たりたの日記
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2003年09月28日(日) Sの通夜に行く

夕方、Sの通夜に行く

都内の斎場

棺の上には花で象った白い十字架

若く明るい声の牧師が中央に立って微笑んでいた



牧師はSのことは知らないといった

そしてSが天国へ移されたのだと

その言葉にあまりに曇りがないので

わたしはSの美しい笑顔の写真を見て微笑んだ



その時はいつかなんて

だれにもわかりゃあしない

あなたはいつも両腕いっぱいに夢をかかえて

歩くというよりは 走っているようだった




あなたの終わりがなぜ今なのか

まだ受け入れられはしないけれど

動かし難い「時」があることを

見つめるしかないね



せめてわたしは大きな声で讃美歌を歌った

オルガンの伴奏もないのだから

アルトのパートを歌った

あなたといつか歌うつもりでいたデユエットの代わりに





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2003年09月26日(金) 旅立ったSへ



あさっての あなたの通夜に
誰もが同じに見えるおきまりの喪服は着たくない
今朝 まどろみの中でそう思った

あなたがステージで歌った時に着た
目の醒めるようなブルーのイッセイ.ミヤケ
あんな服をわたしが着て行ったら
あなたはVサインを送ってよこすだろうね
でも そんな根性 ないな

あなたに初めて会った6年前の夏
4日間の古楽のキャンプへと向かうバスの中
後ろの座席に座っていた私の方にくるりと顔を向けて
あなたは話しかけてきた
ジーンズとデニムのジャケット 
おまけにデニムのハンチングかぶってなかった?
おおよそ年相応とは言いがたい格好のあなたに 
わたしはほっとした

その夜、露天風呂で星を眺めながら 
あなたのストーリーをひととおり聞いた
夫と離婚した後、一人で子ども3人を育てていること
自分のやりたいことを思う存分やれる今の暮らしに満足していること
若い頃 プロテスタントの洗礼を受け 
今はカトリック教会で グレゴリアンチャントを歌っていること
魂のことやソウルメイトなんてことも話したっけ
ちょうど同じ本を読んでいて 
これは運命的な出会いかも と笑いあった

あれから2回 あなたのアパートを訪ね
あれから2回 あなたの小さなコンサートにでかけた
いっしょに音楽会に行ったのも2回なら
待ち合わせして食事をしたのも2回じゃあなかったかしら
そして2回だけ、わたしも発表会のステージで歌った

あの礼拝堂のような小さなホールで
リュートとチェンバロの伴奏に合わせての独唱
あなたは切ない愛の歌をおもいっきり哀しげに歌い
わたしは今生の別れのような気分で歌ったのだった
一週間後にわたしは手術を控えていて
やっかいな病の疑いもあったから

リコーダーを吹くこと
讃美歌をデュエットすること
英語の詩を朗読すること
いつかいっしょにやろうと話していて 
一度もやらないままだったそれらのこと
時間はたっぷりあるのだと疑わなかった

3日前 あなたの訃報が届いた
突然の死 
心はうつろに あなたとの時間を遡る
最後に会ったのは去年の秋 
コンサートの帰りの電車の中で
あなたはいつもと同じように夢を語った
そう あなたはいつも両腕いっぱいに夢を抱えていた
その抱えた夢のために足元が見えないんじゃないかと
わたしは少し心配していたかもしれない

いったいどういうわけで今なの?
夢を追いかけながら
あちらの世界まで突き抜けて行ったとでも言うの?
すべてのことに時があるとすれば
今があなたに用意されていた旅立ちの時?
あなたはひょいと垣根を飛び越えるようにして
逝ってしまった

あなたの通夜に着るために
わたしは今日 黒いブーツカットのパンツとストレッチのシャツを買った
あなたのように 最後までオバサンをやらない覚悟
あなたの旅立ちを祝うために行くよ
そして大きな声で讃美歌を歌う
背筋をぴんと伸ばしてね


2003年09月25日(木) セクシュアリティー.ワークショップに参加する

会議の2日目、セクシュアリティー.ワークショップに参加する。
ステレオタイプにクリスチャンを見る人なら、なんでクリスチャンの集会にセクシュアリティー.ワークショップなどというものがあるのかと不信に思うかもしれない。

わたし自身10年ほど前、たまたまニュージャージーの友人の家に滞在中に、彼女の所属する教会でセクシュアリティーについての学習会があるというので参加した。その時、ゲイのカップルとレズビアンのカップルをゲストとして招いてのパネルディスカッションに参加したのだが、度肝を抜かれた感があった。もともとマイノリティーを受け入れ、差別を無くそうという取り組みはキリスト教会のお株だから、セクシュアル.マイノリティーの人達をどのように受け入れ、どうかかわりあっていくかは当然話し合われなければならないことなのだが、その当時はわたしの周辺にある日本の教会では教会の中でこのようなテーマでまじめに話し合われることはまず考えられないことで、アメリカの教会の取り組みに、またごく自然に自分たちのセクシュアリティーやパートナーシップについて語る同性愛のカップルに圧倒された。

まだまだ私の通う教会や教団で、この問題が取上げられるところまでは至っていないが、別のグループではすでにセクシュアルマイノリティーのクリスチャンが自分の立場を明らかにし、そこにある差別に対して行動を起こしている。このワークショップを主催するTさんは、トランスセクシャル.レズビアンで、牧師の資格を有し、キリスト者としての立場で、セクシュアルマイノリティーの人たちが受けている差別や無理解を改善すべく、講演やワークショップなどの活動をいている。

このワークショップに出てみて、改めて性の多様性を思った。この社会は白と黒という具合に人間を男性と女性とに分けることで成り立っているが、実際はこの黒と白の間に名前がついているだけでも医学上10通りの性が認められているのだ。その白と黒の中間に属するいわばセクシュアル.マイノリティーの人たちはそうでない人間が「当たり前」と疑わない社会の規範の中で大きな苦しみや葛藤があることを知る。

例えば、選挙の投票用紙、定期券、その他、取り立てて性別を明らかにする必要性がないところでも、まず、男か女のどちらかをチェックしなければならない。大多数の人にとっては自分が男であるか女であるかを明らかにしなければならないということに何の問題も感じないだろうが、セクシュアル.マイノリティーの方々にとっては、それは痛みになる。
多数であることで普通であることで、そうではない人たちを無視する、あるいは無意識のうちに差別するということは、あらゆるところに潜んでいるに違いない。
そういうことに対してセンシティブになるためには、実際マイノリティーの方々と会い、理解を深めていくことが何はともあれ必要だと感じた。




