たりたの日記
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2012年02月26日(日) |
小岩井農場を思い浮かべながら |
先週の日曜日から1週間、思い出し日記はそのままになっているが、まず今日をここに記しておこう。
とは言え、今週末もどっと1週間の疲れが出て、土曜日は一日ベッドで、日曜日の今日も一歩も外へ出ることなしに過ごした。
とても分かりやすいエネルギーの消耗振りで金曜日の仕事を終えたところでエネルギーが尽きてしまい、2日間の休日で少しづつ回復し、明日再び治療や仕事に出られるほどはチャージできた感覚がある。
実にぐうたら過ごしたのだけど、本を読み、音楽を聞き、祈り、様々な雑用をやっつけ、過去の日記や写真をふりかえったりと、それなりに充実した時間を過ごすことができた。
その中で久々に再会したのは2007年03月11日(日) 東北旅日記4 <宮澤賢治記館〜イギリス海岸〜小岩井農場> の日記。
この日記の中の岩手の友人から、手紙と小岩井農場の絵や賢治の歌のCDが届いたからだった。
もう5年も前のことになるのに、あの早い春の雪の小岩井農場の風と空気がそのままに甦ってくる。たった1度だけ、それも1時間もそこに立ってはいなかったというのに、その「時」がしっかりと刻まれ、こうして繰り返しその中に入っていたことに今さらながら気づく。 旅とはこうしたものだったと。
それにしても、あの頃は何と元気だったことか。 1日目に蔵王の雪の中をかんじきを履いて歩き、2日目に岩手の友人と宮沢賢治を訪ねる旅をし、3日目には秋田の友人と男鹿半島を散策したのだった。 今はとても考えられない。 少しづつでも体力を取り戻し、また旅ができるようになりたいと思った。
さて、まずはこの1週間、エネルギー切れにならないように上手く乗り切ること。
前回の日記は明日から職場復帰ということで終わっている。
23日から今日2月19日までの間に大きな出来事があった。
父が他界した。
その前の日々とその後の日々、今の地点では嵐が過ぎ去ったようなひとつの静寂の中に置かれているが、心身の疲れを自覚している。
ここに書くことで気持ちを整理しようという気持ちにようやくなれたのは良いことに違いない。
ここにまとめて書くには長くなり過ぎる。空欄になっている日記を埋めていくという作業にしよう。
2012年02月06日(月) |
「メメント・モリ」での父の葬儀 |
前の晩からの雨が朝になっても降っていた。 母の葬儀の時も雨だったが。
家族葬専門の「メメント・モリ」(あなたの死を覚えよという意味のラテン語)での通夜と葬儀は静かで暖かなものだった。
弟とその家族、我が家の長男一家と次男、つまり2人の子供と4人の孫と一人の曾孫。父の義弟、姪や甥、そして私が子どもの頃から知っているなつかしい父の友人が数人、全部で20名ほどの葬儀。
「育つ日々」の父の十二カ月から「3月、人生のしめくくりに」を朗読させていただき、若い頃からいっしょに働いてきた同僚の方が弔辞を申し出て下さり、職場での父の姿を伝えて下さった。 みなでお棺に花を入れる時に弟が用意していた「Let It Be」が流れ、その歌がとてもその場に似つかわしく、歌の言葉に力づけられていた。
他からはどうであれ、少なくとも家族にとってはいい葬儀だった。対社会への緊張や気遣いから自由になり、父との別れだけに心を向けることができたから。
「午後10時11分だった」と弟から父の訃報が届く。
母が逝ってから8か月。 ちょうど母の葬儀の辺りから施設から病院へ移り、食事も管を通してするようになり、ここ1週間は点滴だけに頼るようになり、血液の数値も低下していた。 母は口癖のように「お父さんを残してわたしが先に逝くわけにはいかない」と言っていた。私は私で、父が何も分からない状況でありながら命を保っているのは母を一人にしないためではないかと思ってきた。 そうして母が召された以上、父の時間もそう長くはないのかも知れないと私達兄弟は話していたのだった。
それでも、何とか3月の半ば、わたしの仕事や治療が終わり、大分に長期滞在して父を看取ることができる時までは元気にしてくれているだろうと、都合の良いことを勝手に考えていたのだった。
母の時の事で分かっている。一旦訃報が届いたら、考える暇などないのだ。とにかく、明日の大分行きのチケットを取り、葬儀の段取りについて弟と相談し、息子たちや親戚に連絡して・・・荷物もまとめておかなければ・・・ 何から手をつけて良いか分からないような気持ちの中で弟と電話でやり取りが続く。
葬儀は暮れに知り合いが立ち上げたばかりの家族葬専門の葬儀屋さんにお願いすることに。 親戚には知らせるが、地域の方々には新聞広告で父への厚情のお礼と家族葬の旨伝え、香典・供花を辞退する旨知らせるという弟の考えに賛成する。また父が死んだ時に流してくれと言った、ビートルズの Let It Be を流そうと。 葬儀はいらない。骨はそこらに撒いてくれと言っていた父にふさわしい見送り方のように思え、そんな父の有り様が生き生きと思い出され、胸が熱くなる。
夜中、遺体を安置した葬儀場へお寺の和尚さんが枕行を上げに来て下さり、葬儀についての細かい打ち合わせを遅くまでしたとのこと。弟一人で和尚さんや葬儀屋さんと緊張にながら対応している様子が伝わって来る。
スーツケースに荷物をまとめ、その中に父に捧げた拙書「育つ日々」と、父のハーモニカを録音したカセットテープを入れる。
どんな葬儀になるのだろう、小さな田舎町でそんな葬儀は前代未聞に違いない。失礼はないだろうか・・・
Let It Be! 聖母マリアの魔法の言葉、「み心のままになりますよう」を唱えつつ、深夜2時、睡眠薬を飲んで眠りにつく。
( 2月19日に記す )
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