たりたの日記
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2017年12月31日(日) 2017年の年越しもよう

暮れの30日に長男一家が実家に戻ってきてくれ、午後、病院を訪ねてくれる。

前日に曼荼羅カラーリングをしていたので、
これは子ども達にも楽しいのではと思い、談話室に、道具を持って行った。
私の塗った曼荼羅を見るや、めいみはすかさず、わたしも描く!おれも!とれお。
曼荼羅カラーリングのページを1枚づつ渡すと、めいみはマーカーで、れおは色鉛筆で、集中して塗り始めた。
もうじき2歳のあいちゃんは、お兄チャン達のまねをしてスケッチブックに、小さな丸や点点を、描き続ける。
そんな子ども達の様子を見ているだけで楽しく、嬉しい。

翌日、31日は、長男が昼過ぎ、仕事の前に立ち寄ってくれ、今の仕事の事や今後の事など、いろいろ話しが聞けてよかった。長男と入れ替わりに、夫がママと子ども達を連れて来てくれる。
今日の午前中に生協に注文していたおせち料理や、お雑煮の材料、お正月の花も全て届いたという事で、ひと安心。
子ども達は昨日のカラーリングが気に行ったのか、この日も続きのカラーリングやお絵描きを始める。家事に煩わされることなく、家族団欒、子ども達も、公共の場を意識してか、家にいるより、お行儀よく、喧嘩もしない。

みんなが帰った後、病室で、紅白歌合戦と、埼玉アリーナでのRIZINの格闘技を交互に観ながら過ごす。
格闘技などこれまで縁がなかったが、長男が3年前からこのイベントに関わっていて、本人もスタッフとして会場にいるので、それがきっかけで観るようになったのだが、殴られても殴られても、諦めずに闘い続け、見事に逆転を果たす勇者、その一瞬の闘いに自分をかけて全力を尽くして向かっている勇者達の姿を見ながら、内側からエネルギーが沸き起こって来るのを感じだ。
ある意味、生きるという事は闘い。目の前にある課題から逃げずに自分の力を信じて立ち向かっていくこと。それは、小さな子どもから老人まで、格闘家から末期の病人まで等しく与えられているチャンス。
そんな事を思いながら、2017年の終わりを迎えた。













2017年12月29日(金) 年末年始は病院で

長男達の家族が30日にまた戻ってきて、年末年始をいっしょに過ごすので、この27日、28日、29日は、省エネながら、ゆっくりと暮れの準備や新年の支度をするつもりでいた。

ところが、27日、午後から熱がじわじわ上がってくる。幸いこの前のような悪寒による痙攣はないが、熱は上がり続けている。ベッドにもぐり込む。午後4時には39・4度までに。
夫は仕事でメールを見る時間がないのか、連絡がつかない。
前回の例があるから、2、3時間様子をみて、下がらなければ病気へ電話して、指示を仰ぐことにしよう。
6時半、熱はいっこう下がらないので、病院へ連絡すると、今なら専門の外科医がいるので、すぐ来るようにという指示。おそらく入院になるだろうから、支度もしたいが、その時間もなさそう。とりあえず、下着だけバックに詰め込み、7時に帰宅してきた夫に車で連れていってもらう。
前回と同じ検査を一通り。でも、今回は、あまりに度々の熱が出るので、入院して詳しい検査と治療という事は確定らしい。
一応1週間の入院、検査の結果次第では、それ以上になるかもしれないということ。

そういう経緯で、今日は入院3日目。
昨日は、画像検査による結果と丁寧な説明、今後の方針など、夫と共に医者から説明を受けた。
話し合って、決めなくてはいけないこともあるけれど、まずは、治療。
熱は下がってきている。

それにしても、入院が1週間伸びてよかった。
思い描いていた全員集合のクリスマスは実現できたのだし、
年末年始は、黙想の家で黙想をしていると思えば、こんな有難い年末年始はないかもしれない。

私がメールで、家事の事など、あれこれ夫へのお願い事をリストアップすると、夫から
家の事は一切考えずに、ヨギーニとしての至福の瞑想を楽しんで
と返信があった。

そうね。私がいない年末年始がこれからやって来るのだから、その練習になるわね。
そう思いつつも、頭の中は、あの事この事で一杯。
やはり私はマルタなのだなぁ...

