たりたの日記
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2017年09月30日(土) グレゴリオ聖歌 特別講座 第1日目


この2年間、東久留米にある「聖グレゴリオの家」で、年間15回の「グレゴリオ聖歌入門講座1年コース」を2年間受講してきた。講座のある日曜日は、朝の聖歌隊の練習から参加させていただき、ミサ、そして午後3時からの講座と1日グレゴリオ聖歌に浸るという得難い時間を過ごさせていただいた。
しかし、しかし、2年間学んだとは言っても感覚としては、まだグレゴリオ聖歌の深い世界のほんの入り口のところにいるという感じで、知ればしるほど、深さがより深くなっていくようなのだ。

今年度は、「グレゴリオ聖歌-典礼のなかにみるグレゴリオ聖歌」という全8回の特別講座が開かれるというので、思い切って申し込んだ。今日がその初日で、最終日は6月23日。なんとか最後まで学び通せるようにという希望と願いを持って。

第1回の講座は、新しく増設された研究棟に20数名ほどの受講者が集まってきていた。講師は、こちらの宗教音楽研究所所長の橋本周子先生。
橋本先生のグレゴリオ聖歌に対する並々ならぬ愛情と、グレゴリオ聖歌の本質を何としても伝えていきたいという強い思いがその場の空気を集中した緊張感のあるものにしていて、2時間はあっという間だった。

世界的に、グレゴリオ聖歌がその本質から離れていく中で、ほんとうのグレゴリオ聖歌とは何なのか、どうそれに向かうのかという問いかけがなされる。
グレゴリオ聖歌は音楽ではない。尊い神の言葉を響かせること。誰にと言えばまずは自分自身に、自分自身に響いてきたら、それが相手にも聞く人にも世の中にも響いていく...
と橋本先生は講義の冒頭で語られた。
そしてネウマ譜をどう読み取り、どう言葉にし、音にするのかを、何度もダメ出しをしながら、丁寧に指導して下さる。これまでに学んできた合唱や声楽のレッスンとは全く違うグレゴリオ聖歌へのこの向かい方が私にとってはとても好ましく、ふつふつと心が熱くなってくるものがある。とても難しく、なかなか思うようには歌えないにしても。

それにしても、橋本先生とはほんとに不思議なご縁。講義の中でもしばしば名前が出てきた、橋本先生の師匠、ゴールデハルト・ヨッピヒ神父のこと。私はこの神父が指揮するミュンスターシュヴァルツァッハ修道院聖歌隊の歌うグレゴリオ聖歌集のCD をたまたま手にいれ、ここ30年間、ずっと聴き続けてきた。このCDは最も好きな音楽というよりは、私の中で響き続けてきた特別な歌だった。聞く度に、どの音楽にも観ることのできない私の好きな風景が浮かび、風が吹き渡るのだった。

遠い国の見知らぬ修道士達の歌であったが、実際にヨッピヒ神父から指導を受け、その意志を継ぎ、日本の地でほんとうのグレゴリオ聖歌を伝承していこうという橋本先生から、このようにして、このグレゴリオ聖歌の指導を受けているという今!
あのCDが、30年の月日が、ここへと私を導いてくれたのだ。そこへと路をつないでくれた神の配慮に感謝しつつ充足した時間だった。


2017年09月29日(金) 14回目の治療日ー次男一家とファミリーリトリート

14回目の治療日。白血球の減少は続いているが、今日のところはまだ可能ということで、これまで通り、ゲムシュタビン&シスプラチンの5時間の点滴を受ける。2ヶ月前に9000台に上がった腫瘍マーカーの数値が先月5000台に下がり、今回はさらに下がる事を期待していたが、予想に反して5倍の25000台になっていた。この数値は、しかし、腫瘍の拡大だけではなく、胆管の炎症などでも上がるということ。その原因を調べるために来週、CT検査をする事になる。
今日は治療の後、次男夫婦が1歳半になる孫の宗次郎を連れて、大阪からやってくる。5月以来のファミリーリトリート!まずは、何があっても、その時間を大切に楽しく過ごしたいので、数値の変化の事は夫にも次男達にも言わないでおくことにした。

