今夜は、夕食後のんびり野球中継を見て、 そのままドラマ「プロポーズ大作戦」も見た。 先々週も書いたのだが、途中でくだらねーなあ、と思っても、 ヒロインめあてで楽しんで見ている感じだ。 そうして見ていると、後半の展開がなかなかおもしろい。 先週は、過去には見つけられなかったレイからの誕生日プレゼントを 考えに考えた末に、図書館の本の間から見つけ出した。 現代に戻り、披露宴会場の思い出の写真の、 ピザ屋で撮った写真のレイの寂しげだった顔が笑顔に変わっていた。 きょうは、レイがケンのことをケンゾウと呼ぶようになった思い出。 小学校3年のとき転校してきたレイが消しゴムを忘れてきたので、 ケンは自分の消しゴムをちぎって渡した。 その側面に「○○健三年○組」と書いてあったのが、ちぎったら、 「○○健三」で切れてしまっていて、レイはそれが名前だと思ったわけだ。 きょうも、レイが消しゴムを探す場面で、ケンは消しゴムを貸した。 その消しゴムに書かれた名前を見て、レイにも懐かしい思い出が蘇り、 しばし、ほのぼのとした時間が流れる。。。
それにしても脳天気なドラマである。 これで3度過去を変えた。 これだけ変えれば、その後の生活の展開も変わっているはずだが、 そういうことにはまったく頓着しない。 所詮こういう物語には無理があるのだ。 過去に戻って、そのままずっとやり直すならともかくも、 過去の要所要所に戻って部分的なエビソードを変えるというのは×だ。 そんなことを強く思いながら見ているのだが、 それでも、あの写真の中の表情を変えて行くというのはおもしろい。 先週の、寂しげな泣きべそ顔が笑顔に変わったのも感動的だった。 理屈を超えて楽しんでしまうのだ。
ちょっとだけメモするはずだったドラマの感想が長くなってしまった。
金曜日に、日本の実質的な武装について書いたのだが、 触発されたのはその日の橋本さんの独り言BBSの「三角合併」である。 この法案の施行によって、日本企業が外資に蹂躙されるという話らしい。
「日本人類最悪の法案の「三角合併」これが5月1日に施行されてしまう」 「現在の自民党幹部は、全く日本企業に対して「裏切り」の状態にいるため このことをマスコミに報道させないように圧力をかけている」 「ほとんど、すべての上場企業で「ライブドアの悲劇」が起こるのである」
橋本さんが引用した資料は、この調子で延々と続いている。 私は、この資料の真偽を判断するための知識を持っていないので、 せめてこれを参考に、明日以降の経済界の動きを見て行くしかない。
しかしとりあえず、こういうことだけは知っている。 日本の政治経済の政策の多くは、アメリカの要望書によって動いている。 郵政民営化も小泉クンからブッシュへのプレゼントだったという噂。 戦争放棄をめざすはずの日本の首相が、ブッシュの侵略戦争は支持し、 協力を惜しまない態度をとらざるをえなかった。 在日米軍のためにかなりの税金を遣っている。 在日米軍の子供たちの教育は、日本の税金によって、 日本人の子供たちの教育環境よりもうんと優遇されている。 、、、酔った頭で思い出せることをざっとあげてみた。。。
晋三ぼっちゃんがアメリカに行って、慰安婦発言の謝罪をした。 先に謝罪すべき相手が間違っている。 当の被害者や中国、韓国には高飛車なのに、アメリカにはペコペコ。。。 ブッシュも何の権限があって「謝罪を評価する」のかわからない。
27日の橋本さんの引用した文章を読んで、戦後日本の歴史、というか 戦後の自民党政治の歴史は、日本の植民地化の歴史ではないかと思った。 憲法で武力放棄してしまったから、こうならざるをえなかったのだろうか? 彼らはそう弁解するだろう。 それは違う。 武力放棄の理念に対する信念があまりにも弱過ぎたのだ。 軍需利益を願う経済界の圧力もあったのかもしれない。 あの資料によれば、その経済界も自民党に裏切られると言う。
いや、待てよ、、、すべてがアメリカの思いのままとは限らない、
、、、とにかく、来月以降の動向を見守るとしよう。。。
2007年04月29日(日) |
「グラディエイター」!!! |
昨夜、遅くになって、何かDVDを見たくなったのだが、 最近届いた「硫黄島からの手紙」も、かなり前に届いた 「パイレーツオブカリビアン デッドマンズチェスト」も 2時間半ほどかかる作品らしいので、躊躇した。 1時間ほどの軽いドラマを見て寝ようかなーー、、と ふと目に留まった「ダークエンジェル2」を無性に見たくなって、 1年ぶりに見始めたら、おもしろくておもしろくて、、、 結局、4話3時間ほども見てしまって、自制して寝た。
2時間以上もかかる映画は見ていられないぞーー、と思いながら、 結局は3時間も見てしまったのだから、大いに反省した。 今夜はまだ見ていない映画を見るぞ!! 連休の夜こそ、そうでなきゃ!!!
今夜は、とにかく9時からTVの「冗談じゃない!!」である。 大いに笑った。 笑えない設定でもあるが、笑える作りである。 主役の2人よりも、助演の大竹しのぶと飯島直子が笑わせる。 まだ第3回なのに、展開し過ぎと言いたくなるような速い展開である。
そのドラマの最中にとあるおばさんからのメールが届いていた。 「スケート見てるよー。 グラディエイターって曲がなかなかいいよー」 そうそう、そういえば、一昨年買った「グラディエイター」まだ見ていない。 届いた時忙しくて、そのままになってしまっていた。。。 それで、音楽を聴く目的で、今夜の映画鑑賞は「グラディエイター」にした。 昨夜迷った2作よりも長いにもかかわらず。。。
これはすごい映画だ。 横綱の映画だ。 正真正銘のアカデミー賞受賞作品だ。 終盤からエンドタイトルにかけて、じわじわと襲う感動に耐えられなかった。 小心で徹頭徹尾卑怯な皇帝と、理想はひとつの元農民将軍の戦い。。。 愚かな皇帝もよく描かれているし、奴隷に落とされた英雄もよく描かれているし、 テーマといい、その展開といい、非の打ちどころなし。 そこに漂うメッセージも『民衆の声を大切に」というところにあると思う。
私がこの映画を先延ばししてしまったのは、時間の都合でもあるが、 この題材のせいでもある。 「グラディエイター」というのは「剣闘士」である。 競馬場の馬走の場が、人間の殺し合いの場だと思えばいい。 こういう話だと思うと、何となく億劫になってしまうのだ。 (しかもそれが皇帝の主催する祭典なのだ。。)
しかし、そういう好悪の感情は超越して、感動した。
昨日の夕方、ちょっと早めに帰ってガソリンスタンドに寄って、 久々に洗車をしてもらって、喜んで帰宅した。 1ヶ月ほど前に激しく黄砂をかぶってから、ずっと気になっていたのだ。 ところが昨夜遅くに雨音を聞いた。 3連休はしっかり晴れるって言ってたじゃないかーーー!!! それだけではなかった。 朝外に出ると、屋根のないところに置いてあるどの車も斑点だらけ。。。 昨夜の雨は黄砂の泥水だったらしい、、、ついてない。。。
午前中仕事に出た。 朝はいい天気だった。 職員室で仕事をしていたら、突然ドドンドドンドドンみたいな響きが聞こえ、 和太鼓部がんばってんなあ、と思ってたら、激しい雷雨だと言う。 それから昼過ぎまで、晴れたり降ったりが不安定に繰り返された。
きょう仕事に出なければならなかったのは、新しい教材作りのためだ。 それはたいてい在宅ワークなのだけれど、仕事用のPCが入院中である。 国語の教材のほとんどは一太郎である。 ワードはいきなり不思議な現象が起きるし、自由が利かないので嫌いだ。 今こうして塵語を書いているOS10は一太郎が使えない。 バイオのノートで一太郎が使えるけれど、 キーボードが小さくて、文字をたくさん打つにはストレスがたまる。 それでわざわざ出かける道を選んだ。
