日だけ あいも変わらず America Under Attack という字幕が消えません。
さて、スンポンシーから、身体障害者手帳の申請をすることになったというメールがありました。夜、電話をかけてみると、案外落ち着いているので安心です。リハビリは今後も続けるそうですが・・・
「今の自分にできることは、リハビリとAAだけ」という言葉には、現状を認める響きがあります。でも「一生生活保護で暮らすよ」という言葉には「それは今日一日の生き方とは違う」と返しておきました。
「一生××する・しない」というのは(本人は気づいていなくても)傲慢さの現れですから。「××する・しない」なんて気持ちは、明日になったら消えてしまうかもしれません。現実の生活では、遠い未来のことまで考えて行動するにしても、気持ちの上では「今日一日だけ」の生活を続けていくべきなのです。
2001年09月11日(火) CNNかぶりつき 早めに帰れたので、新しいWebサイトの構築をしようかと考えていたのですが、夕食を食べながら、ニュースステーションを見始めたら、なんだかとんでもない事件が発生しています。結局CNNを4時間近く見つづけてしまいました。America Under Attack というセンセーショナルな字幕が張り付いたままです。
2001年09月10日(月) 台風の日のMeeting 台風が来ています。出張に行くはずだった人々も、皆会社で待機です。あずさも、新幹線も止まり。中央道も関越も通行止めです。朝から雨が降ったり止んだり。そう言えば先週の月曜も(台風じゃないけど)雨でした。スポンシーの彼は、片松葉杖をつきながら、バスにのり、電車に乗り、最後は駅から歩いてミーティング場にやってきました。靴下はびしょ濡れでした。それ以前は、僕も病気休職だったんで、ヒマがあるから、迎えに行ってあげました。でも、仕事に復帰してしまうと、夕方会社を出てから、彼の家まで回っていたんではミーティングに間に合いません。「だから自分で来てね」という話はしてありました。さて、今日はどうでしょうか。あさから台風の話題ばかりです。でも彼は、ちゃんと来て会場を開けてくれていました。帰りは送っていってあげます。そう約束したから。
「冬が来て道が凍ったら、片松葉じゃ怖い」と彼がいいます。
僕も、「さて、帰りに送っていってあげるのは、いつまでにしよう」と内心思います。でも、そんな何ヶ月も先のことで悩んじゃってもしかたないのです。「先取りの不安」はせずに、感情の面では常に「今日一日」を生きないと。
2001年09月09日(日) ひさしぶりの病院メッセージ活動 仲間から念押しのメールが届かなかったら、今日の病院メッセージのことはすっかり忘れていたでしょう。危なかった。ありがとう仲間。この前の担当の月は、うつで動けなかったので、実に6ヶ月ぶりです。午前10時半にスポンシーを迎えにいくはずが、ちょっと遅れてしまいました。仕事でいくなら、間違いなく高速道路利用の距離ですが、下道をいきます。途中ガストで食事。病院に到着すると、二人の仲間がすでに到着して待っていてくれました。片方はなんと僕のスポンサー、もう一人は数ヶ月前にこの病院を退院した仲間です。患者さんの数は二十数人でした。司会はスポンシーに任せました。彼のやりかた(例えば氏名の順番とか)は僕のやりかたとは違います。「そこはこうしたほうが良いんじゃないかなぁ」と思っても、黙っているのが最善です。ひとつには「アル中は他の人のやることが気に入らない」という性格的欠点が原因かもしれないから。
もうひとつは、「彼のやり方より僕のやり方のが優れている」という根拠が何もないからです。
終わった後で、顔見知りの人たちが談笑しています。僕もゆっくり話をしたかったのですが、夕方会社に顔を出す予定だったので、すぐ帰りました。帰りは高速経由、仲間を降ろしてから仕事へ。自宅に戻ったときには疲れ果て、夕食も風呂も抜きで寝てしまいました。「しんどいなぁ」と正直思うのですが、病院メッセージ活動を止めたら新しくミーティングにやってきてくれる人々はいなくなり、そしてグループは消滅してしまいます。僕も5年前の入院時に、仲間が病院まで来て話してくれた内容は良く覚えています。今日話を聞いてくれた人たちの中で、退院後に僕らのミーティングに来てくれそうなひとは、多分いないでしょうが、でも、無駄ではないと信じるほかありません。
2001年09月08日(土) 仲間に電話 飲んでいる仲間のところに、電話をかけてみました。
今夜は酔っ払ってはいないようで、きちんと会話も成り立ちます。でも、話の内容は、同じところを言ったりきたり。