さて、深い呼吸と黙想 。


2017年12月25日(月) パジャマのまま、クリスマスツリーの前に集まって

昨夜夕べは寝る前になって、めいみとれおがけんかして、めいみが、大泣きしたので、めいみは私と一緒に寝るということで、納得。めいは、パパママと寝るのを楽しみにしていたんですとママ。
なんとうれしいこと!
昨日ママから読んでもらったピーターラビットのシリーズ、今夜は2つめ、「ベンジャミンバニーのお話」を聞いてからおやすみなさい。

一夜空けて、クリスマス。
子ども達が待ちに待ったクリスマスプレゼントのオープニング。
始めに起きてきた、れおとめいが、大人達を起こし、みんなでパジャマのままクリスマスツリーの周りに集まる。

れおは、昨日は自分が、クリスマスリーダーになると言って、紙に書いたらものを胸にはいつけて張り切っていたものの。自分のお目当てのプレゼントをみんなの前で開けると、それで遊びたくて、他の人にプレゼントを手渡しするリーダーはやーめたといって、パパからしかられ、いつものすったもんだで、スタート。
それでも、ひとりひとりが、いろんなプレゼントを開いて、喜んだり、面白がったり、あたりが、開いたラッピングペーパーで一杯になっていくのも、かつての我が家の恒例で、メンバーが増えた分、みんなか開け終えるまで、時間がかかり、楽しいイベントになった。もうおじさん達になってしまった、長男も次男も、子どもの頃の気分が戻ってきた様子だった。
そうそう、これが狙い。

クリスマスのプレゼントは、11月くらいから準備を始め、おもちゃ屋さんやデパートに買い物に行けないので、ネットで探したり、商品を比べたり、して注文し、我が家のお宝レベルの本をそれぞれのファミリーへのプレゼントにしたり、夫は、若い頃から思い入れのあるつげ義春などの作家の漫画を集めて来ては、息子たちへのプレゼントに。
トールペイントの作品、CD、DVD、写真集など、どれも、我が家の過ぎし日々とかかわりのある品々。

子ども達へのプレゼント、メインのものは、そうちゃんに、学研のニューブロック。これは、長男と次男が一番最初に遊んだブロックで、れおにもプレゼントしたもの。おおきくやわらかな素材なので、小さい子でも用意に組み立てられる。そして絵本を何冊か。

あいちゃんには、あいちゃんそっくりのお人形とお砂場の車セット。めいちゃんには、アイロンビーズで、いろんな作品が作れるるセット。そしてマリア様が、好きだとママから聴いていたから、マリア様の像、マリア様のかっこうをする時のベールとペンダント。

れおには日本地図のパズルやことわざカルタ四字熟語カルタ、スマイルゼミ用のタッチペンなどなど、お勉強からみのものばかりだったので、直前になって3種類の恐竜が作れるるLEGOを加えたことだった。
そして、子ども達にも親達にも、絵本や読み物の本をどっさり。
ベトナムに本を送るのは難しい。検閲のため何日もかかるが、時には、没収となり、届かない本もあったから、この時とばかりに。

プレゼントオープ二ングの後は、みんなでパンケーキの朝ごはんを食べ、子ども達はさっそくおもちゃで遊びはじめる。
めいみとれおは赤ちゃん組みから離れて2階で、アイロンビーズ作り、私も仲間にいれてもらって夢中で作る。

夕方、それぞれ大阪と三軒茶屋へ戻る支度をし、鉄道博物館そばのお風呂カフェへ。
お風呂にのんびり入った後、みんなで夕食。
もうじき2歳のあいちゃんは、顔の前に指を立てて「もいっかい、プール、もいっかい」とかわいい仕草で繰り返す。広いお風呂はプールみたいで、よほど楽しかったのだろう。

れおはもう漫画が読めるようになっているから、パパのおすすめの漫画を山のように積み上げて熱心に読んでいた。

れおとめいみは私達の部屋で寝たいというので、一緒に部屋へ。
部屋へ戻ると、れおはさっそくレゴでテラノドンを組み立て上げ、めいみは一心にお絵描き。

子ども達が寝たら、大人たちは、マッサージしたり、バーでお酒を飲んだりなんて考えていたけれど、それぞれ子ども達の相手で疲れた模様、早々と就寝。

みんなでお風呂カフェというプランも無事達成でき、私の健康も、何とかここまでは支えられ、まずは有難いことだった。

願わくば、子ども達の心の中にこのクリスマスの事が生き続けますように。







2017年12月24日(日) みんなが揃ったクリスマスイブ

長男一家と夫は近くのモールにクリスマスショッピングへ。
私は、省エネを決め込み、ベッドの中で過ごす。
3時過ぎ、次男一家が大阪より到着。お嫁さんのゆうちゃんのお腹の中には赤ちゃんがいて、悪阻の真っ最中だというのに、よく来てくれました。感謝!

