たりたの日記
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2016年02月29日(月) |
全粒粉パンとポテトサラダ |
夜のうちに仕込んでいた、全粒粉パンがうまい具合に焼けていた。久々の自家製パンはやはり美味しい。精製小麦は身体によくないと、がん関係の本にはどれにも書いてあるので、三分の一を全粒粉に代えて焼いた。焼くといっても、わたしは材料を合わせるだけで、後はパン焼き機が夜中の内に働いてくれるのだが。 お昼前、北海道に住む友人から美味しい男爵芋が届いたので、昼は、ジャガバターでいただき、午後、ポテトサラダを作る。退院してから、料理らしい料理をするのはこれが初。 食べたいものを自分で作れるというのはやっぱりいいな。
夕方、豆の缶詰やパスタを買うために、夫と共にやまやへ。ひよこ豆、しろいんげん、キドニービーンズといつものストック。何と、今回初めてレンズ豆の缶詰も買えた。 この後、ジムのお風呂に行く予定で、支度もしてきたものの、腹部に違和感。ちょっと食べすぎたのかもしれない。反省。 雨も降ってきて、露天風呂は無理だろうし、そのまま家へ。
昨日は、ノースポールの花の苗を4つのコンテナに植え込み、咲き終わり枯れてしまっていたメキシカンセージを取り除いたりと、庭の手入れを少しばかりする。これはちょうどよいリハビリじゃないかしら。 たいていの家事は夫がやってくれるものの、毎日何度も階段を上り下りし、台所での立ち仕事など、日々の生活のあれやこれやは病院のリハビリ室でのトレーニングよりもよいリハビリという気がする。そして少しずつ、身体が日常に馴染んで来ている。 今日は、以前から時々治療を受けていた鍼治療院に行き、事情を話し、胃痛を和らげる治療をしていただく。帰り道、いつもの散歩道の近くに車を止めてもらって、30分ほど、ゆっくり歩く。退院直後より、長い時間、しっかりと歩けることを確認。
昨日も今日も、夕方はスロークッカーにスープの材料や煮物の材料を入れてから、スポーツジムへ行った。もちろん私は運動はできないので、夫が運動している間、ジムに付属している温泉で温泉療法という訳。 露天の炭酸泉はお湯の温度も低いので、30分くらいは入っていられる。今まで気がつかなかったが、この炭酸泉の効能の一番最初に「がん」とある。今まではいつも混んでいるから、ほとんど利用しなかったが、これはいいかもしれない。 岩盤浴、露天風呂や内風呂と一通り入り、家に戻ると、ちょうどよく夕食が出来上がっているという具合。 食事はもっぱら菜食。昨日は野菜のスープ。今日は、油麩と野菜の煮物。テレビでやっていた、トマト寒天も作ってみた。身体が肉や魚よりも野菜や豆を求めているので、こういう食べ物がしみじみと美味しく感じられる。胃の状態が正常に戻ったら、また、玄米食に戻したいところ。
こうして、昼間はほぼ問題なく過ごせているのだが、夜になると、やはり、何度となく胃痛のために目が覚めるので、夜の時間が長く憂鬱。でも、入院中のように、睡眠薬のお世話にならなくても眠れるようになったのだから、こちらも少しずつは、良い方に向かっているのだろう。
友人が退院祝いに送ってくれたフラワーアレンジメントが、家の中に春の喜びと、エネルギーを伝えてくれる。 もう春だ。
1ヶ月と2日振りに、日常の空間へ戻る。 幸い、よいお天気。車の窓から見る道も車も人々も新鮮! 美味しい讃岐ウドンの店に立ち寄り、たっぷりねぎの入ったきつねうどんを食べてわが町へ。 家に戻る前に、わたしのいつもの散歩道、伊奈コンポステーラのすぐそばに、夫が車を止めてくれたので、今日のリハビリとばかりに、少しだけ歩く。暖かい陽射しと冷たい空気が心地よい。以前のように、スタスタとは歩けないけれど、この地面を踏みしめることができる幸せ。また以前のように歩ける日がこの先にあるというのはありがたい。
いつも花の苗を買う店が道の向こうに見えたので、立ち寄った。毎年、秋に植え込みをするノースポールを植えそびれていたことがずっと気がかりだったのだ。 元気に育っているノースポールの花の苗が4つケースに入っているものが、すぐ目に留まった。花の植え込みくらいなら、明日あたりできるだろう。これもよいリハビリじゃない?
家ではシロが待っていてくれた。戻ってきたよ! 一旦、生活の場に戻ると、あれも、これもと、やるべきことが頭をかけ巡る。病院から持ち帰った大量の荷物の片付けもやってしまいたいところだが、だめだめ、疲れてしまうに決まってる。 まずは、山のように持たされた種々の薬の袋を取り出して確認し、いつ何を飲まなければならないのかだけ把握しよう。
病院にいる時には決まった時間に食事が来て、決まった時間に薬が届けられ、ただそれを飲めばよかったからね。でも、ある意味、その全く受け身の生活に飽き飽きしていた。 何を食べるか自分で決め、薬を自分で管理し、起床も消灯も自分で決める、そんなあたり前の日常が戻ってくることで、気持ちもしゃっきりしてくるのが分かる。
と、お日様の匂いのする自分のベッドの中で、窓の向こうに青空を見ながら、退院一日目の日記を書いている。
6時40分、ラウンジに行ってみると、窓の外は素晴らしい雪景色。 木々という木々が、白い雪をふわりと纏っている様子がいい。 けれど、すでに昇っている太陽が、みるみる雪を溶かしていくから、この美しさも一瞬のものだろう。
病室からラウンジまで歩く、身体の軽さや、腹部に響く痛みの度合いで、身体の調子が分かるのだが、今朝は、身軽にすたすた歩けた。昨夜は、腹部の張り感のために、1時間起きに目が覚めはしたものの、2日続けて睡眠薬を飲まずに眠ることができた。 昨夜、主治医から、このまま何もなければ、金曜日に退院しましょうと言われたが、今日一日、この調子でいけば、明日は退院ができる。
今朝はここまで書いて、主治医の朝の回診があり、血液検査検査を受け、その結果を見て退院を決めましょうということだったので、今日は一日、医師からの退院許可を待って過ごしたのだが、今日はどうやら大きな手術があり、看護士もいつ医師が病棟に来るか、あるいは来れないか分からないということだった。
今日はもう無理かな。だとすると週末は主治医は病院には来ないからひょっとすると退院は月曜日以降になるのかも、と半ば諦めていたら、8時半頃に主治医がいらして、血液検査の結果、問題がなかったということで退院許可を下さった。
いつ退院したいですか? 明日です! では、何かあったらすぐ病院に来て下さいね。
と、いうことだったので、胃潰瘍やステントのことで、まだ主治医には心配な要素がなくもないのだろうと理解する。
でもよかった。 ともかく明日は退院ができる!