市吹の帰りにふとケータイを見たら、着信表示があった。 7時ごろに、岐阜市内の番号が記録されている。 これは、先日PCを入院させたエイデンの可能性が高い。 こんなに早く退院して来てくれるとは信じられないが、 1日でも早く帰って来てほしいと思っているので、 この電話に気づかなかったのは大きな失策だ。 何か大事な問い合わせだったかもしれない。
とにかく、いろんな意味で間の悪い1日だった。 昨日の続きを書くつもりだったのだが、前置きがぐだぐだ続いて、 今夜はこれでおしまい。。。
2007年04月27日(金) |
平和憲法を反故にし続けた自民党 |
晋三ぼっちゃんがまたとんでもないことをし始めた。 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置した。 集団的自衛権を容認するための形式的な組織である。 朝刊の社説によれば、「集団的自衛権の行使容認に前向きな』者ばかり 13人選んでいるということだ。 教育再生会議もまったくもってひどいものだが、 このひどさ、、というか、非道さにはもう怒りと呆れが渦巻いてしまう。 暴虐非道の首相に怒る人間がなぜか少ないので、調子にのっているようだ。
その、晋三ぼっちゃんのコメントを読んで、はっと気づいた。
「軍事同盟は地の同盟だ。 日本が外敵から攻撃されればアメリカの若者が血を流す。 しかし、今の憲法解釈では、 日本の自衛隊はアメリカが攻撃された時に地を流すことはない」
何という大胆な発言であろうか。。。 彼が本当に「軍事同盟」などという言葉を使ったのかどうか知らない。 もし本当に使ったとしたら、その軽卒ぶりに呆れるしかない。
それよりっも、このコメントではっと気づいたのは、 60〜70年代の安保闘争というのは、軍備反対闘争だったということだ。 日本国民が武装することは許されていないけれど、 アメリカ兵によって日本が武装することになったということだ。 自民党政治家たちは、 「国際紛争を解決する手段としての武力を放棄する」という理念が 最初からまったく理解できなかった。 安保条約締結によって、もうすでに憲法9条は実質的に反故にされたのだ、
、、、これから本筋に入るのだが、もう眠い。。。
最近の私を忙しくしているのは、修学旅行の準備作業である。 生徒用のしおり(行程の手引き)を作らなきゃいけない。 この役は、去年学年主任から懇願されたもので、その理由は些細なものだ。 去年の学年の担当者の中で、もっともPCが使える、、というか、 文書のレイアウトが自在にできる、みたいな理由である。
その時には、そう大した仕事にはならないだろうと思って引き受けた。 数年に渡って変更が重ねられた修学旅行コースで、 もうほぼ固まって来ていたから、ちょっと手直しする程度でいいだろう。。。 それで、去年の夏に、下見の旅行を楽しんで来たわけだった。
しかし、最近、結局去年のファイルを全面的に書き換えた。 行程表のようなものは、エクセルで作らないと変更が不便だ。 そうやって書き直しを始めてみると、いろいろ気を遣ってなかなか進まない。 まったく!! 何でこんなめんどうな役を引き受けたんだろう、、、と、 ふと考えてみると、去年は人材に困ったかもしれないが、 今年の学年担当には、私よりPCに堪能な人が2、3人はいるのだ。 文書整理だけでも、そちらに譲るべきだった。。。
だいたい、こんな仕事はまったく性に合わない。 今時、修学旅行なんて行事が必要かどうかも疑問に思っているのだ。 修学旅行などというのは、日本の庶民が貧しかった時代の遺物である。 しかも、高校だと、「修学」どころか「修学」に半分も満たない時期である。 いったい、この行事を珍重する理由は何なんだ、と毎年思う。 普段忙しくてなかなか旅行に行けない教員のための行事のような気もする。
いいよ、、、そんなに気を遣ってくれなくても。。。 もうちょっと暇にしてくれたら、休日くらいはあちこち遊びに行くからさ。。
2007年04月25日(水) |
「華麗なる一族」の音楽 |
つ、ついにまた、宵寝をしてしまった。 10時過ぎに腰のだるさに耐えかねてちょっと横になったら、 何思う間もなく眠りに落ちて、約2時間。。。 生活のリズムが崩れやすいので極力避けたいのだが、 あーしまった、、と気づくのは、眠ってしまった後だ。。。
先日、ミュージックエイト社に妻の注文の楽譜を頼んだ際、 ドラマ「華麗なる一族」のメインテーマの吹奏楽譜が出ていたので ついでに注文した。 こういう曲を出すのは、客の要望が多いからに決まっている。 私はこのドラマを見るのがつらくて結局見なかったけれど、 第1話と、その後時折は、今どのあたりかな?と覗き見はした。 華麗なる、というが、流暢な音楽がよくバックに流れていた。
きょう、その楽譜が届いたのだが、ふと思いついて iTune Store で検索してみたら、サウンドトラック全曲が出ていた。 さっそくダウンロードして、全曲を聴いてみた。 驚いたことに、ミュージックエイト社の編曲譜にしては珍しく、 10分もあるメインテーマがそのまま編曲してある。 つまみ食いの中途半端なメドレーでがっかりさせるのが常なのに。。。
「王様のレストラン」の音楽で、実に才能豊かだと感心した服部隆之が 「華麗なる一族」ではあまり個性を発揮できなかったな、という印象だ。 テーマや筋立てが重過ぎたのかもしれない。
私がこのドラマを見なかったのは、見るのがつらいからである。 小説も、終盤に近づくにつれて、つらくて読めなくなってしまった。 山崎豊子の小説は迫真していて、どれも読むのがつらい。 それでも数作の長編は耐えつつ、しかも読まずにいられずに読んだ。 しかし、この作品だけは最後まで読めなかった。 それなのに、影像化されたものが見られるわけがない、と怖くて避けた。 とにかく、あまりに残酷なのだ。。。
先日、もっとも泣いたドラマアンケートの結果が新聞に載っていたが、 このドラマがトップに上がっていた。 このミュージックエイトの編曲者も、懸命に見ていたひとりだろう。 だから、メインテーマを一部も省略できなくなってしまたのだ。 あのドラマを毎回欠かさず最後まで見た人たちには、 大いなる勇気を感じる。
昨日もきょうも冷え冷えした風が吹き、職場の正門あたりには 放っておいたら敷きつめられそうなほどの枯葉が散っている。 一見、秋の風情である。 この枯葉を散らしているのは何ていう木だ? と尋ねたら、 4人目に尋ねた人が知っていて、楠だと言う。 「春の枯葉」なんて、太宰が皮肉っぽくつけた戯曲の題名だけだと 長年思っていたけれど、実際に存在していたのだ。
その傍らで、つい1週間ほど前までは、葉が1枚もない枯れ木だったのに、 たちまちにして透き通るような若葉が茂っている木がある。 毎日眺めていると、その勢いに驚かされる。 まさに「萌え出づる」という風情であるし、 青空の下で見上げると、「青葉若葉の日の光」の風情である。 尊く美しい生命の息吹を感じさせてくれる。 この木は何だ? と尋ねたら、 やはりその4番目に尋ねた人が、欅だと言う。
自然の営みは、返す返すも不思議だ。 春に葉を出すやつもいれば、まず花を咲かせて葉を出すやつもいれば、 春に葉を枯らせて落とすやつもいる。 一体全体、誰がそんな企画を練ったんだいね、、??