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2003年09月24日(水) 忘れたくないことは書いておかなくっちゃあ

全く時の流れが速くて、書くことが追いつかない。
これを書いている今は実は9月27日。しかし、書いておこうと思った女性会議のことや、その前後に読んだ本のことを書かないままにしたくはないので、
一足飛びに今日の日記を埋めるわけにもいかない気がしている。
珍しく、原稿の依頼が舞い込み、二つ返事でお引き受けしたものの、その原稿もまだ仕上げていない。期限は今月いっぱいというので30日に送りますとメールをした。書きたい気持ちと時間の折り合いがうまく行かない。

今日は一日「関東地区婦人の会」という教団の催し物に参加し、夕べは遅くまでバザーに出すお菓子を焼いたりしていたから多少疲れている。かといってジムでラテンを踊ることくらいの余力はあるので夫といっしょに出かけるつもりで用意もしたが、そうするとまた時間が足りなくなる。そこで今夜はジムを断念。

しかし、なぜ書こうとするのだろう。それははっきりしている。書かないでいると忘れてしまうのだ。その時の感動も疑問も、書かないでいるとすっかり記憶からなくなってしまう。そしてわたしは忘れたくはないと思っているのだ。

最近、ここ1,2年のうちに書いた映画についての文章をエッセイのページに移し変える作業をしてもらっているのだが、自分が書いたものとはいえ、タイトルを読んでもその書いた内容も、どんな映画だったかも、読まないうちは思い出せなかった。しかし読んでみると不思議なようにその映画が甦ってくる。それを書いた時の感動もまた。

そういうことを考えると、忘れたくないことは書いておかなくっちゃという気持ちになるのである。


2003年09月23日(火) カレンの村で作られた服を着る

久し振りに気持ちにすっと馴染む服を買った。
柿渋染めのロングスカートとベスト、それにジャケットの3点。9000円。
手染め、手づくりの一点もの。
これはタイ北部の山岳民族カレン村の女性たちが作ったもので、サーモンピンクにうっすらと茶の混じるその服はナチュラルでほのぼのとした暖かさがあった。

21日の夜は、「アジアの女性たちとの連帯.自立支援のあり方を考える」というプログラムに参加する。このプログラムの中では「カレンの布プロジェクト」にかかわているKさんから、貧困を極めているカレン村の状況、そこの子ども達の教育を支え、また村の女性達の自立を支援するそのプロジェクトについての話を伺った。

もともとカレン村は伝統的な織物の技術を持つ。このプロジェクトではその織物で作った布製品を買い取り、それを日本で売り、その売り上げをカレン村の子ども達の奨学金(生活費及び教育費)にあてている。Kさんたちは年に2回、タイの奥地に入って、製品の買い付けや布製品の商品化のための指導をしているということだった。

私自身、フォースタープランに加入し、一人のアフリカの子どもの里親となり彼女の学業が終わるまでの間経済的支援をしたし、現在は英語学校としてフィリピンの子どもの里親として経済的支援をしているものの、Kさんたちのようにそこの人たちと実際にかかわり、その地域の人々の生活を支えている活動には全く頭が下がる。お金を送るということだけでなく、実際にかかわり合うことの大切さすばらしさを目の当たりにすることができたことは幸いだった。

翌日から会場の一角で、カレンの布製品の販売が始まった。どの織物も布製品も魅力的で眺めるだけでも楽しかったが、わたしが買ったサーモンピンクの服はあまりにもわたしの好みにピッタリで不思議な出会いを感じてしまった。Kさんも、「まるであなたのために作られた服みたいね」と笑っていた。この日会場では、何人もの人がカレンの村で作られた服を着ていて、ちょっと不思議な感じがするその服のせいか、とてもユニークな空気が漂っていたような気がする。

27日には私の所属する教団の関東地区婦人会の集まりがある。わたしはこのカレンの村で作られた服を着て出席し、このプロジェクトの宣伝をしてこようと思っている。


2003年09月22日(月) 繋がりが繋がりを呼んで

この女性会議に参加することには実はもうひとつの目的があった。この時と場を借りてネットで知り合った友人とオフで会うこと。共に関心と興味を寄せることにいっしょに参加するオフ会というわけだ。 

受付を済ませて会場で待っていると、ほどなくミキさんとミキさんのお母さんが会場にいらっしゃる。ミキさんとはこの夏、1度会っただけなのに、すっかり昔からの友人のような気になっていた。この会の常連でもあるミキさんの存在は心強い。この夜は「アジアの女性達との連帯」というプログラムを選ぶ。タイ北部の少数山岳民族カレンの女性達を支援するプロジェクトのことを知った。

マキさんが9時過ぎに到着した。いっしょに夜の会(プログラム終了後のおしゃべり会)に参加し、わいわいと様々な人が話す中で、私たちも話しに花を咲かせた。時計が一時を回ったので部屋に戻り、さらに隣の部屋のマキさんとまたひとしきり話す。マキさんと会うのは初めてのことだったが、これまでネット上で話し、ビデオやCDや本などを送ってくださったりしていたので、共通の話題はいくらでもある。風呂に入り、ベッドに入ったのは午前3時を回っていた。

翌朝、全体プログラムが始まった頃、ポポロが到着し、これで4人揃うことになる。窓の向こうに木立が美しい、喫茶ルームで、サンドイッチとコーヒーのお昼を食べながらのオフ会。普段、ネット上で言葉を交し合っている人達と顔を合わせていることが感慨深かった。

この日は午後、「セクシュアリー.ワークショップ」、夜に「シネマに見る女たち」のプログラムに参加し、その後の「夜の会」と進み、またまた夜更かしをしたが、それでも昨夜より一時間早い午前2時にはベッドに入る。

今回の女性会議はそもそもこの夏、佐世保教会を訪問した際にミキさんから、お誘いを受けたのだった。今年は東京が会場だというので、それなら一日だけでも日帰りで参加してみようと申し込み用紙を出した。しかし、どうやら泊まることに意義があるらしい。そこで一泊の希望を出し、数日後には、やはり3日間通しで参加するよう再度変更した。

観光旅行やパーティーとは異なるこういう時はそれこそ、学生の時以来だったかもしれない。場所も大学の寄宿舎のような宿舎で、まさに合宿のような感じだった。こういう時間が1年に一度でも持つことができたらどんなにいいだろうとは話したことだった。

