天使に恋をしたら・・・ ...angel

 

 

この街を好きになりたい - 2001年11月29日(木)

夫からはあのまま電話もかかって来ないで、わたしからはかけない。
わたしははっきり言葉にしなかっただけで、結局追い打ちをかけてしまったんだろうと思う。

あんなに強いはずだった人が弱く弱くなっていった。
弱くなってしまった理由は十分すぎるくらいあったけど、
ふたりで弱くなってくわけにはいかないからって
わたしはますます強がりになっていった。
弱くなっていく夫がわたしは悲しくて
強くなっていくわたしを夫は愛せないって言った。
傷つきながら、それでも強がってた。

わたしは避けたいっていうより、待ちたい。
夫が自分で苦しい場所から抜け出してくれるのを。
夫は逃げてるっていうより、多分待ってる。
わたしがまた一緒に暮らしたいって言い出すのを。
苦しい場所から抜け出してほしいのは、
幸せになってほしいから。強い夫を見て安心したいから。
幸せだった過去に戻りたいからじゃない。
夫が待ってるのは、ただ、
あの頃の幸せを取り戻すこと。

「ずっとひとりぼっちなの?」って聞いたら、
「そうだよ」って言って、「きみは?」って聞いた。
「あたしもそうだよ」って答えた。
「ひとりぼっちで淋しい?」って聞いたら、
「淋しいよ」って答えて、わたしには聞かなかった。

わかってる。夫はわたしは強いから淋しくなんかないと思ってる。

わたしだって、淋しいよ。幸せなんかじゃないよ。
誰も知らないとこにひとりで来て、
全部今度はひとりで一から始めて、
やっと取りたかった資格を取って、
やっとやりたかった仕事が出来るようになったけど、
お給料の手取りの半分以上が家賃だなんてとこで、
なんとかやりくりしてキュウキュウの生活してて、
この街を今だに好きになれないし、
楽しいことなんかたくさんないし、
前のところに帰りたいって思ったこともあったけど、
今でもなつかしくて仕方ないけど、
でもこの街を好きになりたいの。
絶対好きになってやる、って思ってるの。
じゃなきゃ、ひとりで頑張って来たことまで否定することになる。
だから好きになれるように、もっと頑張りたい。
淋しいことも、やなことも、ここを好きになれない気持ちも、
絶対克服しようって思ってる。
だから、あなたにも幸せになってほしいの。
それは、夫だからっていうんじゃなくて、ひとりの人として。

そんなことを涙声で必死で言いながら、
だけど、この仕事を選んだのは、病気からあなたを一生救ってあげたいって思ったからだったのにな、ってポロっと思い出したりしてた。


ICU のチャイニーズのドクターはお寿司が大好きで、
アイアンシェフ? 鉄人シェフ? だかの日本の番組で有名になったお寿司やさんの話をして、
でもそこよりナントカってとこの方が美味しくて、
絶対きみもそこのスシ気に入るよ、連れてってあげるよ、っていう。
今日もまたそこの「スシ」の話をするから、
じゃあ連れてって、って言ったら、
自分の奥さんも連れてくからなんて、それって予防線?
ふたりっきりで行こうなんて誰も言ってないじゃん。
奥さん、いいなあ、って思った。
チャイニーズドクターの奥さんだからじゃなくて、
なんか、そういうのって幸せそうだなあって。


時間のすれ違いで、あれからあの人とも電話で話せなかった。
さっき、わたしの明け方に、忘れ物うちに取りに帰って来たって電話かけてくれた。
日曜日は子供たちのためのイベントで演奏するらしい。
子供たちが相手って初めてで、これから打ち合わせと練習だよって、楽しそうに話してた。
こんな人と暮らせるなんて、彼女はいいなあ、って思った。

あんな偉そうなこと言ったけど、
あの人が来てくれたら、もうそれだけでこの街を好きになれそうな気がする。
約束が叶わないままだから、好きになれなくて、
それでも好きになりかけた日々があった。

あの日、名前を呼んで、「あたし、この街が好き」って言った。
いつものように手を繋いだままで、いつものように胸にもたれて甘えて、
いつものように返事をしてから、いつも好きになれないって言ってたくせに突然そんなこと言ったわたしを、いつものように笑って。
もっと好きになれそうだったのに。

ひとりぼっちが淋しいだけなのかなあ、わたしって。

ほんとにあんな偉そうなこと言って、
ひとりでなんか、この街を好きになれないのかもしれない。






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Last Christmas - 2001年11月27日(火)

いつもより人が多くなったミッドタウンを歩く。
クリスマスのイリュミネーションがなつかしいような、暖かいような、哀しいような。
決してきらびやかでなく派手じゃなく、人工的でなく軽々しくなく、
街にごく自然に溶け込んで重みさえ感じさせる彩りとデコレーション。
ショーケースに飾られた動く人形たちを、立ち止まって静かに見続ける人たち。

初めて迎えた10年前、あまりの質素さにがっかりした。外国のクリスマスってもっとすごいのかと思ってたから。こんな落ち着いたクリスマスの風景を、いつからかとても好きになってる。

賑やかな音楽が街じゅうにガンガン鳴り続けたりもしないけど、入ったドラッグストアで wham! の「Last Christmas」がかかってた。

一番好きなクリスマスソングを問われたら、今でも絶対この曲をあげる。英語の歌詞なんか聞き取れなかったうんと昔は、幸せな歌なんだと思ってた。歌詞がわかるようになって、それでもこの歌の切ない恋は人ごとで、ただなんとなく胸がきゅんとなるのが好きだった。昨日聴いたら、体が崩れそうになるほど、痛かった。苦しかった。去年でさえ、こんなふうには感じなかったのに。

暗くなり始めた夕方の人込みの中、わたしは探してた。絶対にいるはずのないあの人ではなくて、もしかしたら歩いてるかもしれない人を。こんな人込みでわかるはずがない、たとえいたとしても。そんな偶然あるはずがない、こんな大きな街で。それに、ミッドタウンは一番パスしそうなところだ。それでもあんな風に手を繋いだり肩抱き寄せたりしながら誰かと歩いてるかもしれないとか、タクシーを探しながら誰かを抱きしめてキスしてるかもしれないとか、思ってた。たくさんのたくさんの笑顔の中に、そこだけ陽が当たったみたいなあんな笑顔さえひとつだって見つからなかった。

「ロックフェラーセンターのもみの木の下のスケートリンクってね、ちっちゃいんだよ。3時間並んで待って制限時間20分だし。手繋いで一緒にスケートしたかったけどさ、これならいいやって思っちゃった」。笑って言ったのに、「ごめん」ってあの人が言うから泣きそうになったこと思い出してた。来年のクリスマスなんかもっと来られないよ、ってあきらめてたけど、ほかの誰かのことでまで辛くなるなんて思ってもいなかった。


夜、夫から電話があった。
メールを送ったわけでもなかったから、驚いた。
夫は落ち込んでいた。わたしとのこととはまったく反対側の、でももっともっと先に行けばぐるっと回ってくっつくようなところで起こった事で。落ち込んでるっていうより、「絶望」とか「失意のどん底」とかいった、そんな様子だった。崖っぷちに肩を落として呆然と佇んでるかのようだった。話を聞いて、わたしも愕然とした。そんな夫に離婚なんて言葉を投げかけて、追い打ちをかけることは出来なかった。

それでも、3時間くらい話をした。「あなたが一番望んでることは何? どうしたいの? 言ってもしょうがないって思わないで、可能性とかも考えないで、一番正直な気持ちを教えて?」。そう聞いたら、わたしとあの娘と3人で幸せだった頃からやり直したいって途切れ途切れに答えた。そんな夫が辛くて悲しくて嫌だった。崖っぷちに立ってても、上を見れば空は繋がってるのに。横を見れば道は両側に伸びているのに。

あの娘のいたクリスマスなんか、返ってくるはずがない。
あの娘のいたクリスマスなんかに、戻れるはずがない。

夫は疲れたから明日また電話すると言って切った。わたしは朝まで眠れなくなった。

出かける前にあの人から電話があった。夫との電話のことを、おんなじところばかり繰り返しながら上手く言えないまま話してた。「今は混乱するばっかりだから、ゆっくり考えなよ。遅刻するよ」って言われた。


wham! の「Last Christmas」のその人は、今でも彼女が someone special なんだろうか、なんて、バカなこと考えながら仕事に行った。


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雪、降れ - 2001年11月26日(月)

そんな綺麗事を並べ立てた手紙なんか送れるはずもなく、短いメールを夫に送ろうと思いながら、コンピューターの前に座ったまま。何もこんな楽しい季節にわざわざ苦しみ合うことないじゃん、とか、ほら試験勉強しなきゃ、とか、言い訳考えながら躊躇してる。