4人の孫達の関係はとてもいい。いつもは兄弟喧嘩が絶えないという、長男のパワフル3兄妹は、一番小さなそうちゃんに、それぞれがとても優しく接して、可愛いがる。
予想していた、あいちゃんと、そうちゃんの1歳児バトルはなく、もうじき2歳の愛ちゃんは、そうちゃんを相手にお姉さんになりきる。
面白かったり、可愛かったり、驚いたり、感動的な場面を沢山見せてもらった。

アメリカでは、25日がクリスマスディナーで、24日は、スナックサパーという事だったが、25日は、みんなでお風呂カフェステイなので、この夜、クリスマスディナー。
ともちゃんが、マカロニグラタンを、私が、野菜のグリル焼きを用意し、チキンは、ケンタッキーのローストチキン。昨夜残しておいた、バジルのパスタとチキンとキノコのトマト煮。
ケーキにろうそくを灯し、クラッカーが鳴る。
そういえば、我が家で、クリスマスにクラッカーというのは初めての事だったかも。
クリスマスディナーらしい場面になりよかったけれど、肝心な感謝のお祈りを忘れてしまった!

ディナーの後は、れおとれおのパパとれおの叔父さんとの、トランプゲーム神経衰弱バトル。
大人達は、全く本気で臨んでいたが、勝者は8歳のれおだった。

この日も、心に描いていた通り、それ以上のクリスマスイブになった。感謝!





2017年12月23日(土) 孫たちと再会!

昨夜、病院から戻って、深夜すぎ、寝苦しいので熱を計れば39・4。午前3時。病院に行かなければならない状況かもしれないが、熱は下がるという確信がある。マイスリーを飲んで眠ると、朝は37度台に。

私は外に出ない方が良いので、夫だけ、四ツ谷にでかけ、長男の家族と合流し、子どもと共に守るミサへ。夫が、子ども達の様子を写真で送ってくれるので、私もベッドの中でアドベント第4主日のグレゴリオ聖歌を歌ったり、英神父の説教を聴きながら、ミサに参加する気分。

夕方、長男夫婦と、孫3人がやってくる。夏にベトナムで会ったきり、夫にとっては9ヶ月ぶり。れお、めいみ、あいみ、8歳、4歳、もうじき2歳。
どの子も、美しく、柔らかな、魂の子達。

子ども達のために、遊び部屋にしていた教室で、めいみは、さっそそく、お絵かきや、クリスマスカード作りを始める。この前までは将棋に凝っていたれおだったが、今度はパパママ、チェスはない?と来る。そういえば、どこかに木製のりっぱなチェスをしまいこんでいたな。見つかった!何度も捨てようとしたものだったが、残しておいてよかった。

ママの智ちゃんが夕食を用意してくれ、食事の後は、みんなで、「ルドルフとイッパイアッテナ」の映画を見る。息子たちが大好きだったこの児童書を、れおは、今ママから少しずつ読んでもらっているということだった。はらはらどきどきしながら映画を見た後で、ママとれおが、面白かったけど、本の方がもっと面白いねと。この会話を聞きながら、良い親子の読み聞かせの時間を過ごしているんだなと嬉しく思った。これこそ、人生の宝物になること。

子どもたちは、クリスマスツリーの下のプレゼントの山が気になってしかたない。
さわったり、ふったり、自分の名前の書いてあるものがいくつあるか、数えようとしたり。25日の朝まで待つというその事もまた、大切なこと。


2017年12月22日(金) インフルエンザの後

インフルエンザそのものは、あれだけ、日記を書きまくるくらいだから、熱が引いた後は、特にこれという症状もなかったのだが、最後のクラスを予定していた、木曜日の朝、38度の発熱。急遽、クラスキャンセル。
翌日は診察の日だったが、白血球も上がっているので、TS-1の量を少なくして、今日けらまた再開ということになったが、後、2クール、6週間飲んだら、CT検査をし、効果のほどを、また、癌の進行具合を確認するということに話がまとまる。なので、その後は、陽子線治療や、臨床試験を試してみるということに。
その前に帯津病院への紹介状は書いてもらうことができた。

夕方、家に戻り、欠席して、クリスマスプレゼントを渡せていなかった生徒にプレゼントを届け、さて、今日の仕事はこれで終了とばかり、私は炬燵に潜り込み、最近ハマってる、イギリスの貴族の家族や使用人達の人間模様を描いた、ダウントン アイビーをAmazonプライムで、見始めた、私の病院行きや買い物などに一日付き合ってくれた夫は、二階で一休み。
ちょうど、一話分を見終えたころから突然の震え。いやな予感。ダウンコートを着込み、炬燵に首まで入るが悪寒のために身体が震える。夫を呼ぶ声も出ない。スマホで電話しようとするが、手元が震えて、それすら難しい。この痙攣はやばいかも。

夫が驚いて降りてきたので、病院への連絡を頼む。すぐに来るようにという指示だったが、震えが止まらない内は移動が難しいので、震えが治ってから来てもよいことに。
午後7時に始まった痙攣は15分で止まった。熱は39・7度。入院の支度をして、緊急外来へ。痙攣が止まれば、高熱であっても、それほどの苦しさはない。

