友人との間でかねてから進行が止まっていた懸案が、土曜日にようやく実行された。
うっとりしちゃうくらいステキなお館を拝見しに出掛けましょうね
ってな具合で、出掛けた先は。東京は湯島に在る 旧岩崎庭園。 明治二十九年に建築され、当時のままの建材も残っているという貴重な西洋建築。 洋館の設計をジョサイア・コンドルが担当した。 古河庭園もスケジュールに入っていたのだが、(コンドル設計の建築物と云うくくりで)「古河だったら薔薇の時期に!」と先送りにすることにした。 高い天井、細かな彫刻が施された柱、復刻された金唐革紙の壁紙、廊下のあちこちに設置されたガスヒーター! 明治に建てられた建築物にガスヒーター!!その当時、ガス灯が銀座や、横浜の一角にしかなかったっちゅーのに、個人の邸宅にガスヒーター!! 個人の邸宅のヒーターの為に、個人でガス工場を作っちゃった!! 他にも、サンルームに残る明治時代の板ガラスや、鮮やかなタイル。 その優美さ、鮮やかさは家、と云うよりも賓客を招くための迎賓館と云う趣だったそうだ。
渡り廊下でつながった和館。畳廊下よ!洋館と比べると、素朴。華美な装飾はない。その代わり、素材の良さはとんでもなくすごいものだった。 天井板は継ぎ目がない。最長16mあるという廊下の天井の長さに一枚板を使用。細かく詰まった柾目からも、でかけりゃいいっていう木を使っているわけじゃないのが分かる。 残存している和館は小さいが、周囲を広い庭に囲まれているおかげで、風の通り抜けが心地良い。 真夏日だったこの日なのに、冷房要らず! 個人的には和館のたたずまいの方が好きだなあ。
そして、洋・和ともに、岩崎家の家紋をさりげなく取り入れている。まさに個人の邸宅。いつか、こんな家を我が家としたいもんだ!!
旧岩崎邸だけでその日は終わらず、夜は新宿の末広亭という寄席へ出掛けた。 夕方5時から夜の部が始まる。ワタクシ達が到着したときは既に20分ほど過ぎていたにも拘らず、長蛇の列。 せっかく来たのだもの、入る。立ち見だってかまわず入る。木戸を潜ればすぐに客席。でも、人の頭ばかりが見える。 隙間に立ち、ようよう舞台を除き見る格好。 話は面白かったし、周囲の人も親切で、立ち見のせまっくるしさは二の次三の次。お目当ての柳家小三治師匠の話も聞けたし。
唯一の難は、中入りのときに通り過ぎていったおじさんが倒した灰皿が、ワタクシの袖を汚していったこと。
でも、そんなことはメゲル程のもんじゃない。また行くぞー。
2005年06月22日(水) |
『戦国自衛隊1549』 |
福井晴敏がらみ、第2弾ですね。
日本史と兵器のビジュアルが好きな人は単純に「うおー、動いてるぅ☆」と喜べる作品。 もちろんそれだけじゃ、ないが。しかし、映画の筋は非常に単純で、それだけ、ちゃうんかい?という意見がないとも限らない(笑) 分かりやすくて、ワタクシは好みですねえ。「LORELEI」よりもとっつきやすく、幅広い年齢層が入り易そうに思いましたよ。
細かい演技の出来る役者ばかりなので、細かいトコまで見てしまった。いや、見るべきだ。 北村一樹さん扮する戦国の世から平成の世に登場した斉藤道三の家臣、飯沼七兵衛初登場シーン。 洋服を着てはいるものの、立ち去るときの歩き方は、なんば歩きになっている!戦国の世に生まれ、育った人の振舞い方だよね。他にも、この人は剣の扱いも豪快かつ丁寧、乗馬も出来るし、日舞も舞えちゃう(踊るシーンは無いけどね)色々やってもらいたい、いい役者さんだ。 蜂須加小六の息子、藤介役の中尾明慶くんもコレからがもっと楽しみ。 鹿賀丈史や伊武雅刀も迫力在る存在で、江口洋介、立場弱いなあ(笑)
ちょい残念に思ったのが、後からタイムスリップして来た神崎(鈴木京香)と、先にタイムスリップし、織田信長とすり代わり戦乱の世を生きていこうとする的場(鹿賀丈史)が初対峙し、「やれるもんならやってみろー」的に拳銃を差し出す。が、発砲できない神崎。 そのシーン、神崎の目線は的場から外さないでいて欲しかったなあ。うつむいていくばかりでもったいない。目線だけでも充分演技できる人だと思うのにな。
ラストシーン……。戻ってくるのはもちろん良いけど、なんか面白みのない画で終わっちゃったなあ。
総評として、まあまあ。ってとこかな。
幸か不幸か、本日はワタクシの誕生日である。
毎年毎年、誕生日を迎え成長加減に自覚があってしかるべきだが、今年の誕生日ほど、もおダメだぁ〜!!感が強い年はないだろう。
この4月からは新しい仕事形態で働いているが、今まで自分がやっていた仕事、勤めていた会社はあまりにも幅、出入りする人間が狭く少なかったことか。 それが自覚、体験できたのは有意義なことだが、自分の力の無さ加減に自信喪失どころか、感情廃棄状態になっている。 悪化しないよう無理矢理にでも、人と交わる生活習慣をと、仕事に出勤している。 それが精神構造の悪循環を形成するような気もするが、人と口を利かないで済むのを良しとする仮性ひきこもり体質としては、無理を通してでも外の世界と触れなくては、本物の生ける屍になってしまう。
自分の存在意義を見つけるのに いまさら ってことは無いはずだ。
足掻いても登るのが困難な坂道・谷底なのか、立ちふさがる壁がデカイのか、全く分からないけど、自分で自分を諦めない のをやってみよう。 いままで、とりあえずで過ごしてきてしまったから。
でも、そんな想いと表裏一体で襲ってくるのは、揺らめき動く僅かなヤル気を飲み込む虚無。
先月の二十日をもってファーストミッションを終了し、無理やり休養に陥った十日程の間、新しい勤め先への面接に行ったり、図書館へ通って読書をしたりと、暇は暇なりにステキな過ごし方をした。 積極的に引きこもっていく性質を少しでも軽減しなくては、働くことができなくなるからねえ。
おかげで、昨日六月一日よりセカンドミッションがスタート。心残りは、図書館の書棚に読みかけの本を残したままであること。
それは、いまさらながら読み出した『マリア様がみてる』シリーズ。 いや、アニメ化企画が浮上した頃は、何処の図書館も貸し出し中で、手元に来るのは何時になることやら……って具合だったのだもの。ようやく書棚に戻ってきた本を図書館へ通って読書に勤しんだ。 図書貸し出しカードを作れば借り出して家で読むことができるけど、年に数度行くかどうかの場所だ。よし!では、弟くんに頼もう。ところが「いーやーだー!!!」と断固たる口調で断り続ける。 「何か面白そうなのを見繕ってきてくれ」なんぞ、言っていない。書名、著者名が分かっている本だというのに。何故、そこまで断り続けるのかが分からん。
あぁっ!続きはどうなっていくのかしら?なんだか、別な方面へ引き込まれていっているかもしれない。
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