楽しい季節は別にしても、ホントに勉強はしなきゃ。

感謝祭の週末が終わって、おばあちゃんちから帰って来たトレーシーがメールをくれた。送れなかったあのサンクスギビングのカードを、代わりに送ったふたりの友だちのうちのひとり。去年は、トレーシーの家族がターキーディナーに招待してくれたっけ。「どこにいるの? 電話して」ってメールを見て、すぐにかけた。ずーっと連絡してなかった。メールが来ても、返事してなかった。ここにまだ住んでるかどうかもわかんなくなって当然だよね。わたしって、友だち甲斐のないヤツ。なのに今度の日曜日にディナーに招いてくれた。トレーシーのママは暖かい。「みなしご」のわたしをしょっちゅうディナーに招んてくれた。わたしはいつも甘えて、作ってくれたお料理のレシピを聞いてた。

インターンの中で一番よく出来たトレーシーは、一番最初に仕事も見つけて、一番最初に試験も受けた。「まだ試験受けてないの」って言ったらびっくりされちゃった。「クリスマスまでに受ける? 無理だよー。時間ないじゃん」「どのくらい勉強した?」「2ヶ月はしたよ」。2ヶ月かあ、あのトレーシーで。じゃあ無理かもね、クリスマスまでに受けるなんて。ほんっとわたしってダメだなあ。インターン終わってから仕事も探さないで、ちょうど2ヶ月なーんにもしなかった。あの人に頑張れって言われながら。

でも、頑張ってみよう。頑張らなくちゃ、先に進めない。


昨日は雨だった。
そろそろ散り始めた色鮮やかな葉っぱたち、一気に雨に落とされればいい。
いつまでも綺麗でいないで。
ドアミラーに映る景色が、美しいまま小さくなってどんどん後ろに飛んでいく。
それを見るのが、もう辛すぎるよ。

いっそ雪が降って、景色を変えてくれればいいのに。
去年はもっと寒くて、10月に一度雪が降った。
それからも何度か雪が降って、その度にあの人が「いいなあ、早く行きたいなあ」って言ってた。そして、来てくれるはずだったクリスマスには来られなくなっちゃった。

あの人の大好きな雪が降って。
あの人の大好きな雪を見たい。
あの人の大好きな雪だから。
ただそれだけを思いながら、それ以外のこと何も考えずに、舞い降りて積もっていく雪を見ていたい。


今日はお休み。
昨日の雨なんかどこかに行っちゃって、また信じられないくらいお天気がよくてあたたかい。
窓からの陽差しを浴びてると、汗をかくくらい。

シティに出かけなくちゃいけない用がある。
出かけよう。
シャワー浴びて、シャキッとして、お出かけしよう。




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夫への手紙 - 2001年11月24日(土)

アナタは幸せですか?
わたしがいなくても幸せですか?

わたしはあまり幸せじゃないけど、アナタがいないせいじゃない。
アナタがいると幸せになれるだろうかって、何度も何度も考えました。
また手を繋いで街に出かけて
ふたりの大好きなショッピングを楽しんで
夜中にカフェにお茶を飲みに行ったり
早起きした休日にブレックファストを食べに行ったり。

アナタがチビたちにカメラを向ける。
わたしはその後ろで手を叩いたり口笛を吹いて、
チビたちの視線を作る。

そんな穏やかな生活を思い出しながら、
アナタの知らないこの街ででも、アナタと暮らしたあの街に戻っても、
ふたりでやり直せるのかどうか、考えました。

答えは、わかりません。
ただ、おなじような楽しいことをたくさん期待出来たとしても、
おなじような悲しくて寂しいことも、同時にたくさん予想出来るということ。
そして実際に起こってしまったときに、「ああ、やっぱり」って思うんだろうということ。
予期せぬことが起こったときより、もっと破壊的な気分に落ち込んで。

未来を考えてることにはならなくて、過去を引きずってるにすぎないのかもしれません。
でも言い換えれば、アナタとの未来を前向きに見られなくなった、ということのような気がします。


アナタの病気のことは、ずっと心配です。
ふたりが亡くした小さな命は、ずっとわたしたちのものです。

それは紙の上の約束事ではなく、わたしたちが家族であった確かな証であり、
これからも、わたしが、ふたりが、抱き続けていく確かな愛情です。

あの娘の命日には毎年こころをひとつにしてお祝いをしましょう。
日本とこことの距離なんて、あの娘のいるところからは無いも等しいでしょう?

調子が悪くなったときには、電話をください。
離れていても、出来るだけのことをするから。

だから、紙の上の約束事はもうおしまいにしてもいいんじゃないかと思います。
一年半別々に暮らして、それは何の意味もなさなかった。
ふたりにとって、何の意味もなさなかったけど、
それぞれにとっては、別の意味を作ってしまうものになるから。

ふたりで幸せになれなかった以上、
ひとりずつで幸せにならなくちゃいけないから。

ただの紙の上の約束事は、ふたりのこころを繋ぎ止めておく役には立たないものになったけど、社会の秩序というところでは、役に立たなくなったからといって放っておくわけにはいかないものだから。


アナタは幸せですか?
このままで幸せですか?

わたしはアナタに幸せになって欲しい。
自分も幸せになりたい。

別々に別々の幸せを見つけることが出来たとき、
お互いがお互いの幸せをほんとに喜び合える、そんなことがわたしたちには出来るような気がします。

紙の上の約束事をおしまいにしない限り、わたしたちは幸せになんかなれない。


わたしはもう多分、誰とも紙の上の約束事はしません。


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あなたしかいない - 2001年11月22日(木)

患者さんひとりずつに配られた、サンクスギビングのバスケット。
700人もいる入院患者さんひとりひとりのために、前日にボランティアの人たちが、キッチンに集まってフルーツバスケットを作ってた。いつもスペイン語の通訳をしてくれるオジサンもいた。黄色いセロファンにくるまれたバスケットには、オレンジと洋梨と林檎とバナナと、小さな透明の容器に入れたレーズンが入ってた。カードを添えて。

ICU のフロアには、クッキーでいっぱいのかごがあった。ナースの誰かがスタッフに作って来てくれたらしい。チョコレートチップやレーズンオーツやピーナツバターなんかの普段着のクッキーじゃなくて、ちっちゃくておしゃれに着飾ったよそ行きのクッキーたち。

最高にフェスティブなシーズンが、始まったね。
誰ものこころが暖かく、優しく、満たされる季節。

わたしは人恋しくなる。


電話をかけたら、あの人はもう仕事に出かけてた。いつもなら取らない電話を、昨日は取ってくれた。あの人が年末の大きな仕事が決まったって言った。ささやくような声で、「喜んでくれる?」って言ってた。当たり前だよ。嬉しいよ。誇りに思うよ。ささやくような声は、出先からかけてたから。あの人がひとつずつ大きくなって行く。その度に一番に知らせてくれる。

あの人の想いなら、今はこんなに信じられる。
恋人への愛じゃなくてもいいよ。
それ以上の愛を、今は信じられるから。


恋しいのは誰の腕?
あんなにも暖かくて、心地よかったあの腕?

そばにいて欲しいのは誰?
どんなに願っても叶わないから、あきらめようとした?

違う。ただ、淋しかった。多分それだけ。

恋しいのは誰の腕?
ほんとに欲しいのは誰の腕?
誰の腕?

あなたしか、いないよ。
あなたしか、いない。


今朝も電話をくれた。
二日寝てなくて、目が充血してて開けるのが痛いって言う。
目にキスしてって甘えるから、こころを込めて、いっぱいキスしてあげた。


もう、あなたしか愛せない。
どんなに遠く離れていても。
どんなに会えることが叶わなくても。

わたしのこころを暖かく、優しく、満たしてくれるのは、あなたしかいない。
このまま、その腕に抱きしめてもらうことが二度となくたって。


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Happy Thanksgiving - 2001年11月21日(水)

高速までのハイウェイは、まだまだ両側を黄金の葉っぱが溢れるように覆ってる。ここの紅葉ってこんなに素敵だったかなって去年のことを思い出してた。前に住んでたところは、高い高いオークや楓の街路樹が、色とりどりの葉っぱを眩しい陽にキラキラ踊らせてそびえてた。澄み渡るまっ青な空を背に、見上げる葉っぱたちはそれは鮮やかな色だった。それに比べるとここの紅葉なんて、落ち込んでしまうくらいつまらないと思ってた。

今は、ハイウェイ沿いの木々のてっぺんから足元までたっぷりと見事に染まった黄金色に、息をのむ。大きな家の庭一面に広がる黄金色の海に、胸がいっぱいになる。高速に入ってからも、シティに向かうというのに都会のなかにどこまでも続く黄金の滝を、切なくなるほど美しいと思う。

