たりたの日記
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今日はヨガを教えていただいていたA先生のお宅へ伺う。7年前にヨガを始めて以来のおつきあいだが、ヨガだけでなく先生からは様々なものをいただいてきたような気がする。毎週木曜日の午前中、ヨガをしながらしんとした静かで内面的な時間を過ごしてきた。私はヨガは体力づくりや運動のためよりもむしろ瞑想や気を整えるために通っていた。日曜日の礼拝が聖書や説教また讃美といった言葉を通しての霊的な糧をいただく時だとすると、ヨガはアーサナ(ポーズ)や呼吸法といった体の動きを通じて霊的な感覚を鍛錬する場だったように思う。
A先生が長いこと児童文学の同人誌に童話を発表されていたことをつい先ごろまで知らないでいた。先生がお書きになった「月の子」という童話で「新、北陸児童文学賞」を受賞されたことを知り、はじめて作品を読ませていただいた。その語り口は先生が導かれるヨガのようにすっと自然に心の深い場所へ誘われるものがあった。ああ、先生の世界だなと感じた。
この春から身体の調子を壊され、ヨガの指導は休養されておられ、しばらくお会いしていなかったが、入賞作品に3篇の童話を加え「月の子」という題した本を出版されたというお知らせをくださり、遊びにいらっしゃいませんかとお誘い下さったので今日伺うことをお伝えしていたのだった。
「月の子」は美しい本に仕上げられていた。オレンジ色の細い三日月を背景に美しいグリーンで描かれた少年の顔がある。月の子だ。この表紙のイラストも また本の中の挿絵もご自分で描かれている。その本はどこからどこまで先生の世界だった。自分の世界をこのように形にしていくのはなんとすばらしいことだろう。
本を広げて書き出しの活字を追い始めると声に出して読みたい気持ちが起こり 先生がお勝手でお茶の用意をなさっている間に私は声に出して朗読した。 先生の書斎のガラスの向こうには紅葉した木々や草花があって、私が声に出して読む言葉とそれらとが呼応しているのを感じた。先生の綴られる言葉には、 その背景に木々を揺らす風の音が確かに重なっている。子どもの頃から自分を包んでいた木々や風や草花などの世界から抜けられないのとおっしゃるその意味が私には良く分かる。誰とも共有することのない、共有できない、子どもの頃から馴染み親しんできたひとりだけの世界があるのだ。密やかで豊かな孤独。
わたしもいつかわたしの世界を形にしたいと思いますと言うと先生はいつもの にこやかな顔で頷かれた。
私がエクソサイズに励み、歌や芝居にストラグルしていることはいくら「がんばっている」と自分に言い聞かせたところで客観的に見ればずいぶんお気軽に自分の人生を楽しんでいることになるのだろう。このことに関しては言い訳ができない。
ところで、私は受験生の母のはず、どうして「何も手が付かない」という状態に陥っていないのだろう。子ども達の高校受験を2回、大学受験を1回経験している。その時のことを振り返ると、いつも頭はそのことに支配され、本人達以上に心配し、とても自分のやりたいことに集中することなどできなかったような気がする。あの胃の痛むような緊張の日々・・・。しかし、最後の(そうであってほしいが)受験を控えている今、その緊張がとんでしまっている。
それは、我が家の受験生が自分で自分の心配をし、自力で準備しているからなのだろう。次男はいわゆるガリ勉タイプではない。こちらの心配をよそに高校3年の夏までバスケットボール一筋だった。目一杯運動して帰ってくるので勉強どころではなく、家では寝るだけという生活を続けた。悩みも勉強や女の子のことではなくもっぱら、バスケットボールのことだった。これほど部活一辺倒の生活をしていて、引退したらどうなるのだろうとその後の生活が予想できないほどだったが、彼はうまい具合にバスケットにかける情熱と努力を勉強の方へ向けたようだ。今までやってこなかった分、勉強がおもしろく新鮮に感じられるようで、傍から見ても、青息吐息の受験生といった感じではなくスポーツ選手がトレーニングに励むような感覚でエネルギーが漲っている。去年の競歩大会では全校で3位に入賞した。根性と持久力は持っているようだから、エネルギーを向けるターゲットは違っても、自分の力を有効に使っていくことはできるのだろう。
彼の通う高校は私服で、彼がムカツク規則がないことも彼にとってはラッキーだった。もし規則でがんじがらめの高校であれば、兄がそうであったように、彼もそこの規則や管理に抵抗することに彼の膨大なエネルギーを消費したに違いない。