こんな悲しい日がやってくるとは。。。 メインマシンは生活の一部である。 ノートを入院させたことはあるけれど、メインは初めてだ。 7600機のとき、何度か危機に陥ったけれど、自分で解決した。 危険を冒して改造もした。 昨日も、最後のあがきでG4機のカバーを外して中を調べて見たけれど、 電源部は完全にユニットになっていて、何ともしょうがなかった。
6時過ぎにようやく職場を出ることができたけれど、腰が痛い。 いや、腰よりも、アクセルを踏む側の脚が痛い。 できるだけ負担の少ない道で行きたいなあ、と思っていたら、 近所に住む人がたまたま帰ろうとしていたので、 エイデンへの近道を聞いたら、各務原店に行け、と言う。 そういえば、岐阜のオーキッドパークに行くよりうんと近い。 以前は、マック知らずのエイデンがいくつもあって、 苦労させられたけれど、最近はもう大丈夫だろう。 iPod のおかげで、もうかなりメジャーになっているはずだから、、、
と考えたのは大間違いであった。 各務原店に着いて、まず確認に修理カウンターに行って、 持ち込んでもいいか、マックでもいいか、と尋ねたところ、 最初に応対した若い女の子は「いいと思いますけど」と答えたので、 カートを借りて車に戻って運んだところ、 担当者たちがいろいろ話し合っていて、結局ダメだと言われた。 そんなこと前もって打ち合わせとけよ、運ばせるなよ、と腹立たしいが、 長年、こういうマックユーザーへの冷遇には慣れているので、 また車に積んで、オーキッドパークに走った。
重たいG4の箱を降ろしたり積み込んだりして、また腰を痛めた。 各務原店から、もう無条件にメーカーに送ってもらってもよかったのだが、 1%もないはずの、ほんのわずかな望みを捨てられなかったのである。 ひょっとしたらメーカーに出さなくても直る可能性があるかも、という。。。 そのほんのかすかな望みのために、遠回りをしたことも厭わず、 足腰の痛みに呻きながら走った。
結局、あっさりと入院に決まってしまった。 修理費は問わないから、1日でも早く帰って来てほしい。 OS9 が起動する最後の貴重なマシンなのだ。 別れるのはつらくても、生き返ってもらわないと困る。 OS9 はマックの完成体なのだから。。。
ちなみに、今こうして書いているのは、マックミニで、 OS はかなり最新に近いものである。 OS10 になってから、Win に似せて、分けわからないファイルが増えた。 アップルは、Win にその最大のアイディアを盗まれ、 Win と共存するために、かつての明瞭なシステムを捨てた。 こういうところにも、商戦&PRと、大衆心理の脅威を感じる。 大衆は、真実よりも憶測や流行、つまり「何となく」に頼るものだ。
昨夜は、「プラダを着た悪魔」を再び全部見てしまった。 特典映像の残りを見たついでに、初めの方だけ見てみよかな〜、 と見始めたら、ついついそのまま最後まで見てしまった。
実に無駄のない、みごとな映画である。 これほど無駄のなさに感心させられたのは 28年前の「クレイマー&クレイマー」以来である。
「クレイマー&クレイマー」の時も、テーマには関心がなかった。 男女同権などというのは私にはあたり前のことであって、 アメリカでもこんな風に女性は自己実現に悩んでいるのだな、 アメリカでも案外男たちは封建的(?)なんだな、、と思っただけだ。 しかし、とにかく、映画として実にすばらしい作品だと思った。 無駄がない、ラストがすばらしい、完璧!! あの時、私はあまりのすばらしさに、しばらく席を立てなかった。
「プラ魔」も、再度見て、私にとってはそういう作品に映る。 ファッションになどまったく興味はない。 ブランド品買い漁って喜んでいるのは、 焼き印捺されて飼われている豚になるようなものだと思っている。 しかし、映画が間違った主張をしているのでなければ、 題材への興味と映画のよさとは別問題である。 この映画は片時もうんざりさせないし、冗漫だと思わせない。 字幕で見る限り、セリフも実に気が利いている。
初めて見たミセスクレイマーのメリルがおよそ30歳のころ。。。 ちっとも美人に見えない中年ヒロインを絶賛したものだった。 今回のはおそらく57、8歳のメリルである。 その間の作品をいくつか見ているけれど、 もっとも印象に残っているのは「マディソン郡の橋」である。 あの田舎のおばさん役はホントにたいへんだっただろうな、と思う。
きょうは、ついに電源が入らなくなったG4マックの入院準備。 坊ずに譲るG5i iMacのメンテナンス、、、他にもいろいろと雑用。。。 腰が痛くてたまらない。 痛みに耐えかねて、何度も叫んだり呻いたりした。 ホントにひどい状態だ。。。 痛いのは腰自体でなくて、脚の方なのだが。。。
2007年04月21日(土) |
Mac の電源の不思議な現象 |
一昨日の朝、このいつも使っているMac G4の電源が入らなかった。 電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。 困ったなぁ、、、と思いつつ仕事に出、帰ってから試したがやっぱりダメ。
電源ケーブルが抜けているだけならいいがなぁ、と点検したけれど、 どうもまったく異常がないようだ。 その電源ケーブルを挿しているタップには、モニタとUSBハブもつないで あり、それらの電源は入ってるし、タップのスイッチランプも点いている。
万事休す、、、、で、ほんの気まぐれにやったことだが、 タップの電源を1切って入れ直して、それからMac の電源ボタンを押したら、 電源ランプが点灯して、起動してくれた。 それからその晩は普通に使って、終了した。
翌朝(昨日)また電源が入らなかったが、タップの電源を入れ直した後に、 いつもどおり起動した。 昨日は終了しないで、スリープさせて仕事に出た。 夜帰ってみると、スリープ状態でなく、電源が落ちていた。 例の手で、起動したが、スリープ後強制終了したことになっている。
いったん起動してしまえば、普通に使えるのだが、 昨夜は、映画を見ている間に自然にスリープ状態になり、 その時電源も落ちてしまった。 つまり、スリープが効かなくなってしまっているのだ。
これはどういう現象なのだろうか? 電源関係にトラブルが生じているのは確かなのだろうが、 本体とは無関係な電源タップの電源入れ直しが関係しているのが不思議だ。 それで電気の供給量が変わるとも思われないし。。。 しかし、実際、今のところ、電源を入れる方法はそれしかないのだ。 なぜ???? スリープすると電源が落ちるのも、あまりにも不思議だ。
PCを使い始めてから12、3年になるのだろうけれど、 今までに実際なかったし、想像したこともない事態である。
2007年04月20日(金) |
「プラダを着た悪魔」 |
ファッションなんてもちろん何の興味もないから、普通なら無視の映画だが メリル・ストリーブが、このファッション界の「悪魔」を演じて 主演女優賞を取ったり取り損なったり、、、また、 実質的なヒロインとも言える、その悪魔ミランダの新しいアシスタント役が 「プリティ・プリンセス」で驚くべき変貌を見せてくれた アン・ハサウェイだというので、見ないで済ませるわけにいかなかった。
実にテンポのいい映画で、あっという間に2時間が経ってしまった。 途中で、今映画を見ていると思う間もないまま、終わってしまった。 それはもちろん、テンポがいいだけでなく、おもしろかった証拠である。
次々に新しいデザインの服を見せる。 アンが出勤する場面でも、1〜2秒で惜しげもなく衣装を変える。 それは、「こんな風に何日もが過ぎた」という意味の演出法だろうが、 ファッション好きには、それを見ているだけでも堪らなく楽しいだろう。
私には、服がどうとかよりも、やはりアンの変貌ぶりが楽しい。 見た目の変貌ぶりも楽しいが、精神的な変貌ぶりはもっとおもしろい。 アンディは、もともとファッションに興味のない女の子である。 将来ジャーナリストになるステップとしてミランダのアシスタントになった。 そのファッション界の精神に反発していたが(ミランダの横暴にも) 自ら最先端のファッションで身を包むことによって、 その世界での生き方を身につけて行き、ミランダのお気に入りとなる。 アンディも献身的にアシスタントを務めるようになる。 しかし、長年献身的に仕えて来た部下をないがしろにするやり方を許せず、 アンディはミランダの下を去り、新しい道を歩み始める。
強行採決大好きで、国民の間で疑問があっても、 自分たちが「よい」と信じた法案はどんどん通している自民党も、 国民の間では常識となっている、領収書で使途を明らかにする領収書添付、 つまり、政治資金抑制夫の海底には実に消極的。 国民には常識でも、彼らにはそれは常識でない、
今夜は眠い、これだけ、、、
かなり冷え冷えとした1日になった。 夜は、がまんしなければと思いつつも、弱めにストーブをつけた。 日中は曇で、夕方から小雨になった。 先日の日曜日の異常な暖かさが嘘だったように思われてくる。
朝刊も夕刊も寒々するような事件の記事で埋まった。 長崎市長が市長選の遊説から帰ったところを銃撃されて死亡。 アメリカのバージニア工科大学で、学生による銃の乱射事件で、 30人以上が死亡。 この乱射事件は昨日から紙面を騒がせていたものだが。。。
反核運動をしていた市長が、三選目をめざす選挙運動中に 暴力団幹部に銃殺されたということで、大騒ぎになっている。 言葉封じのテロ行為は許せない、という発言が相次いでいる。 しかし、犯行動機を推察させる記事は、政治理念とは無縁のようだ。 ・公共事業の受注問題でトラブル ・市の発注した工事現場で傷ついた車の補償費に関するトラブル ・知人が経営する会社の融資問題をめぐる市への不満 こんなんで殺すかぁ〜? というような内容なのだが、 個人的な恨みを募らせていたと取れば、それもありえないことではない。 前もってYV局に告発状を送っていたようだ。 電話や面会も数十回に及んでいたそうだから、現実のやりとりの中で、 こういう表面的なまとめには現れない個人的恨みが募ったのかもしれない。
動機はどうあれ、私もこういう暴力や凶行を憎む。 世界平和さえ、武力によっては何ら解決はできない、 武力は武力を呼び、攻撃は報復を招く、 対話を積み重ね、理解し合い協力し会う以外に平和への道はないと思う。 20年以上も思い迷った末の結論である。
「不服ならば意見を述べよ」という井上ひさしのコメントにも賛成ではある。 暴力で抹殺しようなんていうのは、この上なく卑劣な考えである。
しかし、意見を述べて、いったい何になるか、という疑問は消えない。 新聞の投書欄に連日のようにいい意見が掲載されても、与党は無視。。。 全国で3000万という署名を集めて、全国から何百という人が集まり、 何年にも渡って陳情を繰り返しても、与党は無視。。。 請願権なんてのは憲法で認められているだけで、与党には無意味。。。 私は12、3年前までわりと積極的にそういう全国行動にも参加していて、 その空しさを痛感した。 議員会館の各部屋を回って訴えても、好意的に迎えてくれるのは共産党だけ、 その他は末端の秘書が素っ気なく対応するだけだった。
彼らにとって、国民の意見なんてものはゴミに過ぎない。 彼らにとって国民が大切なのは、選挙の時だけだ。 意見はどうあれ、投票していただけすればいいのだ。 投票以外に国民の声なんて政治家に届きようがないのに、 多くの国民は、自分の思いと裏腹な投票をしているのである。
それにしても、自民党、公明党、民主党ともども、この暴力行為を批判して いるが、憲法で武力を認めさせようとしている君たちが、 そんなこと言う資格があるんかいな? 真楽戦争への協力や、報復のための暴力行為を可能にしたいんでしょうが!