去年見つけられなかったのは、なぜだったんだろう。今年見つけたのはなぜなんだろう。こんなに切ないのはなぜ? 理由を考えると胸が痛くなる。


昨日、サンクスギビングの素敵なカードを見つけた。
赤や黄色に埋め尽くされた紅葉の写真が、言葉と一緒に次々と変わる。

「 神さまの恵みをお祈りし、
  すべての良きことがらに感謝し、
  あなたとあなたの家族に幸せと喜びが訪れますよう願いを込めて
  Happy Thanksgiving 」

わたしは結局「ありがとう」を言えなかった。楽しかった時間を思い出すたびに言いたくなる「ありがとう」を、カードのメッセージに添えて送りたくなった。送ろうと思った。


今日は病院でお昼にサンクスギビングのお祝いをした。ポットラックのランチパーティ。わたしは、ワイルドライスと一緒に赤や白や茶色のいろんな種類のお米をチキンストックで炊いて、細かく切った黄色とみどりのピーマンを散らしたごはんと、チーズをいっぱいおろして焼いたクリームソース仕立てのペンネのキャセロールを作って行った。さすがにターキーはなかったけど、チキンをまるごと焼いて来てくれた人がいて、「ベイビーターキーだね」ってみんなで喜んだ。パンプキンパイもスイートポテトのパイもアップルパイも、死ぬほど食べた。

フロアに戻ると、フランチェスカが聞く。「ねえ、まだデートしてる?」。からかって聞いたはずなのに予想してなかった返事が返ってきて、フランチェスカは、驚いたような困ったような顔をして「ごめんなさい」って言った。

「ううん、平気。でもやっぱり淋しいかな。」
「お似合いのカップルだと思ってたのに。」
「うん、わたしもそう思ってた。」
笑ってそう言ったけど、フランチェスカは笑わなかった。

フランチェスカっていい子だよ、って話してあげたくなった。そんなに嫌わなくったっていいじゃんって。「あんなに可愛いのに、あんなイヤなヤツはいない」なんて、フランチェスカの話題になるといつもそう言ってた。見る目がないんだなあ。絶対そうだ。わたしのことだってさ。

今だに話したいと思うことが、ほかにもいっぱいある。400キロの患者さん、先週退院したのに今週また戻って来ちゃったこと。ICU の患者さんが脳死になって、昨日チューブを外されたこと。そういうことに平気になれないわたしを、いつも助けてくれた。

「大事なものを失ったことに気がついて、電話してくるよ。気づかせてやりなよ。電話させてやりなよ。そんな理由で、バカなんだからほんとに」。フランチェスカがそう言うから、そうだったらいいな、電話くれたらいいな、なんてまた思ってしまう。でも、ちゃんと平気になってから。今はわたしもまだバカだからね、また同じこと繰り返しちゃうんだから。フランチェスカが思いとどまらせてくれた。サンクスギビングの Eカード送ること。平気になったころに電話かけてよ。そのときに「ありがとう」って言いたいから。


明日はサンクスギビングだけど、仕事に行く。週末も仕事。
一緒にお祝いする家族もいないから、ちょうどいい。

セントラルパークの木たちは、もう葉っぱをすっかり落としちゃったのかな。
あの人と歩きたいと思ってた去年。あの人と歩くことをあきらめられると思った今年。

ふたつめの秋が、もうすぐ終わる。




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魔法にかかった時間 - 2001年11月19日(月)

こんなにたくさん話せた日なんて、いつからなかっただろう。
いっぱい話して、泣いて、笑って。
会いたいって泣いたわけじゃない。
彼女のことで泣いたわけでもないし、あのことで泣いたわけでもない。
珍しく、普通の人が普通のカレと普通にケンカして泣くような、普通の理由で泣いた。

「機嫌なおして」ってあの人が言う。
「おもしろい話したげるから。」
「いらない。」
「飴買ってあげるから。」
「バカ。」
「ねえ、機嫌なおしてよ。」
「なおんない。」
「歌うたってあげるから。」
「・・・。うそ。歌って。」
『あっるうひっ・くまさんがっ♪』
「・・・。」
「ほら、輪唱しないと。」
「いらない、そんなの。ちゃんと歌ってよ、そういうんじゃなくて。」

あの人ったら、ピアノ弾いて歌うたってくれた。

「じゃあ、ちょっと待ってて」って、ピアノの和音がいくつか聞こえて、
「聞こえる?」って聞くから「うん、聞こえる」って答えて、

そしたらピアノの旋律が聞こえて、あの人がその上に声を少しだけ乗せて、
「聞こえる?」ってまた聞くから「うん、聞こえる」って答えて、
どきどきしながら待ってた。

一生懸命受話器を耳に押しつけてたけど、歌詞がよく聞き取れなかった。
日本語と英語が混ざった歌だった。We are ナントカカントカ ・・・together とかって言ってるようだったけど、違ったかもしれない。あの人が作った曲じゃなかった。絶対違うってわかった。素敵なメロディだったけど、あの人のじゃないってわかった。

鍵盤の上を踊るあの指が見えて、おしゃべりのときと少し違うあの声が嬉しかった。

しばらく忘れてたあの人の夢をまたわたしはからだ中で感じてた。

わたしだけのものだって思えた。

「機嫌なおった?」
って、もとに戻ったあの人が聞いた。
「まあね。半分くらいかな。」

「半分ー? なんでさー? こころ込めて一生懸命歌ったのにィ。」
機嫌なんかすっかりなおってるの知ってて、そう言う。

こんな気持ち、ほんとにいつからなかったんだろう。
また魔法にかかった時間だった。

あの人じゃなきゃ、かけられない魔法。
わたしにしか、かからない魔法。





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描き続けるよ - 2001年11月18日(日)

白紙に戻したいってわたしも時々思う。
だけど全て確かな時間だったから。
どれを取っても、どれも全部。

白いキャンバスに「えい」ってひと筆描いちゃったら、
もうしょうがない。
考えて考えて迷った末のひと筆でも、
先のこと何も考えずに落とした最初の筆でも、
もう描いちゃった時点でそんなこと関係ない。
あとは描き続けるしかないんだよ、
出来るだけ素敵な絵になるように。

少なくとも、わたしは描き続けてきたよ。
素敵な絵にしようと思い続けて来たよ。
失敗したあ、この色。この線。
あとからそう思ったとしても、
いい加減に筆を入れたことだけはなかったよ。
それだけは、チリほどだけどホコリだよ。

白い絵の具で塗り潰せばいいじゃんって、
そのくらいの利口さ持ち合わせてるつもりだったけど、
そんなまやかし、すぐ剥げちゃうことわかったし、
そんなの利口どころかバカだって思い知った。

わたしなんか、
いろんな色塗りたくってドロドロになって、
わけわかんない滅茶苦茶な塗り重ねで、
どこまで行っても完成なんかあり得なさそうだけどさ、

シンプルでキレイに完成された絵より
素敵じゃん、味があるじゃん、って

思うんだけど。

思わない? だめ? 

塗り重ねて、塗り重ねて、
キャンバスめいっぱいどぶねずみ色になったらさ、
一日置いて乾かして、
とびっきり幸せそうな色を作って、

わたしなら、その上に天使の奏でる音楽を絵に描きたい。

まっ白のキャンパスに描くより
うんと映えるよ、絶対。

それでも完成品にはなりっこないんだろうけど、
その絵を抱きしめて眠りたい。

キャンバス張り替えるくらいの逞しさがあればいいのにって
時々ホントにそう思うよ。
だけど、そこまで逞しくなくてよかったなって、
それはそれで本音なの。

自分が辿って来た道を、自分が残して来た足あとを、
全部好きになれたらいいね。

不器用でもさ、下手くそでもさ、
ちょっと離れたところから、自分が描いてる絵を見てごらんよ。

ほらね、まんざらでもないんじゃない?

