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■ +ミハエル7チャンプ+
何と申しましょうか。 ミハエルが7回目の Wチャンプ取って・翌日。
感慨が無いと言えば 全くの嘘なんですけど…。
やっぱりこう、なんつーか★ 両手を天に突き上げて ガッツポーズ繰り出して。 キャーキャー友達と抱き合って、 近所の見ず知らずの人と やったー!! やったー!! やったー!! と、口々に語り合った上 「あーー!! 今すぐイタリアの… マラネロの様子が見たいッ どこでもドアが欲しい〜ッッ」 と言って笑われた、 あの日の感覚は無いんですよね。
そう、あの日とは 2000年、鈴鹿A席。
同じくWチャンプが 鈴鹿までもつれた去年ですら あの高揚感はなかったし。
2000年の鈴鹿とは、 多分2度と得られないよな 私のドタマを打ち抜いた ミヒャ体験だったんだ。
私はあのレースを 死んでも忘れないし、 ミハエルにも忘れがたい 大切なレースで有ると思う。
去年、ニュルブルクリンクで 海外F1観戦したけど★ 自国でF1は2回開催。 しかも陸続きの近い国でも、 F1開催される、ドイツ。
やっぱ日本よりは F1環境に恵まれているなと 羨ましく思ったんだけど。
でも、コイツら 鈴鹿2000年は知らない。 数々のチャンプを決定付けた 鈴鹿は見れないのか〜と 思うと、少しだけ鼻高かった。
なんてね(^_^; 私が燃えたからって、 如何様な思い入れがあっても 3回目のWチャンプと 7回目のWチャンプに 価値の差が有るとは思ってない。
あれから5年取り続けてる 事自体、凄い価値だと思うし。 ミヒャワンフにとって 今は至宝の時間なんだと 自負していますが…。
爆発的喜びではなく 『良くやったと、ミハエルの 頭ナデナデしてあげたい』 静の歓びに終始してるのは、 自分でも不思議に思う。
この感覚は何だろう?
昨日ベッドに入って ずーっと考えていたんだ。
2000年の歓喜は、 ミカ・ハッキネンと云う 素晴らしいライヴァルが居て 成し得た歓喜でもあった。
ミハエルは僅差で PPは取っていたけど 勝てるか全く読めなかった。
グリッドにマシンが並ぶ。 同時に体が小刻みに震える。 歯がカチカチと鳴る。
そこから掴み取った、 漆黒の闇からの目映い光......。
ま、途中負けてましたしねι チャンプ取れてなかったから “解放”でもあった。
では、今回は何?!
布団かぶって暫く考えた後、 自分の予想だにしなかった 気障な答えが頭を過ぎる。
『ベートーベンの第九』
ミハエルの04年は 「ベートーベン・第九交響曲の みんなで合唱する部分」 ・・・の、様な気がします。
勿論、みんなって フェラーリのスタッフや 掃除のおばちゃん、 石橋のハミィとか全員ね。
そして全員が奏でる 『歓喜の歌・第九』 マエストロはミハエル★
ンな感じですかね?
第九なんぞ、音楽の授業で 聞きかじったくらいの 教養なんですがι
そう考えると、 2000年はミハエルの 独奏曲か、ミカとの協奏曲。
跳ね馬は今ほど 完璧なマシンもチームも 持ってなかったと思う。
チームは結束固かったけどね。 今よりは付け入るスキが 多かったから(^_^;
そこから次々と ハーモニーが加わっていき 今は比類無き大合唱♪
そうか。そうなのか。
私は多分 ミハエルの頭を撫でた後 そっと背中を押したい。 もっと合唱を聴きたいから。 聴いていたいから。
これは彼にとって 終わりなんかじゃ無いしね。
ロスと同じように、 ミハエルが辞めたくなるまで ずーっと聞きたいんだ。
なんつーか(^_^; 勝敗とか記録とか超えて 天恵とか・ボーナスとか 例えたら失礼な物に 脳内変換出来た7チャンプι
まあ、大変に 高飛車な物言いを 最後に致しますとさιι
取るべき人が取ってるから 『当然だ』位の思いも 半分有るんですけどね(--;
でもやっぱり、 ミハエルの旅の途中の “天恵の1つ”だと思います。
はんなりはんなりと、 ゆったりゆるゆると、 歓び噛みしめておりますわ★
2004年08月31日(火)
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