午前中は読書。 夕方見舞い客があるので、リハビリを午後一番に入れてもらった。わたしのように腹部の手術をした者に良い、寝た姿勢のまま行う、筋力トレーニングをいろいろ教えていただき参考になった。 例えば、膝の下にタオルを丸めたようなものを置き、それを膝全体で潰すように圧迫する。確かに、膝周辺の筋肉が動くし、身体全体への負担はない。左の膝の関節が緩んでいることが指摘される。 確かに、時々、膝ががくりとへんなところに入り、そんな時に痛みや痙攣が生じたことがあった。膝周りの筋肉を意識的につけるためにも、この簡単な運動を続けていこう。
リハビリの終わる頃、夫が、今日はカボチャのスープを作って持ってきてくれる。コンソメスープにカボチャがうかんでるようなスープを思い浮かべてリクエストしたのだが、これは、クックパッドを参考に、豆乳でこしらえたカボチャのポタージュスープ。わたしでも、こんな面倒なスープ、滅多に作らないのに。
夕方5時ごろ、長くお会いしていない友人が訪ねてくれる。 この一週間、胃の痛みが続いていて不調だったので、どなたからのお見舞いもお断りしていたのだが、彼女と会うとすれば8年振り、体調もよくなってきたので、来ていただくことにした。 先ごろ亡くなられたお母様のところにしばらく滞在していて、自宅に戻る途中に立ち寄って下さった。山帰りのような大きなザックを背負って現れた彼女に8年前と変わらない印象を受けたが、看取りや葬儀その後の始末、大変な日々だったことだろう。
この8年の間に、わたしは両親と義母を見送り、彼女もまたご両親を見送った。話しは自然に、そこいらのことになる。親を看取るまでは、問題はあっても自分の身体のことにはなかなかかまえなくてね、と彼女。 そうだった。子どもが育つまでは、この子達が大きくなるまでは死ねないと思い、親が老いてくれば、親たちを見送るまでは死ねないと意識はいつもそこにあったような気がする。そういう意味では、ようやく、自分自身の身体を真面目にケアするという時期に入ったのかもしれない。
干し椎茸や黒米他、様々な物と一緒に、若杉友子著の「一汁一菜」-医者いらずの食養生活-という本をいただく。 マクロビオティック。 前から気にかかりながらわたしには無理だなと思っていたが、この本に出てくる献立を見てみると、今、食べたいと思うものばかり。おそらく、わたしの身体が求めていると思われる食事だ。退院したら、さっそく取り入れてみよう。
こうなれば、畑もやるかな。 近くに借りることのできる畑はたくさんあるが、畑をやる気力と時間が問題だな。
昨夜からの胃潰瘍の薬が効いてか、深夜の差し込むような胃痛はなかった。 いつもは日の出の頃はデイルームに行くのだが、朝方眠く、起床時間の6時になって、看護師が検温に来た後も、部屋の電気を消したまましばらく寝ていた。8時前、医師の回診でようやく起き上がる。 もう朝食の時間だ。 朝食は8枚切りの食パンが2枚半、肉団子の野菜あんかけ、もやしのお浸し、牛乳。 パンを1枚と、肉団子を1つ半、もやしのお浸しを半分、わたしの今の食欲は、病院食の三分の一といったところなので、今朝は食べられた方。 朝、10時に入浴の予約をし、たっぷりお湯を張ってもらったお風呂にゆっくり浸かる。 お風呂は先週から解禁になって、あまり利用する患者もいないので、1日置きに入るようにしている。入浴中、入浴後の身体の状態もこれまでよりよい感じがある。
昼食は毎食、温うどんとおかず。うどんはご飯よりも食べられるが、薬味のないうどんは、なかなか食べ辛いものがある。 のろのろと食べている時、夫が来てくれる。 弁当用の保温スープカップには熱々の野菜スープ。トマト、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、セロリにパセリ。わたしの記憶する限り、彼が作った初めての野菜スープだ。 野菜の旨みが溶け込んだスープはひと匙、ひと匙、身体全体に染み渡るような美味しさだ。身体がこういう食べ物を欲していることが分かる。感謝。 この日の読書は昨日に続き、文藝春秋。芥川賞受賞者の作品、どちらも面白かった。 「異類婚姻譚」の本谷有希子は、出身が石川県松任市(今は合併して白山市)、弟の家族が住んでいる土地で、わたしも何度も訪ねている土地。 「死んでいない者」の滝口悠生は、埼玉県入間市。この土地は親しい友人が住む土地で、やはり何度も訪れている馴染みの土地。作品の中にもその土地や、浦和、調布など、馴染みのある地名が出てきて、親近感を覚えた。
そう、そしてこの日のうれしいニュース。 夕方の回診にいらした主治医が、手術後の病理検査の結果を教えてくれた。癌はすべて取り切れていて、リンパ節にも癌の転移はないということ、なので、この後は化学療法も受ける必要なく、これで、がんの治療は終了。後は、5年間、外来に通い、検査を受けるということだった。 抗ガン剤による治療を免れることができて、ほんとによかった。
乳癌の時には、抗ガン剤の治療はなかったが、20日の放射線の照射に毎日通うのが辛かった。足立区の教育委員会に所属していた最後の学年末で、出勤前や退勤後に築地の聖路加に寄って治療を受けた。 仕事の内容は、区役所からバスや自転車で毎日異なる小学校に出向き、授業のサポートをし、また区役所に戻り報告書を書くという仕事だったので、一日の移動時間が半端ではなかった。
あの時のことを思えば、今の仕事場は、我が家。通勤時間0。ありがたいことだ。 退院して一週間もすれば、教室を再開できるだろう。
毎朝病室を訪ねてくれる医師に、今朝も、昨夜も胃痛が酷かったことを伝えると、じゃ、胃カメラ飲みますか、それで何ともなければ退院しましょう。 ということだった。 退院はうれしいけど、この痛みを抱えての退院は嬉しくない。一方、内視鏡検査で胃に癌なんかが見つかればさらに嬉しくない。