今日もすそが破れてびりびりになったカーキ色のズボンをはき、本や参考書で膨れたバックパックをかついで出ていった。学校まで片道40分を自転車で通学している。放課後は自習室で9時まで勉強して帰宅は10時前。 「まだまだ本気出してないからね。12月から力出すんだ。見てて、恐ろしいものがあると思うよ」出かける前に彼が残した言葉にしばし呆然となった。 私はこれから始まるという「恐ろしい」時期にどういう受験生の母をやればいいだろうか。
昨日の夜、連れ合いとジョッギンクをし、40分近く走った。これまで10分も続けて走ることはできなかったので、子ども達が小学生の頃など、わたしはついてこれないからといっておいてけぼりを喰らっていた。そんなわたしだったのに、連れ合いと肩を並べペースも落とさず6キロほどを割りと楽に走った。家に戻ってきても息は切れておらず、まだ走れそうな気がした。夫は少し息を切らしていて、「負けたよ。長距離の素質あるかもしれないよ」という。 4月からの運動が実を結んでいるとなんだかうれしく、自信が湧いてくる気がした。
しかし、今日は昨日の得意気な気持ちや自信がすっかりすっとんでしまった。 ミュージカルの練習の通しをした。歌も台詞も私なりに練習をしたのだったがだめだった。ダンスや運動で姿勢や体の動きはそれほど悪くないと思っていたが、猫背になっている、上半身と下半身との動きが繋がっていないという指摘を受ける。また私の演技そのものが固い、力が入っているということも。前かがみになる動きも、力が入ってしまうのも、その役になんとか入ろうと一生懸命にやっているからなのだと思うのだが、それがだめらしい。語りや朗読であれば力を抜くことやリラックスした中での表現が大切だということは分るし余分な力を抜いてその話や文章に身をゆだねることができる。しかし、演技となるとさっぱりそこのところが分らない。コミカルな演技であれば可能な気がするが、苦痛や不安、驚きなどの表現するママの役をいったいどのように力を抜いてやればいいのか見当がつかないのだ。これは練習とかといった問題ではないのだろう。私は演技は向かないのではないだろうかと今日はすっかり凹んでしまった。
2002年11月23日(土) |
ネイティブアメリカンの「祈りの歌」 |
HPのお知らせ板でてんさんがお知らせくださった写真展「チベット・妙なる大地」へ行く。この写真の感想やこの日のことはまたここへ戻ってきてゆっくり書くことにしよう。
今日はこの日の夜、てんさんがメールで送ってくださったひとつの詩を書き留めておきたい。
祈りの歌 Prayer Song
グレートスピリットよ ヴィジョンを授けてください
秘密を教えてください 私の目がひらくように。 慈しみの心で胸を満たしてください 敵を愛せるほどの――。
いのちの風が四方へ吹いていく。 聖なる水が海へと流れる。 鷲は舞う、山々と同じ高みを――。 ああグレートスピリットよ、私たちを自由のままに。 Red Thunder, Makoce Wakan
2002年11月22日(金) |
命のみなもとへの帰還 |
今朝、何の変哲もない日常がふいに変化した。 神がどれほどの思いを持ってひとりひとりの人間の魂を命のみなもとへと回帰させたがっているのかその思いの強さに一瞬の内に触れたような気がした。 そうしてわたしたち人間も魂の奥深いところで神への回帰を切望していることを思った。 その相互の思いがまじかに接触する時、神と人との間の通路が開く。 ひとつの奇跡のようにそれは唐突に起こる。
人は気がつかないうちにどれほど孤独と虚無の中に自分を閉じ込めていることだろう。苦悩を別の喜びや楽しさで埋める業を身に付け、飢えていることさえ気がつかないで日々を送る。でも、どこかでサインを送っているのだ。声を殺した叫びにも似たサインを。神はそのサインを見逃すことはしない。様々な出会いや出来事を通して、一歩、一歩、回復への道を、草に覆われ見えなくなってしまった道を整えていくのだ。そうしてある日、道が通る。愛や感謝や命に溢れる魂のふるさとへの帰還。その時人は決して独りで荒野をさまよう孤児ではなく、愛される者としてかけがえのない命をいただいた神の子どもであることを思い出す。
