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2005年04月27日(水) 綿菓子ひとつ。

自分が欲しいものがかなり遠くにあるということに、気付いてしまう。
たとえば綿菓子が食べたいとする。

綿菓子がほしいのだけど
もちろん綿菓子も食べたいのだけれど
わたしが欲しいものを与えようとしてくれる、
無償の愛情というものを綿菓子代を通してもらってるんだと思う。

綿菓子欲しい、と云ってみて
欲しいの?じゃあ買ってあげようか
と云われて、嬉しくて、
うん、とにこにこして
だけど買ってもらえない。
あんなものなんで欲しいのよ、とか
買ってあげるなんていってない、と嘘つかれるとか
僕は綿菓子がきらいなんだ
綿菓子を食べたがるような女の子もきらいだよ、
などと云われつづけたようなもの。
わたしのいままでは。


信じるとか信じないとか
愛情とか
無償の愛情とか
そういうものを知らないままに、
ここまで来てしまったんだなぁと思った。


だけど、あきらめるのもきっとひとつの方法なのだ。
あきらめたら見えることもあるかもしれないし
絶望からでないと見えないこともきっとある。
きっとある。


あるいは、
もぎとって、奪えばいい。

簡単ではないかもしれないが、単純なことだ。


2005年04月26日(火) 愛に、あいに

相手がどんなにひどくてずるくても、あたしまでおなじようにずるくなるのは止めようと思った。

それはあたしが生きていく誇りだ。


あるひとたちがどんなにずるく問題をすりかえて、
嘘ばかりついて決して謝らず
自分の都合のいいように使おうとあたしをふりまわして利用して、
思い通りにならないからといって癇癪を起こして、
いろんなつじつまのあわないことをいくつも云う。
事実をねじまげて嘘を塗り重ねる。

そんなことをして、
誰かを思い通りにしようなんて傲慢だ。

年上だからって、親だからって、それはしてはいけないことだ。
そんなやりかたでひとを利用して依存して、
楽な道を通ろうとしたってしあわせになんかならない。誰もしあわせになれない。愚かな方法だ。
それに気付きたくないのか気付かないのか知らないけれど、
自分がしたことは自分に返ってくる。すべて。

だから、相手にふりまわされてはいけない。
どんなに相手が自分を汚そうとして汚れても、
その状況に甘んじたりせず、
自分はそんなことをしたりしないように内省し、
勇気をもって強く生きるのだ。
しかと抜け出そう。

いまならはっきりと自信を持って云える。


この状況から力をふり絞って抜け出して、がんばってがんばって明るい未来をつくってきょうを楽しく生きて、あのひとに会いにいきたい。逢いに行って愛に行って愛を云って愛に生きたい。


2005年04月25日(月) 長い夢

なんかねむってる気がする。
はやくおきてはしりたい。春のなかで踊りたい。踊りたい。



ばいばい長い夢…


2005年04月19日(火) 検索機能

エンピツには簡易検索結果がついていますが、
それにしてもこの日記にたどりつかれるのは
?みたいなキーワードばっかり。
もう。


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