検査は、夕方の5時だったので、それまでは、痛く、待ち長かったが、最新号の「文藝春秋」のおかげで凌ぐことができた。88人の「最期の言葉」は興味深く、惹きつけられたし、急逝したジャーナリスト竹田圭吾氏の「がんになってよかった100のこと」も、よかった。何より選考委員の高樹のぶ子さんから、直接話を伺っていた、芥川賞の受賞作品も読みたいと思っていたから。
内視鏡検査は予想以上に苦しかった。一度20代の時に胃カメラを飲んで辛かったことは覚えているが、今はあの当時のものより小さくなってると聞いていたので、そのしんどさは想定外だった。 8時間に渡る大手術も、当人は眠っているから苦しくはないものね。
で、その結果は、手術した周辺の胃壁に潰瘍ができているということだった。続いていて、一向に減らない痛みの原因が潰瘍であることが分かり、まずはほっとする。
今までの痛み止めセレスタミンはやめ、胃潰瘍の治療薬という、緑色のどろりとした、アルロイドGという薬が処方される。なんだか、これは潰瘍に効きそう。 退院は延びてしまったが、痛みの原因が分かり、適切な薬をいただけたことはとてもよかった。
夕食時に夫が作って持ってきてくれた、ジャガイモや人参が柔らかく煮込んであるクリームシチューは美味しくて、久々に食欲が湧いて、このこともよかった。 病院食が食べらず体重が5キロも落ちたのは胃の痛みのせいだと思い込んでいたけれど、なんだ、美味しいものだと、ちゃんと食べられるんじゃない! 「がんになってよかったこと」の一つに、夫が美味しいものを料理できるようになったことを入れておくとしよう。
昨日は、点滴から解放され、日中は痛み止めの薬を飲むことなく、リハビリも、スクワットまでやれたのだが、夜、ベッドに横たわった途端に痛みが起こる。 いつものように痛み止めと、睡眠薬を出してもらったが、薬を飲んだとしても痛みで起こされ、熟睡とは程遠い、1時間毎に途切れる眠りを眠るが、これも入院してからずっと続いている、日常ではある。 昨日は、食べ物が美味しく食べられることがどんなに幸せなことかと書いたが、一日の業を終え、疲れた身体と眠くてふにゃふにゃになった頭でベッドに潜り込み、1分もしない間に深い眠りに落ち、目が覚めたら朝という、当たり前の眠りが、どれほど幸せなことであったか思い知る。 寝る時間が勿体無い、眠らずに済むならどんなによいだろうなどと罰当たりなことを考えたかこともあるが、死んだように眠るという完全にスイッチがオフになるまとまった時間が与えられているというのは大きな配慮と恵みなのだ。夜に死んで朝に蘇るというような生活パターンが、日々新たなエネルギーと活力を与えてくれるのだと納得する。 昨夜は幸せな眠りからは程遠かったけれど、これも、やがては取り戻せることだろう。
今日は、日曜日でリハビリもなかったから、午後は、パジャマの上からコートを着込み、ブーツを履いて、夫と一緒に、病院の外に出て、周囲を歩く。風は少し冷たいが、とても心地よく、もっと歩いていたいという気持ちになる。 外の空気を吸いながら歩くという、これもまた、ごく当たり前のことが、とても幸せに思えたひとときだった。
まだ、点滴と心電図の管には繋がれているものの、今日は痛みも軽いので、日の出の時間にはラウンジに行くことができ、リハビリも久々に、リハビリ室まで移動し、自転車漕ぎもやることができた。 リハビリ担当の若い理学療法士から、今日は表情が明るいですねと言われた。 確かに元気が出てきている。 食事も、今日の昼食から解禁となり、少量だが、食べることができた。 このまま回復が進めば、心配していた再度の切腹はまねがれそう。まずはほっとしている。
それにしても、1ヶ月近く、消化器の具合が正常でないと、以前の健康な状態を思い出せない。胃腸の不具合は、気持ちにも影響があり、何か晴れ晴れとしない。 食べ物が何でも美味しく食べられるというそのことが、どんなにありがたく、幸せをもたらすかということが本当に実感できる。
身体のことをもっと考えて生活しなければ、 と、毎日病院に来てくれる夫とは、そのことが話題になる。 壊れて使えなくなっていた圧力鍋を、電気圧力鍋に新調し、滋養のあるスープや豆料理が効率良くできるようにしようとか、水は酸素水にしようとか、これはわたしにはかなり辛いことではあるが、癌の餌になる糖分は極力取らないようにしようとか…
夫は最近、早朝のウォーキングを続けていているようだ。そして、歩く度に、普段はあまり姿を見ることのできない美しい色の翡翠(かわせみ)に出会えるようだ。
春になったらわたしも、早朝の伊奈コンポステーラを歩き、新鮮な空気で身体を満たしたいな。
さて、晩祷の時間。 グレゴリオ聖歌の楽譜を持って、向かいにある、家族控え室へ。
予定では、17日に退院、今朝は快適な自分の家のベッドの上で目覚め、美味しい朝食を食べているはずだった。 けれど、そう上手くいかないのが人生ということなのかな。
一昨日から再び点滴に繋がれ、絶食中。 痛みが一向になくならないので、造影剤を使ったCTの検査。結果、画像では膵臓と腸を繋ぐステント(細くやわらなか管)が腸を貫いているか、あるいは腸を圧迫しているように見えるということだった。けれど、腸に穴が空けば、それに伴って生じるはずの炎症の類が見られず、血液検査の結果も良好なので、まずは、絶食し、様子をみるということになった。 早く、この痛みから解放されたいけれど、再度の切腹はごめんこうむりたいといったところ。
2016年02月15日(月) |
吊り雛のうさぎを作りながら |
日に日に痛みが和らいでいってもよいはずだが、そうもいかず、夜は、痛みで起こされるという日々がまだ続いている。表面の傷は随分癒えていて、この痛みではなく、内部の。明日、造影剤を使ってのCTスキャンを撮っていただくことになった。
それでも、日中は痛み止めの薬が効いているので、過ごしやすく、国会討論を見ながら、2本目の吊り雛のうさぎを作った。 野党の質疑に対する総理大臣はじめ、各省の大臣達の答えがあまりにも誠実さを欠いていて、怒りが起こってくる。これは身体に良くないとは思うものの、長々と見続けてしまった。
