サーモンピンク・フラミンゴ
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2010年11月16日(火) 細かい内容はさておき、私こういうものです という現象:後編

前回からの続き、「6年生になってからの女子のボスがヤったアレは、今でいう『いじめ』だったんではないかしら」とゆーお話から、また長々と語らせていただきます。


その子は転校生で、確か5年の終わり頃に転入してきたのですが、6年になってからメキメキと頭角をあらわし始め、「影のボス」としてクラスに君臨しておりました。
とても派手できれいな顔立ちをした子で、背も高くて胸もすごく大きくて。
胸なんて関係ねえだろ、と思われるかもしれませんが、小学校高学年て、体ができあがっている女の子って、リーダー格になりやすかったりしませんか。
無言の説得力があるんですよ。
その子はさらに、なんだか無駄に色気のある娘でした。

で、よくあることですが、その子がひとこと
「今日から○○ちゃんをみんなで無視ね」
と言えば、皆がそれに従いましてね。

ワタシは正義感がやたら強い子どもだったので(あの頃のワタシはどこへいったのかしら…)、それには参加しなかったんですが。

2人目のターゲットになってから、ワタシ、おかーさんに「こういうことが起きているんだけど」と話してみたんですよ。
まあ、母親として言うべきことはひとつですぁーな。
「じょりぃは加担しないように」と。

見ていて、仲間はずれにされてる子のやるせなさったらないんですよね。
昨日まで仲良くしてた子も口きいてくれないんですからね、急に。
最初にやられた子はびっくりしたと思いますですよ。何が起こったのかわからなかったに違いない。
ターゲットは、ホントにN田(ボスの少女です)の気まぐれで決まっちゃいますからね。
何人か目になれば、「ああ、今はあたしなんだな」ってわかるので、いくらか無視される子の気持ちも違ってくるのですが、
それでもやっぱり「ぽつーーーん」はさびしい。
ましてやまだ6年生ですからね。

ワタシは加担しないだけでなく、クラス委員気質も手伝って積極的にターゲットに話しかけてたりしたんですが。
それに、N田とは一緒にバスケやってるし仲良かったしということで、N田のやり口に従わなくても「自分はターゲットにならない」という自信があったんです。

男子のときも「ワタシなら大丈夫」という根拠のない自信に満ちあふれていたワタシ。
ということは、この場合もどうなったかお察しいただけると思うんですが。

N田も辛抱強く、自分に従わないワタシとも仲良くしていたんですが。
ある日、まーたワタシがねー、根拠のない自信に満ちあふれていたせいで、つい言った。

「N田ー、もうこういうのやめない? 自分がされたらイヤじゃない?」


翌日から、ターゲットはワタシに(°▽°)あらま!


まあ、順番だし、ワタシ、気にしないもんね。
と思ってはいたものの。

これはですね、男子にボコられたときよりも、精神的にキツかったです。
N田のことは「あーゆー子だから」とあまり気にならなかったんですが、ターゲットになったときにワタシが話しかけていた子たちも、やっぱりワタシと口きいてくれなくなりましてね。
今なら「まあ、そうだろな」って思えますが、当時はホントにしょんぼりしちゃいましてね。
もしかしたら、自分がターゲットになったときに、何か変わるんじゃないかって期待していたんですよ。
あまり美しくない心情を率直に申し上げれば、「あのときの恩、返してもらえるんじゃね?」って思っていたと。

だけどやっぱりぽつーーーん。
放課後、ミニバス行ってもぽつーーーん。

やー、こたえたこたえた。
同じクラスにいたハトコも口きいてくれないんだもん。おめー、根に持つぞ!