彼らは、何千万という国民の声よりも、一握りの金持ちや権力者の声に従う。 金と地位と権力とだけが彼らの価値観であり名誉なのだから。。。
朝日新聞の世論調査で、
国民投票法案が今国会で成立することに賛成か反対か。 賛成 40% 反対 37%
今国会の法案では、投票率の高い低いに関わりなく改正が成立する。 憲法改正のためには、投票率が一定の水準を上回る必要があるか。 必要がある 79% その必要はない 11%
不思議である。 最低投票率を決める必要があると答えている人が約8割もいて、 そんな必要はないと答えている人は約1割である。 今国会で審議され可決されようとしている法案は最低投票率を定めてない と言っているのだから、今国会での成立の賛成者は約1割、 多めに見積もっても2割そこそこのはずである。 8割は、今国会での成立に反対するはずである。 しかし、2〜4割の人たちが、支離滅裂な回答をしていることになる。 最低投票率を定める必要はあるが、 今国会で最低投票率を定めない法案が成立することには賛成だという。。。
まったくわけのわからない民衆だ、という思いをまたもや新たにする。
しかし、これには2つの理由が考えられる。 新聞社の、誠意を装ったトリックではないかと思う。
ひとつは、質問が「最低投票率を定める必要」とは言っていないことだ。 「投票率が一定の水準を上回る必要があるか」としか聞いていない。 この問い方は、「法案に定められなくても、一定の水準の投票が必要だ」 つまり、国民はちゃんと投票に行くべきだ、 その水準を法に定めるか定めないかは別問題だ、という余地を残している。
もうひとつは、質問の順番である。 朝刊1面の記事では、こんな見出しになっている。
「最低投票率「必要」79% 国民投票法案 成立、賛否二分」
そして、まず先に最低投票率の調査結果について解説があり、 それから、今国会での成立についての解説が書かれている。 これを読んで私は、上記のような感想を抱き、 大衆への不信と脅威という長年の思いをまた一層深めたのだった。
しかし、4面の世論調査の内容を見ると、こういう順ではないようだ。 最初にまとめて書いた、あの順序で質問がされているようだ。 もっと詳しく言えば、 「安倍内閣を支持するか」「その理由」「支持する政党は」が先にあり、 それから「今国会での成立に賛成か」「最低投票率は必要か」の順である。 つまり、「今国会での成立に賛成か」と尋ねたあとで、 「今国会の法案には最低投票率が定められてない」と説明をしたわけだ。 だから、「今国会の成立」に「賛成」と答えた人が、 次の質問に入って「最低投票率」は「必要」と答えることもあるわけだ。
難しい論理学など学ばなくても、考え方の手続きをわきまえている人なら、 先に「最低投票率」について説明して尋ね、 それから「今国会の法案に賛成か」と問うだろう。 朝日新聞の担当者もバカではないから、それくらいはよくわきまえている。 だから、わざと反対の順序に質問事項を並べたのである。 それはおそらく、横暴なる政府への配慮であろう。 今国会での成立に反対があまりにも多くなるのはまずい、というわけだ。 調査方法は電話だから、この手はかなりうまく行くのだ。 もちろん、この手を使った裏には、無知なやつらが多いから、、という 判断があるのだろう。
そういう新聞社の巧妙なトリックがあるにしても、 やはり不思議なのは、最初の問いの「内閣支持率」である。
支持する 40% 支持しない 38%
半月前は、「支持する」が37%で「支持しない」が43%だった。 もちろん、同じ人が質問に答えているわけではないから、 単純に支持率と不支持率が逆転したと考えるわけにはいかない。 しかし新聞の論調は、支持率上昇をPRするムードである。 大手新聞社としてはやむをえないことなのだろうが。。。
しかし、私は、支持率が下落の一途をたどらないことで、 また大衆不信に陥ってしまう。 何でも許してしまう人たちがこんなにいるのだと思うと恐ろしくてならない。 わずかに、調査結果の中で唯一救いだったのは、 支持する理由、支持しない理由の中で、回答者全体に対する比率が21%と ダントツに高かったのが、「政策面で不支持」というものだ。
それにしても、やはり新聞社や放送局は、正義一辺倒に徹して欲しいものだ。 政府の思惑を気にしいしい、大衆操作をするのは犯罪だぞ(`ε´) 政府や与党が口出しをし、圧力をかけてくるためだと聞いたことがあるが、 それは憲法違反なんだぞ。
2007年04月16日(月) |
先週の仕事の仕上げ日 |
今朝から忙しかった。 午前中は、生徒の課題の牽引押しと授業に忙殺された。 授業は、返却する課題と、課題考査の解答用紙を抱えて教室に赴き、 課題返却、テスト返却と説明、そして残り時間を通常授業である。 授業は中途半端にならざるをえないが、大掃除ができたような爽快さである。 昨日・一昨日と仕事を片づけずにいたら、この解放感は味わえなかった。
午後は会議と雑用片づけ。 あえてきょうやらなくてもいいような仕事もやれてしまった。
久々に、明日を思い煩わなくてもよい夜を迎えた。 偶然だけどYVで「プロポーズ大作戦」というドラマを見てしまった。 ヒロイン役の長澤まさみちゃんがあまりにもかわいくて、 菜々子さまの妹分かいな、と思わせるほど惚れ込んでしまったので ついつい見てしまった。 おもしろかった。 世界で一番好きだと思いながら、肝心の一歩を踏み出すことができず、 今、彼女の結婚式に参列しながら後悔の念に苛まれるどころへ、 「妖精」と称する変な男が現れて過去に戻してくれてやり直そうとする、 そんなドラマのようである。 昨夜の「冗談じゃない!」もそうだったが、 思いつくのは易し、物語化は難し、というタイプの筋立てだけに、 今後の展開が楽しみである。
昨日やりきれなかった課題考査の採点と授業のプリント作りに約4時間。 この数日、テストの採点などとてもできるような余裕がなかったので、 一昨日予想より少し早く終わった出張の後、学校に戻って始めたのだった。 昨日の休日出勤で何とか終わらせたかったけれど、 春休みの課題提出状況もチェックしなければならず、時間が足りなかった。 国語・数学・英語の教員にはこういう仕事が常について回る。 理科・社会の教員には学年によってこういう仕事がついてくる。 その他の教員にはこういう仕事はまったくなかったり、 また、定期考査の作成・採点すらない教科もある。 教科指導以外の校務も、こういうことを考慮しながら配分すればいいのに、 たいていは、それとは関係なしに配分される。 私は木曜日まで、授業の関係と、図書主任の仕事に忙殺されていたので、 休日がつぶれるはめになってしまったが、 もしも音楽の教師になっていたとしたら、休日を満喫できたことだろう。 同じ給料でも、それぞれの仕事量はぜんぜん違うのだ。 教育再生委員会が提案しようとしているような給与格差をつけるなら、 橋本さんが以前唱えていたような、 「基本給+契約する役柄」という形にすべきだろう。
とにかく、のんびりしたい思いを抑えて、仕事を終わらせた。 明日からの1週間は、火曜日と土曜日に出張がある。 仕事が遅れても、土曜出勤で取り戻すことができない週である。 正常な1週間を過ごすためには、きょうこれだけの仕事は終わらせないと。。
仕事中の姿勢が悪かったせいか、腰が痛くてたまらなくなった。 腰もだが、脛のあたりの痛みが激しい。 堪らず横になったが、それでも痛くてうめき声がついつい出てしまう。