さて、待ち合わせの場所は、「お風呂カフェ」。3人は鉄道博物館で過ごして、そこから徒歩10分ほどのところに移動。夫が治療の終わる頃、病院へ迎えに来てくれ、4時過ぎに合流できた。5月に会った時にはまだ掴まり立ちだった宗次郎がスタスタ歩き、上手にオモチャで遊び、うまうま、おいしい、にゃんにゃん、これ、などの言葉を話せるようになっていて、その成長がうれしく、頼もしい。パパが宗ちゃんをキッズルームで遊ばせている間、ジジとママと私はお風呂へ。ママと2人で泥パックしながら、お湯の中でおしゃべりしていたら、あっという間に1時間。それからみんなでカフェルームで夕食。夕食の後、夫と私が若者達のカップルに混ざって、ロフトでゴロリとなっている間、パパがお風呂に入り、ママが宗ちゃんをお風呂へ。8時過ぎまで、4時間ほどそこでのんびり過ごすことができた。前回の下見の時は、若者で犇いていて、座る椅子さえなかったが、平日のこの日は人も少なく、リラックスできた。一人でハンモックに揺られている時、どおんと上の方から、至福感が降りてきた。あぁ、祝福されているなぁ、有難いなぁと充ち満ちるものがあった。それは案外、腫瘍マーカーが5倍に増えていた事にも関係があるのかもしれない。身体にどんなことが起こっているかは分からないが、今後どのような変化が訪れるのかは分からないが、心はこの今の幸せを充分に味わい感謝に思い、未来への不安に振り回されることなくいられる、その事がとても有難いと感じていたのだ。

車に乗ると宗ちゃんはあっという間に寝てしまった。我が家に着いてからも、そのまま眠ってくれていたので、大人4人で、食べたり飲んだりしながら、しばらく話ができて楽しい夜の時間を過ごした。
明日、パパは高校時代の友達の結婚式へ。ママと宗ちゃんは、友達夫婦とランチ、夕方大阪へ戻るという予定。来月の末にまた、都内で結婚式があるというので、また、こちらに寄ってくれるとのこと。その時は、お風呂カフェにみんなで泊まろうと話がまとまる。それまで元気にしておかなくては。




2017年09月27日(水) 土、日、月、火

抗ガン剤治療にはパターンがあることが分かったが、それは正確なパターンというわけでもなく、その時々で変化するもののようだ。
まず、抗ガン剤投与の金曜日と土曜日は食欲も体力もあることは、前回までと同様。金曜日の治療の後は、大分名物のとり天にたっぷりのかぼすをかけて食べたく、帰りに、讃岐うどんのお店で、揚げたてのとり天や、野菜の天ぷらを買ってきた。天ぷらが食べたい、食べられるというのは、胃腸が元気な証拠だ。

翌日土曜日も、まだ大丈夫。明日くらいから食べられないモードになるのだから、今の内に肉を沢山食べておいたほいがいいという夫の勧めに乗っかり、お昼は、しゃぶしゃぶとすき焼きの食べ放題へ。肉が食べられるというのは、これも、まだ、胃腸の具合がよいというサイン。しかし、本来なら、美味しいと感じるはずの肉や野菜、ご飯に至るまで、味覚に変化が生じていて、何か苦いような、そのものの味や食感とは異質のものを舌が感じる。食べ物の美味しさや香りをキャッチする舌や鼻がいかに、優れたセンサーを持っていて、それを喜びに変えてくれているのか、こうした状況になって初めて分かること。それでも、栄養補給、食べ貯めが出来た事はよかった。

午後も元気は続き、絵本が好きな孫たちへと、レオ・レオニの「あおくんときいろちゃん」の絵本を日本語と英語で読み聞かせしたものをYouTubeにアップしたりした。子ども達が小さい頃、よく読んだ絵本だ。文庫のおばさんをやっている時も繰り返し読み、貸し出しもしてきたから、かなりぼろぼろになっている本なのだが。先週の土曜日にこのプランを思いついたものの、著作権にひっかかったりするかしらと心配してやめておいたが、営利目的ではなく、個人で絵本を紹介する目的ならYouTubeにアップしても問題なさそうなので。
孫たちや英語教室の子ども達に読み聞かせしたい本はいくつもあるなぁ。元気な時に、少しずつアップしていけるといいなぁ。