イエスは神から離れていった人間の魂を取り戻すために父である神から地上に使わされた。40日の間荒野をさまよいながら悪魔の誘惑を受け、愛した多くの人々から裏切られ、弟子達からも見捨てられ、十字架に付けられた時には「神よなぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ぶほどに徹底的に孤独の中に落とし込まれた。しかしこのことはイエスは神から離れた人間の孤独を心底共有したことを意味する。私達はそのイエスの苦悩の故にイエスを友と感じることができる。イエスの流す血によって溶かされてゆくことができる。神から愛されているのだとほんとうに知ることができる。
この日、この時を心に刻んでおこうと思う。
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 ・・・・・・・・ 神のなされることは皆その時にかなって美しい。」 伝道の書 3章
夕べの教会での勉強会は主の祈りの最後の部分だった。
「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」
ルターは自分に働きかけてくる悪魔の力に敏感になるように、そのことのための祈りを勧めているが、彼自身実際悪魔と激しく闘った人のようだ。自分の背後に悪魔の気配を感じてインク壷を投げつけたという逸話が残っている。
神に近づこうとすればするほど、悪魔はその人間に激しく挑んでくると聞く。 その時、何とか悪魔の力を退けたと思っても次の瞬間、悪魔は別の方向からのアプローチを試みる。様々な顔をして、様々な機会を捉え、私たちをかき回そうとする。
人も他人も生き生きとすばらしい愛の中で祝福されて生きていると、この世界をとても肯定的に感じているそのさ中に、人に対する疑いやネガティブな憤りに捉えられることがある。その人の良い面だと感じていたことが不誠実に感じられたり自分を苦しめることのように考えが回りはじめる。一旦、そのサイクルの中に投げ込まれると非常な速度で落ち込んでいく。生きることが自分の命さえもが疎ましく感じてしまうほどの虚無の中に突き落とされる。あたかも悪魔が幸福な精神の状態に嫉妬して神と人から私を引き離そうとするかのような状況に見舞われる。
あるとき、自分では陥りたくない虚無の中に引きずり込まれるのを感じて、 「悪魔よ私から離れろ、おまえの魂胆を私は知っている」と声に出して叫んだことがあった。自分でもどきりとするような鋭い声と言葉とが私の内から出てきた。 不思議な話だが、その声を発すると同時に掴まれていたものから放たれ、すっと引き上げられるのを感じた。
ダウンしている。否定的な気分に捉えられている。今朝、私はそれを悪魔の挑戦だと受け取った。悪魔はしきりにささやく「人は信じるに足るものではない」「おまえは軽んじられている」「友情なんてまやかし」、、、、。 私は今日、このささやきに耳を貸さない。
「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」
今月は毎週火曜日の午前中、英語学校の仕事の前に、ミュージカルの歌のレッスンをしている。教会の礼拝堂で、ソロを歌う方に発声や個別の指導をする。 礼拝堂は声が響くのか歌うと気持ちがいいので、私も時々、ここで練習をしている。
昨日は不思議な老人役のIさんと、犬のゴダイゴ役のHさん、2人の男性がいらした。二人ともバリトンとバスのよく響く声を持っていらっしゃる。声楽をやっていらしたわけではないから、歌い方に演歌風の癖や、個人の癖がついてしまっていて、どうしてもストレートな表現が弱くなってしまうので、レッスンの中心は癖を取ることと、シンコペーションなどの、ポピュラーのリズムを歌えるようにすることになる。それぞれの持っている楽器としての声が美しく響き、自然な歌い方に変っていくと嬉しいものがある。
今日はいつもの味気ない発声練習の代わりに讃美歌のクリスマスの歌「あらののはてに」を用いてみた。繰り返しのグロリア・インエクセルシスデオ(「いと高きところには栄光、神にあれ」という意味のラテン語)の部分はスケールになっているので発声練習にはもってこいと思ったのだ。予想通り、のびのびとした美しい声が出てきた。それに楽しい。しばらく繰り返し主旋律を様々な母音で歌った後、コーラスにしてみる。私がアルトのパートを歌い二人に主旋律を歌ってもらう。さらに、Iさんにバスのパート、Hさんにテノールのパートを練習してもらって3部で合わせる。思いがけなく美しい合唱になる。アメリカにいる時はクワイアに入っていたので毎週2時間ほどの練習に参加していたが、今では讃美歌をハーモニーをつけて歌うこともなくなっていた。やはり讃美歌はハーモニーをつけて歌うと美しいし、胸に響くものがある。IさんもHさんも、讃美歌は歌いやすいですねえとまんざらでもなさそうだった。