んで、親に「さびしいし、ワタシ、思ってたよりみんなに好かれてなかったみたい」っつって、しくしく泣いたわけですよ。

母は「そのうち元に戻るから」ということと
「お父さんとお母さんは味方なんだから、いいじゃない」ということを言いまして。

そりゃあそうだろうけどさー、モンダイは学校にいるときだしー、とかぐずぐず言いましたら

「N田は、両親が味方してくれないんじゃないかな。N田はさびしくて、怖いんだよ。だから人を威嚇して自分の身を守るんだよ」と。

狭いコミュニティですからね。なんか、N田の家庭事情とか、母親は知っていたらしく。
たまに顔にアザつくって登校していた N田。
とーちゃんが乱暴者だったらしいんですな。
もちろん、親に暴力を受けていてもN田みたいにその不満をクラスメイトに反映する子になるとは限りません。
当時は「だから何?」と思ったワタシでしたが、今となってみれば「N田も被害者である」ということは理解できます。という話です。

でまあ、そのうち通りすがりに「じょりぃ、ごめん」なんて、こそっと耳打ちする子がちらほら出てきたりして。
それだけでも、ものすごーーーーーく心情的に違うもんなんですね。
ワタシ、嫌われてるわけじゃないんだ、って思えましたし。
無視が続いてくると、「もしかしたら、自分で気づいてなかっただけで、みんなワタシのこと好きじゃなかったのかも・・・」なんて思ったりしてましたので。

で。
ある日、またクラスのみんながフツウに話しかけてきてくれまして。
やったーーー( ^ ω ^ 。)ワタシ、ターゲットから外れたーーーーー!!!

と安心したものの。
えー、じゃあ、次って誰?とそわそわするじょりぃ。
ワ、ワタシ、今回のですっかり凹んだけど、ま、またがんばるもんね。かかかかか、加担しないもんね!と思いつつ、そわそわきょろきょろ。

ターゲット判明。
N田になってました。
どうやらみんなの堪忍袋の緒が切れた模様。

ざまあみろ。
と思うワタシがいたのはまぎれもない事実でございます。
みんなの気持ちがわかったかこのやろう。
てか、みんなはもっとつらかったんだよこのボイン女!(ホントに胸でっかかった)

・・・・・・。


でもやっぱ、なんかかわいそう・・・。


・・・・・・。


目が赤い。  泣いてるのかな。


・・・・・・。


おうちに帰っても、ワタシみたいにおかーさんとおとーさんが味方してくれないのかも・・・。



・・・・・(´・ω・`)


しばらくして、

「ねえ、N田に話しかけてもいい?」

と、誰のグループにだったかは忘れましたが、一応ことわりを入れてみることにしたじょりぃ。
(ワタシはこのころもう既に、「どこのグループにも属さないじょりぃ」になっていたので、自分のグループの仲間に相談するっつーことができなかったのでありんす)

そのときのやりとりは忘れましたが、まあ、ダメって言われても話しかけちゃうつもりでいたので、とりあえず言ってみただけだったんですが。
せっかくN田以外で「これからは無視に負けない」とか結束固めているのに(っつってN田を無視してるあたり、小学生らしくてかわいいですが)、ワタシがひとりでいーかっこして雰囲気壊すと悪いのかなー、とか、このころには少し考えられるようになってきていたじょりぃ。

でまあ、とにかく、話しかけてみることに。
話しかけても無視されるかもなー、N田、気ぃ強いしなーとか思いつつ、「音楽室、一緒に行こー」みたいな感じで声をかけてみました。

だまって一緒に歩き出すN田。
ワタシも黙ってました。何話していいかわからん。

そしたらN田が言いました。

「ごめんね」


やーーー、驚いた驚いた。
謝るような子じゃないんですよ!

「みんなに言っとくよ」
「うん」


それでまあ、たぶん、いったん収まったように記憶してるんですが。
ワタシその後引っ越して転校しちゃったので、その後クラスがどうなったかは不明です。



とまあ、また自分語りが長くなっちゃったんですが。
こういう「今でいうところのいじめ」ってあったよね、とサラッと自分の体験例を挙げるだけのつもりで書き始めたんですが、やっぱ顛末は中途半端にお伝えするよりキッチリお伝えしたくてですね。
N田に関しては、ほら、ワタシちょっとがんばりましたし。
ワタシがんばったの!ってところまで書きたいじゃないですか。自慢マンとして。