ただ、明日は、長男達の家族とクリスマスミサに出て、そのまま、我が家でクリスマスの時期を過ごすことになっている。明後日は次男の家族もやってくる。1ヶ月以上前から用意してきた、クリスマスツリーの下のたくさんのプレゼントを、クリスマスの朝、みんなで順番に開けていくという我が家のかつての年中行事の再現は、どうなるのだろう。と、家族みんなで、クリスマスを過ごしたい、それが叶わなくなるのは悲しいと思いながら、様々な検査を受けていた。医者からは、今日のところは大事を取って、個室に入院してもらいますと言われ、看護師からは、今日入院して明日退院は難しいでしょうと言われていた。最悪、前のように、感染の検査の結果がわかるまで、1週間の入院という可能性も大。なんということだろう。


入院に関する様々な記入事項を済ませて、後は部屋に案内されるのを待つばかりという時、医師が、現れた。
家から持ってきた体温計で、体温をチェックしたところ、10時の段階で、37・8度に下がっていて、30分後には、37・5に下がったことを告げた。医師は、検査の結果、血液もきれいで、尿、肺のレントゲン、心電図、インフルエンザもマイナス。どこにも問題がないので、入院の必要はないように思っていたところでした、熱をもう一度測ってみて下さいと医師。
熱は、37・6度。

特に入院を希望しないなら、今のところは帰ってもよいということに!
そもそも、ここに来てしまった事を後悔していたところだったので、医師の言葉は渡りに舟。また具合が悪くなったら来て下さい。はい、そうします。
よかった!ともかく入院を免れた!
明日、明後日は子どもや孫たちと過ごせる!
この高熱で、多少はガン細胞も効いてくれたかもしれないし。
それにしても、1週間前と同じ状況。さんざん検査をした後、自宅へ。今回の熱が、新たなインフルエンザでなかった事は幸いなこと事だった。これで、子ども達や妊婦への感染を心配する必要もなくなった。


2017年12月18日(月) 死に向かってエネルギーを高めていきたい

ちょっと、ぎょっとする(一般的には) タイトルになってしまった。
以前、「楢山節考」の事を書いた時に、エネルギッシュに自らの死出の準備をする 70歳のおりんについて、「 おりんの終活ハイ」と、茶化したような表現をしたけれど、帯津良一医師の 「死に向かってエネルギーを高めていく」という表現を目にして、これなんだと納得した。私がおりんに共感することも、また、私の向かって行きたい方向もこの事なのだと合点が行く。若い頃からずっと傍らにあった言葉 「メメント モリ」(自らの死を覚えよ)の言葉の意味することも。イエスの言う、「いつも目覚めていなさい」という言葉も、そこと繋がる。
ある意味、ここでこうして書くという行為そのものが、その言葉を目指しての事なのだと。日記を紐解けば、初めて記した日記のた中にメイ ・サートンの言葉「豊饒な死」という言葉があるが、この言葉も、思えばその頃からずっと、私と共にあった。


この日の診察で、今度の抗がん剤が効かない時の事を考えて、帯津三敬病院の漢方外来相談に行く事を考えていると切り出した。別に漢方薬という訳ではなく、ホリスティックな治療を取り入れたいという事なのだが、これまでの経緯から、代替療法などと、言えば医師からは頭から否定されると思い、一般的に受け入れられている 漢方薬を例話しを始めたのだが、医師は難色を示した。
そちらの方向に行くんですね。漢方薬とか他の薬を飲むと、今やっている抗がん剤が効いているかどうかのデーターに影響が出るし、臨床試験段階の治療を受けるつもりがあるなら、データーが確かなものにならないので、そうした治療も受けられなくなりますよ。私だったら、こういうところには絶対行きませんねと、医師。予想通りの反応だった。

「私だったらしませんね」「○ ○ が、早くガンで死んだのは そういう治療に走ったからです」今までに何回となく壁のように私の前に立ちはだかる、 実力と権威のあるお医者様からのこうした言葉に患者の立場にある私は反論の言葉を見つける事ができなかった。その医師は、迷える患者が誤った方向に行かないように、文字通り患者を守ろうとして、そう言っていることが分かっているという事もある。けれど、何か根本的なところで噛み合わない感覚があるのを感じてきた。それは どこか 信仰の問題とも似て、言葉で理解を得るには難しいと。
けれども、今日は、自分の考えを言うことができた。

先生はそのようにお考えですが、私は別の考えで生きてきました。20年以上前から、ホリスティック医療には感心を持ってきました。ヨガもアロマテラピーも、そういう考えに基づいて、私なりに取り組んで来たことですし、健康を支えられてきました。その当時から 治らない病気を得た時には 、ホリスティック医学を目指している病院でターミナルケアを受けたいと思っていたのです。
先生がお考え、そういうもので治るはずがないとおっしゃる事はよく分かります。私も治らないものを奇跡的に治してもらえるとか、そうした事を期待している訳ではないんです。
ただ、死ぬに当たって、出来るだけエネルギーを高めていきたい、スピリチュアルな、精神的なレベルでの健康をできるだけ保っていたいのです。このまま効くかどうか分からないのに、身体のレベルだけでなく、精神的にもダウンして行く事を避けたいのです。