「聖歌隊やりませんか」と半分冗談のように持ち掛けると、いいですよとおっしゃる。讃美歌を4部合唱で歌うクワイアを作ってもいいなという気になった。教会の方々にも呼びかけるが教会の外の方で歌を歌ったことのない方、ハーモニーをつけて歌いたいと思っている方が集まって讃美歌を歌うグループができたら素敵だろう。
またオーソドックスな讃美歌の合唱とは別に何とかゴスペルを歌えるようになりたいとしきりに思っている。最近ゴスペルの形だけが流行しているが、そもそもゴスペルソングは福音の歌。神に向けて歌われる信仰の歌だ。ここの英語学校のクラスの一つにゴスペルのクラスが作れるといいと前から考えていた。先週の日曜日、ミュージカルの曲の作曲をしてくださった平岩先生の監督しているミュージカルの公演を見に行ったが、ゴスペルが中心のミュージカルだったので、すっかりゴスペルをやりたくなってしまった。勉強する道を見つけよう。
来年、新しく始めることが2つは決まったかな。
2002年11月19日(火) |
イギリスの古いキャロル |
寒い、冬らしい朝。 少し早いが、今朝はクリスマスの音楽を聴きたくなった。 「イギリスの古いキャロル」をかける。 もの悲しい、哀愁をおびた旋律、物憂いソプラノ、リュートやリコーダーの木 の香りのしてくるこの静かなクリスマスの音楽をわたしはことのほか好きだ。
クリスマスを待つアドベント(待降節)が1年の中でも一番好きな季節かもしれない。心は深く深く内へと向かい、次第に澄み切ってゆく、そういうアドベントの時期を過ごしたいと思う。
ここ数年忘れていたが、夕方にはろうそくをともすことにしよう。すっかり暮れてしまうまでの時間、電気の明かりをつけずにキャロルを聴きながらキャンドルの光の中で過ごすのだ。
2002年11月17日(日) |
日の当たる心地よい草地で |
夢の中で確かに私は消えてゆく道を見つめており、こころから流失するものは夢から醒めた後も延々と続いたのではあるが、今わたしはその時の気分を遥か昔の出来事のようにしか思い出せない。
あの時を境に何かシフトが変わったようだ。もう鬱々としたところに閉じ込められることはないような気がする。
消えた道の後にバンとした野原が現れた。日の当たる心地よい草地。柔らかな陽の光と戯れながら懐かしい子どもの頃の時間を思いだす。なんだかわけのわからない愉快な気持ち。行く先を知らないで迷いこんだ道が行き着つく先はここだったのだ。
現実に進む時計の時間。寝て起きて生活をする現実の空間。それとは別のところで人はは別の時空を生きることがある。しっかりと大地に足を付けながらも心はさまよい出し、旅に出て、傷ついたり、癒されたり、また失ったり得たりしながらやがては戻ってくるのだ。
日の当たる心地よい草地で聞こえる音にしばらく耳を傾けてみよう。次に歩きはじめる道のヒントが見つかるかもしれない。
あるとき道は現れた 目の前に開けた道をわたしはおそるおそる歩き始めた 美しい花が咲いていたり心地よい小川のせせらぎが聞こえてくる 歩いたことのない道を歩きながら 知らない自分にも出会っていく 道はいつの間にかごろごろした石ころだらけになり つまずいてころんではすりむいたひざに血が滲む それでも道は前に続いているから歩いていく もっときれいな花が咲いているかもしれない 美しい草原へ誘われるのかもしれない その道の向こうに何があるのか知らないままに
しかしその道へ深く入っていくほどに現実の世界の音が遠ざかっていく ひとりで、たったひとりでこんなに遠くまで来てしまった いったい花や小川はそこにあったのだろうか あれは幻想ではなかったのか 気がついてみると切り立った崖の上を歩いている ここを踏み外してしまえばもう元の世界へ戻ることはできない 孤独と恐怖とで緊張が極度に高まった時 パンと何かが割れる音がした。 見るとわたしのこころが破れている その破れ目から後から後から血が流れ出す いつの間にか崖は消えてしまい わたしは呆然と血の海の中にいる なすすべもなく 血を流しているのはわたしのこころなのに 体中の力が抜けていく 気が付くと歩いてきたはずの道が すこしづつ消えていっている この血がすっかり流れ出してしまうとき この道が消えてしまうのだということが分った
わたしはこの道が好きだった いつまでも歩いていたいと思っていた すばらしい場所へ繋がると信じていた でも、もう道は消えていく こころの破れ口を自分の力で合わせることはできない 「誰か来て、助けて」 わたしは夢の中で叫ぶ 誰にもその声は届かない そもそも誰もいない場所をわたしはひとりで歩いていたのだから