本は、ケリー・ターナーの「がんが自然に 治る生き方」 末期がんから自力で生還した人たちの「9つの習慣」。いろいろと参考になり、励まされもする。これまで実践してきたこともあるけれど、食生活については、乳製品や砂糖については、考えていかなければと思う。
2016年02月13日(土) |
西 加奈子 著 「サラバ! 」 |
胃腸の調子はまだよくないものの、この日はベッドから出て、リハビリ室まで行けたし、ゆるゆると歩いたりはできた。
読書は、「サラバ!」を上巻に戻って再読中。 この本は直木賞を受賞し話題に上っていた頃、誕生日のプレゼンに夫がくれた本だったが、あまりに分厚いので、持ち歩くわけにも行かず、家にいては、じっくり読書に没頭する時間が取れずで、時折気にはなりながらも、読み始められないまま机の上に積まれたままでいた。 けれど、今思えば、この本をこのタイミングで読むことができて良かったと思っている。 前の日記にも書いたけど、痛みや不快感を忘れさせてくれるほど、心の深いところを掴んで、前へ前へと引っ張ってくれた。主人公、歩(あゆむ)の心の旅は、わたし自身の心の旅でもあり、様々な管に繋がれていても、痛みや不快な中にあっても、その旅に引き込まれ、心は私の身体を離れ自由なのだった。
ネタバレになると申し訳ないので、ディテールは書けないが、わたしに最もヒットしたり部分は 「信じるとはどういうことか、信仰とは何か」ということを真摯に追い求め、探し続ける登場人物達の有り様だった。
「あなたの信じているものを人に決めさせてはいけないわ。」
このフレーズは、歩の姉、貴子が歩に語るフレーズなのだが、同時にこの本の最終章のタイトルでも、そしてこの作品のテーマでもあると思った。
行き着くところ、信仰は全く、その人と神(向かい合う信仰の対象)との一対一の関係。 そして、みな、ひとりでそこに辿り着くしかない。 けれど多くの場合、教会なり、宗教団体なり、集団なりに、その決定を預けてしまい、個人としての出会いのないまま、出会ったような錯覚に陥ることがある。 いったい何が違うのか、 そこにも、作者の投げかける問題提起があると思った。
西加奈子の著作、数冊注文した。
2016年02月12日(金) |
少しダウン気味だけど |
今日の血液検査の結果も良好で、順調に回復はしているようだが、昨日から胃腸がよろしくなく、リハビリもいつものスクワットや自転車漕ぎは無理なので、病室でマッサージをしてもらった。
前日の10日は、リコーダーユニットのパートナーの友人とリコーダーの話しで盛り上がり、もしかして、どこかでリコーダーも吹けるかもと、家からリコーダーを持って来てもらったりもするほど、元気だったのに...
今朝になって分かったのは、どうやら、痛み止めの薬の取り過ぎで、胃が弱ってるらしい。痛み止めの錠剤や座薬の他に、背中じゅうにロキソニンの湿布を貼っていた事が胃に負担をかけたようだ。 胃薬を出していただく。
痛みの原因が分かれば安心。後は、薬を飲んで、胃を休めて、回復を待とう。
ところで、そんな中、昨夜、「サラバ!」下巻、読了。 泣けた。共感して泣けた。 こういう読書は久しぶり。
この日、35回目の結婚記念日。 珊瑚婚式という名前がついているらしい。 永い年月を経て成長する珊瑚に例えて、なんだって。
そりゃあ、いろいろあったけれど、また、めでたく35年。
大阪から再度来てくれた、次男夫婦が、ウェジットのペアマグカップをプレゼントしてくれる。
今日も朝日は力強く、美しい。 この一つの太陽を共有しているすべての「友」のために祈る。
昨夜、しきりに意識にのぼってきたこと。
これまでも、世界は平和であることはなかったが、それでも多くの友の犠牲の上に、人間たちは平和へと進んできたのではなかったのだろうか。 けれど今、地球の平和が、その深いところで、ぐらぐらと大きく振動しているような気持ちになる。
昨年の今頃、平和のために闘って死んだ友のことも知りながら、この一年、どれほど、世界の平和のために祈ってきただろうか。 自分のことや自分の周辺の祈りに終始していた。そして、こうした、わたしのような無関心、自分がよければ、自国が守られればよいとする意識が、この世界の悪の支配する範囲を広げ、その力を肥大させてきたのではないのか。 責任は、その国の人々にあるというよりは、むしろ、豊かさの側に留まり、富の差を大きくし、批判や制裁は加えても、その国々の中で、生きる権利や自由を奪われている友のことを真剣には考えてこなかった、わたしを筆頭とする、ひとりひとりにあるのではないか。 ヨーロッパでの後を絶たないテロも、北朝鮮の核実験やミサイルの発射も、怖れと、不信と、憎しみが呼び起こす負の連鎖の中で、すべての人間に対して、とりわけ、豊かで自由なわたしたちに対しての警告のように思える。 と、そんなこと。
教会暦では、今日は 灰の水曜日。 これから復活祭までの40日間の四旬節(レント)の始まりの日。
昨年の 灰の水曜日は、聖グレゴリオの家のミサに出席した。棕櫚の葉を焼いて作った灰の十字を額にいただいた。 今日はミサへの出席は叶わないが、しっかり、額に灰の十字架をいただこう。 「あなたは塵から取られた。だから塵に帰る。」
キリストの受難を覚える日々は、すべての受難の中にある友を覚える日々のはず。 世界中の友の心の底にある祈りが、ひとつの大きな祈りとなりますように。
今朝、朝日の中で書き始めていた日記を、夕日の中で書き終えて。
***
創世記3章19節
お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。 お前がそこから取られた土に。 塵にすぎないお前は塵に返る。
You will have to work hard and sweat to make the soil produce anything, until you go back to the soil from which you were formed. You were made from soil, and you will become soil again."