医者には当惑が見えた。私が何を言おうとしていたのか伝わらなかったのだろう。それでも、漢方薬ではなく、アロマテラピーや気功なら特に害はないですからいいですよ。と、紹介状は書いていただける事になった。

久々に感じる 相容れないさの感覚が後に残った。
というか、久しく、自分とは中心の部分の考え方や生き方が違うという人と、正面から
向かい合うこを避けてきた事を思った。

この日、医師にこのように対面できた事は、「これだ」と、いう言葉に巡りあったからだと思う。

「死に向かってエネルギーを高めていくということ。」

霊的に健康(世界保健機構は健康の条件のひとつに 霊的健康という項目を挙げている)
とはこういう事を言っているのではないか、しかし、医療の現場で、霊的な健康、それについての考えが欠けているのではないか、、、

あぁ、それなら、教師はどうなのだろう。出来る事が良し、出来るようにした事が良し
出来ないのは困る、出来るようにしなければと、子ども達の学力や脳力を物差しにしていないか。私自身もまた問われる。
こうした事もまたレッスン。
英語教室を今年度でクローズする事を、先週保護者に伝えた。
最後の3ヶ月だけでも、一番大切な事を見過ごさないようにしなければと言い聞かせる。目に見える事を通してではなく、生徒ひとりひとりの魂と交流するということ。




『生きるも死ぬもこれで十分 』(帯津良一 著) より、


ほども名前をあげた藤原新也さんは 、名著 『メメント・モリ 』で 、こんなことをいっています 。 「死というものは 、なしくずしにヒトに訪れるものではなく 、死が訪れたその最期のときの何時 (いつ )かの瞬間を 、ヒトは決断し 、選びとるのです 。だから 、生きているあいだに 、あなたが死ぬときのための決断力をやしなっておきなさい 」その決断力を養おうとすれば 、日々 、生命のエネルギーを高める攻めの養生がどうしても必要になってきます 。守りの養生では貯金を食いつぶすようなものですから 、死ぬときにはエネルギーが空っぽになってしまい 、いいラストシーンなどとても期待できません 。楊名時先生のラストシーンは見事でした 。私は 、最後に握手をしたときの手の感触をずっと記憶にとどめておくでしょう 。メモを手に握って旅立って行った清水さんのラストシーンも 、またすてきな演出でした 。亡くなる前の虚空に旅立つ戦略会議も印象に残ります 。ベッドの上に正座し 、 「ありがとうございました 」と頭を下げた旧友の姿もありありと浮かんできます 。


2017年12月17日(日) アドベント 第3主日 読書三昧

朝、熱は平熱に!
これで、順調にインフルエンザから回復だな。
で、熱はなく、苦しくもなく、食欲もあり、けれども安静にしていなければならないというのは、ぐうたらする罪悪感もなく、ぐうたらできるという有難い時期。

今日の主日に歌われる グレゴリオ聖歌をCDに合わせて歌ったり、「奇跡のコース」の今日のレッスン240をノートに記したり、孫たちの顔を入れて クリスマスの面白動画を作ってあそんだり。さて、午後は読書三昧。

昨日、一昨日で読み上げた 帯津良一氏の 『かかり続けてはいけない病院 助けてくれる病院』には 痛く励まされ、握手したいほどの共感を覚えたので、さらに2冊Amazonに注文し、届くまでに、kindleの読み放題の中に見つた帯津氏の 本を読むとしよう。




『かかり続けてはいけない病院 助けてくれる病院』(帯津良一 著) より、

"言ってみれば死はわが人生のラストシーンである。大事にしたいと思うのが人情というものだろう。かつての映画少年、名画のラストシーンが心に焼き付いている。『駅馬車』しかり、『カサブランカ』しかり、『第三の男』しかりだ。もちろんその通りになるとは限らないにしても、二つや三つのシーンを胸に温めておきたいものだ。そして、ラストシーンに至るまでの助走で加速を達成しなければならない。勢いを駆って死後の世界へ突入するのだから。アテネ・オリンピックの女子棒高跳びの金メダリスト、ロシアのエレーナ・イシンバエワの助走する雄姿を憶えているだろうか。じつに美しい。この美しい助走を完成させるための最高の場を終末期医療は提供しなければならない。すなわち尊厳死である。しかるに現実はきびしい。医療者にその認識が乏しいのである。すべての医療者に猛省を促したい。
それ以前の一般の医療だってそうだ 。それぞれの患者さんはきびしい人生を闘い抜いて来た 。刀折れ矢尽きてやって来るのである 。病を克服して再び戦場に戻るにしても 、はたまたエレ ーナのように助走に入るにしても 、救国の戦士は敬意をもって迎えられなければならない 。そう 、あなたは 『第三の男 』のアリダ ・ヴァリ 、あるいは 『カサブランカ 』のハンフリィ ・ボガ ートなのだから 。人間の尊厳について思いの丈をぶっつけることができた 。灘家薫さんと塩見弘子さんに感謝の念を捧げたい 。
帯津良一