教会女性会議は今年で15年目だということだが、実は偶然にも、その会を始めた一人であるY先生にたまたまお会いし、第一回の会のこの会のことを聞いているのである。また九州の知人が送ってくれた写真が、この会に参加した時のおので世界は狭いと驚いたのだった。当時は小さな子ども達を抱えて日常に追いまくられる日々、そのような会に泊り込みで参加するなど考えても見なかった。

しかし繋がりが繋がりを呼んで、15年経った今、こうして参加することとなった。気にかかっていたフェミニスト神学宣教センターのメンバーの方々とも出会い、アメリカの教会で参加して以来、これも気になっていたセクシャルマイノリティーの方々との出会い、さまざまなことが一度に繋がるような不思議を感じた。

明日は参加したプログラムのことを書こうと思う。




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2003年09月21日(日) とんでもなく寒い雨の夜、大きなバッグを抱えて

朝から雨、気温低し

9時半、教会学校、お話の当番、26聖人殉教者の話をする。
分級では「ドロローサ」を子ども達に教える。

10時半、礼拝。司会の当番。

礼拝後、ダンテの「神曲」を読む会に出席。地獄篇第40曲。
途中だったが2時前に教会を出て、一旦電車で家に戻る。

今日の夜から23日までの教会「女性」会議に参加する。荷物は昨日のうちに用意していたので、この日は朝、荷物を持って教会へ行き、午後は図書館ででもゆっくり過ごしてそのまま夕方都内へ出るつもりでいた。しかし朝になって予定変更。

とにかく寒い。荷物に詰めた衣類では間に合いそうにない。まだ衣替えもしていないから、押入れの中のセーターやジャケットを引っ張り出すだけの時間が朝はなかったのだ。

雨の中、駅から戻る道でトラックから、しかも2台からバシッと水をはねられ
ズボンはびしょぬれになりながら家に戻る。

さて、荷物、荷物。
寒くても対処できる服、暑くなっても大丈夫な組み合わせ。こういう場合、ああいう場合と考えていると荷物はとんでもなく増えてしまった。

参宮橋に着いたのは6時45分。7時からのオリエンテーションまで15分しかない。会場の道沿いにおいしそうなラーメン屋があるが、あそこには寄れそうもない。しかたなく駅前のマックでハンバーガーとミネストローネ。

7時数分過ぎ、国立オリンピック記念青少年総合センターの会議室へ辿りつく。ここは去年1年、ミュージカルの練習で何回となく来ているものの、夜となると様子が違い、広いキャンパスのような中庭を歩いて無事会場に着いた時にはほっとする。


今回初めての参加。この時点では会場に見知った顔はない。しかし、何とはなくくつろいだ空気がそこにあった。よそよそしくもなければ、べたべたした感じもない。女性が大勢集まるところで感じる、息の詰まるような感覚もなかった。ひとりひとりの放つエネルギーがナチュラルで、力がぬけているという気がする。ここなら3日間、楽しく過ごせそうだと思いながら、重いバッグを椅子に下ろした。

受付では名札をもらう。ダンボールを切り抜いた名札にめいめいが自分の名前や呼び名をひらがなで書くという名札は、暖かく、チャーミング。この集会にふさわしい演出だと感じた。


と、今日はプロローグのみ。
2日続けての寝不足のため、もうこれ以上書き続けられそうにない。
とにかくおもしろい3日間だったとだけ書いておくとしよう。

おやすみ〜




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2003年09月20日(土) 自分のセクシュアリティーを表現するということ

「ミラー.ウィズイン(内なる鏡)」という本をかなりの共感を持って読み終えた。深い満足感がある。

著者アン.ディクソンはイギリス在住で女性のためのアサーティブトレーニングや性心理学カウンセリングをしている。アサーティブというのは、自己信頼にもとづき、率直で、相手を傷つけることなく自己主張する態度とされる。

ディクソンは前書きの中でこのような質問を読者に投げかけている。

「あなたは自分のセクシュアリティーをどうやって表現し、受け止めていますか」と。

また彼女は
「私たちはセクシュアリティーをあまりに固定的にとらえ、それが自己表現の重要な側面であることを忘れている」と指摘する。

私自身、若い頃、自分自身のセクシュアリティーを良いものとして受け止めることができなかった。できるだけそこから自分を引き離そうとし、自分とは無関係なこととして知らん顔を決め込んでいた。それというのも私自身が女性を「聖と俗」、「悪と貞節」、「イブとマリア」といった具合に、女性を2つに分断する誤った考えの影響下にあったからだ。

自分の内に認めるセクシュアリティーを俗なるもの、悪として脅え、それを隠し、何としても聖に属するものになりたいと、内なるセクシュアリティーを無意識の内に締め出してきたのだった。

パートナーとのかかわりの中で、わたしの脅えていたものが根拠のないものだと分かり、次第に解放されていったものの、一歩外に出ると、伝統的な女性への偏見や無理解に突き当たらざるをえない。
著者からの問いかけに対して、私は自分のセクシュアリティーを受け入れてはいても、それを表現するという段階へはまだ行き着いていないと感じた。それと同時に、自分のセクシュアリティーを積極的に表現することを試みようという気持ちが湧いてきた。今までさんざんに言い古されてきたり、コマーシャリズムの餌食になってきた男性の目を通した表現ではなく、自分の内から起こってくる新しい表現として。

この本は、ワークショップのような形式で、
<自分のからだを好きになる>
<自分の性器とで出会う>
<自分のための時間を持つ>
といった具合に、自分のセクシュアリティーを受け入れたり、発見するための具体的な方法が提案されていて、とても実践的だ。

さらに
<男性のセクシュアリティー>
<女が女を愛すること>
<友情について>
<性のライフサイクル>
といった章では、セクシュアリティーを様々な方向からとらえ直す試みがなされていて
興味深かった。

<いのちの源泉をもとめて>という章には、すっかり書き抜いておきたいほど、共感する記述があった。わたしが奇しくも昨日の日記の中でクラゲに感じた官能性のことを書いたが、彼女の中にこのような文を見つけてうれしかった。