だから、わたしは描き続けるよ。

天使が奏でる音の絵を
抱きしめて眠れるときまで。


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棘 - 2001年11月17日(土)

日本で仕事仲間だったダニーは、わたしが夫と日本を離れた翌年に結婚して、わたしたちが住む自分のホームタウンに帰って来た。女優さんみたいに綺麗な日本人の奥さんは、自分が美人だなんてみじんも気がついてないような、屈託がなくて素直でおもしろくて、ケラケラとよく笑う、とてもチャーミングな女性だった。

すぐ近くに住んでいながら、お互いに忙しくてなかなか会えなかったけど、ダニーは会えばいつもほっと出来る幼なじみみたいな友だちだった。気難しくてなかなか人とうち解けない夫も、彼とは気が合って、唯一気の許せる相手だった。誰とでもすぐに仲良くなれる奥さんは、わたしのことも慕ってくれて、よくひとりででもうちに遊びに来てくれた。

ダニーと奥さんは、わたしたちが別居を決めた少しあとにロンドンに引っ越した。そして去年の11月に、この街にふたりでやって来た。

彼らがここに住んでることを知ったのは5月の終わり頃で、メールで一回連絡を取り合っただけのまま会ってなかった。

あのことがあって、急に恋しくなって、「電話番号教えて」ってメールしたらすぐに返事をくれた。あの人と話せなかった水曜日に電話をかけた。長いこと話もしてなかったのに、まるで昨日も会ってたみたいにおしゃべり出来るところが変わってなかった。そして、痛みを全部吸い取ってくれるような暖かさもおんなじだった。「遊びにおいでよ」って言ってくれた。

殆ど2年ぶりに会った彼らは、一緒にいてやっぱりほっと出来た。相変わらず仲のいい素敵なカップルで、羨ましいなって思った。奥さんが食事の用意をしてくれるあいだに、ダニーとわたしはセントラルパークに散歩に行った。ハーレムの南側にあるダニーのアパートは、あのアパートから遠くなかった。「ちゃんと手入れしなくちゃだめだよ」ってあの日レンズ用のクロスで掃除してくれたデジカメを、わたしは持っていた。キッチンのシンクの下から洗剤を取り出すから「何それ? 何使おうとしてるの?」って焦って大声で聞いたら、「ガラスクリーナーだよ。何パニックになってるんだよ」って笑いながら、丁寧に、得意げに、掃除してくれてた。

あれからケースに入れたまま、取り出せなかったデジタルカメラ。

セントラルパークの紅葉は終わりかけてた。代わりにわたしは、レイクのほとりでウェディングの写真撮影をしてる風景を、撮った。まっ白いサテンのドレスに黄色い大きなコサージュをあしらったブライズメイドたちは、とても綺麗だった。黒人に白いドレスはタブーだなんて嘘だと思った。彼女たちは、ほんとに美しかった。

一緒に歩いたレイク沿いの道は、この南側なのかなって思ってた。もしもこの辺りでばったり会ったりしたら、また「ストーカー」って言われちゃうんだろうなって思ってた。そんなことばかり考えながら、全然違うこと話してた。

アパートのあるブロックまで戻って来たとき、交差点を渡りながら言った。
「ダニー。あたしね、ほんとに楽しかったんだ。」
「楽しかったんだから、よかったじゃない。」
「うん。」
「きみはちゃんと抜け出せるよ。」
「うん。」

食事をしながら、ダニーが最後に夫に会ったときのことを話した。それは彼らがロンドンに引っ越す日で、夫が手伝いに行ったときには荷積みが全部終わってたこと。もうそのまますぐに彼らが行ってしまうことを告げたとき、夫が今にも泣き出しそうだったこと。

あの娘が死んだとき、ダニーは誰よりも夫を心配してくれた。悲しみにくれてた夫を連れ出してくれた。もうわたしには心を開けなくなった夫にとって、彼はかけがえのない存在だった。話を聞きながら、夫の気持ちが痛くて苦しくなった。

帰り道は、イーストハーレムを抜けたところから、同じ道になった。あの高速に乗って、あの橋を渡る。初めてデートした日の翌朝に、あの人への裏切りを感じながら走った。追い返された最後のあの日は、通い慣れたはずの高速のどこを走ってるのかわからなくなって、滅茶苦茶な運転をしてた。

今朝もあの人は電話をくれた。「夕方から友だちのところに行くから、モーニングコール出来ないよ」って言ったら、「でももし出来たら、して」「かけられたら、かけて」って何度も言ってた。「友だちと会うの?」って確かめてた。心配してたんだってやっと気がついた。もう会ったりなんかしないのに。ちゃんとそう言えばよかった、って悔やんだ。

いろんなことが、いろんな思いが、次から次から頭に飛び込んできて、棘になって胸に突き刺さった。あの娘のことも、夫のことも、あの人のことも、それから・・・。刺さったところがズキズキ疼いて、眉間の奥まで痛みが走った。

この道を通おう。またダニーに会いに来よう。避けちゃだめ。逃げちゃだめ。忘れちゃだめ。忘れないまま平気になろう。何もかも平気になろう。意地みたいにそう思いながら、ずっと胸がズキズキしてた。

ずっとまだ疼いてる。



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悲しみ指数 - 2001年11月16日(金)

患者さんの痛みを判断するのに、痛み指数ってのを使う。
自分にとって痛みがどの程度なのかを、10段階で答えてもらって、
その痛みに耐えられる度合いを、また10段階で答えてもらう。

人によって痛みの強さは違って、感じる度合いも違うから、
人と比べた痛さでも疾患で判断する客観的な痛さでもなくて、
その人だけの痛みを、その人が感じてる程度でわかってあげる。

そしてわたしたちは、ふたつの数字の差が縮まるように、患者さんの痛みを和らげてあげようとする。

「みんな我慢してるんだよ」なんて絶対言わない。


悲しみも同じだよね。
大きな悲しみとか、ちいさな悲しみとかって言うけど、
悲しみの原因がなんであろうと、その強さも深さも、それはひとそれぞれ。

愛する人をなくした人のほうが、飼ってた犬をなくした人より、悲しみは大きいなんて言えない。

約束の遊園地に連れてってもらえなくなった子どもより、約束が叶わなくなった恋人たちのほうが、悲しみが深いなんても言えない。

だからね、泣いてもいいんだよね。
もっと悲しい人がいるんだからなんて、我慢しなくていいんだよね。

だけど、悲しみ指数は誰に言えばいいんだろうね。
誰が和らげてくれるんだろうね。

「みんな我慢するんだから」って自分に言ってしまいそうになる。


なんでわたしの悲しみ指数、小さくならないんだろ。
もう大丈夫って思ったはずだったのに。



昨日はコーリングカードを忘れて行って、今日は仕事が長引いて、
病院から電話が出来なかった。

帰ったら、留守電にメッセージが入ってた。メッセージの通りに、夜中にかけてくれた。

あなたに会いたい。
・・・もう言ってもいい?

会いたいよ。

会いたいよ。

会いたい。


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頑張れ、わたし - 2001年11月14日(水)

ずっとお天気のいい日が続いて、暖かい。
今日はお昼に、ミズ・ベンジャミンとインディアンフードを食べに行った。先週から「ランチ一緒に行こう」って誘ってくれてた。やっと日にちと時間があって、とても11月の半ばとは思えないほど暖かな街を歩いた。「電話かかってきたの、あれから?」「ううん、かかって来ないよ」「かけてもないの?」「かけてない。だって、みんなにもう絶対電話するなって言われたもん」。そんなこと話しながら、やっと少しずつ平気になってきたのかなって思った。

わたしに日本の料理作ってよ、って言ってた。でも、猫アレルギーだからうちには来られなかったんだよね。病院じゃあ日本人ってのが珍しくって、Dr.ルーディゲスに「日本の料理、作って招待してよ」なんて言われたこと話したら、「本気で言ってたのか? 作ってあげるの?」なんて妬いてた。「作んないよぉ。『ダメ。あたし料理出来ないもん』って逃げたよ。あなたには作ってあげたいけど、うちには来られないもんね」。そう言ったらさ、「うちで作ればいいじゃん」って。じゃああなたの知らない日本料理作ってあげるよ、なんて話してたのにさ。

大きなアジア食品専門のスーパーの前を通りながら、ミズ・ベンジャミンにそんなこと話した。ミズ・ベンジャミンは笑いながら聞いてくれてた。

午後からまだ少し仕事した B5 で、名前の知らないドクターがわたしを見てた。名前は知らないけど、友だちだって言ってたから顔は知ってるドクターだった。何か聞いてるんだろうな、って思った。わたしと目が合ったら、すぐに視線逸らしちゃったから。どうせロクなこと聞いてないんだろうなあ、ちきしょー、ってちょっと悔しかった。

帰るときに、アニーが呼ぶ。「会いたかったんだよー。昨日休みだったでしょ? 見つけたんだから。かわいいドクター、アンタのために」。そんなこと言って、大はしゃぎしてる。「誰? 誰? なんて名前?」「ん。名前知らない」「どこの病棟の人?」「・・・それもわかんない」。なんだ、なんにもわかんないんじゃん。「じゃあさ、どんな容姿の人よ?」「体型はデービスみたいな感じ。ちょうどあんなの」「デービスって誰よ?」「サプルメントの管理してる人だよ。ほら、あそこにいるから見てきてごらん」。言われてサプルメントの倉庫に行ってみる。いっぱい人がいてわかんない。でっかいおじさんに「デービスってどの人?」って聞いたら、「あれだよ」って言いながら「おーい、デービス」って呼ぶ。バカ。呼んだらだめじゃん。デービスがこっち見るから、しょうがなくなって「ハーイ、デービス。それだけ。じゃね」って言って、逃げて来た。