2017年12月16日(土) まさかのインフルエンザ

昨日は診察日で、再び夫と病院へ。抗がん剤治療の一時(?)停止をお願いすると、この白血球と血小板の下がり用では、抗がん剤は飲めませんよと医師。
よかった!
これで年末年始はあのムカムカや、熱から解放される!
そんな喜びが顔に出ていたのだろう。
しかし、感染が心配です。明日もう一度来て、白血球が上がっていなければ、月曜日から毎日通院して、白血球を増やす治療をしなくてはなりません。
ええっ!この忙しい時期に毎日病院通い?医者はなんと簡単に患者を呼びつけことか。さらには、月曜日の夜のように、高熱が出るようならすぐに来るように。
とても、危険な状況に陥るので入院してもらいます。
だから、月曜日の早朝、わざわざ入院の用意をして行ったのに。あの日は悪寒がするのに何時間も待たされたあげく、入院の必要はない、危険もないから今日は家に帰り、翌日になっても熱が下がらないければ来て下さいと担当医ではない医師に言われ、翌日は熱も下がったので病院には行かなかった。この医師の指示に従ったまでだったのに。
その医者の判断ミス?それとも、両者の見解の相違?
私が責められる筋合いはないのにな。と心の中でぶつぶつ。

でも、この日予定していた通り、筑波大学の陽子線療法の話も切り出す事はできた。
恐らく私のケースの場合は無理でしょうが、自分は判断できないので、面接を受けるのなら紹介状や資料を用意しますよ。
よかった!
まず一歩前進。

抗がん剤から解放され、食欲ありあり。
CoCo壱番屋のカレーが食べたくなり、普通盛りの野菜シーフードカレーを食べる。
デザートも食べる。食べ物が美味しく感じられるということのなんと幸せなこと。

この日、もうひとつ、前進すべく計画していることがあった。今の抗がん剤が効かない場合の手立て、その2。代替医療。
西洋医学だけではなく、漢方薬や、ホメオパシー、気功やヨガ、食事療法など、様々な代替医療を取り入れている川越の帯津三敬病院を訪ねるということ。
この病院については、20年も前から知っていていた。この病院を創設し、今も現役で、治療に当たられたり、講演や執筆活動をなさっている帯津良一先生の書物に触れ、深い共感を覚えていた。で、落合恵子さんではないけれど、死ぬのならこの病院でと密かに思っていたのだ。
もう西洋医学では尽くす手がないと言われたらここだと思っていたので、そろそろ、その準備をと。グズグズしていてもしかたないから、明日、とにかく行ってみることにしようと夜中になって、夫に申し出たのだった。

なかなか面接まで辿りつくのは時間がかかりそうだと覚悟していたが、幸運なことに、年内に、帯津先生との面談の予約を入れていただくことができた。門は叩いてみるものである。

今日は何とも変化に富んだ1日だったねと、夕方、家に帰りつき横になると、熱!
やれやれと1週間分の入院の準備をして病院に行ったらインフルエンザにかかってることが判明!
イナビルという薬が効き、熱はすぐに下がるが、5日間は人に感染を避け自宅に。6日から解禁ということなので、クリスマスに家族が揃う時までには何とかなるだろう。泣きっ面に蜂とも考えられるが、不幸中の幸とも言える。
これで、夫にうつらなければ、、、。

夜間担当の若いドクターは、今日は帰っていいですと言うので、明日また外来に来なくてはいけないことや、熱が出たら危険なので、入院と主治医からは言われているから、主治医に確認を取ってほしい旨、お願いする。
夜間で申し訳なかったが、このまま帰り、また熱が高くなれば、車で40分かけて来るというのも大変なことだ。それなら明日の診察まで、一晩でも入院させてもらった方がいい。
それよりもなによりも、熱が出たら入院ですと、この日、医師から釘をさされたのだから。

ようやく主治医と連絡が取れ、今夜は帰ってよいということに。で、明日の白血球の検査は取りやめで月曜日に来るようにとのこと。
でも、また家で、熱が高くなるようなら、すぐに来ること。