<もしセクシュアリティーがこれからの人生の重要な一部であると確信できれば、すべてはうまくいく。日常生活の中の官能的なものを、セックスと混同することなく認めることができる。りんごの果実や木の幹、子どものからだや花、楽器の音のもつ官能性を、曲解されることなく口にするのは難しい。しかしこれこそ、私たちがセックスの強迫観念につき動かされてきた中で失った、セクシュアリティーそのものなのでる。
 私たちはセックスのあとで幸福感を味わうことができる。しかしそれは一つの方法にすぎない。私たちのセクシュアリティーは命の源であり、私たちそれぞれの水源であり、からだの中の精神的、感情的な源泉である。それを性的行為のみに結びつける必要はない。
 セクシュアリティーの本質を取りもどせば、性的なエネルギーは私たちのからだや命の限り広がっていく。後略>



明日から2泊3日間、国立オリンピック記念青少年総合センターを会場で開かれる「教会「女性」会議」に参加する。今回のテーマは「「女性」をとらえ直す」
その中のプログラムの「セクシュアリティー.ワークショップ」、「シネマに見る「女性」たち」、「教会のジェンダー秩序と異性愛規範を問う」は、とりわけ興味深い。これまで一人で考えてきたことを、共通の価値観を持つ女性達と共に学びあい、考え合うというのはなんともエキサイティングだ。きっとそこから広がっていく世界があることだろう。




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2003年09月18日(木) クラゲってセクシャル

くらげってセクシャル

今日、自転車を走らせながらふとそう思った

なぜそう思ったのか理由をさがしてみる


透き通った体のセンシティブなようす

やわらかく、たよりない形の

そのまろやかな曲線

長くて細い触手のはかなさと

無数のそれが絡み合うめくるめく動き

傘をつぼめてはすっと開く

かすかにあえぐような呼吸のかわいらしさ


女が共通して持っているセクシュアリティーと

それは何と似ていること


さまざまに男たちに蔑まれてきたかもしれない

女のセクシュアリティーが

命の源から初めに生まれでた美しいものであると

くらげは教えてくれる


女がセクシュアリティーを

男のためにではなく

自分の持ち物として喜び迎える時

くらげの美しさを持てるのかもしれない




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2003年09月17日(水) アクエリアムに魅せられて

アクアエリアム(aquarium)
魚や他の水に住む生き物たちのためのガラスやプラスティックでできたケース
または水に住む生き物を見せる場所、つまり水族館。

日本にアクエリアムがやって来た時、誰かが水族館という名前を付けたのだろう。でもこの言葉の響きが水の中の生き物たちの夕雅な動きとなんとなくそぐわない気がしている。

アクエリアム、この言葉は透きとおった水を透明なガラスの中に閉じ込めたその特別な空間を表し、そこにたゆとう生き物たちの呼吸まで伝えてくれるように感じる。

金沢での2日目、水族館が好きだという甥のことを考えて弟が出かける場所をのとじま水族館に決めてくれたことはラッキーだった。おおよそ大人向けの場所ではないものの、わたしはどんな観光の場所よりもそこが好きだったと思う。

魚たちを見るにはたっぷりした時間が必要。絵だってそうだけれど、魚や水の生き物達は絵と違って動きがあるから、その分、絵の数倍の時間が必要と思うのだ。

そういう意味でもいっしょに歩く相手が甥のYであったことはよかった。弟に言わせると、Yはひとつところからいつまでも動かないでじっと見入っているから、なかなかよその人とはいっしょに行けないらしい。遠足などで水族館に来たYは立ち止まりたいところでも立ち止まれず、泣きたい思いをしただろうことがあたしには分かる。
伯母のあたしはどこかYと似ているのかもしれない。
魚たちを見ていると日がな一日、たったひとつの水槽の前にだって居れそうな気持ちがするのだった。

魚は魚で完全な形の美しさと動きの美しさを見せてくれるが、例えば、一見グロテスクなカニにしたところで、その8本の足の、その微妙な動きの美しさったらない。ウミウシの不思議さ、ヒトデの魅惑。どういうわけで海の中の生き物はこうも美しい形や動きをしているのだろう。

さまざまなアクエリアムの住人たちの中でもわたしが決定的に恋に落ちたのは
クラゲたちだった。あの刺されると痛い、物のよっては猛毒を持つと言われるクラゲだが、その姿とその動きにまったく魅せられてしまった。

ミズクラゲのぷかりぷかりと浮かび上がる様子も幻想的で好きだが、アカクラゲの触手の動きはそれはみごとなダンスを見るようだった。
水そのものには動きはないが、クラゲたちの動きは水というものを伝えてくれる。

水、すべての生き物の生まれてきたところ。
この水の中の動きに魅せられるのは、それが遠い昔の、我々の命の源へとつながっているからなのかもしれない。

クラゲは水の中の生き物の中でも、命が生まれた最初の形をとどめている生き物らしい。そういう意味では、その動きがすべての生き物のの始まりだったと言えるのだろうか。

アクアエリアム、いつだったか池袋のサンシャイン水族館では夜水族館の中で寝袋持参でお泊りできる日があると新聞に出ていた。夜、魚達を眺めながら眠りにつくのは瞬く星星を見ながら眠りにつくのと同じくらい素敵なことに違いない。

あちこちのアクアエリアムを訪ねてみようと思っている。




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2003年09月16日(火) 旅のバックの中からうさぎを二匹取り出して

しばらく家を離れていた。

九州に住む母が金沢に住む弟のところへ行くというので、わたしも合流したのだった。弟のところに生まれた三男にわたしは生後4ヶ月くらいの時に会っているが、あれから一年半ほどのうちにすっかり様子が変っていた。寝たままだった赤ん坊が部屋の端からものすごい勢いで走りまわる。そして口元をかすかによがめたその表情。

いつも赤ん坊を見るたびに思うのだが、わずかに1、2年かそこいらのうちにもうすでにどんな魂を持った人間なのかその基盤のようなものがすっかり見える。言葉さえまだ口にしないというのに、その人のエッセンスともいうべきものがすでにそこにあるということがなんとも感慨深い。11歳の長男も10歳の次男もずんずん大きくなっていく。成長の過程にある甥っ子達と僅かな時間を共有する。今度はいつ会うのだろうか。いずれにしろ、今の彼らはもうその時には存在しないのだ。

今朝、旅のバッグの中から、クッション材で丁寧にくるんた焼き物のうさぎを二匹取り出した。人指し指ほどの大きさのうさぎ達は両手を広げてあきらかに踊っている。わたしがつい何日か前に書いたうさぎ達がここに繋がっているような気がした。そのうさぎは長男のYが通っている造形教室のアトリエに売り物として置いてあった。わたしはそのうさぎ達に独特の親近感を覚えてしまい、何としても家に連れてかえらねばという気持ちで、ひとつ800円のうさぎを二つ求めたのだった。