2001年09月07日(金) あきはばら 結局仕事のトラブルは解決できず、来週への宿題となってしまいました。時間が余ったので、「秋葉原言ったことないんすよ」という人もいるんで、電気街をちょっと案内することにしました。といっても、10年前とは様変わりしてるんで、ちょこっとフラフラしただけですが。気が付いたら、型落ちのCD-RWドライブを手にしていました。
2001年09月06日(木) 出張しました 出張して客先で打ち合わせ、そのあと現場で作業を晩までやって、一晩泊まり、明日も作業して帰る・・・という予定です。一緒に言った同僚(正確には部下だけど)が、夕食に酒を飲みたいと言い出しました。僕が休んだおかげで、彼にもかなりしわ寄せがいってしまい、十分休暇も取れない状況にしてしまったので、申し訳ないと思います。ストレスもだいぶ溜まってるのでしょう。だから、断るわけにもいきません。折りよく駅前は、かなりの規模の歓楽街です。が、さすがにスナックとかパブとかは勘弁です。腹は減り、歓楽街を歩き回りながら、「飲み」と「食い」のバランスの取れた店を探すこと30分。ようやく、焼肉で折り合いをつけました。お腹が十分満たされ、自分用に良いソフトドリンクが十分確保されていれば、周囲のお酒の存在はあまり気にならないものです。とんだ散財だけど。
2001年09月05日(水) 旧友は我を忘れず 最近はSSRI(セロトニン再吸収阻害薬)とか、SNRIとかの薬が承認されてきました。プロザックなんかは「性格を明るくする」効果があるなんて一時騒がれたときもありました。でも、効き目は症状や人によるでしょうから、新薬がよいとは限らないわけです(値段も高いし)。しかし、副作用が少ないというのは、確実な利点です。でも、飲んでるときは、そのありがたみが判らない。今回の病気休職中に、いろいろ試した結果、2年ほど前に飲んでいた伝統的な抗うつ薬に戻したのですが、その効果が現れて、うつが改善するのと同時に、副作用も戻ってきました。僕の場合は「口渇」です。普段でものどが渇いた気がしてますし、話を続けていると数分で口の中がカラカラになります。幸い僕はデスクワークが多いんで、お茶でも飲めば解決するんですが、客先での打ち合わせとか、かなりキツいです。そうは言っても、薬は効かないと意味がありません。医者に口渇を訴えても「副作用」であることが再確認されるだけす。そういう意味では、SSRIとかSNRIとかは、Quality of Life の面から見ると偉大な薬ですね。
2001年09月04日(火) 経済的な心配の棚上げ 先週までは、病気休職ということで、傷病手当をいただいていたのです。飲んで入院というころも、この傷病手当にずいぶんとお世話になりました。そうは言っても、支給されるまでに数ヶ月の遅れがおきます。それでは生活に困るだろう、と会社側の配慮で、手当てを立て替えてくれました(今回も)。ありがたい話です。つまり、「受取人」を会社名義にした書類を提出して、それを担保に、仮払いをしてくれるわけです。が・・・先月3週間ほど勤務に復帰した日があって、どうもそこで病気休職扱いは打ち切られてしまったようです。だって、傷病手当の書類は要らないと言われましたから。
まあ、それは構わないんですが、そうは言っても、その後2週間休んでいたのは「全部欠勤」扱いになるんかなぁ。そうすると今月の給料はいくらになるんだろう?・・・「心配」
でも、どうせ給料日がくればわかることです。それまで、心配を続けていてももらえる金額が増えるわけじゃありません。先取りの不安は持たない、感情の上では今日一日だけを生きる。
AAのスローガンは今日の僕を助けてくれました。
2001年09月03日(月) ひさしぶりの職場 第一月曜日は、午前中はずっと会議です。途中出社や海外出張もありましたが、結局僕の病気休暇は2ヵ月半におよびました。迷惑をかけた同僚にわびを言いました。特に僕を責めるような雰囲気もなくて、安心しました。しらふである、ありがたさでしょうか。昔、飲んで入院し、退院・復職したときに感じた、重苦しい雰囲気は味あわずにすみました。
夕方からはホームGのミーティング。遠来から珍客もあり、病院を退院した方が奥さんと一緒にきたり、にぎやかなミーティングでした。
2001年09月01日(土) 停電だぁ。 週末となると、朝寝坊しても許されるので、自然と子供たちも夜更かしがちになります。やっと寝かしつけて、いろいろやろうかな。と思ったところで、停電です。なにか、事故があったわけじゃなくて、計画停電です。事前に通知のはがきもきていました。ただ、僕が「さすがに週末にはやるまい。日曜の晩から、月曜の朝だろう」と決め付けていたんですが、土曜の晩でした。しかたなく寝ました。
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