翌日、日曜日。四ツ谷の教会にも、東久留米にも行けるほど具合はよくない。夫の運転で、隣町のカトリック教会へ。教会には駐車ができないようなので、最寄駅近くのパーキングから15分ほど歩かなくてはならないが、このくらいなら大丈夫だろう。ミサは9時から10時。その後、この近くの友人のところにかぼすを届け、読み聞かせの絵本を見つけるために、町の図書館へ。
けれど、このあたりから、気持ちの悪さや脱力感、いつもの日曜日に起きていた症状が始まる。こうなると、寝ること以外、できることがなくなる。ゼリーや果物の他は何も食べられない。とにかく寝る。そして、有難いことにいくらでも寝ることができる。細胞が闘っている故の不調なのだから、私はせめて、身体を休める事で協力しなくては。
夜になって、焼き芋なら食べられそうな気がして、夫に買ってきてもらう。今まで焼き芋など、買う事もなかったが、今回はこの焼き芋に助けられている。

翌日月曜日。これまでのパターンに従えば、火曜日か水曜日に熱を出して寝込んでも、月曜日は元気だったので、何とか、夕方からの、高田馬場での文学ゼミに参加できるようなつもりでいたが、予想を裏切られ、朝から具合の悪さは一日続き、ベッドの中で過ごす。胃痛、腹痛、倦怠感と食欲不振、でも、これも今日で落ち着くだろうと翌日からの仕事の事は取り敢えず何とかなるだろうと言い聞かせる。お風呂もシャワーも無理だか、ちょうど、友人がアロマエッセンス入りのおしぼりを沢山送ってくれるたので、よい香りに包まれながら、身体を拭くことができ、有り難かった。

火曜日、起き上がれる!洗濯物を干し、掃除機をかける事ができる。こんな当たり前の事が感謝に思える。部屋を掃除できる事がこんなに清々しい気持ちになるとは。まだまだ熱の心配があるので、調子に乗って断捨離の続きをやろうとはしなかったが、英語教室のハロウィン用品を押し入れから取り出し、飾りつけくらいはできた。食欲はイマイチ。ちょうど悪阻の時の感じで、ご飯や肉が食べられず、果物なら大丈夫。芋と南瓜も。
昼に南瓜を煮て、ニラや冬瓜や人参、あり合わせの野菜を沢山使って肉なしのチャンプルーを作って食べる。
心配していた熱も出ることなく、4時半から6時半まで、英語教室2クラスクリア。
夕食には秋刀魚を焼き、大量の大根おろしとかぼすで食べる。今年ほど、かぼすに助けられることもない。
9時半にはベッドに。今頃になって発熱。しかし、前回のように高熱にはならず、朝まで眠ることができる。

さて、もう副作用のピークは過ぎたのかな?それともこれから熱が出るのかな?元気なうちに庭の仕事とシャワーを済ませておこう。


2017年09月22日(金) 12回目の治療日ー「方丈記」を読む

今日は12回目の抗ガン剤の点滴の日、朝から夕方まで病院の中で過ごす日。
今日の課題は、鴨長明の「方丈記」。何とも渋い。
今月の文学ゼミの読書課題になっているので、ここ1ヶ月ほど、原文、解説、現代語訳をちびちびと読んできた。今日で2回目を通読。あまり長い作品でもないので、本文はすぐに読み終えてしまうのだが、その解説が本文の5倍くらいはあり、元になっている書物の出展など、日本史や古文に弱い私にとっては、解説の解説が必要なくらい。ともあれ、高校生の時に暗記させられたために、今でも覚えている 冒頭の文故に、また、この文章が好きだと思ってきた故に、鴨長明さんに、長い時間を経て、再会したいという気持ちが湧いてきたのだった。