この踊る二匹のうさぎたちは今回の旅をいつまでも記憶にとどめる働きをしてくれるような気がする。




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2003年09月12日(金) みそひともじの一日

今日はみそひともじに始まり、みそひともじに終わった一日だった。
日記「夕雅にゆくっつ」のアサミンジャーのところで「みそひともじBBS」が復活し、みんなでこぞって投稿したのだった。

百人一首は大好きで半分くらいは覚えたものの、中学校の宿題以外で自分で歌を詠んだ事などなかった気がする。やる前から苦手だと思っていたのだ。

ところがあそこではどういう歌もありのようだ。言葉遊びの要領でみそひともじ(三十一字)に言葉をあてはめる作業はことの他おもしろかった。

今日、わたしが持っていった歌は



くびれゆく ウエスト映しほくそえむ

        夢じゃないかも 駆け込みビキニ



覚悟せよ ねらいさだめの回し蹴り
    
        思い知ろうぞ 女の真実(まこと)



こんないい加減な歌だというのに、夕雅館主は専門知識で持って、修辞の分析までして、この歌、また他の仲間の歌の解説をしてくれた。その解説のおもしろいこと。自分としては意識することなく詠んでいる歌に技があることを指摘されるのは新しいできごとでもあった。
投稿された様々な歌を読みながら、改めて、音に出した時の言葉の美しさや、はっとする言葉の力に気付かされた。



この日記をお読みの方、
ぜひHP「夕暮れ荘」のみそひともじBBSをごらんください。投稿なさればさらに楽しいこと請け合います。




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2003年09月11日(木) 20030911の余白

2003年の9月11日という日を私は決して忘れることはないだろう。
書きたくても書けないことのためにわたしはただ白い余白をここに残そう。
そういえば、ニューヨークのツインタワーに旅客機が追突し爆破されるその瞬間をテレビの前で見ていたのは2年前の今日だった。
あの直後に書いた詩があった

解いていけば...で始まる詩。

あの時、解いていかなければと痛切に思ったのだったが、今糸はさらに複雑に絡み合っているのではないだろうか。

たとえ一人と一人でさえもそこに起こる反目をいかんともしがたい。人間ってほんとに愚か。すべてを破壊しないではすまないとでも言うように負へと向かって走る。


















この余白に書いたこと。わたしの心に刻みこまれて一生消えないであろうこと。




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2003年09月09日(火) 小説の主人公に腹など立ててどうする!とは思うけど

たまに、その人物が小説の登場人物だというのに、恋をすることもあれば、煮えくり返るほど腹を立てることがある。

つい、先ごろ、今年の芥川賞受賞作品の「ハリガネムシ」を読んだ直後の気分を日記に書いたが、その時、「吐き気をもよおすほどの嫌悪感」という表現をした。しかし、今になってみると、その主人公慎一にむしろ愛着を感じている自分に気がつく。慎一は、恋愛感情があるのでもないのに、たまたま出会った娼婦サチコの生活をまるごと抱え込むはめになる。 堕ちてゆく自分を認めながらも、彼女を棄てられない。まるで泥沼なのだが、そこに薄ぼんやりと光っているものが認められる。慎一が一言も語ってはいない、読者にもそれを期待してはいないだろうが、それは愛、たぶん。

一挙に慎一のお株が上がった理由は最近読んだ遠藤周作の「わたしが.棄てた.女」の主人公、吉岡に会ったからだ。わたしはこの小説を「怒りのモード」で読み終えた直後に、ついこの前読んで、もう2度と開くことはないだろうと思っていた「ハリガネムシ」をまた開いた。慎一に会いたいと思ったのである。世の中の男が何も吉岡のような男ばかりではないということを実感したいと思ったのかもしれない。

わたしはどういうわけか激しく吉岡に嫌悪した。しかし吉岡は戦後すぐの時代に生きる青年。この嫌悪感はその時代のもう過ぎ去った男の有り様に対してであるかもしれない。だとすれば、わたしはその時代のひとりの男の姿、彼の口調をそのまま用いるなら「誰だって、男ならすることだから、俺だけじゃないさ」というところのその時代を生きた「男」に嫌悪したのだ。

ところがこの嫌悪感をそのままに、その本が話題になっていたマキさんの掲示板に書いたところ、その本を愛読書だとするKを落胆させてしまった。その反応自体が受け止めきれないものの、わたしは男性のプライドを傷つけたのだろう。だからといってわたしが強く感じたものの正体を突き詰めないわけにはいかないと感じている。そこにはまだ解決がついていない、向かい合わなければならない問題が潜んでいると感じているから。

ここのところ頭は吉岡のこと、この吉岡が代表するひとつの男の在り方に対してめまぐるしく動いている。書くことで解きほぐしていきたいのだが。



9月6日のカキコミ。これがそもそものスタートだった。

「マキさん、今日は送ってくださったビデオの中にあった「泣かないで」を見ました。そのタイトルに逆らって、泣きに泣きました。わたしの泣きのツボは一般的な泣きのツボと微妙なズレがあるようなのですが、それにしても久々の大泣きでした。このミュージカルの原作の遠藤周作の「私の棄てた女」は学生の時に読んだのですが、決して遠藤周作は嫌いではないのに、あの作品を読んだ後の後味がイマイチ良くなかったのです。けれど、ミュージカルには全然別の感動がありました。もう一度原作を読んでみる気になりました。」



9月8日のカキコ

ところで今日、わたしが大泣きした「泣かないで」の原作を読み直したのですが、泣けないどころかこの主人公の男を張り倒したい衝動を禁じえなかったわ(苦笑)

遠藤氏も大したものです。これほど男のこすさとみじめさを書ききっているんですもの。
張り倒したいほどの嫌悪感を彼が読者に与えたかったどうかは別にして、この本が出版された当時に比べると、男と女の力関係やセクシュアリティーもずいぶん変ってきたんだなあと改めて思いました。わたし自身、学生の頃この本を読んだ時には「後味の悪さ」くらいでこれほど主人公に怒りを覚えなかったというのは、私自身が変化したということなのでしょうね。

冒頭の部分で、愛してもいないミツを騙してその身体を奪っておきながら、「...ぼくは今あの女を聖女だと思っている。」と告白するその男の身勝手さと鈍感さ。聖女だと宣言することで、どこか自分自身の罪を薄めようとするずるさが見えてしかたない。

この主人公のように言葉巧みに女をその気にさせてゴミのように捨てる男は睡眠薬で眠らせて強姦する男よりもっと罪は重いという気がするんですけれど...