この「女子特有の無視&仲間はずれ攻撃」もですね、当時「いじめ」という言葉が今のように使われていれば、これはもう、詳しい経緯や実際の事象は後付けになって、まずは「いじめ」って言葉で済まされてしまう可能性があるんじゃないか、と思うんですよ。
が、このころは、「誰が誰にどうされている」ということが大前提だったと思うんです。ワタシのまわりに関して言えば、って注釈はつけなければならないと思いますが。
行われている行為をすべてひとことで語れちゃう、「いじめ」という代名詞のような言葉が今はあるために、とらえかたが非常に大雑把になっているのではなかろうか、と。
それに「順繰りに無視されて、現在自分がターゲットになっている状態」と認識するのと、「いじめっつーもんに遭っている自分」と認識するのでは、これは精神的ダメージが違ってくるんじゃないかしら?と、ひとりよがりに考えてみたわけです。

もうひとつ。

たとえば、最近よく新聞やニュースで、桐生市の小6がいじめが原因で自殺した、ということが取り上げられてますが。
この手のニュースで気になるのが、学校側がよく発表する

「いじめという認識はなかった」

という言葉であります。

いじめ という言葉の定義にあてはまるかどうか、そこが焦点になっているような気が。

しかし、第三者が「いじめ」という認識を持とうが持つまいが、事件は現場で起きているわけですよ。
第三者(たとえば教師や親)が「いじめ」と認識しなくても、Aちゃんがクラスの仲間はずれになっていたら、これは子どもの世界では大いなる異常事態なわけですよ。当事者にとっても、そのまわりの子どもたちにとっても。
逆に言えば、日頃から男子に目を付けられて口撃や暴力を受けていても、囲まれてボコられようとも、されてる本人が「これはいじめだ」と思わなければそれはいじめではないわけですよ。ワタシの例でいえば、ケンカだと思ってたわけですし。
しかし今の「いじめ」の基準に照らし合わせれば、客観的には「いじめ」と十分認識されてしまう内容だったと思います。
そして、教師が、ワタシが男子にされていることを知って
「じょりぃさんがじめに遭っているらしいですが・・・」
なんて話をしたら、ワタシたぶん、「えええええええ!」ってな感じで、立ち直れなかったかも。
知らなくていいことに気づかされてしまったよワタシ・・・てな具合に。

何が言いたいかといいますと、
「いじめ」という便利で非情な言葉が流通したせいで、本質がなおさら見えなくなっちまっているんではないですかねえ。ってことです。
たとえ見えていても、「それはいじめに該当するかどうか」というその一点が問題にされてしまうというか。
熱心な教師が対応しようとしても、学校の問題として持ち上げたいときにも「それはいじめに該当するかどうか」で、その教師が上を説得できなかったり。

桐生市の子の件でいえば、仲良し同士で給食のグループつくってー、ってルールにおいて、ひとりで給食食べてるというのは、相当異常な光景だと思います。
「いじめ」かどうかなんて問題ではありません。
その子がどのグループにも入れず、ひとりで食べてるというその事象が変ですし、なんともかわいそうであります。
「いや、ひとりが好きなんで」という人もいるでしょうけど(オトナになったワタシなんてその類ですし)、でも小学生じゃ、ちょっといなそう。
どんだけつらくて長い給食タイムだったろうかと。

この事件に関しては担任の先生が責められてますが、先生、まだ20代とのこと。
社会経験もなく教師になって、この事態に対応できなかった先生を思うと、こちらもなんだか気の毒です。学級崩壊していたらしいですし。
学級崩壊も教師の責任だろ、って片づけるのもなんだか乱暴です。6年生にもなれば、子どもとはいえあなどれないですよ。ひとりの人間として、もう難しいです。
それに責任云々抜きにして、この状況下で自分の教え子が命を絶ったとなれば、一生その十字架を背負っていかねばならないですよ。
って、これは話から逸れてますが。

「いじめという定義」にあてはまることを認めるかどうかで、賠償金やら処分やらが変わってきてしまうから、なおさら学校側は「いじめという認識」という言葉を使いたがるんでしょうけれども。
だとしたらもう、この「いじめ」って言葉は弊害ばかり生んでいる気がしないでもありません。

