たりたの日記
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2017年07月27日(木) |
ホーチミン市 二日目 |
昨日は、長男がお昼ごろ仕事からひとまず戻ってきたのでみんなでランチへ。グリーンが素敵で子ども達の遊び場もあるベトナム料理屋さんへ。
シーフードとグレープフルーツのような柑橘類と野菜のマリネを白いフワフワのおせんべいのようなものに載せていただく前菜、揚げ豆腐にフライドレモングラスのソースをかけたもの、ブラウンライスのフライドライス、様々な種類の春巻き、ベトナム風焼きそば、どれも、独特の香辛料が美味しく、ベトナムならではのお料理だった。
冷房の効いている場所は苦手だが、ここは、テラスに緑が豊かで、遊具があって子ども達が遊べる、開放的な空間があり、戸外のテーブルでの食事は快適だった。 それにしても、8歳児と4歳児は、休む暇なく兄妹喧嘩、外だからまだよいものの、泣いて、怒って、しかられ、不貞腐れてといつものパターン。
その後、ユリスパという、日本人の観光客に人気といわれるスパへ送ってもらい、3時間のマッサージやトリートメント。マッサージはとても丁寧で、心身共にリラックス。 3時間はあっと言う間だった。長男が送ってくれた際に支払いもしてくれたのだが、日本円で、7500円。そもそもこうしたスパとはさっぱり縁がないので分からないのだが、日本だと5万円はするよということ。めったにできない癒しの体験に感謝。
夜は子ども達とお勉強したり、ヨガしたり、映画を見たりと盛り沢山な一日中。
2017年07月26日(水) |
ホーチミン空港に到着 |
この日、無事ホーチミン空港に到着。 3月末に分かれた長男一家、すっかり成長した3人の孫達を目の前にし、感無量。 3人とも、夜の11時過ぎという時間なのに、起きて待っていてくれ、大きなスーツケースに詰め込んできた、それぞれのお土産や、食料品などの店開きをし、子ども達は、買っていった洋服を着てみせてくれたり、おもちゃを開いたりと、賑やかな時間をしばらく過ごす。
それにしても、ここまで辿り付け、子ども達をがっかりさせる事がなくてよかったと、安堵し、感謝に思った。
というのも、出国の際に、思ってもみないアクシデントがあったのだ。 チケットはネットで事前チェックインを済ませていたので、手荷物預かり所で、航空券を貰えばよいはずだった。 出発時刻16時40分の2時間前には到着していたので、送りに来てくれている夫とゆっくりお茶を飲むつもりにしていた。 ところが、手荷物預かり所のところで、 「ビザを見せて下さい」と言われたのだ。 「ビザ?ビザがいるんですか?持っていません」 思いも寄らない不意打ち。
ベトナムの場合、15日以上はビザが必要であるということ、現地でビザの手続きはできないこと、私の購入したチケットは、変更や払い戻しの効かないチケットということ、チケットは往復の扱いなので、行きだけこのチケットを使うという事もできないこと。 別の便の往復チケットを新たに購入すると20万円。しかも、帰国時期が込み合う時期で空席があるかどうかも確かではないといこと。
係の方達も、時間をかけて、調べてくれたり、便宜を図ってくれたりし、何とか、行きは手持ちのチケットを使って、帰りのチケットのみ、新規に購入することができた。もう一度ベトナム往復できる分の出費と大幅な予定の変更はあるにしても、今日、ホーチミン市に到着できないという最悪のシナリオからは助けられ、大きく安堵。 それにしても夫が一緒に来てくれて、また、かつて旅行会社で働いていた次男の連れ合いの助っ人がなければ、どうなっていたことか。
出発ゲートには時間ぎりぎりで到着。 入国審査では、まず、帰りのチケットを見せろと言われ、新たに手にしたチケットを見せて、ようやく入国。 もし、ビザがないまま、滞在期間の過ぎた帰りのチケットを見せた場合、入国が許るされず、ここから日本に戻らなくてはならなかったのか。そういう意味では、航空会社のスタッフがその事に気付き、対応してくれたことに感謝。
それにしても、ビザ… フランスに3週間行った時にもビザはいらなかったし、考えてもみなかった。 これからは気をつけよう。
2017年07月17日(月) |
わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。 |
今朝も、4時半からの、霊的学び、聖書日課、黙想、ヨガができた。
今日はLesson95 I am oneSelf, united with my Creator. 「私は 、単一の自己であり 、私を創造した神と結ばれている 」 というもの。 1時間置きに、5分間、このテーマに思いを向けるという課題。 今日は1時間毎にアラームが鳴るようセットしたので、昨日よりは、この課題を思い起こすことができた。
ところで、今日の聖書日課はマタイによる福音書10章の34節からの部分 イエスが 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。 人をその父に、 娘を母に、 嫁をしゅうとめに。.........