寝ているのもつらいので、歩いた方がいいかなと、散歩に出た。 私の散歩は、たいてい長良川の川岸である。 長良川を眺めながら歩いていると、なぜか心が安らぐ。 私はこの上流にある村で生まれたし、子どものころは上流の支流で遊んだ。 要するに、故郷から流れてくる川なのだ。 長良川のすぐ近くに住めるようになったのはとても幸福なことだと思う。 しかし、前にこの川岸を歩いたのはいつのことだろう、、? 1年以上歩いていないかもしれない。
散歩して、心が解き放たれるような思いをかみしめながら、 時間のゆとりはなくても、心のゆとりは失ってはいけないと切に思った。
帰ってから1時間ほど昼寝をし、夕飯をありあわせで作った。 夜は9時から、連ドラの「冗談じゃない!」の初回を見た。 かなり笑えるドラマだった。 20歳も若い相手と結婚したら、その母親が20年前に別れた恋人だった というドラマである。 もちろん、そんなことが妻に知れてはいけない、、、という設定。 母親たちの家族はフランスに住んでいて、主人公たちは東京に住むから、 ま、一時の混乱で済むはずだが、その母親が押しかけてきて初回が終わった。 そこに主人公のリストラ問題だの、 隣の住人が主人公の20年前を知っている大学の同級生だったりする。 20歳も離れたカップルの関係も、よく描かれていると思う。 緊張感を孕んだコメディーで、今後の展開が楽しみだ。
昨日までに今週で終わるべき仕事が終わらなくて、 9時ごろから3時過ぎまで出校して仕事したけれど、終わらなかった。 明日の在宅ワークに持ち帰らざるをえなかった。
帰ってから1時間ほどだけ昼寝して、かえって疲労感が増して市吹に行った。
きょうの朝刊は、「廃案にして出直せ」という題の社説をはじめ、 3つのコーナーで、国民投票法案の問題点や、強行採決の批判をしている。 昨日書いたこともそう間違いではなかったようだ、と安心したが、 こういう憲法に関する法案が、晋ちゃんのエゴ、自民党のエゴだけで 決められてしまうというのは本当に腹立たしいことだ。 それがあたかも正当な権利であるかのように振る舞える神経が不思議だ。
彼らはいったいどういう教育を受けてきたのだろうか? そんな疑問を抱かせるような連中が、教育再生について議論しているのも これまた摩訶不思議なところだ。
国民投票法案が、昨日特別委員会で強行採決、きょうは衆院で強行採決。 きょうは13日の金曜日で、悪魔晋ちゃんがついに神に闘いを挑んだのだ。 彼がめざしているのは「邪悪な国 日本」である。 それを「美しい国 日本」と宣伝して憚らぬところにも彼の悪魔性がある。 その手口も卑劣極まりない。 国民のほんのわずかな賛成者でも憲法改悪を可能にできる手続きを、 とにかく大急ぎでさっさと決めてしまったのだ。 国民にはできるだけ問題点が明らかにならないように配慮しながら。。。
彼らの意をかなり汲んで遠慮しいしい報道している一般新聞や放送局でも、 国民投票法案にはまだ問題点がいくつもある、と指摘している。 それなのに、彼らは、「審議は尽くされた」と強行採決に及んだ。 彼らの「審議」とは、規定時間を浪費することでしかない。 でなければ、あちこちで「まだ問題点がある」と指摘されているのに、 「審議は尽くされた」と問題点に十分答えないまま採決できるわけがない。 そして、そういう場合に我々が新聞やニュースで知るのは、 審議自体の経緯よりも、誰々が党派間の意見の調整に奔走して失敗した、 という話ばかりである。 彼らにとって、本来真剣に行うべき「審議」はノルマの「儀式」に過ぎず、 大事なのは党派間の調整、つまり「談合」しかないのである。 議会民主制などというが、議会自体はないがしろにされ、 水面下の駆け引きがすべてである。 機会の議決は絶対かもしれないが、これも党内の談合の結果みたいなものだ。
本当に、こんな国民投票法案に賛成の起立をしてしまって、 自民・公明の全議員たちは恥ずかしくないのだろうか。。。 世界に向かって、我々はすばらしい法案を作りました!! と、 胸張って自慢できるのだろうか。 それができるとしたら、与党議員というのは、今までもそう思ってきたけど、 よっぽど厚顔無恥でないと勤まらない、非常識な特別職なのだと思う。 この法案は、日本の恥である。 憲法というものを、世界で最も軽々しく考えている国とバカにされるだろう。
せっかく、世界に誇れる憲法の下で戦後を歩んできた日本だったのに、 憲法の精神は、いよいよ本格的に死への道を歩み始めた。 ま、還暦を過ぎればそろそろ寿命が気になるのは、人間も同じだが、 憲法は寿命ではなく、癌に蝕まれていたのだ。 癌細胞は、戦後のほとんどを牛耳ってきた自民党と財界である。 そして、戦後精神を理解しきれなかった多くの国民が、 自分たちは気づかぬうちに、癌細胞をはびこらせてしまった。 世界の模範になるべく戦後を歩み始めたはずの日本が、 「恐るべき、恥ずべき日本」への道を本格的に歩み始めた、 それがきょう、13日の金曜日である。
また3時間の宵寝をしてしまった。 ほんのちょっと横になるつもりだったが、 横になったらほとんど考える間もなく意識を失ってしまったようだ。
この3、4日間の長いことといったら。。。 月曜日に始業式があったはずだが、それから3日経っただけなのだが、 その日のことはもう何ヶ月も前のように感じられる。 ただでさえ慌ただしく考えることの多い年度始めに、 今年は図書部の仕事をさらに増やしてしまったので、余計に忙しいのだ。 そこに、修学旅行関係の仕事も入ってきていたし。。。 明日は午後から出張だし、、出張は来週の火曜、土曜、再来週の火曜と、 こんな風に2週間に4つもあると、年度始めは困ってしまう。 しかし、すべてが、年度始めだからこそやらなきゃいけないことなのだ。
去年の14日(金)はこう書いている。
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一昨年の15日(金)は、宵寝してしまって、 近所に住む同僚の先生の家の火事騒ぎを知らずにいた。
しかし、その前年は、忙しい中で、イラク問題に関心を向けていたようだ。 この年は、生徒は2年目の生徒だけだったし、担任も2年目で、 割と余裕のスタートを切っていたのではないかと思う。 この年は、1年を通じて、教員生活の中でもっともゆとりある1年だった。
その前年は、転勤してきた年で、1年生の担任になった年である。 7日(月)に入学式があり、その週末11日の塵語の冒頭である。
////////////////////////////////////////// バタッ_(_ _)_
、、となりたくなりそうな週末である。 激忙の5日間であった。 もう2週間くらい過ぎてしまったような気がする、、、けれど、 そのわりには、まだまだわからないことだらけである。 そうそう、15年前の転勤の時も、このわからなさが煩わしくて、 転勤などできるだけしたくないものだ、と思ったものである。 特に昨日までは、空き時間がほとんどないのにまいった。(*_*) やることはいっぱいだし。。。 喫煙室では仕事できないし。。。 //////////////////////////////////////////
こんな日記でも、書き続けていてよかったな、と思う。おもしろい。
フジテレビの、絶景100シリーズの番組をまた見た。 今まで2〜3度見たことがあるが、期待のためにどうしても見てしまう。 途中は省略しても、それぞれの絶景のクライマックスは見たいと思う。
きょう紹介された絶景は、 ・フィリピン・エルニドのシークレットビーチ ・ノルウェー 北極圏のフィヨルドの夕景 ・ニュージーランドの「世界一美しい散歩道」ミルフォードトラック ・ジブラルタル海峡の岩山から眺めるアフリカ大陸
どれも心惹かれる映像である。 退職したら、ひとつくらいは眺めに行けるのだろうか?