おいおい、、、
隣の家に行くような訳にはいかないし、また、血液検査をし、返されるだけなのが目に見えている。それほど高熱なることが危険なら、個室でもいいから、入院させるというチョイスはないのか。入院の大荷物も持ってきているのだから。
彼らの考えていることがほんとに分からない。

せめて、38度5分以上の熱が出たのになぜ来なかったのですかと言われないよう、
なんとか、熱よ上がらないでくれ。


2017年12月13日(水) まだまだか

今朝は早く起きることができ、夫が用意してくれた朝食を一緒に食べた。バナナとヨーグルト、トーストにゆで卵のサラダと野菜ジュース。食べられることはありがたい。
良い天気なので、洗濯をし、外に買い物くらいは出られるかもと、久々に化粧もし、ウィッグを付けると、健康な人に見える。北九州に住む義姉から辛子明太子が届いたので、お昼に食べようと楽しみに、やかんを磨いている時だった。突然むかむかと気持ち悪さがおこり、立っていられない状態になって横になる。夫からの電話にも気付かないないほど深く眠ってしまったようだ。
それにしても、この不調はどこから来るのだろう。先週の木曜日に具合が悪くなってから1週間は抗がん剤を飲んでいない。これまでなら、一番体調がよい時期のはずだというのに。身体の中で何が起こっているのか、知りたいと思う。医師も分からないと言うと思うが、明後日の診察の時には、だんだん増えていく不調が抗がん剤の副作用によるものなのか、肝臓の機能不全の進行によるものなのか、よく聞いてみよう。TS-1を飲み始めて3か月。その効果の程はどうなのだろう。昨日ネットで、調べたところでは、治療初期の副作用は、薬がガン細胞には取り込まれず、他の部分が取り込み、ダメージを受けるために起こるとあった。とすれば標準治療は私には合わない事にはならないか、医師はあまり積極的ではないが、一度筑波大学病院に問い合わせた陽子療法やその他の治療についての相談を持ちかけるのにもよい時期なのかもしれない。

書いてしまったから、考えるのはここでストップ。

今日の聖書日課の言葉を胸にもう少し寝るとしよう。

マタイによる福音
そのとき、イエスは言われた。11・28「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」


2017年12月12日(火) 熱が下がった朝に

日曜日、夜になって熱が上がり、夜中も1時間起きくらいに目覚めてはに体温を測っていた。というのも、前回、医師に、38・5度を超えたら、救急車を呼んでも病院に来るように言われていたからだ。昨日の明け方、熱は38・6度。病院へ行かなくちゃ。スーツケースに入院中に必要なものを詰め込み、夫の運転で病院へ。
診察は予約をしていないためか、随分待たされた。ダウンのコートを着ていても、悪寒がする。
血液検査の結果、敗血症や胆管炎の心配はなく、インフルエンザの反応も出ていないので、普通の風邪による熱だろうと言うことだった。不安なら熱が下がるまで入院しますかと言われたが、家に帰ることに。朝8時に病院へ行き、帰りついたのは午後2時を過ぎていた。夫も一日仕事を休むことに。
朝食はバナナ1本、昼食は焼き芋半分が精一杯。
熱は上がり続け、夕方には39度台に。でも、これでガン細胞が死滅すると言い聞かせ、解熱剤は使わずにいたが、39・7度まで上がり、さすがに辛くて解熱剤を飲む。
38度まで下がりはしたが、体温が上昇しようとするからなのだろう。悪寒が酷い。暖房を最強にし、湯たんぽを抱き抱えてもまだ寒い。結局すぐに39度を超え、夜中の3時に測った時は39・6度。
そして夜明け、ぐっすり眠った後のすっきりした感覚で目が覚める。下着もパジャマも汗でびっしょり。熱は37度に下がっていた。やれやれ。明けない夜はないということ。
今日はクラスもできそう。
午後3時くらいまではベッドで大人しく過ごすことにしよう。
とにかく今週は省エネで。


2017年12月10日(日) アドベント第2主日

今日はアドベント第2主日。
私の手帳には 聖グレゴリオの家のミサ と書いている。
しかし昨夜から不調。腹痛と微熱。外出ば断念。家で、今日歌われるはずのグレゴリオ聖歌をCDを聴きながら歌うことにしようか。そして夫と家庭礼拝。
こんなアドベントの一日も悪くないはず。

それにしても昨日は身体も心も仕事モードになれてよかった。あちこちきにかかっていた所の掃除が多少はでき、そのぶん心が軽くなる。

さて、ここ、2週間以上、空いてしまった。元気な時とダウンしている時が交代でやってくるので、元気な時は活動にしそがしく、なかなか書くモードになれず、ダウンしている時はそれどころじゃないので、この2週間はその差が大きかったと言える。

グレゴリオ聖歌と声明のコンサートに行ったことや、手回しオルゴールを作って、曲を20曲以上確保したことや、寧のサクラモヒラの展示会で、友達とリコーダーのデュエットをしたことなど、いろいろな出来事があった2週間だった。