体型なんか、確認するヒマなかったよ。第一ね、デービスは違う人なんだから。それより何やってんだか。高校生みたいじゃん。中学生かな。いや、小学生かも。

バカみたいって思いながら、みんな元気くれてるんだって嬉しくなった。


今日はあの人と話せない日。
最近なんかトゲがあるなあ、なんて、昨日言われた。そんなつもりはないんだけど、なんか甘えて意地悪言ってしまう。「あ〜あ」なんて、言っちゃったり、「まだ悲しいよ」って言ったり。「なんで聞かないの?」って聞いたり。「聞けないよ。聞きたいけど、聞いたらムカつく」って言ってた。大好きだよ。ホントはそう言いたいのに、今は恥ずかしくて言えない。悪いことしてちょっとちっちゃくなってる子犬みたい。

もうちょっと待ってね。
また前みたいに、会いたい、会いたい、なんで会いに来てくれないの? っていっぱい困らせてあげる。


今日は友だちに電話した。
ものすごく久しぶりに、土曜日に会いに行く。

それから、決めた。
ほったらかしにしてる国家試験、クリスマスまでに絶対受けよう。

頑張れ、頑張れ、わたし。


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エアークラッシュ - 2001年11月12日(月)

また起こった、と思った。また体が震えた。

今日は、昨日の Veteransユ Day の祝日の、振り替え休日だった。
わたしはこの3連休ずっと仕事で、今日も9時半の出勤だった。
病院に着いたら、オフィスでいきなり知らされる。
「飛行機がまた墜落したよ」。
「いつ? いつ? どこで?」
「たった今。ロッカウェイで。JFKのすぐそばだよ。」 

近いところだ。
同僚のひとりが、ロッカウェイに住んでる友人に慌てて電話をしたけど、繋がらなかった。

フロアのクラークが、ラジオをつけてニュースに聞き入ってる。
ラジオの前に座って、わたしも必死で聞く。
テロリズムとの関連を調べるなんて言ってる。
シティへの橋とトンネルは、前と同じように全部閉鎖された。
「外出しないように」って言ってる。

静かな住宅地に落ちた飛行機。
乗客とクルーを合わせて、268人の人がまた突然亡くなった。
大きな4軒の家が燃えている。
それぞれの家で、穏やかな休日が始まったばかりだったはず。

あれからちょうど2ヶ月。一日だけずれてるのは、昨日起こるべきことだった? 
誰もが同じこと口にした。

エンジンが落ちたらしいから、これは完全な事故だよ。
誰かが言い聞かせるみたいに言う。
それでもまた起こった悲しい事故。

ハロウィーンに何か起こるかも知れないからって、
子どもたちの楽しみな Trick or Treat は、今年はどこの家庭も自粛してた。
わたしは今年はキャンディを買わなかったけど、子どもたちも来なかった。

この週末はその次のロングウィークエンドだった。

もうすぐサンクスギビングがやって来て、それが過ぎるとクリスマスが終わるまで、
一年で一番の、ホリデーシーズンになる。一年で一番、人々が暖かくて幸せに過ごす季節。

やっと明るさを取り戻しかけていたのにね。
なんてことなんだろう。
楽しみを待ちわびてる誰もの胸に、大きな暗い影が落ちた。

腕を抱えて呆然としてるわたしに、知らないドクターが「大丈夫?」って声かけてくれた。
わたしはあの日のことを思い出してた。
もう震えを止めてくれないんだね、あのときみたいに。
もう、どこの病院のどんな病棟にいるのかさえ、わからないけど、
ここに住む人たちをまた襲った不幸に、やり切れない気持ちでいるんだろうね。あのときみたいに。

うちに帰ったら、留守電に無言のメッセージが入ってた。
「大丈夫?」って、電話くれたの? ・・・そんなはずはない。

「大丈夫だった? 病院に電話しようかと思ったけど、番号知らないし。
っていうか、誰かが出ても英語で何て言ったらいいか、わかんないけどさ。」

あの人がそう言ってくれて、日本でもニュースになったんだって知った。
あの人がそう言ってくれて、なんて優しいんだろうって思った。



メール、ありがとう。
顔さえ知らないわたしのこと、気にかけてもらってて嬉しい。
不思議な世界だね、「えんぴつ」。
不思議で、とてもあたたかい。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            


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好きだから結婚する - 2001年11月11日(日)

結婚して最初のバースデーに、「今日は僕が料理するよ」ってインスタントラーメンを作ってくれた。ラーメンは煮すぎてのびのびになった。「おかしいなあ。いつもはもっと上手に作れるのに」って本気で照れてる顔を見て大笑いした。のびたラーメンはおいしかった。おいしい、おいしい、って言いながら食べた。

もう15年も前の、最初の結婚をしたばかりの頃のこと。
今日突然、そんな風景を思い出した。

誰も悪くなかった。優しい夫だった。離婚は辛かった。反対されてうちを飛び出すように結婚したのに、一緒に暮らすことの意味がわからなくなった。何度も何度も話し合って、それでもわかり合えなかった。旅行にも連れてってくれたし、食事にも出かけたし、コンサートにも一緒に行ったし、人から「いいわねえ、いつまでも恋人同士みたいで」って言われたけど、「こんなの一緒に暮らす意味じゃない」ってわたしは思ってた。わかり合えないままに、ふたりで泣きながら別れた。

今でも、どうしてるのかな、どこに住んでるのかな、幸せでいるかな、って思う人。

別れたときには、そばに今の夫がいた。愛してた。離婚するのはこの人のためじゃない、って必死で思い込もうとしてた。でも結果的には、そういうことだった。夫は「一緒に暮らせる」人だった。結婚なんかしなくていい、一緒に生活がしたい、と思った。籍を入れたのは、外国で暮らすのにはその方が便利だったから。

籍を入れることに、それ以外にあまり意味はないと思ってた。だけど結婚と同棲は違った。一緒に何かを築いて行くとか、一緒に愛情を育んでいくとか、そういうことが無意識のうちにふたりで暮らすことの意味になってた。最初の結婚のときにも、夫と同棲してたときにも、それは意識して考えてたことだった。いつも確認してたことだった。

少し先の幸せのためなら、今を犠牲にすることなんて何でもないと思った。でも夫は今が幸せじゃなければ幸せの意味はないと言った。

いつのまにかまた、一緒に暮らすことの意味は、考えなくちゃわからないコトになってた。そして、考えてもわからないコトになって行った。確かめようとするたびに、お互いを傷つけて、それぞれが傷ついた。


今日、あの人が夫のことを聞いた。「もう、離婚しようと思ってる」って答えた。好きなところは好きなまんまで、夫の仕事も尊敬してて、病気のことだけはいつも気にかかってて、だけどどうしても許せないことと、相容れないことがある。「やり直そう」って決めて元に戻ったところで、たとえうわべは上手く行ったとしても、お互いに心の底に抱えてるものはきっと消えない。わたしにとって、結婚はそんなものじゃない。そんなことを話したら、あの人は言った。「ほんとにきみが離婚したいのかどうか、ちゃんとゆっくり考えなよ」。もう何度も考えた。そして、自分を誤魔化して生きることはしないって、この前決めた。

「・・・あなたはいつ結婚するの?」
ずっと怖くて聞けなかったことを聞いた。
「少なくともあと1年はしないよ。出来ないよ。もっと仕事がうまく行って、きみにちゃんとお返しするまではね。」

ずっとわたしにあることのお礼をするって言ってくれてて、いつかわたしは、結婚しながら彼女に隠れてそんなお礼はしていらないっていう意味のことを言った。泣きながら言った。あの人は「きみを悲しませない方法を考える」って言ってくれた。あれ以来、その話をあの人はしてなかった。

少しだけ嬉しかった。思ってたより結婚が先なのも、少しだけ嬉しかった。

「なんで結婚するの?」って聞いたことがある。「好きだからだろうなあ」って答えてた。そんな結婚こそ、きっと幸せなんだろうなって思った。

あの人をこんなに愛しながらなんて、やっぱりわたしは結婚なんかもうしないだろうなと思う。あの人を愛しながら、抱かれた人はいたけどね。あの人を愛しながら、まだ立ち直れてないけどね。あの人を愛しながら、また誰かを好きになるかもしれないけどね。でもやっぱり、あの人を愛しながら結婚は出来ないよ。