今日はいつになくお怒りモードのたりたでした。きっと満月が近いからだわ。



9月9日のカキコ

遠藤氏が生きてらしたら、さっき書いたようなことをきちんと向かい合ってお話したい気がします。彼の作品の批判をしているわけではなく、あの登場人物の吉岡にわたしがどいういう印象を持ったかということを。案外、喜んで聞いてくださるような気がします。私は遠藤氏には他の男性作家とは異なるシンパシーを感じていますから。一番好きな作家、高橋たか子さんの友人ということもありますし。
しかし、遠藤氏も「わたしが.棄てた.女」を書いた頃と最後の作品の「深い川」では女性の見方や言葉の用い方もずいぶん変化していますよね。晩年になってからの神秘主義の影響の部分はかなり興味深いものがあります。まだ生きていらしたら、さらに変っていかれただろうにという気がします。




この日記にも遠藤周作氏は登場してくる。わたしが敬愛する作家であることは
変りない。だからこそ、わたしが吉岡に抱いた嫌悪感、この小説の内側にあるものをよくよく探ってみたいと思うのだ。




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2003年09月07日(日) 読書の秋、とりあえず借りて来た本をずらりと並べて

以前は週末ごとに図書館へ行き、そこで本を物色し、掘り出しものを見つけるのを楽しみにしていたが、その図書館通いがいつの間にか温泉通いに代り、その温泉通いがここ1年半くらいジム通いに取って代わっている。

しかしこのところまた図書館通いが続いている。季節のせいだろうか。
しかしあくまでもジムへ行く時間は確保したいわけで、以前のように読みたい本の出会うのを期待しながらブラブラ書架の間を歩き回ったりはしない。できるだけ短時間にターゲットの本を確保すべく血眼になる。前回はダンテ関係の本とゲーテ関係の本を10冊借りて、数日間の内にそれぞれに目を通した。読む時間も限られているものだから、ゆっくりと味わいつつというよりかなり集中して短時間の内にその一冊も本の概要を読み取ろうとする。どうやら本の読み方にもエクササイズの影響が現れているようだ。

さて今日、ゲットした本は、前回借りて一通り目を通したものの、まだ返したくないと思った本2冊。

* 絵で読むダンテ「神曲」地獄篇(ドレ画、平沢弥一郎編訳)
* セロになるからだ(覚和歌子の詩集)

最近BBSで話題になった本やそれに関連した女性学関係の本。

* 恋愛小説の陥穽 (三枝和子)
* サロメの乳母の話(塩野七生)
* 女の哲学ことはじめ(三枝和子)
* ミラー.ウィズィン、内なる鏡(アン.ディクソン著、)
* 女は男のどこを見ているか(岩月謙司著、ちくま新書)
* わたしが.棄てた.女(遠藤周作)

そしてもう一冊はたまたま目に入ったまだまだ読んでいなかった 佐野洋子の本。
ねぎ、れんこん、だいこん、というタイトルが並ぶ。ひとつの野菜から生まれでたショート.ショート。このアイデアをいただこうと手に取る。これは参考書として。

*食べちゃいたい(佐野洋子)


さて、どの本もおもしろそう。ハマりそう。どれも一番に読みたい。一度パラパラと手に取った上で本日は岩月謙司氏の「女は男のどこを見ているか」に決める。このちくま新書の一冊は以前、本屋の店先で表表紙の4行ほどの文章が目に留まり気にかかったものの買わなままでいた本だ。

その気にかかった文というのはこういう具合に始まっていた。

「女性は男性の下心のみならず、犬や猫との約束を破った過去さえも見抜くのです。いい女は、不誠実な生き方をしてきた男性を見て気持ち悪いと感じることで見抜くのです...」

この本を書いた男性はもしかすると女のことが分かっているかもしれないと密かな期待を抱いたのだった。
して期待は裏切られなかった。男性に向けてかかれた本であるようだが、女性にとっては納得の行くものだった。これまで言葉にできなかった「いやな感じ」や「気持ち悪さ」がどこに由来しているのかが解き明かされる感じがした。もともと著者は理学博士で動物行動生理学、及び人間行動学を専攻する人なので、単なる感情論ではなく、論理的だ。よく見通している視線も気持ちが良い。

著者はその本の中で男は20代までに英雄体験をする必要があると力説しているのだが、その理由というのになるほどと思った。

「...英雄体験をすることそれ自体に意味があるのではなく、英雄体験を通じて、もう一人のゆがんだ自分を消すことが目標なのです。そして、不自然な自分を倒した経験を生かして、女性にかけられた呪いをとくのです。これが男性というものです。、、、、、ユダヤの言葉に「一人の命を救えるものは世界を救える」というのがあります。男性が知恵と勇気で女性にかけられた呪いを解放することができたら、それは人類の幸福のために役立つことができるということです。一人の女性を愛することができたら、人類を愛することもできます。、、、、、、、」

さて、世の男性たちは岩月氏のこの言葉にどういう反応を示すのだろう。




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2003年09月05日(金) 金の草鞋を履いた究極のフェミニストたち

先がいいか、後がいいか、それとも同時?
いえ、逝く時のこと。
相手より早く死にたいか、それとも相手の死んだ後ゆっくりと余生を楽しみたいか。あるいは心中とかアクシデントとかで同時に逝きたいか。

しかし、こういうことは何かとデリケートな問題だし、その時によっても気分は変ることだろうからなかなかストレートな答えは期待できないことだろう。
けんかしている時なんかは絶対長生きして一人で悠々自適に暮らすんだと思って見たり、アクシデントで明日にでもわたしが死んだらさぞかし慌てるだろうとか、そういう答えが怒りに紛れて飛び出すとも限らない。

さてその質問はひとまず棚に上げといて、実は昨日すでに書いた松本オフの最終回の日記にちょっとした蛇足を加えたいと思っている。

というのも、掲示板で、今回連れあい同伴で顔あわせをしたあさみんじゃーとマキュキュとたりたとその相方に垣間見たいくつかの共通点を日記に書くと予告しておきながら、そのことを書かずじまいだったからだ。

さて、その共通点だが、
ひとつはすでに明らかなことで、3人ともレンタル日記エンピツのしかも文芸ジャンルで日記を書いているということ。

2つ目はポポロが指摘したように3人とも舞台で歌ったり芝居をしたりした経験がある。そういう意味では「女優」であった時期があったということ(あたしの場合はただの一度のミュージカルだから、こんな図々しいことを言うのは気がひけるが)

3つ目はあさみんじゃーが日記で先を越したように相手の男が3人とも年下だということ。つまり我々は諺にもある「金の草鞋を履いて探される」年上の女なわけだ。

で、あたしが見つけたと思った共通点その4は3人の連れ合いの男たちは共通して「こいつより先には死ねない」と思っているだろうということ。ここで冒頭の質問へとつながる。なんだか変に確信を持ってしまったが、しかし、我が連れ合い以外の2人には確かめた訳ではないから、これは推測の域を超えてはいない。
ねえ、どう、フゥーリィー、ぷよ2、当たってるぅ〜?