2016年02月09日(火) |
FOOTPRINTS 足跡 のこと |
フェイスブックに画家の榎並さんがお見舞いの書き込みと、お描きになった作品の画像をお送り下さった。その絵はひとりの人がもう一人を背負って歩いている絵で、2009年「二人同行」F6と題され、以下の言葉が添えられていた。
「私の大切な子よ。私は、あなたを愛している。 あなたを決して捨てたりはしない。 ましてや、苦しみや試みの時に。 あしあとが一つだったとき、 私はあなたを背負って歩いていた」
あの詩、Footprntsだ!と思った。 この病気が告げられた瞬間、ふわりとわたしの存在そのものが持ち上げられる感覚があり、 「あっ、今、あの方が、わたしを背負われたのだ」と、その詩のことを思い出していたのだった。 これまでも、何度となくこの詩を思い返した。 確か日記に、原文とそれを自分で訳したものもあるはずと、検索にかけてみると、2001年5月の中に見つかった。
ここに貼り付けておこう。
2001年05月24日(木) Footprints 昨日の日記に Footprintsの訳詩をのせた。
もうずいぶん前から、色々に訳してみるのだが、納得のいく訳にはならない。
一度外に出してみて読んでもらうと訳の良し悪し、あるいは響くか響かないかがもっとよく見えてくるのではないかと載せてみた。
この詩は作者も定かではないのだが、アメリカではよく知られているものらしい。壁掛けやマグカップに印刷されているのを教会関係の店でよく見かけた。
5年前、ひとりでセントルイスのダウンタウンをぶらぶらと歩きながら、土産物の小さな小物が置いてある店に入った。スプーンやマグネットなど安くて荷物にならない小さな記念のものをと捜した。そのとき手に取ったマグネットにこの Footprintsが書かれていて、ああこれかと思ってなんとなく文字を追った。ところが一番最後の行のところで、店先だというのに、どっと涙が出てきてひどく泣けてそのまましばらく動けなかった。
私の訳詩を読んだ夫は「つまらない」という「実存的でもなんでもない」と。
響かないのは私の訳のまずさのせいだろうか。確かに英語から伝わってくるものがそのとうりには響いてこない。英語の言葉が含む世界と、それと同じことを意味する日本語が含む世界がもう違っている。同じ意味の内容でも、そこに生じる世界に違いができる。それはそうとして、どうしても泣いてしまう最後の一行が私にとって何なのかそれを確かめるためにも、もうしばらくこの訳を
考えてみたい。
2001年05月23日(水) 足跡 足跡
ある夜 男は夢を見た
主と共に浜辺を歩く夢だった
空には男の人生の場面が照らし出され
砂の上には2組の足跡が残った
ひと組は男の足跡
もうひと組は主の足跡
最後の場面が照らし出され
男は砂の上の足跡を振り返った
男が歩いてきた道の多くに
足跡はひと組だけだった それは
男が打ひしがれた場所
悲しみにくれたところ
男は困惑し、主に尋ねた
「主よ、私がひとたびあなたに従うと決心したなら、
あなたはずっと私と共に歩いてくださると
言ったではありませんか それなのにどうです
私が一番苦しんでいたときの足跡はひと組だけです。
私には分からない
あなたを最も必要としていた時に なぜ
あなたがわたしを置き去りにしたのか。」
主は答えて言った。
「私の大切な 大切な 子よ、
私はおまえを愛している。
私はいっときもおまえから離れはしなかった
おまえが試練や苦悩のなかにあった時
たしかに足跡はひと組だけだ
しかし、それは私の足跡
私がおまえを
負うて歩いたのだから。」
原題 Footprints
作者未詳
訳詩 たりたくみ
FOOTPRINTS
One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me
and one to my Lord. When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times in my life.
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed You most,
You leave me."
He whispered, "My precious child,
I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."