私が今までに見た国内の絶景。
高校の修学旅行で見た、松嶋。 遊覧船で移動するにつれて島々が動いていた。
大学の4年目だったか、草津あたりを車で走った雄大な光景。 狭い日本の国土でも、こんな雄大な景色が見られることが驚きだった。
しかし、私が今までにもっとも感動したのは、景色とはいえない光景である。 京都・奈良にはいい光景が多いが、最高の絶景は埃っぽく狭いところだった。 広隆寺の弥勒菩薩。 初めて出会ったときから数回会いに出かけたけれど、 会うたびに展示方法が変わっていて、最初の感動を再び味わえない。 しかし、あの時の電撃的な感動は忘れていない。
自民党も民主党も、国民投票法案について、最低投票率を考えないのは、 「最低投票率の基準を設けた住民投票でボイコット戦術がとられた」ことが あるからだという。
あーー、、な〜るほどー、、、そういうことは考えなかったけれど、 考えてみたら、もしも「有権者の過半数の賛成」とした場合だと、 反対の者は投票に行く必要はなくなるわけだ。 それでも、投票は意思表示の機会だという良識ある人々は行くだろうが、 賛成以外の人は行っても行かなくても、結果にはあまり関係なくなる。
私は、憲法改正の条件の「過半数」というのは 「有権者全体の過半数」でなければいけない、と思っているが、 晋ちゃんたちもさすがにそんな勇気はないのだろう。 最低投票率50%なんて、言語道断である。 50%の半分は25%である。 賛成が3割に満たなくても憲法が変えられることになってしまう。 高校生の定期試験の合格点じゃないんだからね。。。 最低投票率70%で、70%以上の賛成、あるいは、 最低投票率80%(または60%)で6割(または8割)以上の賛成、 それくらいでなければならない。
本当は、議員や知事の選挙の場合にも最低投票率を設けるべきだと思う。 最悪の事態では、投票率40%くらいしかなくて、 40%程度の得票で知事に選ばれたりして、 「県民の皆さんの支持をいただいて、、、」などと挨拶したりしているが、 積極的に彼を支持した県民は2割もいない。 我々の会議でさえ、職員の2割程度の支持しか得られない提案を通すのは 至難の業ではないか。。。
年度が改まって、あちこちで総会というものが開かれるのだが、 総会を成立させるには過半数または3分の2以上の出席とかいう条件がある。 出席を委任状に代えることもできるが、選挙の場合だったら、 提案は前もって為されているのだから、不在者投票ということになるだろう。
以前、この、選挙における最低投票率について考えたときは、 結局のところ、最低投票率に満たなくて選挙が成立しなかった場合に、 議員や首長が不在になって政治が停滞する恐れがあるという点で、 最低投票率が設けられなくてもしょうがないかな、と結論したものだ。
しかし、憲法を改めるための国民投票は、成立しなくても困らない。 いついつまでに改めなければならぬということはまったくないのだ。 政治家には任期があるけれど、憲法に任期などないのだから。 ボイコットするとしたら、それはそのまま反対票か、 あるいは、反対とは言わないが、まだ機が熟していないことの表明だろう。
ボイコット戦術の恐れ、なんてことは最低投票率を設けない理由にならない。 私は、寧ろ改憲論者たちが、低い投票率をあてにしているのだろうと思う。
・・・あ、これは、3日前にも書いたことだった。。。
めんどうだから、ググルって最初にヒットした読売ニュースを引用しよう。
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政府の教育再生会議第1分科会(学校再生)は9日、都内で会合を開き、 学校現場に競争原理を積極的に導入することで一致した。
公立学校の教員に能力給を導入し、 一定の範囲で給与を増減できるようにする教員給与改革などが柱となる。 具体的な議論を進め、5月に予定される教育再生会議第2次報告に 盛り込む予定だ。
競争原理の導入は、教員間の切磋琢磨(せっさたくま)を促し、 やる気と能力のある教員を厚遇することで 公教育の質の向上を図ることが狙いだ。 今後、一般行政職の地方公務員より教員を給与面で優遇することを定めた 人材確保法の見直しも検討する。
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本当にバカな人たちでございますな。 現場は協力して指導しようとしているのに、競争原理ですと?!!
実際、新しい工夫をしない教員は多い。 今の学校の同教科の教員にはホントにそれが多い。 イライラしてもどかしい限りだ。 私は、新しい指導法や自主教材がうまく効果を挙げたと思ったら、 それを彼らに紹介して、一緒にこの線でやってみようと呼びかける。 それは生徒のためである。 しかし、再生会議の方針は、そんな風に共有しようと考えるやつを バカなやつにしてしまう。 できるだけ、それは自分の手柄にとどめた方がいいのだ。 それほどのことでなくても、我々はあらゆる場面で教え会う。 生徒の情報、PCの能率的な処理法、生徒の活動についてのノウハウ、、、 しかし、人のためにそんな時間を使い、親切をするのはバカである。 人にはできるだけ失敗させ、能率悪くし、無能のレッテルを貼らせ、 とにかく自分のところが他人よりもうまく行くことが大事だ。 管理職に認められる範囲でうまく立ち回り、 管理職にはわからないところでは利己主義を決め込む。 競争原理とはそういうものだ。
また、管理職の資質によっては、必ずしも 「やる気と能力のある教員を厚遇する」ことになるとは限らない。 実際私は、若いころにこういう事例をいくつも見てきた。 担任をして、悪い生徒も多い中で、活気ある信頼感あるクラスを作ったのに その若手教員が組合員で、職員会議でも正論を述べるのが苦々しくて、 彼に何年も担任をさせず、「お前は子どもだ、何もわかっとらん」みたいに 言っていた教頭を知っている。 「能力」というものを、誰が判定できるのかが疑問である。 実は「やる気も能力も」あるのに、過小評価をされて給料下げられたら、 例えばもしもそれが私だったら、私は言うだろう。 「めんどうな仕事は高給取りがやってくれ」 そして、先週の金曜日の入学式後の、体育館のシート巻きのような仕事も、 協力を依頼されて、腰痛を我慢して協力することもないだろう。 「そういう余計な仕事は高給取りがやればいい」 給与格差を設けるということは、そういう協力心を失わせることでもある。
そういう私も、不適格教員はさっさとクビにしてくれぃ! と思う。 この点では、組合員である私も、いわゆる組合的考えには反対だし、 私が今の学校で組合の会議に出なくなったのも、 こともあろうに、組合員の中に不適格教員が2人もいるからである。 前任校で出なくなったのも、不適格教員が学校委員になってからだった。 仲間として同席するのが恥ずかしくなったからである。
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学校間や地域間でも競争原理を働かせるため、 〈1〉教育の質の高い学校や、学校選択制を前提に 児童・生徒が多く集まる学校を予算配分で優遇する 〈2〉学校への直接寄付への税制優遇措置を導入する 〈3〉市町村ごとの教育政策を国民に分かりやすく情報提供する 「全国公教育マップ」を作成する――なども検討課題とする。
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「地域の実態」ということが、この人たちの認識にはまったくない。 古くからの家柄が支配する地域と、新興住宅地では、 子どもの落ち着きもまったく違う。 夜逃げ同然に引っ越してきた母子家庭の集まる地域というのもある。 暴力がすべてだ、と教えられて育つ地域もある。 もともと落ち着いた地域環境の中にある学校は、 それほど教育力を発揮しなくても落ち着いているが、 荒れた地域環境の中にある学校は苦労が絶えない。 必ずしも、教育力だけで計算できる問題ではない。 困難な地域にこそ、多くの教員を配するなど、予算配分が必要なのだ。 これは、義務教育の段階での問題である。
高校となると、こういう学校間競争の問題は、もっと複雑になる。 もう遅いので、これについては後日に回そう。
とにかく、教育再生のためには、現場の協力体制と、 県や国の、惜しみない協力体制が必要なときに、 あんな提言しかできないとは、、、まったく情けない首相である。 短絡的で単細胞の連中の集まりなのだろう。 「競争させれば、勝とうと思ってがんばるぞ」 「給料がたくさんもらえると思えばがんばるぞ」 それだけのことなのだ。 我々はそんな価値観で働いていないが、彼らにはきっとそれしかないのだ。 この上なく浅はかなやつらだ。 こういう提言の賛同者と、それに疑義を唱えた人たちを公表してもらって、 賛同者をさっさと委員から除名しないと、教育は死ぬ。
昨夜は何時に寝たのか知らない。 土曜の夜にしては早く眠たくなって、塵語を書き始めて中断して寝た。 1時ごろだったかもしれない。 今朝は10時過ぎに起きた。 よく眠った休日というのは、雑用がそれほど億劫でないものだ。
昼ごろまではネットで調べものしたり、塵語の続きを書いたり。。。 昼食をとったのが1時半ごろだが、昼食といっても何にもなかったので、 2つだけ転がっていたカップブードルである。 それから、妻の車のタイヤを積み込みに行ってガソリンスタンドへ。。。 客が多くてタイヤ交換にだいぶ待たされたが、本も読めてよかった。 それから食料品を買い込んで、タイヤを貸倉庫に降ろして、 家に戻ったら、妻はその車でホームセンターに買い物に行き、 私は自分の車で、今度は自分のタイヤを積み込みに行った。 もちろん、もう遅いので、店に行くのは明日以降である。 もうこの時点で5時近くになってしまった。 もう1日終わっちゃったな、、、と思いつつ、 風呂の排水口掃除、トイレ掃除、台所の掃除、、、などなど。。。 そこまでやったところでようやく妻が帰ってきたので、 ご飯を炊くスイッチを入れて、妻と娘も連れて、歩いて投票に行った。 これがもう7時ごろ。。。 いい天気だったのに、夕方から今にも降りそうな曇り空になってしまった。 帰ってから、20分で夕飯の準備をして、やっとビールにありついた。
腰に悪いことばかりしたので、また悪化したようだ。 もっとも、ここ十数年は、タイヤ交換を自分ではしなくなった。 やらなくなったきっかけは、エスティマに乗ったころである。 1度だけ、それまでしていたように自分でやったが、 タイヤがますます大きくなったので、腰への負担が大きくなった。 だから、タイヤ交換の重労働だけは業者に頼むのだが、 それでも、ここ2カ月ほどの腰の状態からすると、 きょうの労働はちょっと無理しすぎたかもしれない。 明日から本格的に新学期が始まるというのに、困ったことだ。