ではなぜこういう確信を持ってしまったかというと、逞しかるべき女達は、確かに一見強そうには見えるものの、3人とも、そのあやうさやもろさを隠しきれてはいなかった。男たちはそんな女たちを、転ばないように、落ち込まないように、調子に乗り過ぎないように、始終あやしたり、すかしたり、なだめたりしていることが分かってしまったのだ。いえ、そういう場面を目撃したというのではない。あくまで二人の間に漂っている空気から判断したのだが。自分がそうだからといって、他の2人を巻き添えにするなって?

人に読ませるのが目的で日記などを公開する女と舞台の上で歌ったり演じたりすることが好きだということは相互に関連していると言えよう。そしてそういう恥を恥ともしない女たちはどこか喜怒哀楽の振幅が極度に激しいというのも言えるだろう。そしてそういう女と付き合う男は次第に自己犠牲の精神とでもいうべきものが培われるのではなかろうか。ふんぞりかえってなどいられない。他の女に横目を使う暇さえない、自分の女が糸の切れた凧のようにどこかへ行ってしまわないようにひたすら気を配って、その紐をしっかりと握っていなければならないのである。そしてそのことが苦痛な男はこの役は務まらない。それを嬉々として、あるいは使命感に燃えてやってのける男らしさに溢れていなければその役目は果たせないのである。

こういう男たちを何と呼ぶのだろうか。

名づけて「金の草鞋を履いた究極のフェミニストたち」




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2003年09月04日(木) 瞬く間の中の永遠、うさぎたちはそこにいる

LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY.

この言葉はわたしたちが、マキュキュ夫妻と別れた後に訪ねた、碌山美術館の入り口に書いてあった言葉だ。

愛は芸術なり、相克は美なり

荻原碌山が友人相馬愛蔵の妻、相馬黒光への報われることのない愛を作品として昇華させたといわれる「女」という彫刻がある。いつだったかテレビでその美しい彫刻を見て、安曇野を訪れる時があれば、その美術館に立ち寄りたいと思っていた。中村屋を創設した相馬黒光もまた芸術家で、相克を生きた女性だった。

今度の長野への 旅の最後に出会ったこの言葉が、不思議なように出会いの余韻と響きあうのを感じていた。

出会いはまさにファンタジーで、わたしたちはしばし日常から遊離して、うさぎとなり、その摩訶不思議な世界に酔っていたけれど、この世を旅するわたしたちは、また厳しい現実の生活へ戻っていかないわけにはいかない。

仕事、借金、病気、エトセトラ、それぞれに生きていく上でのストラグルを抱えている。一見平和に見えても、これほどあやうい命だもの、誰にとってみても日々は綱渡りのようなもの。

けれども、そこにある愛は、わたしたち惨めな人間の生を芸術にしてしまう。そしてわたしたちの生活や心の苦しみもまた美となり得る。
今、この出会いの余韻の中でなら、そのことが受け入れられるような気がする。

流れ流れてゆく人生のうちの僅かな時間をわたしたちは共有した。ほんとうに瞬く間のことだったが、そこには「永遠」が横たわっていた。その「永遠」は時の流れにも色褪せることなく、かえって時が経つほどに色鮮やかな印象となって繰り返し甦ってくるだろう。そして力が必要な時にはそれぞれを力づけることだろう。

これまでのひとつひとつの出会いがそうであったように。




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2003年09月02日(火) 愛するうさぎたち

おおよそ人といわず、動物といわず、すべての生き物の中で愛するという心の動きほど美しいものはないことだろう。
しかしその愛は同じ愛という言葉を持ちながらその質たるや実にピンキリなのだ。
愛と信じて愛ではなく、愛などと思わなかったことが愛であったりもするのだから。

6匹のうさぎたちが 出会った月夜の晩、そこには実に高貴な愛が浮遊していた。
病気がちな乙女うさぎに絶えず心を配り、彼女がころびそうにでもなればがっしりした我が身をそのか細い乙女うさぎの前に投げださんばかりの勢いの若者うさぎ。実にそのうさぎは一番 年若いのであるが、その使命感からか、何にも動じない落ち着きに関しては他のうさぎたちを遥かに凌いでいた。
乙女うさぎはその配慮に富んだ視線の中で嬉々として飛び跳ね、歌い、高く足を上げてポーズを取ったりもするのだった。

夜も更け、年若い二人のうさぎが仲良く帰っていった後、4匹の中年うさぎたちはしみじみと酒を飲む。クイーンの風格を持つうさぎが席を立った時、キングの様子をしたうさぎは 残る2匹のうさぎたちに顔を近づけるとその逞しいごつごつとした顔をまるで少年のように柔らかくして、いきなり、まっすぐな瞳でこう言ったのだ。

「クイーンうさぎって、かわいいでしょう。憎めないでしょう。誰にとっても聖母マリアのようなうさぎなのです。すごいうさぎとぼくはいっしょにいるんだ。ぼくにはもうこのうさぎしかいない...」

のこる2匹のうさぎはお互いに息を飲んで顔を見合わせた。これほどの愛の告白を今だかつて映画や小説の中以外では聞いたことがなかったから。聞いてしまってよかったのかしらと一瞬動きが止まってしまうほどだった。しかしその驚きは類稀な純粋な愛の言葉に触れたことへの感動へと次第に変っていった。

ほどなく、キングうさぎからこよなく愛されているクイーンうさぎが戻ってきた。
のこる2匹のうさぎは新しい目でクイーンうさぎを眺めながら口々にキングうさぎの言葉をクイーンに伝えるのだが、クイーンうさぎの目に映るのはいつものキングうさぎ。さっきの少年の瞳はもう隠れてしまっている。