さらに言えば「モンスターペアレンツ」という言葉も、「いじめ」と同じくらい害を生んでいる言葉なんじゃないかとワタシは思っています。
マスコミ的には「いじめ」も「モンスターペアレンツ」も非常に便利。とっても使いやすいです。
しかしそこには、ここで書いたことのある「同性愛に理解のないかたの入室はお断りします」に通じる、良識ある人の行動を鈍らせる力があります。
「これは『いじめ』に該当するのかな?そうでなければ言い出してはいけないのだろうか?」
「これは学校に相談したほうがいいのだろうか? でもそれって自分がモンペってことになのだろうか?」 等々。
良識ある人は、言葉が定義されていれば当然考えてしまうと思います。
良識のない人は、言葉を武器にしていじめをないものにしたりあるものにしたり、また、定義を逆手にとってモンペパワーを発揮するんじゃないでしょうかね。


でー。
長くなっちゃってすんませんなんですが、こういう「細かい内容はさておき、私、こういうものです」という現象って「いじめ」という言葉に限らないわけですよね、もちろん。

たとえば、ワタシがまだ、自分がレズビアン(正確にはバイセクシャルですけど、もういいですよねこの注釈)だと認めるのがどーーーーしてもイヤでイヤでしょうがなかったころ。
同族嫌悪も激しく、「レズ」という言葉を耳にするだけでも体が固くなっておりました。

しかし。

「ワタシは女の子が好き」と思うことには抵抗がなかったのです。
むしろそれは心地良くもありました。
女の子が好き、ということを認めることができて、好きな女の子のことを考えているときは、ワタシにとって至福でありました。

でも、「ワタシはレズビアン(または同性愛者)である」と考えることには、言いようのない抵抗があったんです。
なぜか。

それは、知識や情報のないワタシの中で、「レズビアン」という言葉が一人歩きしていたからだと思うのです。
立派なステレオタイプができあがっておりました。
とはいえ、具体的に「レズビアンて、これこれこうで、こういう人」という定義が自分の中にあったわけではありません。
それすら行おうとしなかったんです。
ただひたすらに「レズビアン」と呼ばれるカテゴリに、その漠然としたイメージに、自分が該当すると認識することがおそろしかったんです。

しかし、ネットの恩恵にあやかり、「レズビアン」と呼ばれる人たちには、様々な人がいることがわかりました。
みんな違って、みんないい。 と、みすずさんのフレーズを口にしたくもなろうというものです。
これはワタシが「レズビアン」という言葉の意味をきちんと知ったから、ということではなく、
レズビアンと呼ばれるひとりひとりを知り、さらにそのひとりひとりの考え方や生き方を知ることができたからであります。

「いじめ」という言葉が、起こっている事象を後回しにしてひとり歩きし、その言葉が人々の判断の目安になってしまっているように、
「レズビアン」という言葉もまた、ワタシたちひとりひとりに起こっている事象や人間性を後回しにし、世間を闊歩しちゃっている可能性は大いにあるわけです。


だから何? で、どうすればいいわけ?


と聞かれても、今のワタシにはわかりません(´∀`)すんません


「細かい内容はさておき、ワタシ、レズビアンです」ではなくて

「レズビアンという括りの名前はさておき、ワタシ、こういう内容の人間です」

というとらえかたを、ワタシもまわりも自然にできるようになっていけばいいなーと。

そんなことをほにゃーんと思ったりします。


まあ、実際は
「レズビアンという括りはさておき、おまえという人間はハナモチならねえ!」
とか怒られるワタシかもしれませんが( ´∀`)アハハー (ホントにありそうで困る)



2010年11月15日(月) 細かい内容はさておき、私こういうものです という現象:前編

ここのところずっと というと大袈裟だな… たまに考えていることがありまして。
けっこうあれこれと考えているんですが、まだ、こう、鉄骨とかネジとかコンクリート用の砂とかをガラガラと集めてざっくりと置いてある状態で、建造物になっていない、という感じで、つまり簡単に言うとまとまっていないんですが。
うまく文章にできるかしらー。


