サーモンピンク・フラミンゴ
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2004年07月13日(火) |
恋愛感情のラベリング |
今回のお題は、ワタシの中から自発的に発生したものではありません。
この存軽にも顔を出してくださっている、ワタシの愛人のひとりであるももさん・・・スミマセン、願望と現実がごっちゃになってしまいました・・・・まあ、とにかくももさんのサイトから引っ張ってきてしまったものです。
ももさんは「ASEXUAL-JAPAN」というサイトを管理運営されていらっしゃいます。 ということは、ももさんはAセクなの?ということになりますが、「一応、今のところ、そうなのかなと。」というスタンスのようにワタシはお見受けしております。(ももさん、違ったら、抱きつくとかして抗議してください) そもそも、セクのカテゴライズって、非常に難しいですよね。 ハッキリされてるかたもいらっしゃるんでしょうけど。 ワタシにとっては難しいものでございます。自分のセクのカテゴライズさえ、ちゃんとできません。
で
ワタシは個人的に、Aセクってとても興味があるのです。 おもしろがっている、というほうの興味ではなく、もうちょっと切実な興味です。
どういうことかというと。
ASEXUAL-JAPANをご覧になっていただくとわかるかと思うのですが、Aセクのかたが非Aセクにアプローチされた場合、かなり困ってらっしゃるみたいなんです。 もちろん十人十色、困らないかたもいらっしゃいます。 しかし、おおむね、あまりにも「好き好き好き好き!」と詰め寄られてしまった場合、さらに「あなたも私を好きになって!」というスタンスに入られてしまった場合、さらに「好きなんだから、つきあっているんだから」と、身体的接触を求められた場合。
とまどわれるかたが多いようです。 ていうか、「あー、もー。 うざい!」という気持ちなのではないかと。
もちろん、たとえばレズにもいろいろな好みやタイプや度合いがあるように、Aセクのかたにもいろいろなタイプがありまして。 そのへんは、ASEXUAL-JAPANを参照いただくことにして。 (すんごいしっかり作ってあるので、Aセクのことがわからないかたがうかがっても安心ですよ。ももさんは間口広いですし)
話が飛びましたが。 それでじょりぃは何が切実なんだよ! と言いますと。
Aセクの人が非Aセクにアプローチされる困惑。 それはそのまま異性愛者が非異性愛者にアプローチされる困惑に似たものがあるのではないかと。 そんな風に思うからです。
ワタシはヘテロ女性が好きです。 レズがキライ、ということではまったくないです。好きです。あなたのこともあなたのことも愛してますってキリがないのでお調子はこのへんにしておきますが。 あ!ワタシったらフォーリンラブ☆と思う相手が、今までみんなヘテロ女性である、ということです。
で。
ワタシ、つい最近まで「ワタシのことを好きになれ!と強要しない限り、好きでいること自体は相手の迷惑になることはないだろう。むしろワタシに好かれるなんて嬉しいはず☆」と思っていたんですよ。 変な人・イヤな人からでない限り、誰かに好かれてイヤな人はいなかろう、と、安直に思っていたわけです。
が、ナナと再会して。 ワタシはしらばっくれてナナに訊ねたのです。再会してまだ日が浅かった頃に。
「ワタシがワタシの好きな人をずーーーっと強く好きでいるように(ナナのことなんですけどね)、キミが誰かに愛されているとしたら、どんな風に感じる?」と。
答 「重たい。負担。それにちょっと不気味かも。」
正直すぎます。 ワタシはそういう風にある人を好きなんだよという話をしているそばからこの答。 ある意味無神経です。
で、このときワタシ、ショックを受けたのです。 「ワタシの好きな人がナナだとナナに知られたら、ワタシはナナの負担になってしまうんだ」と。 しかも不気味がられますし。
ワタシなら、誰かにワタシがナナを愛するように愛されたら絶対嬉し・・・・くないかも。 重たいかも。 困るかも。
この日からやっとワタシの認識が変わります。 相手の迷惑になる行動をとらなくても、「好き」という気持ちだけで相手の負担になることができてしまうんだ、と。
ワタシは慎重になりました。(これでも)(たまに暴走してますけど)(大目に見てください)
そして、ももさんのところでAセクのかたの話をうかがうにつれ、「なんだか似てる」と思ったのです。
「好かれることの迷惑さ」が。
そして、非Aセク→Aセクへのラブというのは、セクを越えた愛のアプローチということになるわけですが、これも似てると思ったのです。
非異性愛者→異性愛者(矢印は逆でも可)のラブに。
というわけで。 ワタシはワタシの中のいろんな謎を解きたくて、ももさんのところを興味深く拝見しているわけなんですが。