考え過ぎるほど考えるから、うまく行かなかったわたしの結婚。
好きだから一緒に暮らしたいあの人の結婚。

幸せな結婚、して欲しいって思うよ。
あなたに、幸せでいて欲しい。


ほらね、あんな遠回りして、やっぱり痛みが少し消えてる。


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やさしい人たち - 2001年11月09日(金)

昨日は明日の出勤の代休だった。何もしなかった。何もできなかった。
ほんとになんにも出来なくて、机の前にただ一日ずっと座ってた。ぼーっと置き物みたいに。

今日は元気になれると思ってた。あんまりなれなかった。
それでもニコニコ笑って仕事が出来るなんて、わたしってどうなってるんだろう。

B5 の病棟に行く廊下を歩きながら、
ナースステーションにいてくれたらいいのにな、なんて相変わらず思う。
そしたら「元気?」って特上の笑顔で言おうって。
でももう何も話なんかせずに、帰るときに「バイ」ってまたにっこり笑って言おうって。

だけど、もしもランチに誘ってくれたらオーケーして、
いつもそうだったように平気でパクパク食べて、食欲旺盛ぶり見せつけて、

「ばっかだねえ、こんないい女ふっちゃって。これからが貴重な体験だったのにさ。2回も結婚して、この歳でこんなに若々しくてかわいい子なんかいないよ。だって年上だよって言ったとき、自分と同い年くらいだと思ってたってあなた笑いながら言ってたじゃん。ね、そのときと、歳も過去も知った今と、あたし違う? おんなじでしょ? そんなの関係ないって思えなきゃ、プレイボーイが形無しじゃん。」

って言ってやろうって。それから、

「あたしね、あなたのこと、プレイボーイかもしれないけど、ホントはとっても愛情が深くて繊細な人だってわかってた。それからね、嘘つけない正直なところが好きだったよ。」

って言ってあげようって。

今じゃなきゃあ、時間が経つと意味ないのになあ、って思ったり。


ランチパーティに出かけたチャイニーズのお店で、チャイナタウンで一緒に食べたごはんのこと思い出してた。ICU の病棟のドクターに経管栄養を処方しながら、ベッドの中で経管栄養のことなんか聞くから笑っちゃったこと思い出してた。


なんで憎めないんだろうね。なんで嫌いになれないんだろうね。なんでいつまでも、ごちゃごちゃ考えてるんだろね。


あれから一週間。

そのあいだに届いた、いくつかのメール。
自分のことみたいに心配してくれたり、
「よく頑張ったね」って、元気づけてくれたり、
「ドクターはずるい」って怒ってくれたり、
ただただ怖くて言えなかった気持ちをわかってくれたり、
時間が癒してくれるからって励ましてくれたり。
2通くれた人も3通くれた人もいた。
優しいカードももらった。
自分の日記に名前を出さずにわたし宛てのメッセージを綴ってくれた。

今回ばかりは、支えられてるっていうより、包まれてるって思えたよ。

「自分の心を守るための嘘なら、許される嘘じゃないかな」って日記を見つけて、
まるでわたしにくれた言葉みたいで、胸が詰まった。

こんなちっぽけな失恋、誰でも一回は通って来たよね。
もっともっと悲しい経験してきたはずなのに、こんなのからわたしったら簡単に立ち直れない。

「だってあたし、ふられたことなかったんだもん。」
恥ずかしいけどほんとなの。こんなに長いこと生きてきて。
「うっそぉ〜? 贅沢なヤツー。ムカつく。」
「あなたはあるの?」
「あるよぉ、何回も。」
「辛かった?」
「もう慣れた。」
そんなふられてばっかの人、わたし愛してるのか。なんてウソ。さりげなく元気づけてくれるのが、あったかいよ。

浅い傷ほど痛いってことはある。
だけど、浅い傷。治るのだって早いよね。

それに、やさしい人たちがいる。
・・・ほんとに、ありがとう。

明日は元気で仕事に向かえるかな。


早く時間が流れろ。


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It's like a new pair of shoes - 2001年11月07日(水)

それは新しい一足の靴のようなものなんだって。

素敵な靴をお店で見つけて
ある時はすぐにでも買って
あるときは毎日靴屋に通って眺めたあげくにやっと手に入れて
手に入れたあとは嬉しくて嬉しくて
毎日でも履いていたくて、履いた自分の足を眺めてはいいなあって思って
履き慣れるのがまた嬉しくて、人に誉められると嬉しくて。

それでも靴はくたびれていくから
そのうち違う新しい靴が欲しくなって
気が付いたら靴屋の店先に立っている。

だけど本当に自分の足にぴったりで
ものすごく気に入ってたら
大事に大事に履いて
くたびれかけたら手入れして
壊れかけたら修理に出して
そうやってずっと大切にする。


昨日、家賃のチェックを持ってアパートのオフィスに行ったら、マネジャーのウォーンがいた。「久しぶりだね」。チェックはずっと、まだオフィスが閉まってる仕事に行く前の時間に、封筒に入れてドアの下から滑り込ませてたから。「Howユs everything in your life?」。やだやだ。そういうこと聞かないで。わたしってマトモに答えちゃうんだから。かわせないんだってば。

「失恋したの」。

「みんな話したら楽になれる法則」覚えちゃって、わたしはまた話す。ウォーンはペーパータオルをちぎって、ソファに座ったわたしに持ってきてくれた。なんでペーパータオルなの? 思い出すじゃない。

夕方のオフィスは少しずつ気温が下がってきて、半袖のシャツがちょっと寒くなったけど、ずっと話していたかった。ひとりのお部屋に戻りたくなかった。ウォーンは真剣に聞いてくれて、真剣に答えてくれて、真剣に話してくれた。


「あたし、修理に出そうと思ったんだよ。修理に出したかったの。なのに・・・。」
「ひとりでそう思ってもダメなんだよ。ふたりで思わなくちゃ。」

靴と相談するの? とか聞きそうになったけど、黙って聞いていた。そうじゃなくて、わたしは修理に出してもらえなかった靴なのかな、とか。出してはくれたけど、修理屋さんが「お客さん、こりゃもうダメだわ。もうちょっと早く持って来てくれたらよかったんですがね」って言ったのかな、とか。「ここが最初から欠陥だったみたいだねえ。いい靴なんだけどねえ。いや、全然たいしたことじゃないから、お客さんさえ気にならなければ、このまま大事に履いてくださいよ。こんないい靴、めったにお目にかかれませんぜ」って何故か翻訳調で、修理屋さんがそう言ったのに、欠陥が気になったんだろうな、とか。何度も修理に出そうと思ったのに、靴のわたしが行くのをイヤがったんだよね、とか。なんだかウォーンの比喩を茶化してるみたいなこと、真面目に考えたりした。

わたしの靴はおしゃれでカッコよくて、履いてみたら履き心地よくて足に馴染んで、今までこういう靴って履いたことなかったけど、結構いいんだ、違和感ないじゃん、って、そんな靴だった。とっても気に入って毎日履いてたのに、手入れしなくても平気だって思ってたかもしれない。


あの人はそれはそれは素敵な靴で、5日だけ履いてみたけどこれほどぴったり合う靴はなくて、絶対にほかではもう見つかんないから、ずっと大事にこのままとっておきたくて、でも時々履きたくなってうちの中で履いてみたりして、そしたら冷蔵庫の角でぶつけてちっちゃな傷作っちゃって、その度にミンクオイルで丁寧に丁寧に傷をなおす。


でもね、突然消えちゃったあの靴・・・。
まだ喪失感を拭えない。

天使の靴は消えないでね。消えないよね。大事に大事にするよ。


「きみは何も間違ったことしてないよ。ただね、ちょっと見る目が足りなかったのかもね。」
ウォーンはそう言った。そうなのかなあ・・・。








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失って得たもの - 2001年11月05日(月)

患者さんのメディカルレコードチェックしてたら、突然涙が溢れた。
ナースステーションのコンピューターが全部ふさがってることにかこつけて、ミーティングルームのコンピューターを使いに行った。患者さんの検査数値書き込みながら、親指の爪で必死で涙を押さえた。ナースステーションに戻るときにまた溢れ出て、子どもみたいに拭ってた。

名前を知らない背の高いドクターが、ナースステーションからこっちを見てた。気づかれたことに気づいてないふりして、視線を合わさないように歩いた。

こんなことは初めてだった。仕事中に泣くなんて。それでも、患者さんたちの顔見たら忘れられた。元気になった。もう病院で寝泊まりしたいなあって思った。ずーっと患者さん診ていたい。
 ー オフィスの机の下で、チビたち飼ってもいいですか?