2016年02月08日(月) |
再び夕陽の沈むラウンジで |
今日の陽の光が、朱色の光線をこちらに送りながら、ゆっくりと雲の向こうに落ちていった。雲を縁取る茜色と、微かに紅色に染まった空が美しい。
デイルームと呼ばれる、正面が広いガラス面になっているこのラウンジに、また戻ってこれた。 この外科病棟から手術室に行く朝、その日の担当だった看護師さんから、「大きな手術ですから、頑張って下さいね。そしてまた、こちらの病棟に元気に戻ってきて下さいね」と涙を溜めて言われた時の事を思い出し、感慨深かった。 命はまずは繋がった。
正面のガラス窓に反対に映るテレビの映像の中のカレーのコマーシャルに「美味しそう」と思える。ここに始めて来た時には食べ物の画像が苦痛だったのだから、わたしの内臓は熟練したドクターの切ったり縫ったりのおかげで今、正常に機能し始めたことが自分でも分かる。
チョコレートなど、持ち込みの食品はまだ、お許しが出ないが、そしてわたしは、早まって夫にチョコレートを持って来てと言うのを忘れなかったが、いずれすっかり元のように何でも食べられるようになるだろう。あの時SOSを出していた内臓は、今、「助かった!」とばかりに、お粥や細かく刻んだ食品を、懸命に消化しているのだろう。彼らへの協力が、今、わたしのなすべきことだな。 心しよう。
今朝、最後に残った、首からと、脇腹からの管を取ってくれた医師からは素晴らしい回復状態ですと言われた。 わたしが、歩いて病棟に戻ってくると、看護師さんからは凄く早い回復ですねと驚かれた。 たとえ咳をすると飛び上がるほどの痛さがあったとしても、今のところわたしは、幸いな患者であるらしい。
これほど痛い自分というのも、珍しいから、ここは、強がりはよして、痛がりながら書こう。痛いには痛いが、日々、少しずつ日常に近づいている感覚があり、これには励まされる。 術後できるだけ早く、立って歩かせるというのが、昨今の治療の対策で、寝返りを打てない、つまり、身体のどこかに力が加わるだけで恐ろしく痛むという段階でベットの下に足を下ろし、数十歩歩くというのが、術後1日目に課せられたリハビリテーション。両腕から背中から腹部から複雑な管に繋がれているわけなので、その管が絡まないように、これもなにやら複雑なモニターに、その管をひっかけるのである。で、それは奇怪なかっこうで、その機械を手押し車にして歩くのだ。ふらつく頭と足で、10歩が精一杯。しかし、このようにしても無理やり歩くことは、術後の肺炎の防止や、内臓の癒着防止には大いに期待できるようなのだ。 ICUの端の部屋からこのフロアーの端にある洗面所まで一人で歩けるようになったら、尿の管が取れますといわれたものの、それは1週間も先のような気がしていた。
2日目、3日目と、リハビリの担当者のリードで歩いた甲斐あって、昨日の夜は、一人で、管類の処理をし、トイレまで往復でき、今朝は、めでたく尿の管を取ってもらえた。まだ、脇腹からのドレーンの管は取れないまでも、布をボタンで止めただけの、なんとも頼りない手術着を、前開きの下着とパジャマに交換したいと申し出、ようやく人間らしい格好に身づくろいすることができた。 わたしは、夏といわず、冬といわず、寝る時には、手首、足首まで、またお腹にも、空気が入り込まないように布で包まれていなければ、安心して眠れない。痛くて眠れないのに加え、不快で眠れないことになる。昨日までの寝間着は、いくら治療には便利とは言え、快適さの対極にあるしろものだった。
このように、一つ一つの不快が、オセロのコマのようにひっくり返っていく。 今日は、ベッドから降りて、椅子と机で過ごすことを提案してみた。お腹の痛みは変わらないまでも、背中や腰の痛みからは楽になる。それより何より、窓から空と雲と木々が見える。
こんな環境で、のめり込める本の存在はほんとうに有難い。今回、ICU用のバッグに1冊だけ入れてきた、西加奈子の「サラバ!上」楽しく完読。iPhoneに入れてきた、次回のゼミのテキストの「カインの末裔」も読んだが、やはりこういう時に読むものは、雪に閉じ込められた極寒の閉ざされた村の話より、イランやら、エジプトとへと飛べる若々しいストーリーの方がいい。 書いている内に、夫から「サラバ!」の下巻が届けられた。 気の毒なことに夫は、手術の前日に熱発してしまい、今だ病棟に入れない。恐らく明日は、彼も回復し、わたしも、一般病棟へと移ることが可能だろう。
ICUに入って4日目。 痛みはありますかと聴かれる。ということはおなじような手術をして、痛みがない人がいるということなのだろか? それならば、なんと不公平な体質をわたしは持っているのだろうと、嘆かわしく、また腹立たしい。 最新の医療においては痛みは背中から四六時中背中に注入される麻酔薬で完全にコントロール可能という話を麻酔科の医師から聞いていた。しかし、この夢のような麻酔薬が効かない人間もあるということだ。確かに前のオペでも、その前のでも、痛みが強く、飲み薬を足してもらいながら辛い日々を凌いだことを思い出した。喉元過ぎたので、その時のことはまたしても、忘れていた。 背中の麻酔は効きがよくないようですね…と今頃言われても。 のたうちまわりたくても、あちこち管につながれており、また、げっぷをしても痛いのだから、これは、次に痛み止めをもらう時間まで、息を潜めて待つしかない。 明け方、こんな具合だったから、今まさにお産をしようとする夢を見た。 目覚めても痛みはあったが、お産は現実のものでないことに、安堵した。 お産はこんなもんではないからね。 母親になる人達の何と強いことだろう。 わたしもこんな痛みに弱音吐いてる場合じゃないね。痛いのは生きてる証拠。さて、お産の時の短息呼吸をやってみるとするか。
手術は無事終わりました。
2016年02月03日(水) |
今日は手術にもってこいの日 |
美しい日の出だ。 空は青く、目の前の木々はすっくりと立っている。 今日は手術にもってこいの日 (あるインディアンの詩のタイトルのパクリだけど)
iPhoneの待ち受け画面には、孫のれおとめいみがお祈りをしている場面なのだが、これは、送られてきた動画を切り取っだもの。 ちょうど、この場面で2歳のめいみが、2歳なりに、心を込めたトーンの声で、 「どうか、かみさま、パパママのそばにいてください」と祈っている。
どんな時にも神がそばにいる、これほどの平安はない。 そして、めいみのお祈りの通り、神さまはパパママのそばにいて、パパママは大きな安らぎの中にある。
昨夜、大きな病気と闘っている弟からのメールに 「後は任せるだけですね。 私もこの病気になってから「御心のままに」という言葉が寄りどころになっている気がします。」 とあった。 「御心のままに」大きな慰めと力をいただける。
