ああ、じっくり腰をすえて文を考える事が出来ません。 毎日パソコンは開けているのに。 若い頃は、あれこれ平行してやって尚、夜更かしや早起きも平気だったのになぁ。
近況。 姉に第一子誕生。元気な女の子。 私の息子のSスケ(7ヶ月)は、保育園に慣れ始めた。 夫は今年に入ってダイエットして、今15キロ減。リバウンド無し。 私。吹き出物が。おーんおーんおーん。
先日のTV「さんまのまんま」に出ていたマッキーが、面白かった。 「〜でございまぁす」って、使ってみたい。
スマスマ ピンクレディ。しっかり足が上がってキレのあるダンスは良かった。 子どもの頃、友達や姉と、縄飛びの柄をマイク代わりに 歌って踊ったことを思い出した。 私はケーちゃん派だった。
2004年09月16日(木) |
おろろーん(涙)と、ぐふふふ〜(涎) |
今日から、息子(もう直ぐ7ヶ月)が保育園へ行きました。 と言っても「慣らし保育」(様子見)の為、先ずは1時間。 連れて行くと、きょろきょろとお部屋を見渡し、 抱っこしてくれる先生をじっと見詰めて、不思議そうな顔をしていました。 「大丈夫かな?」「じゃあね、行ってくるね!」 たった一時間じゃ、家に帰るのも無駄なので、近くのスーパーへ。 ちょっと切なくなって、ウルウルしたままお買い物。
一時間後、迎えに行くと抱かれて口をへの字に情けな顔の息子。 「ダメでしたぁ」 しばらくは、もったらしいけど、大泣きというより、 ひんひん情けなーい声で、ずっと泣いていたそうです。 おもちゃを見ても、手も伸ばさず泣いて、 ずっと先生が立って抱っこして下さったそうです。
私の顔を見ると、ああ!と一瞬目を大きく開け、両手を出しました。 ひっくひっくとしゃくりながら、だんだん笑顔になりました。 なんだか、とっても可愛そうで可愛そうで… 帰りの車で今度は私が泣きました。 だけど、預けなきゃいけないのよ。 こんなに小さな赤ちゃんを。 預けなきゃ、仕事が出来ないのよ。 出来なきゃ苦しい自営業を助けられないのよ。 なんだかなあ。なんだかなあ。 明日も、1時間保育で様子見です。少しは慣れるといいな。
帰りに寄った電気屋で、「スレンダーザクティ」のパンフを発見。 何?今年の4月発売とな?知らなかった。 でもでもなになにーかっこよいではないかっ!ないかっ! 家宝にします。ぐふふふ。 あっという間に涙も乾き、るんるん。 隣で夫が吹き出している。
2004年09月06日(月) |
カタカタカタ…と来ると、ドキッとする |
ああ、夕べの地震は怖かった。 丁度娘達が「こち亀」を見ていて、私はキッチンで用事。 息子は寝室でスースー寝ていました。 夫はパチンコへ。 長い揺れでした。家はギシギシ、家具はガタガタ、 壁の額や電灯の紐はぶらんぶらん揺れていました。 娘達に「大きい揺れやから、チャンネルをNHKに変えて」と言いながら、寝室へ。 大きな音と揺れの中、一人スースー眠る息子を抱き上げ、(まだ揺れてる) リビングに戻ると娘達がTV前にいない! 振り返ると、2人ともダイニングのテーブル下に入っていました。 (まだ揺れてる) そこに夫から電話。「大丈夫か?すぐ帰るから、出口確保して注意してて。」 揺れが治まっても、電灯の紐がまだぶらんぶらん… 私は、息子を抱いたまま、リビングのドアと、玄関のドアを開け放しました。 どくどきどきどきどきっっっ まだまだ揺れている気がする。 TVは、NHKで臨時ニュースを流した他は、 民放はいつもの番組で速報の字幕が出ただけだった。 それを見て、「たいした事ないのかな?」と思いました。 でも、心臓のバクバクが治まらない。 怖かったです。 実家や臨月の姉に電話するも混雑してつながらず、 元気な声を聞くまで、ちょっと不安でした。 体が覚えているんです。阪神淡路大震災を。 あの恐怖を思い出してしまいました。 夜中12時前の地震も、さらに怖かったです。 建物が音を立ててゆっさゆっさ揺さぶられている感じ。 子ども部屋のドアを開け放し、気づいて起きた長女に声をかけました。 長かった。あの揺れは、この地域には震災ぶりに大きい地震です。
非難した地域や、津波での影響もあったそうですが、 大惨事に至らずよかったです。 でも、気味が悪いですね。もしもの準備はやっぱり必要ですよね。
実は、ずいぶん前から、うちの近所の道路に段差があるせいで、 大型車が通る度、「ガタガタン」と家が揺れます。 今はそれすらも「じっ地震!」とびびってしまい、 一々、心拍数が上がります。 何とかして下さい。
|