さて、相変わらず忙しく、のんびり過ごすなんてことは許されないが、 それでも通常よりは心のゆとりのある春休みはこんな風に終わった。 一昨日入学式があったのだが、今年は1年生担当ではなかったので、 そうバタバタ慌ただしい日ではなかった。 いろいろ仕事はあったけれど、心のゆとりは通常の勤務にはないものである。 春休みや夏休みのいいところはそれだ。 実質的にはぜんぜん休暇じゃないんだけれど、ゆとりはある。 冬休みは、数日間本当にのんびりできてしまうので、 新学期の始まりが不安で、とてもイヤなものになってしまう。
そういえば、きょうは教育再生委員会批判を書くつもりだったのに、 雑用にかまけて忘れてしまった。
きょうはゆっくり寝たかったけれど、 目が覚めた時にむりやり起き上がって、休日出勤。 歓送迎会関係で振り回されてできなかった仕事をやりに出かけた。
昼過ぎに帰宅して、1時間半ほど昼寝して、市吹の練習に出かけた。 横になったら何を思う間もなく意識を失ってしまったから、 かなり眠りを欲していたようだ。
朝刊を読んだのは市吹から帰ってからなのだが、 社説の見出しは「国民投票法 与党だけで押し切るな」である。 与党は本当にそういうものでいいと思い込んでいるのだろうか? 実に不思議な感覚である。
「安倍首相は、憲法改正を自分の内閣で政治日程に乗せると明言している。 今年の1月には、7月の参院選挙で争点として国民の判断を問う考えまで 示し、意欲をみなぎらせた。 国民投票法はこの機運を盛り上げるための欠かせない一里塚であり、 この国会で何としても成立させる重要法案という位置づけだ。 与党単独でも衆院で解決する構えを見せている」
戦後60年の歩みというのは、「民主制」の役割演技の中で、 自民党が独裁政治の味をしめてきた歴史なのかもしらないな。。。 私が知っているだけでも、この法案には不十分な点がある。 それを、単独採決で決めてもよいと考えているらしいというだけでも 異常者の集まりとしか思われない。
「国民投票法案は、単なる手続き法ではない。 国のおおもとを定める憲法を変えるかどうか、 その時に民意をどう問うかという極めて重要な法律だ。 憲法改正と同じように幅広い合意をもとにつくるべきである。 多数を握る政権が目前の選挙への思惑などから突っ走っていい課題では ないはずだ」
こういう良識が欠けている。 今まで彼らは、自分たちに都合のいいルールをいくつも作ってきて、 それだけでも実に罪深いことを重ねてきたわけだけれど、 憲法に関してもこうして自分たちの都合が中心になってしまった。 憲法は本来彼らを規制するためのものであるのだが、 いやだ、いやだ、そんなのいやだー、と駄々こねをする子どもみたいだ。
「国民投票法案の中身には、何をもって過半数とするのか 最低投票率の設定を設けるかなど、まだまだ議論すべきことがある。 国民の関心自体も決して高くない。 どれだけの人がこの法案について具体的な知識をもっているか、 はなはだ怪しいものである」
先月もこのことについて書いたのだが、 法案の完全な内容は見つからなかったし、 この最低投票率について、晋ちゃんがどう答えているのかわからない。
要は、国民にはあまり具体的な内容は知らせたくない、 問題点が鮮明になってしまうと具合悪い、あまり関心をもって欲しくない。 国民投票にもあまり来てほしくない。 低投票率が今まで自民党独裁精勤を安定させてきたように、 憲法改悪も、自分たちを盲信してくれている人たちに投票してもらって、 低投票率で事なきを得たいものだ、というのが本音なのだろう。
それにしても、なぜマスコミは大騒ぎしないのだろう? 「有権者のたった1割か2割の賛成でも、憲法が変わっちゃうんですよ!」 「それを、単独採決でも決めようとしてるんですよ!」 今度の憲法改悪の焦点は、9条に関わることかもしれないが、 この国民投票法は、今度の改悪だけのものではなくなるのだ。 私はめったにTVを見ないし、毎日の新聞もざっと見るだけだし、 見逃してしまっているだけで、実は大騒ぎしてくれているのだろうか?
その社説の次のページを見たら、 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」という民法の見直しに、 法相の批判から急プレーキがかかった、という記事がある。 戸籍を持てない子どもを救済するために、自民党内で起こった見直し論も、 「伝統重視」派の圧力で幕引きとなるようだ。
この頑なな法相が、ゆるゆる憲法観にもの申さないのは不思議だ。
きょうは入学式でもあったが、夜は職員の歓送迎会。 2次会までつきあったら、家に着いたのが0時半。 お義理の飲み会で、何で午前様にならなきゃいけないんだーー(`ε´) まー、とにかく、2次会の途中で、くたくたでくらくらして、 どうなることかいな、と思ったが、無事帰宅できてよかった。
一昨日から、この歓送迎会の準備に振り回された。 こういう行事は、職場の親睦会の分野で、その幹事は教科の持ち回りで、 今年度は国語科、その教科主任が中心となって動いていくことになっている。 今は年度始めなので、新旧の国語科主任がやっているはずなのだが、 一昨日の出席人数確認の問題に巻き込まれてから、 実は、何一つ準備が進んでいないことを知った。 旧主任は新主任にすべて預けたつもりで悠々としているし、 新主任は旧主任に輪をかけて呑気な気質の人物である。
結局、昨日は、座席表の指定席を決めたり、座席のくじを作ったり、 全部私がやるはめになった。 きょうも、それを整理していたら、転勤者等の指定席に置く名札の必要に 気づいて、それも用意した。 準備のため会場に1時間前に着いて、会場を見たら、 平面図から読み取っていたのと実際の会場の上座の位置が違うので、 急遽、座席表を書き換えて、まったく違う席順にした。 準備のための集合時間を指示した新主任は、30分遅れたやって来た。 その頃には、我々は、受付の準備もすべて終えて、 彼が持ってくるはずの出席者名簿を待っていたのだが、 彼はそれを忘れてきた、というか、まったくそれが念頭になかったようだ。
私はもうこの時点で怒り心頭である。 何でそこまでのほほんと無責任でいられるのかわからない。 これから自分がどういう仕事をするのか、イメージ力がなさ過ぎる。
旧主任と新主任のうろ覚えで、とりあえず出席者名簿を新たに作った。 「たぶん出席」なんて、「たぶん」では困るんだけどなぁ。。。 実際、「たぶん出席」が実は欠席というのもあった。 しかも、受付をするうちに、出席者数が変わってきた。 2人多いかもしれないと思った時は途方に暮れたけど、 多いのは1人分かもしれないことがわかってから緊張の決断を強いられた。 たまたま当日キャンセルが1名あって、 それを復活させるかどうするか、かなりの賭けのスリルであった。 結局は、途中でキャンセル分を復活させて、何とか数を合わせられた。。。
受付を終えて会に合流したころにはもう疲れてしまっていたのだった。
課題考査は昨日作り終えて、きょう点検して修正もした。 しかしこれは、半分である。 あと半分を作るもうひとりの先生が昨日もきょうも休暇をとっているので 印刷してすっきりこの仕事を終わらせることができない。
古典の習熟度別クラスの編成案は2通りできているけれど、 これももうひとりの先生が昨日もきょうも休暇をとっているので、 確定できず、名簿を作ることができない。
新入生の図書館オリエンテーションに使うプリントを仕上げたいけれど、 これもまた、司書代わりの先生が休暇をとってしまったので、 相談を進めることができず、先に進めない。
修学旅行の行程説明会の準備をしたくて、 去年行程のDVDを作った先生にそのDVDを借りようと思っているが、 彼はこの3日間部活動の引率のために不在で、何ともならない。
何もかもが遅々たる進展にとどまって終わることがない。
授業の出欠や成績をメモする、いわゆる閻魔帳の準備もした。 クラス名簿を貼ったり、3学期分を1枚の名簿で済ませるために ページの部分をハサミで切り取ったり、なかなかめんどうな仕事である。 これも完成はしなかった。 上にも書いたように、習熟度クラスの名簿が決まらないからである。
まーええわ、と思って、4時ごろ休暇を取って帰ろうとしていたら、 ちょうどその時に電話がかかってきた。 私宛ではなかったが、国語科の教員なら誰でもいいという電話だった。 たまたまその電話をとった人の視界に私がいたので、私が指名されたのだ。 それは、歓送迎会の会場の世話をしてくれている旅行社からの電話だった。 歓送迎会の最終の出席人数を教えてくれと言う。 今年度は、職員親睦会の幹事が国語科なのだが、私が中心ではない。 それから1時間以上にわたって調査にあたったが、 とにかく、今まで中心になってまとめてきたはずの先生がいない。 通勤手段にしているバイクもないが、家にも帰っていない。 旅行社は、昼から連絡を急いでいたようだ。 まったく困ったものである。 これもまた、暫定的な報告で済ませ、明日に持ち越しとなった。。。
職場というのは、長居は無用である。 下手に居残ると、余計な仕事が増えるに決まっている。
昼食に出て、堤防道路を15分ほど走った。 ついつい桜に目が行って、前方不注意の危険にさらされそうである。 しかし、あのあたりの桜も、まだ満開とは言い難いようだ。 春の暖かさが昨日から休暇にはいったらしいので、 桜の花も、自身の使命を全うできずに中途半端に停滞しているようだ。
朝出かけるころは、ちょっと冷えてるかな、という程度だったが、 午前中から吹き始めた風はどんどん強く、冷たくなって行った。 とても桜をのんびり眺めようなどという気分にはなれない。 明日は雪が降るかもしれないと言っていた、と言う人もいる。 ま、このあたりで雪が降るとは思えないが、きょうより寒くなるのだろう。 去年、桜の花の上に雪が積もったのは、3月30日である。 何か、似たような展開であるが、今年は去年より、 3月の寒暖の交代が甚だしかったような気がする。
昨日はまだ暖かさを保っていたが、黄砂が桜の景観を損なっていた。
落ち着かない毎日である。 いろいろと準備しなきゃならないことがあるが、 どれも完成せず、中途半端にちょっとずつしか進まない。 相談を要するのに、相談すべき人が出校していないということもある。
今夜、また2時間ほど宵寝してしまい、明朝の起床が不安な深夜である。 そう疲れているとは思っていなかったが、吹奏楽の曲を発掘しようと、 つまらん曲を聞いていたのが、疲労を誘発したのかもしれない。 ちょっと横になったら、もう考える間もなく意識を失ったようだ。 それにしても、なぜ9時ごろ寝ると2時間程度で自然と目が覚め、 深夜に寝ると、4時間後の目覚まし時計の音が辛く感じられるのだろう?