家族や友人達の祈りのおかげでこの平和を得ているのだなと実感する。 感謝。
夕食を終え、病室のベッドのに横になる。 今日も、ラウンジで本を読んだり、お見舞いに来てくれた友人や家族と過ごしたり、リハビリをしたりと、病室の外で過ごすことが多かった。健康な時の日常とあまり変わらない時間を過ごせたが、明日からしばらくはICU、管に繋がれ寝返りもままならない数日間を過ごすことになる。 ここまでは、心の平安は保てたが、身体的な痛みや不快感の元ではどうだろう。わたしのヨガ力が問われるところだ。 そう、ヨガについて昨年学んだことの中には、自己コントロールに至るまでの修行があった。明日からの日々のために、その修行について復習しておこう。幸い、このiPhoneには、ニケタンのヨガ指導者養成講座で書いた卒論の原稿が入っている。 また、柳田神父のキリスト教的ヴィパッサナー瞑想で学んだことも復習。やってくる感情や肉体的痛みに飲み込まれることなく、それを客観視するということ。 そして、祈り。わたしが祈れない時にも、たくさんの友人たちが、家族が、わたしのために祈ってくれているということ。その祈りに支えられる日々になるだろう。
第二段階 ニヤマ(Niyama)<勧戒 > これは心身を保護し、精神の成長を助けることを目的としたもので、「禁戒」が対他的であるのに対し、対自的なものである。『ヨーガ・スートラには』清浄(シャウチャ)、知足(サントシャー)、苦行{タパス}、聖典読誦(スヴァーディヤーヤ)、神への帰依(イーシュヴァ・プラニダーナ)の5つのニヤマが挙げられている。 シャウチャ( 清浄) これは、心身の浄化で、呼吸器、内臓器官、体液、神経などの内部組織の浄化をも意味している。心身を浄化することで、感覚的な能力と霊性的能力が開発される。自分の生命にとって何が自然であり、不自然であるかという認識能力が研ぎ澄まされるのである。 身体、思考、言葉の浄化の他に、食べ物も清らかでなくてはならないという考えがある。すべてを支えている食べ物はブラフマン(創造主)の一側面に他ならないと考えられており、一口、一口が神に奉仕する力を与えてくれるのだという気持ちで食さなければならないとする 以前、「キリスト教的ヴィッパサナ瞑想による黙想会」に参加した際、食べる瞑想の指導を受けた。ひと噛み、ひと噛み、その食材の食感や味わいを十分に意識し、観察し、その食物が自分の体内で栄養となることを心にとめながら瞑想しつつ食するというものだったが、日頃、いかに無造作に食物を食しているか反省したことだった。身体のケア、環境を清潔に美しく整えること、つまり丁寧に生活するということが、このシャウチには含まれるのだろう。 サントーシャ(知足)これ は、与えられた境遇に不満を抱かないということであるが、ヨーガの修行によって人間に内在する様々な資質に目覚め、それらが明らかになっていくと、このことは積極的な意味を持つようになる。つまり、眼前に生じてくる出来事の全てに満足し、どのような状況にあっても、幸福感を覚えることができる。健やかな心身の状態を保ってこの人生を生きていくことができる。 この教えを聖書の中にも見出すことができる。「すべての事には時がある。神のなさることは時にかなって美しい」という「伝道の書/コヘレトの言葉」3章の中の言葉だ。この信仰に立つ時、どのような状況においても感謝し、そこに喜びを見出すことができることを、コヘレトは語る。ヨーガにおしても、キリスト教においても、神に近づく道として自分の与えられたものを感謝して受け取るという在り方が求められることが示されている。 タパス(苦行)タパスという言葉の語源は「燃やす」「焼く」「輝かせる」「苦しむ」「熱で消耗する」と言う意味のタブという語である。したがって、タパスとは、人生の最終目標に到達するために、いかなる状況の下でも、燃えるように激しい努力をすることと考えられる。浄化、自己鍛錬、禁欲にはそうした行為が必要であり、あらゆる精神修養はタパスの実践であると見なすことができる。タパスとは、神と結びつくために自覚的に努力し、この最終目標に到達するのを妨げるすべての欲望を焼き払ってしまうことである。価値ある目標は人生を輝かせ、浄化し、神聖にする。 タパスには3つの種類がある。身体に関するもの(カーイカ)、言葉に関するもの(ヴァーチカ)、心に関するもの(マーナシカ)である。また、禁欲(ブラフマチャリア)と非暴力(アヒンサー)は身体のタパスである。利己的な目的ではなく、いかなる報酬をも期待せず、確固たる信仰心で働くことがタパスであり、このタパスによってヨーガ行者は身体と心と人格を高めつつ、最終目標に到達してゆくのである。また、こうした努力を続けることで、多くの生活習慣病、心身症、ストレス関連疾患を克服し、健やかな人生を全うすることができる。 聖書にはこういう聖句がある。 「わが子よ。主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはならない。なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れるものを皆、鞭打たれるからである」(ヘブライ人への手紙 12章5、6節) スヴァーディヤーヤ(聖典読誦)スヴァとは「自己」、アディヤーヤとは「学習」あるいは「教育」を意味する言葉である。つまり、自己の教育ということになる。具体的には聖典を良く読み、その教説を声を出して唱えることで、聖典の中に示されている神様の生き方や性格を自分の生きる指針にするのである。B・K・S・アイアンガー氏は、その著書「ハタヨガの真髄」で次のように記しているが、これは真の学習がどういうものであるかを如実に示している。真の学習はその人の血肉となり、生き方を変え、自己の存在の源へと繋がるに至ると私自身、体験の中で知らされたことである。 <スヴァーディヤーヤを通じて体得した思想はいわば血流に入り込むようなもので、その人自身の生活と生命の一部になるのである。スヴァーディヤーヤを実行する人は、人生という自己自身の本を読み、同時に書き、改訂していくから、人生観にも変化があらわれてくる。すべての存在は楽しみのためよりも崇拝のために存在するのだと理解するようになり、すべての存在が神であり、自己の中にも神が存在して、自分を動かす力は全宇宙を動かす力と同じなのだと悟るようになる。> これまでに体験したことであるが、何かについて学びたいと願った時に、不思議なように、自分の目の前に、書物が現れたり、それを学ぶ場所や人の情報がやってきたり、決して自分では見出せないような道筋がいつも用意されてきた。