夜中、自分の叫び声で目を覚ます 夢から醒めても血はまだ流れ続けていた
人はいったい何に対してこのように激しく闘いを挑んでいるのだろうか。いえ挑んでいるのではなく、抗しているのだ。切り立つ岩の上を最大に神経を集中させ、谷底へ落ちるまいとしている姿が見えてくる。
確か去年のどこかの日記に私は悪魔のことについて問はれ、それについて書いていると思い探してみた。去年の10月22日に書いていた。どのようなことを書いているか忘れてしまっていたが、読み返してはっとするものがある。 私自身のためにもう一度ここに書いておきたい。
掲示板にMさんから悪魔についての問いかけがあったので日記の中で書いてみようと思います。 悪魔学の本を見かけたことがありますし、研究もされているのようですね。聖書の中にも悪魔は登場してきます。 基本的に宗教や宗派によって、何が悪魔かが違ってきますよね。神もそうですが、原理イスラム主義の人にとっては、他の宗教は悪魔とみなされるわけですから、クリスチャンや仏教徒が悪魔になってしまうんですものね。 宗教や宗派で言われている神や悪魔の概念から一旦離れて、私の感覚で悪魔を語らせていただきたいと思います。けれども、私の場合、やはりキリスト教の世界の中で、聖書などを通じて得た悪魔観だとは思います。ただそれが神学的に正しいものとか、キリスト教の教義にかなっているかは分りません。あくまでも私の主観です。
イエスが伝道を開始する前に荒野で40日間、断食をした際に悪魔はイエスを誘惑すべく、さまざまな方向からアプローチをしますがイエスは悪魔に屈することがなかったという記述がありますが、その箇所から、悪魔がどのようなアプローチで人を神から引き離し、我がものとしていくかを知るてがかりになると思います。今度時間がある時にこの聖書の箇所を調べ考察してみたいと思いますが、今日は私が思っていることだけから書いてみます。
まず悪魔というのは聖なるものと敵対するもの、聖なるものを忌み嫌うものだと思っています。また神が生きて働かれるように、悪魔も生きて働いていると思います。人間の中には聖なるものもあれば、それと敵対する悪魔的なものも存在すると思っています。ですが、神が自分の姿に似せて人間を創ったのだから、神の中にも悪魔的なものが存在ししているという掲示板に書かれてあったkさんの考えには同意しかねます。聖書の創世記の初めに象徴的に書かれていますが、神は初めは人間のなかには罪、つまり悪魔的なものがない状態で創られたのだが、後に神に敵対する悪魔が(蛇という象徴を取っていますが)人間に働きかけ、人間はその働きかけを受け入れ潜在的な罪を持ってしまいました。ここで人間は聖なる神とは顔を合わせることも出来ない者となって楽園から出ていきます。しかし、神はイエスという全く罪のない、悪魔的なものの支配が及ばない自分の分身を、人間の歴史の中に投げ込み、人間が持っていた罪が赦されるチャンスを与えてくれました。それは、イエスを知ることで、何が神から来るもので、何が悪魔から来るものか、私たちが見極めることできるようにしてくださったということ。さらに、そのイエス故に、その悪魔的なものをかかえたままでその存在を許していただけるということ。なぜなら、その人間のなかに繰り返し起ってくる悪魔的なものを、十字架で流したイエスの血が繰り返し清めるから。
ではもうクリスチャンになれば、悪魔と縁が切れるかといえばそんなことはなく、悪魔はよけいに強い働きかけをしてくると思うのです。だから大切なのは自分の悪魔的な部分を認識することだろうと思います。悪魔は巧妙に、人間の中に存在する悪魔的な部分を利用するのですから。悪魔の目的は人間を神から、聖なるものから遠ざけることにあるんですから。 悪魔の働きを思い浮かべる時、まず思い浮ぶのはヒットラーです。悪魔は完全に彼を支配し、彼の才能や機会を有効に悪魔の目的のために用いたのだという気がします。彼を支持した当時のドイツ国民も悪魔の支配下に入れられてしまったといってもよいのではないでしょうか。誰もそうとは気がつかないうちに、神を語る場である教会でさえ悪魔の巣窟になり、そこに集う神の子であるはずの人間が悪魔の弟子に変えられることだって起こりうる。ナチスを許したドイツの教会がこのことに深く心を止め、そこから立ち直ろうとしていることを読んだことがあります。日本の教会やキリスト者も戦時中、あくまで軍部に反対し、投獄された人は少数で、多くは天皇を神とする流れに従いました。オウム真理教はどうでしょう。初めは聖なるところから出発したものが、悪魔からみごと乗っ取られて、言うなりに動かされてしまい、あのように卑劣なことをなす集団に変えられてしまったのでえはないでしょうか。