昨日読み終えた「使命と魂のリミット」の余韻に誘われるように、 きょうから東野圭吾の「時生(トキオ)」を読み始めた。 冒頭の20数ページが、早くも涙を誘った。 それから、不思議な物語に入って行った。 自分の今の息子が、若いころ自分に会いに来ていたという想い出話である。 これはいったいどういうことになるんだろう???
2007年04月02日(月) |
「使命と魂のリミット」 |
1週間ちょっとかかってしまったが、 東野圭吾の「使命と魂のリミット」を読み終わった。 きょうは終盤の100ページほどを、昼食時と夜に夢中で読んだ。 今夜はこれで、久々にたいへん満足してしまった。 涙なしでは読み終われない、いい物語である。
本当は今夜は「国民の声」という題で書こうとしたのだが、 その関連で「30人学級」と検索してみたら、 そのトップに後にコピペする記事があったので、呆れてテーマを変えた。
私は、晋ちゃんが自慢げに開催している「教育再生会議」なるものが 最初に取り組むべき課題は、 小学校の少人数学級と1クラス2人担任体制だと確信している。 それに伴い、小学校から教科担任制、つまり、 担任がほとんどの授業を自分のクラスでするのでなく、 3年生あたりからは専門教科の人が授業をするようにするということである。
小学校の教育財政は、殊更に余分の教員を無くそうという方向である。 これは間違いである。 自閉症的症状の児童や、本来障害児学級に入るべき児童や、 さらには、家庭で、暴力のみが唯一の権威だと叩き込まれている児童が 普通学級に入って来ていて、言葉による指導が通用せず、 衝動的な行動で他の児童に危害を加えたり行方不明になったりしている。 病的症状で、机でじっとしていられない児童もいる。 そういう児童がひとりいるだけでも、教室内は大騒ぎなのだ、 その子をじっくり指導すればするほど、他の子たちを野放しにする事になる。
私は今の学校に赴任してから、25人前後のクラスでの授業を経験している のだが、40人と25人では、15人の差以上の違いがある。 3倍か4倍、生徒の姿がよく見える、生徒の声も聞ける、という感じだ。
こういう現場の困難や、現場でしか感じられない感触を知らない連中が、 しかも、現場の声を聞くなんて発想はまったくない連中が、 教育再生とか何とか、机上の空論を振りまいているのだから、 何を定義して法案化しても、衰退・死滅の一途をたどることだろう。
・・・で、さっき見つけた記事というのは、1年半前の赤旗の記事である。 「30人学級」というのは、十数年前から何年も続けられた運動である。 全国で毎年3000万以上の署名を集めて請願し続けたのに、 まったく聞いてもらえなかった、それこそ、 日本の民主主義の真相を象徴するような運動であった。 一昨年にもまだこんな議論がされていたのか、、と感慨深い(笑)
この記事の中の、とりわけ、麻生クンの 「一律三十人学級という話は今の時代からするといかがなものか」 という発言には呆れる。 これは、教育について考えているのではなくて、 自分たちが税金の無駄遣いをすることは全面的に許した上での、 財政面のことだけを考えた発言である。 要するに、教育のことなど何にも考えてない人の発言が、 教育を動かしている、、、それが、最大の教育問題である。
今夜はとりあえずここまでにしておこう。
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文部科学省は二〇〇六年度概算要求で国としての三十人学級実施予算を盛り込まず、全国から強い要求のあった三十人学級の制度化は先送りとなることが確定しました。三十人学級実施に必要となる教職員定数の改善を検討していた同省の調査研究協力者会議(座長・高倉翔明海大学長)の中間報告(八月二十三日発表)を受けてのものです。
今年二月に中山成彬文科相は、それまでの消極姿勢を転換し、少人数学級推進の意向を表明しました。公立の小中学校の少人数学級は四十五道府県に広がるなか、国として実施に踏みこむかどうかが注目されていました。
■一転、腰砕けに
積極姿勢を見せた文科省は省内に「教職員配置等の在り方に関する調査研究協力者会議」を五月に設置しました。ところがその中間報告(別項)は、小学校低学年の「三十五人学級」を推奨したものの、国の「四十人学級制」はそのままで、学級編成の権限を都道府県から区市町村・学校にうつす方向を示すにとどまりました。
やった方がいいが、国としてお金は出さないという内容で、「いつまで安上がりの教育を続けるのか」(茨城新聞八月二十七日社説)などの批判の声があがりました。
いったんは検討に着手しながら腰砕けとなった文科省。なぜこうなったのか。政府関係者は「首相官邸、財務省の強い圧力」を指摘します。
少人数学級が中央教育審議会で大勢を占めた直後の六月一日、小泉「構造改革」の司令塔となっている経済財政諮問会議(議長・小泉純一郎首相)が開かれました。会議には中山文科相、鳥居泰彦中教審会長が呼び出されました。席上、鳥居会長は「小一、二は三十人学級」を主張。諮問会議議員からは「一律三十人学級という話は今の時代からするといかがなものか」(麻生太郎総務相)などの発言が相次ぎました。このなかで中山文科相は少人数がよいと実は思っていないとのべ、後退します。
■「小さな政府」論
その五日後、財務省の財政制度等審議会は「平成十八(二〇〇六)年度予算編成の基本的考え方について」を公表しました。このなかで教育について「総人件費抑制の観点から厳しく見直しを進める」「少人数学級編成等のため教職員を増員することを教育水準の向上と同視するといった安易な発想は排し」とのべ、少人数学級反対をかかげました。
官邸や財務省の強行姿勢の背景には、小泉首相が叫ぶ「小さな政府」論があります。財界が「民間企業が総人件費を抑制している中、国や地方自治体はそれ以上の厳しさで公務員の総人件費削減を」(奥田碩・日本経団連会長ら、二月二十八日の経済財政諮問会議で)と主張しているテーマです。実際の日本の国と地方の公務員数は欧米より少なく、政府内でも「極めて小さな政府を人件費の上でも実現している」(同会議、麻生総務相)と認めています。
こうした正論を引っ込めて国の財政危機を口実に、国民に必要なサービスを小さくし、必要な財政支出も認めない―少人数学級を通じても「小さな政府」論の反国民性が浮かび上がっています。
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