時を経て、その流れるような文章の美しさと、そこに流れている精神性は、高校生の時よりはるかに分かるし、共感できる。何しろ、作家が、今の私の年齢でこの文章を書いているのだから、当然といえば当然のこと。
方丈(四畳半くらい)の慎ましい住まいでの独居生活の様子が目の前に浮かび、彼が爪弾く琴や琵琶の音が、風や木々のざわめく音と共に聞こえてくるようだ。そして、同感、同感、と彼のこの世の見方に、60才の彼自身の心境に深く共感している。

この文章をよい朗読で聞いてみたいものだと探してみたが、彼の「心境」が伝わってくる朗読には出会えなかった。芝居がかったのもだめ。色艶がありすぎるのも、うますぎるのもだめ。若い声でタルそうに読んでるのも、ねらいは分かるけど、ちょっとね。
じゃ、朗読、やってみようか…などと思うのは、抗ガン剤と同時に使われる吐き気止めに含まれてる興奮剤のせいなんだろうな。明日くらいまでは、この効果が持続するから朗読するチャンスかも。

鴨長明 「方丈記」1

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかになひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。


2017年09月21日(木) 金色の稲穂の中 風に吹かれて朝歩き

今朝は6時前に家を出て、秋の伊奈コンポステーラを歩いた。
一昨日も歩いたが、昼ごろに自転車で買い物に出たついでに、寄り道して、自転車を押しながら30分ほど歩いたのだった。けれど、早朝のウォーキングはほんとに久しぶりのこと。そして、やっぱり早朝はいいとつくづく思う。

刈り入れ前の稲穂の色が朝日の中で美しく、そこ一体に風が吹き渡る。水音が聞こえ、カモたちが泳いでいるのが見える。
歩きながら、5年前のフランスの旅を思い出す。丁度、この季節。そして、何度も書いたことだけど、あの道はこの道に繋がっていて、私は5年間、ずっと祈りの道を歩いてきたという気持ちになる。

保育園時代からの幼馴染のかよさんからこの春に突然電話があり、
また、コンポステーラを歩くでしょ、その時は私を連れて行ってと言うことだった。
その時には、スペインの道を、コンポステーラまでの最後の100kmをゆっくり歩いている姿を心に描けた。
そんな日が来てもおかしくない気が今だってしてる。
そう、体調のよい時はできるだけ朝の歩行を続けよう。身体のためにも心のためにも。


2017年09月16日(土) お風呂カフェでまったりの土曜日

木曜日、発熱もなく、無事今週のクラス終了。
金曜日、1週間ぶりに、近くのスーパーへ買い出し。気にかかっていた、いくつかの振り込みを済ませる事ができた。庭の手入れや、手紙書き、昨日までは馬力がなくてできなかった事も、できることが嬉しい。
土曜日は、外へも出てみる気になって、午前中、今週の月曜日から中断していた断捨離作業を進めた後、昼食後、夫とお風呂カフェなる、温泉施設へ。
今月末、次男達が1歳半の宗次郎を連れて来てくれることになっている。鉄道博物館を観るというので、 そのすぐそばにあるお風呂カフェでみんなでゆっくりするのはどうだろうと、夫と下見に出かけることにした。

ここのスーパー銭湯は15年ほど前、ほぼ毎週のように通い、私達の温泉通いのきっかけになったところだったが、なんとも、すっかりイメージチェンジしていて、若者達のたまり場的な場所になっていた。後楽園にあるラクーアのように大人の男女のカップルとはいうよりは、宿題抱えた学生達が、パソコン抱えて、お風呂に入ったり、漫画読んだり、ねっころがったりしながら、時に勉強したり、しゃべったりというような、あるいは、女子会を5、6人でというかんじ。仲良しの男女のカップルの姿も多かった。

お店は、ハロウィンのディスプレーがセンスよくされており、ハンモックや、キッズスペースなど、子ども達にも対応していることが分かる。この日はあまりに大入り満員で、リラックスする椅子を確保するのが大変ではあったが、その事をのぞけば、フリーのコーヒー飲みながら、ゆっくり本を読んだり、アイパッドを使ったり、ねっころがったりと、温泉の他にもろいろ楽しめることが分かってよかった。