と語るところ。
若い頃から何度も何度も読んでは、はっとさせられる箇所だった。 恵と愛に満ちた癒し主イエスは、時として、どきりとするような言葉を私達に突きつける。そして、わたしは、そういう事を語るイエスだから、好きなのだとも感じている。
しかし、「奇跡のコース」を学ぶ事で、今までよりはるかに、イエスのこの言葉が分かるようになっている。 その説明を試みよう。
イエスが来たのはこの世の中で人がうまくやっていく方法を教えるために来たのではない。この世の価値観とは対極にある、「神の国」を知らせるために来たのだ。 イエスはここで、この世と神の国とは相容れないものであり、そのどちらも手にできるようなものではないという事を弟子達に告げる。 しかし、「神の国」を見出す事こそが、ひとり、ひとりにとっての人生の目標であり、最高の喜びであってみれば、何よりも優先して求められるものである事を繰り返し、弟子たちにそして私達に語りかける。 ここでイエスが言う家族は、「この世」の象徴としての家族で、神の国の中で、一つにされている人と人との繋がりとは別次元の事を言っていることが分かる。「神の国」を見えなくさせている、幻想としての「この世」の象徴として。
「奇跡のコース」は、幻想から解放され、神の国を見ることができるようになるためのトレーニングなのだが、あの時、弟子達にこの様に語った同じイエスが、現代に生きる私たちに向けて、同じ事を、また別のアプローチで訓練しようとしているのだと感じる。
さて、そんな事を考えながら一日をスタートしたわけだが、午後3時までは、ベトナム行きの準備や読書でのんびり過ごし、昼寝もして、四谷で5時からのミサに出かけるべく、夫と共に3時過ぎに家を出る。 今日は月曜日の夜7時からの英神父の聖書入門講座の参加者のための、解説付きのミサ。 いつもの主聖堂とは異なる、茶室をイメージして作られたという、ザビエル聖堂での小人数でのミサは、とてもよかった。
説教は、朝予習をしていた箇所だっただけに、興味深く聞いた。 何が一番大切なのかということ、この入門講座も、家族よりも、自分の命よりも大切なものを見つけるためのもの。 わたしがあれこれ、なけなしの言葉で説明を試みたが、神父の言葉は分かりやすく、腑に落ちる話だった。
<マタイによる福音10章34〜11章1>
そのとき、イエスは使徒たちに言われた。10・34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。35わたしは敵対させるために来たからである。 人をその父に、 娘を母に、 嫁をしゅうとめに。 36こうして、自分の家族の者が敵となる。 37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。 40あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」 11・1イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。
2017年07月16日(日) |
I am as God created me. |
今日の1日はこの言葉から始まり、この言葉で閉じることになる。
Lesson 94
I am as God created me.