そのひとつひとつは別々のことのように感じられるが、スティーブ・ジョブズが言っているように、人生での全ての点が線で繋がるという体験を自らしてきたし、今もなお、新たな点ができ、またその点がこれまでの点に繋がっていくのが分かる。 イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への帰依) イーシュヴァラとは自在神、プラニダーナは請願を意味し、自分の行動と、意志を神に捧げることである。インドの神概念は日本のそれとは異なり、人間が存在しようがしまいが自ずからこの世界に存在している自在神という神概念がある。旧約聖書にみられる。「私は在ってあるもの」という神概念と同質の概念だと思われる。ヨーガ行者は、こうした自在神である、絶対者ブラフマンや真我(アートマン)と一つになるまで自分の意識を高めようとするのであるから、この自在神への祈り、祈願、請願なくしてヨーガ修行は成り立たず、神と合一する三昧の意識状態には入れない。 私自身はキリスト者であるので、他の神という味方をするならば、ヨーガでの自在神は異端の神ということになる。しかし、自在神が、在って在る者、この世界の創造主であり、今もなお、聖霊としての神が我々と共にあり、イエス・キリストを自分の心の内に迎え、その心と一つになることは、まさにヨーガの世界での三昧と同じ体験と考える。その文化的背景、神の呼称は異なっても、同じ唯一の神のことがここに示されていると考える。そうした意味ではこれまで様々に学び、また請願してきた神を変えることなく、ヨーガの哲学や考え方、その修業の在り方によって、わたしの信じる神への信仰をさらに深め、より実践的な信仰生活を行うことができると信じている。同様にインドの神概念とは異なる神概念を持つ日本人も、命の源である神の存在に目覚め、ヨーガの修行を通して、自らの信仰を高めることができると考えている。 B・K・S・アイアンガー氏は、その著書「ハタヨガの真髄」で、このように語っている。「すべての存在が神に属することを知っている者は、うぬぼれの心に汚されたり、権力に飲み込まれたりしないだろう。また利己的な目的のために、へりくだって悪に屈することもないだろう。彼らが頭を下げるのは、敬意を表すべきときだけなのだ。バクティ(崇拝)という水が流れて心のタービンを動かすと、精神的な力と輝きが生まれるのである。バクティを伴わない肉体的な力は致命的であり、人格的な強さを伴わない崇拝は麻酔薬のようなものである」 と語っているが、宗教的な教育や訓練が根本的に乏しい日本の文化の中では、ヨーガで言われる、神への帰依、神の崇拝が、人格的な強さを伴うことなく、麻酔薬のように働き、とても危険な状態にしてしまうことが危惧される。初めはヨーガ同好会で始まった「オーム真理教」が集団で反社会的な犯罪を犯すに至ったのは、このことの一つの顕れだと見て良いと思う。ここには道から離れてしまい、自らが神となってしまったリーダと人格的な強さを伴わない信者の盲信の結果だと思う。間違った在り方でイシュバラ・プラニダーナを捉えると神への帰依が殺戮や破壊をも生む。今なお多くの国々、人々が誤ったイシュバラ・プラニダーナによって苦しんでいることを思う。そうした国や組織のリーダーが本当の意味のイシュバラ・プラニダーナに目覚めることを願って止まない。
2016年02月01日(月) |
手術についての説明を受けた日 |
これを書いているのは2日の朝。眩しい朝の光を浴びながら。 昨日(2月1日)、手術の前の説明があった。 家族を、できればお子さんも同席してくださいということだったので、夫、長男、大阪に住む次男夫婦と、5人で話を聞く。2時間近く、とても詳しい説明をいただいた。 胆管、胆嚢、十二指腸、膵臓の一部を切除し、切除したり臓器から消化酵素が腸へ流れ込むよう、三箇所で、腸に縫い付けるというのが大まかな手術の内容。後はそれに伴うリスクや、手術中の顕微鏡での検査により、手術の変更もあり得るといったことなど。 それらの話を聞きながら、そうした複雑な手術をなし得る医者とは凄い人だなぁと思う。8時間から10時間、様々なリスクを伴う複雑な作業を続ける精神力はどれほどのものだろう。 また、自分の身体が今どのような状態にあり、自分の受ける手術がどのようなものかを、そこに伴うリスクなども含め、詳しく教えていただき、ほんとにありがたいと思った。 ひと昔前は、本人に癌の告知はせずに手術を受けさせるというのが普通だったのだろうが、今はこうした詳しい説明を本人にもするというのが当たり前なのだろう。 そもそも2人に1人が癌を患うという世の中、 あなたの癌はわたしの癌、わたしの癌はあなたの癌でもあるのだから。 担当医は肝胆膵外科高度技能専門医に認定されている熟練したドクター。まずは安心しておまかせできる。
それにしても大手術だ。「育つ日々」にも書いたが、父は自分の十二指腸の手術を8ミリカメラで撮影しでもらい、「切腹の記」と題した映画を作った。そこまでの余裕はわたしにはないが、この手術がどのように執り行われるのか、興味深い。
今朝開いた聖書の箇所は詩篇23篇。 慰めにも満ちた言葉。この言葉を持って過ごそう。
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 The Lord is my shepherd; /I have everything I need. 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い He lets me rest in fields of green grass /and leads me to quiet pools of fresh water. 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。 He gives me new strength. /He guides me in the right paths, /as he has promised. 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。 Even if I go through the deepest darkness, /I will not be afraid, Lord, /for you are with me. /Your shepherd's rod and staff protect me.
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