で、お風呂は露天風呂のみ天然温泉だったが、無料の泥パックを使えるようになっていて、お湯も気持ちのよいものだった。それにしても、お風呂全体の作りは、15年前とほぼ同じ。それなので、当時、お風呂、露天、サウナ、水風呂、ジャグジーと何度となく繰り返しながら、1人の時間を楽しんでいた事が思い出された。まだジムに通う前、家には高校生男子が2人いた頃。お風呂に入りながら、その時の気分や考えていたことなどが不意に蘇ってきて、なつかしかった。
それにしても、あの、ちょっと寂れていて、人も少なかったスーパー銭湯がここまで形を変えて、若者の人気スポットに変身しているとは!
間に読書タイムを挟んで、1時間半づつ、お風呂を楽しむことができた。ま、体力も戻っている証拠。この2週間、副作用でヘロヘロになった身体から、ようやく「憑き物」が取れて、本来の身体を取り戻した感覚が嬉しかった。

次男達と来るのは金曜日の予定だから、ここまでは混まないだろう。ハロウィンのディスプレー、きっと宗ちゃん楽しめるだろうし、キッズルームで座り込んで遊び始める様子が見える。お風呂は、貸し出し用のベビーバスがあるから、大人が交代で(たぶん、パパとジジ)が、お風呂遊びをさせてあげるだろう。女性たちは、運がよければ、宗ちゃんのお昼寝中に、マッサージもやってもらえるかも、、、などと、今後のプランをあれこれ考えていた。


2017年09月13日(水) 水曜日のクラス無事終了

さて、今日は英語教室3クラスの日。目標はつつがなくクラスを終えること。

相変わらず食欲のなさと、胃腸の具合の悪さは続いていて、自転車で10分とかからない、スーパーにすら行けるだけの体力もないのだが、熱を出すこともなく、3クラス終了。低学年のクラスでは、ゲームをしたり、歌を歌ったり、中1クラスでは、英検3級のライティングの指導もできた。感謝。
後は、明日の中2クラスが1クラスで今週のお仕事は終了。中2クラスのメンバーは来月の頭に英検準2級を受験する事になっているから、今月は休むわけにはいかない。気をぬかずに、省エネに努め、具合がよくなっても決してハッスルし過ぎないこと(笑)
さて、早めに寝よう。


2017年09月12日(火) またもや、クラスの前に熱発

先週の日曜日のダウンが今週の日曜日にも起こった上には、先週の水曜日のように今週も熱発を予想していない訳ではなかったが、どこかで、今度は大丈夫というような気になっていた。しかし、一日前の火曜日昼過ぎから熱発。先週の水曜日と同じパターンで、37度57分からずんずん上がり、38度8分まで。今日は、4時半からと5時半からのクラスが2クラス。この状態では、とてもベッドから起き上がれないが、先週の水曜日は、その後3クラスを乗り切れたのだから、今回も何とかなるはずと、とにかく寝ることにする。幸い熱があるときには身体がしんどいだけに眠りに落ちることはできる。目が覚める度に熱を測り、また寝る。幸い、少しづつ下がってきた。クラスのスタートする4時半には、38度を下回る。子ども達が来る。クラスのモードになる。授業が進む内にしんどさが少なくなっていく。1クラス目の後、37度に。ここまでくれば、後1クラス、何とかやれる。そして無事終了。
先週の水曜日の事があるから、今回ははじめからキャンセルの事は考えなかったが、正解だった。午後から急に熱が出て夕方くらいに下がるというのも、副作用の一つのパターンなのだろうが、何とか無事クラスをやらせて下さいという祈りが聴かれたとも思っている。
医師からは2日38度以上の熱が出たら病院に来るようにと言われているけれど、今のところ、何とか1日で収まっている。外出を控え、何とか今週を乗り切ろう。


2017年09月10日(日) キジバトの声で目覚めた日曜日

日曜日の朝、どこか遠くの木々を通して聞こえてくるテデポッポーという、キジバトの声で目覚める。秋の、それも日和のよい、早い秋の空気。子どもの頃にこの空気の中に感じていたのと同質な幸福感を覚える。理由もなく、ただ、満たされているそんな思い。