「私は 、神が私を創造したままの自分である 」
私もそうなのだが、すべての人が、神の創造した作品。 しかも、神はこよなく、その創造物を愛し、慈しみ、光の中に置かれているということ。 私たちは、けれど、その事に気づかない。 今日は、それに気づくというレッスン。
1時間置きに、その事を思い起こしなさいという課題は、しかし、簡単ではない。すぐに忘れてしまうから。 それでも、何度となく繰り返す。 繰り返しはするが、心の底から、その事に納得してはいない。 子どもの頃から無意識の内に身につけてきた、ネガティヴコンプレクスから完全に自由になるのは難しい。 けれども、そこが課題だという事は身に染みて分かる。 おそらくは癒しもそこにかかわる。
神が創ったままの自分を、神が良しとしている、その同じ眼差しで見るということ。 まずは、神の心と一致しなければそこに辿りつけない。そして、創造された私というものを、曇りのない目で、見通さなくてはならない。 不思議な事に、自分のネガティヴなところはいくつも見出せても、神が良しとして創造されたはずの自分というのは、見出すのに骨が折れる。つまり、フィルターがかかっていて、見えなくさせられているのだ。
そこで、1歳の孫娘の姿を思い起こす。神が創造されたままの人間を、その輝かしさと、創造主の愛を容易に見出す事ができる。 61歳である私も、ほんとうのところは、同じであるはず。
ここ1週間ばかり、4時半起床が続いている。 きっかけは、8月に1週間の滞在を予定しているベトナムのシバナンダヨガセンターのプログラムは4時半起床、5時から6時15分までメディテーションやチャンティングとなっているので、身体をそれに慣らしておこうという事だったが、この時間から1日をスタートするのはなかなか良いことに気づいた。不思議と、アラームの10分前に目が覚め、頭もすっきりしている。 窓を開け、朝の空気と共に小鳥の声を部屋に通し、まずは奇跡のコースのその日のレッスンのところを読む。ノートに書き、そのテーマに沿ったメディテーション。今日の聖書の日課を読み、ヨガをすると、6時半のいつもの起床の時間。夫が、私のために人参ジュースを作作ってくれている頃の時間。
早起きをする分、エネルギー不足になるので、午後1時間ほど努めて昼寝もするようにした。夕方からクラスが3クラス続く時など、昼寝をする事で、随分身体が楽になる事も、有難い発見。 昼寝はできないと決めてかかっていたけれど、朝が早いからか、午後になると自然とシエスタモードに。お昼寝なんて申し訳ないが、ま、病人という事で、ゆるしていぢこう。
夏は、4時半には外は明るくなっているし、サマータイムと考えれば、やってやれないことはないんだと、今のところ、この朝の時間を大切にしていきたい気持ち。
2017年07月14日(金) |
10回目の治療は中止に |
今日は10回目の抗ガン剤治療の日だった。いつものようにバックに本を数冊にノートや筆記用具を詰めて、夫の車で病院へ。彼はそのまま仕事へ。夕方仕事帰りに病院に寄ってくれる事になっている。
ところが血液検査の結果、白血球の数値が規定量より低くなっていて、今日は点滴を受けられないという事に。治療は来週の金曜日に延期となった。 炎天下の、重いバックを抱えて、電車で自宅まで帰るより、涼しい病院のカフェで、よていしていた読書をした方がよさそう。夫も16時には迎えに来れるというので、今日は緑が広がっている窓辺の小さなテーブルで、パスタランチをいただき、読書三昧。 読んだ本は、スワミ・シバナンダ著「ヨーガとこころの科学」と、「アーユルヴェーダ治療院のデトックスレシピ」 ま、どちらも、治療に大いに関係ある本ではある。 抗ガン剤よりも良い治療の日だったのではないかしら。
今日の英語教室の中学生クラスに、2人のゲストがあった。 一人は、この4月、高校生になったばかりのSちゃん。今月15日から1ヵ月、カナダに夏季留学に出かける事になっている。高校では、英語ディベートのサークルに入って先輩達のトレーニングを受けながら、大会にも出ているという。カナダに行く前に、会いに来てくれるというので、それなら、後輩達に何か話してとクラス参加のリクエスト。 Sちゃんは、ディベートの準備段階で使う、フォーマットをみんなの分、用意し、今、サークルでやっている事をデモンストレーションし、さらには、ワークショップよろしく、中学生にディベートのやり方を生き生きと伝授してくれた。
中学生達は、つい数ヶ月前まで同じ中学校で学んでいた先輩が、流暢な英語でディベートの指導をしてくれる事に呆気に取られていたが、高校生がやっている事を少しでも体験することができ、かなり刺激になったのではないかしら。Sちゃんが帰った後、カッコいいよね〜と話していたから。 私も、僕も、高校に行ったらディベートやりたい!なんて思ってくれたらいいなぁ。 ありがとうSちゃん。
で、この日、2人目のゲストが、クラスの最後の30分に来てくれる。こちらは、この英語教室がスタートした当時の一番初めの生徒、当時小学2年生、中2までだったか通ってきてくれ、今は英語を駆使して仕事をしているキャリアウーマンのMちゃん。 たまたま、「明日、教室に遊びに行っていいですか〜」というメールをいただいたので、丁度よい機会、高校生のゲストの後にMちゃんの高校時代のアメリカ留学の話や、CAの仕事をしていた時の事など、生徒に話してもらうことにした。 1年間の留学の時の彼女の頑張りや、海外の航空会社で日本人として生き生きと仕事をする彼女の姿が目に浮かんできて感無量。中学生達にも、深い印象を与えた事だろう。 日本語が通じない土地で、いろいろな問題に直面しながら、自力で解決していく。日本だけにいては、体験できない、生きる力を発揮させる事ができる。 この教室で学ぶ子ども達がこれから先に、そんな体験をしたい!と思ってくれるといいなと思う。ありがとうMちゃん!