大好きなナースのミス・ベンジャミンが「おいで」って言う。ホールの隅っこの窓際で話しながら、また涙が出た。「わたし、聞いたでしょ? 『彼は優しい? 』って前に。アンタ、優しいよ、素敵だよって言ってたから、それがほんとなんだなあって思ってたんだけど。だってね、ナースたちには親切なドクターじゃなかったもん」。ううん。優しかった。優しくて、センシティブな人だったんだよ。病院じゃ、いつもカリカリしてたの知ってるけど。でも、わたしにはいつだって優しかった。一緒に仕事したこの病院でも。「そんな、すぐに次見つけるようなの、忘れちゃいなさい」。違うの。あの子は多分、あの夜だけの子。そんなこと出来ちゃうのも、顔がいいからしょうがないじゃん。まだそんなこと思ってた。

お昼にオフィスに戻って、同僚に話した。泣かなかった。全部ほんとの自分も話した。今まで誰にも言わなかったこと。そしたらものすごく素直になれた。「アンタが本気で想い始めてるのわかって、怖くなったんだろね。だけどさ、ダメだよ。彼、アンタに全然相応しくないよ」「あたしだったら、もうショックでその場でどうなってるかわかんない。別の女の子連れて帰って来たなんて」「初めから、アンタだけじゃなかったのかもよ」。違う。絶対違う。それだけは信じられる。わたしがちゃんと分かってあげてなかったの。押しかけたのもいけなかったの。「ダメダメ。別の人探しなよ。終わってよかったんだよ」。みんなそう言う。「結局さ、愛に真剣になれない人なんだから」。わかってたんだよ。途中からわかんなくなったの。わかってるつもりだったのに。

午後からのICUの病棟ふたつは、てんてこまいだった。一緒に仕事したフロアじゃなかったから、忙しさにそれも手伝って、救われた。患者さんは殆どが意識不明で経管栄養取ってる人たちだから話せない。それでもドクターやナースと患者さんの治療に夢中で頑張ってると、忘れられた。

帰り際に隣りのオフィスのアニーのところに行った。アニーはわたしを思いっきり叱ってくれた。それがあんまり可笑しくて、笑ったらボロボロ涙がこぼれた。それでもアニーはわたしを叱りとばした。そして、そのあと力いっぱい抱きしめてくれた。わたしは大きな大きなアニーの胸にしがみついて泣いた。「早くわかってよかったんだよ。アンタ、若くていい子なんだからさ」「あたし、若くない」「歳じゃないよ。若いってのはね、年齢が低いってことじゃないんだからね」。

みんな優しくてあったかかった。だけど悪く言わないで。素敵だったんだよ。わたし、楽しかった。だから信じたい。誰でもわかる簡単なことなのに、わたしったら認めたくないんだろうな。悪い人だなんて・・・。最初に「悪いヤツ」って本人に言ってたくせに。自分だってあの人のこと愛しながら好きだったくせに。でも、ひとりででも信じる。ちゃんと想ってくれてたって。ほんとに好きでいてくれてたって。嘘はなかったって。いつかもしもまた話せるときがあったら、聞く。「I liked you, of course」。いつかみたいに、あの言い方でそう答えてくれるよ。そのときは過去形だけどね。それで充分だよ。


誰がどんなに責めたって、あんなふうに終わったことを、わたしは恨んだりしない。始まりも後悔しない。あんなに素敵な時間を過ごせた。バカかもしれないけど、本気でそう思う。

明日は休日。仕事がないと、きっともっと辛い。だけどこれは普通の失恋だからね。もうすぐ立ち直れるよ。昨日よりは楽になれるよ。明日はあの人ともいっぱい話せる。


こんなことはほんとになかった。人前でポロポロ泣いたり、ホントのこころの内を明かしたり。少しずつ変われそう。誰にでも素直になれるように。正直になれるように。失って得たものだよね。




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Only for you - 2001年11月04日(日)

胸にぽっかり穴が開いたようで、それなのに何もないそこがキリキリ痛くて、
窓から差し込む陽差しが頬に熱いのに、体を流れる血は冷たいようで。

今はまだ、あんなに優しかったいろんなときの表情よりも、
おとといアパートに押しかけたときの、あの冷たい顔ばかりが浮かんでくる。

天使の微笑みがずっとずっと頭の中でくるくるくるくる回ってる。
昨日もおとといもそうだった。助けてよって思ってた。今は微笑みが「バカだな」って笑ってる。


ブラジルのお土産は、ビキニじゃなくてタンクトップだった。帰って来た日に電話で言ってくれた。
「すっごいかわいいよ。カメのタンクトップ。」
「嬉しい。ありがと。で、何枚買ったの?」
「どういう意味?」
「何人分ってこと。ねえ、何枚買ったの?」
笑って答えてた。
「何言ってんの? 一枚だよ。」
「ひとり一枚?」
また笑いながら言う。
「きみにだけだよ。」
「ほんと?」
「信じられないよ。何枚買ったの、なんて。」
わたしの言葉を繰り返して笑ってた。

カメのタンクトップ、かわいかった。「Only for you」って電話の言葉が嬉しかった。最後にアパートで会ったあの日に渡してくれた。ありがとうって抱きついて、ほっぺにキスした。どういたしましてってお返しに抱きしめてくれた。にわとり島って意味の名前の島で買ってくれた、にわとりのキーチェーンもくれた。「僕も自分にいっこ買ったんだよ」って。それは only for us two? 「このにわとり、あなたに似てる」「似てないよ」「似てるよ。かわいいじゃん」。12月のお誕生日に何あげようかなって思ってた。

そこで記憶が止まればいいのに、思い出すのはそのあとのこと。それから、金曜日の夜のこと。「きみは僕に嘘をついた」。

悪いのはわたし。悪いのはわたし。                

しつこいな、わたし。まだ言ってる。


あの人の携帯は壊れてて、今日やっと話せた。
なんてあたたかいんだろうって思った。あの人の声が。

「あたしね、もう完ぺきにふられたの。」
「・・・。なんで?」
「結婚してたから。隠してたの。歳も言わなかったから。」
「忘れなさい、もう。」


元に戻ったね。
あなたはずっとそこにいてくれて、いつでもそこにいてくれて、
こんなわたしのこと怒らないでいてくれて、
何があったのかなんて何も聞かないでいてくれて、

あなたがそんなふうにそこにいてくれることが、どんなに大切なことかわかった。
わたしのすべてを受け入れてくれてることが、どういうことなのかわかった。
わたしのあなたじゃないけどね。

でももうね、痛くないんだよ。
「きみと同じくらい大事」って彼女のこと言ってた言葉。
こんなに遠回りして、あの痛みが消えた。

違うか。元に戻ったんじゃないか。苦しいの、消えたもんね。
また元に戻るかもしれないけどね。

帰って来たんだよ。ちゃんとあなただけに。
すぐには忘れられないと思うけど。

わたしのこころ、傷がついて、痣が出来て、かなりへこんじゃったけどさ、
これから一生懸命、治してあげるの、only for you 。


にわとりのキーチェーン、使ってるのかなあ。
何言ってんだろ、わたし。しつこいってば。


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大好きだったよ - 2001年11月03日(土)

終わっちゃった。
電話したら、ドクターは約束通りうちにいてくれた。
わたしは全部話した。
全部正直に話したことに、何の意味もなかった。

もう気持ちは変わらないって言われた。
ただの友だちでいようって、また言われた。
だけど今すぐには、なれないって言われた。

会いたいって言ったけど、会わないって言われた。
もう会いたくないの? って聞いたら、会いたくないって言われた。

あの日は「会うよ。約束するよ」って言ってくれたのに、
もう会いたくなくなった一番の理由は、
昨日わたしが押しかけたことだった。

まるでストーカーだって言われちゃった。
「何してたんだよ。何だったんだよ、あれは」って。
不健康って言われた。

そう言えば、あの日、あげたハロウィーンのカードを破ったときも、
呆然としてわたしのこと見てた。

そんなサイコっぽい態度に我慢出来なくなったんだ。
当たり前だよね。誰だってそうだ。

自分からよけいめちゃめちゃにしちゃった。

「不健康」なんて、なんて的確な言葉だろ。
わたしったら、やっぱりオカシイんだよね。

こんな関係は普通じゃないって言ったのは、
ドクターがわたしの歳を知らなかったからより、
わたしが結婚を隠してたからより、

「結婚してたこと」だった。
それはそういう状況そのものっていうより、
そこに背負ってるもののことだったんだ。
「だってもう、事実上は結婚してないんだよ」ってわたしは言ったけど、
そういう問題じゃないんだ。