そんなスタートではあったが、この日曜日も先週同様、朝食を終えると下痢と脱力感を覚え、いったん着替えた服を寝巻きに戻し、ベッドへ戻る。この同じようなパターンはどう考えても抗がん剤の副作用だ。よく考えれば、薬が薬として効力を発揮しているということだ。いずれ、副作用が強くなれば、この治療は止めるということになるだろう。その時には抗がん剤に頼らず、自然治癒力を発揮してという選択肢しかなくなる。しかし、今しばらくは医者の勧める標準治療を受け、経過を観察してみようと思う。そうなれば、こうした身体の変化や不調を受け入れることもまた積極的な治療なのだ。

午前中は、全身の脱力感が良い具合に作用し、とろとろと心地よい眠りに落ちることができた。幸い、まだ、キジバトはt遠くから鳴き声を届けてくれ、秋の空気と日の光は朝起きた時に感じた幸福感を変わらずに感じさせてくれる。仕事もないし、夫がいるのでいろいろやってもらえることだし。

午後は本を読むくらいの力がでてきたので、アマゾンから届いたばかりの「断捨離」の本2冊を読む。
イスラエルの旅とベトナムの旅が終わり、次なるプロジェクトは断捨離と決めていたのだ。やましたひでこさんの唱える断捨離、とても腑に落ちる。
さて、実行はできるだろうか。




2017年09月08日(金) 11回目の治療日、うららちゃんに会いに。

今日は11回目の治療日、6クール目に入った事になる。
点滴の前の血液検査の結果、白血球の数値は前回の3400から2300に下がっていたが、ぎりぎり点滴は受けられるということだった。
今日はこれまでに習ったグレゴリオ聖歌1年コースの復習と、文学ゼミの課題の「方丈記」を読むことにしている。そして、もし連絡がついたら、従兄弟の長女に会う予定だ。

しかし、しかし、今朝は4時半に目が覚め、もう一度眠れる気がしなかったので、起きて、「奇跡のコース」の学びとヨガをしていた。夕方までエネルギーが持たないかもしれないので、まずは眠ろうと、グレゴリオ聖歌を聴きながら目を閉じていたら、CDの最後の曲、Salve Regina サルベ・レジーナを夢のストーリーの中で聴いていた。1時間ほど眠ったらしい。
おかげでその後はすっきりして、ラテン語の歌詞の復習や読書ははかどった。うららちゃんからメールの返信もあり、今日会えるとのこと。

彼女と会うのは4年半ぶり。結婚して京都に住んでいたうららちゃんに赤ちゃんが生まれたというので、どこかへの旅の帰りに訪ねて以来だ。この春、ご主人の仕事の関係で、関東に戻ってきたというので、7月には2人の子どもを連れて我が家に遊びに来ることになっていた。ところが私の体調が整わず、ベトナム行きも迫っていたので、会えないままになっていて、気にかかっていた。
そうだ、病院から彼女の住まいはタクシーで10分かそこらの距離。治療が終わって、夫の迎えを待つ間の時間でお宅に行って子ども達にも会えるし、夫にはそこに迎えに来てもらえばいい。

急なオファーだったが、すっかりママになりきっているうららちゃんと、元気に育っている男の子達に会って、しばらくの間いっしょに過ごすことができた。うららちゃんが4歳、ちょうど、彼女の上の男の子と同じ年の頃、お母さんが出産で入院している間、家で預かったこともあった。そんな小さな頃のうららちゃんの面影や仕草ははママになった今も残っていて、ほほえましく、感慨深いものがあった。

慣れない土地での子育てで、子ども達の他話す大人もいないようだ。どんなにかストレスフルなことだろう。何も力にはなれないが、こうして治療の帰りに立ち寄る事くらいはできるかな。