2017年07月12日(水) |
エコペール第2次発酵へ |
ここに来て、いきなり、エコペールなる物が登場するが、実は 生ゴミを堆肥にするための11リットル用のエコペールが届いたのは、6月20日のこと。 日々大量に出てくる人参ジュースのカスを料理にも使ったり、パンにも焼き込んだりしたが、いい加減に飽きてしまって、堆肥作りを思いついた次第。 人参の絞りカスなら、細かいし、堆肥になり易いだろうし、すぐに土に混ぜられるのではないかと。
作り方は至って簡単。ペールに穴を開けたスーパーの袋を敷き、その日の人参カス(生ゴミ)をペールに入れ、その上に10グラムほどのボカシを振り、翌日その上にまた生ゴミを入れ、ボカシを振り入れ、ペールが一杯になるまで繰り返していく。ペールの下についている栓を開くと、液体が出てくるようになる。この液体は1000倍に薄め液肥として使える。 2週間ほどで、ペールが一杯になったので、このまま1週間寝かせて第一次発酵。1週間後の今日、その発酵した生ゴミを、同量の土と混ぜあわせ、厚めのビニール袋に入れ、庭の隅に。このまま2週間から4週間放置し第2次発酵をさせると、めでたく堆肥になるらしい。
この堆肥は、秋の花や球根の植え込みの時に、古い土に混ぜて使うことができる。今年は土を買わずに済みそう。沢山栄養をもらった花々が咲き乱れるかしらと夢は膨らむ。 しかし、人参の絞りカスは日々できるから、20リットルの堆肥が毎月生産される事になる...
菜園がある訳ではなし、さて、過剰な堆肥はどうするか... この際、新たにプランターを買って野菜を育ててみるのもありかな。 ま、その時になって考えるとしよう。
2017年07月10日(月) |
Quantum Healing『あなたは「意識」で癒される』読了 |
ここのところ熱中してた、ディーパック・チョプラ氏の Quantum Healing『あなたは「意識」で癒される』読了! 示唆に富んだ本。 出会えてよかった。 課題は 瞑想とアーユルヴェーダだな。
と、この日、久々にFacebook に書き込んだ。
しかし、Facebook には書いていないことがある。この日は一日中下痢が続き、一日、ほぼ何も食べずに、何もせずに横になり、その結果、読書に没頭できたのだった。 そして前日の日曜は、下痢はないものの腹痛がひどく、予定していた イグナチオ教会の祈りのセミナーと夕方のミサの参加を諦めたのだった。さらに遡れば、抗ガン剤治療の翌日の土曜日は、味覚がおかしく、何を食べても、また、飲んでも、口の中に不快な味が残り、胃には乗り物酔いの時のような、不快感があり、今までにないような、抗ガン剤の副作用が起きている自覚があった。
こうした中での読書であったのだが、その内容が素晴らしく、沢山の付箋を貼りつけながら、そうだ!そうだ!と頷き、また、力つけられながら読んだので、その感動の大きさで、身体の不調もさして気にかからないほどだったのだ。
さて、でもこの本の事をどう書けばよいのか、付箋の数は余りにも多い。
例えば、「はじめに」のところで
「私たちは宇宙の子どもです」 「私たちの源はあらゆる境界を超越しています」 「自分自身を、分離して限界のある物理的存在と見なすことは、偽りのアイデンティティに過ぎません」
この考えは、まさに、毎日、私が学び、トレーニングし続けている、イエス自身が導いている、「奇跡のコース」そのものの考え方だ。 チョプラ氏は、その土台の上に、様々な患者の事例や、治療について、また、深い、洞察に基づく、癒しについて、医学博士の立場で熱意を込めて語っている。