ここまでマクラです。 相変わらずマクラのほうが長くてスミマセンねえ。
で、そちらの掲示板でこんな話題が出たのです。
「恋愛感情と、(友情としての)好き感情をどうやってラベリングしているんでしょうか」
ももさんが「非Aセクさんがどのようにラベリングしているのかも聞いてみたい」というようなことをおっしゃったので、ここはワタシの出番ね☆と、掲示板デビュウを目論みつつ張り切って考えてみたのですが。
わからないのです。
感覚的にはハッキリとわかるんですよ? たとえば、ワタシはタマリンのこと大好きですけど、恋愛感情はないです。 これはハッキリしています。 なっちゃんは長いことワタシの恋人でしたし、今も最も信頼を寄せている人間でありますが、恋愛感情は既にないです。 姉妹愛のようなものはありますけど。 強い強い愛情をお互いに持っていますが、恋愛感情ではないと思います。
「その人に、自分の命を賭けられるかどうかかな?」とかも考えてみたんですが、ワタシ、なっちゃんのためでもタマリンのためでも命賭けられます。 安い命といえばそれまでですが。
さて困った。
あえて言うならば。
キスしたくなるかどうか。(セックスでなく、キスです) ワタシにとってはこれかも。
でも、キスしたくなる人すべてに「強い恋愛感情」を持つかどうかと問われれば、それは全然違うように思います。
どんなにその人を好きになっても、ナナやきょんと同列になることは難しいような。 特に、ナナに対するワタシの感情を、他の人に向けることができるかどうかは「ありえない」としか言えないのですが。
では、そのラベリングの違いはなんなのか。
心の奥の奥の奥にある、「核」のようなものが、ワタシの場合ナナに対する気持ちでできている、という表現はできるのですが。 その表現では「恋愛感情と好き感情をどうやってラベリングしているんでしょうか」という問いの答にはなっていません。
難題です。
みなさんの場合はいかがでしょう? 恋愛感情と好き感情をどうやってラベリングしているんでしょうか。 十人十色だとは思いますけれど。
実に興味深いです。 ご意見をお聞かせいただけると、とても嬉しいです。 たぶん、ももさんも。<決めつけ
2004年07月09日(金) |
セクシャルマイノリティというカテゴリが存在しない空間 |
ワタシが通わせていただいている、とあるパスワード制の掲示板があるのですが。
ここは全然セクシャルマイノリティとは関係ないサイトで、ワタシ以外の人はみんな賢くてしかもかなりな毒舌。 毒舌とはいえ、書き込みにはどれも思いやりが感じられ、どのかたの書き込みにもいつも「ははは」と笑わせていただき、さらにほんわりと心が温かくなったりするんですが。 おまけに、知識の宝庫。
そこは、とあるサイトの裏掲示板のようなところで、なのでみなで適当にそのときどきの話題でだべっているだけ、というものなんですけど。 今のところ、レズはワタシひとりなんですが、ゲイのかたはちらほらいらっしゃいます。 が、やはり世の中の構成比率から考えても、もちろんヘテロが多いんですけれど。
その掲示板で最近、ある常連さんが「同棲はじめました」みたいなことを書き込んだんです。 そのかたは女性。 同棲相手は男性。
そうしたら。
「へー、意外」めいた反応が多く。
「○○さん(同棲を始めた人)は、てっきり婦女子が好きなのかと思ってました」という、他の常連さんの書き込みから始まって、ワタシも「ワタシもお仲間かと思ってましたのに。でもホントは女も好きでしょ?」と。 そんな書き込みが飛び交う中、そのかたもそのかたで、そのことを否定も肯定もしないまま 「昨日行ったお店ですごい好みの女の子がいて、ヤバイと思った」とか書いてましてね。
なんて言うんでしょう。 そこには「セクシャルマイノリテイ」なんてカテゴリは存在しないかのように。
「あ、男が好きだったの? 女好きかと思ってたのに」というセリフが、どこにも力が入ることなくさらっと交わされているのです。
そこでは通常でも「ゲイの××ちゃんから見て、あの俳優はどう?」とか「じょりぃさんはケイト・ハドソンはあまり好みじゃないでしょ?」とか「△△ちゃんは、ホントはゲイなんでしょ?そろそろ認めなさいよ」みたいな、そんな会話がフツウに交わされているわけです。 同性愛者と異性愛者のあいだで。
なんというか、こちらにお邪魔していると、この掲示板における会話があたりまえのものになる日が、そう遠くないのかもしれないな、なんて、楽観的な未来を「ぽわん」と思い描いてしまう、頭がシアワセ者なじょりぃであります。
でもやっぱり、知的な人ほど、偏見は少ないような気がしますね。 って、これは偏見かしら。 知的な人が偏見を持った場合ほど厄介なものもありませんけどね。 って、これも偏見?
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