帰りは夫と以前よく行っていた焼き鳥屋さんへ。ノンアルコールビールと焼鳥、釜飯も食べて、今日も充実した治療日ではあった。

ところで、治療の後はやたらとハイになる。これは吐き気止めの点滴に含まれる成分のせいらしいが、やたらと頭が活発に動きだし、あれをしたい、これをしたいモードになる。先週の金曜日はしきりに次の週末に旅に出る事を考えていた。ちょうどJR東日本の「大人の休日」のフリー切符が使える最後の週末。15000円で、秋田の玉川温泉に再挑戦しようか、長野駅から栂池自然園へ行き、白馬岳の大雪渓を眺めながらトレッキングをしようかなど、かつての日記を探し出し、ルートを確認したりしていたのだ。先週の金曜日は日曜日には夫とフリー切符を買いにいく相談までしていたのだからまったくあきれたものだ。

この週末の旅はさすがにあきらめたが、アメリカの友人との事をもとに小説を書いてみようとプロットを考えたり、孫達のために絵本をつくろうかと、頭の中で絵が動き出したり、子どもの絵本の読み聞かせをYouTubeにあげようかと読みたい絵本をあれこれ考え始めたり、(これは違法なのでだめですけどね)とか、明らかにハイだ。でも身体は白血球もぎりぎりまで下がり、それどころではないのだから、危険を感じて、ブレーキをかけようとするのかもしれない。まず、身体の声を聴かなければね。



2017年09月06日(水) 発熱、クラスどうしよう!

日曜日の体調不良からはすっかり回復したと思い込み、5日は2クラスの英語教室の後、よる9時10分スタートのヨガクラスに夫とでかけ、45分のヨガの後閉館時間の11時までジムの温泉やサウナに入り、12時頃に就寝。

朝は普通に人参ジュースにヨーグルトとフルーツの朝食を取り、家事の後、早めにクラスの準備をと3クラス分の準備を終えたのが11時頃。なんとなく身体がヘン。仕事に差し支えてはまずいのでともかく寝ることにした。体調が悪い時は眠れる。一眠りして体温を計ると37度5分。
マズイ! 
6月に熱が出たのも水曜日の午前中、それから39度近くまで上がり、あわてて3つ分のクラスのキャンセルの連絡をし(それが大変だった)、夕方夫が仕事から戻ってきてから、病院へ行き、そのまま1週間の入院となったのだ。

予想通り、熱は計る度に上がり、午後2時頃には38度7分。クラスをやれるような気がしないが、前回のように連絡を取る元気がない。クラスの始まる4時にはもしかしたら熱が下がるかも知れない。下がらなくてもやると心に決め、何とかクラスが無事できるようにと祈りつつ寝る。

祈りは聞かれない事もあるが、こうした場合、何らかのサポートが必ずあるものだ。今回は熱が徐々に下がってきた。始めのクラスが始まる時には37度代に下がり、その語、2つ目、3つ目とクラスを進める内にさらに下がり、最終的には平熱まで戻った。
よかった、これで病院行きも入院も免れる。

で、クラスと言えば、普段のようなパワーがないだけ、スローテンポで、のんびりとやれたから子ども達にとっては返ってよかったような気がする。普段からこのくらいの出力で丁度いいのだと反省。いつもは私がテンションアゲアゲで、子ども達をひっぱっていくから私もクラスの後はぐったりするし、子ども達だって、緊張があるに違いない。

翌日も熱は上がらなかったが、省エネに努めた。
夕方のクラスは準2級の準備クラス1つだけ。クラスの後はジムの温泉だけに。

それにしても、副作用は薬を重ねるごとに強くなっていくんだろうな。気持ちは元気でも、もう少し、気をつけて生活する必要がありそうだ。



2017年09月04日(月) To be near you, to be free

土曜日は、近くの高校の学園祭に出かけ、英語教室の卒業生のダンスのパフォーマンスを見て元気をもらい、夕方はヨガのクラスにも出るほど元気だったのだが、昨日は朝から1日、下痢と微熱で起き上がれず、ただただ寝ていた。いくらでも寝れるので、それほど苦痛という訳でもない。全身に痒みもあり、これは抗がん剤の副作用だろうと思う。今日は、昨日に比べると随分いいが、ベッドに横になりながら、明日からの英語教室の準備をしたりしていた。
そんな中、夫から、ジョン・レノンの「イマジン」と、ロッド ステュアートの「セイリング」が、LINEで届く。
懐かしい曲を久々に聴く。
歌詞が心に染み込む。
このメッセージは、私が日々の課題にしている「奇跡のコース」と同じことを語っている、あるいは、求めているなと思う。

