荒れそうで荒れない、このごろの天気。 今日あたり雨がふるかもしれません。 あたたかいと、とても生活がしやすいですね。 寒いと体も心も凍えてしまう。 寒いのが苦手です。
■追い込みで仕事をしています。 本当に必要な仕事ではないのですけれど。 他人の自己満足のため、必要のない作業や 意味のない書類づくりを繰り返しています。
■↑といいつつ、今日は全く仕事をしませんでした。 いろいろと、違うことばかりやってしまって。
人間の生活あるいは成長は、ここまでは1でここまでが2ということはない。 今日は1メートル40センチ、明日は1メートル50センチ。0時になったら切り替わるという訳ではない。 1も2も連続していて、少し高いところに立って後を振返るとあそこがだいたい1だったのだと感じることが多い。 前の面影や影響を持ちつつ、いつの間にか変化していくものである。 体や生活、考え方やこころの在りようもそういった道筋をたどるのではないだろうか。 確かにきっかけはある。 じつは、きっかけは、ありとあらゆるところにあり、いつでもある。 私たちは、何かに影響を受けたり突き動かされたり、偶然な事故のような出来事を、あれがきっかけだったのだと思い、きっかけが突然やって来たように感じることが多い。 しかし、気付きの中で或いは偶然にそのきっかけの引き金を引くのには、 じつは自分の知らないうちにその準備が行われているものなのである。 肉体的な、精神的な、知識、経験、経済的物質的な側面でさえも。 偶然の事故や病気、或いは人間的な変化、この人に出会って私は変わったということも、何らかの準備がなされている。 外を歩くという準備、車に乗るという準備、いろいろ経験の積み重ねや共感するこころを持つということ。 昨日の私と今日の私が違うということはあり得ない。 今日の私は昨日の私を経験して、引きずって、積み重ねてできている。 そうやって少しずつ変化する。
■人がなかなか信用しない。 人をおいそれとは信用できない。 人のことを信用してもらえない。
大きくなるにつれ、話していたことと違っていたり、 こちらが想像していたことと違って、期待を裏切られたり、 人の期待に応えようとがんばっても、できなかったりという経験を、 少しずつ積み重ねる。 自分なりに努力したことであっても、目標との比較、周りとの比較や 自分の満足する心との比較で、達成感が得られない。
小さいこどもの頃は、大人を信じている。 周りのものを無差別に、無意識に、無頓着に信じている。 すべてを投げだして、すべてのこころをよりかけて信じている。 かけねなしに信じている。
人はいつしか比べるようになる。 周りと、他人と、自分のこころと。
いくらやってもできないことはある。 試験前の一夜漬けのような、すてきな人にふり向いてもらえるような、 一本の宝くじがあたるような。
■無理をしない。 仕事はいくらやってもきりがない。 先んじてやればそのうち疲れてしまう。 うまくやれば、より多くを望まれる。 より多くを行えば、・・・。 でも、人の期待に応えようと、自分のこころを満足させようと、 いつも先んじ、うまく、より多くをやろうとする。
他人を評価するとき、必ず比較してしまう。 周りの人間、目標、そして自分と。 多くや先進を望むと同時に、自分を越えることへの抵抗を持つ。 そんな心の葛藤のなかで、人を評価してしまう。
人のがんばり、努力、勤勉、勇気や智慧は、そんな曇ったレンズで、 なかなか見えてこない。
普通のサラリーマン生活に戻って、このお休みを過ごしました。 若いときのように、どこかへふらっと旅に出るのでもなく、 古い友人を急に訪ねに行くのでもなく。 金もないので、ビデオを見て過ごしました。 聞くとこころによると、黄金週間の名付け親は映画会社と聞き、 映画館には行きませんでしたけれど、近代技術による映画なぞを見て、 大変有意義に過ごしておりました。 現在のところ、家には稼働しているパソコンがないので、 ケイタイで探索できる程度にネットからも遠ざかり、 夜も夜更かしせず睡眠しました。 休みになると早起きする性分なので、 暖かい太陽を満喫いたしました。
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