「いじめ」って言葉があるじゃないですか。
あれ、ワタシが小学生の頃には、たしか、なかったんですよ。
ではどのようにしていじめに関する事柄を話していたかというと、

「最近、○○ちゃんがいじめられてるんだよね、××ちゃんのグループに」

なんて具合。だったと記憶しております。
いじめる・いじめられる、という現象はありました。フツウに。
しかし「いじめ」という名称はありませんでした。


ここで話はナナメに飛んで。


ワタシは学校が大好きなシアワセな子どもで、毎日そりゃあ楽しく学校生活を送っていたんですが。
今思い返せば、何がそんなに楽しかったのかちっともわからないんですが、学校に行って、友だちと会って、勉強して、休み時間に男子とフットベースしたり女子とおはじきしたり、そしててくてくと学校から帰る帰り道さえも楽しかったのです。
自分で言うのはアレですが、クラスでも人気者で、当時はリーダーシップも発揮してまして、そりゃまあ楽しかろうねとは思うのですが、ホントになんであんなに学校が好きだったのかよくわからないけど好きでした。

そのようにキラッキラしていたワタシでしたが、目立つし口は達者だし(ひとこと多いし)生意気だしってことで、おまけに「せんせーい、男子がまたサボってまーす」とか言っちゃうクラス委員タイプだったもんで、たまに男子から猛バッシングを受けましてね。
クラスにたいていひとりはいる番長タイプの子から目を付けられたりして。
で、今思えばけっこうな暴力もふるわれてました。
集中的にやられるんです。
番長には子分がいますから、複数対ワタシって図式でやられちゃう。

たぶんこれ、今なら「いじめ」って言われると思います。
当時から「いじめ」という言葉があったら、ワタシたぶん、

「最近のワタシのこれって、いじめなの? ワタシ、いじめの対象になってるの?」

って思い悩んだかもしれません。

が。

殴られたり蹴られたり物を隠されたりしても、まずワタシが負けず嫌いでしたから、「ちっくしょーーヽ(`Д´)ノ」としか思わなかったという気質的なラッキーがありまして。
自分が番長グループにいじめられている、という自覚さえなかったというのんきぶり。(でも今の世なら『いじめ』に分類されると思います)

上記の現象は、学校にいるときに、そのときそのときの流れで「じょりぃ生意気!」ってことでケンカっぽくなって・・・って感じで、ワタシにも非があるというか、強い口調でケンカ売ったり買ったりしているので、特に「ワタシいじめられてるー」という意識にはなりづらかったとは思うんですが。

しかし、ある日のこと。

確か小学5年生の、秋頃だったかしら。暑かった記憶も寒かった記憶もないので。そして春ではなかったので。
てこてことひとりで下校していたワタシ。
当時大好きだったM先輩の家の前をそろそろ通りかかる、というところで

ここで記憶がぶっつりなくなっておりまして

次の記憶は、M先輩の家の裏にある公園みたいなところで、男子5人に囲まれて、これから制裁を受ける、というワタシの状況であります。
なぜ公園にのこのこ呼び出されたのか、まったく記憶にないんですが、とにかくそんな状況。
「じょりぃ生意気だからみんなでボコっちゃう」ということになったようです。

さあ、これからヤられますよ、というワタシの心境は、日頃の強気はどこへやら「怖い」のひとことでありました。
この公園、ほかに人がいません。誰も助けてくれない。どうしよう。

今ならその場で「あら、いつもごめんなさい。日頃の憎まれ口は愛情の裏返しだから!」とかテキトウなこと言いながら走って逃げちまいますが、当時はまだ子どもですし、とにかく気が強くて負けず嫌いでしたし、
「ここで逃げるわけにはいかない!」とかね、気負った( ´_ゝ`)
番長だけでも倒す!とかね、気負った( ´_ゝ`)

で、男子チームに何言われたのかは覚えてないんですが、「あんたたちが悪いんじゃん」とかね、煽った( ´_ゝ`)