ちなみに、今日のレッスン141は
レッスン123と124の復習。

Lesson124
Let me remember l am one with God.
私は「神」と一つであることを、私に思い出させてください

これは、sailing で、ロッド ステュアートが、叫んでいること。多くの人が愛し、歌い続け、聞き続けてきた歌のテーマ
聞きながら、泣けた。
今だから、より身に迫ってくる。

そういえば、以前、この歌を訳したことがあったと日記を探す気になった。
幸い、2001年3月から2004年5月までの分は
ほとんど開くこともなくなっている、ホームページ「たりたガーデン」のエッセイのところから、タイトルを探すことができ、その中に見つけることができた。
ここに載せておこう。いくつか言葉も置き換えて。



2002年6月4日

昨日からずっとSailingという歌が浮かんできている。ロック歌手、ロッド ステュアートのものだ。彼独特のだみ声で歌われるロックだが、その英語の歌詞を読んでみるとまるで讃美歌だと思った。どういうわけかCDに入っているライナーノーツはこれをラブソングにしてしまっていたがそれではこの歌の一番肝心なところが殺されてしまうと思った。今日はこの歌を訳してみよう。

I am sailing
I am sailing
Home again
Cross the see
I am sailing
Stormy waters
To be near you
To be free

わたしは漕いでいる
わたしは漕いでいる
ふたたびふるさとへと
海原を越え
わたしは漕いでいる
嵐れ狂う海を
あなたのそばへとゆくために
そして自由になるために

I am flying
I am flying
Like a bird
Cross the sky
I am flying
Passing high clouds
To be near you
To be free

わたしは飛んでいる
わたしは飛んでいる
鳥のように
大空を渡り
わたしは飛んでいる
高い雲を越え
あなたのそばへとゆくために
そして自由になるために

Can you hear me
Can you hear me
Should I talk like
I'm far away
I'm dying
Forever crying
To be with you
Who can say

わたしの声が聞こえますか
わたしの声が聞こえますか
もっと大きな声で言いましょうか
わたしは死に向かっています
ずっとずっと叫んでいます
あなたといっしょにいたいと
誰にもそんなこと言えないけれど


We are sailing
We are sailing
Home again
Cross the see
We are sailing
Salty waters
To be near you
To be free
Oh Lord,to be near you
To be free
Oh my Lord,to be near you
To be free
Oh Lord・・・・

わたしたちは漕いでいる
わたしたちは漕いでいる
ふたたびふるさとへと
海原を越え
わたしは漕いでいる
塩辛い海を
あなたのそばへとゆくために
そして自由になるために
あぁ、主よ
あなたのそばへとゆくために
そして自由になるために
あぁ、我が主よ
あなたのそばへとゆくために
そして自由になるために


2017年09月01日(金) 10回目の治療日 甘麹のこと

7月7日に9回目の抗がん剤治療をした後、副作用のため、また、ベトナム行きのために、この日、1ヶ月振りの治療日。
いつものように、読むものと書くものをバックに詰めて。

ここ1週間、たかこさんから頂いた手作りの甘麹(甘酒)を朝と晩に飲んだおかげで、お腹の調子がとてもよく、医師にもその事を告げる。今回は、なるほど麹ですかと、カルテに書き込んでおられた。麹は医師も認める健康食品なのだろう。
いただいた甘麹がちょうどお終いになったので、今日は「みやこ麹」を買って明日作るつもり。

翌日、シャトルシェフの鍋でもち米一合をお粥に炊き、200グラムの麹を入れ、60度くらいの温度を保ちながら8時間ほど、そのままシャトルシェフで保温。とても甘い甘麹が出来上がっていた。これで1週間分。お湯で割って甘酒にしたり、ヨーグルトに混ぜて食べたり、人参ジュースやノニジュースに加えて、新しい食習慣。


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