最後の方に 「至福の体」という章があるのだが、私がこれまでに体験してきた、いくつかの「至福」の体験が蘇ってきた。その多くは、一人で山の中を分け入って歩いていた時の、山や木々との濃密な一体感であったり、山の頂上付近から向こうの山々の連なりを見た時の、神と一つになっているという、強い信頼と幸福感であったりしたが、日常のレベルでも、ヨガをしている時や、瞑想をしている時、また、早朝のウォーキングや、林の中の散歩の中でも「至福」を覚える瞬間はいくらでもあった。 実際、癌を患ってからは、日常の中で感じる至福感は、確実に大きくなっている。40代の頃、憑かれるように一人で山に入って行ったのは、この「至福」を身に覚えたいが為であったことが、今なら分かる。そして今は、山に出かけていかなくても、目を閉じ、瞑想の中に入っていけるならば、「至福の体」を得ることができる。
一方で治る見込みのない再発した癌を、抗ガン剤で延命しているという状況なのではあるが、そちらの現実が、幻想としか感じられないほど、そこにリアリティーを感じない。医者の方針には従ってはいるが、実のところ、私は抗ガン剤治療には望みを置いていない。むしろ、それが私の免疫力を奪う事を心配している。何とか、抗ガン剤治療をせずに済むように事態が動いてくれないだろうかと願ってさえいる。
この本で語られている事は、ある意味、私の魂が、そして身体がすでに体験していること、また考えている事と一致していて、その考えをサポートしてもらえるような心強さがあった。
作者は具体な癒しとして、アーユルヴェーダ、ヨガ、瞑想について語っている。 そして、それについての新たな体験もすでに用意されている。
ベトナムへの旅は、孫たちと一緒に過ごすことの他に、シバナンダヨガセンターで、「至福の体」を体験する旅にもなるのだろう。それぞれが貴重な癒しになるに違いない。
2017年07月07日(金) |
9回目の治療日ー「ホ・オポノポノ」他 |
前回の日記から9日が経っている。この間は、前回の入院に懲りて、極力、省エネに努めた。英語教室の仕事と家事以外は、奇跡のコースの学びや読書に当て、外出も控え、ここに書くこともしなかった。それでも、一日はあっという間に過ぎ、夜も夜更かしを禁じているので、取り寄せた、読みたい本達にはなかなか手が伸ばせないでいた。 「神との対話」3は、なんとか読了。その中に出てきたインドの医学博士、ディーパック・チョプラの「あなたは意識で癒される」(Quantum Healing)」、それに、「神との対話」を完読したMさんが、Facebookのコメントで教えてくれた、ハワイに伝わる癒しの秘宝「みんなが幸せになる ホ・オポノポノ」が次なるテキストらしい。今月末からベトナムに行き、シバナンダヨガセンターでのヨガ修行に参加するので、その予習として、シバナンダヨガに関する本3冊がそれに続く。
今日は治療日、つまり、他の事を考えずに読書に集中できる貴重な一日。 「ホ・オポノポノ」の表紙には、神聖なる知能が導く、心の平和のための苦悩の手放し方とあるが、潜在意識をクリーニングすることで、自分も他者も癒されるというのが、この本のテーマ。そして、それは表現こそ違え、「奇跡のコース」でいうところの、救いは、自分を赦すことで、約束される。それがそのまま自分への癒し、さらには他者への癒しをもたらすと同じ事が語られている。 ディーパック・チョプラ氏の著書にしても、そこに通じるものがある。
身体は、抗ガン剤の点滴に繫れ、化学療法を受けながら、化学療法のメソッドとはまるで異なる癒しを受けているという実感がある。 人間の身体とは、心とは、魂とは、自分のあるいは他者の身体を目に見える物質と見ないことで、命そのものが、大きな広がりと深さを伴って見えてくる。
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