結果。

まずワタシは男子のひとりに、背負っていたランドセルをがっつりつかまれ動きを封じられまして。
4人からボコボコに蹴りを食らいました。
途中まではワタシも手足ばたばたさせて応戦したんですが、男子の放つ蹴りの強さと人数に「こりゃ無理だわ」と観念し、途中からは防御の姿勢をひたすら取るのみ。
男子のすっごく楽しそうな罵声を聞きながら「早く時間過ぎろー」とだけ思い、ぼこ ぼこ ぼこ。
途中からランドセルは解放されたので、「それ!」とばかりに反撃・・・は全然できず、うずくまって防御することしかできず。
ボコられていた場所がM先輩の家のすぐ近くだったので「M先輩に見られてませんように」ってのも必死に思ってました。

今思い返してみて「男子もなかなかたいしたもんだ」と思うのですが、顔は一切手出ししませんでしたねぇ。
あと、「殴る」ってのもなかったわ。
暗黙のルールってやつですかね。
男子同士だと、殴り合いもありましたし、プロレス技とかもかけてましたけどね。(ワタシも校内でケンカしているときは四の地固めとかされたことはありましたが)
このときは、首から下へのキック攻撃だけ。
多勢に無勢、男子に女子、という卑怯ぶりはありつつも、顔を攻撃しなかったこととおそらくキックもある程度加減したであろうことは評価したいところです。

制裁が終わって、とぼとぼと家に帰ったわけですが、このときの記憶も全然ないんですワタシ。
たぶん、心のシャッター下ろしちゃって、何も感じないようにして歩いたんではないかと。
泣きながら帰ったのか、ガマンできてたのか、それすら覚えてません。
ただ、ボコられてたときは泣きませんでした。それがまたかわいくないのねワタシ。

母が仕事から帰ってきて、事の次第を話しまして。たぶんこのときは泣いたと思います。家では泣き虫だったしワタシ。
そうしましたら、いつもは「子どものケンカには親は不介入」「じょりぃもひとこと多いよね」な母が、このときは怒る怒る。
この日はたまたま父の帰りも早かったのですが、父が母以上に怒りましてね。

「女の子に、男の子が寄ってたかって暴力とは、何事だ!」 てなことで。

やりくちの卑怯さと、あからさまな暴力に対して「このままではよろしくない」と判断したようです。
子ども同士のケンカの域を逸している、みたいな、そういう判断。

で、親は、そのボコボコメンバーひとりひとりの家に電話したんですよ。
ワタシは「やーめーてーーー」とか泣いて頼んだんですが、却下。
「他の子も同じ目に遭うかもしれないし、これはじょりぃだけの問題ではないんだよ」とか言われまして。

特にね、当時、番長格の男子の日常的な暴力と支配(今ならカンペキ「いじめ」になります)がモンダイになってたってこともあって(ワタシに対してだけでなく)、親の介入となりました。

ひととおり親同士の電話が済みまして。
ワタシとしては「ああ、明日はさらにヤられるかも・・・」とか、当然思うわけですよ。
子ども同士のルールみたいなの、ありますからね。
今度は「なんで親に言うんだよ!」って、ヤられるのが常でありますよ。
って文句言ったんですよ、親に。

そしたら親、

「間違ったことはしてないんだから、堂々としてればいいんだよ」

これね。
ワタシみたいに強くて単純な子どもには有効かもしれませんけどね。
人によっては「そんなー・・・(つд-。)」ですよねえ。
てか、このときはワタシも、ヤられたばっかりでダメージから立ち直れていなかったもんで、「そんなー・・・(つд-。)」って思いました。
いつもはそれでがんばってるけどさー。(てか、がんばりすぎて嫌われる)
また今日みたいなの、怖いー。