全く悪魔の手口は巧妙です。けっしてそれとは分らないように本来聖なる場所とみなが認める場所や正しいと誰もが信じる人をまず取り込もうとしているような気がします。また、人の成功や幸福も利用します。自分は正しい、これは間違いないと思う時、同時に悪魔も働きかけを開始するような気がしてなりません。悪魔から見入られないためには自分は神の前で徹底して無力であるといことをまず正しく認識すること、そして、自分に与えられている機会やチャンスは自分が優れているからではなく、神から預かっているものという認識を持つことだと考えています。誇るものは主を誇れとい聖書の言葉がありますが、これはことさら謙虚にふるまうというのではなく、自分の力や恵みを正しく知り、しかし、そのことで我と我が身を誇るのではなく、それを与えられたことの意味を知り、その持ち物を正しく用いるということだと思います。態度や物腰を謙虚にしても神を認めないという傲慢さを悪魔は見抜き、それを利用するように思えてなりません。
悪魔に今勝っていたとしても、次ぎの瞬間、悪魔の側に寝返ってしまうのが人間なので、悪魔との闘いは気をゆるめることができません。私たちはいつも死に引き渡されているように、いつも悪魔に引き渡されているのだと思います。 祈りは神との対話ですが、祈りはまた悪魔を拒む行為だと思います。祈る人に悪魔は取り入ることはできないのではないでしょうか。 悪魔のことはこれを機会にもっと深めていきたいと思います。私自信にとって、とても大切なテーマであることに書いていて気がつきました。
昨日庭の植え込みをするのに、去年はどんな具合だったのか11月の日記を読み返してみたことがきっかけでその前後の日記を読み返してみた。こうやって毎日ように書きなぐっているとどんなトピックで書いたかくらいは記憶していても、書いた内容どころか、記録してある事柄の記憶さえすっかり忘れてしまっている。例えば去年の暮れの大掃除の真っ最中に私の不注意から掃除機を壊してしまったということは覚えているがその掃除機にヒーリングをしたら直ったなんていうことは記憶からすっかり落ちていた。それだから自分の日記なのに、へえこんなこと書いている、こんなことしたんだなどと驚いたり感心したりした。
去年の12月5日の日記のタイトルは「ダイエットその後」として4ヶ月のダイエットで目標の体重が5キロ減までは漕ぎつけたがこれ以上は運動しなければ無理だろうと書いている。また自分の運動嫌いを嘆いて、「この運動嫌いが治れば人生変るだろう」などと書いている。この時には今のように週に4日5日とジムに通い、駅から家まで走って帰るなんていう自分を想像してみることすらできなかった。運動だけではない。去年の私が考えなかったことを考え、しなかったことをしている。同時に去年していたことをぱったりと止め、去年頭の中をいっぱいにしていたことは今その影すら見あたらない。
今年はひとつの変り目の季節だったのだろう。しかしそれもけっしてひとつところには留まってはいない。何かがまた変化しつつある、そんな兆しも感じている。去年の私が1年後の私を想像できなかったように今の私はこれからの私の変化を知ることはできない。そういった内側からの変化はある意味自分のあずかり知らぬところで起きるからだ。出会いもまた別れも自分が作り出すものではなく向こうからやってくるのだし、自分がこちらへ行きたいと思ってもけっして事柄はそうはすすまない。けれどもそういうひとつひとつの事柄の中に上なる方の意図があるのだろうと思う。 すべてのことには時がある。
今日ようやく恒例の春の庭のための植え込みをした。11月に入ってからチューリップの球根やパンジーの植え込みのことが気にかかっていた。日記を紐解いてみると去年は11月1日に植え込みをしている。今年は植え込みどころか庭の植物をゆっくり眺める時間もないので庭は夏のなごりのメドウセージやチェリーセージ、そしてゼラニウムといったハーブたちだけでなんとも殺風景な庭だ。時間がないというのは正しくない。植物に気が回らなかったのだ。心も体も他のことでいっぱいだったから。
今日はどんなに寒くても植え込みをしよう決めていたので、寒空の中、まずはチューリップといっしょに植え込みをするパンジーやビオラの苗を買いに自転車を走らせる。いかにも雨が落ちてきそうな天気。ゆっくり花を物色している場合ではなさそうだ。1ケースにさまざまなパンジーやアリッサムなどが20株取り混ぜて詰めてあるものが980円。これはお買い得。セットには入っていないビオラとノースポールとワイヤープランツを数株づつ求め、自転車の前と後ろのかごにぎっしり、ハンドルにも苗の入ったふくろをぶらさげ重さでバランスが上手く取れない自転車をえっちらおっちらこいでなんとか無事買出し終了。