しかし言葉はそこになくてもクイーンうさぎにはこのキングうさぎの想いがきちんと届いていることだろう。

なぜなら月の光りに照らされて静かに座っている二匹のうさぎの回りには、うっすらとピンク色の光りがあって、それは二匹を包んで、ハートの形を作っていた。




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2003年09月01日(月) うさぎはうたう、うさぎははねる

さて、今回のオフのメインはカラオケだった。うさぎたちがどのように打ち興じて歌ったかそれをお話しよう。

実はカラオケと聞いた時、あたしはちょっとビビッたのだ。

ポポロとのオフの時は礼拝の中でいっしょに讃美歌を歌った。風たちとのオフでは風のピアノに合わせて、みんなでコーラスした。たりたガーデン関係のオフ会は不思議と歌に縁がある。ところがカラオケというのはあまり経験がない。っていうかむしろ苦手。

演歌や歌謡曲が苦手であるばかりかほとんど知らないし、歌える歌を歌うと何か座をしらけさせてしまう。その上、わたしの発声で歌うとマイクはかえってじゃまで音が割れ、いつかなど耳を押さえられてしまったほど。

mGなどは、会社の宴会でどれほど執拗に歌えと言われても断固としてカラオケのマイクを握るのを拒んできたというから、人前でマイクを握るのは今回初めてのことだ。

あたしとmGはせめてみなさんに不快な思いをさせることのいないようにと事前にカラオケボックスへ行き練習をし、mGは歌う歌をエレファントカシマシとaikoに決めて夜な夜なPC相手に練習を積んでいた。あたしはそこまでする余裕がなく、前日になってからせめて以前歌ったことのあるタイタニックのテーマだけでも歌えるようにしておこうと次男に録音を頼み、松本へと向かう車の中でmGのエレファントカシマシとaikoの合間に練習したのだった。

さて、信州健康ランドで一風呂浴びたあたしたちは日常とはえらくかけ離れたおそろいの部屋着に身を包んだ。一層うさぎらしくなって、おかしいねとお互いの格好を笑いあいながら、やっと6人が入れるほどの小さなカラオケルームに陣取った。

「誰から歌う〜」

こういう場合、最初に誰が歌うかというのが案外大切なようだ。そこでカラオケの流れが決まるらしい。みんなが奥ゆかしく譲り合っている。こういう場合、そんならわたしがと名乗りをあげたいところだが、カラオケに慣れていない者がトップバッターを切って、はなから座をしらけさせてしまっては取り返しがつかない。どうやらみんな心の準備に今しばらく時間がかかりそうだ。それならば準備ができるまでのつなぎに、マキュキュのご要望に答えてはるばる埼玉から運んできたギターでなつかしのフォークソングを歌いましょうとばかしに、たりたうさぎがへたくそなギターを爪弾き始める。

♪君は覚えているかしらこの白いブランコ〜(ブランコ〜)

♪町のどこかに〜寂しがり屋がひとり今にも泣きそうにギターを弾いている...

おそろしいことにあさみんじゃ〜は自分が生まれる前のこの歌を歌っている!当然マキュキュも空で覚えている。あさみとたりたの3人でハーモニー付で歌う。
な、な、なつかしい〜〜〜
28歳のぷよ2には見たことも聞いたこともない歌だったに違いない。

さてさて前座が終わって本番。
トップバッターはマキュキュとフゥーリーのデュエット。ばっちり息が合っているしなにしろ雰囲気がある。マキュのハスキーボイスとフゥーリーのうっとりするように甘い声は絶妙なハーモニーを作っていた。

ぷよ2とあさみんじゃーは我々中年が度肝を抜かれるようなアップテンポの和製ラップをよくまあ、舌も噛まずに切れよく、かっこよく歌うこと。思わずフゥーリーが率いる中年のバックコーラス隊が入る。

mGは予定どおりエレファントカシマシとaikoをあさみんじゃーに助けてもらいながら歌った。

あたしは練習していたタイタニックのテーマを歌うともう歌う歌に困ってしまったが、この前施設を訪問した時に歌った森山直太郎の「桜」が歌えることを思い出して歌ったらフゥーリーが「おかあちゃんのもいいんじゃない」という。ひえっ、♪かあさんが夜なべをして手袋編んでくれた〜♪がカラオケにあるのかと思いきやどうやら直太郎の母の森山良子の歌を言ってるらしい。確か紅白歌合戦で森山良子が「さとうきび畑」を歌っていた。あれなら子どもの時歌った覚えがある。

ところが歌い始めたものの5番くらいになると後悔しはじめた。確かこの歌はおそろしく長いのだった。8番くらいまでだろうか、いやまだ続く、10番、いやまだ終わらない。歌う方は別に構わないが聞かされる方は退屈しているに違いないと微妙に葛藤が入りこむ。この歌が17番まであることを知っていたらきっと歌わなかったことだろうが知らなかったから歌ってしまった。

さてこのカラオケの機械は得点とその機械での順位が出るしくみになっている。プラウドリーなことには我々のグループが最高得点を出した。一等賞に輝いたのはあさみんじゃー。ベルサイユのバラのテーマで。この歌があまりにあさみんじゃーにぴったりなのでみんなで感心して聞き入っていたのだった。2月にはミュージカルのステージに立つあさみんじゃーが目に浮かぶ。きっとすばらしい舞台を作るのだろう。

さてさて 楽しい時は飛ぶように過ぎる。この日あさみんじゃーとぷよ2は3時間かけて家まで戻らねばならない。最後にマキュキュが作詞作曲したという「美しく哀しい音色(おと)」という歌を披露してくれる。友人がシンセサイザーで作ってくれたという伴奏をバックに独唱してくれた。シャンソン風のその歌はマキュキュの低い味のある声と歌い方にぴったりで編曲もプロっぽかった。その昔、彼女は自分の経営する居酒屋で客の前に立ってこの歌を歌っていたのだろう。そして彼女の取り巻きの客たちはその歌声にうっとりしていたことだろう。もう一度、そんな店でマキュキュが好きな歌を歌って聞かせることができないものだろうかと思えてならなかった。

この夜、わたしたちは確かにうさぎだった。しっぽだってついていたもの。
それで思いっきりハジケルことだってできたのだ。
わたしはそのしっぽがうれしくてうれしくて踊り出す足を止めることができなかった。




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