たりたの日記
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2012年06月21日(木) れお 保育園のおともだちとお散歩



れおの滞在2日目はつくしんぼ保育園体験。午前中はみんなといっしょにお散歩。30分くらい歩いて近くの公園へ。

お昼ごはんとお昼寝の後、おやつの時間にまた保育園へ。
はじめての集団生活は来年春からの幼稚園の練習になったかな。

今回はママもいっしょだったけれど、今度はれおだけで保育所で過ごすチャンスが作れるといい。



22日の夜はパパパパもいっしょに4人で花火をする。

自分の小さい頃の花火の記憶、我が子が小さい頃の花火の記憶がいっしょになって甦ってくる。

そこには若い頃の父も母も小さな弟たちもいて、そして若いお祖父ちゃんになった父と母と腕白息子たちもいて、そして今、大きくなった腕白息子の子どもといっしょに花火をしている。
あの時の父と母と今の我々とが重なりあう。

こうして繋がっていく命。


2012年06月20日(水) れおと温泉

20日から23日までれおとれおのママのともちゃんが我が家にお泊まりに来てくれた。

ちょうど一週間前、九州からの旅を終えて羽田空港で別れる時に、れおが「おんせん、いきたい〜」としきりに言うので、
「じゃ、来週、ママといっしょにパパママのところにお泊まりにいらっしゃい。れおとママとパパママと三人で近くの温泉に行こう」ということになったのだ。

れおは宮崎でいっしょに温泉に入ったのが楽しかったに違いない。
東京に戻る前の夜、ホテルの離れにある、松林の中にしつらえた露天風呂に三人で入った。人もいなかったのでそこで沢山遊べ、また野性味あふれる温泉もれおの気に入ったのだろう。


そこで、20日、大宮から我が家に来る電車の途中の原市駅で二人と待ち合わせをし、そこから歩いて「花咲きの湯」へ。
もうおしめは取れているので、れおは温泉へ入る権利がある。ともちゃんもわたしも温泉で一日過ごしたいところだげ、果たしてれおはどのくらい居ることができるだろうか、一時間もいなくて帰ることになるかもしれないと覚悟していたのだが、何とこの日、夜7時過ぎにパパパパが仕事帰りに立ち寄り、みんなでそこで夕食を食べてる8時までそこにいることができた。

温泉で遊びつかれたれおが2時間あまりお昼ねをする間、わたしとともちゃんで交代に岩盤浴をすることもでき、ゆったりした時間を過ごすことができたのだ。またともちゃんがゆっくりしている間、わたしとれおだけで1時間ほど露天風呂に出たり入ったりすることだってできた。
これまではママから離れてパパママと二人でいることはできなかったのに、わたしとしても初体験。

時々、おばあちゃんらしき人が孫を連れて温泉に入っているのを見かけることがあったが、ああ、これ、今わたしがやってる・・・と感慨深かった。



2012年06月13日(水) 宮崎・大分へ

6月15日は母の一周忌なので、長男夫婦とれおと4人で宮崎に2泊、大分の実家に1泊の旅をする。

宮崎の施設で一人で暮らす義母はとても喜んでくれた。わたしも義母も墓参りにみんなで行くという発想はなかったが、長男が当たり前のように、「じゃ、まず墓参りに行こうか」と言う。

昨年の春に彼ら3人で宮崎に来た時にも墓参りに行ったというのだから、わたしにはないもの、わたしが育てた覚えのないものが彼の中には動かしがたくあるのだろう。
そういうわたしも、自分の宗教とは無縁でも、一周忌の法要をするために15日には寺に行くことにしているのだから、亡くなった家族と何らかの形で繋がろうとする気持ちに変わりはない。
忘れないでいたい、いつも心を向けていたい・・・そんな。

墓参りの後、長男たちが泊まることになっている海辺のホテルでのんびりし、いっしょに夕食をいただき、義母と施設に戻り、わたしは施設内にある家族用の客室に泊まる。
>翌日は一日義母と施設で過ごし、夕方、動物園から戻ってきた長男家族といっしょに食事にでかけ、義母を施設に送った後、わたしも海辺のホテルへ。

先月5月の子どもの日にもみんなでディズニーランドのホテルに泊まったから、れおと過ごす時間が急に多くなった。パパママと呼ばれるお祖母ちゃんになる。

15日、雨。電車で延岡まで行くと弟が迎えに来てくれていた。大分の実家には午後1時過ぎに着き、2時から近くのお寺での法要を5人で。
その後はふるさとのなつかしい味のから揚げやふかの刺身や、弟特製の麻婆豆腐や食べきれないほどの食べ物が並び、にぎやかな記念の食事会。

ともかくも、母が亡くなった時のこと、葬儀のことなどを思い返しながらこの特別な日をこのように過ごすことができて良かったと思う。

あの日から一年しか経っていない・・
あの日から一年も経ってしまった・・

まだ母の暮らしていたそのままの家が、服やバッグや道具が持ち主のないまま、変わらずにそこに佇んでいる。

「この家にお祖母ちゃんがいないって考えられないね」と長男が言う。

ほんとにそうだと思う。


2012年06月11日(月) サダナ(東洋の瞑想とキリスト者の祈り)へ

ああ、またここを1か月以上も空けてしまったと、前回の日付が5月1日なのに驚いている。

ここをお訪ねして下さる方は、仕事も辞め、暇になったはずのたりたはいったいどうして日記を更新していないのだろうと心配下さっているかも知れない。

あるいは、たりたの習性を熟知しておられる方は、また心がどこかに彷徨い出て、自分のベースに帰れないでいるのだろうと予想しておられるかもしれない。


5月のカレンダーは余白がないほどびっしりだった。
自宅で再スタートした英語教室の新しい教材や指導法のことで夢中になっていた。
また、5月初めに痛めてしまった膝の治療で週に2、3回整骨院に通い集中して治療を受けていた。
それに加え、9月に控えたフランスへの巡礼の旅の計画や調べものに余剰時間はすべて費やしていた。


こちらの計画はまだまだ終わらないのだが、それでもここに戻ってこれたのは、昨日参加した、サダナ(東洋の瞑想とキリスト者の祈り)のお陰だろう。

朝9時半から午後5時までの集中した瞑想と祈りの時間は、揺れてなかなか静止しない糸を垂直に戻してくれたような気がする。
改めてこの地球に生かされている一つの生命として他と調和することを、また神を心から信頼することを様々な瞑想のエクソサイズを通じて、身体のレベルで学んだ。

この1カ月の「夢中」はいわば、不安にかられ、焦りが先立つ「夢中」で、あきらかにバランスを欠いていたのだ。
思えば、必要な学びだった。
ほら、ここでも私が気付く前に神が用意して下さっているというのに・・・

長年の夢だったフランスの修道院、テゼ共同体に滞在すること、一人で、ル、ピュイからのサンティアゴ・デ・コンポーラの巡礼路を歩くこと(巡礼者たちが2カ月かけて歩く道程をわずか1週間ほど歩くだけなのだが)を、与えられた恵みとして感謝し、不安や恐れもすべて委ねて準備を続けようと思う。

そうそう、6月8日には、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の相談会に出向き、クレデンシャル(巡礼手帳)も発行していただいた。この手帳を手にした時から巡礼が始まったんですよと理事長の森岡さんから言われた時には身が引き締まる気がした。

この瞑想と祈りのトレーニングそのものが巡礼への準備であったことに、今書きながら気づく。



たりたくみ |MAILHomePage

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