次は古い土をプランターから出して新しい土を入れたり、古い土に土改良剤を加えたりししながら土の用意をする。ほんとうは消毒も兼ねて石灰を入れたいところだが、そうすると植え込みまで数日待たなければならないので、このまま植え込むことにする。肥料は根が張ってきてから様子を見て入れていけばよい。午後からは雨だということだったが、幸い雨は降らずしかも午前中よりいくぶん暖かく良いガーデニング日和となった。夕方まで一日がかりの大仕事だが、今日のこの一日のお陰で秋から春の終わりまでこれらの花を楽しむことができる。幸いな一日だった。
さて、今午後8時。これからジムへ行くので日記はひとまずここでやめておこう。
2002年11月07日(木) |
心がふつふつとしている朝 |
なぜだろうな。特別な理由があるわけじゃない。 それなのに、心がなんだかふつふつとしている。 仕事がないからかなぁ。一日ジムで過ごせるからかなぁ。 今日はラテンとファンクのクラスを取る予定。 だんだん寒くなって自転車で風を切るのもつらくなってくるが さて、でかけよう。
体重は去年の夏より10キロ減。 体脂肪は今年の四月より6パーセント減で23パーセント。ちなみにこれは 30代前半の標準値。 腕立て伏せ20回、腹筋30回。ジムに通う前は一度もできなかった。 昨日は仕事の帰り、駅から我が家まで徒歩10分の道を歩かずに走った。 これまでまったく無頓着だった体づくりにあまりにフォーカスするわたしを見て、連れ合いがぼそりと言う。 「そんな、体で張り合うんじゃなく、もっと別のことで勝負すれば」
彼は最近あごのとがってきたわたしの顔がご不満のもようで、あの手この手でわたしに食べさせようとする。これはいくぶんやっかみもあるかもしれない。 夜中にジムから帰る車の中でこう言うのだ。 「ハーゲンダッツのチョコレートバー買ってあげようか?」 そんなおそろしいこと言わないで!しかし2回に1回は誘惑に負けている。
「こんなおいしい温泉饅頭食べたことないね」と、ふたつだけ包んでもらったほわほわと湯気の立つ温泉饅頭を店先に止めた車に乗り込むやほおばりながら 夫とわたしは甚く感激した。甘いものはあまり口にしない彼がおいしいというのだからやはりこれは特別な饅頭に違いない。
この店のことは知らなかった。たまたまベルツの湯の近くにえらく人の出入りが多い饅頭屋が目に止まったので入ったまでだった。店の奥が大きな厨房になっていて大量の温泉饅頭が作られていることが一目で分る。売り場のカウンターの後ろの棚には饅頭の箱がぎっしりと詰まっている。このおびただしい量の箱が一両日にははけてしまうのだろう。客はひっきりなしに続いていた。また店員のおばさんたちの自信に満ちた物腰。食べないまでも、なみなみならぬものが伝わってきた。
見るとどの客もお土産用の包みとは別に手に2つとか3つとか湯気の立つ饅頭を手にしている。中には店先で食べている人もいる。わたしも真似をして2つをバラで下さいと申し出た。すると店の人は店頭に並べてあるものではなくわざわざ厨房へ行き、まだ包装もしていない熱々の饅頭を2つセロファン紙の上に載せてくれた。なるほど、それで湯気が立ちのぼり饅頭をみんな手にしていたわけだ。 饅頭の皮はことの他やわらかく口の中に黒砂糖の豊かな風味が広がる。この手の炭酸饅頭にありがちな苦味が少しもない。あんはいかにも豆を煮てつぶしたといった素朴な味わいで添加物がいっさい使われていないことが良く分かった。ダイエット中の身の上、思う存分食べるというわけにもいかないが心まで豊かにしてくれるこの饅頭の存在を知ったことはラッキーだった。今度は温泉や紅葉よりもこの饅頭の魅力に惹かれて伊香保をドライブの行き先に決めるような気がする。 花よりだんごならず、紅葉より饅頭。 テーブルの上に3つ残ったお饅頭。こんな夜更けに食べてはいけない。さて、手が伸びないうちに寝てしまおう。
2002年11月04日(月) |
林の中の温泉 ベルツの湯 |
このところ夫の仕事が忙しく、わたしもジムだのミュージカルだのとうつつをぬかす日々、しばらくいっしょにでかける機会がなかったが、今日は急に思い立ってどこかへ出かけようと話がまとまった。行き先は紅葉の美しいところで温泉がある場所。伊香保に狙いをつける。ゴージャスな秋晴れ、車内に差し込む陽射しは熱く日よけが必要なほどだった。