それに実はワタシ、ものすごく自分に自信がなくなってしまっていたんです。
まったく歯が立たなかった男子の強さ。
うずくまって時間が経つのを祈るしかできなかった自分。
「ワタシなら大丈夫!なんとかできる!」とシンプルに何の根拠もなく自信を持っていたワタシでしたが、今日全然大丈夫ではなかったし、なんとかどころかなんにもできなかった。
ワタシ、弱い。
そしてなにしろ、怖かった。
怖いと思う自分がまたなさけなくて、このときのワタシには武士的な「恥」という気持ちばかりでございました。

そんなわけで、めずらしく「明日学校行きたくないよ・・・」と、口には出さずにくすんくすん考えていたんですが。

夜になって、お客さまが突然いらっしゃいまして。
誰かと思ったら、ボコボコチームのひとりだった、T君とT君のお父様でした。

ワタシ、T君てやさしくてかわいくてかなり好きだったので、この日のメンバーにT君がいたこともショックだったんでございますよ。

ふたりが何しにやってきたかと言いますと、謝りに来てくれたのでした。
親同士の細かいやりとりは忘れまして、ワタシが今でもハッキリと覚えているやりとりがこちら。

T父「ほら、おまえも謝れ!おまえがやったことだ!」
T君「・・・ごめんなさい」
T父「ちゃんと頭下げろ!」 T君の頭をぐいっと押すT父。
T君「(頭をぐいっとされながら)ごめんなさい」

T父「女の子はな!かわいがるもんなんだ!殴ったり蹴ったりするもんじゃない!やさしくするもんなんだ!」

幼心に、T父のこの言葉にじーーーんと感動するじょりぃ。

ワタシ、当時は気持ちとしては男子みたいなもんだったので、女の子扱いされるのとか嫌いだったんです。
が、この言葉にはいろんな意味でじーーーんとしましてね。
ワタシも女の子のことはかわいがろう。やさしくしよう。とまず思い。
そして、ああ、ワタシって女の子なんだな、ってのもなぜか深く思いました。
そしてそれは、イヤな感情ではなかったのでした。
今でもこの「日頃は女の子扱いはすごくイヤなのに、このときはなんかうれしかった」という不思議な気持ちをたまに思い出します。

翌日、またヤられちゃうのを覚悟しながら登校しまして。
しかし、予想に反して、男子は何も言ってきませんでした。
当然「昨日はごめんな」とかもありませんでしたが。
T君が謝りに来てくれたことは、T君の立場を考えて、クラスの誰にも言いませんでした。(今度はT君がボコられちゃうし)(たぶんワタシよりもひどく)

その後はワタシも反省し、番長グループとも仲良く・・・なんてことはまったくなく、相変わらず小競り合いはしていたんですけども。
呼び出されて多勢に無勢、ってのが二度となかっただけで、あとはすべて元通り。(要するにたまに校内ではヤられた)


昔語りが長くなりましたが、何が言いたいかといいますと、
今の世の中で、ワタシが5年生で、「いじめ」という言葉が立派に一人歩きしている状況で同じ目に遭っていたら。
やっぱりワタシは考えてしまっていたと思います。
「ワタシは『いじめ』に遭っているの?」と。
で、「男子とケンカして負けちゃったワタシ」「クラスでたまに(自分が生意気なせいもあり)制裁や報復を受けているワタシ」という具合に、起こっている現象や状況をそのままとらえるのではなく、
「ワタシ、いじめの対象になっている」
と考えてしまっていたかもしれないな、と思うのであります。
そして「いじめの対象になっている」ということを、非常に恥ずかしがるんじゃないかと思います。
起こっている現象そのものよりも、「じょりぃはいじめに遭っている」という括りに参ってしまいそうです。


上記の男子対じょりぃの図式なんかは、いじめというよりはケンカの発展形みたいなもんですが(なにしろワタシ本人に「いじめられている」という意識が皆無でしたので)(少し鈍かったのワタシ)、6年生になってからの女子のボスがヤったアレは、今でいう「いじめ」だったんではないかしら、という話も、長くなりついでに。


と思ったら、「あんた、長すぎでこれじゃアップできないよ」と日記エディタに怒られました( ´∀`)アハハー
ということで、


つづく( ´_ゝ`)すんまへん


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