今日は不調とは言っても、書ける気分、振り返り日記が書けるといいな。


2017年12月04日(月) 暖炉を囲んでの素敵な夕暮れ時

友達が来てくれるというので、手回しオルゴールを持って、再び寧へ。

暖炉の火のそばで、友人や知人、初めてお会いした方々とクリスマスキャロルを歌う。
この後、カフェのオーナーから、クリスマスの時期の週末に手回しオルゴールのライブをやって下さいとのオファー。
12月16日の土曜日の午後3時から、クリスマスの曲を中心に、歌の背景や歌詞の意味などもお伝えしながら、手回しオルゴールのライブを行うことに。体調が整えられ、無事にできますように。

以下は、フェイスブックにアップした記事。


寧でのサクラモヒラの展示会で先週の金曜日は友人とリコーダーのアンサンブルと手回しオルゴールを聞いていただきました。

昨日は、友人と、ここでお茶をしたのですが、
テーブルに着くと、オーナーの方が、手回しオルゴールを演奏しますからと、そこにいたお客様に声をかけて下さり、にわか、ライブに。そのうち、展示会を終えたサクラモヒラのスタッフの方やお馴染みのお客さんが加わり、思いがけない、クリスマスキャロル夕べになりました。
アドベントの1週目の素敵なできごと。


2017年12月03日(日) アドベント第1主日

アドベント第1主日

夫と共に、アドベント第1主日のミサへ。
ミサの後、指導神父様と、もお話することができてよかった。
23日の子どもと共に守るミサに、子ども達や孫たちと参加するつもりでいることをお伝えする。

帰りに浦和造形定期展覧会『ZOKEI展-2017-』へ。
油絵を20年ほど描いている従兄弟が、私をモデルにして描いたものが出品されているというので見に。

昨年、彼の個展に出かけた時に、モデル用の写真を撮ってもらったが、それが、作品となって壁に飾ってあった。

わざわざ、同じ洋服を着て出かけた。
そう言えば、絵のモデルになったのは初めて。
生前、沢山の油絵を描いた父だったが、子ども達をモデルにした絵はなかったな。

従兄弟も知っている人を描くのは難しいと言っていた。
描いてもらったことに感謝。



2017年12月02日(土) サクラモヒラの展示会場でリコーダーアンサンブル

昨日からスタートした寧でのサクラモヒラの展示会で、リコーダーのパートナーのJさんとリコーダーのアンサンブルをした。
彼女との人前でのアンサンブルは確か昨年の吉澤先生の門下生の発表会以来。
今日のアンサンブルも、体調次第、ドタキャンごめんという感じでやることにしたのだが、楽しく吹くことができた。
カフェの暖炉のそばでゆっくりランチをした後、2時くらいから。
4時過ぎにカフェに戻って今度は手回しオルゴールを。お茶を飲む方々のバックグラウンドミュージックとして。
曲も20曲以上はあるので次々と。
友とリコーダーを、久しぶりに吹けて感謝!
そして、手回しオルゴールをシェアできたことも。

遠くに住む友人のKさんが、遥々訪ねて下さる。
近くに住む、ヨガクラスに来て下さっていたSさんと、Mさんも。
手回しオルゴールを鳴らしていただく。

展示会場は土曜日とあって沢山のお客様様。
ご両親と一緒に来ていた小学生の女の子にもオルゴールを回してもらう。いい体験になったかな。

演奏の合間に、目をつけていた深い赤色のシルクのジャンバスカートをゲット!
この季節にも、私の気分にもぴったりのお洋服。さっそく着ているワイドパンツとセーターの上から着て、続ける。
久々に心沸き立つようなお洋服、どのくらいこれを着て外に行けるかは分からないが、寝室の壁にパールのネックレスと一緒に飾ると、それだけで、クリスマスの空気になる。
嬉しい買い物。このことも感謝!


2017年12月01日(金) グレゴリオ聖歌と声明のコラボ

この日、友人2人と、渋谷 文化村のオーチャードホールへ。
グレゴリオ聖歌(ミラノ大聖堂聖歌隊)と声明(真言宗青教連法親会)のコンサート。
グレゴリオ聖歌と声明に共通するものを感じて、それについての研究書も読んできたのだけど、今回のコンサートでは、両者が同時に歌うとうコラボレーションを聴くことができ、感謝!
たくさん書きた事はあるけど、今日のまとめ書き日記、これで4日分なので、これくらいにしておこう。ベッドの中で寝ながらスマホを打っているので、いいくらい、腕も痛くなってきた。
せめてポスターの写真を。

そうそう、コンサートの前に、以前何度か治療に通った上野の針治療院へ。45分くらいかけて、とても丁寧な治療をしていただいた。











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