ところが美しい紅葉の中を走り榛名湖のほとりまで来たところやけに寒い。太陽は出ているのに風の中には粉雪が混じっている。ロープウエイで榛名富士まで登ると頂上にいたしばらくの間は風が止んでいたものの、帰りのロープウエイは窓からの景色が白くかすむほど雪が吹きすさんでいた。薄いジャケットしか着ていなかったわたしたちは凍えながら車へ飛び込む。しかしこのくらい体が冷えると温泉に入る前からその温かさを思ってうっとりとなる。すぐにベツルの湯へと向かった。
ベルツの湯には6年前に来て以来、また来たいと思っていた。露天風呂は林に囲まれていて、森林浴をしながら温泉に浸かることができる。しかもお湯はかなりぬるめなので何時間でも入っていられるほどだ。最近は設備の良い日帰り温泉がいくつもあり、そういうところと比べればここは入浴料が高い割りには設備が良くないのだが、それでも他の温泉にはない魅力がある。それはこの施設全体に落ち着いた欧州の赴きがあるからだ。
「金太夫ベルツの湯」は別名「伊香保バーデハウス」(ドイツ語で温泉入浴館の意)と言われ、ドイツ人医師ベルツ博士の指導で作られたもので、各種の浴槽があって、楽しみながら温泉を医学的に利用して、健康づくりに役立たせることが出来る、と説明されている。日本の温泉のイメージとはまた違ったドイツ人の感覚がこの温泉の中に今だに生きているというわけだ。
露天風呂も林も以前来たときのまま、静かで物思いにふけるにはもってこいの空間だった。音楽はずっとモーツアルトの室内楽が流れていてファゴットの奏でるちょっと物寂しげな響きが紅葉した木々の姿に呼応していた。豊かな2時間ほどの時間をそれぞれに過ごし、帰りには蒸かしたてのおいしい温泉まんじゅうを子ども達へのおみやげに買って帰路へ着いた。
いよいよ11月になった。ゆっくりと秋を味わわないうちに10月のカレンダーをめくることになる。確か去年も10月のカレンダーをめくってあと2枚になってしまったカレンダーになにかこころもとない気持ちをいだいた。あれからもう1年が過ぎたのだ。11月から12月にかけてほんとうにばたばたと忙しくなる。心して先に先に計画を立てていかなければならない。
今日は英語学校の児童英検の日。9時過ぎに英語学校へ行くとKさんと手伝いをお願いしたTさんがすでに準備を始めていた。9時半集合なのに、私の受け持ちの6年生がふたりこない。なんだか嫌な予感がして電話をしてみると、二人とも3日だと勘違いしていた。幸いすぐに来れる状況だったので二人が来るのを待って説明を始め、なんとか試験は予定通り10時に始めることができた。それにしても確認の電話をしようと思いながらも、しっかりしている子たちのこと大丈夫だろうとチェックを怠っていたのだ。そういう仕事への甘さがどこかにある。仕事がプライオリティーになっていないのだ。これはまずい。まずは仕事に必要なエネルギーと時間と心配りをしてから他のことにエネルギーを向けるのでなければと反省。
テストは11時前にはすべて終わったのでその足でミュージカルの練習会場のお代々木の青少年センターに向かう。早めに会場に着いたので外のベンチで紅葉した木々を眺めながら持ってきたおにぎりの昼食を取る。その公園のようになった広場はさまざまなグループでにぎわっていた。それぞれに休日を利用したいくつもの活動があるのだろう。
今日はいっしょに発声練習と歌の練習をした後、2部屋に分かれての練習となる。わたしは猫役、犬役、たける役の人たちといっしょに振り付けのIさんから踊りの練習をつけていただく。その後、歌のことで演出のマオさんとさくら役がぬけた後の歌をどうするかについて話をする。ソロで歌うということ、しかもその歌の中で訴えたいことを十分に伝え、歌の力で観客をひっぱっていくことはかなり経験のある人でも難しいと思う。それがもともと二人で交互に歌うことで変化を持たせて作られた歌を1人で歌う場合、どんなに上手に歌ったとしても退屈になってしまう。このシーンを退屈にしないためには多少不自然が生じても、別の役とのディユエットにするなり、バックにコーラスを入れるなり、あるいは編曲を変えるなりの工夫が必須という気がしたのでそのことをマオさんに伝える。この次の練習までにたける役とひかり役が個別練習に私のところに来てくれることになっているので歌の練習をし、またこの歌のシーンが良いものになるように考えてみたい。
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