変なややこしい経験があって、
そういうのを忘れたくて、
だから違う自分でいたかったから
何も言えなかったなんて、

おまけに、
好きな人がほかの人と結婚することになって
それが悲しくてどうしようもなくて、

それで、あなたと会えて、あなたといてとても楽しくて幸せだった、なんて、

そんなこと聞かされて、
よけいに重たくなっただろうなって思う。

ごめんね。
ほんとにごめんね。
そんなもの全部ひっくるめて好きになるなんて、
簡単なことじゃないよね。

わたし、泣かなかった。
だけど、重くて、クラーかったかもしれない。
「もう話すことは何もない」って言われた。

名前を呼んだら「なに?」って返事してくれる言い方も、
わたしの大好きだった「わかった?」も、
そのままだった。

そんな声をまだ聞いていたくて、
「待って、まだ切らないで」なんてしつこく言うわたしに、
ドクターは言った。

「僕は自分と同じくらいの年齢の子とつき合いたい」って。
それから「もう切るよ。グッバイ」って、プチって切られちゃった。

今日ほど、自分が若く見えることをみじめに思ったことはなかった。
今日ほど、自分の年齢の数字をのろわしく思ったことはなかった。

だけど、ドクターがそう言ったホントの意味は、
数字だけにあるんじゃなくて、
ただ、本当に、そんなめんどくさいもの何も背負ってない、
まるごと明るくて無邪気で楽しくて幸せで、
恋の経験も自分と対等な、
普通の相手が欲しいってことだったんだと思う。

そう、ドクターは、にせもののそんなわたしを信じて好きでいてくれたんだもの。

はじめっからさ、ちゃんと歳言って、
結婚してるんだよ、でも別居中なの、って明るく言えれば違ったのかな。
ダメ。そんなことまた考えたって、しょうがない。

もう、後悔ばっかり。

でも、もう終わっちゃった。
わたしがバカだった。
正直になれないわたしがバカだった。
こんなところまで来て、今さらのように何もかも言ったわたしがバカだった。
もう遅すぎた。

全部ひっくるめて、
ありのままのわたしを好きになれないのは、
ドクターの非じゃない。

せっかく大事にしてくれてた関係、
最後の最後までめちゃくちゃにしたのはわたし。


ひとつだけ、お願いしてもいい?

わたしと過ごした3ヶ月を、
いつか、うんといい思い出にして欲しい。
こんなわたしに嫌気がさして、
今は誰かに「参ったよ」なんて話したとしても、
いつか思って。「素敵な子だったな。楽しかったな」って。

「おんなじくらいの歳だったらよかったのにさ」って。


ごめんね。ありがとうね。
大好きだったよ。

素敵だったよ、ほんとに。

Kenny, I loved you.



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オータム・イン・ニューヨーク - 2001年11月02日(金)

会いに行った。昨日オーバーナイトのはずだから、今日はドクターはお昼にはうちに帰るはずだった。わたしは仕事が終わって、電話もせずに、会いに行った。追い返されたって仕方がない。それでもいい。会いに行こうって決めた。

アパートのセキュリティにちゃんと病院のIDを預けて呼び出してもらったけど、ドクターはいなかった。それでも居留守を使ってるのかもしれないと思って、お部屋まで行った。ドアをノックした。いなかった。いないなら、帰って来るはずだ。アパートの玄関の外でずっと待ってようと思った。何時まででも待ってるつもりだった。エレベーターを降りると、金曜日の夜のアパートのロビーは人でいっぱいだった。

インターンやレジデントのドクターたちががやがやと行き交う中に、玄関から入ってくるドクターの姿が見えた。ドクターはひときわ目立ってた。誰かに笑いかけたあと、エレベーターの方に歩いて来た。笑顔が素敵だと思った。帰って来た。会えた。やっと話が出来る。ドクターはわたしを見つけて、驚いた顔も見せないで、じっとわたしの顔を見ながらやって来た。後ろに黒いドレスを着た女の子がいた。

「何してるの、こんなところで」。ドクターは表情も変えずに言った。冷たい声だった。黒いドレスの女の子に視線をやりながら、わたしは何も察してないふりをして答えた。「あなたに話しに来たの」。

「何を?」
「全部話したい。謝りたいの。あなたに謝りたいの。」
「・・・。何を? 全部って何? 帰れよ。今は話せない。」

ドクターは女の子に視線を送って、わたしにその意味を示そうとした。エレベーターが来て、ドクターは女の子の背中を押して中に入れた。そして自分も乗ろうとした。

「待って。お願い。お願い。話を聞いて。お願い。」
それから名前を呼んだ。その子はドクターをなんて呼ぶんだろうって思った。わたししか呼ばない呼び方で、わたしはドクターの名前を呼び続けた。

エレベーターのドアをドクターは押さえる。「帰れよ」「お願い。お願いだから」。みっともない女は百も承知だった。黒いドレスの女の子の存在をわたしは必死で無視してるふりをした。「待ってる人がいるんだから、早くドアを閉めて」って奥から誰かが言った。わたしは引き下がらなかった。エレベーターに乗り込んだ。

3階でドアが開いて、ドクターはうんざりな顔をわたしに見せた。それでもわたしは一緒に降りた。

「今は話なんか出来ない。一体なんで来たんだよ。」
「だって、話を聞いてくれるっていったじゃない。あの次の日に電話してって。あたし電話したのに、あなたはいなかった。メッセージを残したのに、かけてもくれなかった。」
「・・・。きみは僕に嘘をついた。」

体が凍りそうだった。

「分かって。分かってくれなくちゃダメ。ちゃんと理由を聞いて。なんでわたしがそうしたか、分かってくれなきゃダメ。全部話して全部謝りたいの。」
「帰ってくれよ。僕は何も話さない。」
「もう会ってくれないの? 会ってくれるって言ったじゃない。」
「・・・。別のときに話そう。今はその時じゃない。分かれよ。」
そう言って、黒いドレスの女の子の腕を取ったドクターは、彼女に「行こう」って促した。わたしはそれでもあきらめなかった。女の子はずっと無表情によそを向いていた。

「いつ? いつなら話してくれるの?」
「明日。明日僕は休みだから、一日時間がある。明日電話して。」
「ほんとに明日、話せるの? 約束してくれる?」
「約束する。だから、今日は帰ってくれよ。」

あきらめるしかなかった。その子がどういう子なのかなんて、どうでもよかった。ドクターはお酒の匂いがした。はじめてデートしたときみたいに、一緒に飲んだんだ。

「わかった。」

わたしはエレベーターのボタンを押した。ドクターは女の子の肩を抱いて、お部屋に続く廊下に向かった。わたしは女の子の後ろ姿を見てた。

オリエンタルの女の子だった。日本人なのかどうかはわからなかった。でもきっとそうなんだと思った。黒いドレスは趣味が悪くて、パールの入った薄いブルーのアイシャドーが異様にてかてかしてた。わたしと同じくらいの身長だった。長い黒髪だった。細い体だった。でも足が太いなと思った。


ドクターはわたしを膝に乗せて、「細いなあ。おもちゃみたいだよ」って笑った。「まるでバービー人形だね。日本製のバービーだよ」「あるんだよ、日本製のバービーって」「ホント? 髪が黒いの?」「ううん、ブロンドだったと思う」「なんでさ? 日本人のバービーなんだろ?」。

ふざけてわたしを折り畳むみたいに抱いたときにも言った。「僕のバービー。ほら、こんなにコンパクトだよ、きみって」「じゃあ、バッグに入れて連れて行ってよ。どこにでも持って行けるでしょ、コンパクトだから」。

背伸びをして抱きついたら、ドクターはよく言った。「僕がジャイアントみたいに思うだろ?」「あたし、こういうのが好き。ちょうどいいよ。ちょうどいいサイズだよ」。

あの日、裸足で抱きついて泣いたあと、わたしは笑いながら言った。「あなたって背が高い」「そんなこと、何いまさら言ってんのさ」。ドクターも笑った。

そんなにすごく背が高いわけじゃないけど、ドクターの腕の中のちっちゃい自分が好きだった。ちっちゃくて軽いわたしを抱き上げて、ドクターはいつも可愛いって言ってくれた。


今ごろドクターは違うバービーを抱いている。
あの日がなかったら、きっと今わたしと過ごしてくれた。明日お休みって言った。また前みたいに一晩中、一緒に過ごせるはずだった。そしてわたしは、「明日は公園に連れてって」って、腕の中できっと言ってた。

「オータム・イン・ニューヨーク」。あの映画の通りに、落ち葉が舞うセントラルパークを一緒に歩きたかった。ずっと、そう思ってた。ずっと、その日を待ってたのに。


今ごろドクターは違う日本製のバービーを抱いてる。わたしと同じ、黒くて長い髪の。
わたしは、嘘をついたから捨てられた、ただの醜い人形。

気が狂いそう。気が狂いそうだよ・・・。


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